登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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15周年記念誌 登校拒否もひきこもりも明るい話
新聞記事

2004年11月9日付けの南日本新聞 南風録に 
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)15周年記念誌
 登校拒否もひきこもりも明るい話

が掲載されました。


南風録 2004年11月9日


 先月、福井県で開かれたPTA研究大会で副知事が、児童・生徒を工業製品に例えながら不登校児を「不良品」と表現した。批判を浴びて「言葉足らずだった」と謝罪はしたが。



 学校になじめなくても人生を自分の力で切り開いている若者は多い。「私は学校が好きだった」と言う江川紹子さんの「私たちも不登校だった」(文春新書)は、不登校を体験した男女8人を追跡し、リポートする。



 旅の知識を生かして旅行代理店に勤める営業マン、猛勉強で2級建築士になった大工さん。江川さんは「生きる力とは一人ひとりの『夢=やりたいこと』であり、それを見つけたり持ち続ける力では」と結ぶ。



 鹿児島市の「登校拒否を考える親・市民の会」が発足15周年の記念誌を出した。44人の父親、母親らがそれぞれの家庭の体験や生き方を、あふれる家族愛で振り返っている。



 わが子が学校へ行けなくなった日のこと。オロオロするばかりの自分。親子のすさまじいまでの闘い。夫婦間の葛藤(かっとう)。悩み苦しむなかで、人生の意味を考える姿−などが赤裸々につづられる。親たちがわが子によって「成長」していく道のりが印象的だ。



 3家族で始まった組織はいま、100家族を超す。記念誌の掲載写真に笑顔がはじける。表題も「登校拒否もひきこもりも明るい話」である。世話人代表の内沢朋子さんは「いずれも涙を流した後の表情。今は楽しいから」と屈託がない。




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Last updated: 2004.11.10
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