2023年4月16日
月例会でのAさん(23歳)のお話
「母は自分のために自分のことに
時間を使うようになった」
──小1の不登校を始めたときのことを覚えている?
兄の友だちといっしょに学校に行っていて、待ち合わせたときに「今日は、行かない」と言って、家に帰ったのが最初だった。
──すごいね。行かないと自分の気持ちを決めて、くるっとUターンして帰ってきたんだ。それっきり行かなくなったの?
その後、何回かは行ったのかな?(ちなちゃん「行ってない…、それっきりだったと思う」)。記憶があいまいです。
──その後、小学校、中学校はずっと行かなかったけど、高校(通信制)はどうだったの?
最初の2ヶ月くらいレポートとかやったけど、面倒くさいな、行きたくないなと思って、いろいろうその理由をつけて辞めさせてもらった。
──どんなふうに?
その頃、パソコンでコンピュータグラフィックをしていて、これをしたいから学校には行きたくないなどと言って、理由に使っていた。
──ゲームもやっていた?(ゲームもずっとやってました)ゲームはお母さんからやめなさいとか言われなかったの?
最初の小学生の時とかは、一日2時間とかで、午後2時ぐらいからでないとやっちゃいけないと言われていたけど(──あっ、やっぱり制限していたんだ)、母が出かけると勉強は放り出して、すぐゲームをしてました(笑)。親には体裁というか、バレないように、ゲームばかりしているのを見せないようにしていました。兄が高校に行くくらいまでは、よく遊びに来ていた兄の友だちもいっしょにゲームをしていました。
──家事手伝いは? こういう仕事はあなたに、こういう仕事はお兄ちゃんに、とお母さんが割り当てたこともあったんでしょ。
不登校だった最初の頃はそうだったかもしれないけど、後半から徐々にしなくなった。今はしていない。何もやっていない。
──勉強についてもほとんど言わなくなった?
ホームスクーリングを辞めてからは言わなくなった。
──お兄ちゃんと二人とも学校に行かなくなって、お母さんは最初の頃、「勉強しないと読み書きもできなくて、山で裸の生活になるよ」とか言ってたんだよね(それはしょっちゅう言われてました。笑)。一時フリースクールに行ってたんだよね。
特に勉強するとかではなく、いっしょにいる子どもたちとずっと遊びまわっていた。
──読み書きは、どうしてできるようになったの?
仕事始めてから、書いてお客さんに渡したりということがあるので、書けるようになったのは社会に出てからですね。(──じゃ、特に困るようなこともなかった?)別にない。スマホとかある時代なので、あまり困らない。わからないことがあれば調べればいいだけだと思っています。
──今、亡くなったお父さんの仕事をお兄ちゃんとお母さんと3人で引き継いでいるのね。すごく難しいお仕事でしょ。
いや、僕ができるくらいなんで難しくはないと思います。
──わずか2ヶ月くらいだったけど、どうして通信制の高校に行こうと思ったの?
結構しつこく「高校ぐらいは出ておかないと…」と言われたからで(ちなちゃん「あっ、そんなことはなかったことに…」笑)。母は、この親の会にも来ていて、それまでは特に何も言わなかったんだけど、高校に入る前くらいからうるさくなってきて、面倒くさいなぁと思って、まあだから取り合えず一回は行っといてやろうかなと思って入学したけど、やっぱり無理だな、面白くないと思って辞めました。
──辞める時は、お母さんは何も言わなかった?
いや、たぶん少し喧嘩したはずです。(──お母さんからメールもらったのは覚えている?)すごい長文のをもらった。(ちなちゃん「ははは…」笑)(──そういうのがなかったら、短期間であれ、そもそも通信制に行こうとしなかったということね。)そう。ですね。(──お母さんが言うもんだから)とりあえず。(──じゃあ、ちょっと付き合おうか。そういうことだったんだ。お父さんはどうだったの?)高校ぐらいは出ておけばみたいな感じだったと思うけど(──そんなに厳しくは言われなかった。)一番面倒くさかったのは母です。(ちなちゃん「エーっ、来なきゃよかった。今日は休むんだった…」笑)
──じゃAさんのなかでは、学校に行かないとダメなんだとか、世間に置き去りにされるとか、自分がダメな子だとかは全然思わなかったんだ。
特にそれはなかったですね。それよりもゲームすることが楽しかったので。(──自分をマイナスイメージでとらえてなかったのはすごいね)親には面倒をかけたり申し訳ないなという気持ちありましたけど、それよりも自分の気持ちのほうが上だった。(──すごいな、真っ先に自分を大切にしている。それでお母さんもだんだん安心していったんだ。)どうなんだろう。(ちなちゃん「そうです」笑)
──小学校や中学校時代に、ゲーム以外にどんな遊びをしていましたか? 好きだったこと、夢中になったことは?
ゲーム。ゲームです。(──それは一人でやるゲーム?)いや、オンラインでやるゲームです。「ファイナルファンタジー」とか、いっしょに強いボスを倒したりとか。(──どうやってメンバーが集まるの?)ゲーム内に募集があったり、掲示板があって、そこに参加して入ったり、ネットで募集しているところを探したり…、お金はかからない。(──そこで出会った人とゲーム以外の付き合いができることは?)高校の時から現在までいっしょに遊んでいる友だちがいる。その人たちとは去年の12月も東京でライブを見に行ったりとか、オフ会をしています。年はばらばらでみんな離れたりしているんですけど、年齢差は気にせず話したりしています。オフ会はたのしいです。
──オートバイも好きと聞いているけど、免許を取ったのはいつ?
車の免許を取った後だから、19歳のとき。普通乗用車の免許は、ちょうど18歳になる時に発効するように取った。オートバイの免許は大型自動二輪。
──おばあちゃん(ちなちゃんのお母さん)のことを教えて?
最初の頃、「学校ぐらい行っときなさい」と何回も怒られたことがあったけど、わかってくれてからは何も言わなくなった。(──お母さんに「いい子に育っているよね」と言ってくれるようになったってね。)すごい優しいおばあちゃんです。僕は不登校で、学校に行く必要性を感じていなかった。
──亡くなったお父さんもすごい理解があった?
そうですね。すごい優しかった。(──ただ、最初の頃だけだと思うけど、お母さんに「子どもが二人とも不登校でも、ちゃんと育つよう計画書を出しなさい」と言ったとか、夫婦の間ではいろいろあったようですが、子どもたちに対しては……)そうですね。お父さんから言われたことは一回あるかないかです。(──お母さんのほうが多かった?)そうです。(ちなちゃん、笑)いっしょにいる時間も長いので、どうしても小言が…。(──そういうことがあったりもしたけど、ちなちゃんは幸せだね。)(ちなちゃん「本当に幸せです。子どもたちに育てられました」)
──お母さんが昨夏、頑張って電気工事士の資格を取ったこと、どう思いますか?
すごいと思う。(──それで、お兄ちゃんかな「俺も取ろうかな」と言ったとか)あぁ、その後取っています。(──Aさんは?)まだ取ってません。(──取ろうと思っている?)少しは思ってます。(笑)でも、資格とかは持っときたいなと思ってます。(──どんな資格?)今だったら、土曜日に自動車学校にまた入校して、大型トラックの免許を取ろうと思ってます。(──それは、今の仕事の関係で?)いや、単純にただ取りたくて。そのうちもしウチの会社がつぶれても、大型トラックの免許を持っていたら配送業とかできるかなと思って…(笑)(ちなちゃん「すばらしい。物流はとぎれないから」と言ってました。)さすがに全部がロボットに置き換わるのはまだ早いんじゃないかと思っているんで。
──いままで、学校に行かないことで不便を感じたことはない?
1回、デザインを学びたいと思って、CGをやっていたころ調べたとき、専門学校は高卒認定がないと入れないので、そういうところで自分のスキルをアップしたいのであれば(高卒認定の資格は)持っていてもいいのかなと思いますけど、絵を描いたりすることも自己流でやってきているんで。たまに建物の中の図面を描いたりもします。
──どうして本を読めるようになったの?
ゲームの攻略本ですね。わからない漢字が出てきたら、それを調べて読むとか。わからないままだと攻略できないんで。(──なるほど、必要に迫られてできるようになるんだ。)自分のしたいことのためなら勉強も別に苦でないんで、まずそれを見つけることが多分大事なんじゃないかな。ポケモンのような簡単なゲームだったら、小さい子にもわかるように漢字にはルビがふってある。漢字もそれで読めるようになった。常用漢字くらいは。
──お父さんの仕事を手伝うようになったのはいつ頃から? 自然に?
いつのまにかやらされてました(笑)。父の誘導がうまかったのか、気づかないうちに図面の読み方も覚えさせられていたので。18歳くらいのときからかな。(──お父さんのがんがわかったのは、きっかけとして大きかった?)さすがにそれはどうしようもないなと思って、ステージ4でしたから。そこからは頑張りました。どうしようもなくなったら、やるしかないとなったらやると思うんで、ですね。僕の場合はたぶん追い詰められてからでないとやらない、というのはあります。(──誰でもそうね。)
──この先自分はどうなるんだろう、と心配に思っていたことはない?
どうして行こうかなと考えたことはもちろんありますけど、なんとかなるだろうくらいにしか思っていなかった。なるようになるみたいな感じで、のらりくらりとやってます。
──自己否定がないのがいいね。「学校にいってない自分は悪い」と自己否定することはなかったの?
まあ母親を困らせる自分はだめだなと思っていたんですけど、学校に行かないことにはあまり抵抗がなかった。(──でも、お母さんも悩まなくなってきたでしょう。)そうですね。(──お母さんのことどう思いますか? 今日、お母さんの9年前の文章と今朝メールでいただいた、二つを紹介しましたが、どう思いますか?)感心します。こんな文章を書けたんだと(笑)。(──10年くらい前かな、お母さんは放送大学で学ぶようになって勉強してたでしょう。)結構家でずっとやってました。BSでも放送大学のチャンネルがあるので、見たりしてました。(──自分はいま学校に行って学んではいないけど、母は母で一生懸命勉強してるなーと。)そうですね。
──家の中だけだとパワーが余らなかった?
小学生のときは近くに同じくらいの不登校の子がいて外でいっしょに遊んでいました。(──近くにいたの?)はい。いまアメリカに帰ったけど。(──あぁ、それでちなちゃん親子がアメリカに遊びに行ったという話もあったね。)その子といっしょに遊んでた。でも、ある程度してからは外で遊ぶことも少なくなり、その子とも家でゲームをするようになった。小6くらいのときはずっとゲームだった。(──体力が足りないなと思ったことは?)とくにないです。
──「かえって、学校を出てる人のほうが社会性がない」という見方もあるんだけど…
最近のSNSとか見てるとわかるんじゃないですか。醤油をなめたりとか、学校で何を教えたらああなるんでしょうね。だから学校に行くから普通、何も問題を起こさない、犯罪者にならないとは一概に言えない。学校に行かないことは悪いことじゃない。
──ゲームって、どれぐらいやってました?
一番やってた時期は高校生くらいなんです。一日でいうと午前8時から翌日の未明4時くらいまでやってました。一時止めるのはご飯とかお風呂のときくらい。
──お父さん、お母さんは好き同志、自分はこの家の子でよかったと?
そうですね。大好きだったと思います。両親の子でよかったと思ってます。悪かったときは喧嘩しているときはもちろんいやでしたけど、基本的にはいい、居心地はよかったです。
──お母さんがどんどん生き生きとしてきましたよね。Aさんからお母さんがどのように見えていましたか?
それこそ最初、歌・ゴスペルを始めたときとか、とても楽しそうで、自分のために自分のことに時間を使うようになったことが大きいと思います。
──最後に、この会についてのご感想をお願いします。
母がこの会に出会えてよかった、それは母だけでなく、結果僕も幸せなので、本当によかったと思っています。今後ともよろしくお願いします。
──こちらこそ、よろしくお願いします。今日はお話してくださり、ありがとうございました。(拍手)
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