2021年7月18日
月例会でのYさん(28歳)のお話
「その人がやさしくしてくれたから
世界が自分にとってやさしいものだった」
──以前、「死にたい」と思うこともあった?
僕に限らないと思う。「死にたい」という発想は浮かぶけど、本当に「死にたい」と思っているわけではない。
それをすれば確実にすべてを消し去ることができて、そのなかには今かかえている苦しみとかのすべてがあって。だから、本当はただ他の方法が見えてないだけで、苦しみを消したいんだけど、その方法がわからない。でも、「死ぬ」ということをすれば、すべてを消すことができて、そういうシンプルなものだからそこに目が行ってしまうだけで、本当に死ぬことを望んでいるわけではない。
僕が思っていたのもずっと、外の怖い世界に出ないまま、今の幸せな家の中の世界だけで閉じていきたいという気持ち、外の世界に急き立てられたくないみたいな気持ちがあった。
無理して出て行かなければいけないんだったら、その時にはもう消えてしまうのが一番幸せな形なんじゃないか。そこまで深く考えていたわけじゃないけど、不安な気持ちを自分の中で押しとどめるために、そういうことを考えていたことが、小さい頃あった。
──お母さん(ジェリちゃん)は、小さい頃からYくんのことを「すごいね。すごいね」と言ってくれたんでしょ。
そうですね。心の支えとして意識していたわけじゃないけど、根底のほうにそういう言葉がたまっていって、その土台があったから立つこともできたと今だったら思います。(──小1から学校に行ってないんだよね)はい。物心ついた頃のことなので、はっきりと覚えているわけではないけど。だから、今だからふりかえって、いろんな気持ちとかを整理して語れるけど、その時々どのように考えていたかは、その時の自分なので実際のところはわからない。
──ジェリちゃんは「私を支えてくれてYに感謝している」と言っているよね。他の兄姉に対してもそうなんだけど。
どの子どもにとってもそうだと思うけど、家の中っていうのは大きい。ほとんど家が世界のすべて。半分以上がそう。だから家の中の人が世界70億人に相当するくらいの存在感がある。
その人がやさしくしてくれたから世界が自分にとって優しいものだったし、そういうふうにまわりを見ることができるようにもなった。(──ジェリちゃん、すごい!)どんなに世界が広かったとしても自分の目で見ることができるのは目の前のことだけなので。その世界の中のどういう場所に生まれてくるか自分では選べないけど、いいところに生まれてきてよかったなと思っている。
初めの話にもどるけど、「死ぬ」というのは想像しやすいもので、どんな人生を送っていても「死」という概念が必ずあって、世界が狭ければ狭いほど、世の中のいろんな生き方とか、苦しみの処理の仕方とか、価値観とか、知れば知るほど、「死」というものは相対的に小さくなって行くんじゃないかと思うけど、狭い世界に閉じこもっていろんな考えができなくて硬直していくほど「死」というものが大きく感じられて、そこについつい目をやってしまう。
それ以外にいろんな選択肢があって、苦しみを消す方法はいくらでもあるのに、「死」ということに気をとられてしまって、なかなかそこから離れなれないのかなと昔の自分を思い返すと考えたりします。(──「昔の自分」ですか。笑)いま28で、今月で29になります。15年か20年前の自分の胸のうちにあったことを思い出しながら整理するとそんな感じになります。
──6月の例会で、「ネットをして自信を持てた」「ネットの掲示板に書き込んで自分が見えてきた」と言ったけど、どんな書き込みをしたの?
特にテーマがあるわけでない場所で、本当にどうでもいい話、その日食べたご飯のこととか、こんな番組が終わってさびしいとか、こんなイベントが控えていて楽しみとか、そんな話をみんな脈絡もなく、したい話をするような場所です。そこに限らず、たとえば同じようなゲームをやっていたりとか、同じような漫画を読んでいたり、自分と共通点のある人が何人かはいて、その感想をしゃべっていて、僕の言ったことは相手が思ってもみないことだったりする。それで、自分と他人(ひと)が違うんだなっていうことが実感できたっていうか。そういうことの積み重ねだと思うんですけど、同じ話題をしているからこそ、自分と他人(ひと)の違いがわかってきて、それは優劣ということではなくて、ただ違うっていうことだけ…
──「ちがい」がわかってきたということだけでなく、どうして「自分は自分でいいんだ」と思えるようになったの?
そこでやっぱり誉め言葉をもらえたりしたということも多かったですね。「〇〇さん(Yさんのハンドルネーム)の感想、おもしろいですね」みたいなことを言ってくれる人もいた。
自分と他人はちがうところがいろいろあって、自分だけにしかない視点とか、自分だけの考え方みたいな、そういう枠で話すうちに、自分にとって当たり前のことが他人にとって当たり前なわけではないという、よく言われることを言葉としては知っていたけど、その言葉に実感を持てて、まわりから見た自分が、自分にとっての自分もですけど、そういうやりとりを経てはっきりしてきたような感じがあって、それが必ずしも優れたものではなかったとしても、自分だけにしかないものがそこにあるんだと思えるだけでいいなと思った。
たとえば、他人より鋭い観点を持っているみたいなのもうれしいけど、でもこんなところばかり見ていてそんなところが全然気づかなかったみたいな自分のなかの感想も含めて、自分という一人の人間が当たり前のものではなくて、いろんな特徴を持った一つの人格、個性として存在するということはうれしかった。
──よく言われるような「同じような考え方をする人たちがいっしょになってネットで自己満足している」わけじゃ、全然ないんだ!
ただの場所なので、その場所をどう使うかという話だと思うけど、そういう場所があるっていうこと自体はとてもすばらしいことだと思う。
ネットはリアルだから、人が集まる場所なので、トラブルというほどのトラブルではないけど、意見の食い違いみたいなことでちょっと雰囲気が荒れたような感じになることもあったりする。
でも、僕はあんまりそういうのは気にしないほうなんで、それもまた人間関係の一つの形というか、人が集まるとこういうことが起こるんだということが実感をもって感じられたことはよかったなと思っています。ドラマのなかの話ではなくて、自分が普段話している人の間で起こっているということで身近に感じられた。
──やさしくしてくれた「その人」ジェリちゃん、息子さんの話を聞いていかがですか。一言どうぞ。
私はなにもしてなくて、この子のほうがしてくれて、「わぁ、今日も茶碗を洗ってくれている。すごいね。」(笑)と、そういうのが日常的にあって、今でも帰ってくれば必ず「お帰り」、起きたら「おはよう」、言われても私のほうはだまってたりもするんですけど…
癌になった時も、昔だったら告知どうするという時代があって、今はこんなあっさり言われるんだね〜と言ったら、この子は「じゃあ、ラッキーだったね。今、癌になって」と言ったんです。だから、いろんな時々に、私が言うことに対して、思ってもみない言葉をぼそっと言ってくれて、張りつめていた気持ちが楽になるというか、そういうことがあります。
先月誕生日だったんですけど、いろんなところに私に対するメモ用紙(メッセージ)がこんなところにも、わぁ、こんなところにもというように置いてある。さりげないんですけど、そういうことが日常的にずっと小さいときからあって、私はなにもしないんですけど、私はこの子にいっぱいしてもらって救われてきました。
──いい話をしていただきありがとうございました。僕らの子どもたちは、じつは親を困らせることも含めて、すでに十分親孝行をしてくれている、ということだと思います。
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