登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2012年4月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.187より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




「自分を一番大切に」を発信し続けてきた会報
長い間のご購読ありがとうございました!

2012年3月
例会報告(抄)



3月例会は、杉山さん夫妻やいじめ自殺裁判の村方さん夫妻はじめ、なつかしい方々も参加して感動的でした。休憩時間に、「祝退職、長い間会報作りありがとう」の横断幕がはられ、世話人へ大きな花かごがプレゼントされました。思いがけない、サプライズ! ありがとうございます。

みなさんの笑顔が涙にかすみます。ありがとう! ありがとう!
みなさんに喜ばれ、支えられて会報を発行してこれました。
例会の最後には鳥取に旅立つミキコさんへ「ビリーヴ」をみんなで歌い、
心をひとつにしました。

親の会の発足は長谷川登喜子さんが「みんなで支えあって」と呼びかけて始まった1989年5月です。最初の会報は1995年3月、手書き印刷でB5・2ページ分でした。1年後にワープロ印刷8ページになり、その以後どんどん充実してきました。

いつも「自分を一番大切に」を発信し、みなさんの貴重な体験を紹介してきました。
この17年間、不幸があっても、病気になることがあっても、6人の世話人が力をあわせて発行してきました。

会報には大きな力があると今さらながら思います。
例会に参加された方はもちろんのこと、遠く北海道や東北、関東、関西、中部、九州各地など離れて暮らす方々とも、会報をとおして「みんな同じなんだな」「ひとりじゃないんだ」と結ばれてきました。

「人の話はわが話、わが話はみんなの話」を合言葉に、
体験はみんなの教訓となり、たくさんの財産を積み重ねてきました。

3月例会後の掲示板書き込みにも「今まで会報にどれだけ力をもらってきたことか」(永田さん)、「会報をいつも手元に、泣きそうな時、不安な時、読み直してもう一度、立ち直って復活」(まつぼんさん)、「どんなに支えられてきたことか。しんどいな〜と思うたびに、会報を手にとっていた。何度読んでも、どこを読んでも、いろんな気づきがある。会報は永久保存版で代々ひきついでいきたい宝物」(なおみさん)、「2002年11月から全部大切にとっている。当時と現在の内容は何ひとつぶれることなく一緒。改めてこれまでの会報を読み返して行こうと思っています」(なぎささん)などなど、多くの声が寄せられて感謝でいっぱいです。

世話人の木藤さんは「回を重ねるごとに強くなって行かれる皆さんの姿に、こちらこそたくさんの感動をいただき、皆さんの人生から学ばせてもらうことがたくさんありました」と記しています。

会報は今号で終わりですが、HPには引き続き例会の模様を紹介していきます。
これからも例会に参加し、「ライブ」を楽しみましょう!

例会でいっぱい交流し、元気と安心をさらに広げていきましょう。






目次

1 夫への想い    なおみさん

2 単身赴任の夫が帰ってくる!   ここちゃん

3 自分の人生の主人公に    りゅうさん

4 卒業証書「事件」で自分の気持ちが解放されて   ちーちゃん

5 息子が議論をふっかけてきて    永田俊子さん

6 お母さんと私は親子友だち    みどりさん・あおいさん

7 新たな人生    ミキコさん・みほさん





夫への想い    なおみさん



―――今日は大阪から新幹線に乗って、やすしさん、なおみさんご夫婦がいらしてくださいました。昨日は熊本の阿蘇に行ったのに雨で残念でしたね。


なおみさん:雨はあまり降ってなくて、でも寒くて、寒くて死にそうでした。(笑)
去年5月の22周年の集いに参加した以来ですので、たまって、たまって。(笑)


―――さて、去年、やっちゃんが会社に行かないということがありました。何ヶ月間休職されたんですか?


やすしさん:2ヶ月くらいで、それもちょこちょこ半日くらい行きながらです。突発性難聴と耳鳴りで眠れなくなりました。心療内科と精神科を受診して、自律神経失調症の診断書をもらい、睡眠導入剤と安定剤をもらいました。それで眠れるようになって、でも安定剤は怖かったので飲みませんでした。会社も僕が一番古株なので、早く出てきてくれと言われて、8月から半日行きました。


―――家には19歳の娘さんがいるのね。いつもいないお父さんが、うろうろしていたら嫌がられませんでした? 初めのうちは私に、そういうメールがきていましたけど。


今でも嫌がられています(笑)。ほとんど話をしません。


なおみさん:リビングのテレビを娘が占領しているからと、今夫は息子の部屋にこもってしまうんです。会社から帰って来て、晩御飯を食べるとすぐに部屋に入って行ってしまい、家庭内別居みたいな感じです。娘が「これ観ていい?」と聞くと、夫が「別に」と言うので、娘もお父さんが気をつかってるのがわかるからイヤだと言います。


―――やっちゃんは娘さんに気をつかってるの? 今でも。


なおみさん:私が娘とケンカをして、息子の部屋に行って寝てしまったことがあったんです。夫が「テレビが観れないから向こうに行ってくれ」と入ってきた時に、私は寝ぼけて「リビングで観て」と言ったんです。そしたら夫は「どっちも観れない!」と言って家出したんです(笑)。夜遅くに泊まるところがなかったと言って帰って来たんですけど、なんか、遠慮している、居場所がないみたいな感じです。(―――なおみさんは遠慮してないの?)してないですね。


―――以前は、家のことをきっちりする奥さんだったけれど、どんどん気持ちが落ち込んで行って、朝も起きれないし、昨年春以来の股関節の病気の時も、何もできないと自分を否定した時がありましたね。


この間まで否定していました。どうしても仕事をしていないことと、昼夜逆転しているのが許せなくて葛藤していたんです。なんでこんなに動けないし起きれないのかと。

動悸がするという母の面倒を5日くらいみたんです。一生懸命母のご飯を作って、足が痛いのにお布団を敷いたりしていたのに、母から「あんたは仕事もせんと、家でぐうたらしててええな」と言われて、腹が立ちました。夫にも「ラジオで芸人さんが、嫁さんが実家に帰るとバンザイとなると言っていた、僕もそうなる」と言われて、また落ち込んで、息子にも「夫が働いてたら、嫁は家庭の管理をするのが当たり前」と言われ、3日くらい落ち込んだんです。

私は、朝は11時から12時くらいに起きて、その前に布団で体操をするんですけど、めちゃくちゃお腹がすいた、何食べようかなと思いながらわくわくするんですよ。夕飯は今流行っているタニタ定食をだいぶ前からやってたんですね。昔は、夫のため、息子のためとやっていてそれが嫌だったんですけど、今は自分のためにやっているので楽しいです。野菜を中心に、たくさんの種類を摂っています。

夫が難聴で家にいたときは、私は足が悪くて動けないし、正直、仕事をしなかったらどうなるのよと、不安になったんですけど。辞める辞めないはそのときに考えて、なんとでもなると思って。夫は50で辞めるとずっと言っていたのに、今度は52とか勝手に延ばしています。(笑)(―――やっちゃんは、いくつ?)(やすしさん:51歳です)息子が大学を卒業したら辞めると言っていたんですが、息子は大学を辞めたので。息子は今働いていて、世間体の塊ですね。


―――世間の鎧をかぶっているわけ? 息子さんが。


かぶっていますね。派遣会社の社員で働いているんですが、派遣の30代、40代の人の履歴書を見ると、職を転々としているようで、「そんなんあかんやろ」と言っているようです。それが私にリンクするみたいで、私にがんがん言ってきますけど、私はもっとぐうたらしようと思うようになりました。(笑)


―――やっちゃんは、朝起きて、ひとりで仕度をして仕事に行くのはもう平気になったの?


やすしさん:平気です。(―――大進歩じゃない)(笑) 今は、もう少し家事をしてくれよ、掃除をしてくれよ、と思います。1週間掃除機をかけないので、どうしても土、日になると僕が気になって掃除機をかけるんですよ。だからたまにはやってほしいと思います。


―――あなたは家の中であばれるのはやめたの?


やすしさん:やめました(笑)。体がしんどかったから仕事を辞めたかったんです。今は、耳鳴りはありますけど難聴はなくなりました。


―――やっぱり、そういうことがあると妻の大切さもわかるし、家族のありがたみもわかりますよね。今までバリバリで何にもなかったのに、自分が辛い思いをするとなんでこうなるんだろうなと思ってしまう。やっぱり、辛いこともあって当たり前なんだろうなと思うと、気持ちが楽になりますよね。何よりの神様からのプレゼントでしたね。

今日の親の会でやっちゃんの最大の収穫は、「もっとわがままになる」ですね。もう、まっさきに自分のことを最優先する。掃除も茶わん洗いも洗濯もする、家族だものね。でも、観たいテレビは観たいと言ってね。大いに自己主張する。そしたら、娘さんはほっとすると思います。


なおみさん:1回だけ父娘で大ゲンカしたんですね。そのとき、娘はすごく楽そうでしたね。


―――それは、すばらしい! うちの夫はどれだけ娘とケンカをしたかわからない。私は、ああまた始まった、と寝室に逃げて行く。ケンカしても、観客の私がいないとはりあいがないのね。(笑)


やすしさん:僕はひとりっこだから、ケンカ慣れしてないというのがあります。でも1回やって、自分の気持ちを言わないとだめだなというのは思いました。


―――お互いに自己主張する。その方が娘さんは、私のことをお父さんは腫れもの扱いしてないと思う。腫れもの扱いしなくなる時というのは、相手を信頼しているときですよね。だから自分の感情を素直に出せる。そのときは、娘さんも私のことをちゃんと認めているんだな、信頼してるんだなと思うから楽しそうなのね。ですから自分の気持ちに正直なだけでいいんですね。


後日(3月26日)、なおみさんは、HP掲示板に次のような投稿をしました。


夫への想い

夫はフルで働くようになってから、会社はもう休まれへんと言って、
ほとんど休まず行くようになりました。

これってな〜と思いながら、なんとなく今までは私も自分のことで手一杯で(今もですが)、でもまあそのうちなるようになる。

夫が部屋に入ってしまってさびしいのは、私の夫への優しさ?

♪ 求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
   与え続けてゆくものが愛 変らぬ愛
   だから ありったけの想いを
   あなたに投げ続けられたら それだけでいい ♪
   (さだまさし「恋愛症候群」の一節)

こんなふうになりたいです。親の会で言う「求めない」ですね。

私の実父はこんな人でした。毎日こつこつ働いてたいした贅沢もしてないんだけど、
とても楽しそうで、好きなように生きてて(好きなように生きてるように見えてかな)
母は私の夫と少し似てて、寝室を別々にして鍵をかけるとか言ったりして、
でも父は鍵をこわすからいいよとか言って、
母の写真をかわいいからとひきのばしてたくさんかざり、
母が寝る布団はいつ母がねても寒くないようにと電気毛布を暖めて、
家事は鼻歌をうたいながら、アイロンから何からなんでもする人で、
母が愛を返さなくても、それでも全然落ち込まなくて、
とにかくいつもうれしそうに愛をなげつづけてました。
もちろん私にも無条件の愛情一杯の人でした。

私はどうして父がそんなふうになれるのかずっとわからなかったんですが、
以前は(夫にあれこれしてくれたらいいのにどうして私ばっかり)と思っていたのが、
自分もしたいことだけするようになって、
今は「相手を変えようとせず、自分が楽しく生きて、父のようになれたらいいな」
と少し変わってきたように思います。

「夫に私の気持ちをただ言えばいいんですよね。
私の気持ちに従ってもらおうとするから苦しくなる・・」
責めても人は心を開かない。

だから今日は責めずに、「大好き」と笑顔で伝えました。
笑顔が返ってきます。自分の心がなごみます。

夫とは趣味があまりあわず一緒に楽しむことはしにくいですが
(買い物や用事も含め)なんとなく一緒にできるなとか、
あうなと思うものがあったときに、二人で楽しめたらいいなと思います。

そばに家族がいてくれるだけで今はとっても幸せです。






単身赴任の夫が帰ってくる!  ここちゃん



―――Hさんは掲示板に「ここちゃん」というハンドルネームで、「今ここを楽しむ」と書き込んでくださって、会報にも紹介しました。どうして「ここちゃん」にしたの?


やっぱり、今、ここを楽しむ。それでここちゃんにしました。


―――ここちゃんってすごくいい名前ですね。それで、今月の会報のタイトルを、「今」を、「ここ」を、「私」を大切に、としました。

さて、あなたはすごくいい奥さんをしていて、自分を大切にしていなかったということに、先月の親の会で気づいたのね。HPにも「ずっとざわざわしていたこの気持ちは自分を大切にしていなかったから・・ということに気づきました。今まで無理をして、良い奥さんを演じていたのだと思います。ねばならないで息切れの電池切れ状態だったのだと・・でも気づけて良かったです」と書きました。

屋久島に単身赴任しているお連れあいさんが3月に戻ってきて、一緒に住むことになったんですね。息子さんはお父さんと口をきかない状態だったけれど、あなたが2週間家を開けた時の最後に話ができたのね。息子さんには、お父さんが帰って来ると伝えたんですか?


15日に内示があり、その時夫から弾んだ声で電話がありました。「もしもし〜決まりました! 市内だったよ!」「また面倒みてください〜!」と声が上がっていて(笑)、私はそれを聞くたびに「あ〜」と気持ちが沈んで・・・。(笑)


―――家では、リビングが息子さんの居場所で、あなたの夫は家に帰って来てもそのまままっすぐ2階に上がって、そこでご夫婦で食事を食べてという感じなのね。


はい。夫は1年半くらい家にはあがってなくて、実家に行っていたんです。荷物も屋久島から運び込まないといけないので、息子に伝えないといけないと思ったんですが、その日の夜は言えなくて、母の見舞いに行って気を紛らわし、翌日の夜に話しました。

「お父さんは市内に異動になったから」と言ったら、息子の動きが止まって、「まじー、うそだろ、無理無理、やばい、困るんだけど今帰って来てもらっても」と。私は「そうね〜」と言って。それ以上は私も余計なことは言わないと思って。

息子は「やばいよ、そんなことって」と言いながら、頭をかいたり、テーブルにあった本をバンとしたりして、また始まるのかなと思ったんですけど、そしたら、「リビングにおいてあるパソコンを今すぐ上にあげてくれ、オヤジが帰って来るから2階にあげる」と言ったんです。ということは父親が帰って来ることを認めたということなのかなと思って、それっきり、その話はしていないんです。週末に屋久島に荷造りにいかないといけないので、改めて言った方がいいですよね・・・。

(―――そんなの当たり前じゃないですか) ほんとにいいんでしょ?って確認したいんですけど、それはいらないなと思って。


―――それはすごい進歩ですね。いちいち息子さんの許可を得ることではないですね。


先月の親の会で、「夫もひとつ反省することがあると言っています。自分で働いて稼いだお金という意識があったそうです。それで子ども達に「大事なお金なんだから、お父さんが働いて稼いだお金だから大事に使いなさい」と、そういう気持ちでいたのがいけなかったなあ、可愛そうなことをしたなあと反省していました。私もずっと専業主婦だったので「夫が働いてくれた大事なお金」と、遠慮をしているところがありました」と言われました。


私は働いていなかったので、夫になにかあったら、収入もないし、おしまいだと思って。夫の機嫌を損ねて怒らせたりしたら、捨てられるんじゃないかと、そういうふうにずっと思っていました(笑)。私の母もそうだったんですけど、「夫がいないと生活できないのよ、夫を大事にしなさい」と言われ続けてきたので。でも今、母も逆転している感じで、最近、父に強く口応えもするんです。(笑)


―――おもしろいですね。夫を腫れもの扱いしていては、夫も信頼されていないと思ったことでしょう。あなたは夫に言いたいことを言えるようになりましたか。(だいぶですね)それはあなたが夫を信頼するようになったということですね。リビングは、家族の居場所ね。そこで好きなテレビを観たりしてね。


ただ、夫もすごく気にしていて、「息子があまりにも拒絶するなら実家から仕事に通ってもいいよ」とも言っているんです。でも私が帰って来るという気持ちで息子に話したので、お父さんを帰ってこさせるつもりでいるんだね、ってそんな感じでした。


―――それはとても楽しみですね。自分の家で一緒に暮らす、決して、息子さんに了解をとらないんですよ。いちいち了解をとるということは息子さんに気を使っているということですからね。それはもうやめる。息子さんの気持ちがいら立つだけです。必ずうまくいきますから。

あなたの安心が大きくなって、でんと強くなってきているんだから、そのことに自信を持ってください。最初に親の会にきて、おろおろしていたときとは格段に違うんですから。手術をされたお母さんは元気ですか?


まだICUに入っているんですが、意識はちゃんと戻っています。手術をしなければよかったと泣いたりするんですが、親の会で学んだように、ただうなづくだけですね。


―――なんたって、あなたが親の会で「あかべこ」という言葉を流行らせたんですからね。HPの書き込みにも、<赤べこパワーで「んだ〜んだ〜」、時には自分自身に「セルフんだんだ〜」!>ですよ。 楽しいですね。いい言葉ですね。






自分の人生の主人公に    りゅうさん



―――りゅうさんは日本に来て何年になるんですか?(りゅうさん:2年です)
りゅうさんは鹿児島大学の大学院で、達の研究室で不登校のことを勉強しているのね。親の会に参加し、会報を読んでみーやさんと木藤さんのことを書き、その中でご自分のことを書いてくれたのね。抜粋してご紹介します。


私は小さい時から、大学までずっと故郷で親のそばで育ってきました。一度も故郷を離れて自分で生活したことはなかったのです。親は何でもやってくれて、私は勉強以外に何もしなくてもいいという状態で大学まで生活しました。大学でも、両親から仕送りをもらって、ご飯も食堂で食べて、生活に悩んだこともなかったです。・・・(中略)・・・日本に来てから、私はアルバイトを探して、自分で生活して、ご飯作りから始まって、掃除もよくできるようになりました。自分の力で自立すると共に、自信も持つようになりました。・・・(中略)・・・今、両親は私のことを信頼して、自分の好きなことに注目して、わくわく生活しています。・・・(中略)・・・親は何もしてくれなくて、逆に、私はするようになりました。親は何もしない、子どもの生きる力を信じればいいと思います。


以前は今と全然違いますね。今はアルバイトをして、学費も生活費も自分で稼いで、食事も三食自炊しているのね。


はい、自分で作ります。しかたがありません(笑)。
中国の子どもは大体が親の傍で生活してあまり自立することができないと思います。故郷にいる友達は料理が全然できません。結婚しても時々親の所に食べに行って、それは中国では普通で、親も喜びます。(笑)


―――もう1つ紹介します。


中3のとき理科の科目が始まって、いつも良かった私の成績はいきなり落ちてしまいました。授業をちゃんと聞いても、理科の公式がどうしても覚えられなくて、宿題もできなくて、テストの答えもわからなかったです。そのときの両親はその状況を見てすごく心配していたのです。両親の考えで理科の成績が悪いと、いい高校に入れなくて、いい高校に入れないと、いい大学に入れる可能性も低くなって、さらにいい将来もなくなると思って、そして、私のために両親はいい塾を探してくれました。

それから、私は毎日夜9時からまた塾で一時間半の理科の勉強をやっていたのでした。塾が終わってから、当時の宿題をやり切るまで、いつも夜中の1時、2時まで勉強しました。もともと理科を嫌がる私、このことを通して、理科の事を好きになったわけではないし、逆にもっと理科に抵抗していきました。・・・(中略)・・・あの時何回もやめたいって言いたかったけれど、言えなかったのです。私は両親が私のために頑張っていた姿を見ると、もう言えなくなりました。

親の会で、一番勉強になったのは「自分の人生の主人公になる」という格言です。・・・(中略)・・・今は中学校のことを振りかえてみると、あの時本当に辛かったです。充分に勉強してなかったし、充分に寝てなかったし、充分に遊んでなかった。私は寝ないと、両親も寝なかった、私が起きると、両親も起きた。正直に言うと、私は両親のために我慢して、頑張ったのです。両親も、私のために我慢して、頑張りました。両方とも相手のためにいろいろをやってきましたけど、実は、私たちの主人公は相手になりました。私の主人公は親になった、親の主人公が私になった。両方とも疲れたし、両方ともうれしくなかったです。私たちはあの時に自分の人生のステージの中心に立っていない、自分がそのステージの真ん中でスポットライトが当たる主役になっていない状態だとも言えます。



―――りゅうさんは今、自分の人生の主人公として生きていますか?


はい、今はそう思っています。自分で決めて生活しています。


―――大転換ですね。来年は中国に帰られるの。


そのつもりで上海に戻って仕事をしたいと思っていたのですが、両親が歳をとり私が傍にいてほしいと言っていたので、それで少し悩んでいます。ひとりっ子だからさびしくなったんだと思います。

―――お歳はいくつ?(50歳です)まだまだお若いですね。それはちょっとさびしいだけです。上海に行きたいんなら行ってあなたの好きなように生きてください。親に気をつかって親のもとに帰るというんじゃなくて、自分のしたいことを最優先に考える。自分の人生の主人公になるということはそういうことですよ。親の会で第一に学んだことです。あなたが生き生きすることがご両親も喜ばれることですね。次にあなたはこうも書いていますね。


親の会に参加する中で、子どもに関わることで自分も変わっていきます。みんなはしばしば大声で笑う、心の底から大声で笑っていきます。私はいつもこのような元気になる親たちの姿を見ると、たくさんの感動をいただきました。・・・(中略)・・・たった一度の人生なんだもの、自分が主人公の人生を送ろうと親の会から学びました。楽しく生きる、イキイキと生きる、明るく生きる、笑って生きる。なぜなら、私たちの人生の主人公は、私たち自身だからです。


すばらしいですね。そんな風に具体的な場面で考えたらいいですね。






卒業証書「事件」で自分の気持ちが解放されて

ちーちゃん




―――ちーちゃん(Nさん)のお話もおもしろかったですね。先日のミキコさんの送別会を兼ねた女子会に、「私はいつも女子会のお誘いは断っているんですけど、ここの女子会は呼ばれなくても来たかった」ってね(大笑)。もう学校の方は決着がつきましたか?


中学の卒業式が明日19日にあり、卒業証書はそれ以降に取りに来て下さいと連絡がありました。私は担任は苦手なので、卒業証書は校長兼理事長からいただきたいと希望を出しましたら、日程は後日調整して連絡しますということでした。それが終わったら私もひと段落ですが、学校へ行かないといけないと思うと少し気が重いです。


―――あなたは、学校へ行って卒業証書をもらいたいんですか?


行きたくはないのですが、最後だから行かないといけないのかなぁ、最初と最後は大事なのかなと思って・・・(大笑)。

私も以前、大勢の先生達にとり囲まれ質問攻めにあったことがあるので、行きたくないという息子の気持ちがよくわかります。親の会を休んでいる時のことです。自分が要望していたことがちゃんと伝わっていなかったり、子どもさんの精神状態はどうですか? どんな物を食べてますか? とか、こと細かく、警察の取り調べみたいな感じでした(笑)。最初はちゃんと答えていたのですが、なんで私はこんなに責められないといけないのかしら?と思いました。それ以来恐くて学校には行っていないんです。


―――辛かったでしょう。(はい) 「郵送してください」とは言えないの?
皆さん、卒業証書はどうされましたか?



じぇりさん:行きませんでした。台帳に記載されることが卒業なので、証書自体は紙切れと一緒ですよね。

淳子さん:息子の時は、正装で担任が来て、玄関で卒業証書を読み上げました。息子はあまり嫌がらなかったけど、私は嫌でした。娘のときは、担任が持って来て私に渡していきました。どこにあるのか、それ以来見ていませんね。(笑)

なおみさん:先生が家に持ってきたので、私が受け取りました。アルバムもお金を支払っているから受け取ってくださいと言われて。本人の写真ものってないので、娘がそのままゴミ箱に「はい」と言って捨てていました。(笑)

ちなちゃん:長男が中学校を卒業する時は私が取りに行きました。次男は小6で、先日小学校から「22日が卒業式ですけど、どうされますか?」と問い合わせがあり、「行きません」と言いました。「じゃ卒業証書は持って行きますか?」と聞かれたので、行くのが面倒くさかったので(笑)、「持って来て下さるのだったらそうしてください」と言いました。(笑)


―――ちーちゃんのお気持ちがもっと楽になったら、取りに行かなくても大丈夫だと思うでしょうけれど、まだそういう気持ちになれないのね。だけど、取り囲まれたり、待たされたり、もったいぶって渡そうとしたり、気分が悪くなるかもしれません。そうした場合はさっさと帰ってくることですね。


ちーちゃん:だから校長先生を指名したんです。校長の方が担任より話しやすく、上から目線でしゃべる方ではないので、頑張って行こうかなと思ったんです(笑)。


木藤厚子(世話人):会員さんの体験で、ピンポ―ンとインターフォンが鳴り「卒業証書を持ってきました」と学校側が訪ねて来たそうで、その方は「ああそうですか、ポストにでも入れておいて下さい」と対応したというお話がありました。(大笑)


ちーちゃん:それぐらい軽くうけ止めたらいいんですね。


―――人生の最大の節目と思っている自分は、まだまだ学校にとらわれているんだなあと気がついたらいいんですね。だいたい、先月で気づかないといけないんですよ(笑)。アルバムはいらないと言う息子さんに4回もたずねて、担任から卒業アルバムの「30字のメッセージは担任の僕が書きましょうか」と言われて気がついたのね(笑)。息子さんの方が冷静だったでしょう(はい)。これからのことは何か言いましたか?


アルバムの件の電話のときに、「自分がやりたい時にやりだしたらいいんだよ」「暴走族に入っていても弁護士になった人もいるんだよ」とついまた余計なことを言ってしまいましたが(笑)、自分でゆっくり考えたらいいんじゃないとも言いました。


―――大進歩じゃないですか? 息子さんとお話して楽しいとも言われていましたね。これからはひとつひとつ、具体的な場面で試されますからね。

イヤだったらやめても全然かまわないんですよ。相手と約束したから行かなくちゃと思う必要はありませんよ。


その後のちーちゃんの掲示板への書き込みです。


親の会に出会えて幸せです(3/23)

Hさんこと、ここさんに命名してもらいました〜。

例会でお話をする前までは、卒業証書を学校に取りにいくことで、
親としての最後の義務,責任を果たすことになると思っていました。

親として、学校に取りに行きたくないと思うことは、ダメなことのように決めつけていました。

例会でお話をさせて頂きながら、やっと私の頑固な固定観念が雪解けを…。

私は、やっぱり学校には行きたくない!と。

早速、例会の後に担任の自宅に電話をして、(郵送でお願いします)と、伝えました。

こんなに、簡単なことだったんだなぁ〜と。 とっても、心が軽くなりました。

親の会に出会えて、本当に幸せです。

みなさん、本当にありがとうございます







息子が議論をふっかけてきて  永田俊子さん



先月もお話したんですけど、息子は家にいておだやかに暮らしてきたつもりだったのに、この1,2ヶ月、いろいろ言ってくるようになりました。

「俺を見てどうも思わないのか?」と言うので、「今、そんな時間を過ごしているんだなぁと思う」と言ったら、「そんなこと言ったら、俺はずっと居つくぞ」と言いました(大笑)。

「エーッ、それも困る。お母さん達も年を取っていくし、認知になったらどうしよう」と返事をしたら、「俺はころあいをみて首をくくる」と言いました。

そんなことを言われたら、私も少しへこむのですが、「お母さんは親の会へ行って考え方や価値観が変わって、今幸せなのよ」と言うと、「じゃ、俺も幸せにしてくれ」と言うんです。「それはできない。自分を幸せにできるのは自分だけだから」と(―――すごい)それ以上言っても続かないので、「じゃ、お母さんはもう寝るから」と言って(笑)。「議論は短めに」と、この会で学んでいるので、早々に切り上げました。

淳子さんに先日相談にのってもらったんですが、「今、3月だからだよ。うちもずっとそうだったよ」とアドバイスしてもらいました。

私は今、耳の調子が悪くて、息子が何か言うと、「はぁ? はぁ?」と聞きなおすものですから、息子は「もう補聴器を買え」と言って(大笑)。何を言いたいのかわからないので「お母さんにどうしろというの?」と聞くと、「分かれ」と言うんです。

達ちゃんが先月「別に深刻ではなくお母さんとの会話を楽しんでいるだけ」と言われたので、そうかなと思ったり、またへこんだりしています。今までは、議論をふっかけてくることもなかったんです。ここ1,2ヶ月のことです。どうしたらいいのでしょうか?(笑)


―――たくさんの体験がありますね。ここさんの「赤べこ」コースですね。


私にどうかしてほしいのか、ひょっとしたら、今が背中の押し時かなと思ったりして(大笑)。「じゃ、こうなの?」と言っても違うと言うし・・・。


―――以前、あなたが山登りの前日にリュックにチョコレートをつめていたら、息子さんが「お母さん、楽しいか?」と聞いてきて、「あなたに悪いけど、お母さん楽しい」と答えたら、「それは良かった」と息子さんが言ってくれたでしょう。あなたがどれだけ心を痛めて辛かったか、僕のせいでお母さんに辛い思いをさせていた、と自分を責めていたと思いますよ。そのお母さんがリュックにチョコをつめてワクワクしているのをみて、息子さんはすごく喜んだと思います。

ところが月日が経ってくると、お母さんは堂々として、僕のことなんか全然心配してないように思う。だからお母さんを揺らしてみようと、アタックしても大丈夫と思っているからどんどん言ってくるんですよ。

逆に言えば、私はデンとしている親なんだなぁ、不安もなくなっているんだなぁ、と自分をほめてあげたらいいんです。「たいしたもんだなあ、私は」と思ったらいいですよ。


以前のあなただったら、決して息子さんはそんなことは言わなかったでしょう。(そうですね)お父さんに息子さんは言いますか?


いえ、夫には言いませんね。私は夫に「私にだけ言うから、あなたはあまり信用されてないんだよ」と言います(笑)。じゃ、会話を楽しめばいいんですね。


―――ちゃんとわかってるじゃないですか。私は信用されているんだなぁと(笑)。議論を吹っ掛けてきたら、「お母さんはもう寝る」ですよ。みーやさんの大事な教訓がありますね。息子さんはちゃんと、自分で人生を歩いていきますよ。鉄則は親は何もしない、です。ご夫婦で楽しんだりしていますか?


夫の母が年賀ハガキで1等が当たったんです(わぁー)。私達にプレゼントしてくれるというので大きなワクワクなんです。1等は、電気製品か国内外の旅行です。この際、旅行に行くつもりです。(拍手)


―――毎日のワクワクは何ですか。


じぇりさんが「今年のラッキーアイテムは編み物」と言われましたね。私、半年前から編み物にこっています。山登りも年に数回行きます。春になったらまたこしき岳に行こうかと思っています。お花がきれいでしょうね。






お母さんと私は親子友だち!  みどりさん・あおいさん



―――みどりさんの長男さんは東京の大学に行かれるんですね。


二松学舎と言うんですって。私も初めて聞いて、かえって友達の方が知っていました。今度の水曜日に引越しです。今回部屋探しも息子がひとりで行って決めて、家電などもネットで手配して、私は何もしていません。


―――息子さんがひとりでするということが大事な指針ですね。それが本物なのね。


私はほんとに何もせず、だからと言って美味しい料理を作ってあげることも出来ないし(笑)、いつものように時間が流れていて、出発する日は私は午後から仕事なので、朝、はい、さよならという感じです。


―――寂しくなりますね。(はい) 最初は寂しいけど、すぐ慣れるのよね。(笑)


家には次男もいるし、あおいもいるし、学校に行っている子どもさんと比べたら、今21歳だから「倍ぐらい暮らしたみたいな感じだから、3,4年間帰って来ないのもいいんじゃない」と言ったら、「そんなに俺が帰ってくるのが嫌なの」と言われて(笑)。

先ほども卒業の話が出ましたが、あおいが中学卒業でした。長男の時は長男が行きたくないと言ったので、ちょうど達さんの友人が校長のときで、私がもらいに行って校長室で私とふたりだけでした。次男はそういうことはなんともないので「俺は行く」と言って不登校の子たちと一緒に行ってもらってきました。

あおいは、どっちも嫌だと言ったので、でも、長男のとき「郵送して下さい」と言ったら、あまりにも家が学校と近いので郵送は出来ない、だったんです(笑)。だからと言って仰々しく来られるのも嫌だったので、あおいに「リョウの時はお母さんが行ったのよね、ユウは自分で行ったんだよね」と言ったら、あおいが「何でリョウのときは行って、あおいのときは行ってくれないの」「最後だし」と冗談を言いながら、先生に「2時ごろお伺いします」と電話しました。

出かけるときに「じゃ、お母さんは行ってくるね」と言ったら、あおいが「お母さんが一緒だったら、行こうかな」と言って一緒に行きました。

丁度、先生達が食事から帰ってきて、校長室に全部の先生がずらっといらして(大笑)、「いいですから」、「いいえ、せっかくですから」と言われて、担任にも会っていなかったので「初めまして、さよならですね」と挨拶しました。(笑)

校長にも教頭にも初めて会ったんです。あおいも緊張もしたらしいんですけど、校長に「お元気でしたか」と言ったら(笑)、教頭が「今、先生がそう言おうと思っていたのに」と言いました。(笑)

やっぱり案の定、「勉強は? これからどうするんですか?」等と言われたので、「いや、別に、この子がやりたいことがあって、それでいいと思っています、人生長いですから。この子が生きてくれているだけで、私は充分ありがたいし、この子達を誇りに思っています」と言いました。校長も教頭もニコニコ、あきれた感じのニコニコでした。(笑)

私はもうこれで万々歳です。もう3人目になったら学校とのやり取りは上の子ほどではなかったんですけど、やっぱり、機会あるごとに先生の方が連絡を取りたがるので、一切そんなのがなくなると思ったら、この会でよく聞いてきましたけど、こんなにすがすがしいものなんだと思いました。

ここでアルバムの話がよく出ていましたが、うちの子ども達は三人ともアルバムが欲しいと言ったので、それはその子によると思います。私は欲しくないと思って断っていたんですけど、あおいは欲しいと言っていて。真ん中の子は「俺は写っていなかったのに、同窓会の係りになっているから」と言いました。(笑)

先ほどの若松さんのお話を聞いて、長男も担任の言葉で傷ついたことがきっかけで不登校になりました。お話を聞いて、今は忘れているんですけど、あのときに息子はすごく傷ついて、7歳の子がこんなことを考えるのかというぐらいだったんです(涙)。だから、若松さんの言葉がすごく深くて、私はここの会に出会えてほんとにラッキーだったと思います。感謝します。今すごく深く思います。


―――あおいちゃんに聞いてみましょう。お母さんがいつもあおいちゃんに救われていると言っていますよ。


あおいさん:学校に行かなかったので、いっぱいふたりで出かけていました。ふたりで出かけるのとか楽しいです。すすんで私から「今日は出かけないの」と言います(笑)。「だったら行こうかな」と。(―――最高だよね、姉妹みたいだよ)(笑)


―――これから学校の束縛がなくなっていつも楽しいしね。


お母さんが一番喜んでいます(笑)。ちょっと「エーっ」と思うぐらい、「やったー」みたい(笑)。(みどりさん:本人は周りが受験というので、やっぱり複雑だったんですが、これでお母さんは学校との関わりがなくなるからうれしいと)


―――そうですね。何も受験とか関わりないでしょう。


でも友達が受験するからいっとき遊べなくて、受験終わったら一緒に遊ぼうねといっぱい言って、すごい気を使ってくれるのがちょっときつかったり、受験という言葉を聴きたくなくて、でも他の学校の友達としゃべっているとそういうことも忘れて、別にいいやと思っても、「合格したよ」と聞くと、アーっとなったり、でも、いっ時したらパーッとなったり、ぐちゃぐちゃだけど、でも結局は楽しいです。(笑)


―――「幼卒」で一度も学校行かないあおいちゃんでも引っかかるということだから、「登校拒否は明るい話なんだ、うちの子は学校に行かなくてたいしたもんだ」という価値観がとても大きくて、とても大事なんですね。
でも、それがあるからこそ一日、一日が大事なのよね。



はい、とても幸せです。(拍手)






新たな人生   ミキコさん・みほさん



―――みき子さんは、3月末に鳥取に行かれるのね。


暫く来れないと思うんですけど、また参加したいと思っています。この前は女子会をしていただいてありがとうございました。

親の会には2007年の9月に初めて参加しました。息子が小6から行けなくなったんですけど、17歳になった息子は、今はアルバイトを始めて、ほんとに親が何もしなかったら自分で動き出しています。最終的には息子は鳥取には行かずに鹿児島に残り、私と末娘とふたりで行きます。娘は私の母校の高校に合格しました。

インターネットのおかげでこの会にめぐり会って、それまでは毎日泣いて暮らしていたという感じでした。その前に、私はうつで仕事を辞めて2,3ヶ月家にいたのにもかかわらず、息子には「行け、行け」と(笑)、自分は体も動かず家事も出来ないのに、息子が学校に行けないことに対して、「何で行けないの?」と、責めていた時期もあったんです。

この会に出会ったおかげで、私の人生も転機を迎えることが出来て、50歳からまた新しい出発が出来ます。

今日は長女も一緒に参加しました。この子の支えがあって今までやってこれたというのもすごくありがたいと思っています。長女は就職で宮崎に行くことになり、離れるのは寂しいですが、寂しさもいっときだろうなと思います。

親の会の皆様に出会えてほんとに良かったです。


―――長女のみほさんが、よくお母さんを支えてくださったんですね。お母さんが食べれなかったり、夜眠れなかったりしてずいぶん心配したでしょう。ほんとにきれいで、お母さんと姉妹ですか、と言われるでしょう。(笑)


みほさん:そのときは心配でしたが、今こうやって笑っているので、よかったなと思っています(笑)。それだけでいいです。太れないのが悩みだそうです(笑)。


―――お父さんとお母さんが離婚したことについてはどうなの。


良かったなと思っています。姉弟は皆そう思っていると思います。


―――みき子さん幸せですね。三人の子ども達はあなたの宝ですね。みほさんは明日宮崎に引越しですか。


明日卒業式で、2日後に宮崎に引っ越します。


―――ちょっと家族がばらばらになるけれど、でも寂しくないよね。


はい、寂しくないです。(笑)


―――素晴らしい。ありがとうございました。
皆さんのところに歌詞をプリントして配っています。みき子さんにプレゼントした由紀さおりさんの“ビリーヴ”を皆で歌いましょう。
(合唱)

今日は皆様から、私たち世話人は花束をいただき、感動でいっぱいです。
ほんとうにありがとうございました。また来月元気にお会いしましょうね。





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最終更新: 2012.5.25
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