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「登校拒否を考える夏の全国合宿2002 in 霧島」のプログラムのひとつ 「この人と話さそう」(2002年7月28日)のなかの 「内沢 達 の 話」を紹介します。 登校拒否を法則的に考える 今度の全国合宿の現地実行委員長をしている内沢朋子のつれあいです(笑い)。 これからの僕の話について、たくさん要望や注文が出されました。 僕の登校拒否との出会い、鹿児島の親の会について、子どもにこだわりが強いときどうするか、どうして不登校が増えてきているのか、本当にそれは明るい話なのか、学校が良くなれば不登校がなくなるのか、といった質問などです。 まず、僕自身が親の会を始めるようになった経緯についてです。鹿児島の親の会は今年で14年目に入っています。 親の会を始める以前のことですが、大学で教育学の授業を担当している僕に、「登校拒否」のことも話して欲しいという学生の要望が度々ありました。でも、そういったことを扱うのは「心理学」あたりかと無視していました(以前の学生のみなさんにはスミマセン)。 親の会を始める前年のことですが、あるお父さんから相談があって、登校拒否について勉強せざるを得ないようになりました。いろいろ本を読んだのですが、学者が書いたものにイイと思えるものはありませんでした。渡辺位さんの本に出会って開眼しました。 登校拒否の子どもは、どこもおかしくない。登校拒否をおかしいと考える大人や専門家のほうこそおかしいと。 鹿児島の親の会は、はじめ3家族でスタートしました。 最初の頃の中心は僕で、妻ではありません(笑い)。 妻は、体罰や丸刈り強制をやめよ!といった、またいじめのことなど、子どもの人権を守る運動を中心的にやっていました。 はじめの頃は、親の会に来ないこともあったのですが、妻のことを知っている方は、ご存じの通り、いろいろと積極的ですから、だんだんと親の会を乗っ取るようにもなってきたのです(笑い)。 最後にだますのは自分 できるだけ具体的な話をしようと思うのですが、最初は、ちょっと抽象的になるかもしれません。鹿児島の親の会の考え方、その特徴の一つは、登校拒否や引きこもりのことを「法則的に考える」ということです. 子どもの状態は様々ですので、他の方の話を聞いて「うちの子どもとは違う」と思われる親御さんが少なくないのですが、そんなことはありません。 小さな、小学校低学年の子どもさんの不登校であろうが、高校生になってからであれ、また20代、30代の若者の引きこもりであろうが、じつは全部同じように法則的に考えることができます。 親が不登校を肯定できるようになったからといって、子どももそうなるのかというと違います。子どものこだわりはそう簡単にはなくなりません。親がわが子に「それでいいんだよ」と言い聞かせようとしたって、うまくいくものではありません。 今日は資料として、板倉聖宣さんの「ことわざ・格言」集を用意しています。 その一つに「最後にだますのは自分」というのがあります。 自分をだますのは他人だけではありません。 自分が自分をだますのです。しかも、最後にだますのは自分なのです。 親は初めからそうでなくても、親の会に参加するようになって、だんだんと不登校は何もおかしいことではないと考えられるようになります。 そこで、わが子にもそう思ってもらいたいと思うようになるのですが、そうは問屋が卸しません。 不登校の子どもは、まわりに理解がないと自分を責め、自己否定をして学校に行けない自分はダメな人間だと思っています。 子どもがそう思うのは無理からぬことです。多くの大人もそうですが、子どもも普通、不登校は良くないことだと思っています。 友だちもそうでしょう。でも、当の本人が「自分って、ほんとうにダメだ。ダメ人間だ!」などと思うようには、全然思っていません。学校に来られない「○○君は、どうしたのかなー」、せいぜい「少し弱いのかなー」くらいにしか思っていません。 ところが、本人はその程度には思えなくて、「みんな、僕のことをどうしようもない人間だと思っているんだ!」と、自分で自分をだまし、自身を苦しめているのです。 他人の評価そのものではなく、自分が勝手に描いた「他人の評価の影」におびえているのです。 大人もそうです。 親御さんから、「ウチは田舎なので、まわりに不登校についての理解がなく、大変です」といった相談が度々あります。田舎だからとくに大変ということはありません。それは思い込みです。 田舎であろうが都会であろうが、人は他人のうわさ話をよくします。「あすこのウチは、おかしいよねー」などと。でも、他人の「関心」は一時のもので、当人のように、いつも深く考えてのことではありません。 他人はじつはそれほど思っていないのに、大人も自分が自分をだまして、「私の子育てはよほどおかしかったのではないか」などと、悩まなくていいことまで悩んでしまうのです。 それにしても、大人というか、親は勝手なものです。 初めは、わが子を学校に行かせよう、行かせようとしました。 子どもに勝とう、勝とうとしたのです。でも、勝てませんでした。負けたのですね(笑い)。 しかし、次には、また勝とうとして、「じゃあ、学校に行かなくてもいいから、家で勉強してね」と。ところが、勉強なんかしませんね(笑い)。また、負けたのです。 親は、敗北を認めて謝らないといけません。 でも、「謝ったんだから、元気になってよ」というのは、親の身勝手です。 今まで散々、学校に行け、勉強をしろと言って追いつめておいて、元気がなくなったわが子に、今度は、もう学校や勉強なんかどうでもいいから「元気になれ」とね。これは、虫のよすぎる話です。 子どもにこだわりがあるのは当たり前です。 親がそのことを口先でどうこう言ってすむことではまったくありません。 それは、子ども自身が時間がかかっても答をだしていく問題です。 親には、子どものこととしてではなく、親自身のこととして取り組まなければいけない課題がたくさんあります。 子ども自身の闘いは、それがどんなに辛く苦しいものであっても、僕ら、親であれ、兄弟であれ、誰であれ、代わってあげられません。子どもが自ら答を出すことです。 それは、僕ら自身をふりかえってもそうではないでしょうか。 今まで何十年か生きてきて、いろいろと大変なことがありました。 そのとき、親や兄弟、友人、ときに教師などに、いろいろと言われたことがあっても、答は自分で出してきています。 だから、親は子どものことではなく、自分自身のことに取り組めばいいのです。 鹿児島の親の会について 親自身の課題とは、たとえば親の会、月例会に参加することです。 そして、親の会に行っていることを子どもに隠さないことです。 隠すようでは、まだまだ登校拒否がなんたるかをおわかりいただいていない、というほかありません。 親の会は、親のためにあって、子どもをどうにかしようとする会ではありません。 子どもをどうにか・・・などと思っているものですから、こそこそとしてしまうのです。 これは、子どもにとってとても嫌なことです。 親が自分のことを、どこかで他人に話をしているなんて。そんなことは、誰だって嫌じゃないでしょうか。 でも、親の会で話していることは、子どものことのようでいて、じつはそうではありません。 いつも、主題、テーマは、親自身のありようについてです。 だからこそ、「お父さん、お母さんのためになるから行くんだ」ということをはっきりさせてほしいと思います。 それは、たとえば日曜日にお父さんが好きなゴルフや釣りに出かけることと原理的に何も違いありません。実際、親の会に行くとたのしく、リフレッシュすることができます。 結果として、もちろん子どものためにもなっていますが、それは目的ではなく、結果であることをお間違えのないように。 ところで、「鹿児島の親の会はとても明るく元気だ」とよく言われます。 月例会の参加者も年単位でみると、減ったことは一度もなく、少しずつ増え続け、今は毎月だいたい50人前後の参加者です。 明るく、元気な理由の一つは、オープンなところにあるのかなと思っています。 鹿児島の親の会について、そのオープンさにびっくりして、以前、「鹿児島はプライバシーを守っていない」と批判された方もいらっしゃいました。 しかし、ぼくは、登校拒否やそれにともなうお子さんやご家族のことは、そのほとんどがプライバシーとは思っていません。なぜなら、みんなに共通する法則的なことだからです。その子やその家族に固有なことでしたら、それはプライバシーなので、オープンにしてはいけません。 まわりの無理解のなかで、子どもは自分を責め、その辛さ苦しさをいろいろな形で表します。その表し方に、それが多少の非行であるのか、または拒食や過食であるのか、さらには引きこもりや家庭内での暴力・暴言であるのかといった違いがあるだけで、法則的です。 子どもに限らず、人間誰しも辛いときには、その辛さを何らかの形で表に出すものです。 それは、じつに自然なことで恥ずかしいことではありません。伏せるようなことでもないわけです。 だから、鹿児島の親の会会報では、月例会での発言記録を本人の了解を得て、できるだけ実名で載せるようにしています。以前は、子どもの人権を守る鹿児島県連絡会のニュースのなかにも体験談が載せていましたが、そのほとんどが顔写真入りです。 今年5月からは、インターネット上にホームページを開設して、例会の様子を写真でも見られるようにしています。登校拒否や引きこもりは、明るい話です。隠さなければいけないような話ではありません。 なぜ、「登校拒否は明るい話」なのか それにしても、登校拒否が明るい話だと、どうして言えるのでしょうか。 登校拒否の子どもたちは年々増え続けています。学校が前よりも悪くなってきていて、増えてきているのなら、明るいとは言えません。学校だけでなく、社会や家庭も悪くなってきているわけではありません。 以前からよく、日本の学校教育の問題が、「競争主義と管理主義にある」と批判されてきました。学校は基本的なところでは変わっていませんので、その批判はいまも当たっています。 でも、20年前、30年前の学校のほうが、はるかに競争主義的で、また管理的でした。中学校での業者テストは、10年ほど前に廃止されましたが、以前は子どもたちがどれほどテストに追われる日々だったことでしょうか。教師はメチャクチャ生徒をなぐっていましたし、丸刈り強制をはじめとして、おかしな校則が山ほどありました。 学校が悪くて、おかしくて、不登校になっているのだとしたら、以前のほうが不登校の子どもがたくさんいてよいはずなのですが、その事実はありません。今の半分程度か、数分の一以下です。社会や家庭も悪くなってきているわけではありません。 では、当の子どもたちが悪くなってきているのでしょうか。 もちろん、そうではありません。それどころか、まったく正反対です。 子どもたちがよくなってきているからこそ、登校拒否が増えてきているのです。学校もこの間多少のよい変化がありますが、それをはるかに上回るものが社会にはあり、そして子どもたちが一番良くなってきています。 良くなってきているのですから、これは明るい話です。今の子どもは、「おかしいことをオカシイ! 嫌なことはイヤ!」と自己主張できるようになった、強くたくましい人間です。 今の大人たち、つまりぼくら、かつての子どもたちは、かなりおかしいことでも、そうは思わなかったのです。いや、少しは思っていました。 昔、僕は定期試験が近づくと「学校が火事になればいいなあ」と思っていました(笑い)。 学校に行きたくないから、そう思ったのですが、自分が休めばいいんだという発想はまったくありませんでした。 不登校やいじめなど、教育界のニュースといったら、なんでも暗い話題として扱われるのが普通ですが、「学級崩壊」もじつは明るい話です。 これは今、学校の教師の質が以前より落ちてきて、おこっていることではありません。 昔、学級崩壊がなかったのは、教師に力量があって立派だったからではありません。 「三尺下がって師の影踏まず」といった教師絶対の時代で、昔の子どもが従順だったから、なかっただけの話です。従順であることと自己主張があること、どちらがイイですか。後者だと思われませんか。 今のこどもたちは、「先生の授業はつまらない」などと自己主張できるようになったから、起こっていることです。教師も新たに力をつけなければいけなくなって、飛躍できるチャンスなのですから、これも明るい話です。 ベネッセ教育研究所の子ども意識調査におもしろいものがあります。 東京と大阪近郊で、1980年と1999年に、小学校5、6年生を対象として、「クラスの先生はどんな先生か」と聞いています。「いっしょに遊んでくれる」「相談にのってくれる」「授業中、冗談を言ってみんなを笑わせてくれる」などの調査項目で、肯定的な回答がはっきりと増えています。 およそ20年の間に、子どもの目線で仕事をする教師が増えているのは明らかです。 全体的にみて、以前より教師は良くなっています。 なのに、不登校は増えてきているんですね。 この先、学校はさらに良くなるでしょう。僕が大学でしているような「たのしい授業」を小、中学校、高校でする教師も増えてきます。 学校がよくなり、自由になってくると登校拒否は減るのでしょうか。違います。学校が良くなるとさらに、さらに不登校は増えるのです。「不登校13万人」なんて、驚くような数ではありません。 今は、まだまだ行き過ぎの状態です(笑い)。不登校は今後とも増え続けます。この必然的な大きな流れに逆らってはいけません。 嫌なことに耐えることもたくましいことかもしれませんが、今の子どもは、少しでもおかしい嫌なことがあれば、そのことを我慢しないで、おかしいことはオカシイ、嫌なことはイヤと主張することができ、やっぱり素晴らしいと思います。 引きこもりも明るい 若者の引きこもりも明るい話です。 なぜ、いい年をして働かないで家にいたのではダメだと言うのでしょうか。 引きこもりを当然のように良くないことだと見なす考え方は、貧しかった時代の常識にガチガチに縛られています。いまは豊かになったので、引きこもることができるようになりました。豊かさと貧しさは、どちらがイイのでしょうか。 昔は、貧乏人の子沢山で家も狭く、多くが農家で長男しか継ぐことができなかったので、次男たちは、家から出て行かざるをえませんでした。そういった時代は、いい年になったら、まさに食うために家を出て働かないといけなかったわけです。 今は食うことの心配はいらないイイ時代です。 人生も50年時代から、80年時代に変わってきています。 昔にはかなわなかった若者の、個人の多様な生き方が可能な時代になってきています。 ちょっとしたフリーター程度でも、結構な暮らしができます。イイことじゃありませんか。 ところで、引きこもっている若者は、たしかに孤独です。 でも、これまた孤独のどこが、他人と接触がないことのどこが、いけないと言うのでしょうか。 僕自身について言いますと、小さいときから友だちは結構おりました。でも、と言ったらよいのか、いや、「だから」かもしれません。すごいさびしがり屋で、それこそイイ年になっても人が恋しくて、30代のことですが、職場で同僚から「廊下トンビ」とあだ名をつけられました(笑い)。用もないのに、同僚の研究室をノックして回ったからです。 ぼくには、親の会にかかわったからこそ得られたものがいくつもあります。 その一つは「孤独のスバラシサ」です。数年前ですが、ふと「自分って、一人だなー」と思ったのです。50を過ぎて初めて孤独を意識したのです。 以前の僕ですとまた「廊下トンビ」をしたかもしれませんが(笑い)、しなくなりました。 孤独を楽しむことができるようになりました。僕の場合は、50を過ぎてようやっとです。 当たり前のことですが、人は一人で生まれてきて一人で死んでゆきます。 その間、支えあいもあるのですが、基本はやはり個です。 不登校や引きこもりの子どもは、小さい、若いときから自分と向きあい、自分を大切にして自分のペースで生きようとしています。すばらしいことだと思います。ほんとうの強さって、いったい何なのかといったことも考えさせられます。 僕は「登校拒否を考える会」の通信で知ったのですが(No.95)、7年半前、阪神大震災のときのことです。丸4年も自室に閉じこもっていた息子さんが、その時を境に動き出したというのです。 「家具が重なり合い、全部倒れた部屋をかきわけ2階から降りてきた。丸4年ぶりである。すべてに大きくなっていた。」「息子は給水に何度も行ってくれる。一番冷静な判断をして動いてくれたのは、何年も閉じこもっていた息子。やさしく、たくましい」と。 人間、動かなければいけないときには動くのです。 いま動かなくていいから、動かないだけの話です(笑い)。 わが家の場合、いま23歳の娘といっしょの生活です。 娘は高卒後、フリーターらしきことを少ししましたが、今はしていません。いま、ずっと家にいます。たまに外に出ます。 子どもが大きくなって家を出て行ってしまった後の、夫婦二人だけの生活も、かつての新婚時代にもどったようでいいかもしれません。でも、大きな子どもといっしょの生活がこれまた楽しいのです。 子どもといっしょの生活を楽しむのは子どもが小さいときだけ、というのもこれまた固定観念です。若者がいると家の活気が違います。若者のセンスも肌で実感できます。いま娘が家にいるのはとても自然です。 引きこもりは、このように新しい個人の生き方や新しい家族の関係を提示してくれているから、やはり明るい話なのです。 子どもの言いなりにならない バスジャック事件について書いた僕の文章は、九州方面では結構読まれているようで、「背景など、もっと深いところを話してほしい」との注文もありました。しかし、そんなに深くはありません(笑い)。なぜなら、どこにでもざらにあることだからです。 たしかに少年が起こしたバスジャック、そして殺人という事件自体は特異なことです。 でも、少年が追いつめられていく過程は、不登校がまわりから理解されていない場合は、どの子にもあることで同じく法則的です。 事件前、保護入院中の少年が退院を求めたことに対してそうさせないでほしいと両親が書いた意見書は、少年がいかに問題であったかという記述で埋まっています。 中学時代にいじめにあっていて辛かったろうに、ふれた箇所はありません。学校とのかかわりでは、成績優秀だったわが子が勉強しなくなったことばかりが気になっています。 親に因縁をつけたり、脅迫したり、いかに困った大変な子であるか、そういったことばかりを綴っていて、少年の辛さ苦しさへの共感はまったくありません。そして、身勝手にも「この子を楽にさせてあげたい」と保護入院を強制しました。これは、ことわざ・格言のひとつ「悪事は善意から」、つまり親の善意が子どもを苦しめ追いつめて、悲劇につながった典型例です。 子どもの言動にごまかされてはいけません。 子どもは辛く苦しいときに、必ずといってもいいほどに親を困らせることをします。 昨日の分科会で、あるお母さんが車を運転している最中に子どもが横から足をばたばたさせ、とても危なかったという話をされました。 それを聞いて思い出したのですが、僕もかつて30代のいい年なっていたのに、急ブレーキを踏んだりハンドルを乱暴にきったり、あぶなっかしいことをしたことがあります。車のなかで夫婦喧嘩になったからです(笑い)。大人気ない、恥ずかしい話です。でも、いらついているとき、人間は相手に対してそうなるものなのです。いや、これは僕だけかもしれません(笑い)。 少年の場合は、深夜ドライブの強行でした。 夜中に父親をたたき起こして、関西や名古屋方面まで走らせたのです。 こういったことは、きっぱりと拒絶しなければいけません。 「脅迫」などもあって従わざるをえなかったと言うかもしれませんが、両親は言いなりになって、少年の辛さ苦しさを助長したのです。 〈子どもを尊重する〉ことと〈子どもの言いなりになる〉ことは、まったく違います。 鹿児島での例をあげるとやはり夜中に親をたたき起こして、「今から、店に行ってCDを買ってこい」などと命令するのです。 また「熊本だったら18歳未満でも400ccの免許が取れるところがあるから、すぐにその自動車学校の手配をしろ」などと、家から一歩も出られないのに命令するのです。親が命令に従わなければ、子どもはメチャメチャに暴れます。 そうした子どもが親に突きつける無理難題は、じつは子どもがほんとうに欲しているものではありません。ほんとうのところ、CDや免許が今ただちにでも欲しいわけではありません。 親を困らせて「俺の辛さ、苦しさをわかってくれ」「俺のほうをちゃんと向いてくれ」と無意識に訴えているのです。親が受けとめるべきは、無理難題自体ではなく、その訴えです。 そうであるのに、「この子も苦しいのだろうから、親が犠牲になってもかなえてあげる」といった対応は、子どものイライラをつのらせます。「これでもまだ俺の苦しさがわからないのか」と、子どもは親をさらに困らせるべく、「欲求」を次々とエスカレートさせていきます。 子どもが暴言をはいたり暴力的になったり、無理難題を連発するようになったとき、それは困りはててしまうようなことではなく、じつは子どもと向きあう絶好のチャンスなのです。 夜明け前の闇ほど暗い バスジャックの少年の家庭内暴力は、たいしたものではありません。 鹿児島の経験では、それはすごいものがあります。 家庭内暴力の様子を例会で初めて聞いて、「ウチはそこまでではないので、○○さんのところは、たいへんですね」と誤解される方が少なくありません。 誤解というのは、ひどい暴力を単純に「ひどい」としか見ていないからです。 親が暴力から逃げても(これは当然です)、子どもの訴えからは逃げずに、向きあい、辛さ苦しさを真正面から受けとめるようになってくると、では暴力が収まるのかというとそうでもありません。さらに暴力はひどくなっていくケースも少なくないのです。どうしてでしょうか。 子どもは暴力をエスカレートさせ、無意識のうちに親を試しているのです。 「こんなにひどいことをやっている俺でも、お前たちは認めてくれるのか」「ほんとうに俺のことをオカシクナイと思っているのか」と。 親が子どもの状態を異常視せずに、そうした子どもの気持ちを受けとめきれたとき、子どもも変わっていきます。 「夜明け前の闇ほど暗い」と言うではありませんか。 親子の関係でもそれは言えます。 家庭内暴力のエスカレートは単純に否定的に見るべきことではなく、親が親自身の課題に取り組んだ結果で、夜明けはもうすぐなのです。 ときどき相談で、「ウチの子は暴力がすごいんです」といった悩みが出されます。 それで、どんな様子ですかと聞くと大概たいしたことはありません。 子どもはかなり気をつかっています。物を投げるにしても人に当たらないようにしています。ときに、わざわざビニール袋に入れてから投げるとか(笑い)。散乱しないように気をつかっています。 遠慮しているのです。「土、日など、単身赴任の夫が帰ってきたときは、暴力はありません」というのもよく聞きます。もちろん、僕は暴力を推奨していません。暴力は、なければないにこしたことはありません。 でも、子どもが気をつかって遠慮していることはよくないことです。 お母さんに対して暴力があるということは、子どもはお母さんをあてにしている、頼りがいのある相手とみなしている証拠です。無意識ではありますが、「お母さんだったら分かってくれるはずだ」という気持ちがあるからやっているのです。 お父さんにないのは、その相手とみなされていないからです(笑い)。 だから、暴力がないことやあってもそれほどではないことを「ウチはまだイイ」と言ってはいられないのではないでしょうか。だいたい、みなさん、誤解しています。暴言についてもそうです。 また、僕の話をします。 僕がまだ30代後半で、今からみれば明らかに若かったときのことです。 当時小学1年の娘が、学校でちょっと辛いことがあったからなのですが、家で僕に対してなんと「くそジジイ、死ね!」(笑い)と言いました。まだ、30代ですよ。いくらなんでも「くそジジイ」はないでしょう。小学6年のときは、「このデブ、死ね!」(笑い)です。 しかし、ぼくは言われても平気でした。 これは、僕が父親として認められている何よりの証拠です。 そして、娘は現代っ子ですから、自己主張がある(笑い)ということです。どっちもイイということです。 だから、暴力・暴言も、悪いことばかりではありません。 登校拒否そのことが明るいだけではなく、それにともなうことにも明るい面があるのです。 人間、みな同じ 暴力・暴言だけでなく、子どもの他の状態もおかしくはありません。 拒食・過食もそうです。昨日の子どもシンポで聞かれたように、鹿児島の山口愛美ちゃんの過食はすごいでしょ。 今日、午後の親シンポでお父さんも話されると思いますが、ぼくらは「過食をどんどんしよう」(笑い)と言っています。いまの愛美ちゃんにとって、過食はとても自然なことです。 以前は、過食する自分を認められなかったと言います。 今は違っていて、ほんとうに「明るい過食」と言ったらよいのか、これは間違いなく力になっていきます。 なんでもそうですが、自分のいまの状態を否定する「今」は、憂鬱でたのしくありません。たとえば、「ほんとうは今、他にしなければいけないことがあるのに、遊んでばかり」と思いながらの遊びは、心底夢中になれず楽しくありません。それはほんとうに遊んだことになっていません。 じつは、今しなければいけないと思っていることは、ほとんどの場合、今でなくてもよいのです。世間では「今日できることは明日に延ばさず今日中にしろ」などと言われたりもします。 しかし、今日できることは明日もできることがほとんどなのですから、期限がないのが普通です。他のことは忘れて、遊びたいときには思いっきり遊ぶに限ります。 登校拒否や引きこもりも同じことです。大人のみならず、子ども自身もそのことを否定する登校拒否や引きこもりは力になりません。 この間、愛美ちゃんが「別のことだけどちょっと自己否定があるの」と言うものですから、ぼくは「自己否定もどんどんしよう」(笑い)と言いました。 「自己否定はよくない」ということには、「いま自己否定をしている自分を否定することもよくない」ということが当然含まれます。多少の自己否定は、人間誰にでもあることです。 いま現在の子どもの状態を親が、そして子ども自身がダメなんだと否定しているようでは、たとえ何年引きこもろうとも引きこもったことになりません。学校を何年休んでも、休んだことになりません。 今日の僕の話は、「法則的」という言葉が一番のポイントです。 そこでひとつ、ちょっとした実験問題を予想していただきます。 ここに長さ1メートルの、中が空洞になっているアルミの丸パイプがあります。 僕が指先に松ヤニをつけてこするとこのように「キーン」という高い音がします。 さて、問題です。長さはおなじですが、丸パイプではなく、今度は中がつまったアルミの丸棒をこすって実験します。 音はするでしょうか、しないでしょうか? また、もしするとすればどんな音なのでしょうか? 「音はしない。鳴らない」「低い音がする」といった予想が出されました。 では、やってみます。 「キーン」。あれっ、同じ音ですね。 さらに、平べったいアルミの平棒、またガッチリとした六角柱のアルミの棒では、どう鳴るのでしょうか。 やってみます。やっぱり、「キーン」と同じ高さの音がします。 他にアルミの角パイプも、みんな同じ音がします。どれも同じくアルミだからです。 これが同じ長さでも、棒やパイプの材質が真鍮(しんちゅう)や銅というふうに変わってくると音が違ってきます。低い音がします。 物質には、それがどんな形かっこうであっても、その物質に固有な音(振動)があります。 人間も同じことです。 太っていようが、やせていようが、ガッチリとしていようがいまいが、みんな同じ人間です。 当たり前のことですが、つい、われわれが忘れがちなことです。 人間誰しも、苦しいときは苦しいし、うれしいときはうれしいのです。 このことは、一人ひとりがこの世で「唯一無二」の存在で、それぞれが個性的であることと何ら矛盾しません。喜怒哀楽などの表し方には特に個性がでてきますが、同じ人間ですので、基本はどの人の場合でも法則的に考えることができます。 鹿児島の親の会では、月例会に何度も続けて参加するようになった方から、「他の人のことは、とてもよく分かる」「でも、自分のこととなるとまだ・・・」といった発言がよくあります。 誰しも自分のことになると、なかなか気がつきません。 まだまだ、自分の問題は特別な、特殊なことと思っている方が少なからずいらっしゃいます。 登校拒否や引きこもりにも法則がありますから、他の人のことも自分のこととして考えることが大切です。それは、「他人事として考えてはならない」といったことを一般的に強調したいからではありません。 法則的に考え学ぶということは、まさに「他人事」のことのなかに、自分自身の課題も発見することです。親の会の意義は、そういったところにあると思います。 そのようには考えない「一口に登校拒否といっても、様々だ。ケースバイケースで考えなくては」といった見方では、学ぶことが限られてしまい、親の会の意義も半減してしまうのではないでしょうか。 学校=牛乳 最後に、簡単なアンケートにご協力いただきます。 みなさんのなかで、いま牛乳が飲めない嫌いだという方は、どのくらいいらっしゃいますか? 60人ほどのなかで、10人の方が挙手されました。 このアンケートは、今日で3度目です。 最初は大学の授業中、2度目は鹿児島の例会でした。今日は、少し多めの感じですが、前2回も1割前後の挙手がありました。とにかく牛乳を飲まない、飲めないという方が、そう多くはなくても少なからずいらっしゃいます。 牛乳はカルシウムがいっぱいですし、栄養のかたまりのような食品の一つです。 ところで、牛乳を飲まない人は健康面に問題があるのでしょうか。 ぼくのすぐ下の妹のことですが、小さいときからずっと牛乳が嫌いで飲みません。 母親はそのことをいつも心配していました。結婚して妊娠したときにはいっそう口うるさくなりました。でも、妹の二人の子どもは元気に成長していますし、当の本人も健康そのものです。 別の食べ物から、それ相当の栄養をとっているので心配ありません。 学校も同じじゃないでしょうか。 ことわざ・格言集に「イコールは等しくもあり、等しくもなし」というのがあります。 A=Aなんていうのはナンセンスです。 A=B、つまり「違うものがある点から見ると等しい」というのがイコールの本当の意味です。 なかには「学校なんか、牛乳ほどの価値もない!」(笑い)とおっしゃる方がおられるかもしれませんが、学校はもちろんそれなりに意義あるところです。でも、学校で得られるものが他から得られないのかというとそんなことはありません。牛乳の例と同じように説明できます。 先ほどお話した法則的に考えるということも趣旨は同じです。 他人のことと自分のことは、じつはイコールなのです。 さらに、大人と子どももイコールです。大人は自分が小さかった頃のことを忘れています。自分もかつては同じで親を困らせていたのです。 かく言う僕もそうです。「ばあちゃん子」で、「おまえはイイ子だ、イイ子だ」と育てられたものですから、子ども時代には「そうです。ぼくはイイ子です!」(笑い)と思っていました。「窓際のトットちゃん」と同じでした。ところが40を過ぎて法事などで親戚が集まった折りに、叔父叔母たちから聞かされたのです。 「おまえがどんなに大変な子だったか」と。ぼくのハンドルネームのひとつは「ゴンタ」ですが、その謂れを御推測ください。叔父叔母たちから言われた以上に、登校拒否の相談にのるようになって、親御さんから「ウチの子はこうです。ああです」と聞く度に、「俺もおなじだったなあー」と自分の小さかった頃を次々と思い出すようになりました。 多少の程度の違いがあるだけで、ぼくもイライラして暴れ、今から思えば気にしなくてもよいことまで気にし、くよくよしておりました。すぐ下の妹との激しいケンカはしょっちゅうでした。 やはり、人間みな同じです。心配はいりません。 子どもが学校に行かないことは、問題なんかじゃありません。 親が悩まなければいけないようなことではありません。それどころか、とても明るいことだというのが今日の僕の話です。 まわりに理解がないと子どもは自己否定的になってきます。 それは、幼い小学校低学年の子どもにもあります。 でも、相対的には少ないのです。 お母さんが「まだ、かけ算も習わないうちから・・・」と涙ながらにお話しをされるのですが、鹿児島の親の会では、けっして同情しません(笑い)。 だって、明るいことで、そのお子さんはたいしたもんなんですから。 「今日お家に帰ったら、赤飯を炊いてお祝いをしましょう」と言っています(笑い)。 今日の僕の話は、舌足らずの点も少なくありません。 鹿児島の親の会・ホームページに、親自身の課題について、「負けるが勝ち」といったことわざも使いながら、具体例もあげ、かなりていねいに書いていますので是非ご覧になってください。 長時間おつきあいくださいまして、ありがとうございました。(拍手) |
最終更新 : 2012.4.7
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