親の会を生きる力に 内沢 朋子 今月から、今までのような会報はなくなります。人間って、聞いているときはそうだなあって感心や感動するんですが、後からはなかなか思い出すことができないものです。そこで、ノートを準備していただいて、メモしていかれると、大きな財産になると思います。 人は人生の中で、とても大変だ、困難だと思うことに遭遇します。なんとかしようと焦ったり、いろいろやってもうまくゆかず絶望的になったりします。 初めはそんな感じで大きな不安ばかりでした。ところが親の会に出会い、他の人の経験からも、問題だと思っていたことがじつは問題じゃなかったんだと気づいてきて、大きな安心に包まれてこられたという人が大勢いらっしゃいます。 どんなに辛い体験にも、命にかかわるような重い病気になったときでも、希望は必ずあります。辛くても苦しくても、現に生きているのだから、今生きているように生きていくことは可能です。明けない夜はありません。 ふりかえってみると、そうした大変な体験ほど、その後の人生を生きる大きな力になっていたことに気がつきます。かけがえのない家族の存在や日常の何気ないありふれた生活に幸せを実感できます。 親の会に参加して、初めは涙、涙だったみなさんが、気がつくと笑顔がいっぱいになっていました。まわりの条件を変えるとか、相手に何か変化を求めることが「解決」ではありませんでした。 いつも、今の自分を生きる。今を大切に、自分を一番大切にして毎日を生きる。その積み重ねから安心が広がり自信が生まれてきます。自分が愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸せになることです。解決の道はまさに自分自身のなかにありました。 毎日、自分が無理なくできることをし、今をいっぱい楽しむ。例会に参加すると初めは否定的に見ていたことも肯定できるようになります。「あのときのあれがあったから、今は毎日をこうしていっぱい幸せを感じながら過ごすことができる」。 継続は力です。いっぺんにはできなくても、繰り返し予想をたてながら学んでいくと「人の話はわが話。わが話はみんなの話」というように、法則的なことを必ず自分のものにすることができます。 いつも自分をごまかさずに、自分の気持ちを第一に考えていくとたいがい良い結果になっています。自分を一番大切にすることが家族への本当の愛情です。いろんな取り組みを自分がどれだけ元気になったか、自身の気持ちがどれだけ自然で楽なものになってきたか、という視点で評価します。 人に求めるのではなく、自分自身のことだから、自分次第でできることです。そうして自分が気持ちよくなってくると家族みんなにも必ず笑顔が広がってきます。 これからは以前のような会報の発行はなくても、ホームページには引き続き毎月の例会での貴重な体験談を載せていきます。 親の会を「生きる力」にして、私たちが自分の人生を自信と意欲をもって生きるよう、今後ともいっぱい交流していきたいので、よろしくお願いします。 親の会は自分のため まつぼんさん 親の会へ参加したキッカケは、最初は息子の不登校だったけれど、私も中学時代不登校気味だったので、自分をふり返るいいチャンスで、今は自分のために参加しています。 小3の息子は、幼稚園のときも小1のときも不登校気味で小2の10月からピタッと行かなくなりました。実家の両親も最初はうるさかったけど、今は「元気だったらいいわ」と言って変わってきています。学校から「教科書を取りにきてください」と電話があったけど、私はいらないので「留守の時はそこらへんに置いておいて下さい」と言ったら、「チェッ」と舌打ちされました。それから電話がかかってこなくなりました。(笑) 4月から私自身のことで大揺れしました。以前、S病院のリハビリ科の受付をしていて、そこは楽しくてとってもいい職場でした。けれど、喘息の発作がひどくなって、退職のあいさつもしないまま急に辞めたので、そのことが1年間ずっとひっかかっていました。またリハビリ科で働きたいと思って、病院の別の部署を受けたけど不合格でした。今、ある施設を面接し合否判定を待っている状況です。 ―――「解決の道は自分のなかにある」と掲示板に書き込んでくれたのね。(はい) 掲示板の書き込みに、「自分を大切にしてワクワクして暮らしていたら、自分にもやさしくなったけど、相手のやさしさにも気づいた」「自分が自分の敵でした」ととってもいい言葉ね。 1本2万円する喘息の新薬を4本も打ったが効果はなかったんです。 今年の1月、親の会で「治らなくてもいい」という細川てんてんさんの話を聞き、治らなくていいと思ったら、喘息が出なくなりました。今は、好きなことをバンバンやっており、自分に自信が持てるようになりました。 14,15歳の頃から乗馬が趣味で、馬が大好きです。昨日も粟野岳の外周を馬に乗って歩いてきました。息子も初めての経験を楽しそうでした。 落馬してから、馬を腫れ物扱いしていたら、馬も動かず、すぐ止まっていたんです。しかし、今回馬を信頼して乗ってみると、馬は動いてくれた。馬はかしこい生き物です(笑)。馬のブログもはじめて4年目になります。 ―――かわいいブログですね。みなさん見てくださいね。 クリックしてください。→http://blog.livedoor.jp/matubon0303/ 以下、まつぼんさんの掲示板への投稿を一つ(4月9日の分です)、紹介します。 もう一度 挑戦! いざ面接へ まつぼん 本日の面接にお守りとして、会報と写真を持っていきました。 最後の会報 これで最後かと思うとさみしいけれど、先ほどHPにいったら 以前の会報がずらっと掲載されていて うん大丈夫! それに、みなさんの経験もたくさん載っているし。 大丈夫だよ! と思いました。 まだ、会報を頂いてから半年過ぎたくらいですが、本当に一番の宝物です。 なによりも、親の会に出会えたことが宝物。「人生の宝箱や〜」の親の会です。 本日、9時から面接を受けてきました。 数年前、私は、ここで面接を受けたことがあり、面接担当者の女性の方は、覚えてて下さってて笑顔で接して下さるんです。そして、お元気でいらっしゃいましたか?と尋ねてくださいました。以前も面接を受けたと思うけど、また・・最初からいたしますね。と始まった面接 私は、全然緊張も殆どせず。堂々と受けてきました。伝えることもきちんと伝えてきました。最初に、昨年は、本当にご迷惑をおかけしました。本日は、時間を頂きありがとうございます・・・・と でも、私はここでまた仕事をしたいと思い応募しました。チャンスを下さいと 質問も、ズンと直球で来ましたが、ためらうことなく、堂々と答えてきました。 喘息の事も、ずぅ〜としつこく言われましたが、「心身ともに強くなりました。いまは症状はでません 大丈夫です」 どんなこともやっていけます。 ここの職場をうらんで?(というニュアンス)辞めたわけでは、ないんだよね いいえ、自分が不安がいっぱいで辞めてしまいました。 いままで、いろんなことがありましたが、自分の第一歩として 頑張っていきます・・・と ☆職務経歴書に自分をアピールするのに 平成23年7月〜登校拒否を考える親・市民の会 定例会参加・会員 「自分を大切に」「解決の道は自分の中にある」「現在を否定しないで 今を大切に生きる」「〜のためではなく、〜の立場で」など、いままでの自分を思いっきり そして、何より元気にパワーをつけ、心身とも強くなりました。って、書きました。 合否がなんであろうと、自分を堂々と虚勢をはらずにできた自分は「たいしたもんだ」です。清々しいです。だって自分が自分の主人公だから 自分の道は自分で開く 自分の足で歩くって、すんばらしい。 朋子さん ありがとうございます!! いろいろあったけど、やっぱりこの場所にかえりたいとおもった どんな仕事でもいい。だって、またこの職場で、やりたいと思ったから 理由なんていらない。 結果ダメでも、じぶんの想いを伝えられただけで、最高なんです。 No.1425 - 2012/04/09(Mon) 21:49:39 拒食の娘を腫れもの扱いしない Aさん 3人の子ども達が不登校を体験しています。 26歳の長女が中2の終わり頃から不登校になり、東京シューレの本でこの会を知り参加するようになりました。今長女は結婚して埼玉に住んでいます。以前は自己否定がありましたが、最近は「自分は自分でいいんだ」と言えるようになってきたので、よかったなぁと思っています。 一番下の息子は、中1から適用指導教室へ通っていましたが、今年3月通信制高校を卒業しました。今は家でのんびりしています。長女と長男のことは余り心配していません。 24歳の次女は、高1の連休明けから行かなくなって1学期末に自分で退学届けを出し、通信制の高校へ転入しました。しかし1回行っただけで、レポートだけを提出して家で過ごしていました。しばらくして娘が「まわりが高校を卒業して前へ進んでいるのに、自分だけが前へ進んでいない。高認を取って京都にある通信制の大学へ行きたい」と言い出しました。私は「家でゆっくりしたらいい。通信制なら家でいいんじゃないの」と言ったんですが、「学校のそばに住みたい」と言って、19歳で高認をとって京都でひとり暮らしを始めました。しかし、その大学にも全く行けなくて、そのうち拒食で倒れてしまいました。 中学の終わりころから食が細く痩せていたので、それが普通に思っていたんですが、京都ではそれ以上にやせていて低血糖で倒れました。京都で入院し、やっと宮崎に連れて帰ってきた翌日にまた倒れて救急車で運ばれたのが2年前の5月でした。以前はあちこち入院して3ヶ月毎に転院しないといけなかったんですが、1年前から鹿児島の療養型の病院に入院しています。今は落ち着いて療養できています。車イスにも2,3時間座っていられるようになりました。 週末に2回目ですが、2泊3日で家に連れて帰ろうと計画しています。娘が帰りたがって、とっても楽しみにしています。こんな外泊をくり返していく中で少しずつ変わっていくのかなあと思っています。 「今を受け入れる」という言葉がありましたが、それがいいんだと思っています。以前は、自分が何とかしよう、いい方法はないか、と思っていましたから。 今は自分の楽しみもあり、良かったです。太極拳の他にヨーガも始めました。 今年になって3ヶ月親の会に来れなかったんですが、親の会に来ないとどうしても世間に触れて不安が増幅してしまいました。自分達は年とっていくのに、この子はどうなるんだろうとか、自分の体力が落ちて娘をかかえきれなかったらどうしようとか…。やっぱり親の会に行かなくちゃだめだと先月はつくづく思いました。夜、寝る時に考えると不安になって眠れなくなるので、心配ごとは明るい昼間に考えるようにしています。 ―――ご夫婦仲はどうですか? そうですね。よかったり悪かったりですね。年とともに考え方が違ってきて、でも子育てでは一致していますので。 ―――ご夫婦で楽しんでいけばいいですね。子ども達を信頼してね。あなたのお顔がだんだん明るく元気になってきていますね。 以前は、子どもに悪いなあ、すまないなあと思っていましたけど、逆にそんなふうに考える方が子どもに失礼だなと思って。なるようにしかならないし、自分が楽しめばいいかなと思っています。 娘も「今日はこんなだったよ。あんなだったよ」という私の話をよく聞いてくれます。腫れ物扱いせず、普通にやっていけばいいんだなと思っています。 私は学校とこう付きあった みどりさん (「学校に悪い」からと、PTAの役員をしたり、毎日欠席の電話をしているという初参加のお母さんへ) 私も長男が小2のときに、見かねて学級委員長を引き受けてしまったんです。息子が行かなくなって、この会で言われることは頭の中で分かっていても、子どもがいろいろ言われているから、親だけはちゃんとしないといけない、という感覚がありました。私が学校に行くことで、子どもをかばっているような気持ちでした。 でも、やっぱり学校に行くと、我が子が担任によって傷ついたという思いがあるので、行った後は1〜2日は寝こむほど疲れていました。今思うと、その時の自分はまだ学校に縛られていたんだなと分かります。 「義務教育」についても間違った理解をしていて、「学校は嫌でも行かなければならないところ」というのがどうしてもありました。けれど、親の会に参加して「子どもが学校に行くのは権利」、だから「行ってもいいし、行かなくてもいい」と知りました。 それを知っていたら、最初から違っていたかなと思うぐらいでした。それは先生達も知らないことだったので、後でやり取りをしたときに「義務教育とはこうですよね。うちの子どもは権利を行使しているだけで、私が行かせていないのではありません。誤解のないように。子どもには行きたいときは行けばいいと言っているんです」と言いました。 HPをさかのぼって、私が発言したところを拾っていたら、校長とのやり取りが出てきて、私も学校とのかかわりを持っていく中でだんだん自信がついてきたんでしょうね。「校長先生は不登校の子をもっていない。私は不登校の子を持っている」と思ったら、その点では強いと思って「うちの子は大丈夫です」と言えるようになっていました。 初めて参加したとき、この会で「今日帰ったら、学校に行かなくていいよと言ってごらん」と言われ、借りてきた猫みたいに、そのままを言ってて、心の中ではどうかなと思いながら、言葉にすることから始めました。けれど、だんだんほんとに自分の身についていって、少しずつそういう自分になってきたというのがあります。 親の会に参加して13年ぐらいです。3人とも不登校です。今年、長男が21歳で東京の大学に行きました。 |
最終更新: 2012.6.22
Copyright (C) 2002-2012 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)