体験談
2014年3月例会より
目次
1 「ばあちゃんが揺れないこと」と息子がアドバイス I さん
2 自分が一番かわいい! あやちゃん
3 自分のことがどんどん好きに かえちゃん
4 「親の会に行ってくるからね」「どうぞ」 永田俊子さん
5 自分の本当の気持ち じぇりちゃん
「ばあちゃんが揺れないこと」と息子がアドバイス
I さん
私の娘は10年前に亡くなり、二人の孫娘を引き取って育てています。
中2の姉が学校に行っていません。
先月初めて親の会に参加して学校に行かなくてもいいと安心したんですが、家に帰ると本当にそれでいいんだろうか、なぜ行かないんだろう、という気持ちも出てきて常に葛藤しています。でも学校に行きなさいとは言っていないので、本人は落ち着いて生活しています。妹が今度中学校に行くので、同じように学校に行かなくなるのかなとか、先々のことを心配しています。
先月姉が急に部屋を片付け出したんです。それを見ると頭が痛くなると言って本棚の教科書を押入れの中に隠してしまったんです。休んでいる最初の頃は、漢字をしたり、勉強をしていたんですが(―――それを見てホッとして内心嬉しかった?)まぁ、そうですね(笑)。
2月くらいからプツッとしなくなりました。私も勉強したくないんだなあと思ったんですが、それから口ケンカになって、取っ組み合いになり、私が倒されました(笑)。
それからは何も言っていません。最初の頃からすると落ち着いています。
―――お祖母ちゃんと取っ組み合いのケンカができる間柄で本当にいいですね。お祖母ちゃんに悪いから私は我慢するとか、親の顔を見てすごく遠慮したりするということより、取っ組み合いのけんかができるということがずっと安心ですね。
今、夕ご飯を作ってくれるんですね。ご飯を炊いて、お味噌汁を作って。編み物もしています。私もそれでいいのかなと思ったりしています。でも妹に対しては指図したり、言葉づかいが荒いです。最初の頃はもっと荒かったんですが、今も時々強く当たったりします。
―――お祖母ちゃんが見ていないとどうですか?(見ていないところではそんなにないと思います)それはお祖母ちゃんに見せたいんですね。私はこんなに不安なのよと。すごく甘えたいんですね。だから抱きしめてあげればいいんですね。
たまに来る父親が「なぜ学校に行かないの?」と言ったようで、それでケンカになっていました。夫は孫には言わないんですが、学校に行かないとどうなるんだ、と私に言って来るんです。そうなると私も不安になります。毎週金曜日に担任から電話がありたずねてきます。最初の頃は孫も先生と会って話もしていたんですが、今はもう全然会いません。
―――当たり前です。それはもうお断りして下さい。そうするとあなたのお気持ちが楽になります。
私も最近先生から電話がくるとすごく気が重たいんです。それで私から学校に伺います、と言ったんです。
―――それは、学校に行かない孫のせいで学校に迷惑をかけている、申し訳ない、というお気持ちがあるからなんですね。不登校は学校に迷惑をかけていません。そこをちゃんとわかってくると気持ちがだいぶ楽になってきますよ。学校に出かけていく必要もありません。
子どもが学校と距離を置いている時は保護者も学校と距離を置いた方がずっと安心でいいんですね。そうでないといつも学校が頭の中にあって、気持ちが休まらない。それでは疲れます。
学校へは、「必要なときだけこちらから連絡しますから」と言って、距離を置くことですね。
学校へこちらから連絡することは、ふたつしかありません。「進級させてくださいと卒業させてください」です。義務教育では一日も行かなくてもちゃんと進級、卒業はできます。
私は小6の妹の保護者の皆さんと会うのも嫌で、目線が気になりますね。上の子が学校に行っていないということで、そういうことが気になっているんですね。
―――学校の先生も来たくて来ているんじゃないんです。本当は来たくなくても「不登校対策」といった「仕事」をなにかしらしているところを見せなくちゃいけなくて来ている面が大きいと思います。だから、保護者のほうは、遠慮しないで「来られると子どもが辛そうにしますので、家庭訪問はしないでください」とはっきり意向を伝えたほうが、教師も助かるということがあります。
私の息子に親の会に行って来たことを話しました。
息子は「学校に行かなくてもいいんじゃないの。大事なことはばあちゃんが揺れないようになることだね。子どもは態度ですぐわかるよ」と言いました。(―――じゃあ、お孫さんはおじさんのことが好きでしょう) はい、孫娘は私の息子のことが好きですね。
―――素晴らしい息子さんのアドバイスですね。安心されたでしょう。
Iさんは、先月の親の会のことを、おつれあいさんにお話なさったんですか。
(はい、しました) それはよかったですね。
自分が一番かわいい! あやちゃん
―――今日は、もうひとり若者が参加しています。あやちゃん、ほんとに大人になって、きれいになって。2002年から12年ぶりですね。いくつなの。(28歳です)お付き合いしている人いるの。(いません)(笑)
15年前あやちゃんが10周年記念誌に書いてくれたものをちょっと紹介しますね。13歳のときです「学校に行かない。私が決めたから」という題です。(読む。読み終わると皆さんから大きな拍手)素敵な登校拒否だったね。
その後閉じこもりました。
―――何歳のときに動き出したんだっけ?
27に近い26歳で就職しました。その前までがいちばん荒れました。
母にも突っかかってお皿も割ったりして、親に反抗しないと「外に出れない」と思って(笑)とりあえず割ってみました。そのとき「これは掃除が大変だ」と思って、2度としないと思いました。(大笑)
―――お母さんが片付けたの?(父が自主的に片付けました)(大笑)その時にお父さんは、あやちゃんのことを「抱きしめたいぐらい可愛かった」と言っていましたよ。
親の会の会報を読んでくれているんですってね。
最近ですね。やっぱり引きこもっているときは辛くて見たくなかったです。誰が出て行っただのと書いてあったりするとよけい辛くて・・。年齢も気にしなくなったのも最近です。最近年齢を聞かれると、「もうすぐ、30です」とサバよんでいます。(笑)
―――お兄ちゃんといっしょに引きこもっていたのね。
でも、タイプが違っていました(笑)、しゃべらないときもあったし、両親が赴任先の鹿屋に行っているときは、家事を頑張りすぎて、何でこいつは何もしないんだと喧嘩して、「結婚するなら絶対気のあった人でないとダメだ」とその時つくづく思いました。(大笑)
―――お父さんとお母さんがすごく辛そうにしている時があったでしょう。
父が最初に鹿屋に単身赴任しているときに、休日に帰ってきて、よく父が母を連れだして家の前に車を止めてふたりきりでずっと話したりしていましたので、母に最近、「あの時、絶対離婚しようと思ったことあるでしょう」と聞いたんですよね。私は母が絶対離婚しようと思ったと思ったんですよ。
そしたら、「ない」と言ったんですよね。私は「チラッと思ったことは絶対あったと思うけど」と母に言ったら、「そう思うでしょう、でも、お父さんのほうが別れようと思ったんだって、ひどいよね」と(笑)、「そうだよね、捨てるのはお母さんの方だよね、お母さんが捨てられるのはおかしいよね」と話しました。(笑)
――――あやちゃんやお兄ちゃんのお陰で、お父さんとお母さんは生き延びてこられた、ほんとに助けられたと思いますよ。(私たちがいなかったらダメでしたね。)(大笑)
私は働きたいと思ったらいても立ってもいられなくなって、近所のコープに面接に行って就職が決まったんですよ、決まった後に、一度鹿屋に遊びに行ってたんですよ。そしたら「何でその前に来ないんだ」と強い勢いで言われ、未だに言われますよ(笑)。
(翌4月例会での淳子さんのお話:娘がアルバイトを決めてしまって夫が機嫌が悪くなったという個所を少し補足すると、夫は娘が赴任先の鹿屋にきたら、何をご馳走しようかと楽しみにしていたんです。夫にとってはアルバイトの面接よりも鹿屋でウナギを食べさせることの方が大切だったんですね(笑)。娘が「今面接に行かないといけないのよ」と断って、ケンカしていたのを覚えています。)
お父さんは「家にいる私」をつくづく愛してくれたんだなと思いました。家にいることを「認める」んじゃなくて、もう当たり前だったんだなあと思いました。それはありがたかったです。
祖母もそうでしたね。「エッ、働くの? 働かなくてもいいんじゃないの」と(笑)、普通は動き出したら喜ぶものですよね、喜んでいいんじゃないかと思うんですけど、皆複雑そうな顔をして…(笑)。おかしいですね。
今度、母とふたりでふたつ旅行に行く予定です。父は誘いません。
それより父と母とふたりで旅行に行った方がいいと思うので、お父さんは誘わないです。夫婦で行きなさいと言っています。(笑)
働いてて思うんですけど、社会性って自分で身につけるものであって、社会に出て学校に行ったからって絶対に身に付くようなものじゃないですよね。アルバイト先のレジで見ていて、「ほんとにこの人感じ悪い」という人が何人かいますけど(笑)、そういう人たちはみんな学校行ってなかった人たちだとは思えないんですよ。
―――私はずっと家にいて引きこもっていたけど全然心配いらないよ、ということよね。
う〜ん、私は可愛いとか愛想がいいねって何回も言われます(笑)。笑っているとやっぱり表情で違いますよね。ビックリするぐらい笑顔のない人は、「あっ、この人余裕がないんだ」と思います。ニコニコ笑っている人は素敵ですね。
でも忘れたくはないですね、やっぱり引きこもっている間に当たり前にできることができないことがあって、それで辛い思いもしました。でも自分ができないのも当たり前なんじゃないかなと思うようになって、寛容に受け止められるようになってきたんです。それでも、時々母に愚痴って、「もう、聞きたくない」と怒られますけど。(笑)
―――あやちゃん自分のこと大好きですか。(自分がいちばん可愛いです、う、ふふ)素晴らしいね(拍手)。
重則さん、涙、涙ですね(笑) しあわせね。こんな素敵な我が子に恵まれて。お父さんとお母さんは仲が良くて何よりですね。
父は母がいないと駄目な人生だったと思うし、多分母も「若い頃よくお父さんの言葉に救われた」と言っているので、仲がいいんでしょうね。
―――お兄ちゃんが不登校になって、親の会に来て14年、こんなふうに素晴らしい人生だって振り返ることが出来るようになって、これがなによりの大きな財産ですね。ほんとにありがとうございました。(大きな拍手)
自分のことがどんどん好きに かえちゃん
息子は中高一貫校の中学で学校に行かなくなって、別の私立の高校に、私が手続きして受験して合格したけれども、結局そこにも行きませんでした。翌年の3月に退学しました。
当時の私は転校など環境が変われば行けると思ったんですね。
その時はどこかに相談は行きませんでしたが、本ばかり読んでいました。
当時は、あまり人とも会いたくなくて、さっきの話じゃないけど「大丈夫?」と言ってくる人もたくさんいて、やっぱり嫌だったんですね。そこで話したりもしたんですけど、上から目線という感じで、可哀想な人という感じで言われていたんじゃないかなと思います。
―――そういう辛い思いを抱えて、親の会に来るまでに1年ぐらいかかったの。
そうですね。「学校に行きなさい」と言ったりしてたけど、なんか違うんだろうなと思いながら、私が学校まで車で送って行って校門のところで下ろすんだけど、とぼとぼ歩いていく後姿は忘れられないですね。
鹿児島市内にある私立の高校へも、私が川内の駅まで送って行って、元気のない後姿を見てこのままじゃいけないと思いながら、私もどうしていいか分からないまま、そうするしかなかったですね。当時の息子は見るからに青白い顔をして、能面みたいに表情もなくて。私も不安でいっぱいでした。
でも、もう分かっていたんです、この会のホームページを見て参加したとき、「行かなくていいんですよ」と言われたときに、私はそのことを人に言ってほしかったんだと思って安心したのを覚えています。
―――初めて参加した親の会から帰って、息子さんに「行かなくていいんだよ」と言ったのね。息子さんは喜びましたね。
教科書を部屋から出して、制服もかけてあるのを外して自分の部屋から出していましたね。私は「もしかしたら使うかもしれない」と思って、押入れに入れておきましたけど(笑)。ジャージもとってあったんですけど、1年ぐらいしたら息子もこだわりがなくなってそれを部屋着にしていました。(笑)
夫も、どう思っているか分からないですけど、一切何も言わないです。でも、息子にお菓子を買ってきたり、飲み物を買ってきたり一所懸命そうやっていますね。私は「太るから、もう買ってこなくていいよ」と言っているんですけど、まっ、いいかな、夫がそうしたいのだったらと思っています。
親が何もしないと、子どもが動き出すというのを4年間ぐらいこの親の会で聞いてきましたが、それは私自身が今自分に向き合ってそう実感することが出来ます。
私は小さい時から大人になってからも、やっぱり、親からやらされているというか、いい子でいないといけないとか、世間ばかり気にして、自分の気持ちで生きているという感じがしなかったですね。そしてそのことに違和感を感じながらも当然だと思っていたんですね。
夫の両親との関係もずいぶん気をつかっていましたが、今では自分の気持ちをいちばんに大事にするようになって、余計な気をつかわなくなってから楽になりました。
この会に出会ってから、今は自分の好きなことをしていいんだと、そういう世界が開けてきて、するとどんどん自分のことが好きになってきました。アロマの勉強がしたくて午前中の仕事を終わってから、すぐ車で川内から鹿児島市内に行って、5時ぐらいに帰ってきてバーっとご飯を作るんだけど、それも全然苦じゃないし、楽しくて毎日が充実しているんです。
好きなことって、あまり努力しなくても出来るというのを自分で身を持って体験しています。だから子ども達が動き出すってこういうことなんだろうなって、自分がそれを体験しているという感じです。
だから、息子に対しても、息子が16歳ぐらいのときは「20歳ぐらいのときが、ひとつの節目なのかな」と思っていたけど、今は、「いつ動き出すんだろうか」という気持ちは全然なくなり、息子のことで頭がいっぱいということもなくなりました。
―――それは本当によかったですね。かえちゃんが、自分の気持ちを一番に大切にしてきた結果ですね。(はい)
息子が19歳になったときに、義母が私に「これで○○君のスーツでも買いなさい」と言って、山形屋の商品券を渡しました。その時の私は肩に力が入っていて、こんどまた義母から息子のことを言われたら、つき返そうと身構えていたんですけど、夫が「自分たちの好きなものを買えばいいじゃない」と言ったので、結局私の服に使ったんです(笑)。
今度、娘が中学を卒業して、義母が高校の入学式用に「スーツでも買いなさい」と私にお金をくれたんです。だけど今度はありがたくいただいて(笑)、「お義母さん、ありがとうございます。使わせていただきます」と自然に言えました。
―――昔の自分だったら考えられないね。それだけ、気をつかわなくなったのね。(そうですね)いっぱい葛藤があって今自分を一番大切にできるようになりましたね。先月も「自分の気持ちが不安だと見るものすべてが不安にうつるし、自分の気持ちが安心して楽しければ見ているものすべてが楽しい」と言われました。ほんとにそうだなあと感動します。
「親の会に行ってくるからね」「どうぞ」
永田俊子さん
巨細胞腫という病名で4,5年前からだんだん指が大きくなっていたのを1月に手術しました。手術後帯状疱疹や坐骨神経痛などにもなって、2ヶ月親の会に参加できませんでしたが、やっと元気になり今日参加できました。
今23歳の息子が、高1の10月から不登校になり翌年の3月に退学しました。私は「学校に行くことがこの子の人生」と、半狂乱になり行かせることばかりを考えていました。精神科で、「お母さんの方に薬が必要かもしれませんね」と言われました。(笑)
息子は自分の部屋をバットでめちゃくちゃにして、ガラスの破片の散らばったベットの上に寝ていました。机の上には「殺して」と赤い字で大きく書いてあり、娘が「あなたのことがみんな大好きだから殺せません」と書きました。息子は引きこもり、昼夜逆転で夜中に起きてご飯を食べるという生活で、私はそんな息子がかわいそうでどうにかしないといけない、そうしないとこの子の人生がなくなると思っていました。
しかし退学した後に、おいの紹介でこの会を知り参加するようになり、救われました。
この会を心のよりどころにして私が落ち着いていったら、それが息子にも伝わって、だんだん息子も落ち着いていきました。息子は5年間ゆっくり家で過ごしていましたが、突然2年前に動き出しました。高卒認定試験を受けるために予備校へ行きたいと言い、1年間通って、昨年の4月からは専門学校に行っています。
専門学校への進学が決まった直前には、新しい生活に踏みだすのが不安だったんでしょうか、鴨居に首をつるようにロープをかけたこともありました。その時はびっくりして「行かなくていい。あなたの命が一番大事だから」とだけ伝えました。でもやっぱり行くと言って今は元気に通っています。
先日近所のラーメン屋さんのチラシが入っていて、息子は帰りに食べてくると言って出かけました。その前まではひとりでラーメンを食べてくるなんて考えられなかったんですけど、今はひとりで生きていけると思いました。(笑)
不登校になった頃、私は友達は必要と思って、あれこれ心配しました。中学校の友人のお母さん達に、息子にメールを送ってやってと頼んだんです(笑)。今思うと恥ずかしいことばかりをしていて、息子も急にメールがたくさん届いて、きっとびっくりしたと思います(笑)。
でもある日携帯を半分に折って川に捨ててしまって。私は携帯があれば友達と繋がっていられるのにと思っていました。今考えると愚かなことなんですけれど、その頃は「ひとりはいけない、友達が必要」と必死で思っていました。
親の会で友達はいなくても大丈夫、必要な時に友達は作れますから、と言われて、ああそうなんだと安心しました。今は7歳年下のかけがえのない友達がひとりだけいます。
―――息子さんにとっては迷惑でしたね。心落ち着いて休めなかったでしょう。でもちゃんと意思表示する、すばらしいね。
携帯を捨てて、ゆっくり休めたのかもしれません。
私は親の会のことを夫にも母にも話しています。息子にも話そうとしたら「お母さんのことだから」と言います(笑)。今日もルンルンとして「親の会に行って来るからね」と声をかけたら、「どうぞ」と言っていました(笑)。
―――「お母さんのことだから」、とてもいいですね。「子どものためにではなく、自分のために親の会がある」ということです。息子さんはあなたが病気で倒れた時は、率先して、回覧板を回したり、家のこともしたり、愛犬が死んだ時もずっと付き添ってくれたんですね。
今度も夫とふたりで家事をいろいろしてくれました。
自分の本当の気持ち じぇりちゃん
娘と息子二人の三人の子どもたちが不登校を体験しました。家族仲良く毎日がとっても楽しいし、しあわせです。
昨年は夫と離婚すると決めたんですが、やめました(笑)。夫は給料も出ないような会社に寝泊まりして家族を顧みないし、金遣いは荒いし、本当にもうダメ、離婚だと思っていました。
その当時は夫は仕事上でも大変な状況だったので、プライベートを見ないようにしようとして携帯の電源も入れていなかったんです。それで私の気持ちを伝えることもできませんでした。今は夫も早く帰宅するようになり、何事もなかったかのように生活しています。
―――良かったですね。給料は入ってきたの?
いえ、まだ入ってきていません。以前はお金の件は、貯金がなくなった時に切りだせばいいと思っていましたが、給料は入ってこない、家にも帰ってこない、お金は勝手に引き出していると思ったら、もう怒りでしたね。しかし、そのお金も会社のために立て替えているお金で、自分のために使っているわけではなかったんですね。
離婚すると大騒ぎをして子どもたちにも伝えましたが、やっと自分の本当の気持ちに気がついて、夫に伝えることができました。今はとりあえず生活できるし、幸せだし、それで十分満足じゃないかと思えるようになりました。
子どもにも、私が夫のことを「すごく好きだとわかっていたよ」と言われました(笑)。
娘が「もうお父さんと離婚してもいいんじゃない」と言ったけど、それは私への思いやりであって、本当はすごく不安だったと後で言ってくれました。
―――家族が元通りになって本当によかったですね。
ちょうど1週間前は結婚記念日でした。我が家は今までそんなイベントは一切しなかったんですが、たまたま仕事が休みだったので、夫に「期待しているよ。どんなプランを立ててくれるの」と2ヶ月前から言っていました。結局ランチとドライブで終わったんですが、以前だったら何も要求しなかったけれど、今は私の気持ちを伝えるようにしています。食事の後、以前住んでいた国分のウィークリーマンションに立ち寄ろうと言ったら、夫は「あそこは行きたくないんだよね」と言いました。
―――おつれあいさんが喜界島の小学校で教師をしていた時、職場や地域でいじめにあってとても心が疲れてしまったのね。そして休職して、国分のウィークリ―マンションに住んで、毎日校長に電話しなさいと言われて、あなたが毎朝外から電話していたんですね。
あの時が一番辛かったんですけど今は幸せだし、私は「あの時はああだったよね」くらいのつもりで誘ったら、夫は当事者で私の思いとは違うんだ、ということがわかりました。
1月の乳癌の定期検診にはいつものように夫と息子がついてきてくれて、私はとっても幸せです。とても嬉しかったです。本当の自分の気持ちはどうなのか、ということが今度のことでわかってよかったです。ありがとうございました。
―――困った時が絶好のチャンスなのね。日頃感じていないことを発見してそれが人生の糧になったりするんですね。いつも自分の気持ちを一番に大切にする、そのことが自分の体験を通して実感できたことは大きな財産ですね。
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