登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話

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きらっと一言

このコーナーでは、毎回きらっと光るこの一言!というのを紹介していきます。

第一回「条件付きの愛情はいらない」

第二回 「子どもを異常視しない、
子どもをガラス細工のように扱わない、子どもの奴隷にならない」


第三回 「将来の不安に怯えて今を台無しにしていませんか?」

第四回「自分を大切に生きる」

第五回「揺れがいのある親」になろう 



第六回 「今」を大切に、「今」を幸せに

2005/11/23 内沢 朋子

11月20日、親の会がありました。
「みなさん、こんにちは。」・・・涙が。
(ほんとは始まる前からみなさんの「良かったね」という暖かい言葉に涙、だったんです。)

「2ヶ月ぶりの親の会です。先月は私の夫、達の緊急入院で例会が取りやめになって」・・・
ウルウルする私に暖かい拍手が贈られました。

親の会の皆さんが、にこにこして私を暖かく包んでくれて、その心にふれて素直に涙があふれたのでした。


掲示板に書き込んだ「たっちゃんが緊急入院」のときは、生死の境をさまよう夫の命を信じて、ぽろぽろ涙を流しながら書いていました。
入院しているときも、退院したあとも緊張の連続です。
今もまだ、不安定な血圧の高さに心配はついてまわります。


それでも、今、こうして命があることに感謝して、今を大切にしています。
いつも一緒に、暖かい南国の鹿児島の気候に感謝して、散歩しています。
「ともちゃんは、今までで一番優しくなったね」というたっちゃんに、
「私はいつも優しいの」「命の恩人に、ありがとうは?!」と冗談をとばしながら、
今ほど、夫婦の時間をこれだけ大切にしていただろうか、と感じています。



親の会で、私は、今まで感じてきたことを心を込めてお話しました。

「人は人生のなかで、今まで味わったことのない困難だと思うことに遭遇することがあります。
それが、我が子の不登校だったり、引きこもりだったり、拒食だったり、・・・
私の夫のように病気だったり。


そのどれもが、初めは受けとめられず苦しみます。
でも、次第に困難なことと思っていたことが、
実は自分の人生を深く考える大きな転機だということに気づくはずです。
人生の中で大変だと思っていたことが、実は、自分を大きく成長させ、家族の絆をより深く結びつけてくれることだったことに気がつきます。


私は、いつも1996年にいじめで亡くなった村方勝己君のことを思います。
我が子を喪うという大変な苦しみのなかで、村方さんご夫妻は月を追うごとに、
年を追うごとに夫婦の絆、親子の絆を深くしていきました。
いじめ裁判のなかで間近かに接していて、それはよく伝わり、感動しました。


私たち夫婦だって、例外ではありません。
今回のことで、夫婦がいっそう信頼しあい、慈しみあい、お互いの存在と今の幸せの深さに思いをいたしたのです。
そして、まわりの方々の暖かい励ましと、深い愛がどれだけ支えになったことでしょう。
そのことが、どれだけ生きる勇気を与えてくださったことでしょう。


人として生きるうえで一番大切なことは、それはお金でも名誉でもない、愛だと深く確信しています。
それは、自分を大切にするということにも通じます。そして、それは他の人をも大切にできることであることを発見します。

家族への愛、我が子への無条件の愛こそ、一番大切なことではないでしょうか。

親の会に参加していく中で、このことは誰でもできることであるのに、一番難しいことであることに気づかされます。

知らず知らずのうちに、学校に行かなければ、社会に出なければといった条件をつけることが愛情だと勘違いしていたことに、我が子を通してわかってきます。

そして、自分を大切にするようになっていくと、自分の人生をちゃんと自分が主人公として生きていくようになることにも気づかされます。

親の会は、こんなすばらしいことに気づかせてくれます。
学校に行ったから、社会に出たからということではない、人として生きるということは、こんなにもとてもすばらしいことなのだと」。



私は、16年間休まず、まして先月のように例会が休会になるようなこともなく、やってきました。

長い人生のなかで、こんなこともある、
そして、それを暖かい拍手の中で包み込んでくれた大切な親の会の皆様に心から、ありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。


後半、遅れて参加したたっちゃんに、大きなゆりとばらの花束が贈られました。
少々、テレ気味の夫はそれでもとってもうれしそう。
(ありがとう、皆さん、ありがとう素敵な仲間たち)
私は心の中でそう叫び、たっちゃんを祝福しました。


喜びも悲しみもともに分かち合い、ともに励ましあい、
いつしか、人生の友として歩んできた大きなかけがえのない宝物がここ、親の会にありました。


例会は、いつものとおり、感動! でした。
本当にいつも、いい! いつも感動! いつも元気を与えてくれます。




第五回 
「揺れがいのある親」になろう


(2003/9/9)

 
このHPの管理人Reikoは只今引きこもり中です。
 時々(しょっちゅう)暇だあーーっといらいらしたり、不安になったり、、、。
 
 
 
 先日、そのreikoが「私のうち」(正確には私の母)を紹介していました。
 「どんなに不安を訴えても、私の母は知らんぷり。全く無視です」 
 「すると私は不安が増すかというと、そうではなくてこのままでいいんだな。自然なことなんだなと思える」と書いてありました。



 親の会でよく出るのが「この子にどう対応したら・・・」「不安をどうやって・・・」というものです。
 でもよく考えてみると私たち大人は自分の親に自分の人生をあれこれと指図されて、親の思い通りに生きてきたでしょうか。
 


 答えはNOですね。
 我が子が不安を訴えるのも、不安がなくなるのも要するに我が子の生き方はその子が決めるものです。
 

 
 あれこれと我が子の不安を心配そうに見て、まるで人工衛星のように周りをウロウロしていたら、ますますその子は「やっぱり私はおかしいんだ。ダメなんだ、、、」と落ち込むでしょう。



 たくさんの辛い体験をし、自己否定をいっぱい抱えてたからこそ、不安があって当然なこと、自然なこと。

 そう思えるようになると、でんと構えられるようになります。



 変えるべきは我が子をおかしいと思う自分の考え方の方でしょう。



 「一緒に暮らす」そのことに感謝しましょう。
 それだけで、十分幸せなはず。
 子どもが揺れても、荒れても、当たり前、自然なことと受けとめることが出来る親、それをreikoは「揺れがいのある親」と言いました。



 ウロウロしない、オロオロしない、我が子の生き方を邪魔しない。
 親が自分の人生を生きているように、子どもだって手探りでも、辛くても確かに毎日自分で生きているのです。



 親はあれこれ心配するより自分の人生を毎日楽しく生きることです。
 家族が、それぞれが自分の人生の主人公として生きていく、それが結果として家族の絆を強くしているのだと思います。


 


第四回 
「自分を大切に生きる」



不登校や閉じこもりなどの子どもたちは無意識のうちに「自分らしく生きたいよ」、「自分を大事にしたいよ」と自分を大切にすることを主張しています。たいしたものです。



今までの学校的価値観(社会的価値観)は、「人に迷惑をかけない」、「今よりももっと上をめざして」、「頑張って」と「今」の自分の状態に満足しないでもっともっとと頑張ることを要求します。



 それは今のあるがままの自分を肯定して大切にするということとは程遠いですね。
不登校の子どもたちは「今の自分」を大切にするということを、不登校という形で実は私たちに教えてくれてるんですね。



これまで、または今現在も、自分の心の奥底の声を無視して、たくさん、たくさん無理してきたこと、それは必ず後々(または今)になって、体や心がいろんな形で訴えてきます。



人によってその不安からくる訴えの形は、いろいろ違いますが、すべてに共通しているのは、今まで粗末にしてきた自分のことを、もうこれ以上ひどく扱いたくないという心の奥底からの声なんですよね。



 さて、私たち大人は我が子から自分を大切にするということを教えてもらいながら
本当にそれを自らの生き方の中に取り入れているでしょうか。



 我子の傍らで暗い顔していたり、家族の間がぎくしゃくしたり、自分を犠牲にして、「つくして」いたり、世間体や親戚付き合いを気にしていたり、学校に気を使って神経をすり減らしていたりしていませんか。



 子どもはそんな親を見るのはたまらないでしょう。
「やっぱり僕の、私のせいで、、、、」とますます自分を追い詰めていきます。



本人自身がまだまだ自分のあるがままを受け入れられないときは、親のせい、周りのせいにしますが、苦しんでいる本人が望んでいるのは、本当は、親も自分自身を大切にして生きてほしいということなんですね。



不登校の生き方、とじこもっている生き方、それは新しい価値観「自分を大事にして生きていこう」というすてきなメッセージなんです。



我が子が与えてくれた問題提起を絶好のチャンスととらえて親も自分を大切にして生きてみませんか。



 自分を大切にすると気持ちが幸せになります。
そうすると家族の他の人にもやさしくすることが出来ます。
自分を大切にすることは決して自分勝手や我がままではありません。



不登校、閉じこもりは病気だ。おかしいんだと世間や周りの考え、価値観に惑わされるのではなく、自分を大切にすることを一番に考えて生きてみませんか?



ご夫婦で(あるいは友達とでも、または一人ででも)おいしいケーキを食べたり、お花をかざったり、自分のために何かしてみませんか。



自分のために生きること、自分を大切にすることは、新しい発見と価値観をもたらしてくれるでしょう。




第三回 
「将来の不安に怯えて今を台無しにしていませんか?」



我が子が不登校になった時、このままだったら「将来」高校(又は大学に)行けなくなる・・・。
就職できない、勉強は?社会性は?と親の絶え間ない不安のために、今ある我が子が苦しんでいる姿が全く見えなくなります。



 そのために我が子に「将来どうするの?どうするの?」と聞きます。
この言葉ほど子どもを苦しめる言葉はありません。



 学校に行かないことで、一番苦しんでいるのは当の我が子です
 目の前の我が子の「今」を否定しないで下さい



 学校に行かない、又は閉じこもっている我が子はちゃんと自分らしさを主張している!たいしたもんだ!と考え方をかえると気持ちが楽になります。



なぜなら、不登校、閉じこもり自体には何1つ問題はないからです。
自分をこれ以上傷つけまいとする人間としてとても自然な行為です。



親がきちんとこのことを心の底から理解し、我が子の「あるがままの今の状態全て」を受け入れるようになった時、 そうした親の「あなたの生き方応援するよ」という無条件の愛情が、我が子の自己否定の苦しみも少しずつ和らげていくのです。



将来の不安ばかりにこだわって、毎日暗い生活を送るより、
毎日我が子と一緒に生きる幸せに感謝しましょう。



 我が子の笑顔が一番
 幸せだなあと感じる毎日の積み重ねが、将来の「今」も幸せになります。
 毎日を否定し続ける日々に将来の幸せはありません。





第二回 
「子どもを異常視しない、
子どもをガラス細工のように扱わない、
子どもの奴隷にならない」



これは、鹿児島の親の会の三原則です。
我が子が不登校の辛さをさまざまな形で表します。



昼夜逆転、家庭内暴力、拒食、過食・・・。
でもそれは、不登校や今あるその子の状態を否定したために、本当にたくさん追いつめられて表したものなんですね。



辛ければ、そしてその結果、自己否定が強ければいろんな表し方をするのは、極めて、自然なのです。



ですから、周りの親などは、そういう我が子を異常視しないことが大事です。



そして、いろんな行動を表した時、言いなりになって不自然な状態につきあわないこと



子どもの無理難題に付き合うことは、子どもの辛さに背中を押して手助けすることと同じことなのです。



我が子は、異常でも何でもありません。



あんな、素直な「良い子」がどうしてしまったんだろう と嘆き悲しむ前に何故そうなったのか、全部説明がつくんです。



親が価値観を変えることによって、我が子の辛さを理解していけば、子どもさんは楽になって、子どもさん自身が悩み、苦しみながらも少しずつ、自分の今ある状態を受け入れることが出来るようになっていきます。





第一回  「条件付きの愛情はいらない」

 
なにもしない我が子が、かわいい、いとしいと思えますか?
「かわいいと言える!」という親御さんでも、ついつい、ともすれば、学校に行ってる、何かしてる我が子がかわいいと無意識のうちに考えているものです。



親の不安が先に立って、学校に行ってる、または閉じこもっていない我が子がかわいいと、条件をつけてしまいます。
子どもの側からしたら、とても辛いですね。



学校に行ってる、バイトをしている、どこかに行ってなにかを学んでいる、なにかを常に勉強している。
 我が子が何かをしていることで、安心していませんか?



 無条件で、我が子を、ただそこにいて息をしている我が子を愛していますか?



親の我が子への愛情は、実は我が子が生まれたとき、無条件だったはず。



条件つけないで、心から我が子の状態を受け入れたとき、親も子も楽になります
そこから、ほんとの深い愛情がうまれるんですね。



「条件付きの愛情は要らない」 んですね。
ただそこにいて、今、この時、息をしている我が子を愛して。



そのままの我が子。



今の状態の我が子の全てを受け入れることができたら、いままで「問題」と考えていたことは、実は「問題」じゃなくて、「自然」な事という事に気付けるんです。



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Last updated: 2005.11.23
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