今も昔も会報は同じ なぎささん 私は97歳の実母、93歳の叔母、90歳の義母と三人の母達を看ています。 今、施設に入所している叔母が認知症で大変な状況です。すごくやさしい叔母だったんですが、毎日イライラして怒り、職員も手がつけられない状況になっていきました。その施設はとても丁寧に入所している方達を扱ってくれて、自由にできるところなんですが、私が叔母に対してものすごく不安になって、この施設を出されるようなことがあったら大変だ、ここから出されたら叔母はどうなるんだろう、ここから出したくないと、どんどん不安がいっぱいになって食事もとれなくなって、連休明けの頃から、胃と腸の痙攣で食べられなくなり痩せてしまいました。 その時に、4月から会報がなくなるということで以前の会報を読み返してみようと読んでいた中に、2002年11月の会報ですごく感動したところがありました。 昨日、「山田洋次・しあわせ探しの旅」がテレビでありました。「幸せの黄色いハンカチ」の映画の舞台となった夕張で、山田洋次さんがいろいろ訪ね歩く番組でした。一流企業に勤めていた夫がリストラされ、その夫が自分の苦しみを書いて、妻に渡しました。その妻は「ここに私と一人娘のことが1行も書いてない。何のための夫婦だったんだろうか」とすごく傷ついて家を出た。その夫は「一生懸命働いてリストラされた結果、家族が崩壊した」とテレビで言っていました。 でも、これは「リストラで家族崩壊」じゃないんですね。 たしかにリストラされたということは非常な困難であることは間違いありません。けれどその困難に夫婦や家族がどう向き合い支え合うのか、そのことを問う絶好のチャンスでもあったと思うのですが、夫にはその視点が欠落していたようです。 この文章が、すごく落ち込んでいた時にスーッと頭に入ってきました。 これは親の会の公式だと思ったんです。リストラされたから大変じゃないというところを、認知の叔母がいるから大変じゃない、とあてはめたんです。 すると自分がどう動いたらいいのかが自然にわかってきたように思いました。夫に悩んでいることを話すと「施設の相談員さんに相談してみたら」と言われ、自分の胸の内をお話ししてみました。 一番心配していた「ここにいることができますか」とたずねてみると、「ここから出たら叔母さんの笑顔がなくなりますよ」と言われ、胸がスーッとして、それから胃痙攣が治まりました。 叔母が荒れている時に、私の実家でもあり叔母の実家でもあるいなかの家に連れて帰りました。ふたりで仏壇の前に座って、ゆったりと時間を過ごしました。すると、本当に認知なんだろうかというくらいに落ち着いて、以前と同じような叔母の笑顔がいっぱい戻ってきたんです。愛情は認知をも治すんじゃないかと思います。 私も長く会報を読んでいるし、会にも参加しているんですが、不安な時にはこんなふうになるんだなと思いました。認知の叔母がいるから大変じゃないんだ、病気をしているから大変じゃないんだと、大きな発見をした体験でした。 会報は昔も今も、軸がしっかりとして少しもぶれていません。 内容がとてもいいので読み返えしてみるととてもいいです。 私は自由よ! ここさん ―――先々月、屋久島に単身赴任している夫が帰って来るというお話でしたね。お連れあいさんと家にいる息子さんは、互いに避けている状態でしたが。 息子は強い口調で「無理だ、無理だ」と拒絶して、私もできれば後2年くらい猶予が欲しいと思っていたんですが、じぇりさんから「今がチャンスよ」と言われて、夫が帰って来て2ヶ月経ちます。 今まで息子が占拠していたリビングは、朝は出勤までは夫が、その後は昼も夜も息子が占領しています。夜は今までは1階の和室で寝ていた息子も含めて皆、2階のそれぞれの部屋で寝ています。夫は帰りが遅いので、夕食は私と息子が先に一緒に食べて、夫が帰ると私が2階に食事を運んでいる状態です。夫は元々自由な人であまり気にしないです。息子が2階から降りてきて夫がいるとスーッと2階に戻っていきます。リビングを占領していた息子の荷物は数ヶ月前から2階の自室に持って行っていたので、あんまり置いてはいないんです。 ―――よかったですね。あなたのお連れあいさんは、無理だったら実家から出勤するよと言っていたんですものね。 数ヶ月前のことを思うと信じられなくて、ありがたいなあと思います。 ―――あなたは最初は息子さんの暴言や暴力におびえた時期もありました。それがご自分の好きなアロマの資格取ったり、本当に堂々としてきました。あなたが主婦をしたくないと言っていたのはどうですか。 なるべく夫の表情に影響されないように、私は自由なんだと心に誓って適当にやっています。以前は夫の顔色を伺って、機嫌がいいのかどうなのかびくびくしていたんです。夫が機嫌が悪くなったとき、以前はその表情を見たら落ち込んで悲しかったんですが、今は「へんな顔しちゃって!」と言えるようになりました(笑)。そういうことがしたくない時は自分の気持ちに正直に言おうと思っています。 ―――すばらしい、最大の成果じゃないですか。 4年半ぶりの主婦業で、果たしてできるだろうかと思ったんです。今まで8時に起きる生活をしていて、夫が6時半には家を出るので5時に起きて朝ご飯とお弁当を作らないといけないし、帰りは10時前後です。お弁当も以前はちゃんと作らないといけないと思って、義務みたいな感じで作っていたんですが、今は夜の残り物や冷凍食品を活用しています。それでいいんだと思ったらすごく楽になりました。 だから以前は自分で自分を苦しめていたんですね。 自分の不安を子どもに向けない 内沢 達 (いじめで転校をしたが、行けないわが子に不安、という2回目参加のお母さんへ) 親は子どものことでは何もしないということが最高なんです。 ちーちゃんがさっき、「自分はつい先回りしてしまう」と言われましたが、自分自身が不安を抱えているんだなあということを認めることがまず大事です。 誰であれ、何かに不安を感じてしまうことは多かれ少なかれ避けがたいことで、不安に思う自分の気持ちを否定してはいけません。 その気持ちと上手につきあっていけばいいんです。大事なことは「自分の不安を子どもに向けない」(板書)ことです。 不登校や引きこもりのことで親御さんが不安になるのは、わが子の状態を否定的にみてしまった結果です。けれど、初めはなかなかそう思えません。「わが子はこのままじゃいけない!」と確信のように思い込んでいるんです。それが親の会に参加するようになって、「違うかもしれない」「そんなに否定的に見なくてもいいんだ」という考え方もできるようになるわけです。それは大変な前進ですが、その考え方ですぐ落ちつくわけではありません。しばらくは「二人の自分」の間で揺れ動きます。そういう自分の気持ちと上手につきあっていきましょう、ということです。 どんなときにどうしたら自分自身が元気になっていくか、予想を立てながらやっていきましょう、ということです。自分自身は自分次第で変わることもできますが、相手がわが子であれ誰であれ、人が人を変えられませんし、変えようとしてはいけないでしょう。親が自分の不安をわが子に向けていいことは何ひとつありません。「子どものために」と思っても、勝手にそうなると思い込んでいるだけで「子どもの立場」に立って考えていませんので、子どもの「ために」ならず子どもの辛さに手を貸しているだけなんです。 Yさんの例はYさんに限らず法則的です。まわりに理解がない状況では、子どもは自分の不登校を良くないことだと思っています。そういうとき、親が誘いのようなことをすると子どもはすごく無理をします。お父さん、お母さんにこれ以上心配をかけまいとして、本心でないことも口にしてしまいます。そうすると親御さんは勘違いをしてさらに余計なことをしてしまい、うまくいかずに、さらに落ち込んでいきます。 でも、そうした失敗も済んでしまったことはいいんです。不登校や引きこもり自体が子ども若者にとって大きな成長のチャンスであるだけでなく、われわれ親の対応のまずさだって、チャンスにできます。けっして取り返しのつかないものではありません。見方を変えることができるようになると違ってきます。親子ともども楽しく家族みんなが「主人公としての自分」を生きるようになる大きなきっかけだった、ということになります。 今年で23周年ですから、今から15年前です。鹿児島の親の会8周年のときのテーマが「不登校でわが家は幸せ」でした。鹿児島の親の会の蓄積といま現在のたくさんの経験から力をもらってほしいと思います。 どんな小さいことでもすっごく幸せ! しずりんさん 私も息子に学校に行かなくていいよと言った時の息子の笑顔を思い出してしまいました。(涙ぐむ) 息子は中2の秋から不登校になり、中3の始業式に行ったきり、1日も行きませんでした。その当時私は学校に行ってほしかったので、息子が「学校へ行くから携帯を買って」と言った時に買ってやりましたが(大笑)、でも全然行きませんでした。「行かなくていいよ」と言った時の息子の笑顔はとても嬉しかったけれど、いつになったら行くのかなあということばかり考えていました。 ―――親の会に参加して一番良かったのは夫の実家に行かなくてよくなったことや、あなたの意志をしっかり伝えることができるようになったのね。 昔は言葉を選んで気を使っていましたが、それに疲れて嫌でした。しかしこの会で自分を大切にすることを学んでからは、はっきり言えるようになりました。 最近永田さんの息子さんが動き出したと聞いて、息子も同じ22歳で、ちょこっと心がざわざわしました。でも、親は親、子どもは子どもの人生、息子の人生は息子が決めて行くと思って、少し落ち込んだけれどすぐに回復しました。(笑) 息子は相変わらず、ゲームを楽しそうにしています。「過去のことをあれこれ思わない。今を生きる、今を楽しむ」という朋子さんのアドバイスに、そうだなと思っています。 私は今どんな小さなことでもとっても幸せです。畑にはトマトを植えて、韓流ドラマにはまって、明るいラブコメディーを見ています。 姉娘は化粧のコンテストの副賞でグアム旅行をゲットして楽しそうです。「いいなあ、私も海外に行ってみたい」と言ったら、夫が「俺が連れて行く!」と言って、串木野新港に行きました(大笑)。息子と親子3人で鯛を釣り上げ、HPに写真を載せました。写真はとても大きく立派な鯛に見えたけど、実は15センチくらいの小さい鯛で、鳥の餌にあげて帰りました。 明けない夜はない もりちゃん 息子は中1の時に不登校になり、私立高校に行きましたがそこでも行けなくなり3月に退学しました。私は2度離婚を経験して、今私の実家で、母と娘、息子と生活しています。2度目の夫の息子への暴力がひどくて、私も身も心もボロボロになり、起き上がれなくなって実家に身を寄せました。 それからヘルパーの仕事をして、今年4月に私は介護福祉士の試験に合格しました(拍手)。8月から職場を変えて、新規立ち上げの介護施設のスタッフとして働くことになりました。施設のマンションも貸してもらえることになり、実家を出て親子3人で再スタートをし、大黒柱になっていきます。 息子は高校の退学手続きをした後、3月末に自分で願書を取り寄せ、卒業した中学校にも書類を取りに行って、開陽高校の通信制に入学しました。入学式は私は仕事で行けないと言ったら、かわいそうだと母がついていきました。 息子は、第1回目のレポートを期日前に全部提出したと鼻高々で、だから小遣いをくれと言いました(笑)。私は「決まった小遣い以外は何かをしたからといって上乗せはしないよ」とはっきり言えました。 今日はスクーリングの日だったんですが、9時になっても起きてこず、このまますんなりと行くとは思っていなかったので、少しホッとしました。昼ごろに起きてきて「今から行こうかな」と言ったんですが、「お母さんは親の会に行くので送れないよ」と言ったら、「わかった」と言いました。 親の会に出会う以前は、私を避け、全く口も利かず、私の作った食事も食べなかった息子が、今は一緒にカラオケに行ったり、食事に行ったり、全く変わって、すごくからんで甘えてくるのでとっても嬉しいです。 じつは、私は2ヶ月前からお付き合いをしている人がいます。相手から「付き合ってほしい」と言われた時に、「私は2回離婚していて、父親の違う子どもがふたりいて、息子は不登校しているんですよ」「私はすごく辛かったけれど、親の会に出会って、息子が今の幸せを気づかせてくれたのでよかったと思っている」と言ったら、「あなたを尊敬します」と言われました。「学校云々ではなく心が元気になることが一番だと思う」と言ってくれます。私は「娘がある年齢になるまでは結婚する気はない」と言ったら、「それでいい」とも言ってくれています。 ―――息子さんのことも、資格試験合格のことも、新しい恋人ができたことも、本当に大祝福ですね(拍手)。結婚は、子どもに関係なく、自分の幸せを最優先にして考えたらいいですね。子どものために再婚を延ばしていると知ったら、子ども達に失礼ね。(そうですね) さっき朋子さんが読み上げた「明けない夜はありません」という文章が今の私にぴったりです。真っ暗闇の中にいたのでこんなに幸せでいいのかと思っています。仕事も子どもたちの笑顔もツレもいて、母にも支えられて、いつか落とし穴があるんじゃないかと思ってしまいます。(大笑) 以下、もりちゃんの掲示板への投稿を一つ、紹介します。 「幸せです」と言えました もりちゃん 前回はお休みだったので、すごく久しぶりの参加に思えました。 今回も感動いっぱいの例会でした。 今日はやっぱりスクーリングを欠席した息子。 なんかホっとしています。 このまますんなり行き続けることはないと思っていたので。 「行かない」ことを選択した息子の正直な行動に拍手です。 今回の例会で、自分の口から 「こんなに幸せでいいんだろうか」と出てきた時、 自分でもビックリしました。 半年前に初参加した時には、涙、涙で、自分を責めてばかりいた私。 それから毎日のワクワクをみつけることを課題にしてきましたが、 思わぬできごと(嬉しいこと)が続いて、 しみじみと今の自分が幸せなことをかみしめています。 ちなちゃんには「のろけだよー」と笑われましたが、 まさか自分にツレができるとは思っておらず、 こんな境遇でも、お互いに尊重しあえる対等なパートナーと 巡り会えたことは奇跡としか思えません。 ツレさんも奇特な方なんでしょうかね。 これも親の会と出会えたからこそ、自分が変われたからこそです。 家族も仕事も順調でハッピーで、毎日笑顔で過ごせる今が 本当に幸せです。 明けない夜はない、本当ですね。 夜の暗闇が深いほど、日の当たる世界が眩しく、新鮮に映ります。 親の会と引きあわせてくれた息子には感謝でいっぱいです。 今回出会えたみなさんにも感謝です! ありがとうございました。 No.1436 - 2012/05/20(Sun) 18:28:21 肩の力が抜けて今は自然体 ちなちゃん 通信高校2年の長男と学校に行っていない中1の次男がいます。小5、小1からふたりとも行かなくなりました。以前は学校と話をする時は、不登校を理解してほしいと肩に力が入っていましたが、今はもう自然体です。 新学期になって次男の中学校から「家庭訪問や健康診断、教科書の件で」と連絡がありました。「ああそれはいりません。教科書はただなので、もらいます」と言って学校に行ってもらってきました(笑)。 保健室で担任と養護の先生と女3人で話して、とても楽しかったです。先生たちも「そのままでいいですよね」と言って(笑)。「私、すごく幸せなんです。子ども達と開聞岳に行ったり、科学館に行ったり、平日に行くと人が少ないのでサービスがいいんですよ」と話すと、「そうなんですか、いいですね」と言って(笑)。 ついでに校長先生とも話してきました。「子どもは家で幸せに過ごしています」と、家での生活を話したら、「それは生きる力につながります。素晴らしいですね」と言ってくれて意気投合しました。 こう見えて私も落ち込むこともあるんです。今自分がやっていることは私のエゴであって子ども達におしつけているんじゃないか、「同年齢の友人がいないなぁ」とふっと思ったりします。 淳子さんが「不安になったら、あれこれ考えずに中国語の単語を1つでも覚えようとした」と言われましたが、そうだ、無駄なエネルギーを使わないために私も英語の単語を覚えようと、やっています。 落ち込むのは落ち込むけれど、短い時間ですみます。楽しくてやることがいっぱいあるので、忙しいです。 ―――私の娘が23歳から3年引きこもった時には友達はひとりもいませんでしたよ。一切シャットアウトしました。ひとりでそっとしたい時期があるのね。でも動き出したときは、以前の友人と連絡をとっていました。それもその子が決めることですね。親は今一緒に暮らしていることを心から楽しむことなんだよね。 「あなた達のおかげでお母さんはとっても楽しいところへ行っているんだよ。じゃあね、行ってきま〜す」と言って親の会に参加しています。 子ども達と夫がいたら私はもう何も要りません。 ―――あなたはずっとまえ自殺未遂をして救急車で運ばれたこともあったのね。そんな辛い体験をしているからこそ、よけいに今、家族での毎日をいっそういとおしく感じられるのよね。今の幸せが宝物ですね。 あの時死ななくて良かったです。以前だったらひとつ辛いことがあったら、ドーんと落ち込んだけれど、今は「ああ、今日もいい1日だったなあ」と思えるようになりました。 ふたりの自分がいるんだよね ジュンさん お姉ちゃんが不登校の子を受入れるドリームコースの高校を3月卒業して、次男が自分もそこにどうしても入りたいと行ったけど、1週間で熱を出して行かなくなりました。 私は入学する前から「高校には、行かなくていい」と言い続けていたんですけど、次男は、どうしてもと言っていたものですから。私はショックが大きかったです。 娘は働き出して、次男は学校に行き始めて、これでうまくいくんじゃないか、風向きが自分に向いてきたぞと正直ホッとしたんですね(笑)。だから、もう、がっくりしましたね。(笑) ―――ふたりの自分がいますからね、「行って欲しいと言う自分」と「行かなくていいと言う自分」とね。 そんなところですね(笑)。だから「いいよ」と気持ちを切り替えて、「あれ程お母さんは言ったけど、やっぱり学校は行けなかったでしょう」って。 だけど、娘がそれを許さなくて「自分は無理して高校に行って卒業したのに」「今仕事があるのも高校を卒業したからだよ、だから、あなたも行くべきだ」と言うんです。それは、別居している夫が変なことを吹き込んじゃって「お姉ちゃんは高校の資格を取ったから仕事がある、でも、中1から不登校だった中卒のお兄ちゃんは、働きたいと思っても今の世の中は雇ってくれない」と言ったんです。 私は「そうじゃないんだよ、お兄ちゃんはあんなふうにしているけど、今充電しているんだよ、そのうち自分で決めるんだよ」「お母さんも怒ったりしたけど、これ以上自分を責めなくてもいいんだよ」と言いました。タイミングをみてお姉ちゃんには分かってもらいたいんですけどね。 ―――お姉ちゃんが強く言ったら、弟は動くの?(動かないです) そうでしょう。じゃあ、あなたは何も言わないで知らん顔をしていたらいいですよ。ちゃんとうやむやになっておさまりますよ。人は変えられない。娘さんを変えようと思わない。 動かないけど、週に2回ぐらいしぶしぶ学校に行っています。 ―――しぶしぶ、そのうち行かなくなります。体験的に分かっていることですもんね。 学校に行かなかったことは、もうひとりの自分が、あっ、そうだったんだな、親の会で言われた通りだったんだな、うまくいかないんだなと、納得したでしょう。そうやって、何が一番いいかな、と予想をたてて考えるといいですね。そんな時あなたは「授業料が儲かった」と思えばいい、子どもに振り回されないようにしようと思えばいいですね。 入学金が10万円、制服代が8万円でしたが、今から授業料を出さなくてすむかと、そういうふうに考えていくしかないかと。(大笑) 息子も1週間行って分かったということですね。息子も学校のことを言われると吐き気がすると言います。本人が辛い思いをするのを見るのが辛いです。 ―――子どもが辛いのを見るのが辛いというのは違うんです。子どもが辛いのであれば辛い経験をさせてあげればいいんです。子ども自身がほんとに辛いと思ったときに自分でやめるんですよ。子どもの辛さに親が手を貸さなければいいんです。それだけ気をつけてください。 子どもが決めていくということですね。周りからいろいろ言ったってお姉ちゃんが言ったって、息子さんが決めていくことです。 あなたがデンとしていればいいです。落ち込んだとしても前みたいに死にたいとは思わないでしょう。(はい)大丈夫です。自分の今のワクワクを大事にね。 |
最終更新: 2012.6.22
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