登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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このHPを作っている人
/ 内沢玲子



登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)のホームページは2002年5月1日に立ち上げました。
その年の7月に行われる登校拒否を考える夏の全国合宿2002 in 鹿児島の詳細を載せることと、登校拒否や引きこもりなどで悩んでいる子どもたちや親たちに私たちの考えを知ってもらうためでした。


現在26才。タイ大好きな私です。(2007年現在、28才になっています)
私の2002年〜現在までの体験を通して、私がどういう風に親の会を通じて成長させてもらってきたか(今現在も勉強中です。)、是非ごらんになってください。

2005年9月以降の分は、管理人代理(たっちゃん)がUP!!しました。
目次をクリックすると該当の記事にジャンプします。


1.2002年9月 掲示板のカキコより  「私のこと」
2.2003年11月発行ニュースより  「不安と仲良く」
3.2004年5月発行の親の会ニュースより  「親は自分の人生を楽しんでくれたらいい」 
4.2004年11月発行 15周年記念誌より 「生き方、考え方を変えた 私の人生に感謝」
5.2004年1月発行ニュースより 「人生ってたくさんの生き方があるんだな!」
6.2005年2月発行の親の会ニュースより  「親の会は私自身が生きた証」
7.2005年3月発行ニュースより
 「ひきこもった時期は私の人生にとってとても充実した時だったんだよ」

8.2005年2月掲示板のカキコより  「バリバリバリバリ!!!」
9.2005年5月 掲示板のカキコより  「素晴らしき人生」
10.2005年7月発行ニュースより
 「引きこもってゆっくりと自分を見つめる時期があったから、今の私がある

11.
2005年9月20日掲示板のカキコより 「みなさん幸せをいっぱいありがとう!」
12.2006年6月23日掲示板のカキコより 「自分をみつめる・自分と対話の日々
13.
2007年4月22日掲示板のカキコより 「首になりそうながらも楽しい毎日
14.
2007年5月19日掲示板のカキコより 「ラーメン屋のおじさんの言葉
15.2007年7月29日掲示板のカキコより 「できない自分も認めてあげる」



2002年9月 掲示板のカキコより

2002年09月16日 11:49
送信者:reiko
表題:私のこと


はじめまして こんにちわ Kanukaさん。
ここの管理人のれいこと申します。^^


Kanukaさんの投稿を読んで、私自身のことをとても思い出しました。 
私自身、そういう風にずっと思っていたから。
なにかしたい、〜しないといけない時期にもうなってるのに、 なにもできない。


外にでるのが、とってもおっくう。
人に会うのが辛い。
でも、何が原因なのかわからない。。。
この先、どうしたらいいのかわからない。。。


ずっとそう感じ、そして思っていました。
どうして、自分だけ、こうなんだろう。。。
どうして、ほかの人は、いろいろなことできるのに、
どうして、どうして自分だけ、何も、できないんだろう。。。


そうやって、私自身、自分で自分のことをずっとずっと、責めつづけていました。
でも、はじめは、その自分自身を自分で責めているということにも気づきませんでした。
そして、自分に無理をしている。
自分の心の声を無視して、がんばって、外にでてる。。。
ということにも、気づきませんでした。


私の場合、親が、「がんばらなくてもいいんだよ。」
「無理しなくてもいんだよ。学校に行きたくなければ行かなくていい。
働きたくなければ、働かなくてもいい。」と言うのにです。


身近にそう言う人がいても、自分自身が無理をして、がんばっているうちは、
そういう言葉は耳に入ってくるけれども、 自分でそれをはねのけ、外にでてがんばっていました。


でも、私のがんばりも、ついに切れてしまいました。
去年、私はタイにずっといました。タイが好きで、好きで (正確には、タイ料理が好きで。。。ふふ。。)
タイに行ったのに、気づいたら、 家の外から一歩もでれないぐらい、疲れ果てていました。


前は、一歩、いや、何歩かはでて、どうにかバイトも、学校もいけたのに。。。。そう、思いました。
でも、私はそれは、体からの警告じゃないかとも思いました。
ずっとずっと、心の奥底で疲れてる〜〜〜、休ませてくれーー といっていた、心の声をずっと無視しつづけ、自分をだまし、 いつかは、登校拒否の子どものように、自分も休まないといけないんだろうなあと思いつつ、 決してそれを実行に移すことはしませんでした。
できませんでした。 その勇気が私にはありませんでした。


でも、タイから戻ってきて、ほんとうに心身ともに今までの疲れがピークに達したとき、家から本当に一歩もでれなくなったとき、 私は、心のそこから、「ああ、本当に、休まないといけないんだなあ、自分をいままでたくさん、たくさんいじめてきたぶん、 これからは、自分のことをたくさん、たくさんいたわってあげよう」と思うことができました。


それでも、はじめは、閉じこもっている自分をたくさん、たくさん責めました。
まして、こういう世の中。
閉じこもる自分自身を、世の中は否定している。
そして、周りはどう思うだろうかと何度も、何度も眠れない夜を過ごしました。


でも、その時は本当に、そういう風に思っても外にでれないくらい、自分自身疲れていました。
今、家で本格的に閉じこもりはじめて、9ヶ月。
今、やっとやっと、閉じこもる自分自身を認めてきています。
今まで、自分に無理して、自分にうそをついて、そして、その結果、 疲れ果てた自分を休ませてあげることに専念してあげようと思えてきました。


こういう風になるまで、私の場合、6年以上かかりました。
だけど、今はその過程があったからこそ、辛い思いをたくさんしてきて、疲れていたのに、 自分にムチをうって高校にずっといってきた事もすべて含めて、認めることができるようになりました。


そういう過程があったからこそ、今私は、自分を大切にすることの重要さを知ることができた。
自分を大切にすること、わがままに生きることで、自分の中で今までなかった、余裕がたくさん、たくさんでてきた。


だから、私は今、とても感謝しています。
そういう風に、無理をしてきたこと。
自分にうそをずっと、ついてきたこと。
でも、それによって、今の自分があること。


今もたくさん、家でのんびりすごして、ゆっくり自分自身を休ませてあげることに専念しています。
途中いろいろあったけど(将来の不安とか)、でも、それもすべて、よかったな、とてもよかったと思える今日この頃です。


これから、あと何年休むかは、自分次第。
自分の心が決めること。
一生休むかもしれないし、働くこともないかもしれない。
でも、それもそれで、そういう人生でもいいんじゃないかと思ってきました。


「無理しなくてもいい」「がんばらなくていい」といくら、人に言われても、 私自身が、ほんとうにそのことに気づくまでは、まわりがいくらいっても、わからない。
でも、それはそのとき、そのときの自分にとって、そう感じるのはとても自然なことだった。


長くなってしまったけど、私のことばかり書いてしまったけど、 こういうふうなことを、感じられて、考えることができて、自分を大切にすることが、実はどれほど重要なことなのかという事を 知ることができて、私はなんて幸せ者だろうと、毎日チャット、たまーにHPつくりをしながら感じています。

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2003年11月発行ニュースより


不安と仲良く

内沢玲子:
前は休んでいる時期でもいろんな大きな気持ちの転換期みたいなのがありました。
一番最初は、「はあー、やっと休める、やっと引きこもれる」という感じで、その後は「でもこのままでいいんだろうか、こんな風な今の状態をおかしいと思われないだろうか」と思い、次は「この人おかしいと思われても、そう思わせとけばいいや」と思いました。


その次はまた不安も出てきたりして、だけど毎日楽しいからいいかなという感じで。
その次は、内園さんと長谷川さんにも電話したんですけど、もう暇で暇でたまらなくなって、自分のしたいことをしたいけどそこまでのパワーがないから、どうしようどうしよう、外に出て遊びたいのに、だけどパワーが溜まっていないことに不安がたくさん出てきました。


長谷川さんの息子のとおるくんも畳かきむしって暇だ、暇だということがあったよ、えりちゃんもあんなふうに元気そうに見えるけど大変な時もたくさんあったんだよと話をたくさん聞いて、安心しました。
それで今の気持ちは、だんだんずっと休んでいて、あと一年も休んだらパワーが完全に溜まりそうな感じがしています。


前は出口も何も見えない感じで、それでもその時、その時で楽しんでたからそれもいいんですけど。
パワーが溜まってきたら、自分が安心してくるんだなっていうのを最近感じています。


―――それで不安になったら、お母さんに当り散らすよね。(笑い)


そういう風に、友達とかともたまーに話した時に、「あなた何してるの?」って聞かれた時に、「今楽しく毎日ボーッとして過ごしている時もあるよ」って答えると、「そんなんじゃだめだよ」って言う人もいるし。
そんなふうに言われて疲れると、チャット友達と遊んで、また疲れてやめたりしています。


だけど自分でああ、疲れたなって思って、そういう体験を何度も繰り返していくうちに、自分に嘘をついてまで人と話したら疲れるんだな、と思ってそれで自分を休ませてみたりしています。


―――不安になっている時って、焦っているときだよね。


その不安がある中で、自分で学習していってるというか、これをやったら疲れるな、これをやったらパワーが溜まってくるなという自分で休み方のコツがわかってくるんです。


―――だんだん、玲子は今の自分を認められるようになってきたのね。


まあ、それは前もそうだったけど、自分の不安は完全にはなくならないけど、自分の今の生き方を肯定はできるようになってきました。
不安はあるけど、自分はこれでいいんだと肯定できるようになっていくと不安もそれに沿って、だんだん少なくなっていくような感じがします。


―――やり方は別にしてね。
日常生活の送り方は、若者コースと違ったとしても不安というのは同じだということなんですよね。

今不安なんだな、だからこのままじゃだめだって思ってるんだなっていうことなんですよね。
子どもの場合も、大人の場合も決して違うわけじゃなくて、大人の不安っていうのも結局同じだっていうことですよね。


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2004年5月発行の親の会ニュースより


親は自分の人生を楽しんでくれたらいい


―――不安になった時子どもの立場から玲子はどう思う?


内沢玲子:
私は前と変わったのはどんなに自分がその時すごく揺れても、根っこの所にあるのは「これでも自分は今のままでいいんだな、ゆっくり休んでいいんだな」というのがしっかりできたことです。


前はただ不安で不安でしょうがなかったのが、今も不安でしょうがない時もあるんだけど、どんなに自分がすごく揺れても、結局暫らくたったらその揺れが収まってきて、それを収めるようなことが出来てきて、自分でこのままでいいんだ、何もしていなくてもゆっくり休んでもいいんだなと思えるようになってきました。
自分で、「あっ、今揺れているな、やけくそになっているな」というのが自分でわかってきた感じです。


―――玲子が揺れている時の親(私、内沢朋子)はどんな感じなの?


揺れている時、私が怒ると親は逆切れするの(大笑い)。
だからその時私も頑張って怒るんだけど、お母さんの方が強いからもう言っても無駄だなと思ってしまい、自分ひとりで考えようとなってしまうんです。


自分だけこんなに苦しんでいるんだから親にも苦しんでもらいたくて八つ当たりみたいに言うんだけど、親はそれに全然動じないです。
その時はすごく頭に来るんだけど、いつもどんな時も動じないから、別にこのままでいいのかなと思ってしまうという感じですね。


―――お母さんはいつも自分の好きなことばっかりしているんだものね。


うん。そうだね。
だから私が思ったのは、親がその時の人生を楽しんでいれば、子どもはどんなに時間がかかっても自分のことを解決していく力が放っといても自然についてくるんじゃないかなと思います。


親が揺れたら、私の親が揺れたのを見たことはないけど(笑い)、
たぶん子どもはさらに揺れると思います。
親が揺れたような素振りをするだけでも、子どもはものすごく敏感になって
「あっ、やっぱり自分はおかしいんだ。やっぱり自分は何も出来なくてダメな人間なんだ」と思っちゃうのね。
この会に参加すると、親の方が不安だから揺れているんだなとわかります。


―――だから、親なんですよね。メトロノームがあるでしょう。
そのメトロノームの一番の軸が親なんですね。



親がちょっと揺れても子どもは大きく揺れる。
子どもを受け入れる揺り篭がボロボロでは、子どもはそこでは安心することはできないのね。
揺り篭は頑丈でなければいけない。


そのためには親自身が自分のことを大事にする、自分のことを大事にするということは子どもに見せるために大事にするんじゃなくて、子どもが「あー、私も自分のことは大事にしていいんだ」と、でんと構えている親から伝わってくるんですね。そのことが大事ですね。


重則さんがうちにいらしてお話された時に、娘が「おじちゃんは息子さんのことはほっといて、自分のことを楽しんだら」と言っていました。
私も娘が不安で揺れて切れるんですけど、私は「うるさい!」と言うわけですよ。


冷ご飯と炊き立てのホカホカのご飯が両方あった時、炊き立てのご飯は59才の私が当然食べるわけです。
そしてその冷ご飯は25歳しかたっていない若い娘が当然食べるわけですね。
これからどんどん生きるわけですから、それとたっちゃんが食べるんです(笑)。
家ではそうしてます。だからそういうふうにするべきですね。(笑)


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2004年11月発行 「親・市民の会15周年記念誌」より


生き方、考え方を変えた 私の人生に感謝   内沢 玲子


今私は25歳。就職もしてないし、結婚のあてはまったくないし、毎日何をしてるの? 
と聞かれたら「ボーッとしてます」。
そんな私のこれまでの人生をここに振り返りたい。


それは高校生活がうまくいかなくなったのが始まりだ。
人間関係がどうしてもうまく出来ず、気づいたら常に人が自分をどう思ってるかばかり気にしていた。


毎日、毎日、学校に行くのがしんどかった。
そんな自分を無理矢理奮い立たせ、自分さえ、自分さえきちんとしてたら、歯車はうまく回るのだと、何度も自分に言い聞かせていた。いつも自分がいけない、自分はなんてだめな人間なんだと思っていた。


無理をし続け、自分をだまし続けたそんな3年間は、私にとって自分を否定する習慣の基盤を作ったようなものだったと、今思い返してみると思う。
もちろん当時はそんなことをしていただなんて、余裕がないもんだから、気づきもしなかったけど。


無理矢理高校を卒業した後、解放された私は自分の大好きなことをした。
語学学校に通い、たまにアルバイトをし、そして大好きなタイに住むことになった。


だけど、そんな自分の好きなことをしてるのに、いつもいつも、私の中には息切れ感があった。
どうしてこんなにも自分は疲れやすいんだろうと、その頃はそれぐらいにしか思ってなかった。
だましだましやってきて、いよいよその「だまし」が自分にきかなくなったのは、タイでの生活が半年程経った頃だったと思う。


自分でもその瞬間というのは感じた。私の全てがいっせいに悲鳴をあげる瞬間だ。 
それから私は、前にも増してさらに一歩外に出るのも非常に苦しくなり、顔が緊張でこわばって、笑顔が作れなくなった。


それから半年程たって、ようやく私はパタとすべてのことを一切がっさいやめた。
やめたというより、できなかったと言ったほうがいいかもしれない。
無理をしていた高校時代から7年の月日が経っていた。
ようやく休める、これで休めるというホッとした感情があったのを覚えている。


それまでの私は、他の大多数の人たちが感じるように、がんばることこそ人生の中で最重要課題、みんながんばっている中で自分だけ甘えて休むなんてもってのほかであって、そんな勇気のいることは絶対できないと思っていた。
だからこそ私にとっての休み初めは、パワーを全て使い終わり、本当になにもできなくなっていたその時だったのかもしれない。


休み始めて特に最初の半年間程は、人間パワーを全部使い切って、自分を痛めつけてるとこんなふうになるんだ、というのをひしひしと感じた期間だった。
電話に出るのも怖い、外に出るなんてもってのほか。
親の会に行くのも夕方になってようやく自転車で行ってみて、誰もいなかったのを確認して妙にほっとしてた自分がいた。
人と会うのがとにかく怖い。それしかなかったのだ。


だけど少しずつ、本当に少しずつだけど、休みが重なっていくと、だんだんとそれまで自分の頭で整理がつかなかったことを考え、悩める余裕がでてきた。
なんであんなに自分を責めてきたのか、そしてその自分を責めているという行為すら、なぜ気づかなかったのか。


答えはとっても簡単だった。
全て自分の長年にわたる「無理」からきている「疲れ」だったのだ。
こんな簡単なことも考えられないほど私は疲れていて、無理の上に無理をかさねてきてたんだなと思った。
その時から初めて、私は自分自身を大切にする、無理をしない、とにかく自分をいたわって大切にすることを、親を見て、そして親の会から学んでいったと思う。


疲れはててずっと無理していた間、私の両親は、私のことをどうしてたかというと、「ほったらかし」だった。私が何を訴えても、また何を訴えなくても、うんともすんとも言わなかった。


その時は、どうしてこんなに辛いのにわかってくれないんだって思ってたけど、もし私の親が、私の一挙手一投足にびくびくしてたり、要求にほいほい応えていたら、私は今でもきっと無理し続けていたと思う。
私が両親に感謝していることは、全て自分で考えて、自分で責任を負って、自分で行動させてもらってきたことだ。


たっぷりと自分で休み、悩み苦しむ時間があったからこそ、それを頭の中でひとつひとつ整理してこれたと思う。
だから親は子どもが悩もうが、どうしようが、自分の人生を楽しみ、自分自身を一番大切にすることがとても大切だと思う。それが、子どもにとっても本当の救いだと私は思う。


それは、私がどんなに疲れてても、どんなに自分を追い詰めても、私の一番身近な親が、自分を大切にしている人生を送っている限り、必ずどんなに時間はかかっても、結局自分で判断して、自分を大切にしないといけないな、と痛感するからだ。


ゆっくり休み始めて2年半が過ぎた今。まだまだ大波、小波が押し寄せるけれども、疲れ果てていたあの時感じなかったパワーがたまっていってるというのを、最近少しずつ実感してくるようになった。
あんなに、もう、パワーはたまることはないだろう、一生家で過ごすんだと、悲観にくれたりもしてたのに。


だけど引き続きのんびりしよう。
焦らないで、自分自身を大切にしていくことを忘れないようにしたい。


最後に、いつも条件付けずに愛してくれ、あるがままの私を常に受け入れてくれた私の両親、そして多くの方々の貴重な体験談を聞く機会を与えてくれている親の会に、心から感謝する。
この親の考え、そして親の会との出会いをもたらしてくれ、それまでの生き方、考え方が180度変わった今の私のこの人生にも、心から感謝をしたい。

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2004年1月発行ニュースより


人生ってたくさんの生き方があるんだな!


内沢玲子:
私はひたすら自分に言い聞かせて高校3年間を無理して行っていました。
親がいくら辞めろと言ってくれても、自分の中にものすごく世間体を気にする部分があり、私自身が自分を許すことが出来なくて、辞めたら友達にどう思われるかとそればっかりでした。


高校を卒業してからも自分の好きなことをしているんだけれど、高校3年間で溜まった心の疲れとか、すごく自分が傷ついたこととかが取れませんでした。
そのときは自分の親がやっている親の会だけれど、自分は違う、私はそういう人たちとは違う、休みたい人は休んでもかまわない、でも自分はそういうタイプじゃないと思って参加していませんでした。


でもそれからきちんと引きこもって全てのことを一切やめて休まないとその疲れは取れないんだとわかって休みはじめ、親の会にも参加するようになりました。
休んでみて初めてどんなに自分を受け入れていなかったか、自分を否定し責め続けて疲れきっていたのが分かりました。


休み始めて2年半毎回この会に通って、こんなに親の会って奥深かったんだなあ、自分自身を大切にすることが自分の人生においてどれほど重要なことかということを思い知らされました。


私が一切合切のことをやめたときはこれからどうなるんだろうと不安の塊だったけれど、きちんとゆっくりしっかり休んだら必ずパワーが溜まるし、パワーが溜まる中で自分のことも認めていけるんだ思いました。


パワーが溜まったら自分の好きなことでも何でもできるし、今皆と遊んだりもできるんだなあと思います。
高校を辞めたら人生終わりだと思っていたけど、全然そんなことはないんだ、人生ってたくさんの生き方があるんだと思いました。

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2005年2月発行の親の会ニュースより


親の会は私自身が生きた証


内沢玲子:
最後にちょっと一言言わせてください。以下、文章に書いてきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、私の中では何かが変わりました。
去年と大きく違うこと、それは自分のことを客観的に見てあげれるように、もっともっと親の会で勉強したいと思うようになったことです。


親の会で、人の話を自分のこととして聞くということは、自分のことを、客観的に、冷静にみれるようになるための勉強をしていたんだなと2年半以上、親の会に通ってようやく気づきました。
ゆっくり休み始めて3年、親の会に来はじめて2年半は、私が親の会によってじっくりとゆっくりと時間をかけて癒されていった年月でした。


今年からは癒されるのももちろん、でも今度は自分の足で立ち、自分のこととして会報を読み返し、自分の人生のために、人生の主人公として歩むために、私は親の会に来たいです。
3年間、ゆっくりと時間をかけて疲れをとっていった私、こんなに楽になって今ここで自分の話をしています。


不安のかたまりだった3年前、何をするにも人が怖くてしょうがなかった。
月1度の親の会にでてくるので精一杯でした。


親の会と、いつも人の話から学ぶんだという貪欲な、だけどとても冷静な姿勢を崩さない世話人、
毎月親の会を開いているこの6人がいなかったら、
私はここにいただろうか、こうやって今、自分に自信を持ち始め、楽に、こうやって立っていただろうか、私は自信を持って言いたいです。


この6人が毎月、何度もテープ起こしをし、何度も何度も話あってやってきた親の会。
その親の会がなかったら、私は今こうやって立っていなかっただろう。
自分に自信なんか持ってなかっただろう。


こんなにも楽に生きれるだなんていう確信はないどころか、
今頃私は病院で入院してるか自殺してると思う。


だから、私はここで感謝の言葉を言いたいです。

いつも冷静に物事を見ている木藤厚子さん、ありがとう、

おっちょこちょいだけどみんなを和ませる渡辺笑さん、ありがとう、

笑い上戸で楽しい雰囲気にしてくれる瀬戸山恵美子さん、ありがとう、

親の会の世話人だけやってるわけじゃないのに、親の会の世話人として全力を尽くしてくれている川島和子さん、ありがとう、

いつも仮説での人生の教えを親の会にも教えてくれる内沢達さん、ありがとう、

そして、どんな時も人の話から学ぶんだという姿勢を教えてくれた内沢朋子さん、ありがとう。


今悩んでいられる方も、そうでない方も、私は自信をもってこの親の会を、
この世話人を薦める。それは私自身が生きた証拠だからです。


最後に、地球上で一番私が尊敬するこの6人の世話人に花束を贈呈しようと思います。

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2005年3月発行ニュースより


ひきこもった時期は私の人生にとってとても充実した時だったんだよ


内沢玲子:
引きこもってはじめの半年は親の会に来るのも必死で、皆さんが私に話しかけてくれるのも怖くて、私に話しかけないでと思うくらいでした。
親の会においでよと言われても、行きたいし、遊びたいんだけれど、パワーがなくて疲れ切っていました。


夏合宿をきっかけにホームページを作り、チャットで一緒に遊んでもらって、そして親の会には愛美ちゃんが誘ってくれて、私も毎月参加するようになりました。


親の会を通じていろんな人の話を聞けて、いろんな人に会えて、チャットでみんなと話して、すごく幸せだなあと感じます。
親の会に毎月参加することによって癒されて、私は大丈夫なんだなというふうにだんだん感じてきました。


2月13日に我が家の愛犬コナンが亡くなりました。
コナンとは一緒に留守番をしたり、遊びに行ったり、ずっと一緒に過ごしたんですが、そのコナンが最後に私にパワーをくれたように思います。
「気づいてないかもしれないけれど、自分が思っている以上にたくさんパワーが溜まっているんだよ」とコナンが自分の命をもって教えてくれたようです。


私は本当にゆっくり休んで、毎月親の会に来て癒されることによって、自分が感じていた以上に元気になっている自分を感じます。
以前は人が何気なく言った一言をものすごく敏感に受け取ったり、それに対してイライラしていたんですが、今は前と同じことを言われても、その捉え方が違っているんです。


アルバイトもやろうかなと思って、今天文館でティッシュ配りを始めたんですが、前は人の顔を見るのが怖かったのに、今は笑顔で配ることができるんです。
周りの人はわからないだろうけれど、もう人を怖がらなくていいんだと自分に感動しながらティッシュを配り、涙が出そうになってしまいました。(笑)


本当に私は親の会で出会ったひとりひとりからすごくパワーをもらって、ひとりひとりから癒されていたんだなあとしみじみ思いました。
まだまだ不安はあるけれど、やりたいことはゆっくり休んだら必ずできるんだ、どうせできないんだからと投げやりになってすごくイライラしたこともあったのに、全然そんなことはなかったんだなと思いました。


3年間以上ゆっくり休んで、親の会には2年半来て、私は人生の仲間に出会えました。
不安はまだあるけど、自分が持っていた数々のコンプレックスがどんどんなくなっていく感じで、これからもわからないことがあったときはここで勉強させてもらって、皆さんのお話を自分の人生に活用していけばいいんだなと思って、親の会があるからと安心しています。
振り返ってみたら今はいいことしか残っていないんです。


親の会があったから、私はこうして考えられるようになりました。
本当に親の会に感謝しています。


―――引きこもっていたからこそ深く深くいろんなことを考えられるようになったのね。


コナンが亡くなったときに私の中高時代の親友に電話をして、「私は3年間引きこもってゆっくり休んでいたんだよ」と言ったんです。
そしたら「若いいい時期に3年間も休んでいたなんてもったいなかったね」と言われたんですが、私は自信を持って「私の人生にとってすごく充実した3年だったよ」とはっきりと言えました。
それがすごくよかったです。(拍手)

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2005年2月掲示板のカキコより

No.211
2005年02月06日 10:37
送信者:reiko
表題:バリバリバリバリ!!!


今年に入ってから目からうろこがボロボロボロボロおちる感じだった
毎日のように、ああ!これも!あれも!全部自分の思い込みだったんだ!!!
すごく細かいのから、中くらいのまで一つ一つ、ボロボロボロボロ自分の中からその固まっていたのが落ちてくる


そう思ったとき、今まで見えなかった目の前が一気にガッと開いた 
全部自分の考えとすると、あとはこの考えがどうにかなるだけで、見方が自分の中で完全に変わるだけで、 どうにでもなるじゃんかよ


そんなことを一つ一つ感じていた
そして昨夜大きな大きな自分の中にあったひとつのものが、大きな音たてて自分の頭からはがれていった気がした
ボロボロボロボロじゃない、まさにバリバリバリバリ!!!だった


感動さめやまぬ今朝、お布団で起きる前にいろいろなことがバリバリバリバリ!!! とはがれた はぎとれた


大きな不安が常にそこにあると思っていた
だけどそんな不安なんてもとからなかったんだ 
ただそこにはそれがあるという「考え」があった
ゆっくり疲れをとって、パワーがたまった後は
その凝り固まった「考え」、一つ一つ、はがしていってたんだ
その時はそれを意図してやってないけど、結果的にそうだった 


一人、一人との出会いがその凝り固まった考えをばりばり、ときにはやさしく、ときには逆にいったかのようにみえるようにはがしていってたんだ
自分ひとりの力でここまできたんじゃない
今までどれだけ助けられてきたか
それを感じたら一人一人の顔が浮かんで涙が出てくる


大きなとてもぶ厚い卵の殻を脱ぎ捨てるように自分がそこから出てくる
もうこの大きな凝り固まった考えは自分にはいらない


また何年か後の自分がこれをみて感じるだろう
その時までもっともっと親の会で「学ぶ姿勢」を決して忘れず、自分のことをもっともっと客観的に見れるようになりたい


一人一人との出会いに感謝
親の会のひとたち、ホワちゃん、コナン、そうでない人たちにも大きな感謝だ

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2005年5月 掲示板のカキコより

No.256
2005年05月18日 21:52
送信者:内沢玲子 <konarunlove2004@yahoo.co.jp >
表題:素晴らしき人生


5月6日から16日まで、念願だったタイへ行って来ました。
行く前のバスと飛行機、帰りの飛行機で私は泣いた。
もう大丈夫、もう自分で生きていける
そんな実感をひしひしと感じることができました。


親の会で話を聞いてたあの時、一人一人の話が
私にタイにまた行ける力、生きる力を、力強くくれました。


3年以上会えなかったタイのお姉さん、お兄さんに会ってたくさん泣きました。
うれしくて、そして感動して またこんな日々がくるだなんて思わなかったあの時を思い出しました。
タイのお姉さん、お兄さん、バンコクのよい友人をはじめ、私がタイで出会った一人一人の人から生きる力をたくさんたくさんもらいました。


バンコクの私と同い年のディングさんの話で私は大変驚きました。そしてとっても感動しました。
家が裕福だったのに、ある時期大不景気の影響で、家がその日暮らしになり、ディングさんは15才の頃から朝の4時から起こされ、市場で15円の花を売りました。


友達と遊びに行こうと誘われても、遊ぶ服がなくていつも忙しいと断り、一袋30円のおかずをリヤカーにいれて押して、売っていました。
みんなから見えるお風呂とトイレでの共同生活で、初めは友達のお家でお風呂に入ってたのも、その友達に遠慮して、そこに入るようになりました。
ディングさんは、ずっと自分の人生は不幸で、自分はなんてつまらない人生を送ってるんだろう、悲しいと思ってたそうです。


でも今、ディングさんは引き続きそう考えてるかというと、そうではなく、
自分の人生は人より幸福が少ないかもしれない、でも私は今自分の人生を楽しいと、どんなことでも大丈夫、必ず大丈夫と捉えるようにできたことに感謝している。昔はそんな自分の人生を恥じていたけれども、今はとても誇りに思う。私はすごく幸せだと感じることができるようになったと言いました。


人の幸不幸は、その人の人生の状況が決めるのではなく、その人の「考え」そのものが決めるのだと私は親の会から教えてもらい、ディングちゃんの話から教えてもらい、そしてこのことに気づけるきっかけをくれた私の人生に深く感謝したい。


タイにいる間、一日一日が親の会で学んだ実践の場でした。
ある日とても疲れた時がありました。母にメールを送り、母からのアドバイスを待ちました。でも、親の会で学んだことを思い出しました。疲れたら、たくさん自分に優しくしたらいい、自分にごほうびを買ってあげたらいい。


疲れがたまった時は、今の自分をよくみつめたらいい、そうしたら、私自身があんなに疲れてたのに、こうやってタイにきて、たくさんの人に親切にしてもらい、感動をもらい、そしてこうやってタイにいることにとっても感謝することができました。 そんな風に考えると、暗く考えそうになっていた気持ちなんて気づいたら吹っ飛んでいました。


ひとつひとつを自分の力としてとらえ、自分のこととしてとらえ、人のいいことをどんどん盗む、親の会で習ったこれらひとつひとつが私の人生を豊かにしてくれた。


昨日一日旅の疲れをとって、今日は大好きな空港で働きました。今の私にとって、仕事も楽しくてたまらない。いろんな人と出会ってその人の人生を聞くことが楽しくてたまらない。
だけどそれも、いつも自分の時間、自分の人生、自分自身をしっかりと焦点を当てて考えることで、これからも大切にしていきます。


まだまだ人生には私の知らないことがたくさんある。
たくさんたくさん勉強することが山のようにある。そう考えると毎日楽しくてたまらない。
親の会を信じたら大丈夫、両親を信じたら大丈夫。父と母の言うことは間違いではなかった。
きちんと的を得ていたと日々感じる私の人生。


たくさんの出会い、たくさんの人たちの体験談が私を成長させてくれる。私に力をくれる。
大変だと思ってたときはその時点しか目に入らなかったけど、今親の会で学んだ意味がよくわかる。
人生は長い、そしておもしろい。
あんなに落ち込んでた時期もあったのに、今こうやって休む前以上の大きな力を、生きる力をもらえた私の人生。


心配しなくて大丈夫どころか、全然問題ないと心から今言える。


そんな私の人生。ああ素晴らしき人生。


タイ旅行の写真をUPしました。こうやってまたタイに行ける力を私にくれた皆様に感謝します。↓


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2005年7月発行ニュースより


引きこもってゆっくりと自分を見つめる時期があったから、今の私がある

内沢玲子


2月からアルバイトをし始め、いろんなことを体験できました。
初めはティッシュ配りをし、あんなに人を怖がっていた自分が笑顔でティッシュを配っていることに感動しました。


そのことがきっかけで、人の話も、嫌だと思っていたことも、聞く耳を持って聞いていくと違います。
私は、いいところはどんどん聞いて、どんどん吸収していこうと考えるようになりました。


次に、とっても親切な派遣会社に巡り合うことができ、ガソリンスタンドでカード募集の仕事をしました。
そこでは、店長さんが、ひとつひとつ素晴らしい言葉を私に毎日、毎日教えてくれ、ベテランの社員の方は、いかにお客様が大事か、どうやったらお客様にわかってもらえるかをとても丁寧に教えてくださいました。
最後に、「感動は次につながる」とおっしゃった店長さんの言葉にとても感動しました。


この頃から、私は母に
「感動したこと、気づいたこと、自分がその時、その時、感じたことを走り書きでもいいから、
メモしたらいい。それは将来にわたって自分自身の大きな財産になる」
と教えてもらい、感動したこと、気づいたこと等をメモするようになりました。
今私のメモ帳には、2月から書いてあるたくさんの感動がぎっしりと詰まっています。


次に私は鹿児島市の大きなデパートで働き、そこでは「反面教師」という形から、いかに自分がそれをやってはいけないか、自分がされて嫌なことは、人に対して決してやってはいけないということを勉強することができました。


そして、今現在働いている空港では、スタッフ全員から大きな信頼を得ている方と一緒に仕事をする機会に巡りあうことができました。その方から、仕事に対する「姿勢」、「考え方」をたくさん勉強させてもらうことができました。


そこで、笑顔を絶やさない方とも出会えました。
その方は、決して人の悪口を言うことはせず、それよりもむしろ、この人のこういう所は素晴らしいよね、と言って、そしていつも楽しい話で大きな声で笑います。
その方と一緒に話をすると、私はいつも元気をたくさんもらえます。
たくさん笑って、自分を大切にする人生を送ると、笑顔が自然に増え、人のことも大切にできるようになるということを、その方から教えていただきました。


そしてもう一つの仕事場では、接客のプロの方から、毎回、毎回、大事なことをたくさんたくさん教えていただいています。
ある日、その方が少し厳しく、私を叱ったことがありました。
以前の私だったら、どうして自分だけ叱られないといけないのかと感じて、落ち込んでいたと思います。


しかし今回、私の受け止め方は違っていました。
彼女は、私のことを本当の弟子として認めて、一生懸命に仕事に対する姿勢や考え方を教えてくれたのです。私はとても感動しました。
そのことがあって、私も中途半端ではなく、本気でお客様のために勉強をしないと恥ずかしいという気持ちになりました。


2月から仕事をさせていただき、一つ一つの仕事場で、多くの方々に出会い、その方々から、ここでは言い尽くせないほど大事なことを教えてもらいました。


6月頃から、タイで仕事をした方がいいのか、それとも日本で地に足をつけてから行った方がいいのかと、悩んで、悩んで、仕事も楽しくなくなったり、自分自身に対して不安や、自己否定がたくさんでてきて、落ち込んだ日々を過ごしていましたが、こうやって、自分の人生をまた見つめなおすと、私は多くの方々から助けてもらい、そしてどんな時も愛する家族が私を見守ってくれ、後は全て自分の気持ち次第なのだと思うことができるようになりました。


何度も何度も気持は行ったり来たりですが、着実に引きこもっていたあの頃からは想像もつかない程、私は成長してきたのだと強く感じます。


引きこもって、ゆっくりと自分自身を見つめなおすあの時期がなかったら、私は今こうやって、いろいろなことを新鮮に感じ、自分を成長させる糧として捉えてはいなかったでしょう。今こうして自分自身の幸せに気がついていなかったでしょう。


―――人生は、学歴とかまわりの評価じゃないということですね。
自分の人生が自分で納得できた時、自分の人生は素晴らしいな、そう思えるようになった時、自分のことが大好きだなって実感します。


それは大人でも子どもの立場でも同じじゃないかと思いますね。

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 2005年09月20日の掲示板のカキコより


みなさん幸せをいっぱいありがとう! 内沢玲子


makkoさん、とおるくん、まあさん、ぷりんさん、えりちゃん、ダスちゃんママ、みーたんさん、
親の会の世話人の木藤さん、渡辺さん、瀬戸山さん、川島さん、そして親の会の皆様、
素敵なメッセージとお手紙、そして私を心地よく送り出してくださるそのお気持ちに心から感謝します。
本当にありがとうございます。


来月10月3日より大好きなタイで就職が決まりました。
日本の物産をタイの方に紹介する私の大好きな仕事です。
明日、いよいよタイに向けて出発となりました。


私の気持ちはウキウキ、ワクワク 不安もあるけど、そんなことは今は考えない。
やったあああああああという気持ちで正直一杯です。


ゆっくりゆっくり休んでいた頃も、私はたくさんの幸せに囲まれていました。
今日はパンを作ろう、今日は○○を作ろう。今日は何して遊ぼうかな、今日はTVのエアロビクスしてみようかな。
ダスちゃんのお家に遊びに行こうかな。コナン君と何して遊ぼうかな。
世話人の皆さんが来てくださった時、私はバーテンダーになって皆さんにいろんな料理を出すのが楽しみでした。
日々の楽しさが、私にたくさんのパワーをくれました。


もちろん私にも、大きく自分を否定していたり(自分ではそれが自分を否定しているとは気づいてなかったけれども)、いろいろ荒れたこともそれはそれはたくさん、たくさんありました。
大波、小波になって、ざぶ〜んざぶ〜んと押し寄せました。


だけど、そういうことはもう忘れようと思います。
楽しい思い出を大切に、嫌なことは全て忘れて、楽しいことだけを考えるようにして生きていきます。
嫌なことを思い出しても、2度とその思いをしないように解決策を探すけれども、結局嫌な気持ちがよみがえって、 その時と同じ体験を2度することだと本に書いてあり、なるほど、そうだなと思って、楽しいことだけ考えるようにしました。
すると、今までの幸せ、ひとつひとつに気づいてきました。本当におもしろいですね。


考え方一つで、受け取り方ひとつで、少し今までと違った見方をするだけで、私の人生は大きく変わり、 私自身の中にも大きな希望が満ち溢れ、日々楽しく暮らそうと、そして結果、楽しく暮らしている私がいます。


そういったことをどこで教えてもらえるか、それはズバリ、「親の会」だと私は思います。


自分がもうわかった、理解したと感じたその「瞬間」から、
わからなくなるというのも大変興味深いことでした。
私がそういう気持ちになった途端、その時から、少しずつ、
私は「わからなく」なっていたことがありました。


常に、「新しい気持ち」で、「初心者として」親の会に行って、「人の話を自分の体験と重ねて聞く」、「自分に軸足を置く」。
この基本がぶれると、とたんに色々なことが見えなくなり、気づけることにも気づけなくなるんだなと感じました。
肝に銘じなければならないです。でも忘れたらまた思い出せばいいだけのことです。


親の会の世話人の皆様、親の会の皆様のお話、一人一人の体験談、
私自身の体験談をその時、その時で書き留めたことは、
私にとって私の人生の大きな「基礎」となりました。


この「基礎」を使って、自分のことをもっともっとこれからも大切にしていきます。


私が今一番ワクワクしていることは、タイでのお仕事や、大好きなタイに住むということももちろんですが、 自分の中にある自分を否定する気持ちと真っ向から戦って、その気持ちに負けず、 そして、自分のことをどれだけ大切にしていけるか、落ち込んだ時にたっぷりと、自分と一対一で向き合えることが一番楽しみなのです。


引きこもっている時も今現在も、私は常に大きな幸せに囲まれていた、このことに気づけたことだけでも、 私は十分幸せだと感じます。
これから、いろんなことがあると思います。
だけど、「心配しないで」、「毎日を楽しく」、「自分を否定しないで、自分を大切に」、そして親の会で習った数多くの基礎を糧に、 「初心に戻る」ことを決して忘れず(忘れたら、その時にまた思い出して)、私は私の人生をこれからも楽しんで生きます。


たくさんの方々から、たくさんのエネルギーを頂きました。一人一人のお気持ちが私に優しい気持ちを思い起こさせ、 私が気づかなかったことにたくさん気づかせてくださり、 どんな時も後ろ盾、基礎があるから大丈夫という気持ちを私にくださいました。


親の会の世話人の皆様、親の会の皆様、親の会以外のたくさんの方々、私の親友、大切な友人、
そして私に溢れんばかりの愛情を注いでくれた両親に心から感謝いたします。


皆様をタイでお迎えするその日まで そしてまた親の会でお会いしましょう!

2005年9月20日 内沢玲子

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2006年06月23日の掲示板のカキコより    


自分をみつめる・自分と対話の日々   内沢玲子


みなさん こんにちは 日本は寒いですか?

もう6月だから暑くなってきたと思います。


バンコクは毎日、毎日、34−36度以上で、
私は朝起きて、シャワーを浴びて、近くの高架鉄道の駅まで歩いたり、
バイクのタクシー(後ろにちょこんと座って、つれってくれる。ヘルメット無しの二人乗りが多い徒歩12分の距離で28円)に乗って、
駅に着いた時には汗びっしょりで薄化粧とシャワーを浴びた意味がなくなる日々を過ごしています。


おまけにアパートのエレベーターが壊れて、かれこれ10日間以上は過ぎています。
今日ようやく、家に帰るときに修理らしき物がみえました。
(各階のボタンの部分が外されている)
とってもタイ時間です。


私の住んでる所は8階にあるので、高い料金を払ってスポーツジムへ行かなくても、無理やり運動になります。


さて、今回は久しぶりに自分のことを書いてみることにしました。(いつもそうだけど)
タイで働き始めてから、9ヶ月ぐらい経ちました。
その間に、本当に数多くのことがありました。


嬉しいこと、喜んだこと、くやしくてたまらなかったこと、怒りに自分が振り回されたこと、
自信を喪失したこと、人に八つ当たりしたこと、励まされたこと、
知らない人や知り合いの人から元気をもらったこと、
何もかも忘れてラヨーンでたっぷりと癒されたこと、
どうすればいいかわからなくて困ったこと、


ちょっと(?たっぷり?)ずるしたこと、
さぼったこと、知らんぷりしたこと、格好つけたこと、
正直に勇気をだして言ってみたこと、
素直な気持ちで聞いてみたこと、
自分の考えを変えてみたこと、
自分の時間を大切にしたこと、
自分を大切にしてみたこと、自分をみつめてみたこと。


自分なりに考えてみたり、他人のアドバイスを聞いてみたり 、
ひとつひとつの出来事が、その時、その時で私自身に課題を与え、
それをひとつひとつクリアしていくごとに、
成長させてもらっている(と勝手に捉える)と感謝するのだ。


会社の社長とお世話になっている方がすばらしいことをおっしゃってくださった 。
「あなたは強い。どんなに困難であっても、たたかれても、倒れても、
前向きにまた立ち上がって歩いていく。大丈夫。
自信を持ちなさい。プラス思考だから大丈夫。」


それはどこからきたのだろうか。
確かに、私はすごく落込む。
何度、会社で、外で、夜寝るときに泣いただろうか。
悔しくて、 辛くて、だけど、その度ごとに、
そのひとつひとつの出来事が私にヒントをくれる。
成長させるパワーをくれるのだ。


答えははっきりとわかっているのだ。
それは、私に力を与えた3年間。
人が怖くてしょうがなかった3年間。
もう通常の生活はできないんだと悲観200%で、悲観することに忙しかった3年間。


親の会で一人一人の体験談を聞き、
そこから少しずつ自分のことと照らし合わせるようになって、
そこから自分のことを見つめる ようになってきた3年間。
自分を大切にすることがいかに重要で(今は仕事中心で大切にしてないけど)、
それを怠ることで、いろいろな弊害が自分におこってくると感じた3年間。


たっぷりとどん底までどっつぷり落込みの池に浸かって過ごした3年間。
何もしないという中で、じっくりと自分と自分が気づかない内に向き合っていたあの3年間。


それは、「引きこもり」の3年間。


私の人生で「引きこもり」の3年間がなければ、
私は、自分とじっくりここまで向き合うことはなかっただろう。
それによって、いろいろなことに気づけ、そこからパワーを得ることができなかっただろう。


どんなに困難なことでも、必ずいい方に導いていける自分からの力に気づけなかっただろう。
人の話を自分のことに照らし合わせることによって、
自分のことを客観的に落ちついてみることができ、
そのことで 問題解決の糸口がみつかるだなんて知りえなかっただろう。


マイナス思考200%だったからこそ、
プラス思考(と周りの人は言う)の今の自分がいるのだと感る。


親の会に大感謝。
我が両親に大感謝。
親の会の人々に大感謝。


きっかけはすべてそこからはじまったからだ。


明日もなにかあるだろう。
たくさん悩んで、たくさん成長して、たくさん楽しんで、たくさん美味しい物を食べるタイライフにしよう。
そう思うとまた、パワーが出てきて、ワクワクするのだ。


内沢玲子


HP管理人代理たっちゃんから一言。
玲子は2005年9月21日にタイに旅立ち、翌2006年11月1日に帰国。
鹿児島に4ヵ月半いて、その後上京し2007年3月16日から
洋酒販売の東京銀座店に勤務しています(住まいは、さいたま市南区)。


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2007年4月22日の掲示板カキコより                                     


首になりそうながらも楽しい毎日   内沢玲子


こんにちは 皆さん 首になりそうながらも楽しい毎日の私です。
お元気にしてますでしょうか。
今日、1時間しかインターネットにいられず、残り20分で何をしようか!
優先順位を決めて、親の会が栄えある第一位に選ばれ?投稿している次第です。


親の会の写真を見ました。けいすけくんが、素敵な歌をみなさんの前で歌ったんですね。
私もぜひとも聞いてみたかったです。
会報も読んでみて、とても暖かい気持ちになりました。
親の会の力は本当にすごいと思いました。


私は先月の16日から、東京の酒屋の銀座店に勤め始めました。
毎日、巨大な(注:大げさではなく本当に)失敗をするので、もう首になるだろう、
もうだめだろうという崖っぷち状態ですが、今日は奇跡的に!ミスなく、
先輩方にたくさん今日も「基本的なこと」を教えていただき、大満足の日でした。


これも困ったときに私の愚痴を聞いてくれる両親のおかげです。
両親からの膨大な借金を使用。親の会の世話人の方々から頂いた家電が大活躍。
とっても快適なかわいい、隣とぴったんこの4万円の家賃の所で私は今暮らしています。


5キロで1400円の安い米を買うと、だんごになって炊き上がるということを発見しましたが、
世話人の川島さんがお酒をいれると少しはましになると教えてくださったので、
なぜかウィスキーを入れると、本当においしくなりました。


毎日お弁当作って、朝も夜もおうちで食べている生活です。
仕事はミスばかりで、周りはあきれて、私も自分にこんなにひどい状態だったとは知らなかった!と
自分で自分に毎日ビックリです。


でも自分で自分の高めたい所を勉強させてもらえてるという感じがします。それは、

1 きれいな日本語を(また中国人と間違われました。)
2 算数ができるように(数学ではなく算数です。)
3 基本的な社会常識を(今までどんな風に生きてきたのといわれました。こんな風にです。)

の3点が大きな点です。


毎日が大変だけれども、とっても楽しいです。
それは困ったときに、夜中にもう首になる前に自分からやめようと電話した時も
励ましてくれた両親のおかげです。
私がオプティミストといわれて、素直といわれて(これでも)、正直だといわれて、
頑張っているとこんな多大なミスをしながらも(しつこいようですが、本当にかなり大きい連続ミス)
皆さんが助けてくれるのは、両親と親の会、みなさん、一人一人のおかげなのです。


たまに大切なことを忘れてしまいますが、また両親と話して思い出し、
親の会の会報を読むことで自分がひきこもりだったときのことを思い出し、
みなさんのお話から私はまた多くのことを教えてもらえます。


とてもラッキーな星の下に私たちはいますね。
ちゃんちゃん。


内沢玲子

No.165 - 2007/04/22(Sun) 22:44:26

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2007年5月19日の掲示板カキコより                                 


ラーメン屋のおじさんの言葉   内沢玲子


こんばんわ 皆さん いかがお過ごしですか。
私は首になりそうな危機を乗り越え、なんとかやっていけそうと感じたのもつかの間、
また巨大な危機が訪れ、非常に危ない状態です。


先日、知り合いの方と話をしている時に、私が「首になりそうな危機を感じながら
仕事をしている」と言ったところ、「そういう意識をもって仕事に取り組むって素晴らしいね」と
言われましたが、そういう風な意識を持って仕事をしているのではなく、
「本当に危機的な状態」なのです。


具体的な例を皆さんにお話しましょう。
「ド」不器用な私は、包装に非常に時間がかかり、尚且つ失敗します。
時たま、意識が飛ぶ私は、レジのお金を間違えます。
字を書くことなんてあまりなかった私は、筆ペンでのしを書こうと思っても、
汚くて小学生の子に書いてもらったほうがまだましな状態です。


年齢は28歳といい年ですが、社会人となって(日本で)間もなく、
一般教養はもちろん初めからなく、日本語を間違えて使ったりします。
もうすでに、「初めてだから」、「まだ初心者だから」という域を越えました。
周りの視線は冷たいです。


さて、そんな私は、家の近くの駅(ちなみに「南浦和」駅という「さいたま市」にある駅です。)の
ラーメンの屋台のおじさんと仲良くなりました。
おじさんの言うことは非常におくが深いので、
母のリクエストに答えて、掲示板に投稿することにします。


おじさんは、ダメダメな私にも、笑いながら「そんなことないでしょ、
そんなにひどくはないでしょ」と言ってくれますが、
本当にひどい状態だとはおじさんも露知らず・・・


おじさんは色々なお客さんを見ていると、「みんな同じ」だと言いました。
仕事や環境、状態は違うけれども、一人一人みんな同じ
じゃがいもを洗うときはじゃがいも同士ぶつかりあって、きれいになる
ダイヤモンドを磨く時は同じダイヤモンドとぶつかり合って輝く
人も同じこと


周りの環境・仕事・状態のせいにしている内は、決して気がつかない
そして、気がつかない人がほとんどだと


私が色々な人と会って、だけど結局は自分だねと、
「自分の物事に対する捉え方だね」という話をおじさんとさせていただいた所、
気がついているだけでもすごいとほめてくださいました。


ラーメン屋の屋台のおじさんとして、いろいろな方たちの話を聞いていると、
大体パターンが決まっていて、
上司や同僚、後輩の愚痴、仕事の愚痴になるそうですが、
おじさんは心の中で、問題は周りじゃなく、
そのことを問題だと捉えているあなた自身だよと思うそうです。


そして、それが言ってわかる人には言うけれども、
ほとんどはわからないので、ああ、そうと笑って聞いてあげるそうです。


私はこんなにも仕事で、信頼を失っていますが、
仕事に対して、人に対して、勉強させてもらっていると感じることができるのは、
やはり、引きこもった時、親の会で人の話を聞くことで、
自分のことを客観的に見ることの大切さを教えてもらい、
そこから「何事もすべて、自分自身の捉え方・考え方次第で
良くも悪くもなる」ということを知ることができたからだと思いました。
そして、本当にこれを知っているということは、強い!と思いました。


そんならっきいな星の下に生まれたので、
明日も元気にお弁当を作って仕事に向かおうと思います。


私は本当に親の会に行ってらっしゃる皆さんはすごいと思います。
そして、皆さんお一人お一人のお話が私に会報を通じて、
またものすごい力をくださるのです。


明日は親の会ですね。
皆様のお話を楽しみに仕事を首にならないように
新しい会報が届くのをお待ちしております。


内沢玲子


P.S 町田さん、えりちゃん、書き込みありがとうございます。
   町田さんの知り合いの方の話を、レジでミスをするたびに思い返します。
   えりちゃんのお客様から逆に信頼されたという話が非常に印象的でした。
   お二人ともありがとうございます。


P.S 2 あいみちゃんの舞台見てみたかったです。
   とってもきれいな写真も載っていて、うらやましい。
   私もディズニーランドに行ける日を夢見て。


No.181 - 2007/05/19(Sat) 21:09:19

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2007年7月29日の掲示板カキコより                                 


できない自分も認めてあげる   内沢玲子


皆さんこんにちは いかがお過ごしですか。
今日はお休みの日、昨日は母の言葉を借りると「ごろんごろん」一日中していたので
さあ!2時から埼玉の浦和に遊びに行ってみよう!(私は浦和のひとつ隣の駅近くに住んでいます。)と思ったとたんに土砂降りの雨が降ってきました。


気を取り直して掲示板に書き込みをすることにしました。


今週1週間も怒涛の一週間でした。
先輩が「内沢さん、私は生まれ変わる、仕事をがんばる宣言をしてから2ヶ月以上もう経っているけど、いつ生まれ変わるの?」と突っ込みをいれられる程の仕事の能力を持った私ですが、今週も私なりに、できないなりにがんばった一週間でした。


包装がややうまくできる様になった私ですが、気を抜くと
(気を抜いているつもりは自分ではないですが。。。)
包装がすこぶる汚くなってしまいます。指が動かないのです。
相変わらず、筆ペンで上手に字が書けず、おまけに字を書き間違え、
お客様に汚すぎると返品され「これじゃ持っていけない」と言われ)、
私は筆ペン禁止令が出ております。大変です。


商品は少しずつ、何がどこにあるか覚えておりますが、
先日お客様にゼリーはありますか?と聞かれ、自信満々に「無いです」と言ったら、
ありまして、先輩に大目玉をくらいました。


毎回、失敗ばかり、毎日、毎日怒られてばかりの私ですが、
怒られる程、がんばるぞという気持ちがまたわいてくるので不思議です。
それは、行きつけのラーメン屋台で出会う色々な方たちのお話がとても役に立っていることが大きいかもしれません。


死んだような顔つきで行った時に、色々話をしてくださった人生経験豊富な人生の先輩方は私に色々なことを教えてくださいます。


毎回、毎回が勉強、修行の日々ですが、できない自分も認めてあげて、自分のペースでやっていこうと考えています。
今日は気分を変えて浦和デイと思ったら、突然の雨。筆ペンを練習しろと言われてるような気がしないでもありません。

それでは皆さんごきげんよう!

内沢玲子


No.256 - 2007/07/29(Sun) 14:29:05

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HP内の文章は私(reiko)と内沢朋子で編集しました。←2005年9月までです。その後は代理が・・・





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Last updated: 2007.9.4
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