登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2013年11月例会より


目次

1 学校とのやりとりはほどほどに    SNさん

2 まだ心にとげが…    ここさん

3 勇気を持って夫と息子に話す    Mさん

4 私が輝いていたら息子にも伝わる    TNさん





学校とのやりとりはほどほどに    SNさん



中2の次男です。次男は学校に行こうとして、茶髪を黒髪にして行くと教師に取り囲まれました。先月は私が学校に「暴言はやめてください」と言いに行きました。

今度は、次男が修学旅行に行きたいというので、校長に話に行きました。次男は父親(別れた元夫)と学校に行きたいと言ったので、父親に電話しました。父親は「校則通り髪を切って行けよ」と言う人なので、わかっていなくて、学校へも風邪だと言って来ませんでした。電話で話している途中に「お前が」という言い方をされ、以前のことを思い出して気持ちが悪くなりました。結婚しているときは、怒鳴るし、罵声もひどくて、私は恐怖で動けなくなりました。


―――親の会にはどうやって出会ったの?


初めは長男が小6のとき行かなくなって、親の会に出会いました。長男が非行に走って、どこかのNPO法人とかから「僕が行かせてあげます」と電話がきました。そこは結局教材を売るところで、20数万円もの教材を買わされました。でも、長男は18歳くらいからお金はかからなくなってちゃんと働いています。


―――不安になって、なんとかしようと焦ったりするんだけど、焦って動こうとしないということですね。すると、ちゃんと落ち着いていくのよね。


担任や生活指導の先生から次男は、「フリースクールに行ったらいい」「フリースクールは心の弱い子、校則を守れない特別の子が行くところ」(笑)と言われました。私が「そういうふうに言われましたよね」と言うと、「そういう選択もあるという話で僕はすすめてはいない」と言いました。

次男から聞いたことを紙に書いて行ったんですよ。校長は「それはお子さんが言ったことですよね。それだけを信じることはできない」「先生方にも確認をとらないと僕は何とも言えない」と言うので、「先生たちは自分を守るために、そんなことは言ってないと言いますよね。でも子どもは正直だから、この通りだと思います」と言ったんです。

でも、校長は「僕は次がある」と言って、約束を取ってから来ましたという私に、「こんなに30分も長くなるとは思わなかった」と打ち切られました。

「修学旅行は担任と学年主任の判断ですから」と言われて、また学校に行きました。
「ちゃんと髪を切ってくれ」と言われ、怒りがこみあげてきて、「あなたたちが行かせないんですからね」と言って帰ってきました。

子どもが髪を切って行くと言って、修学旅行に行きました。
その後学校に行くときは午後から行っています。

長男のときは学校からの苦情がものすごかったんです。「あめだまをもってきた」「友だちにあげた」など逐一プリントにして持ってきました。今は学校からは父親のほうに行きます。私の家には電話がないので。


―――学校とのやりとりはやればやるほど疲れ、怒りが加速していきますよ。ですから、こちらの言い分を言ったら、あとは子どもの判断に任せたらいいですね。それでないと息子さんはお母さんのために行こうとします。頑張ってきたお母さんに悪いと思ってね。「自分が、僕が行きたいから行く。行きたくないから行かない」という判断が大事ですね。子どもが自分の判断で決め、自分の意思でしたことは、たとえうまくいかなかったとしても、それが生きる力になっていきます。


息子は学校の近くに遊びに行くとすぐ警察が来て「怠学」と言われたり、友だちと一緒に学校に入ったら不法侵入だと言われました。一緒に行った友だちが窓ガラスを割ったんです。息子が深夜徘徊をして小学校に侵入してビデオを見て、そのことで児童相談所に父親と息子が呼び出されています。


―――息子さんはあなたに全部話すし、あなたは息子さんが学校でいろいろあったことも承知しているし、親子の信頼関係がちゃんとあるんでしょ? ですので、息子さんに「法に触れるような人に迷惑をかけることはしてはいけない」という一点は強い意志でちゃんと伝えること、同時に「自分を粗末にしてはいけない、もっと大切にしていこう」というあなたの思いを伝えることは大事ですね。

子どもは自分が辛く苦しいとき、その辛さをいろんな形であらわします。そこは受け止めてあげなければいけません。でも、それは辛かったら何をしてもかまわないということになりません。親が、子どもがしてはいけないことは「いけない!」と強く言って、するのをさまたげなければいけません。子どももじつはそれを望んでいます。

この機会を大事なチャンスととらえて、あなたの決意を息子さんに示す時です。
学校側に理解がないことなどたいした問題ではありません。あなたにとって元夫との関係のほうがよほど大変だったと思います。でも、時間をかけ元夫の影が消えるようにもなってきました。

かけがえのない息子さんです。息子さんへの愛情に不安がないかぎり大丈夫です。
愛情に勝るものはありません。だから、拒絶するところはきっぱりと拒絶してください。
そして時間をかけ毎日誰よりも自分自身を一番大切にしていくことを心がければ、必ず道は切り開かれると思います。






まだ心にとげが…    ここさん



先日息子は20歳になってケーキでお祝いしました。高校に入ってすぐ部活で行かなくなって3月で高校を辞めて家にいます。そのときは「何で俺を産んだんだ、生まれてこなければよかった、俺の人生をめちゃくちゃにした」と私を責めました。私は息子にびくびくして自分の子育てを責めましたが、親の会に参加するようになって考え方が変わりました。

でも、この会の考え方も初めのうちは違っているんじゃないかと思っていました。それは、少し休んだら学校に行けるようになるかもしれない、いつかは学校にもどってくれるかもしれないと思っていたからです。

でも、行けない日が続いて、それはあきらめました。
その後、暴言がひどくなっていったんですね。昼夜逆転もしましたし、私の作ったものは食べないと言ったり、薬を買ってこい、俺はもう死ぬ、と言ってみたり、ほんとに死んでしまうんじゃないかと不安になって、明日はない、私もどこか行ってしまいたいと思いつめ、夫からもお前の対応が悪いと言われて、絶望的になっていきました。

親の会で、自分の好きなこと一生懸命になったらと言われました。
私の好きなことは歌だったり、アロマだったり、最近はタロット占いで、それに夢中になっていくと、息子にも笑顔が戻ってきました。

なんどか「自分だけ幸せになりやがって」と言ったりして、少し揺れもしましたが、それは私を応援する言葉だったんだとわかるようにもなりました。

そのまま突き進んでいってよかったなと思います。
いまでは笑顔がいっぱいで優しい息子です。外出先から「今から帰るから」と電話すると、電話口に犬を連れてきて、可愛い声で鳴く犬の声を聴かせてくれるんですよ(笑)。
みなさんにも聞かせてあげたい(笑)


―――さて、息子さんと娘さんはお父さんと話をしない、お父さんはリビングで夕食を取れないという状態なのね。でも、あなたが今まで勇気をもっていろんなことを打開してきましたね。


そうですね。もともと仲良し家族で、息子も娘もお父さん大好きでしたから。今は、今その状態が楽だから、マンネリ状態で。夫も今の状態をいいよと言うので。


―――今の状態をそのままにしていこうとは思っていないでしょう。まずは自分のこと、次に夫婦の関係を大事にしていくことですね。あなた自身がおつれあいさんと自然な関係になることが最優先ですよね。


長く良い妻を演じて仮面をかぶってきたので、だからまだ夫を大事にできないんですよね。夫が2階にいると私が楽だなあと思ってしまうんです。車も買ってもらって感謝してるんですけど(笑)、まだ心にとげが刺さっているんですよね。いつも自分のほうが悪いと自分を責める癖がついてしまい、そういう気持ちはよくないんだとこの会で気がついて、早く気づいて夫に言えばよかったんですが、気がつくのがここ数年でしたので。自分をおさえる時間のほうが長かったんですね。


(翌12月例会に続きのお話があります)





勇気を持って夫と息子に話す    Mさん



私は、東京の大学へ進学したけれど退学してアパートでひとり引きこもっていた息子のことを夫に言うことができず、ずっと隠していました。この親の会でアドバイスをもらい勇気を持って夫に話すことができたのは、昨年の11月のことです。その後サプリにはまっている息子にも鹿児島で一緒に暮らしたいから帰ってきてほしいと言うことができました。

私の実家のことや、いろんなことが重なって、心療内科を受診するくらい心身ともに疲れ切っていた私でしたが、夫へ、息子への思いやお互いの気持ちを素直に相手に伝えることができて、今夫とは夫婦の愛情を取り戻しつつあります。

夫は一方的な人で、私はいつもびくびくして自分の言いたいことも言えずに生活していましたので、これからはふたりで協力し合って乗り切っていけることがとても嬉しいです。


―――本当によかったですね。あなたは長い年月をかけて、息子さんのおかげでご夫婦の信頼関係が深まって、夫婦の愛情が戻って、何よりですね。「困ったときこそが絶好のチャンス」ですね。ご実家のことはなるようになっていきますよ。先月みーやさんもお母様のことで同じような体験をされたと話されました。自分のことを一番大切にすることです。これからもご夫婦仲良くね。あなたの不安の根源が取り払われて、するとこんなにも霧が晴れていくのね。


夫の赴任先の京都に行くと旅行をしたりして楽しいのに、「夫になぜ話せないんだろう」といつも思っていました。今回は私がとっても苦しい時だったので、打ち明けたら夫も受け止めてくれて、スムーズに話が出来て胸のつかえが取れ、安心感が自分の中に広がりました。

夫婦仲が悪いと息子にも自信を持って「帰っておいで、一緒に暮らそう」と言えないと不安に思っていたんです。それからは息子とも気軽に話せるようになり、ものすごく安心しました。こんな簡単なことがなんで何年間も出来なかったんだろうと思いますが、多分今だから出来るんだろうなあと思います。

先日息子との電話で、「今僕は絶食しているんだよねぇ」と言って食べ物の話になりました。以前はこれを言ってはいけない、あれを言ったら息子を傷つけると、親の会で言われる腫れ物扱いをしていました。今回私の気持ちが吹っ切れたのか、何の遠慮もなくいろんな話を息子とすることができました。

「あそこのお店の○○がおいしいんだよね、お母さんが作ってくれる○○もおいしいよね」と言うので、「それじゃ、鹿児島に帰っておいでよ。いつでも食べさせてあげるよ」と言って盛り上がりました。「鹿児島に帰るのはちょっと・・・、お母さんが東京に来れば。美味しいものを一緒に食べに行こうよ」と誘ってくれたので、もう私は嬉しくて、「行く行く、いつがいい?」と聞くと、「僕はいつでもいいに決まっているよ」(笑)と言って。

「スカイツリーも観たいと言っていたよね。僕が連れて行くよ」「狭いけどアパートに泊まれるし」と言うので、「じゃぁ、寝袋を送る」と言って、すぐに寝袋を買って送りました。(笑)  
以前は様子を見に行っても息子の部屋には入れてもらえず宿泊はホテルでしたし、息子の体調が悪くて会えない時もあったんです。ですから今回東京に行くのがとっても楽しみです。


―――自然に会話ができるというのはやっぱり親子ですねぇ。


はい、私はもう嬉しくて、嬉しくて。大学生の妹のことも自然と話題になりました。娘は大学4年なのに全然就職活動をしていないらしいと話すと、「信じられない、あいつは何やっているんだ」「僕が言える立場じゃないけどね」と。すごく楽しくて、楽しくて。今までは息子に負担をかけてはいけないと思って、さし障りのない話をして2,3分で電話を切っていたんです。その時は6,7時間話しました。(笑)


―――全部私たち親自身の課題なんですね。子どもを変えようとしないで、親の不安がなくなって安心がいっぱいになってくると、こどもの状態を異常視することなく、腫れもの扱いもしなくなり好転してきます。Mさんの気持ちが楽になったことが息子さんにも伝わったんですね。東京に行ったら、息子さんにあなたの思いを「帰っておいで」と自信を持って言えるでしょう。


はい。じつは来年の3月に夫の赴任先の京都に引っ越すことになりました。息子へも伝えてあります。夫は「三人で暮らせたらいいなあ」と言っていますが、息子はどう思っているかわかりません。しかし私はまだ不安はありますが、夫と暮らしたいと思っています。


―――良かったですね。どこに移っても家族は家族です。息子さんにもお父さんの気持ちが伝わって安心していくと思いますよ。あなたは自身の勇気でどんどん切り開いて来られましたね。


それは全然違って、親の会の皆さんのアドバイスや支えがあって、やってこれました。いい時期に出会えて本当によかったです。辛い時に「自分が一番幸せになることが大切」と書いてあった文字がひょこっと目に入ったんです。それまでは自分だけが幸せになってはいけないと思っていました。この会があって良かったなあと思っています。


―――親の会のみんなの経験が後押しもしてくれたでしょうが、あなたがいろいろ決断して実行したからこそです。そこに大きな自信を持たれるといいですね。


(翌12月例会に続きのお話があります)





私が輝いていたら息子にも伝わる    TNさん



次男は今年の春、J高校の調理科に入学しましたが、9月に退学しました。4月は行っていましたが連休明けから休みがちとなり、2週間行っては2週間休むを繰り返していました。夏休み中もずっと家にいて「どうする?」と聞いたら、「行く」と言うので様子をみていたんですが、始業式にも行く様子がなく1週間家にいました。「はっきりしないとね。自分で考えてね」と私も夫もさらりと言いました。こっちも気にかけてもやもやしながら生活していたんですが、長男との雑談中にその話が出たらしく「辞める」と決めたようで、その後本人が父親に辞めると宣言しました。

私は担任へメールで「辞めます」と伝えたらスッキリしました。
でも担任からの返信は「学校で審議します」「息子さんと一緒に来て下さい」と言われました。こっちはもう退学届を出すだけと思っていたのでびっくりしましたが、私ひとりで行きました。

担任と生活指導の先生がいて、学校として一生懸命やりましたということを納得してもらいたかったようです。担任はわかってくれましたが、学校側は形にこだわっていて面倒くさいなあと思いました。「お母さん、大変でしたねぇ。私は何十年も不登校の生徒をみてきましたから」と言われ、私は全然大変とは思っていなかったので、「いいえ」と答えました(笑)。

私は親の会に参加して勉強してきたことを話して、「親の会で自分を一番大切にすることが大事と教えてもらい、私は楽しく生活しているし、私が楽しく輝いていたら息子にも伝わると思います」と親の会のことをアピールしてきました(笑)。息子本人が自分で決めてくれたので、私もホッとして安心しました。

次男は小学校の4,5,6年の時不登校気味でしたが、中1の時は普通に行って、部活も楽しんでいたので、中2からまた行かなくなった時には私も「えっ」と思って。休んだのは30日ぐらいです。中3で部活を引退した後バッタリ行かなくなりました。

その時は今19歳の長女が高2で行かなくなった時期と一緒です。長女は2,3年おきに転校していて行き渋りがありました。その時にホームページで親の会を知ったんですが、なかなか参加することはできませんでした。「学校に行かなくてもいい」「ただゆっくり休ませたらいい」と書いてあったので、病院に連れて行くこともありませんでした。

今長女は家にいてお菓子や料理作りを楽しんでいます。私は仕事をしていますし、用事があるときも気軽に娘に頼んで外出できるので大助かりです。でも次男の時は違う目で見ていたので、ショックで落ち込んでやっと親の会に参加するようになりました。

長男は高校に入学しましたが、起立性障害と言われ、通信制に転校してなんとか卒業しました。今大学の2年生です。学園祭で模擬店の責任者となって、忙しく楽しんでいるようで、夜中に帰ってきます。

夫との関係は以前は険悪で、「お前が甘やかすから不登校になった」と責められましたが、親の会のホームページを見てだんだんわかってくれて、今は何も言わずに見守ってくれています。


―――おつれあいさんに、メールで「親の会ホームページのここを読んで」とか言ったりされたのね。


はい。以前の夫はガーッと怒るだけで、子どもたちはじっと我慢して何も言えませんでした。子どもたちが不登校になった年は夫の単身赴任の始まりの年で、子どもたちはそれまで我慢していた自分の気持ちを爆発させたんだと思います。

夫と私との関係は、電話や帰って来た時にいろいろ私の気持ちを出して、少しずつ分かってもらえるようになりました。以前は夫のことが嫌でしたが、3年間ひとりで3人の子どもたちのことを見ていたので、夫が帰って来た時はホッとしましたし、うれしかったです。


―――かえこさんが落ち込んでいる時に「おいしいものを食べに行くよ」と言って連れだしてくれたんでしょう。

はい、やっぱり自分が楽しんでいると元気にさそえます。




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最終更新: 2014.2.3
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