登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2013年1月例会より


目次

1 やっとの思いで告げる   ジュンさん

2 ワクワクじゃなくて、ドキドキ・・   透さん・明子さん

3 うれしいことが三つ!   しずりんさん

4 自由に息をしたい    ヒメさん

5 どちらに転んでもシメタ!    重則さん・淳子さん

6 わが息子に感謝!    ちーちゃん





やっとの思いで告げる    ジュンさん



昨年11月に、コンビニの本部の担当者に言うことができましたが、夫にそのことを言えず悩んでいました。年末に夫が「返済のお金が足りないから準備してくれ」と言いました。これはやっぱり夫に言わないといけないと思ったんですが、すごく怖くて、店で大声を出されたら困る、ファミレスのように人が多いところなら大丈夫かも、ご飯を食べながら何気なく言おうと、食事に誘いました。

私は勇気を出して「もうお金を立て替えるのは最後にしてね。本部の人に店のお金を使いこんでいることを言ったよ」「担当者からは、今回きりですよ、次はないと思って下さいと言われた」と言いました。そしたら夫はすごく驚いて、「ええ〜言ったの!」「もうおわりだ〜」とショックで気が抜け観念したようになって、「わかった」と言いました。

私はこのことを言うまでがすごく怖かったんです。怖くて、怖くて、やっとの思いで言って、夫も納得したので、私は力が抜け、今までのしかかっていた大きな荷物を下ろしたような気がしました。ここまで出かかっているのにとにかく言えなかったんですね。でも今回は、この会で話をして励まされ、押し上げてもらって、やっとの思いで夫に言うことができました。本当に良かったなと思ってホッとしました。


―――親の会に参加していてよかったですね。


子どもはどうにでもなる、でも夫のことは私だけの力ではどうにもならないと、ずっと抱えてきた大きな問題でした。それ以来夫は、何か欲しい時には私に言って来るようになりました。黙って使いこまれるのが一番大変でした。こんなことならもっと早く言えばよかったなと思うんですが(笑)、とにかく怖くてしようがなかったんです。最後の借金も母に出してもらいます。母もホッとしていました。


―――おつれあいさんに話が出来たことは、大きな一歩でしたね。言えた自分に、まずは大きな花マルをあげましょう。「今回限り」と言って、今までお母さんにお金を工面してもらったのはどのくらいあったの。


5回はあったと思います。20万、30万と、お金を出してもらいました。


―――「今度だけ」を何回も繰り返してきたのね。糖尿病ももっておられるのね。


薬は飲んでいるようですが、ひとり暮らしなので私も面倒を見ることはできません。
やっぱりパチンコが好きな人は止められないので、信じてはいないんですが、とにかく本人にとっては本部に知られたということが一番のショックで、次はないと思ったようです。どこまで保てるかはわかりませんが、とにかく手を出したら終わりと思っているし、本部の人も時々店の金庫を見てくれています。


―――まだ言ってから数週間しか経っていませんからね。「今度だけ、今度だけ」と繰り返してきたわけですから、また助けてくれるだろうという気持ちはあると思います。

先月、あなたのほんとうの気持ちは、とおたずねしました。
「私は何年も自分を最優先にするという気持ちがなかったと思うんです。母のため、子どものため、自分が頑張れば丸く収まる。皆の幸せが自分の幸せ、と考えていたんです。ですから今、自分を最優先にと言われても、自分の気持ちがどこにあるのか、わからなくなってしまうんです・・・」
と初めてご自分の気持ちを言ってくれましたね。

ジュンさんのお話の核心はここにあります。それで私は次のように書きました。
「‥‥子どものこと、夫のこと、舅、姑のこと、周りのこと、そのことを全部うまくいくようにして自分のことを後回しにしてきたのね。そういう考え方をする自分も否定しないで『ふたりの自分』がいるんだなと認めてくださいね。そのうえで、どっちがうまくいくか予想を立てて考えていくとイイですね。」


自分の気持ちを言えたことは、まず第一歩です。これまで自分の気持ちを後回しにしてきたと言うけれど、どんなに後回しする人でも、やはり自分を大切にしたいと思っているんです。夫と別居したというのは自分を大切にした何よりの証拠でしょう。今度はお母さんにお金を出してもらわない。弱いものに怒鳴るのは大きなものに対しては非常に弱いんです。夫はほんとうは弱かったんだなあと思うといいですね。「今度」は絶対にない、と決意して、自分を最優先に考える、自分の人生を大事にすることをいつも物事を考える基準にしていきましょう。






ワクワクじゃなくて、ドキドキ・・    若松透さん・明子さん



若松透さん:2年前に教員を退職して、今、お年寄りを対象に「たのしい科学の授業」をしています。最高齢は92歳です。私の父の仕事関係のつながりの娘さん、と言っても82歳ですけど(笑)、父が死んだ後さびしくなったのか、「透ちゃん、ちょっと来て」と呼んでくれるんです。妻とも仲良くなっていろんなことを教えてくれます。

そのおばちゃんが世話役で「老人の集まり」をやっているんです。手遊びとかボールころがしとか、いろいろやってきてもうネタが切れて、私に何かやってくれと「たのしい授業」をすることになったんです。そこの地域は、ほんとうに老人が8,9人しかいないどんづまりの集落なんですよ。82歳のおばちゃんがその中で1番若いんですから。(笑)

鹿児島弁丸出しの話はほんとうに楽しいんです。「嫁に来てみたら、夫の兄弟が多くてどの人が自分の夫なのかわからなかった」とか(大笑)、農作業のユーモラスな風景がほんとうにおかしくて、録音して「鹿児島弁」を残しておきたいと思うぐらいでした。

昨年の4月に呼ばれて、集落の公民館でやったんですが、とんとん車(運搬車)に毛布などをおばさんが積んできて、自分より年上のおじいさん、おばあさんを集めてきました。(笑)

その時は「コロリン」という授業をしました。「スポーツドリンクとシーチキンの缶を斜面で転がしたらどっちが早く下まで転がっていくか」「ビールの大ビンと小ビンではどうか」などです。予想が当たると「当たった!」と言って、おばちゃん達はほんとうに大喜びです。(笑)

昨年の12月は「真空を作る」という授業をしました。みんな驚いて、その表情がまたかわいいのね(笑)。歳を重ねても好奇心がわいてくるんだなぁと思って、「すごい」と感動しました。92歳のおばあちゃんは、手品と思ったらしいけどね(笑)。

子ども相手のときは、参加費をもらうけど、おばあちゃんたち曰く、「向こうも退職してヒマなんだから」でおしまい!(大笑)。行政から補助金が出るらしく、お弁当をとって食べたあとは、三味線や太鼓がはじまります。(笑)

明子さん:「はい、踊いやんせ」と私をひっぱり出し、お面をつけてハンヤ節を踊らされるんです(大笑)。7,8人のうち踊れるのは2人のみで、あとは足が痛いと言って座って見ています。(笑)

透さん:そのしぐさがかわいいのね。ものすごくユーモラスで、みんな何かを求めているんですね。大崎町の包括支援センターの人から「こういう集まりが22ヶ所あるので、声をかけるかもしれません」と言われ、「いいですよ」と答えておきました。お年寄り相手に「たのしい授業」ができたことはうれしかったですね。

僕が住んでいる鹿屋では、10年前から子ども達を集めてたのしい授業をやっています。それは1レッスン、1コイン(500円)です。たのしい授業の日が近づくと、今度もうまくいくかなと思ってワクワクじゃなくてドキドキします。終わるとホッとして、子ども達とワクワクします。


―――何十年やっていても、ドキドキするの?


透さん:そりゃそうですよ。鹿屋は公民館に募集を掲示してくれて集まるけど、昨日の都城は全くはじめてで、僕の教え子のお母さんが呼び掛けてくれて、親が3人、子どもが11人集まって、とっても楽しくて、次回の日時も決めてきました(笑)。

退職して楽しくやれてよかったなあと思います。自分の不本意なことはしなくていいのでストレスもありません。

昨年、時間講師の話がきてある小学校に行きました。その学校では「あいさつ運動」に取り組んでいて、さっき授業して別れたばかりなのに、廊下で会うと「こんにちは、こんにちは」(笑)、「さっきあいさつしたよ」と言っても「こんにちは、こんにちは」です。そのくせ、校外へ出るとあいさつはしないんです(笑)。学校長の話の中でも「あいさつが足りない」と言うんです(笑)。職員室へ行くと、子どもを正座させている先生もいて、職員室へ行きたくなかったです。校長にも言ったけどね。そこから離れるとほっとします。小学生はかわいいですよ。

一昨日は小学校の複式学級へ行きました。「仮説実験授業」をすると、子ども達はみんな輝くのね。3年生7人、4年生1人でしたけど、授業している浜崎先生の傍まで行って子ども達の写真を撮りました。これからもそんな授業をいろんなところでしたいですね。

明子さん:昨年長男に子どもが産れました。12月31日は両家10人がお宮参りに行き、1月2日は私の家に両家が集まり、100日のお祝いを午後1時半から夜の10時くらいまでみんなで盛り上がりました(笑)。もう一大イベントで、1日で2013年がすべて終わったような感じでした(大笑)。そういうことができてほんとうにうれしかったです。幸せだなぁと思って。


―――ひとつの命がみんなを結びつけてくれてね。(はい)すばらしいですね。






れしいことが三つ!     しずりんさん



髪型を変えたんです。(「とってもかわいい!」の声)「auの宣伝に出ている剛力彩芽の髪型を」と言ったらこうなったんですが、娘達から大不評でした。(笑)

夫は12月30日から実家に帰って1月2日に帰ってきました。息子は忘年会とカラオケに行き、私はひとりで楽しい時間を過ごし、夜中に息子と年越しそばを食べました。

年末から嬉しいことが3つありました。1つは、夫がくも膜下出血から2年経ち、MRI検査で「これでもう30年大丈夫ですよ」と太鼓判を押されました。「えーっ、30年! 今、60歳だから90歳まで生きないといけないよ」と大笑いでした(笑)。

2つ目は、夫からプレゼントをもらいました。ふたりでデパートにお歳暮の買い物に行った時にすてきなネックレスを見つけたんです。夫が買ってあげると言ってくれた時、今までそんなことはなかったので、「期待しないで待っているわ」と言ったら、クリスマスにプレゼントしてくれました。

3つ目は、1月3日に墓参りに行き、その帰りに花の苗をいっぱい買ったことです。すぐに植えて幸せな気分でした。夫は好きなパチンコへ行き、息子は2階で好きなことをして、私は花がいっぱいできれいでとても幸せでした。

夫の父が最近同じことを繰り返し言うので「認知かも」と言っていました。夫は優しいので父から「お前がいないと俺はないもできない」と頼りにされています。

我が家は夫が実家から帰って来てから新年会をします。娘達はそれぞれの過ごし方で、夫と私と息子三人で乾杯をしました。「この頃毎日3人で乾杯だね」と言っています。(笑)

これも親の会と繋がっているからで、もし親の会と繋がっていなかったら、私は毎日泣いてばかりで地獄だったと思います。買い物にも行けず、笑顔もなかったと思います。






自由に息をしたい    ヒメさん



お久しぶりです。昨年の夏に奈良県の教員採用試験に合格し、4月から奈良に行くことになりました。(おめでとうございます)(拍手)

鹿児島大学の教育学部を卒業して4年目の正式採用です。熊本県内で時々教員教員をしていました。私の彼は、熊本の信用金庫に就職したんですが、自分の正義感とあわないと悩み、うつになり、薬を飲んでもよくならず、退職しました。実家の奈良に帰り、専門学校に通って県庁を受け採用されました。私とは学生時代、大学をこえた合気道の合宿で知り合い、交際を6年続けました。3月に入籍します。(おめでとう!!)

私の臨時採用の契約は2月13日までです。うつ治療で病休の先生の代わりだったんですが、12月から治療の一環ということで、その先生が私の後をついて回るんです。「仕事をください」と言われるんですが、全部回すとパニックになるので、一部お願いしています。その先生の自信がどんどんついてきているようで、調子がいいと早く復帰されます。その先生のテンションが上がるたびに、私のテンションは下がっていきます。(笑)

あいさつ運動にも厳しい学校です。ボランティアと言いつつその時間通りに登校しないといけないし、朝寒い8時から、毎日取るから全然生えていない草取りをするんです(笑)。5分間走って掃除しないといけないし、冷たい体育館にも正座しないといけないし、礼もしないといけない。6年生の生徒に「なんでうちの学校はこんなに厳しいんですか」と聞かれました。他の小学校と合同で修学旅行に行き、その小学校が自由にのびのびしているのを見たみたいです。全校生徒が96人で1クラス16人平均です。


―――6年生に不登校の生徒がいて、校長初め教員が「首に縄をつけてでも」とか、「校門にタッチしたら成果」と言っていたけど、どうなりましたか。


たまに来て、担任に会うみたいです。でも1週間に1回くらいで状況に変わりはありません。変わったのは職員室の雰囲気のほうで、「まあ、(それでも)来ているからいいんじゃないの」とか、「(6年生なので)もう卒業だし、責任もなくなる」といった感じです。


―――学校に来さえすればいいとか、その子の気持ちは全然考えていないんだよね。そんな価値観の学校で、自分の精神をまともに保ってよく働いてきましたね。


自由に息をしたいと思う場面がたくさんありました。でも、学年を超えて子どもたちが「遊ぼう」と私を誘いに来てくれて嬉しかったです。「たのしい授業」をしたかったんですが、私は3〜6年生の授業のサポート役として入っているので、担任として授業をすることはできませんでした。6年生の家庭科を担当しているので、教科書を早く終わらせて、後は「たのしい授業」の「煮干しの解剖」をしながら食べようと思っています。(笑)

鹿大で内沢さんの授業を受け始めた頃、「たのしい授業より、わかる授業のほうが大事じゃないの!」と反発しましたが、反発した分、すごく理解できました。奈良では担任として授業ができるのが楽しみです。






どちらに転んでもシメタ!    重則さん、淳子さん



―――先月はお姉さまが亡くなられてご愁傷さまでした。ご病気の時から、しょっちゅう長崎に出かけたり、電話でお話したり、お世話をしてこられましたね。


重則さん:先月は独身だった長崎の姉が亡くなり、親の会を欠席しました。5人兄姉のうち2人欠けました。発病してからちょうど5年半でした。癌が背骨に転移して、入退院を3回繰り返しました。私は末っ子なんですが、一番姉と話ができて、いろいろ面倒を看てきました。最近は自分に無理がないように動いていたんですが、その前は毎週電話をしたりしていました。

やっぱり姉が亡くなった後、自分の気持ちがどーっと落ち込んでしまい、家族には迷惑をかけてしまいました。姉のことと息子の仕事のことでいろいろあって、なんでそのことが不安になるのか、ひとつのことが引き金になって、どんどん自分の中に不安が広がっていくんでしょうね。24歳から動き出した息子は、ホテルを辞めて次の仕事が決まってまた働きだしています。

(―――何が心配なんですか)息子は朝早く出かけるんですが、ご飯もまともに食べているのかなと(笑)、まあいろんなことが心配になるんです。

妻からは「二の舞はしないようにしようね」と言われたんです。最初の頃、親がいつまでもこだわって揺れていたから、それが子ども達に伝わって時間がかかってしまったというのがあったんです。そう言われてから私も少しずつ落ち着いてきました。

自分の退職のことも、こんなに近づくと不安というか、私の専門が活かせる所にたぶん行けると思うので、それはそれでいいんですが、でもそこでちゃんとやっていけるかな(笑)、とかいろんなことが出てくるんですよね。


―――(内沢達):ちゃんとやっていけたら、もちろんそれはいいし、でもちゃんとやっていけなくたって、それはそれでいいんだという考え方が大事だと思います。

僕は鹿大でたのしい授業をずっとやってきてすごい自信があるわけです。でも、今度退職して初めて国際大学のほうで非常勤講師をしたけど、僕が思っていたほどには学生の評価は良くないんです。大学側で用意した無記名のアンケートには相当辛辣な指摘もあるんです。ちょっと傲慢になっていたかなーと反省しています。だからうまく行かなかったら、それはそれで自分にとっていいチャンスになっているように思います。


淳子さん:今回のお葬式で1冊本が書けるんじゃないかというくらい人間関係でいろいろありました。姉の転院の時にポスピスにするか病院にするか、すごくふたりで歩きまわって悩んだ時は誰も来なくて、なんでと思うことがたくさんありました。

皆「弟夫婦はよくしてくれた」と言ってはくれるんですが、誰もほんとうの夫の気持ちを思って心配してくれてはいないと思うんです。今回のお葬式で私自身びっくりすることがいっぱいあったので、夫はなおさら兄姉のことで傷ついていると思います。夫はまだ行かないといけないし、それが大変なんだと思います。私も姉ともっと本音で語り合えたら良かったなという心残りがあります。

息子が仕事を辞める時に簡単に再就職ができるとは思っていませんでした。「ホテルの人達は息子に期待してくれていたし、長い目で見れば、望まれる所で好きな仕事をした方が給料が安くてもいいという考え方もあるかもしれないけれど、本人が決めるんだから今から大変かもしれないけれどそれでいいよね。自分達が心配しないようにしたらうまく行くと考えることが予想を立てるということだから」と話したんです。でも夫はすごく機嫌が悪いんです。


―――ちょうどいい時に親の会があるのね。(笑)


今なら軽いうちに夫に何でも言えるんですけど、以前はそういうことを直接夫に言うことができなくて、親の会で皆さんに聞いてもらって、私は安心することができたんです。そうしたら夫にもだんだん話ができるようになりました。


―――淳子さんも考えすぎないようにしてね。淳子さんは今いいことを言われましたね。「心配しないことがうまくいくということだ」と。「自分の思うようにいかないことがたくさんあって、この世の中うまく行かないことがあって当たり前」なんですね。

先ほど若松透さんがたのしい科学の会を毎月のようにやっていても、毎回うまくいくだろうかとドキドキすると言われました。何十年やっていてもね。重則さんは自分の今後のことやお姉さんが亡くなられたこと、息子さんの再就職のことも重ねて不安になった。達は国際大学での学生のアンケートを見て落ち込んだ。まつぼんさんも職場の不安が引き金になって、気管支炎になって喘息も出てきて、そうしたら昔の職場でのことも思い出して怖さも出てきてしまった。私はやっと足のけがが治って楽しくやろうと思ったら、今度は手の骨折ですものね。本当にうまくいきません。

そんな風にうまく行かないことって当たり前なんですね。それをどう考えるかということですよね。私ってついてないな〜、いやだな〜と考えると落ち込んでしまう。しかしそのことがいいバネになって力になる、と考えるのでは全然違いますよね。

心配しないとうまくいく、じっとしていたら必ずなるようになって行くんだと思うんですね。お葬式後の後始末も気を使わないで淡々とこなしていけばいいんじゃないかと思いますよ。再就職もなるようになって行くと思います。達もとてもいいチャンスをいただいた。うまくいかないことがあるわけです。



淳子さん:兄の娘の結婚式の招待状が来ました。娘も出席すると言って、昨日は仕事の休みももらって、ふたりで服を買いに行きました。何軒も見てまわって、娘は「私ってかわいいんだ〜」と言って、ノ―スリーブのリボンのついたかわいい服を買いました。20代の初めの頃は、外にも出ないし、お金を使ったら悪いと思っていたらしく、服を買ってこようかと言ってもいいと言って、中学生の頃からの擦り切れた服を着ていたんです。夫に「これ買ったんだよ―」と見せていました。嬉しそうにしていて、私もそれが嬉しかったです。昨日は娘にランチをおごってもらいました。(笑)


―――(内沢達):僕らは「大変だな〜、なかなかうまく行かないな〜」と思うことが度々あります。そのとき、「自分をとりまく環境が大変、まわりが大変」と思いがちですが、じつは環境やまわり自体が大変なのではなく、「大変」と思っている自分自身を扱いかねて大変になっているんです。

そうしたとき緑色の冊子の一番最初に紹介しているアランの考え方が役立つと思います。自分が大変になっているのは、アランの言うまさに「人間には自分自身以外に敵はほとんどいない」「最大の敵はつねに自分自身である」状態です。環境やまわりは、私たちの意のままにならないのが普通です。だから自分の思った通りにならないからといって、自分を責めてはいけない、自分自身の敵になってはいけないんです。

まわりが主人公ではなく、自分が主人公なんですから、「うまく行かないな〜」と思っているときほど、自分を一番いっぱい大切にして「自分自身のかけがえのない友になる」ことが大事なんだと思います。






わが息子に感謝!    ちーちゃん



―――ちーちゃんの先月のお話もとても勉強になりました。息子さんに内緒で保険外の高い歯を手配していたのを、息子さんはちゃんと見抜いていて「お母さん、いい加減気づいてよ。僕は、12万円もする高価な歯が欠けても自分では入れられないんだよ」という話でした。大事な言葉ですね。我が息子を誇りに思ったらいいですね。あなたも素直で素晴らしい。「子育ても初めて、犬を飼うのも初めて、だから失敗するのよ」。いい言葉ですね。(笑)

お姉さんが鹿屋で、お姉さんの息子さんがテニスの特待生で鹿児島市内の高校に今年の4月から入学して、あなたのすぐ隣のご実家に預かることになって、手伝ってと言われて、ムリだからとお断りしたのね。


私の姉も自分の用事中心に動く人なので、今年のお正月は来ないからと母から聞いていたので、お年玉3人分出費しないからラッキーと思っていたら、31日に家族で来て、3人分のお年玉と、一番上の子は大学生で今年成人式と聞いて、そのお祝いも慌てて準備しました。(笑)

姉の夫が、私の夫に「来年から、息子が高校に行きますからよろしく」と言うので、夫も、笑って「ああ〜」と言っていました。でもそのおかげで、やっぱり家族だけが大事なんだと夫と暗黙の了解で、「自分たちの家族を守らなきゃね」と気付かされました。お金の出費はありましたけど、いい勉強になったと思いました。(笑)

お互いに口には出していないんですけど、うちの息子が不登校になったときにも、心配してくるわけでもなく、ただ用事があるときだけ電話をかけてきて、それが分かったので、自分たちもできないしね、という話をしました。


―――お父様から、面倒をみることが、あなたの息子さんのためにもなるからと言われたのね。


息子が甥っ子とひとつしか学年が違わないので、甥っ子が来ることで、うちの息子も「外に出よう」と思うよ、というようなことを言われたので、「いや、全然関係ない、そのためにお母さんが預かろうと思っているんだったら、それは違うからね、いっしょにしないで」と言いました。

姉の子どもは、一番上が大学生で、二番目は女の子でピアノをやっていて鹿屋の高校に行っていて、3番目が男の子でテニスをしているんです。

息子が中1のとき、私自身が悩んでいた時期に、姉に相談したら「うちの息子に聞いたら、友達だったらかかわらない、同級生だったら友達になりたくない、と言っていたよ」と、そういうことを平気で言う姉なんです。その時は、私は息子をどうにかして不登校を治さないといけない、私の育て方がいけなかったんだと自分を責めていたんです。

でも、何年も引きこもっているうち、こんなに冷たいことを言われて私は笑っていたんだと思って、姉妹、いとこ同士と思いながらも壁が出来てしまいました。息子が引きこもっている間に、姉の長男が学生になり運転免許を取りたいと、姉が「運転免許代ぐらい出るんだったら、あなたの息子の家庭教師をしてもいいよ、と言っているよ」と、母を通じて言ってきたんです。そういう流れなので、言う方は悪気はないと思うんですが、心が傷つきました。今回も預けて、お母さん達が大変だったら、私が手助けしてくれるだろうという思いがあったのかなと…


―――あなたは心が傷つきましたね。不登校に対する偏見で一番心が傷つくのは親、姉妹の心無い言動なのね。


息子が不登校になるまでは、私は次女だから姉の言うことを聞いて、姉を立てていればと思っていて、喧嘩したら絶対叶わないと思っていました。ひとこと言えば、返ってくるのがすごいですので(笑)。今回甥っ子が近くに来ると、やっぱり可愛いので、つい世話してしまうかもと思いますが、自分の家庭がぐらついたら嫌だし、息子にもまだ言っていないんです。息子にはわざわざ言わなくても良いですよね。


―――息子さんに感謝しないといけないですね。息子さんのことじゃなくて、自分のことなんです。そういうお姉さんに口答えしないで、自分も一所懸命教育ママをしようとしたけれど、どうやらそれはおかしいなということを息子さんが気付かせてくれたんでしょう。そういうお姉さんとも少し距離を置こうということも気付かせてくれたわけで、言うか言わないかは、どっちでもいいんです。

これからとってもいいチャンスがいっぱいでてきますよ。世の中にはうまくいかないことがあっても当たり前だけれども、実はそれが一番いいチャンスになるということなんです。甥ごさんのことでもいろいろ出てくるけれど、ちーちゃん自身が、何より命が一番大事、家族が大事と生きていけばいいと、自分に自信を持ついいチャンスなんだと教えてくれるんじゃないかな。

不登校になった初めのうちは何とかして・・と自分を責めたりしたけれど、年月がたって、気がつくと、息子さんのおかげで親子がとても信頼し合っている、ご夫婦も愛情が深まっている、「我が家は世界一幸せ」と確信を持って、大きな財産にしていきましょうね。

困ったときが絶好のチャンスですね。いろいろ困ったことがあっても、それは神様からのプレゼントと思って、親の会で励ましあって、元気をたくさんもらっていきましょうね。




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最終更新: 2013.4.6
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