登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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このほど、ちなちゃんが「不登校と勇気」と題する一文をまとめてくれました。

さっそく月例会(2014/10/19)で紹介したところ、みなさんの共感を呼びました。

ちなちゃんはこれまでも、毎月の例会でいっぱい貴重な話をしています。

今回は、ご自身の文章です。ホームページにアップして、あらためて

ちなちゃんの体験や考え方から学び、刺激を受けていこうと思います。

(2014/10/26 たっちゃん)




不登校と勇気










        
    ちなちゃん 




「子どもに対して、どうすることが1番いいことなんだろう・・・」
私には、この春に通信制の高校を卒業した長男と中学3年の次男の2人の子どもがいます。


不登校の始まり

意表を突かれることが起きました。それは、次男が小学1年の夏休み明けくらいから不登校になったことです。長男は小学5年で、それまでにも行きたくなさそうな事は時々ありましたが、「お腹が痛い時は保健室に行けばいい」とか、「1学期に2、3回までならずる休みOK〜」と独自のルールを作ったり、途中まで一緒に登校したりして学校に通わせていました。


しかし、次男にはこの方法は全く通じず、ただ「行かない」の一点張りでした。理由も聞いてはみましたが、特に答えませんでした。そして、長男も行かなくなりました。


私自身、高校を2年の初めに中退していたので、子どもたちも高校になったら同じことを言う可能性はあるカモ・・・と、ぼんやり考えていましたが、まさか、こんなに早く学校に行かなくなるとは・・・長男が学校に通うなかで、何はともあれみんなのすることは一通りするのが当たり前で、大人の言うことを良く聞いて逆らわず、波風を立てないで過ごせば問題ない・・・と、いった空気は私にとって、どこか腑に落ちないものでした。


そういえば、自分が高校を中退したとき、中身はどうであれ、とりあえず大人がいいと判断したことをこなしていく日々に、意味を見出せずにいたことを思い出したりしました。


とにかく、不登校が始まりました。私は友人から「‘ホームスクール’という方法があるんだよ。」というのを聞いていたので、早速その方法で子どもたちと過ごしていこうと、夫に提案しました。


すると、「今はいいかもしれないけど、もし自分たちが途中で病気になったりしたらどうするの? もし、そんなことをするなら、子どもたちが大人になるまでの計画をちゃんと立てて、計画書を出してもらわないと困る。」と、言われケンカにもなりましたが、自宅で漢字や計算の問題集をしたり、テレビや映画を見たり、天気のいい日は出掛けたりして過ごしました。


迷い

でも、自分ひとりの判断では自信がなく、市の教育相談を受け、「子どもが学校に行きたがらないので、ホームスクールをしたい。」と伝えると、「各学校長の裁量に任されています。」とのことだったので、校長にも同じように伝えました。すると、校長は「学校というのは社会の縮図であるから、ここで子どもたちはお互いに成長していくんです。」と、いった感じでした。


私はそのことに反論はしませんでしたが、「嫌がる子どもの首に縄をつけて学校へ連れては行けません。本人が自主的に行かない限りは登校しませんので、よろしくお願いします。」と、伝えました。


「自分のしていることは、本当に子どものためになることなのかな・・・」しょっちゅうこのことを考えては、「無理強いして、私の思い通りに動く人間を育てることの方がきっと危険だ。」と、いう思いも捨てきれずにいました。


そんな中、母との会話で子どもたちの話題になり、事の次第を話すと、「子どもたちにまでそんなことをさせて!」と、腹を立てているのが電話越しにわかりました。


なかなか理解してもらえないことは、残念で寂しく腹も立ちましたが、私だって子どもたちが何も言わず、そのまま学校に通っていたら、「学校には、行かなくてもいいんだよ。」とは、敢えて言うことはなかったので、無理に『理解してもらいたい』という考えは、私の気持ちを押しつけてしまうことになるなぁ・・・と、思うようになっていきました。


不登校を続ける中で、私は自己流のやり方に時に揺れ動いていました。そして、新聞を読んでいてたまたま見つけたフリースクールに頼ってみたこともあります。月謝は35,000円。兄弟で入れるということで割引をお願いすると、なんと1割引きしてもらえました。


そこでは、異年齢、少人数で自然の中で過ごしたり、一般の方が講師になり何やら教えてもらったりしていました。自宅で私だけと過ごすことでは体験できない、刺激的で楽しいこともたくさんあったと思います。そして何より、‘どこかに所属している’ということは、私にとって、いわゆる世間に対して、子どもが学校へ行っていないことへの大義名分を手に入れ、安心することにもなりました。


フリースクールへは、片道約30分20kmほどの道のりを、私が車で毎日送迎していました。初めは新鮮な気持ちで送迎していましたが、日を追うごとに「大変だなぁ・・・」と感じる日も増えていきました。そして、子どもたちを送った後、独り車の中で「月謝が払えなくなったり、私が車を運転できなくなったりしたら、子どもたちはココには通えなくなるんだよなぁ・・・」と、いう考えがふと過り、微妙な気持ちになることもありました。


でも、その頃の私は「親は多少きつくとも、子どもたちの為に‘してあげなければ’。」いう気持ちと、いわゆる世間への対抗策としてフリースクール通いを続けていたと思います。そのうちに、子どもたちから「毎日じゃなくてもいいよ。」さらに、期間をおいて「やっぱり、(フリースクールに)行かない。」と、言われた時は、ホッした自分と‘どこかに所属している’という安心を失うことへの不安が出てきました。


親の会との出逢い

そこで、インターネットで「登校拒否」や「不登校」で検索していて、「登校拒否を考える親・市民の会」のホームページと巡り逢いました。私にとって興味深いことがたくさん書いてあり、すぐに参加してみようと思いました。しかし、私の最大の目的は、うちの子どもたちと同じような境遇の同年代の‘子どもたちのお友達’を探すことでした。


ドキドキしながら参加してみると、子どもの不登校もさることながら、自分自身の問題や夫婦の問題、介護のお話など幅広いものでした。それなのに、どの話題もなんとなく繋がって感じる・・・様々に悩んだり苦しんだり、身動きがとれなくなったり、そのうち落ち着いてきて、また不安になったりと、揺れ動く・・・そんな状況になって自分のあるべき姿を見出せずにいる・・・私は、つい、自分の気持ちと重ねていました。子どもたちのためというより、私の心に響く会だと思いました。


初めて参加した時に私が話した体験談の中で、午前中は子どもたちに勉強を教えているということに、トモちゃんは、「勉強を教えるのは、好きですか?」「勉強は教えなくても、充分に生きていけるということを確信したら、子どもは自分でちゃんと覚えるということがわかってきます。」と、言いました。


・・・んっ?! なんと、子どもたちの日頃の状況ではなく、「勉強を教えるのが好きか?」と、私が問われたのは意外でした。心のどこかで私は、学校という型に無理矢理はめずに、わりと自由に育てていることへの助言や賛同を期待していたからだと思います。それに、勉強は誰かに教わるモノで、自己流なもの(思いっきり自己流で教えておきながら・・・)などどこにも通用しないし、大人は子どもに対してあくまで、教えていく立場だと思っていましたから、好きか嫌いかなんて考えたこともありませんでした。


そして、このトモちゃんの私への問いは、子どものことを考えているという名目のもとで、本当は自分自身の問題から目を逸らしている、ということに気が付くきっかけになりました。そして、子どもたちから自分を大切にすることを教わったことにも、気付くことができました。


不安

私は、なるべく波風が立たないよう、また周りに迷惑をかけることがないようにしているつもりでした。それなのに、世界中で1番の拠り所であるはずの家族は、私の1番の敵になることがありました。大切な存在のはずなのに、そんな風に思ってしまう自分が悲しくて嫌いでした。でも、親の会に参加していくうちに、劇的ではありませんが、じんわりと私の中で何かが変わっていくように感じるようになりました。


それまでにもなんとなく、「私は、きっと幸せなんだろうな〜」とは、思っていましたが、どうしても『自分を大切に』や『自分が自分の主人公』ということは、なかなか理解できずにいました。それは、単なる「わがまま=悪」としてしか見ることができなかったからだと思います。それに、『“まっ先に”幸せになる』なんて、はっきりと違和感を感じました。


家族や周りの人のためになるようなことをしたり、喜んでくれるようなことをすることが幸せへのカギだと思っていたので、無条件に自分が幸せを感じるなんて、よっぽどおめでたい人物で、私とはちょっと違うのだろうと、しばらくは聞き流していました。


しかし、『人の話は我が話、我が話は人の話』・・・そうそう、この会で自分と重なる思いがたくさんあることを感じた私は、『まっ先に幸せになる』ことは、満更でもないかもしれないと思うようになり、更に、いつのまにか「そんな風になれたらいいな・・・」と、私のささやかな夢になっていきました。恐るべし親の会・・・


このささやかな夢は、私の勇気に変わり、私をワクワクさせてくれました。その勇気は、私が日々の些細なことでも、何かに向き合おうとするとき、それまでの馴染みの考え方に疑問を投げかけました。そして、何より私は、いろいろな自分がいることに抵抗がなくなっていった気がします。


その、いろいろな自分とは、「これまでの自分の経験や誰かの前例を勝手にあてはめて結果を想像する」、「自分の弱さを隠すことが、家族や他の誰かに認めてもらえる方法だと思っている」、「助けを求めることが苦手」、「誰かの批判を恐れている」・・・と、いう感じでした。


こんな自分をなかなか変えられないことに苛立つ私・・・ただ漠然と「今のままではいけない」と、考えていることが、「違う自分になろうとしているのかもしれない」と、思った時、私はやっと自分を大切にしていなかったことがわかりました。そして、なりたい自分よりも、誰かに批判されないような自分になろうとすることは、実は不安から逃れようとしているのかもしれないとも思いました。


でも、不安はいつでも近くにたくさんあるはずなのに、時と場合によって感じる時と感じない時があるのは、私の考え方の問題なのだから、特別に恐れなくても大丈夫だと、自分を自由にできた気がします。楽しい時もあれば不安な時もあるなんて、あまりにも当たり前なことなのに、私は不安というお化けをなくすことに必死になり過ぎて、幸せを感じにくくなっていたみたいです。


いろいろな人の体験を通して、ゆっくりと自分という人を再認識することになりました。そのことは、私の世界を広げて、楽しみや幸せを見つけるのがうまくなっていっていると感じられるようになりました。


勇気

子どもたちのことを心配して、いろんなことをして「あげて」いるつもりでしたが、本当は簡単で分かりやすい答えを捜していただけだったと思います。


なかなか見つけられなくて、焦ったり不安になったりしましたが、実はそのことが私にとっては、最高のプレゼントになったと思えます。『自分を大切に』したいと思えるようになって、未来の不確実な幸せのために犠牲ならずに、今を大切にしていけるようになったからです。


時に敵になってしまう家族も、素直にかけがえのない存在だと言い切れるようになりました。


それは、不登校を通じて親の会に出逢い、たくさん人のワクワクやキラキラで、私は私になる勇気をもらったからだと思っています。


うれしいなぁ〜〜〜♪


(完)




以下に、ちなちゃんのこれまでの月例会でのお話をいくつかあげておきます。

どうぞクリックしてご覧ください。


息子が初給料でご馳走してくれた(2014/6)

「いい子に育ったね」と言われ、とてもうれしい(2014/2)

「静観していただき感謝」と通知表返信欄に(2013/9)

私がうつになったときのこと(2013/6)

子どもたちが私と夫の最大の理解者(2013/3)

「ちなちゃん、キラキラしてる!」(2012/10)

肩の力が抜けて今は自然体(2012/5)

私、自分のことが大好きです!(2011/11)






ちなちゃんの最新文書「今日もいい一日」(2023/4/16) は こちら →


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初出: 2014.4.26  最終更新:2023.7.8

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