2022年11月例会(11月20日)の資料の一つでした(A4・2枚)。
一枚目が次の僕の文章、二枚目が続く朝日新聞の社説です。
ご覧ください。
子どもといっしょに気持ちよく過ごす
2022/11/20 内沢 達
先月末、「小中・不登校、過去最多24万人」が大きなニュースになりました。
別紙コピーは10/28の朝日新聞の社説ですが、僕には疑問だらけです。
不登校の子どもは、大人から「しっかりと向き合」ってもらわなければいけない存在なのでしょうか。また子どもに対して「適切なケアを行う」といった尊大な姿勢でいいのでしょうか(「適切なケア」といってもほとんど無内容ですが、それを「行う」と述べているところに傲慢さがあらわれています)。
文科省は2016年に従来の見方を転換し、不登校を「問題行動と判断してはならない」、不登校の子どもが「悪いという根強い偏見を払拭し」なければならない、と改めています。
ところが、この社説の見方は、そうでありません。何かしらよくない問題を抱えた子どもたちといった、従前の間違った見方が根っこにあるのではないでしょうか。だから、出てくる言葉や主張のように思います。また「複雑な環境の家庭が増えていることも一因」といった、無神経な引用もしていますので、社説は本音のところで、不登校は「家庭の問題」でもあると思っているのでしょう。
不登校生の36%が「どこからも支援を受けていない」とのことですが、では(引き算して)64%には支援がおよんでいるとでも言うのでしょうか。それは保護者がどこかに相談したことを学校が把握している場合などもカウントした数字で、「支援」という言葉の大安売りの一つのように思います。言葉はもっと実体をともなったものであってほしいと思います。
また社説のような「支援」「支援」のオンパレードでは、「急いで何かしなければいけない」と子どもたちや親を浮足立たせたり不安にさせ、かえって追い詰めてしまいかねません。
今、必要なのは、「不登校も大丈夫」という考え方、子どもや親が安心できるメッセージではないでしょうか。絵本作家の五味太郎さんは、「子どもたちをどう育てるか、どう導くかなんて考えないで、いっしょに暮せばいい」と言っています。
この考え方は、親だけでなく教員にとっても参考になります。
「支援しなければ」「ケアしなければ」といった考え方ではなく、親や教員が今日一日を、今週を、今学期を子ども(たち)といっしょに「気持ちよく過ごす」という考え方をしてみてはいかがでしょうか。
目の前の子どもたちが可愛いと思えたら、いっしょに「気持ちよく過ごす」ことは何もむずかしくありません。特段の支援がなくても、誰にでもその気になればできることです。子どもたちの今を認め、いっしょに気持ちよく過ごす。これはとても幸せなことです。子どもたちの不登校は、大人にそのことへの気づきを促してくれているように思います。
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