「友だち」はいなくても大丈夫! 永田俊子さん 9月初めに落雷があって、外出から帰ってきたら、テレビが映りませんでした。DVDプレーヤー、食洗機、電話やインターフォンも壊れていました。大きな出費でしたが、火事にもならず、誰もケガしないでよかったと思っています。夫と「今年はよく当たるね」と話しました。北海道旅行券も当たりましたが、7月に夫はタクシーの運転業務中、信号待ちをしている時に2回続けて後ろからあてられたんです。 息子は今月22歳になりました。8月に高認試験を受けて合格しました。来年は鹿児島の情報処理関係の専門学校に行きたいと、オープンキャンパスにも自分で参加しました。願書も書いて送る準備をしています。 私が息子に「友達はどう?」と聞くと、「友達はできない」と言うので、「じゃあ、自分から話しかけてみたら」と余計なことを言ってしまい反省しています(笑)。息子は「人との付きあい方も忘れた」と、今はひとりでいいんだそうです。 ―――あなたはお友達がたくさんいるの? いません。親の会の皆さんが大事な仲間です。(笑) ―――以前、近所の方から「息子さんはどうしているの?」と聞かれるのが嫌で、遠くのスーパーに行っていると言われていましたよね。 今もそうです。心地よいところにだけ行きますものね。(笑) ―――息子さんはまさしくそうしているんですね。友達は努力して作る必要もないし、いなくたってちっとも構わない。大事なことは自分が主人公の人生を送っていることですよね。 不登校している息子が元気がないと不安・・・ Tさん(母) 中3の次男ですが、上ふたりの姉兄が不登校になった5年前から、遅刻をしたり、休んだりしながら学校に行っていました。 中2になって週に1回休むようになって、でも次の日はけろっとして行っていました。その日は決まって水曜日で部活のサッカーが休みの日で、サッカーがしたいから学校に行っていたんだと思います。朝練習も張り切って行っていました。 3年になっても同じペースでした。夏休みはずっと部活で、合宿や試合を思いっきり楽しみ、8月の終わりに部活を引退しました。そうしたら2学期の始業式の日は行けなくて、次の日からは行きましたが、今週は月曜日からずっと休んでいます。準備はするんですが玄関から出られません。熱があった時は、本人もすっきりした感じで休みました。 ―――行ったり、行かなかったりは気になりませんでしたか。 無理やり行かせていたわけではないんですが、きつそうな顔をして行く時もあったので、サッカーをしたいから行っているんだろうけど、息子の本当の気持ちはどうなのかなという葛藤がありました。でも本人に任せていました。 週1回休んでいる時は、休んでいても家では元気だったんです。でも今週はちょっと元気がなかったので、それが心配です。罪悪感があるのかなと思って。 ―――中3ですから、来年の高校進学について担任も周りも言うし、プレッシャ―があるでしょうからね。初めのうちは休むことに堂々としていることはまずありません。あなたご自身は、息子さんが休まれることについて不安になったりご心配はありませんか。 私は高校に行かなくても自分の道を歩いてくれればいいと思っています。息子が学校に行かなくても平気と思ってくれたら私もいいんですが、元気がない顔をしているとどうやって受け入れて行くのかなと思って心配です。 姉も高2で行けなくなって、高認をとりましたがそのままで家にいます。本を読むのが好きで図書館や公民館に本を借りに行ったり、海外ドラマを見たりしています。最近は自分が食べたいと思う料理作りに挑戦して、今ちょっと元気そうです。 長男は今大学生です。中2の時に起立性調節障害と言われ、ほとんど寝たきりの状態で過ごしましたが、高校は専願で私立の高校に行きました。1ヶ月は普通に行きましたが、梅雨時になると朝起きれなくなりました。それから行ったり行かなかったりで、出席日数がギリギリになった時に自分で通信制に移ると言いました。なんとか卒業して、推薦で大学に入学しました。今ほとんど友達のところに泊まっていて家には帰ってきませんが、学校には行っているみたいです。上の子ども達については心配していません。 次男は兄姉をみているので、学校には行かなくていいと思っているのか、行かなきゃいけないと思って葛藤しているのか、自己否定しているのかと心配です。 ―――息子さんとそういう話はしていないんでしょう。(はい) あなたがいろいろ思いをめぐらして心配されているのね。大丈夫ですよ。なるようになりますから。 私も外に出かけている時は何も考えずにいるんですが、1日家にいる時は朝からずっと考えたりしています。 ―――いろいろ分析したくなるんですね。それは親の不安なんですね。我が子が元気な時は親も元気なんですが、やっぱり子どもに元気がないと親も不安になってしまうんですね。親の私が不安なんだな、と気がつくいいチャンスですね。 学校に行けなくて、元気がないのは当たり前ですね。みんな受験に向かってまっしぐらなのに、僕だけがドロップアウトして学校を休んでいる、と思っています。世間の常識は学校に行けないのは落後者だという価値観ですよ。学校に行かないなんて大したもんだ、なんて決して思わないわけです。 緑色の本(『自分が自分の主人公! まっ先に幸せになる!』)の中に「束縛によって得られる自由もある」があります。よほど意識的にならないと「自由に考える」ことができません。いろいろと考えているつもりでも、世間の「常識」、不登校や引きこもりはよくないという価値観に縛られた考え方しかできないと、不安になるのは当たり前です。 だけど、ものごとに優先順位をつけて考えられるようになり、不登校は何もおかしいことではなく引きこもりも明るい話だという考え方ができるようになると違ってきます。冊子154ページに、次の記述があります。 物事を考えるときの原理・原則は、一つだけではありません。いくつかあります。 そしてそれらには、優先順位があります。より大切にすべき上位のものとそうではない、優先順位が下位のものとがあります。 学校に行く・行かない、勉強をする・しないという原理よりも、子どもが元気かどうかの原理のほうがはるかに大切ではありませんか。行きたくもない学校に、必死の思いで登校し、保健室や相談室などの別室で他を気遣いながら一日を過ごす。そんな状態よりも「うちで元気にしている」ほうがはるかにイイに決まっています。 ところが、下位のしかも古い原理に囚われて考えることを止めてしまっている人には、その当たり前のことがわからなくなっているのです。 さらに、この問題を考える際の原理には、もっと上位の、しかも決定的な原理があります。わが子が元気であるかないかということ以上に、「生きている」ということ、「命がある」ということが当然にも最優先される原理です。 不登校の子どものなかには、まわりの大人たちの無理解のために、自己否定を強めて、引きこもったり、ときに家庭内暴力におよんだり、また拒食・過食などをして苦しんでいるケースも少なくありません。でも、そうしたわが子も生きている、親の手が届くところにいるのです。 普通、不登校以上に否定的にしか見られていない引きこもりにしても十分意味があり、親も子もこれを肯定し、存分に引きこもりきれたときに、引きこもりは力となり、やがて我が子に笑顔がもどってきます。 このように子どもの元気な笑顔や命という、なにものにも代え難いより上位の原理も含めて、「不登校はなにもおかしいことではない」ということが、新しい原理・原則なのです。そのことに囚われ、束縛されて考え、ことに対処していくことにこそ、自由があります。 つまり、(1)生きている、命がある、(2)元気でいる、(3)勉強する、(4)学校に行く、の優先順位で考えていくといい。この逆になってはいけません。逆だと、まず学校に行っていない、次に行かなくても家で勉強をしてくれたならいいんだけどしていない、さらには元気がない、そして果てはこの子の命が心配などと、どんどん考え方が暗くなる一方です。 そうではなく、不登校でも勉強をしていなくても、さらには元気がなくても生きてさえいてくれたならば、一番大事な命があるのですから、まずそれで満足する。そのような考え方ができるとやがて元気になり、興味を持ったことや必要に感じたことは勉強するようにもなります。勉強の内容次第では、学校を活用したほうがいい、というようになるかもしれません。 だから息子さんがいま元気がなくても全然心配いりません。苦しんでもちゃんと自分で生き方を見つけていきますよ。親は子どものことではなにもしなくていいんです。 あなたはバレーボールがお好きでしたよね。ご自分のことに一生懸命になって、楽しまれたらいいんです。22周年の集いの時に永田俊子さんが「親の会で、親が楽しみなさいと言われて、えー、子どもがこんなに大変な時に親が楽しめだなんて、と思ったけれど、本当にそうだった」と話されましたね。 また緑色の本やホームページの体験談を読んで下さいね。どこから読んでも元気になります。その本を家のテーブルの上に置いておくといいですね。 まっ先に自分を大切に 厚子さん 夏は山小屋を3泊する北アルプス縦走を楽しみました。穂高、槍ヶ岳の手前にある常念山脈です。毎年アルプスを登るのを楽しみにしていて今年は10回目で、天気が良くてこれまで行った山々が見渡せ、とてもいい登山となりました。HPに写真を載せました。達さんが記念にと写真を大きくしてプレゼントして下さいました。(額に入った写真を見せる) ―――あなたが山に夢中になって息子さんが何をしているか分からないうちに、息子さんは23歳で大学を受験して、今は卒業して東京で働いているのね。息子さんも友達がいなかったよね。 息子は今31歳です。中2から10年間ずっと家にいました。友達はいませんでしたが、本人はそれを全然気にしていないようでした。大学に入ったからといって、すぐに友達ができたかというとそうでもなく、初めてできた友達は韓国と中国からの留学生で、「インターナショナルだねぇ」と私は言っていました(笑)。就職して4年目になりますが、5月の連休、夏休み、お正月と必ず帰っていたのが、今年は仕事が忙しく、お正月以来帰らなくて、少しさびしくなりました。 私は息子が不登校になる以前から親の会のことは知っていましたが、その頃は学校に行っていましたので、やっぱり自分のこととして考えられなかったんですね。いざ我が子が実際に不登校になって、今までの学んだことも身についてなくて、このまま成長が止まってしまうんではないか、大丈夫なんだろうか、と不安になりました。 最初は息子も家にいても元気がなく落ち込んでいたので心配もありましたが、家族で生活する中でだんだんと息子を頼りにした生活に変わっていき、私が長期間留守をする時もしっかり家事を任せて出かけることができました。親の会の仕事も手伝ってくれたり、家での生活が当たり前になっていきました。受験勉強も私が知らない間にやっていて、大学を受験すると言いました。 今30歳の次男がいます。高2で退学しました。悩んだ末に自分で退学届を学校に持って行きました。担任から「本当に退学するんですか」と電話がありましたが、「本人がそう決めたのでお願いします」と言いました。その頃同じ時期に高校を退学した友人がいたので、その子といつも一緒に過ごしていました。それから大検を取って東京の大学に行き、留学もしました。卒業後就職したんですが、初めの勤務地が鹿児島でこちらに帰ってきました。 次男には司法試験を受けたいという希望があり、仕事と勉強とを頑張っていたのですが、転勤の話があった時に勉強に専念したいと会社を辞めました。それから3回司法試験を受けましたが、今は断念して家にいます。今は自信をなくしていろいろ模索している状態ですが、私達は何も言わずに一緒に生活しています。 (―――お小遣いはないのね) 祖父母からもらったお金があったり、今ニュース作りの打ちこみをしてくれていて、少しですがそのバイト代で間に合わせているようです。 姑は60歳で夫を亡くしました。子どものところに行くのが当たり前という考えでしたので、福岡に住んでいたんですが、お正月から5月くらいまでは鹿児島の我が家に来て過ごしていました。その頃私は30歳、子どもたちは2歳と3歳でした。私は嫁として姑を「夫を亡くしてかわいそう」と思って、食事作りから、家事全般をひとりで引き受けて一生懸命やっていましたが、やっぱりぶつかり合うこともあり、後半はイライラして生活していました。そんな生活が19年続きました。 2002年姑が病気で倒れたのをきっかけに、「もうひとり暮らしは無理だろうから鹿児島の施設に入居した方がいい。私達は一緒に住めない」と伝えました。それから姑と夫と私と3人でいろいろ施設を見てまわりましたが、姑が「もういちど福岡に帰って生活したい」と言い、ヘルパーさんを頼むことを条件にまた福岡でひとり暮らしを始めました。 それから10年間よく頑張っていたんですけど、昨年の1月に病に倒れ9月に亡くなりました。最後は鹿児島で入院生活を送りましたが、私達夫婦も精一杯看病出来たと思っています。 ―――鹿児島にいる時は何もしないお姑さんだったけれど、福岡での一人暮らしで、厚子さんが行くと「お茶を入れましょうか」とかいがいしく動いて下さったのね。やっぱり自分を最優先で大事にする、すると、ちゃんと道は開けてくる、子どものことも「親がしないと『する』ようになる」と、大事な教訓ですね。 今は夫婦仲良く楽しむ登山 重則さん・淳子さん 淳子さん:HPに写真をアップしましたが、大隅半島南部の辻岳と黒尊岳(くろそんだけ)に登りました。夏だから花はないと思って登った山に思いがけず花がありました。低い山ですが、高山植物に出会えたような気持ちになり嬉しかったです。 重則さん:2週間前に長崎に行ってきました。長姉はヘルパーさんの助けを得ながら生活していたんですが、癌が頭にも転移しているので、ひとりではなかなか生活できなくなりました。毎食毎にヘルパーさんに来てもらっていたんですが、トイレで倒れて大学病院に入院しました。1ヶ月後にホスピスに入院する手続きをとりました。私がその手続きを全部しましたが、妻も一緒に行ってくれたので感謝しています。 ―――淳子さんはもうそのことでイライラしなくなったのね。 淳子さん:今までは姉達がこっちの都合も考えずに「来てくれ、来てくれ」で、それがとても嫌でした。今回はヘルパーさんが「入院したのであわてなくていいですよ」と言ってくれ、10日ほど経ってから行ったので姉の病状も落ち着いていて、次の段階を考えることができました。 自分たちの考えで動くのはそう嫌ではありませんが、人に言われて動くのは嫌なんです。 転院先を決めるのにふたりであちこち見て回って、その都度事情を説明しないといけないし、とても疲れました。他の姉兄は長崎にいるのに鹿児島に住んでいる夫がなぜ、と思ってしまって。そんな精神的な疲れがひどくて、帰ってからも2,3日はぐったりしていました。夫がひとりで決断しないといけないので、ストレスは大きいですね。最後まで病院かポスピスかを迷いましたが、ホスピスに決めました。 ―――それでも、以前と比べたらずいぶんとストレスが減ったと伝わってきます。しばらくその話はでなかったのが何よりの証拠ですね。「自分で決めたことは嫌じゃない」。大事ですね。子どもでも大人でも、自分で決める、そのことが大事なんですね。 重則さん:今までは次姉が間に入って「ヘルパーさんがこう言っている」「医者がこういった」と言って、慌てて駆けつけてみると違っていたり、でした。今は大事な点は直接医者と話が出来るので大丈夫です。入院している姉をみるといろいろ考えてしまいますね。これからもきっといろいろあるでしょうが、いい勉強だと思うようにしていきたいですが、ホスピスも連絡が入ったらすぐに転院しないといけないので落ち着かない気持ちです。 ―――精神的なプレッシャーは減ってきていますね。今は淡々と処理していけばいいんですものね。ふたりで尾瀬に行ったり、山に行ったり、楽しみもいっぱい見つけましたね。もし、息子さんや娘さんが不登校になっていなかったら「重則、重則」と電話でお姉さん達に呼び出されて、淳子さんもガマンして、大変だったかもね。(笑) 淳子さん:夫は感心で、結婚する時に姉たちに「嫁、嫁と言うな」と宣言してくれました。私もはっきり言ったし(笑)、だから20年以上何も言ってこなくて、このまま関係なく過ごすつもりだったんですけどね。 重則さん:独身の姉の面倒は最後まで私が見ないといけないだろうとは思っていましたけどね。 淳子さん:先程のちゃんと落ち着くところに落ち着くものだというお話を聞いて、身にしみて思いました。 重則さん:私は7月20日に60歳になりました。今日着てきたシャツは娘からのプレゼントです。(大拍手)来年、退職後も働くと思います。 |
最終更新: 2012.12.1
Copyright (C) 2002-2012 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)