登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年5月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.101


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



 4月例会報告 「幸せは今ここにある」


 「幸せは、今ここにある」という言葉(考え方)は、今までの価値観からは遠いものでした。
 「ガンバって、努力すれば将来が保証される…」という考え方が大勢を占めています。
 その価値観がわが内なる価値観に根強く根をはって自らを苦しめます。



 我が子の「今」を心から受け入れるということは、わが人生観の転換でもあります。
 私たち大人が自分の毎日の暮らしに幸せを見出して、自分を大切にしているだろうか、と問われます。



 イラク人質事件で、当事者の郡山総一郎さんは4月30日の記者会見で、「自分が全否定された苦しさを感じた」と述べ、朝日の記事(5月2日)で今井紀明さんは「生きている感覚がない」と話されています。



 自己を否定されたときの苦しみがこれらの言葉の中に表れて心が痛みます。
 国民の命を守る義務を負う国が自らの責任を棚上げして、自衛隊のイラク派遣を合理化するために3人をバッシングする「いじめ」は貧しい価値観です。



 人は「今」の状態を否定されることはあってはならないこと、ましてやそれが、一番信頼しあえる家族であればなおさらですね。



 我が子はひたむきに生きている、「今」を生きている、自分らしく生きようとして自己否定の苦しさと闘いながら、不器用に生きている、そんな我が子に不安がないという親の言葉に参加者の感動をよびました。





1.親がでんと構える・・・。我が子に教えられました・・・。Nさん

2.苦しくても自分で決めていくんだよね。長谷川登紀子さん

3.
娘の「今」を心から受け入れて 森田重則さん 森田淳子さん

4.親は自分の人生を楽しんでくれたらいい 内沢玲子

5.もっと自分にやさしくと・・・。Jさん




 親がでんと構える・・・。我が子に教えられました・・・。Nさん


 Nさん(母):先月の例会に娘も参加して、動き出そうとしている自分の思いを話しました。長女(19歳)は中1から不登校で、7年間とじこもり、家でゆっくり過ごしていました。
 ところがこのところ「限りある命だから、このままではいけない、何かしなくちゃ」とすごく焦っていて、とにかく中学も全然行ってないから家庭教師をつけて、まず勉強したいと言い出しました。



 私は無理して動こうとしている娘をなんとか必死で止めさせようとしてて、例会に参加して娘がここで話を聞いたらまだ早いと断念するのではないかと思い、娘は娘で自分の気持ちをわかってもらい、母親の私の気が変るのではないかと思って参加しました。



 しかし、先月の例会の帰り道では、娘の辛さの後押しをして「お金を出したらいけない」ということを学んだばかりなのに、「どうしても勉強したいから」と娘が言うと、もう家庭教師の費用を出そうと決意してしまいました。
―――あなたと娘さんだけがもう必死のお顔でしたね。他の皆さんは無理だと思っていましたけどね



 はい、そうなんです。10回分の家庭教師のチケットを買ってしまいました。
 その後も何回も内沢さんに相談して、結局、親は何もしないということが大事なんだと分かりました。娘が焦るのは当たり前なんですが、焦って動き出したら必ず今以上に疲れて辛くなる娘の姿を私が見ていられないというのがあり、私はそれを止めようとしていたんです。



 今までさらっと読んでいた会報を、今回は何回も念入りに読んで、HPも何回も見て、その中で私はどうして止めさせようとあんなに必死になったんだろうと気付いて、娘が自分で動いて辛くなったとしても、それはちゃんと娘が受け止めることができるし、そのときこそ私が受け入れていけばいいんだと思えるようになり、先月よりはちょっとは分かったかなと思いました。



―――先月の例会で「娘さんの無理なことに手を貸したらいけない」と言いましたが、焦る気持ちが先にたって、もう例会後は10回分5万8千円の家庭教師を契約したんですね。



 娘さんは「家庭教師がくることになり、とっても嬉しい」と夫々のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんまで電話して、私の家まで電話して来ましたから、そんなことは不自然だとわかります。
お祖父ちゃんたちはやっと動いてくれたと大変喜ばれたんですね。



その後の相談で、「それはおかしいよ」ということになり、「お母さんはもうお金は出さないからね」と娘さんに言ったんですね。

(娘は「何で出してくれないのよ!」と語気を強めて言ったんですけど・・・)



 それで、お母さんを説得するために、とにかく内沢を何とかしたらお母さんも出すというふうになるのではないかと、娘さんは私に電話して来ました。(笑い)
 結局、娘さん自身の不安のためにお母さんはお金を出すことが出来ないんだよと言うと、ほんとにそうだねと納得したんですね。でも、その時は分かってもまた不安になり翌日には電話があり、また同じことを繰り返して言ってました。



 不安のためにお金を出したりすると子どもはそのために、「お母さんに悪いから、お父さんに悪いから」と無理をしちゃうんですね。
 例えばものすごく不安でやろうとしたことが、「お金を出すからね」と言うとそのことでかなり無理をします。そのことに手を貸したらいけないんですね。そこを自然なのかどうかという状況を見極めることが大事なんです。



 そういうことに親子で議論になり、しまいには言い負かされて、親の方が不安になってくる、するとその子の不安が増すばかりなんです。
 だからお母さんは今健康センターに週1回だけ行ってるそうですが、妹さんに「お母さんは健康センターに行ってるのに、何でお姉ちゃんにお金を出してくれないの」と言われても、それならいっそう1回を3回にしてでも自分のためにお金を使いなさいとお話しました。



 親が我が身を削っても子どものために何かしたいというのは、子どもにとってとても負担です。 私がいかに自分を大事にしてるかという具体例をいつも話していますが、分かってくださいましたか。(笑い)



 お母さんがお金を出さないとなって、今まで7年間閉じこもっていた娘さんはアルバイトをすると言って、求人情報で探してきて面接を受け、採用が決まりましたよね。




 はい。家庭教師の先生に相談して、いつからの採用なのか電話もしたりしていました。
昨日返事がきたので娘は行くと思います。



―――だからといって娘さんがあなたに「私はこんなに閉じこもって辛いのに家庭教師のお金も出してくれない、お母さんはひどい」なんてひとことも言いませんでしょう(はい)。 



 それでアルバイトが出来なくなってもそれは娘さんの責任なんですね。
自分の責任であれこれ試行錯誤するのは全部自分の力になっていくんですね。
焦って不安で、そうして動いてダメだとしても自分が納得する、それが大事です。
お年玉で家庭教師のチケット代を払うと言ったんですね。




はい。一番最低の金額が5万8千円で、アルバイトをするために肌の状態を隠すためのクリームやファンデーションを買ったりして、お年玉では足りなくなり、次のチケットを買うのが明日なんです。
 それでどうしようとなり、時々お母さんやっぱりダメ?と言うので、私は「納得できない」と言って断っているところです。



―――娘さんもご両親も学ぶ絶好のチャンスですね。
 先程のEさんが言うように親がしっかり理解しても、どんなに親が言っても子どもの不安が大きければ納得できないものです。



 そのときに親が先回りして有り余るお金を(笑い)出したらいけない。
明らかに焦っていると分かっているとき出したらいけないんですね。
それをNさんが学んだということは良かったですね。




 娘のお陰です。
 娘が尚一層辛くなることを私はさせたくないと思っていたんですけど、それは本人が責任を取らないといけないんだということを、会報とかHPを何度も読む中で、それで娘の生きる力が出て来るんだと分かったんです。娘の力となる芽を摘んでしまうところでした。
―――自分を大事にするということも分かりましたよね



 はい、娘たちに対してちょっとだけわがままになったら、「お母さん、子どもみたい。変だ」と言われて、まだまだ自然ではないんだと思います。



―――Nさんは6年間親の会に参加されていて、人のことは良く分かられても、やっぱりいざ自分のこととなると全部飛んでしまう。それが親なんですね。
人の話は大事なんです、人の話に大事な教訓があるんですね。



 会報は1ヶ月かけておひとりおひとりのお話の中に大事な教訓があることをちゃんとお伝え出来るように丁寧に作っていきます。
 私の言いたい放題の話も会報を作るときにはちゃんと校正してね(笑い)。
ですから会報の内容はとても大事なんです。じっくり読んでもらいたいと思います。

(はい。今までぱらぱらっと読んでいて、ほんとに申し訳なかったです)。(笑い) 



Nさん(父):今、単身赴任なので娘とは電話でしか話せません。
 先月は参加できず、娘の話を聞けませんでした。



 その時は一番家族が不安なときで、妻も娘が家庭教師を頼もうとしていると泣いて電話してきました。子どもが何もないときはこれで幸せだとゆっくりしてたんですが、娘が動き出したとき親はどうしたらいいかと、全くわからなくていろいろありました。



私は子どもを本当に守るということ、親はでんとしなさいとか言われてもどんなふうにでんとするのか、どんなふうに会話すればいいのか、本当に難しさを感じました。
私は単身赴任先にいて妻がひとりで娘を相手に苦労していました。



 1ヶ月前に、私の赴任先へ娘たちが会いに来て、その時私は娘が命に限りあるなど言って不安になっているとは知らず、車の中で娘が今にも泣きそうな顔をしていておかしいなと思い、その後妻の電話で知りました。



 家に帰ると、娘が頬を寄せてきたり、抱きついてきたり1日中なんです。外でも手をつないだりです。今は幸せだけど、限りあるから怖いと言うんです。
その時は毎日電話やメールが来ているという状態でしたが、今は表情も落ち着いてきたようです。



 アルバイトに行く不安はあるようですけど、今日も姉妹二人で映画を見ています。
 私も応援したらいいのか、どう接したらいいのか、ほんとに勉強させられます。



―――とにかくアルバイトをすることも辞めることも、全く関心がないという状態でいることですね。お父さんとお母さんはご自分のためにいそいそとすることですね。



 それは、N(母)さんが更年期障害で不安で不安でたまらない時期が続いたとき、毎朝N(父)さんのところに電話されていたんですね。



 N(父)さんが寝ていて電話を取れないときなどは恐怖に襲われて、電話にでるまで何回もかけるほどでした。そんなときN(父)さんはあなたに何もなさらなかったんでしょう?(はい) 
 そのことがあなたにとってはとてもよかったんですね。



 家族が心配の目で見つめたりオロオロしたり、あーしたら、こーしたらと言ったらどんなに負担だったでしょう。なんにもしないでごく当たり前に一緒に暮らす、それがどんなにN(母)さんを助けたでしょうか。



 だから、娘さんが不安なときに何かするということではないんです。
何もしないということがその子の不安を受け止めるということなんです。



N(母)さん:そうなんですよね。
自分でそういう体験をしてるんですけど、いざ、娘がお金を出して、何をしてと言ったとき、それに一生懸命応えることが娘が楽になる、幸せになることだと思ったんです。



―――だから、私は「親の肩書きを捨てたらどうですか」といつも言っているんです。
親だからこそ何かやってあげたいと思うわけで、親だと思わなければ(笑い)いいんです。
一緒に暮らしているということが大事なんですね。



―――娘さんから教えられたことがたくさんあります。
そのことを大事にしてこれからも揺れたりしても夫婦仲良く、単身赴任だからデートもたくさんして、毎日の中にこそ幸せがいっぱいあることに気が付くと思います。



 親もワクワクするといいんですね。「ああ、お父さんお母さんは私たちのことをおかしいとか、心配だとか全然思ってないんだな、大丈夫なんだな」と感じるように生活していくということが、娘さんたちへの最大のプレゼントですね。



 あなたの更年期の不安が消えかかってきたときに、娘さんが問題をだしてくれた、もう言ってもいいかなと思ってくれた時期だったと思うんですね。
 親がでんとすればするほど子どもは揺さぶりをかけますから、そのときに全然おかしくないよと。



 そうやって何度も何度も私は大丈夫なの、大丈夫なの、と親を試します。
その時に親の姿勢で子どもは納得していくんです。





苦しくても自分で決めていくんだよね。長谷川登紀子さん


―――長谷川さんが100号に寄せた原稿にとても大事なことが書いてあります。こちらで紹介してます。2004年4月発行ニュース 100号記念へ行く→
 今とても幸せですね。



長谷川登喜子さん:はい、とても幸せです。
 最初の子を産み5日目で亡くしました。



 その子が亡くなったことが私には3週間後に知らされました。我が子の生き死に関する一番大事なことを、いくら私のことを思ってのことでも、どうして教えてくれなかったのかと夫も周りも信じられなくなりました。



 そのときの苦しさは不安で不安でその中でもがいて、1日が1年、1年は百年の如く長い時間を過ごしてるような感じでした。
 もう死んだ方がましだと思ったりしました。
周りから慰められても、勇気付けられても、どんなに辛くても自分で辛さを消化していくよりなかったんです。まったく世の中全てが灰色でした。



 ですから、不登校の子どもさんが辛いとき世の中が灰色だと言ったとき、あああの時の辛さなんだ、ここまで辛いのか、でもどんなに辛くても自分で納得しながらひとつひとつ辛さから這い上がるんだなと思いました。



 苦しい時は時間がよけい長く感じられ、幸せな時は時間があっという間に過ぎていき、時間が短いと感じられる人は幸せな人だと思います。



 私は長女を身ごもってから、薄皮が剥がれるように少しずつ元気なっていきました。
 私はこの子のために生きようと思い、希望が出来たんです。
娘が学校に行けなくなったときも、高校中退する時も、私は娘に「あなたはお母さんを助けてくれた大事な大事な子なんだからね」と言い続けてきました。



 その娘も結婚して幸せいっぱいです。
子どもの命があって自分が生かされているということは、そういう意味なんです。
この子だけではなく私の3人の子ども達にも言えることなんです。



 学校に行けない子ども達というのは、すごく苦しい中で自分で決めて生きていくんですね。
そのときに親がどれだけ傍ででんとしていられるかが、どれだけ子どもとって救いでしょうか。



 今24歳の小3の時から不登校だった息子が冗談で、「僕はここまでひとりで大きくなりました」と言うので、なんて素晴らしい言葉と思うことにしてます。
そのくらい自分で考えて生きてきたんです。私は子ども達の脇にいるんだと思います。



 子ども達が不登校して自分が苦しいということは、腹をくくってからはありませんでした。この子の人生だと思い、15年間ひとつひとつ子どもがやることが新鮮で感激の連続でした。
 夫のことでもいろいろありましたが、家族全員生きているからめっけものだと思っています。



 また子どもが家を出て行くのも、それなりに子どもが決めたことだし、それで失敗して帰って来たらまた迎え入れたらいいと思います。世の中にこうでなければならないという決まりはないし、失敗して当たり前で、失敗から学ぶんだと思います。



 Nさんの娘さんが時間がないと焦っているようですが、時間が足りなくて焦るというのは、幸せなときなんだ、幸せなときに直面しているときだと思います。
それは不登校に限らず誰もが思春期には人生如何に生きるべきかと、迷い、探し求めていくものです。



 一生かかって探していってもいいんじゃないかと思います。
 生きてる間にどこかで「ああ私は探してたんだ」と思うときが出で来て、子どもはその道へ行ってしまいます。親は何もしなくていいんだと思います。




娘の「今」を心から受け入れて 森田重則さん 森田淳子さん


森田淳子さん: 中学で不登校になった長男は来週で21才になります。
 長男は庭には出るんですが、家の外までは出ません。
昔、自転車にこっていて40km位走ったりしていました。
その時私は分からなかったのですが、内沢さんから「お母さんが嬉しそうな顔をしているんじゃないの?」と言われたことがありました。



 息子も「バイクや車の免許を取りにいけないから、その代わりの自転車だったんだ」と言い、マウンテンバイクをかっこよく乗っていたんです。
 2年間ぐらい放っていて、もう捨てるつもりだったんですが、最近修理して好きな本屋に足代わりに乗って行きます。



 以前とは違うんでしょうけど、今は毎日庭でウイリー(前輪を上げ、後輪だけで20,30秒止まっている)をして1時間位過ごしています。
 芝生もぺちゃんこになってしまいました。ピアノも1時間ぐらい弾いています。
「趣味が多いから俺は忙しいな」と言っています(笑い)。焦っている気持ちもあるんだろうけど、楽しそうにはしています。



―――ご両親は息子さんのことで心配なことは、もうないんでしょう?



森田重則さん:私は以前みたいに不安になることは、もうないです。
息子は、ひと月位前に車の免許をとりたいと言っていましたが、それもはっきりは言わないんです。



淳子さん:大型バイクの免許を取りたいと言ってインターネットで見たら、3月までは高校生が多いから4月になったら行こうと言っていたんですが、まだ行っていません。



 息子は「そのうち行くからね」と言っています。
 2年ぐらい前バイクの免許を取りたいと相談したこともあったんですが、「あの時は取りたいと言ったけど、自分では取れないだろうと思っていた」と言います。



―――息子さんの一挙手一投足で親はおろおろしなくなったんですね。



夫婦それは、しなくなりましたね。



―――ああ言っているな。
決める時は自分で決めるんじゃないのという気持ちがおありになる。安心して見ていられるようになったのね。変わりましたねえ。




淳子さん:そんなに変わっていません。Nさんのお話を聞きながら、あんなになったらどうしようと思いました(笑い)。



 以前、息子がとても無理して眼科に行くとか、メガネを買いに行くと言った時、内沢さんは「無理に手を貸してはいけない。ついていったらいけない。お母さんは行かないと言いなさい」と言われて、「お母さんは行かない」と言いました。



 息子が「何で行かないんだ」と聞いた時、「わかんないけど行かない」と言いました(大笑い)。今思い出して、またそんなふうになったときNさんみたいに出来るかなと思ってしまいました。(―――出来ますよ



 娘は6月で19才になります。
 親がそれを変だと思っていないというのが分かっているものですから、親に言うんです。
例えば、光が反射するのも不安だし、情報が漏れるという話が不安で、「テレビとかで情報が漏れるわけないよね。ゲームをしていて自分のことが漏れるわけないよね」と笑いながらなんですが言います。
 「そんなことないよ」と言うんですが、自分のことが世間に漏れるのが不安なんです。



 自分が汚いと思っていて、それが私達に付くんじゃないかという不安があるんです。
 自分が不安なのはいいんですが、私にまで「手を洗った?」と言います(笑い)。
時々私もカチンときて「また!」と言うと、パッと顔色が変わってしまいます。



 息子とだったらそこで喧嘩するところなんが、娘は表情が変わり自分の部屋に行ってしまいます。やさしい子なので何時間かしたら忘れた振りして私の所に来るんです。
 息子から「お母さんが悪い。妹の気持ちを分かっていないからそんなことを言うんだ」と言われます。



 朝から晩まで自分の不安を言うので、私がちょっと強い口調で言ったりすると、娘は「お母さんが悪いわけじゃないんだけど、ちょっとしたことで涙が出るのよね」と言います。不安でいっぱいなんだと思うんです。



 今までだったら冗談で笑って済ますことも、半年ぐらい前から自分が悪いと思ってしまうみたいなんです。
 それまでは「私は学校に行かなくても何にも不安はない、幸せだ」と言っていました。



 でも、同級生が高校3年生になった夏ぐらいからですね。
 自分の将来が不安でこのままでいいのかとそれが一番不安なんだと思います。



 それで手を洗うようになりました。
お兄ちゃんが以前手をしつこく洗っている時、娘は「まだ洗っているの?」と言いましたが、自分が同じようになったら「うちってこうなるんだね。お兄ちゃんの気持ちが良くわかった」と言いました。



―――今はご兄妹の仲がとってもいいですね。
お兄ちゃんが荒れて大変な時期は口をきかないこともありましたよね。



 だから、息子にしてみれば「自分だけが特別な人間であって、妹は学校に行かなくなった理由が特定の人との傷つきじゃなかったから、高校を卒業する年令になったら僕を置いて出て行くと思っていた。



 僕の時は親が理解がなくて、いろんなことをさせられたので、それで傷ついた。
妹の場合は親も理解があったから妹は楽だったと思っていた。それでもやっぱり悩みは一緒なんだね」と言いました。



―――息子さんのことでご両親が翻弄されてウロウロしていた時、娘さんはじっとこらえていたんですね。



 娘は中学に行っている時表情もなくなって、私が「休んだ方がいいよ」と言ってもきかなくて、やっと休むようになったのは息子が中学を卒業した年だったんですね。
 その時は不登校を楽しむと言っていました。



 娘が不安を出すようになったのは、夫が単身赴任から帰ってきて一緒に暮らすようになり暫らくしてからですね。
 偶然かもしれませんが、それまで我慢していたのがあるのかなと思いました。



 娘は、ほんとに今では安心してうるさいぐらい「私は大丈夫だよね。大丈夫だよね」と私にも夫にも聞くんです。
 聞かないと心配だからと言います。私達も自然なこととして受け入れていますので「大丈夫だよ」と言います。
 でも私達が「大丈夫だよ」と言っても、娘は安心できないのですが、そう言っていいんですよね?



―――お母さんが娘さんのことを全然不安だとは思っていないんでしょう。(はい) 全く不安じゃなかったら自ずと自分の気持ちが言葉になって出るわけですし、その気持ちは娘さんに伝わっていきますね。



重則さん:娘は今の自分の状態を「ステップアップした」という言葉で表現しました。
 私にとっても娘が今の状態になってくれたということはとってもありがたいんです。
息子の時は私が右往左往して内沢さんたちに何回も何回も尋ねましたよね。
でも今は娘を見ていておかしなことでも不思議なことでもないと思えるようになって、それはそれで自然に受け入れていけますね。



淳子さん:娘は不安ではあるけれど、別に暗い顔をしているわけではないです。
 不安はあるけれどゲームをしたり、しゃべったり、だから娘が落ち込んでいても心配はないんです。家の中で皆でワイワイガヤガヤやっています。



重則さん:家族4人一緒に晩御飯が食べられるからいいですね。
時々私をいじめるようなことを言ったりするんですよ。(笑い)



―――別れようと思ったご夫婦がねえ・・・。(笑い)



淳子さん:その時は、娘が「お兄ちゃんはお母さんがいないとダメだから、私はお父さんの所に行く」と言ったんです。だから毎日ひとつひとつですね。



―――娘さんが不安だという気持ちが自然なんだと受けとめられることが出来るようになってきたんですよね。
それは息子さんが教えてくれたんですね。




淳子さん:以前息子が手を洗ったりしていた時、そんな時は専門医を訪ねたほうがいいと記事に載っているのをみて、私がすごく不安になって、この会に参加していても、何か息子は病気みたいなものがあるんじゃないかと惑わされていたんです。
今はそんな記事をみても「なに!これって」とおかしいと思います。(笑い)



―――以前息子さんが電話で言っていましたね。
「辛い時、分け隔てなく俺を受け入れてくれるのは犬のタローと妹だけだ」と。
分け隔てなく異常だと思わない、何もおかしいと思わないと受け入れてくれる、それが自分にとって一番ありがたいことだと。それが大事なことですよね。



 子どもが不安でオロオロするのはあたりまえです。
自己否定して大変な思いをしているわけですから。





親は自分の人生を楽しんでくれたらいい 内沢玲子


―――不安になった時子どもの立場から玲子はどう思う。



内沢玲子さん:私は前と変わったのはどんなに自分がその時すごく揺れても、根っこの所にあるのは「これでも自分は今のままでいいんだな、ゆっくり休んでいいんだな」というのがしっかりできたことです。



 前はただ不安で不安でしょうがなかったのが、今も不安でしょうがない時もあるんだけど、どんなに自分がすごく揺れても、結局暫らくたったらその揺れが収まってきて、それを収めるようなことが出来てきて、自分でこのままでいいんだ、何もしていなくてもゆっくり休んでもいいんだなと思えるようになってきました。
 自分で、「あっ、今揺れているな、やけくそになっているな」というのが自分でわかってきた感じです。



―――玲子が揺れている時の親(私、内沢朋子)はどんな感じなの?



 揺れている時の親は、私が怒ると逆切れするの(大笑い)。
 だからその時私も頑張って怒るんだけど、お母さんの方が強いからもう言っても無駄だなと思ってしまい、自分ひとりで考えようとなってしまうんです。



 自分だけこんなに苦しんでいるんだから親にも苦しんでもらいたくて八つ当たりみたいに言うんだけど、親はそれに全然動じないです。
 その時はすごく頭に来るんだけど、いつもどんな時も動じないから、別にこのままでいいのかなと思ってしまうという感じですね。



―――お母さんはいつも自分の好きなことばっかりしているんだものね。



 うん。そうだね。
 だから私が思ったのは、親がその時の人生を楽しんでいれば、子どもはどんなに時間がかかっても自分のことを解決していく力が放っといても自然についてくるんじゃないかなと思います。



 親が揺れたら、私の親が揺れたのを見たことはないけど(笑い)、たぶん子どもはさらに揺れると思います。
 親が揺れたような素振りをするだけでも、子どもはものすごく敏感になって「あっ、やっぱり自分はおかしいんだ。やっぱり自分は何も出来なくてダメな人間なんだ」と思っちゃうのね。
この会に参加すると、親の方が不安だから揺れているんだなとわかります。



―――だから、親なんですよね。
メトロノームがあるでしょう。
 そのメトロノームの一番の軸が親なんですね。



 親がちょっと揺れても子どもは大きく揺れる。
子どもを受け入れる揺り篭がボロボロでは、子どもはそこでは安心することはできないのね。
揺り篭は頑丈でなければいけない。



 そのためには親自身が自分のことを大事にする、自分のことを大事にするということは子どもに見せるために大事にするんじゃなくて、子どもが「あー、私も自分のことは大事にしていいんだ」と、でんと構えている親から伝わってくるんですね。そのことが大事ですね。



 重則さんがうちにいらしてお話された時に、娘が「おじちゃんは息子さんのことはほっといて、自分のことを楽しんだら」と言っていました。
 私も娘が不安で揺れて切れるんですけど、私は「うるさい!」と言うわけですよ。



 冷ご飯と炊き立てのホカホカのご飯が両方あった時、炊き立てのご飯は59才の私が当然食べるわけです。
 そしてその冷ご飯は25歳しかたっていない若い娘が当然食べるわけですね。
これからどんどん生きるわけですから、それとたっちゃんが食べるんです(笑い)。
家ではそうしてます。だからそういうふうにするべきですね。(笑い)





もっと自分にやさしくと・・・。Jさん



Jさん:森田さんの話を聞きながら、ちょっと泣いてしまいました(涙)。
ご両親が「大丈夫だよ。大丈夫だよ」と言ってくださっているから娘さんはやっていけるんだなと思い、自分が娘さんになったみたいで…(涙)。



―――あなたはご結婚されてから夫が支配的で、そしてそのことにご自身が気がつかないでふたりのお子さんを育てて、子どもさんが不登校になって初めてHPを見て気がつかれたんですね。


 
 その辛さでとっても絶えられなくなって、一度1年間家を出られて、また昨年お家を出られて今別居されていらっしゃるのね。
 実家でお母様と暮らしていらっしゃるのね。



そしてひきこもってご自分をずっと責めたんだけれども、そうじゃなくていいんだ、疲れていたんだからと、やっと少しずつご自分を受け入れられるようになって休んでこられたと思うんだけれど。



 やっぱりあの時は何かすごく頑張ってきたと思うんですよね。
 それを言う相手がいないというか。その時娘が「犬を飼ったほうがいいんじゃない」と言って、その時飼った犬が2ヶ月ぐらいの犬だったんですけど、親娘ともひきこもっていたものですから、その犬も過敏で散歩している時すごく吠えるんです(笑い)。



 それもあって気を使って、私もノイローゼ状態だったんです。
今は実家にきてその犬も大分落ち着いています(笑い)。
今は私は、犬を心の支えにしてやっぱりしっかりしなきゃと思うんです。



 母にもあんまり心配かけちゃいけないと思って、犬だけ心の支えにして毎晩一緒に寝ているんです(笑い)。
 そういうふうに誰か「大丈夫だよ」と言ってくれる人がいたら、どんなにいいだろうなと思ってウルウルきてしまったんです。



―――親の会で皆に「大丈夫だよ」と言ってもらえるしね。(はい、だから親の会に出会えてよかったです) 今お仕事はどうなさっていらっしゃるの?



 月に大体5、6回ぐらい半日ずつですけど行っています。
仕事の時は一生懸命やるんですけど、うちに帰るとすっかり疲れて昼寝する感じですね。
 (―――まだ早いということはないのかな?



 でも、ずっとうちにいて働かないでいて、母もいるので一人前の人間ではないみたいな気がしてきていたんです。
 そんな時に、以前働いていた同僚から「働いてみない?」と電話があり引き受けたんです。
引き受けた時は比較的元気だったんです。



―――まだまだあなたは自分に無理しちゃいけないですね。
 無理するとまた自分を責めて不安で揺れるんだよね。
その時に引くという勇気も必要ですね。



 前に出ることだけが勇気だと思ったら大きな間違いでね、もっと自分にやさしく、人生長いんだから。
Eさんの言うようにまだ私はひきこもっていたい、まだ私は外に出るのは早いといったようにですね。




 先月も参加したかったのですが、子どもの受験があって私が体がきつくて来れなかったのです。
 長男は大学に合格し、娘は武岡台高校に合格しました。



 入学式の時に校則はこうこうですと長い話があって、私はうんざりしてしまって、娘も入学後3日目ぐらいから休んで、「新しい友達の中にいたらすごく疲れちゃって涙が出てくる」と言うものですから、「じゃあ、もう休みなさい」と言ったんですけど、翌日からまた行き始めました。



 今も娘は自分の気持ちを結構出してくれて、私は「大丈夫だよ」と言うんですけれど、自分がですねえ…。
 大丈夫じゃないんです。(笑い)子どもより私が疲れてしまって、どうなるのかなと思ってしまってですね。



―――あなたが十分に疲れを取って癒されることですね。
 10何年もそうやってずっと自分の意見も言えない物言えない生活をしておられたわけでしょう?(はい) それで1年やそこらで疲れが癒えると思ったら大きな間違いです。
焦っていいことはないんですね。



「しっかりしなきゃ」とおっしゃったでしょう。
 そう思うのはしっかりしていない時に言う言葉だよね。自分に叱咤激励するときの言葉だよね。



 自然にしっかりする時はしっかりするし、しっかりしなくてもいい時はしなくていいわけだけど、やっぱり同居しているお母さんに悪いというお気持ちがあってこのままじゃいけないという気持ちがあるわけでしょう? 



 でも、私がお電話するとお母様は「いつもお世話になっております」とおっしゃって、母親の気持ちを表しています。親としてご心配なさっているわけだから、この際娘としてちょっと甘えようと思って、それぐらいの開き直りが必要ですね。



―――(内沢達):本当に甘えたらいいんです。
もっと「わがまま」にならなくちゃいけない。
「しっかりしなくちゃ」とあまり考えないほうがいい。
「自分を大切にする」ということは、「しっかりする」ということとイコールではありません。



 僕は親の会のおかげで、いま57歳だけど、ようやく「わがまま」になってきた。昔の僕は違ったんです。
 全然「わがまま」じゃなかった。
 妻の「トモちゃん」がこうだからと言って、「ぼくがしっかりとしないといけない」と思ってやってきた人生だったんです。(笑い)



 親が、お父さん、お母さんが「しっかり」していると子どもが揺れないか、というとそんなことはありません。
 「しっかり」の中身が問題なのですが、親が無理をしてがんばっているような「しっかり」だと、子どもにとっては「お父さん、お母さんはこんなにも頑張っているのに、私(ぼく)は…」というふうになって、かえって子どもにプレッシャーをかけ、辛くさせます。



 われわれ大人も、大変なときには大変になっていいし、おかしくなるときはおかしくなっても全然かまわない。
 それが人間というものです。
 「みんな大変だから(私だけでも)しっかりしなくちゃ」なんて、ゆめゆめ思わないほうがいいと思います。




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Last updated: 2004.5.14
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