登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2012年11月例会より


目次


1 くも膜下出血からの「生還」おめでとう!   永田俊子さん

2 93歳の叔母の介護    なぎささん

3 夫に話す  Mさん

4 誰よりも自分自身のために   内沢 達

5 「不登校」に理由はいらないのね    みーやさん

6 夫とのなにげない会話、毎日が楽しい    じぇりさん





くも膜下出血からの「生還」おめでとう!   永田俊子さん



―――長い人生のなかで何があるか分からないものです。永田さん、ほんとによかったですね。(皆さんから大きな拍手!)大変でしたね。


9月25日に頭痛がして下痢・嘔吐があり、近くの内科で吐き止め下痢止めの薬と点滴で3日目ぐらいまで静かに過ごしました。4日目にちょっと元気になったものですから、自分で運転して近くの脳外科に行ったんです。何ともないですよ、と言ってもらいたくて。

そしたら、「出血があるので、このまま厚地脳外科に行きましょう」と言われ、救急車で入院しました。出血があるけど場所がわからないので、2週間ICUでジーっとしていました。最初の1週間は脳を休めるために、点滴に意識がトロトロなる薬だったんでしょう、でも「ご飯です」と言われると起きて食べる、家族が来るとしゃべるぐらいはしていました。その時のことはあまり覚えていないんですけど、家族が来たら「回覧板はまわしてね」とか「明日は生ゴミの日だよ」と言っていて(笑)、夫が「お母さんは寝ていても司令塔だよ」(笑)と言っていたというのを後から聞きました。

2週間後、検査があって「まあ、いいでしょう」ということで一般病棟に移り、10日間じっとして過ごし、その後CTやMRIを再度撮って、血管からにじみ出る出血で、ここだったんじゃないかなという感じではっきりした箇所はわからないですが、おかげさまで手術もしないで退院となりました。ラッキーだったと思います。疲れていたので、休みなさいと言う体からの警告だったと思っています。

原因はわからないと言われましたが、私ぐらいの年齢の人が一番多いですよと言われました。50歳を過ぎたら、あまり無理をしたらいけないなと思います。退院して帰ってきて、夜どこか痛みがあったりすると、また繰り返すんじゃないかと怖いです。睡眠導入剤が離せなくなり、それで今は寝ています。


―――入院しているとき、息子さんが毎日二回来てくれたのね。


そうです。ICUにいるときは面会時間が決まっていて、朝と夕二回必ず来て、そんな長い時間いるわけじゃないんですけど顔を見せてくれました。退院して家に帰ったら、近所の人が「大変でしたね。息子さんがすごく頑張っていましたよ」と言ってくださって(笑)、洗濯物を干したり、塵だしするところを見ていたんでしょうね。

私が入院中に、息子は専門学校の面接や試験があったんです。私は意識がトロトロしながらのときで、「あんた、行きなさいよ」と言ったみたいなんです(笑)。来年4月から、その専門学校に行くようになりました。


―――今はお仕事もお休みして、家でゆっくりしていらっしゃるのね。


はい、私は毎日行っていた母のところも休んでいて、姉が行っています。母はデイサービスには行っていたんですが、ヘルパーさんが来るのは嫌がって受けていなかったんです。でも、今度のことがきっかけになって、母は「私も甘えられないね」と言って、週2回ヘルパーさんに来てもらうようになりました。私は3姉妹なんですけど、一番上の姉は宮崎にいて、その姉も帰ってきてくれたりして、「3人産んでくれていてよかった」と母に感謝しました。(笑)


―――大阪にいる娘さんも、毎週帰ってきてくれたのね。皆で支えあって、あなたはお幸せね。


はい、ありがたかったです。皆さんにお会いできてほんとに嬉しいです。命があればこそです。(拍手)


(後の休憩時間に、親の会から退院祝いの花籠をプレゼント。皆さんと記念写真を撮りました)






93歳の叔母の介護     なぎささん



私が看ている93歳になる独身の叔母は、以前から、「ヘルパーは来なくていい、デイサービスは行かない、施設にも行かない」と言っていたんです。2年前のお正月前からショートステイに行くようになって、そのままグループホームに入って過ごしていました。
その叔母がここ1ヶ月の間に2回ぐらい転んで、CTをと言われたんですが断ったんです。その後肺に水が溜まって酸素吸入を受けるようになって、でも、叔母はそれが苦しくて、いらないと暴れて外すんです。酸素が足りないと意識が落ちて、酸素を入れると元気になってまた外す、を繰り返して、とうとう入院し鼻腔栄養になり拘束されてしまいました。

叔母は元気なときに、そんなことはしてくれるなと言っていたので、そのことを先生に伝えたんですが、「明らかに肺に水が溜まっているのに薬も使わない、処置もしないというわけにはいかない」と言われました。私は「苦しくないようにしてください」ということだけ伝え、先生もわかってくださいました。私は毎日行って、叔母の手を拘束からはずして1時間ぐらい握って過ごして帰ります。最近は元気になってきたんです。私が行くとニコッとして、しゃべれないんですが、私の話はわかるみたいで時々声を出しています。ほんとに穏やかになって手の拘束もミトンに変わりました。「苦しいところや痛いところがある?」と聞くと、「ない」と言うのでよかったと思います。

最初、鼻注や拘束と聞いたときは、叔母の命が今日明日じゃないかと思い、最後にそんな苦しい思いをさせては・・と、さすがに「可哀想だな」と落ち込みました。でも今は自分が出来ることをやっています。ちょっと残念だったのは11月23,24日に旅行を考えていたんですが、それをキャンセルしたことです(笑)。でも今は元気になっているのでいいですね。私も慌てて不安になりましたけど、ひとつひとつやっていけば、なるようになっていくんだなと思いました。(―――ほんとに自分のお母さん、お姑さん、叔母さんの3人も看てね、ご苦労様、次は私を看てね)(笑)






夫に話す   Mさん



東京のアパ―トでひとりで暮らしている息子が「死ぬ、死ぬ」と言っていることを、夫に相談できずにずっとひとりで悩んできました。先月の親の会で、いろんなヒントやアドバイスをいただき、私はどうしたいのかとずっと考えて、やっぱり、夫にきちんと事実を話すべきだと決めました。

11月初めに夫の単身赴任先の京都へ行きましたが、やっぱり「お父さんには言わないで」という息子との約束がネックになって、夫に話すことができずそのまま帰ってきました。

その翌日、夫が電話で息子のこと、「本当のことが知りたい、本当のことを知った上で自分達にできることは何か考えたい」と一歩も引かずに言うものですから、もうこれ以上だまっている訳にはいかず、息子が1年半前に大学を辞めたことやアパートや自宅の部屋の自分の物をすべて捨てて、死ぬと言っていることをようやく打ち明けました。

夫は私を責める訳でもなく、黙って聞いていました。6時間くらい話し込んだ最後の明け方に言ったのでとても疲れました。こんなことならもっと早く話しておけばよかったと思いました。


―――あなたのお気持ちはどうなりましたか?


すごく楽になりました。離婚もする覚悟で話したら、黙って聞いてくれて、「また三人で一緒に暮らしたい」と言ってくれました。私も一緒に息子を支えてほしいとお願いしました。夫もびっくりしたと思います。

翌日、夫は電話で、「息子に会いたいなあ」「ひとりで大学を辞めると決めて、ひとりで辛い思いをしてたんだなあ。息子に謝りたい」と言ってくれて、私はすごく嬉しくて、「ありがとう」と言いました。私は頭の中でぐるぐる考えて悩んでいたけど、夫が強く聞いてくれてかえってよかったと思いました。


―――先月、私は、あなたの夫はあなたのことを怒鳴ったり、頭ごなしに叱ったりしないでしょう、と言いましたね。


はい。それは最近のことですね。以前の夫は、こんなになったのはお前の育て方のせいだと言って私を責めていましたから。


―――以前頭ごなしにワァ―と言ったのは、自分の不安をあなたに吐き出していただけなんですね。(ああ、そうなんですか。夫も不安だったんですね)不安のまっさい中の時には、自分の不安から子どもをなんとかしようと思ってきたことが、結果的には子どもを追い詰めてここまできたんだと、あなたの夫はわかって、息子さんに謝りたいと言われたんですね。


夫からその言葉が出た時は、私もびっくりしました。「謝って」とは、私は言っていないのに、そういう言葉がでたものですから。


―――お話は皆さんに共通する大切なことです。あなたの夫に資料を送って、親の会に参加していると言ってほしいと思います。あなたの夫を信じ、息子さんを信じ、娘さんを信じる無条件の愛情こそが家族を救うんですね。(「10月例会皆さんのお話」3ページを紹介)


今回、はじめて親の会に参加していることを夫に話せました。今までは頭ごなしに大きな声を出すので、それが怖くて息子のことも正直に言えなかったんですが、よく話を聞いてくれて、本当に正直に話せてよかったです。あんなに堂々めぐりで苦しみ、悩んだのがおかしいくらいです。


―――お気持ちが楽になって、とってもよかったですね。大きな前進ですね。親の会に参加されていなかったら、まだ夫には話せてないでしょうね。息子さんにも正直に、お父さん、お母さんはこう思うと自分の本当のお気持ちを話すことです、一人称でね。親子の関係って必ずうまくいくんですから。


はい、そうだと思います。夫に言えなかっただけでなく、息子の命もどうなっていたかわかりません。本当にありがとうございます。






誰よりも自分自身のために   内沢 達



ホームページをご覧の方はご存じと思います。僕は久しぶりにメインの掲示板に書き込みをしました。「10月例会の記録(みなさんのお話)がすばらしいので楽しみにしてください」「僕も加筆してすごく大事で、かつ簡単なことを述べています」と。

Mさんのことだったのですが、僕は妙子さんのことも意識しながら話をして書きました。もちろんベースは僕らみんなに共通することです。「子どものために」と考えるのではなく、「子どもの立場で」考えることが大事です。「ために」と考えたいのなら、「子どものために」ではなく「自分のために」と考えたらいいんです。

鹿児島の親の会の一番の実績や教訓は、「僕らが自分を大切にするようになったら、誰よりもかれよりも自分自身を一番大切にするようになったら、気がつくと、自分だけでなく、まわりもよくなってきていた」ということにあります。そうではなく、反対に自分はどうなってもいいから「この子だけは」「この子のために」と思ってやっているときは、うまくいかないどころか悪くなる一方でした。

相田みつをさんの書(「そのままでいいがな」)のプリント裏面に『自分を好きになる本』(パット・パルマ―著、径書房、1991年初版、2012年6月に新版、1260円)のなかから「もっと自由に!」と題した短文を紹介しています。


「・・・しなきゃいけない」とか
「・・・でなくちゃいけない」なんてことはない。
あなたのやりたいことが大切。
あなたのためにも、みんなのためにも。


「あなた」を「自分」に置き換えたらいいと思います。
「親だから」「子どもだから」「受験生だから」「○○歳だから」「教師だから」・・・、「・・・しなきゃ」「・・・でなくちゃ」と考えがちですが、じつはそれらはほとんどの場合思い込みにすぎません。「そうでなきゃダメだ」なんてことはそうあることではありません。

人間、じつは誰しも自由で、自己自身の主人です。自分のありようを自分自身の意思で選ぶことができます。ですから、自分の気持ちや自分がやりたいことを一番大切にする。そうすることが自分のためになるだけでなく、本当のところみんなのためになります。

僕は、教育学の教員です。学者も教師も、みなさん「教育はむずかしい」と言います。僕に言わせるとそれは考え違いです。親子の関係であれ、教師と生徒の関係であれ、「人が人を変えようとする」から、むずかしくなるのです。自分が子どもや生徒の立場だったらどうなのか。そもそも人から自分が「変えられる」なんて誰だっていやなことではありませんか。自分がいやなことは他人だって嫌なのですから、してはいけないでしょう。

絵本作家の五味太郎さんは「子どもたちをどう育てるか、どう導くかなんて考えないで、いっしょに暮らせばいいんだ」と言っています(緑色の冊子169ページ)。他に害をおよぼすものでなければ、子どものどんな状態も認めて尊重する。そうした子どもをどうするかではなく、子ども達といっしょに気持ちよく暮らし、過ごすことを考えたらいいんです。それはむずかしいことではありません。

Mさんがおつれあいさんに自分の思いを隠さず話して、わかってもらったことはとてもよかったですね。ただ、言葉尻を捉えるようですが、おつれあいさんに、息子さんを「私といっしょになって、支えて欲しい」とお願いしたことは、注意してください。普通の見方だと「夫婦(両親)が協力して子どもを支える」とはとてもいいことなのですが、鹿児島の親の会の教訓では必ずしもそうはなりません。

「子どもを支える」。これは意識的であれ、無意識的であれ、子どもの状態を否定的に見ているから、生まれる発想です。子どもの状態がよくないと思っているので、「支え」が必要、しかも母親一人よりは父親も、両親いっしょがいいと、普通、みなさん思われるのです。それは、子どもから見て、一面ありがたいことであっても(「お母さんだけでなくお父さんもわかってくれた」など)、もう一面では辛いことでもあるんです(「お母さんだけでなく、お父さんにも心配をかけてしまった」など)。

子どものことで親が一生懸命になっていいことはまずない、と言ってもいいくらいです。親は自分自身のことに一生懸命になったらいい。Mさんのところの新しい展開では、おつれあいさんが高校時代のことなどで息子さんに「謝りたい」とのことです。それは大変な前進です。でも、そうしたことも自分自身のこととしてやらないとおかしくなります。「謝罪」で何かを期待するようではだめです。緑色の冊子174ページからの「親は子どもに謝って、“ありがとう”と言えるか」を是非参考にしてください。

わが子に謝罪の言葉だけでなく、「ありがとう」とまで言うのは、新しく自分自身の発見や自己肯定があってこそ可能なことです。「支える」のであれば、子どもではなく、自分自身を「支える」ことに一生懸命になってはいかがでしょうか。僕らは、不登校や引きこもりのわが子のおかげで、自分を大切にするようになったので、「ありがとう」と言えるのです。

息子さんは辛くないわけありません。まだまだ辛いことでしょう。でも、それは親であれ誰であれ、他者がどうこうできないことです。時間がかかっても息子さんが自身の力で必ず道を切り開いていきます。

相田みつをさんの一番のベストセラーは『にんげんだもの』です。単独の書としては「にんげんだもの」だけのものもありますが、『にんげんだもの』のなかでは「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」です。人間だったら、誰しもつまづきます。つまづかない人なんかいません。僕は多くの人が、不登校や引きこもりを否定的に見ないで、「わが子も“順調に”つまづいているな〜」と捉えられるようになったらいいと思っています。「つまづき」は嘆くようなことではありません。つまづかなかったら得られなかったものをそこから得ていけばいいんだと思います。

だから、僕らはもし一生懸命になるのであれば、自分自身のことに一生懸命になればいい。そして、僕らがますます楽しく元気に幸せになっていく。それが子どもたちへの一番の、本当の応援です。すごく大事で、かつ簡単なことではありませんか。是非、参考にしてください。






「不登校」に理由はいらないのね    みーやさん



10月の親の会が終わってから、小5の次男が学校に行きたくないと言い始めました。その前から、魔法少女まどか☆マギカというかわいい女の子が闘うアニメが好きになって、土、日にかけてDVDを6本くらい借りて見たんです。翌週の火曜日くらいから、朝、「モヤモヤする」と言い始め、聞いても本人もわからないと言いました。「学校に行っても魔法少女マギカのことばっかり考えていて集中できない」と言うので、もしかしたらアニメの世界に恋をしたかなというくらいに考えていたんです(笑)。その日は学校に行きました。

水曜日の朝は「お腹が痛い、モヤモヤする」と言いました。実はその前の週の火曜日に、学校でおもらしをして汚した衣類を袋に入れて持って帰って来たんです。でもそのまま学校には行っていて、そのことを気にしているのかなと思いました。その日は休ませました。その日は兄とふたりで1日ゲ―ムとDVD見放題で、兄が「あれは病気じゃない」と言いました。

木曜日も朝、「やっぱりモヤモヤする」と言うんです。私はこれはさぼりだなと思って、だんだん不安になったんですが、お兄ちゃんの手前もあるし、「じゃあ行かなくていい」と言いました。金曜日は行くだろうと思っていたら、「今日だけは休ませてくれ」と言うんですね(笑)。さすがに私も親の会のことも吹っ飛んで(笑)、これは本格的に不登校の始まりかと思ったんですが、「じゃあ、もういい」と言って休ませました。

金曜日の夜に担任に電話をして、先週の火曜日のことがうわさになっていないか聞いたら、なんと担任は知らなくて、後始末をしてくれたのはお友達だったんです。先生には「もしかしてそれでいじめがあったかもしれないので、調べてください」とお願いしました。

月曜日から次男は学校に行き始め、続けて行っています。それでも私は理由が知りたくて、予約していた教育相談の日に担任と話しました。担任は「あれからいろいろ調べましたが、いじめもなく楽しく過ごしています」と言いました。次男は小4まで何も問題がなくすごく優しい子だったんです。でも5年になってから、いろいろ自分の気持ちも言うようになって、私はよかったなと思っていたんですね。

放送部に入っていて、放課後放送をするんですが、その後学校に残って遊んでいたら放送部の先生にすごく怒られたそうです。このことを月1回の放送委員会の時に言います、と先生に言われたらしく、金曜日がその日だったんです。やっぱり子どもながらに考えていたんだなと思いました。兄のこともあって、「行きなさい」とは一言も言えませんでした。

逆に今心配しているのは、よく子どもと向き合うと変化が良くわかります。今までは仕事にかまけて、子どものことをよく見ていなかったと思うんです。今回、兄にばっかり関心がいっていて、弟はほったらかしていても大丈夫と思っていたんですけど、土日にあんなに朝から晩まで遊びに行っていたのが行かなくなっていたんですね。平日も7時くらいまで遊びに行っていたのが家にいたんです。その理由はわからないままですけれど、口は出さなくてもちゃんと見ておくべきだったなと反省しました。

10日くらい前から次男が毎日の生活表を作って、決めた通りにやっていたんです。その方が心配になったんですが、今は前のゲ―ム三昧に戻ったのでちょっと安心しました。


―――(内沢達):トモちゃんがよく言う台詞を借りると「分析しない」ことが大事です。大した変化じゃないのにちょっとしたことがあると「あれ、どうしたのかな〜?」と分析しがちです。けれど「分析」は意味ないどころか、するとほとんどの場合マイナスです。


毎日元気に学校に通っている子に「君はどうして学校に行くの?」と聞くことは誰でもおかしいと思うでしょう。じつは、それと同じで、学校に行かない子に「どうしてなの? なにか理由があるの?」と聞くのはおかしいんです。人間の行為は何でもかでも「理由」がないといけないわけじゃありません。

たとえば彼(彼女)のことが好きになった。「どうして好きになったの?」の問いに、「やさしい」とか、「かわいい」とか、「かっこいい」とか、「理由」らしいものをあげる場合がありますが、たとえば「やさしい」のは特定の「彼(彼女)」にかぎりませんので、それは「理由」にならないんです。というよりも、人がひとを好きになるのに理由はいらない、「好きになった」という気持ちや事実が大事なんです。

学校に行きたくないのも同じです。その気持ちが大事で理由なんかいりません。



(その日のみーやさんから親の会宛のメールを紹介します)

今日の親の会で、達さんが言われた「学校に行くことに理由を問わないように、行かないことにも理由を求めない」とのお話は、目からうろこでした。

私は長男が学校に行かなくなったことについて、最初から諦めがついたのは、自分で勝手に理由みたいなものを作り上げ、「だから仕方ないのよ」みたいな無理やり思い込もうとしていたのかもしれません。
長男は今まで充分に頑張って、頑張って、頑張り過ぎて、エネルギーが尽きて、動けなくなったんだ、と。

でも弟は特別に頑張って、頑張って、頑張った、ということはないから、何で学校に行かない理由はどこにもないじゃないかって、心の中で兄とは違い、納得できない、許せない部分がありました。

理由なんてどうでも いいし、行こうが行くまいが重要なことではないのに、私はやっばり行かないことの理由を求めていました。

昼のランチで、パンにするかご飯にするか、その日の気分で決めるのと同じくらいに、学校に行く、行かないも考えられるようになりたいです。
子どもがどんな道を選んでも、法に触れない限りは、いつも信じてデーンと構えられる強い親になりたいです。






夫とのなにげない会話、毎日が楽しい    じぇりさん



乳癌の手術をして2年経ちました。痛みがあると再発しているんじゃないか、という不安は常にありますね。検診に行けばわかるんですが、怖いので・・・。2ヶ月前の検診では大丈夫と言われました。痛みはあると言われていますし、症状が良くなるというよりもじわじわと時間をかけてと出てきて続く人もいるし、先日も一緒に入院していた4人で集まって食事をしたんですが、まだしびれがあるとか、痛みがあると話していました。

プ―ルの仕事は今人手が足りなくて、月曜から土曜日まで、ずっと毎日夜まで働いています。今月は40時間超えていました。プールに入るのは3時間で、受付や電話、後片付けなどをしています。ほんとにすごく楽しいんです。昨日も夫に、時間が遅くなっても苦ではないし、すごく楽しいと話しました。

仕事は10時までなんですが、それからイオンに買い出しに行って、駐車場で実家の母や妹達に電話をすると11時半くらいになっていたりするんです。昨日も1時間半くらいしゃべったので、夕食は夜中の12時40分くらいでした。夫と次男に、私達こんな生活しているよね〜と言って、楽しいですね。

今日着てきたジャンバースカートは母が縫ってくれたものです。3番目の妹が買った服を母が型紙を起こして、姉妹に縫ってくれました。布地を送ったら、母は自分の分も作って。一昨日、妹と会って、送ってきた服をどれにすると言ったり、洋服を一緒に買いに行ったり、電話で話したり、そういうことがすごくいいですね。母にも、妹達にも感謝ですし、今一緒に暮らしている家族にも、職場の人にも、もちろん親の会にも感謝の気持ちでいっぱいです。

私は今おしゃれすることが好きです。職場は家から5分くらいで、すぐに水着に着替えるのであまりかまわなかったんですが、娘が「それだけでも違うと思うよ」と言って、それからおしゃれをして行くようになりました。やっぱり気持ちが違うんですよね。家に帰ると、私はその恰好で夫が帰って来るのを待っています。夫に見てもらい、感想を言ってもらって、くるっとまわって点数もつけてもらったりしています(笑)。夫はセンスがいいので、いろいろアドバイスをもらっています。毎日そういう生活があるので、夫との生活が楽しいなあと思います。


―――それはとってもいいですね。本当におしゃれすることはそういうふうに気持ちがわくわくしてきて、大事ですね。


今、達さんから原因を探さないという話がありましたが、このワンピースの事でちょっとしたことがありました。私は、こうだからじゃない、ああだからじゃないと夫に話をするんです。昔だったらそういう話にはならなかったんですが、夫が私の話に耳を傾けて、同じようなことを言ったんですね。「ふたりで話をするとちょうどいい所に落し所を見つけてこうだからじゃないと結論を出したいだけで、本当に本人がそうしたいのか、本当のところはわからないんだから、そうするのはそうしたいからだよ、で終わったらいいんだよ」という話をして終わったんです。そういう話もできるようになって楽しいです。夫に「あなたが休まず働いてくれるので洋服も買える、ありがとう」と言いました。


―――くるっとまわって見てもらう、楽しいご夫婦の様子がとても嬉しいです。「夫は私に無関心だ」と言っていた以前とぜんぜん違いますね。毎日楽しく暮らす、するとどんどん愛情も深くなっていくんですね。



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最終更新: 2013.2.2
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