登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2014年1月例会より


目次

1 「子どもが家にいるのは当たり前」と思えるようになるまで長い時間かかった
  重則さん・淳子さん


2 「やってやろうじゃないの」と思ってやってみた  みーやさん

3 本人に任せる   ジュンさん

4 子どもの不登校体験が支えになっています   Aさん





「子どもが家にいるのは当たり前」
と思えるようになるまで長い時間かかった


重則さん・淳子さん




―――先月は、22周年記念の時の重則さんの体験発表を読みました。発表原稿は会報を全部読み返して、1ヶ月かけてまとめたということでした。とても辛い時期があっても淳子さんとふたりで乗り越えてこられました。自分との闘いでしたね。


重則さん:息子は中1、娘は中2の時に不登校になりました。息子は24歳、娘は26歳まで家にいて、それから働きだしました。今息子は30歳、娘は28歳です。

子どもの状態はおかしくないんだと自分自身が納得できるようになるまで長い時間かかりました。会報を読み返すと、ああ、この時はまだ認められていない、というのが繰り返しあって、それがだんだん認められるようになってきました。「子どもが家にいるのは当たり前」と自然に思うようになるまで、13、4年かかりました。娘は今働いていますが、働いていない時も、娘が家にいるのが当たり前と思っていました。

子どもたちは、親が自分のことを認めてくれている、という安心感があって、そこをベースにして動き出して行けたのかなと思いました。


―――重則さんは、今年こそは淳子さんと二人で山にたくさん登りたいと思っているのね。


そうなんです。昨年は退職してすぐに今の職場に移ったものですから、霧島の韓国岳に2回しか登っていないんです。

淳子さん:夫は「仕事を辞めたらいつでも山にいけるよ」と言うんですが、私はまだ働いてほしいんです。健康保険や私の国民年金も扶養になっているので助かります。(笑)

私が「どこかへ行きたいね」と言うと、夫は「仕事を辞めたら行けるよ」と言うので、本気じゃないだろうけど、そういう言い方をされるともう次の言葉が出ません。そのかわり、娘が「春にはまたお母さんと一緒に旅行に行こうね」と誘ってくれますので・・・。

重則さん:僕には声がかかりません(笑)。でも今年は最初から計画を立てて、「この日とこの日は休暇を取る」とやって行きたいと思っています。会社の新年会で、「今年は山に登ります」と宣言しました。東北の鳥海山に行きたいんです。


―――1年前は、長崎のお姉さんが亡くなられ、後始末で大変だったというお話でした。今年は穏やかなお正月を迎えられて良かったですね。


淳子さん:お正月は今まで家にいた娘がおせち料理を作ってくれていました。今年は働きだしたから無理だろうと思っていたら、年末忙しい生協の仕事の合間を縫って作ってくれました。昔はお正月は辛い思い出しかなかったんですが、子どもたちのおかげで嬉しいお正月に変わってきたことが嬉しいです。ゆっくりとできて、夫婦ふたりでウオーキングも楽しむことができました。





「やってやろうじゃないの」
と思ってやってみた


みーやさん



―――あなたのおつれあいさんもいびきがひどくて、あなたは次男さんと和室に寝て、長男さんは自室で寝ているのね。お正月はどうでしたか。


今年は、あっという間にお正月が過ぎて行きました。
以前は長男も一緒に和室に寝ていて、兄弟で私の取りあいでしたが、今は長男は自室で寝て、たまに和室に来る時があります。夫のいびきが耐えられなくて私は自分の健康を守るために部屋を別にしています。

夫はここ2年間で14、5キロ太りました。精神科の薬の副作用だと思うんですが、今体重が89キロです。薬を飲むとものすごくお腹が減るらしく、夜の11時くらいからものすごく食べ始めるんです。我慢できずにコンビニで買って来て食べているようです。これからは心筋梗塞も心配ですし、無呼吸症候群かもしれません。私もダイエットしないといけないんですが・・・。


―――みーやさんは以前、ダイエットをしたらお腹がすいてイライラしてしまったということがありましたね(笑)。みなさんが夫に気をつかっているのが不思議だと言ってましたね。


私が仕事から帰って、何もしないで寝ている夫の姿を見ると腹が立ってしまい、ののしるような言葉をバンバン言ってしまって・・・(笑)


―――みーやさんは仕事のしすぎじゃないですか。しすぎると、やはり大変でイライラもしてくるでしょう。5時になるとすぐ帰る同僚について、「他に大事にしているものがあるんじゃないですか」と重則さんに言われて、気がついたと先月言われていましたね。


職場の各部署には必ず夫のような職員がいるんです。するとその人の代わりに仕事ができる人への負担が増えて行くんです。許されるものなら私も違う職場へ変わりたいけれど、しかし自分を変えていかないとどこへ行っても同じだろうし・・・、自分を変えられないまま逃げるような辞め方は、きっと後悔すると思うんです。


―――仕事は楽しいですか?


仕事は楽しいです。今の職場のいろんな計画がどうなっていくかその完成も見たいという気持ちもあります。でも申告書には今までは「変わりたくない」にしていたんですけど、今度は「今の部署を変わってもいい」に○をつけました。定年まで10年以上あるんですが、私の中では55歳という区切りがあって、でもその前に夫が辞めたら勤め続けないといけないし・・・


―――先月「私は恥ずかしいくらい夫に対して、ものすごい言葉を浴びせていたけど、でもよくよく考えたら夫は我慢していたんだろうなと思います」と言われました。やっぱり言いたいことが言えるお相手だということですね。


それは本当にありがたいです。家で気をつかうということは一切ありません。夫は何を言われても黙っています。以前、長男が不登校になったのも「あなたに似ているからかも」と言ったときも、「そうかもな」と言っていました(笑)。


―――先月、親の会に来た初めの頃は、「どうしてみなさんは子どものことを話さないで、自分のことを話すんだろう」と思っていたと話されましたね。

2年前までのみーやさんの課題は、「子どもの話をそのまま受け取らない。子どもが死ぬ、死ぬと言っても、聞き流してその場から離れる」でした。みーやさんは2011年秋にとうとう課題を実行に移したんですが、忘年会のときその心境を話してくれました。

それを実行しないともう親の会には来れなくなってしまうんじゃないかと思ってました。でも、課題をやって万々一息子が死んだら、次の親の会で、親の会の言う通りにしたら息子は死にました、と言おうと思っていました」と。


「言われたとおりにしたらこうなった! どうしてくれる!」と言おうと思ってました。その日息子が「死ぬ」という話を打ち切って外に出ました。それをしないと敷居が高くてもう親の会には行けないと思ったんです。しないで断ち切られるのが怖かったんです。その頃親の会は私の心のより所になっていました。それで挑戦じゃないんだけど、「やってやろうじゃないの」と思ってやってみたんです。そしたら息子は無事で死にませんでした。そういうことが2回ありました。


―――今では、1分1秒でも早く家に帰りたいと思えるようになって、よかったですね。


親の会に参加するようになって3年経ちました。この会に参加していたH先生が長男の担任に親の会を教えてくれて、私に知らせて下さったんです。弟が今年兄と同じ中学校に入学予定ですが、またあの中学校に行かないといけないのかと思うと私は憂鬱です。


―――行きたくなかったら行かなければいいですよ。自分の気持ちに無理をしないことです。






本人に任せる   ジュンさん



―――ジュンさんの昨年正月の話は、「別居中の夫がコンビニのお店のお金を持ち出していたことを本部の人に話したこと」をなかなか本人に言えずにいたけれど、親の会でちゃんと「夫に伝えなさい」と言われ、勇気を出して言ったら、夫はその後お金に手をつけることもパチンコもピタッと止めたということでしたね。あれから1年たちました。


お正月はバイト生がみんな帰省していたので忙しく、私もずっとお店で働いていました。娘もホテルの仕事なので休みがなく、息子も30日まで仕事でした。

息子は年末とっても忙しくてきつかったようです。朝8時から夜の11時まで4日間働きづめで、とてもあんなところへは行けないと言って、1月いっぱいでバイトはやめると言いました。会社からは週に2,3日は来てくれないかと言われているようです。

息子にはまだ学校へのこだわりがあって、開陽高校の通信制に行くと言っています。あんなに嫌がっていた出身の中学校に自分で電話をして書類を取り寄せていました。お金はバイトで貯めたから何も心配はいらない、バイクの免許も取りたい、と言っています。

私はもう子どもに振り回されたくないので、「お母さんは聞くだけで、決めるのはあなただから、自分で決めなさい」と言っています。息子には言いませんが、私はもう学校はいいんじゃないのと思っています。もしも息子が学校に行って、途中でやめるにしても本人がそう思わないとダメなので本人に任せようと思っています。


―――以前息子さんが宮崎の高校へ行きたいと言った時に、「お金は出せないよ」と断ったんですね。そしたらあの時断られたから俺は高校へ行かなかったんだとあなたを責めたことがありましたね。(はい)息子さんの焦っている状態を見通して、とても大事な体験でした。

親心で「お金も出してやりたい、出来ることは何でもしてやりたい」と思うんです。学校に行っている子どもさんが高校や大学に行くとなれば、仕送りもするんだからいいんじゃないのという考え方もあるでしょう。でも子どもは「ねばならない」と思って自分を束縛して行くんですね。無理してやっている時とそうじゃない時は違うと判断できて、ジュンさんの考えが楽になってとてもよかったですね。

息子さんの場合も、自分でやることはちゃんと自分の生きる力になっていきます。高校のことはその時になったらちゃんと答えを息子さんが出しますよ。それと、人間の価値が学歴に左右されるという古い価値観にしばられるかそうじゃないか、自分でわかっていきますよ。あなたは愛犬のリナちゃんとお母さんと楽しく散歩したらいいです。毎日を穏やかに暮らしていけばいいですね。


息子が不登校になった初めの頃、私が「学校に行かないと就職できない」とさんざん言い続けたのがいけなかったのかなあと思って。「今やっている仕事は肉体労動で底辺の仕事だ、中卒だとこんな仕事しかない」と言うんです。高卒の資格があるともっと幅が広がると言うんですが、私は何と言っていいかわかりません。本人は高卒の資格を取って上の仕事を目指したいと言っています。本人が納得しないとダメですしね。息子が家にいることは何とも思っていないし、夫とも「息子は愛想もなくぶっきらぼうだし、どこにも就職できなくても一生家にいていいよね」と話しています。夫も「いいよ」と言っています。

夫も最初の頃は息子に学校に行けと言って、トイレにカギをかけて閉じこもった息子に対して「早く出て来い」と言って、トイレのドアを蹴って破ったことがありました。今はそこにポスターを貼っています(笑)。最初の子どもだったから私もショックで、私達夫婦も先生も学校に行かせよう、行かせようとしていました。でも本人は逃げる、逃げるでした。今思えば息子のトラウマになっているのかなあと思います。

息子が担任に「どうしても学校に行けません」と土下座して謝った姿を見て夫はきっぱりとあきらめて、「もういいよ、分かった」と言いました。「家にいていい」と私にも言って、イライラもしませんでしたし、私を責めることもなくなりました。息子はかわいそうでしたね。


―――あんまり辛い体験は、自分を守るために忘れていくものです。息子さんはとうの昔に親を許していますよ。自分のことを責める必要はありません。


息子はいろんなことを考えているから、次々と口に出すのかもしれません。


――― 子どもとは議論しない。ただ黙って聞いたらいいんですね。親は何もしない。息子さんはちゃんと自分で自分の人生を生きていきますよ。自分で学んでいくことは何より生きる力になっていきます。何も心配いりませんよ。






子どもの不登校体験が支えになっています   Aさん



先月の親の会のときは、拒食で入院している25歳の娘の状態が一番悪い時で、ひょっとしたら鼻か胃からの栄養になるかもしれないと言われていた時でした。今は個室に移って落ち着いたのか、好きなお菓子をちょこっと渡したら、あれが食べたい、これが食べたいと言うようになり、それがきっかけで食事も進んできています。お菓子のことを考えるだけで元気が出るみたいです。

病院では普通食を細かく刻んだものが出ていたんですが、それが食べられなくて、お菓子をあげるとそればっかりになってしまいご飯を食べなくなるということで持ち込みが禁止だったんです。内緒であげていたんですが、それで元気が出たみたいなので、病院とも相談して詰め所に預けて渡してもらっています。


―――あなたのお気持も楽になったでしょう。


はい、体重が2キロ増えましたので、後はどのくらいの体重になった時に自宅に帰れるのかを相談しながらやって行きたいと思います。

4人部屋にいたんですが、個室に移ってプライバシーが守られ気が楽になったのかなとも思います。同室の方はうつや拒食の患者さんで、年齢は70代の方もいれば、10代の人もいて様々だったんですが、そこでは全く会話がないんですね。

さびしいなあと思っていたんですが、そういう状態にあるときは気持ちがそうなのかなと思って。娘もあまりしゃべりませんが、前よりは一言、二言しゃべったり、笑顔を見せたりします。娘は退院したいという意思があり、意欲が出てきたというのがわかります。


―――先月に比べるとあなたのお気持ちが随分と明るくなっていますね。娘さんの状態がよくなってきたからでしょう。でも、だから、いい時に限らず悪いと思う時も娘さんの生きる力を信じて、信じる力を自分が持てるようになっていくことですね。

私は先月のあなたの話に関連して、次のように書きました。

ほんとに人生って何が起きるかわからないですね。免職、裁判とすごく大変な思いをして、でも、大変な試練だけれど、また新しい出会いと生きる力をもらっていますね。

それと同じようなことを娘さんに対しても言えるんじゃないでしょうか。娘さんは「帰りたい」と言う気持ちを持っていて、それは大きな力ですね。「生きたい」と言うことでしょう。そこに確信を持っていきませんか。娘さんを「心配」しないで「信頼」してみませんか。

裁判のことも振り返ってみると不安を抱えて始めたけれど、たくさんの支えがあって、大きな財産になったように、娘さんのことも自信につながっていくと思います。もう絶対に駄目と言うことはなくて、大きな希望が出てくるかもしれない、それをずーっと大事にしませんか。具体的には退院する方向で考えてみませんか。

どうしても心配で娘さんの状態に一喜一憂してしまうんだけれど、以前も退院することができましたね。車いすから杖をついて歩けるようになり、食事の後片付けをしたり、生きる希望が出てきました。そういう経過もあるからご両親が娘さんの生きる力を信じて行けば必ずうまくいくと思いますよ。



考えてみれば、夫が免職になった時はもう絶望的かなと思ったんですが、何も変わらず普通に楽しく仕事をしていますし、さっきの話ではありませんが本当に先のことはその時になってみないとわかりませんものね。


―――ましてや免職になったとか、大変なダメージを受けたけれど、あなたのお連れあいさんは「自分は何も悪いことはしていない、堂々と歩く」と言われたんでしょう。ですからご夫婦で支え合ってやっていけば、世間のことは何も怖くはありませんね。


子どもが不登校したことがすごくよかったと思っています。世間はあてにならないというのがわかっていましたから、免職されてからも普通に外に出て、普通に生活していました。先ほど人のうわさも75日という話がありましたが、経験上、茶飲み話に出るのは2回まではあっても、3回目はないようです。





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最終更新: 2014.3.21
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