登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2012年7月例会より


目次

1 息子の歯医者通いで大事な教訓(その2)   ちーちゃん

2 家族で支え合うということ(その2)   みーやさん

3 何もしなかった夫が変わった   明子さん・透さん

4 不登校の「先輩」に教えられて   もりちゃん

5 辛かったとき、自分にやさしく   みどりさん

6 夫婦が互いに支えあって    じぇりさん





息子の歯医者通いで大事な教訓(その2)

ちーちゃん



―――息子さんの歯科受診はどうなりましたか?


先月親の会でお話しした後、私が「前歯だけ終わったらもう止める?」と聞いたんです。息子は「虫歯で食べられる歯がないから歯医者には通わないといけない」と言ったので、私は「みんな、自分で予約を取って行くらしいよ」と言いました。

息子は「僕が今治療に行っているのは食べれないから行っているのであって、引きこもっている自分には歯の治療が必要なんだ。自分では行けないから送ってほしい」と自分の気持ちを話してくれたので、私も楽になりました。「じゃあ、1ヶ月分の予約をカレンダーに書いておくから自分で段取りをしてね」と言ってから、息子は「明日は歯医者だよね」とちゃんと準備して待っています。


ところで先ほどの相談掲示板の母親kaoさんの話(息子の不登校を認めない父親のこと)はうちとも似ているなあと思いました。


―――あなたの夫は息子さんの今の状態が気に入らないのね。


そうですね。自分は頑張って働いているのにという思いがあると思います。


―――父子で話はしないんですか(しません。食事も別々です)それじゃあ、ここさんとこと一緒ね。(笑)


息子は以前、夫がリビングにいると入らなかったんですが、今は夫がいても降りてきて歯磨きをしたり、ソファーに座って何かしたりしています。この前まで私は息子に「いまお父さんがいるよ」と言いに行ったり、3日前も「もうすぐお父さんが帰って来るよ」と言って(笑)、ふたりの間に入って気を使っていたんですが、息子の方が、はぁ〜?という感じでした。

気を使わないようにしようと思うんですが、夫がとても息子に対して厳しかったので、今まで10数年間の生活で知らず知らずのうちにそうなっていたんだなと思います。


―――初めてこの会にご夫婦でいらした時に、あなたの夫は「自分の子育てが厳しく、息子を叩いて育てていた。それを反省した」と言われましたね。その時私は「家庭内暴力の先輩なのね」と言ったのね。(笑)


あの後、夫は「僕は変わる」と言って息子に優しく接しようとして頑張っていたんですが、しばらくして「やっぱり無理」と言いました。


―――あなたの夫は息子さんに対してごめんねとは言っていないの?


いえ、その時に言いました。その頃は私に対する暴力がひどかったので、夫が「俺が悪かった。お母さんを叩くのなら自分を叩け」と言いました。


―――それはすばらしい。あやまることはとても大事です。でも、「あやまったんだから、今度は俺の言うことを聞け」となったら、謝ったことにもならないんですね。相手を変えようと思わないで、自分は自分のことに一生懸命取り組むことが大事だと思います。

あなたのことでは、夫と息子さんの間に入って気をつかったり、余計な心配をしないことです。二人の関係も、自分が入らなければどうなるのかなあと予想を立ててみる。気をつかわずに二人にまかせれば案外うまくいくかもしれません。Kaoさんのところの父子関係もそうでした。あなたが夫も息子さんも信頼していけばいいと思いますよ。

1月にはポンカンを一緒にちぎったりして仲がよいご夫婦なんでしょう。



息子の話をしなければいいんですが、するとケンカになります。


―――それじゃしなければいいじゃないですか。ご夫婦で何か楽しいことをしていますか。


月に1回神社にパワーをもらいに行きます。この間は宮崎の鵜戸神宮に行ってきました。おと姫伝説がある所です。


―――それはいいですね、いつもおふたりだけの話をしたらいいですね。息子をどうにかしようという思いが先行すると、それぞれの価値観がぶつかってケンカにもなります。いつも一人称で自分自身について、自分の想いを話すといいですね。






家族で支えあうということ(その2)   みーやさん



―――先月の会の後、種子島に2泊3日の出張に出かけて家を留守にするというお話でしたがどうでしたか。


はい、結果はよかった〜という気持ちにはなれませんでした。
台風が近付いていてもう行けないだろうと思っていたら、急に飛行機で行くことになったんです。それで私は家の準備も買い物も何もしないまま出かけました。

その日の朝食は私が作っていたのでそれを食べ、夕食は夫がお寿司を買ってきて食べさせたようですが、それが最後でした。

2日目の午後、家にいる長男から「食べる物がなにもない、朝から何も食べてない」と電話がかかって来ました。小5の次男は目覚まし時計をかけて、袋の底に残っていたコーンフレークを食べて学校に行ったらしく、長男が「弟はひとりで感心だった。お父さんはいないので仕事に行ったんだろう。僕は朝から何も食べていなくてお腹がすいてどうしようもない」と言いました。私は「確か冷凍したお弁当があるから、チンして食べて」と言いました。

先ほどのお父さんのお話は実は私の話でもあるんです。
私もずっと働いてきて、上の子は10ヶ月から、下の子は1年2ヶ月から保育園に入れました。夫が何もしてくれなかったので全部母に手伝ってもらい、保育園の送り迎えから、私の帰りが遅い時には夕食を食べさせてもらって、母の手助けがないとやっていけませんでした。

母からすれば私が何もかもひとりでやっているのを見るとかわいそうという思いがあったんだと思います。長男が小3くらいまで、ほとんど育てたのはお祖母ちゃんで、考え方の影響も大きいです。勉強が大事、学歴が大事、就職は・・・とすごく影響を受けています。今でも長男と仲は良いです。

夫はずっとうつの薬を飲んでいましたし、本当にできないというのもありました。
たまに手伝ってくれると、けがをさせるか、病気になるかで必ず失敗していました。土、日に夫がみると風邪をひかせて、月曜日は私が病院に連れて行くために仕事を休まなくてはなりませんでした。

そうすると見てもらいたくないし、あてにしなくなりました。子どもが小さい時の大変な子育てを乗り越えてきたのは母と私のふたりだという思いがずっとありました。

その日の夕食がどうなったのか、私は知らないまま翌日の土曜日に帰ってきました。聞くと夕食も夫が準備しなかったので、長男はお祖母ちゃんに「何も食べるものがない」と電話をしたそうです。お祖母ちゃんはびっくりして「すぐに来なさい」と食事を注文して待っていたようです。そこには夫の車で行ったんですが、夫も一緒に家の中に入ろうとしたら、お祖母ちゃんに厳しく言われて玄関先で帰されたそうです(笑)。

私が帰って、夕食を作って出したらふたりともピラニアのように食べました(笑)。
夫に「なんで夕食を準備しなかったの」と聞いたら、「どうせ出しても食べないだろうと思った」と言ったんです。


―――たくさんの教訓がありますね。あなたの夫がお祖母ちゃんから教育され、学んだことは、夫の存在、影がないということですね。どうせ俺が作ったものを子ども達は食べないだろう、子ども達の自分への評価はそういうことだろうと。

おばあちゃんを通じて父親の評価はぐんと下がっているんですね。
そうではなくて「お父さんがいないとダメなの」と言ったら、きっとお父さんは頑張ったと思いますよ。

すごくいいチャンスですね。これからは家族4人で力を合わせてやっていこうとね。その思いが大事ですね。



私の母も84歳なので、そんなに長く生きるとは思っていないんですが、やっぱり母の存在が大きくて。


―――母の存在を大きくしたのは「私」ですね。親が首を突っ込んではいけません。しかたがないと日々流されていくと、そういうふうに付けが回って来るわけですね。


私が子ども達に「ごめんね〜、やっぱりだめだったね」と言ったら、「初めからお父さんには期待していなかったからこんなもんでしょう」と言われました。やっぱり2日や3日じゃだめですね。


―――いい体験でしたね。あなたの先月の例会で、次のように話されました。

長男から職場に「弟の様子がおかしい。熱が38度もある。可哀想」と電話がかかってきた。私は仕事が立て続けにあって、結局夫に電話して病院に行ってもらった。その時に、悔しいけど、やっぱり夫がいないと駄目だなと思った。(笑)やっぱり助けてもらわないと駄目なんだなと思ってですね(笑)。「ありがとう、助かった」と言いました。

そういう積み重ねが大事だと思うんです。相手を変えようと思わない。毎日の暮らしの中で、あなたのことがとても大事だし、あなたの力が必要よ、と伝え合って行く。家事も助け合っていこうという気持ちさえあれば、初めはうまくいかなくてもやがてうまくいくようになります。


今、私も仕事が忙しく、8,9時に帰っても夫は何もしていないんです。
それから私が全部指示して準備するんですが、言われたことしかやらないので、あなたは職場でもそうなのね、と憎まれ口を言ってしまうんです(笑)。

またそういうことで働くとぐったりときて、体調が悪くなるようです。(―――そうするとあなたは腫れ物扱いしませんか)またそのせいで疲れて寝ているのかなと思いますね。

本当にお祖母ちゃんに頼ってきたことが今こんな風に出てくるとは思いもよらなかったです。夫は夫で心のどこかで最後はおばあちゃんがしてくれると思っていたのかなと思います。


―――困ったことは、その人がかけがえのない大切な家族の一員なんだという認識が時間をかけて欠けて行ってしまうことですね。そのことがどれだけ大きな財産を失うことになるのか、とっても大事なことに気がついたのではないでしょうか。これからは、お父さんも大切な家族の一員として、少しでも荷を分かち合ってもらおうと、時間をかけて、ひとつひとつ予想を立てて取り組んでいきませんか。今までとは違った対応があると気がついた時がチャンスです。






何もしなかった夫が変わった    明子さん・透さん



―――透さんは結婚してから家事を手伝うことがなかった。だけど明子さんが結核と肝臓癌をいっしょに患うという大病をしたときから、家事一切をこなすようになった。変わったのね。


明子さん:そうなんです。私は子どもが成人して一人前になったら別居しようと思っていました。ところが私の病気のおかげで夫の株がグッと上がりました。(笑)

私は具合がとても悪くなってきても、がんこに病院には行かないと言ってしばらく家で寝ていたんですが、夫は仕事から帰って来てから、食事を準備し、子ども達と私にはそれぞれ違うものを作って出してくれました。

それから夜遅くまでビワの温灸をしてくれました。それまでは私は元気で、ちょっと具合が悪くなると「あなたの健康管理が悪いからだ」と文句を言って、きっと私が病気になっても何もしてくれないんだろうと決めつけていたんです。ところが全然違ったんです。


透さん:やれないとか、できないというのは伝わってこないとダメなんですね。伝わってこないから最初の頃はやらなかった。

今でも僕が庭の草むしりをしようとしても、そこからは水仙が出てくるとか、球根があるとか言われると勝手にできないんですね。

「あれはどこにある」と言ったら「どこどこにあるよ」と言ってくれればいいのに、自分が歩いて行ってとって来て「はい」と渡してくれる。(笑)


―――「解決の道は自分のなかに」ですね。共働きで3人の子育てをして、病気の身でも無理してご飯を作って、夫は何もしないと決めてかかって、全部一手に引き受けてやっていたのね。それじゃあイライラしますよね。


私がきつくて横になっている時は言わなくてもわかるだろうと思っていたんです。

具合が悪い最後の頃は、買い物に行って車から降りる前に一休みしてから家に入り、食事の支度も煮物をしている間は横になって、ということをしていたんです。

それでも夫は言わなきゃわからないと言って、私がこんなにきつそうにしていたらわかるでしょう、とケンカをしました。だから大変なストレスと夫への不満がいっぱいありました。でもそれは相手に伝わっていなかったんですよね。


―――透さんとしては、なんで妻はこんなにイライラしているのかな?としか思えなかったでしょうね。


私の性格が悪いと言っていました。ヒステリックな性格だと(笑)。

でも私が病気とわかってからの活躍はものすごかったです。

子ども達のお父さんに対する評価もグーッと上がりました。それまではお父さんは自分の好きなことしかしない、お母さんがひとりで頑張っている、という評価だったんですが、最近は、私がお父さんがこう言うのよと言っても、お母さんも言い過ぎなんでしょうと夫の肩を持つほどです。






不登校の「先輩」に教えられて
   もりちゃん



私は今、うつ状態で7月5日から仕事を休んでいます。
いつも梅雨の時期になると体調が悪くなり、昨年の今頃も入院していました。
7月いっぱいで今の職場を退職しますが、辞める人には冷たく、パワハラまがいのこともあり、出勤しようとすると動悸やめまいが起こりました。

心療内科を受診したところ、「いつでも診断書を書くから休みなさい」と言われ、息子にも相談したら「行きたくないんだったら、行かなければいいよ」と言われました。さすが不登校の先輩だなあと感心しました。(笑)


―――あなたは頑張ってきたものね。2度目の夫から息子さんへの言葉のいじめや暴力があり、息子さんは逃げることもできなかった。あなたは夜眠れなくなって、涙が止まらなくなり、うつと診断されて寝たきりになって、見かねたお母さんが実家へ帰っておいでと言ってくれて、離婚をされた。それからも薬を飲みながら仕事をして頑張ってきたのね。10月からは新しい職場の立ち上げに参加して行こうと決めたのね。


私もゆっくり休んで、8月9日に新しい職場がある姶良に引っ越します。

私は実家に戻って、母と子ども達ふたりと4人で生活していました。私が外に働きに出て父親の役割で、母は母親の役割をしてくれていましたが、私の子育てのやり方と母のやり方が違うので、子ども達も混乱していました。娘は私が家にいるととっても元気で、私が家にいるだけで安心という感じです。今まで我慢していたんだなと思って。

息子も通信制高校へ行っています。自分で計算して単位を取ったり、レポートを提出しているようです。今日は学校がある日で朝「送って」と言われたんですが、「午後からお母さんは親の会に行くから帰りはひとりで帰って来てね」と言いました。8月からは新たな所で自分の家庭を作っていきたいと思います。


―――あなたの作った料理も食べず、口もきかなかった息子さんとそんなに何でも話せるようになったことが一番うれしいでしょう(はい)。

本当に家族だよね。息子さんを腫れ物扱いしなくなって、あなたが自分を大切にするようになったら、ちゃんと息子さんと心が通じ合えるようになった。もともと大好きなお母さんだし、息子さんだし、愛情こそが解決してくれるのね。


はい。甘えたかったんだなあと思って。息子は私の傍に来て「今、ヒマ?」と聞くんです。
息子の趣味は仮面ライダーなどのフィギィアを集めることです。それをオークションに売りに行くには親の承諾がいるんです。

私も「ツレがうつになりまして」をDVDで見ました。骨董屋さんで宮崎あおいさんが一輪ざしを見ていると、「割れないであることに意味がある」と店主が言うんです。その言葉に感動しました。私は頑張れば仕事に行けたかもしれないけれど、無理していたら私は割れていたかもしれないと思って、息子も同じで、割れないでいてくれてよかったなあと思いました。


―――今、ゆっくりしなさいということですね。

長谷川登喜子さんも職場で頑張りすぎて病気になったんですね。
あなたはお母さんから独立できるようになって、自分の力でやっていけるようになったことを喜びましょう。







辛かったとき、自分に優しく   みどりさん



6月の末から、姶良で働きだしました。
それまで週3回鹿児島市内にランチや遊びに来ていました。娘から「お母さんは遊びすぎ」と言われたと友達に言ったら、「面白いね。普通は親が子どもに遊びすぎと言うのに、逆なんだから」と言われました。(笑)

でも以前は、私は家にばかりいて、辛い時期は家で朝も昼も寝て、でも夜もまた寝れる生活でした(笑)。

30代の頃より今のほうが元気なんだなと思います。
そういう自分の変化も楽しみながら、今は職場へ片道40分かけて行ってもぜんぜん大丈夫という感じです。


―――心の疲れは身体の疲れになっていったのね。
あなたの15周年記念誌の体験談はとても大事なことよね。



前の方が言われたみたいに、私も自分を否定していました。寝ているときも駄目だ、駄目だと思って、だけど私は生きているだけでいいんだと言い聞かせながら寝ていたり。掃除が出来ないときは散らかっているのがやたら気になったり、やっぱり自分の精神状態が悪いとなにもかも自分を責める材料にしていました。

だけど、何週間かしたらすごく元気になってご飯を作ったり、掃除が出来たり、今日はこれをしたと些細なことに喜びを感じたりしました。子ども達だけじゃなく、私も生きているからいいんだと思いました。

こうやってできる自分がいるじゃない、別に自分がしたいときにすればいいんだと最初は言い聞かせるという感じでしたけど、だんだんそれが自信になってきて、これでいいんだと思いながら過ごしていたのを思い出しました。






夫婦が互いに支えあって    じぇりさん



―――じぇりさん、あなたのために直樹さんが洋服のハンガースタンドを作ってくれて、とっても嬉しかったというのが先月のお話でしたね。じぇりさんも乳癌になって髪の毛も抜けたりと、たいへんでした。一応治療が終わりますと医者から言われたのはいつでしたか。


手術、抗がん剤、放射線治療の流れで、終わったのが昨年11月でした。
今年の1月に受診して、「半年後に来てください」と言われ、今月初めに行って「異常なし」と言われたんです。(―――それはよかったですね

でも私の中では、結構あちこち痛い気がして不安で、予定の診察日の前にでも、行こうかなと思っても行けなくて。いよいよ診察日が近づくと不安で何もしたくなくて「こんなふうに私はなっているんだ」ということがありました。

いつも付いて行ってくれる次男に、「診察に行く」と言うと、ほかのことでは一緒に行くことはないのですが、「うん、行くよ」と普通に言ってくれました。

次男は今月20才になります。小学校に入学してすぐ行かなくなりました。こんなに長く行かないとは私も思っていませんでした(笑)。

1月のときは、経過を見るということで、そんなに不安もなかったので息子とふたりで行ったんです。今回はやっぱり不安だったので、夫も行ってほしいという思いがあったのですが、相変わらず忙しい人なので言うかどうか迷ったんです。とりあえず言おう、言ってみて判断は相手に委ねようと、そしたら「行けるよ」と言ってくれました。

私は実はこうこうでと言っても、全然取り合う様子もなく「ふ〜ん」という感じで、こんなに言っているのに心配になったりしないのかなと思って、私だったら「早く行けばよかったんじゃないの」と言いそうなんですけど、彼は普通にしていました。結局どうもなかったんですけどね。(笑)

やっぱり今でも痛みはあるし、するとやっぱり不安はあります。私の場合は再発しやすいというのが特徴ですし、それはいつということは分からないですけど、やっぱり、痛みがあるということは自分の中にいつも不安があるんですね。


―――じぇりさんのお話の中に、夫は仕事ばかりで家庭のことは全然顧みない、私はこの夫と別れようかと思うぐらいになったときに、あなたのお母さんが直樹さんに手紙を書いて、それも責めるような書き方ではなくて、それをきっかけにお互いに相手への気持ちも通い合ってこられたのね。


私が編み物をしていたころ、息子が絵を描いてその絵をパソコンに書いたりしていて、それもアイロン台で絵を描いていて、台が欲しいと言ったら、夫が作ってくれて、ついでに私にも「これがあった方がやりやすいんじゃない」と言って作業台を作ってくれたんです。「わー!どうしよう。こんなにしてもらって!」という感じでした。(笑)


―――前は、あなたは親の会に来て、夫は何もしなくて、と言ってたのね。


さっき、私の言い方ひとつって、お話がありましたけれど、やっぱりトゲのある言葉を言って相手が耳を貸すわけはない。「解決の道は自分の中にある」は、その通りだなと思います。


―――相手を変えようと思わない。自分の相手への想い。「優しさは、優しさで」。優しい言葉が相手の心を動かすのね。


責められることはなかったですけど、私への無関心が辛かったですね。自分なんかいなくてもいいだろうという思いをずっと若い頃から感じていましたね。

私の父親も教員をしていて、仕事ばっかりで子どもなんか抱いたことがないような父親で、そういう親を見て育っているから、たぶん夫に対してもそれが普通のような……。

だから言っても通じないんですよね。私の不満が分からないと言うか……
でもいろいろあってようやくですね。


―――15周年記念誌にあなたが次のように書いています。


子どもたちが不登校になって、これで1件落着かと思ったら、2学期が始まった間もない9月3日、あまりに辛そうな夫の姿に、私は言っても無駄かなと思いながら、「学校休んだら?」と言いました。

すると「うん」。病気をしても決して仕事を休むことなどなかった夫が何故? まったく予期しない夫の返事に戸惑いました。しかし、この日が夫の「不登校」の始まりの日になろうとは・・・。子どもに続いて「夫の心私知らず?」でした。

もう少し休めばすぐに復職すると思っていた私は、内沢さんに「直樹さんの命と仕事、どっちが大事ですか?」と言われた、なんとも大袈裟な問いかけの意味がわからなかったのです。そして1年7ヶ月の休職を経て、夫は復職を決めました。大丈夫だろうか? と言う不安はありましたが、正直ホッとしている自分がいました。

しかし、運動会を終え一段落した10月初め、「辞めようと思う、もうこれ以上続けられない・・」。一言の相談もないままの突然の報告でした。しかし、子どものときとは違い、私は夫の辛さを知りながらどうしても「いいよ」のひと言が言えません。「退職しなくても、また休職したらいいじゃない」そんな往生際の悪さも発揮してしまいました。「もうそれはしたくない」夫の言葉に、現実を受入れる以外にないことを知りました。

「人生どっちに転んでもシメタ! 生きているだけで丸儲け! 命さえあれば、失うものは何もない」。夫を思い何度も心の中で繰り返しました。次の日「いいよ!わかった」心から伝えることが出来ました。



直樹さんの命はあなたによって救われたのね。
あなたが乳癌になったときに、直樹さんは多くは語らなかったかもしれないけれど、今度は、あなたの命を支えてくれたよね。
(そうです)(涙ぐむ)

だから家族も夫婦もいろんな形があってイイ。
辛い時にこうして支えあえる家族がいることは何にもましてかけがえのない財産ですね。素晴らしいご夫婦じゃないですか。


(ありがとうございます)(笑)




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最終更新: 2012.9.11
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