体験談
2013年4月例会より
目次
1 「親」を卒業します かえちゃん
2 「でも、私は負けません」 みーやさん
3 好きなことが増えました! ここさん
4 「イヤなものはイヤ!」堂々と Sさん
5 再就職、保証人の一人は息子 重則さん、淳子さん
「親」を卒業します かえちゃん
息子は、高校1年の3月で退学し、今年10月で20歳になります。4年間家で過ごしています。家で息子が過ごしていることは、もう当たり前に思っています。周りからも何も言われなくなりました。
―――先月の例会で、「自分がネガティブなことを言ったり、相手にいろいろ言ったりする言葉は全部自分に返ってきているんだなということです。ネガティブなことを言うと自分も落ち込んでしまうし、楽しいことを言っていると、楽しいことが自分に返ってくるなあと思います」と大事なことを言われました。
息子が学校に行けなくなったときに、私もいっぱいいっぱいで、息子にとっていいことだと思って学校に行かせようとしました。
同じように、自分と母のことを考えたときに、母も私を一生懸命育て、私も母の言うとおりにして高校、短大に行き、OLになって結婚してきたんですが、最近、母とのことで葛藤があり、私を束縛していると思っていたんですけど、でも、自分の気持が落ち着いてくると、母も一生懸命育ててくれたんだなと思えるようになってきたんです。まだ母のところには行くというところまでにはなっていないんですけど、メールしています。
今日のこの資料(朝日新聞の土曜版「悩みのるつぼ」のコピー。回答者の上野千鶴子さんは、娘さんのことをあれこれ心配する母親に、「娘の人生は娘のもの。あなたは親を卒業しなさい」と書いています)を読んで、中3になった娘に、私の気持ちがこうなりかけているなと気が付きました。
娘は、春休みは午前中部活に行くんですけど、昼から私も仕事がないので、娘とずっと一緒にいると、娘のことに目が行ってしまって・・・。息子のことは目が行かないです(笑)。中3だし、受験だし、とそんなことを考えたり、「○○高校に行きたい」と娘が言うと、ざわざわとしたり…。
私も娘の人生に口を出そうとしているなと気がついて、自分のワクワクが足りないと思ったので、4月からスポーツクラブに身体を動かそうと思って行っています。(笑)身体を動かすと、頭が空っぽになって、余計なことを考えないで済みます。
ここさんがいろんなことを勉強しているのを聞いて、私も勉強したいなと思いました。病院やスタッフが働きやすくなるように、私に出来ることがないかなと思って、病院の経営の勉強をしてみようと、5月からセミナーに通うことにしました。
―――そういういろんな経過があって、じゃ、そうしようという気持ちを発見できていくワクワクがあるよね。(はい)お母さんのことで、自分のことを否定しているわけじゃないんでしょう?
はい。でも、以前父が「お母さんの話をもうちょっと聞いてあげたら」と言ったことは引っかかっています。それ以来話をしていないし、もしかしたら父は「娘ってこんなものか、残念だな」と私のことを思っているかもしれません。
―――そんなことないです。(そうですか)子どもが自分のことに夢中であることは、親にとっては嬉しいことでしょう。それを親に気を使って帰って来るんだったら、気を使っているなとすぐわかります。もし、娘さんがあなたに気を使ったら、どうですか、嫌でしょう。「相手の立場で考える」ということですね。
私の人生は私のもの、娘さんの人生は娘さんのもの、口をはさまないことですね。ご両親の人生もご両親のもの、ですよ。自分の気持ちに正直に生きるということは、人生最大の自分に対する正義ですね。自分の気持ちをないがしろにしない生き方に気がついたから、お母さんの気持ちも分かったんですね。
「でも、私は負けません」 みーやさん
先月の親の会は欠席して、家族4人でハウステンボスに行ってきました。雨にもあいましたが、きれいなイルミネーションも見られて楽しかったです。2日目は、夫は疲れてイスで休んでいましたが、息子たちは大きな迷路で遊んだり、私も園内をずっと回って楽しみました。
―――長男さんは人を拒否するということは?
家の近くがダメですね。今は友人もいないし、カード大会にも行っていません。
4月になって親戚は当然どこかの高校へ入学したと思ったらしく、長男に「入学祝」を持って来たんです。親の会でも話しましたが、1年前に従兄の高校入学祝いを親戚が集まって盛大にやったんです。息子は皆とゲームができるからと別に行くのを嫌がらなかったんです。その時「来年は○○君の番ね」と言われたんですが、私は「無理だろうな」と思っていました。親戚は「お祝いの席」が設けられるのを待っていたようでしたが、何も連絡がないので様子伺いで「お祝い」を持ってきたようでした(笑)。
私は「別に進学もしませんからいりません」と言うと、「卒業祝い」というわりには、なんで高校にいかないんだ、親が甘やかしすぎだ、社会の厳しさを教えろ、挙げ句の果てには私が働いているから悪いんだと、共働きでお金があるばかりに長男に買い与えたのがこの結果になったんだといろいろ言われて、本当に腹が立って「お祝いを破り捨てようか」と息子に言ったら、「いやいや、もったいないから」と言われて(大笑)、私は本当はそのお金を捨てたかったです。(笑)
―――「あなたが働いていて、甘やかしたからそうなったんだ」と責められたのね。あなたのお連れあいさんも「そうだ、そうだ」と同調して。(笑)
はい。「お前がいろいろ買って甘やかしていた」と言われました。たぶん子どもに使うより自分の小遣いを増やしてほしかったんじゃないかと思います。(笑)
夫婦仲は険悪じゃないけど、4月は本当に仕事が忙しくて、夫と話をする暇もありませんでした。夫は強い薬を飲んでいるので、職場で日中起きているのが精いっぱいで、帰宅したらずっと寝ています。職場の人達もわかっていると思います。夫は私には何も言いませんけれど、きっときついと思います。
課の皆さんもカバーしてくれて、きっと夫は迷惑をかけていると思います。一度だけ夫の職場の方から「ご主人は辞めて、奥さんが働いたらどうですか」と言われたことがあって、先輩として信頼していた人でしたからすごいショックでした。ある意味肩たたきでしたね。私は定年までは働きたくないです(笑)。
私の同期達はみんな役職につく年齢で、私は自分の性格からして、役職につくのはストレスです。今年も半分は「もしかしたら」という思いと、今のままで働き続けたいという思いがありました。昇進はストレスだけど、昇進しないのは自分が評価されていないからだと思うと悔しさもあります。本当に半々ですね。
私は夫とは同じ職場なので、今の別の勤務場所の方が楽ですね。深く考えて行くと「夫のせいだな」と思ってしまって。夫が先に辞めたら困ります。(笑)
―――考え過ぎてしまい、先々の不安を自分で作っていますね(笑)。あなたのメールにあったように、親戚の方達からいろいろ言われても、「でも私は負けません」という気持ちがあれば大丈夫ですよ。「解決の道は自分の中に」です。自分の気持ちに負けて、自信を失うことが1番の困難ですね。
私の母も少し認知が入っていて、長男へ「学校へ行け、行け」と何回も言います。(笑)
―――息子さんは一番健気ねぇ。偉いですね。息子さんを見習うといいね。「負けない」という強い気持ちで毅然とした態度がなによりの息子さんへの支援でしょう。もう、「死にたい」とは言わないのでしょう。
それはなくなりましたね。でも「俺、大丈夫かなあ。どうしようかなあ」とは言います。昨日、母と私と長男で買い物に行きました。長男が荷物を全部持ってくれて「ああよかったねえ。長男がいてくれて」となりました(笑)。母が「宝子だよ」と言ったのを息子は聞いていたようです。
―――学校に行かないというだけで人間の価値を決めるのはほんとうにおかしいよね。そういう親戚とはお付き合いしないことですね。お嫁さんとして夫の実家との関係でストレスや困っていることはないんでしょう。
夫の実家のことは何もしません。義父は亡くなって、義母は結婚してない妹と同居して他に市内に娘が3人いて、入れ替わり立ち替わり面倒を看ているので何の問題もありません。お正月とお盆に行くくらいですね。
私の楽しみはランチの時間です。パレスインホテルはドリンクバー付きですし、鹿銀近くの「ノギノエ」とか「gokugoku」とかおすすめです。
今度また出張があります。家がどうなることかと今から楽しみです。以前の出張の時のように夕食が回らなくて・・・(笑)、ということもあるかもしれません。でも母のところへは行かないように言っておきます。(笑)
―――以前あなたの出張の時に、何も食べるものがなくて、お母さんのところへお連れあいさんが子どもさんたちと夕食を食べに行ったら、お連れあいさんが「あなたの分はない」と言われて門前払いされたことがありましたものね(笑)。いいチャンスですね。親子3人で協力し合ってやっていくと思いますよ。
好きなことが増えました! ここさん
以前働いていた幼稚園でまたお話があり、面接で「4月から頑張ります」と言ったら、「もう免許ないですよ」と言われて(笑)。1年前に免許を失効したのも知らなくて…(笑)。パソコンですぐ調べられるんですね。
―――以前あなたが働いていた時に、「子どもが学校へ行っていないなんておかしい」と言われた職場でしょう。(はい)それがいやで辞めたのよね。
はい、2年半その場所を離れて、親の会へ参加して学んでまた違った自分でいられるかなと思っていた矢先のお誘いだったんです。でも1人では体力的にもきついし他にやりたいこともあるので、2人でなら、ということにしてもらったんです。
―――あなたのお気持ちがずいぶん変わって、強くなってきたということですね。その当時は息子さんが荒れていたり、職場からもいろいろ言われて、すごく落ち込んでいましたものね。でも今は全然違いますね。本当に「解決の道は自分の中にある」ですね。自分の気持ち次第で他から言われることも心の負担にならなくなっていくのね。
19歳の息子は、高校の部活動でいろいろあって不登校になりました。
この3月は私が不安になっていたせいか、あるいは春ということで、息子がすごくイライラしていました。以前の暴力がよみがえってきてすごく怖かったです。「ひとり暮らしがしたい」「大学へ行きたい」と言いだしました。しかしこの言葉は息子の不安からくるもので絶対本物ではないとわかっていたので、なんと言おうかと迷いました。
昨年は「お母さんはあなたと暮らしたい、元気でいてね」と言えたのですが、今年は私は無言でした(笑)。そしたら息子は怒って「お前に言っても仕様がない」と言いました。普段は「お母さん」と言いますが、怒った時は「お前」になります。今は持ち直して自分の茶碗は洗います(笑)。
―――あなたに答えてもらいたいとは思ってはいないの。身近なお母さんに不安をぶつけているだけで、そのうち自分で穏やかになって行くでしょう。
カード占いやアロマのハンドトリートメントで腱鞘炎になってしまって、自信を失い少し落ち込んだんですが、息子の肩コリ解消にマッサージをしてあげたら「なんかすごく効いたよ」と言われて、とっても嬉しかったです。夫との関係も、夫のYシャツのアイロンがけもやるようになりました。(笑)
「イヤなものはイヤ!」堂々と Sさん
長崎から3回目の参加です。僕は今34歳です。私立高校の教員として2年間勤め、副担をして、2学年4クラスを教えましたが、このままじゃ自分がダメになると思ってこの3月に辞めました。給料は朝7時半から夜10時まで働いて16万と安いし、部活動やその他の残業代も一切出ず、まあお金の安さは納得していたのでいいけれど、学校の中身に失望しました。人の悪口を自然に言っていたり、自分が悪いのに他人のせいにしたり、職員も事務もお互いをけなしていました。
生徒は1学年200人くらいでした。校長兼理事長の「この不景気の時に給料もらえるだけありがたいと思って下さい」から朝礼が始まるんです。ボーナスも30%カットでした。自分が幸せになれない場所にいるのは嫌だったので、不安もあったんですが先を考えずに辞めました。
でも久しぶりに1週間テンションが上がらずへこみました。しかし辞めるにあたって3ついいことがありました。@イヤなものはイヤと堂々と言えることは大事だ。A目の前の壁よりも先の見えない不安の方が怖い。昔学校へ行けなかった頃の不安を思い出して、ああこの感覚は久しぶりだなあと思って楽しんでいました。B先が見えないと思い込んでいるということを認識できました。先を見ているつもりでも実際は足元を見ているんですね。
今は何も仕事をしていないのでお金は入ってきません。「幸せなフリーター」をしています(笑)。自分の好きなことをして生きていけるのは幸せです。だからものすごくよかったし、今楽しいです。
金曜日から鹿児島に来て知人の教授の手伝いをしたり、科学館に行ってボランティアで手作りや講座をさせてくださいとお話して、この2日間楽しんでいました。今年は自分のやりたいこと、好きなことだけをやろうと思っています。不安にもかられるけど、そういう自分も好きだなと思いながらです。
―――イヤなことはイヤと言えることはとても大事なことですね。自分が大好きというのも素晴らしいです。あなたのご両親はどうですか?
「公立の先生になればよかったね」とか、「仕事をちゃんと持ってほしい」とかやっぱり言いますね。昔の自分だったら切れていたかもしれませんが、でも自分で決めたことなので何と言われようが堂々としています。両親も体調を崩していますので。
長崎の実家へ就職のために帰った時はすんなりと溶け込みました。すてきな親なのでゆっくり考えていきたいです。いい勉強をしているなと思っています。
再就職、保証人の一人は息子 重則さん、淳子さん
重則さん:定年退職で自宅の指宿に戻って、職場も谷山港に変わりました。今までは職場まで1分だったのに、今は1時間かかります。妻は朝6時に起きて弁当を作ってくれて大変だと思います。仕事自体は楽しいですが、農協系列なので、肉やお茶、ジュースなどの割り当てがあって買わないといけません。参議院選挙で10人後援会員を集めなさい、と来ていました(笑)。コスト計算というのがあるんですね。当然そうだよなと思いながら、それが公務員時代と一番違う所だと思います。
―――息子さんは今29歳です。中1から不登校になり、通信制に行ったけれども辞めて、24歳で動き出しました。妹さんも中2から不登校で、26歳から動き出しました。
淳子さん:息子は4月から姶良に引っ越してひとり暮らしをしています。昨日は夫の退職祝いにディナーバイキングをごちそうしてくれました。息子には同級生の友達はいませんが、バイクを通じていろんな職業、年齢の友達がたくさんいます。
今日の資料は、途中までは私のことだと思って読みました。私も小さい頃成績が良くて、妹が障害を持っていたので、両親から妹の面倒を見られる仕事に就くようにと言われて育ったんです。両親から理系の大学に行かないと就職がないと言われて、その方向を選びました。
でも第一志望は落ちてしまって、農学部は自分で選んで行ったんですが、行ってみたら自分がしたいことではなくて、途中で変わろうかなと思っているうちに病気になり、学校も1年休みました。親もその辺から、大学も就職を考えないで行くだけでいいんじゃないか、と言ってくれました。
その頃夫と出会って、自分で選んだ人生に変わっていったんじゃないかと思います。就職もそんなに勉強しなくても先生の紹介で決まった時代でしたので、あまり悩みませんでした。
私も母との関係では、なんでわかってくれないのという思いがあって、ケンカもしました。子ども達が不登校になった頃に、母が私にしたことを思い出して、それがすごく辛かったです。
父は亡くなる直前まで、我が家には出入り禁止だったんです。今思えば父には気の毒だったんですが、あれは子どもが来てくれるなと言ったのではなくて、父が子ども達に言ったことと、私が小さい頃に言われたことが重なっていたんだなと思うんですね。でもそんな母とも去年は妹がいる京都に旅行に行くことができました。そんな日も来るんだなと思って。
たまに息子から電話がかかって来るんですが、息子が「お父さんは毎日元気で仕事に行っている?」と聞くんですよ(笑)。夫の再就職には保証人が二人必要で、ひとりは息子になってもらいました。(笑)
数年前は子どもがふたり家にいて、私も仕事をしていないし、夫が定年になったらどうなるんだろうとすごく不安なときがありました。でもちゃんと息子は息子で、娘もパートですが社会保険にも入るようになって、だからよかったかなと思っています。
―――ちゃんとなるようになって行くんですね。重則さんが先月、「僕も子ども達に育てられたと思っています」と言われましたが、本当にそうですね。感謝ですよね。
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