登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2003年12月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.96


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。


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11月例会報告

 11月は「親の不安」がテーマでした。
「出口は自分(親)の中にある」(山口さん)は「不登校、閉じこもりは親の問題」であるということですね。


 我が子の「今」を受け止めて親の不安がなくなれば、必ず家族が幸せになれるんですね。
今月は(も)貴重な体験談で勉強になりました。




1.親が何もしなくなった時に安心が Bさんのお話

2.「専門家」に頼った日々。 小泉さんのお話

3.娘が教えてくれた 山口さんのお話

4.家族の愛が不安を消してゆく 森田さんのお話

5.私に笑顔が戻ったとき、子どもが笑った Cさんのお話




―――何人かから「不安」について出されましたので、それをテーマに体験談を話してもらいましょう。



親が何もしなくなった時に安心が Bさんの場合


―――Bさんのお子さんも、高校をもう一度やり直すといって東京へ行ったんだけど、定時制の高校を辞めて鹿児島にお帰りになったんですよね。



Bさん(父):学校は5月に辞めたんです。
アルバイトをするからといって東京にそれから少し残っていましたが、8月に帰ってきました。
帰ってきてからは落ち着いて、アルバイトも何もしないで遊んでいます。
夕べ、アルバイトが決まったと言ってましたが、ああそうねという具合です。



―――鹿児島にいると暴力団の知り合いがいてボコボコにされてとても大変なんだ、という話はどうなりましたか?



 今はうまいこと近づかないようにしているようです。
 今、夜はほとんど出歩いています。
昼から夕方に起きて、夕食を一緒に食べて出かけて、朝5時過ぎに帰ってきてます。



―――じゃあ、そうやってどこへ行くのも心配じゃなくなったんですね。 



 そうですね。心配していません。
そんなに遠くには行ってないみたいですしね。



―――それがあなたの家族の自然な生活になったんですね。(そうですね。)
一番心配な時期はいつぐらいでしたか?



 2年ぐらい前でした。中学を卒業して、荒れていた時ですね。



Bさん(母):ご飯を食べないで、カップラーメンやお菓子しか食べなかった時非常に心配でした。今はごはんをしっかり食べるので、ああ食べられるようになったんだと思いました。
それだけでもとても安心です。



―――以前は子どもさんを何とかしよう、何とかしようとしていて、だけどそういう間は子どもさんは向いてくれなかったんですよね。
 その後息子さんを信頼して、保護観察処分になったりもしたけど、随分とご両親が変われましたね。



 息子さんもちゃんとそういうお父さんお母さんを心から信頼して、お父さんのお誕生日にお電話をくださったんですよね。
 うれしかったですね。やっぱりお父さんとお母さんが何もしなくなったことだと私は思いますよね。

 


 やっぱり私もKさんと同じ様なことをしました。
 県の教育センターに行き、同じ様に卓球をしたり(笑い)、その後そこの先生たちが息子に話をしたりしました。



 卓球も子どもが工夫して、勝つようにスマッシュを決めたりするんです。
工夫するのは当たり前ですよね。
 するとそこの相談員が攻撃的な性格だと言うんです(笑い)。
しかし私はそれは違うんじゃないですか、子どもは工夫して負かそうとしてると話をしたこともありました。 



 IHセンターも自分で行きたいと言って行きましたけど、子どもが合わないと言って行かなくなりました。
 そこに行くと学校の出席日数がもらえるので、学校から離れられないんだなと思いました。



―――学校と離れられないという心のかせですよね。



 そうですね。
 だから迎えに行ったりしましたけど、だんだん行かなくなったので、ああ行きたくないんだなと思いました。
 学校に行けないのは今も気にしているみたいで、考えているようです。



 受験の時期になると自分も大検をうけたほうがいいんじゃないかなと言ったんです。
 それでその方法を教えてよと言ったんですけど、私は今までだったら子どもが言うからと、その要求にいそいそと乗っていたと思うんです。



 だけど今は様子を見てまだまだ口だけだよね、ほんとに自分がしたかったら自分でするんだから、今、親にそういって反応を見てるんだからもう乗らないようにしようと意思が固まってきて、言っても自分でしなさいと流すようになりました。 



―――不安が人をおろかにするんですよね。
 不安というのは子どもがそういうと、飛びついて、そうやって言うんだから親がしなくてはとなってしまう…。
 その子が言っているのは、本当にしたいのか、もしくは親に気を遣っているというのはすぐわかるんですよね。



Kさん:今がそうです。(笑い) その見極めができないんです。
 だから何でもしたいというのは全てやらせてあげたら、その中から自分の好きなのがでてくるんじゃないかなと思ってます。



Bさん(母):すごくわかります。
 私も学業に遅れないようにいろいろしたのは、やっぱりそれは子どもにとってよくなかったと後でわかるんです。
 その時は、子どもがそう言ってるんだから、うそは言ってないだろうとそういうふうに信じてしまうんですね。



 でもそれがだんだん年数がたって、経験を積むと子どもにとってよかれと思ってやったことがよくなかったんだなとわかってくるんです。
 おろかでしたので(笑い)、頭ではわかってたんですけど、言われてもやっぱりそうなってしまうんですね。



―――親が我が子にそうなってもらいたいという気持ちがあるから、我が子の無理に乗っかってしまうんですね。
 そうやって自分で自分をだましてしまう…。 納得した時に初めてああそうだなと、皆さんもそう思うんですね。




(母):6年かかっています。



Kさん:ゆっくりと次に行きます。(笑い)



―――だから皆さんそんなふうなご苦労をなさってね。
なんていったって親の不安なんですよね。子どもの不安じゃないんです。




「専門家」に頼った日々。


―――小泉さんの場合はいかがでしたか?


小泉成一さん:現在16歳の二男は、中1の秋から行き渋るようになって、最初はかみさんだけが知っていて僕は全然知りませんでした。
 ちょうどかみさんが志学館大学の心理学教室にアルバイトに行っていた関係で、そこに最初連れて行きました。



 箱庭療法みたいなことをやっていて、かみさんも息子もそれぞれ別れて、「お父さんのことをどう思っているか」などカウンセリングを受け、息子の心を開こうとしたようでしたが、2回行って息子が3回目は「もう絶対行かない」と言いましたので、そこは止めました。



 当時はどうにかして学校に行かせようという目的で連れて行き、それ以外の目的はないですね(笑い)。
 そのときは、専門家に聞かないとと思っていたので、私も1回だけ一緒に行きました。



 あとは学校のカウンセリングも受けたり、かみさんがIHセンターで子どもの相手をする仕事をやっていたので、連れて行こうとしましたが、行きませんでしたね。
 我が子が不登校になる前は、不登校の子どもを見て、かみさんとよく「どうしてこんな子が不登校になるんだろうか? 汚れがなくて、素直で、純真な子なのにね」と話していました(笑い)。



 もっと暗いイメージで屈折したものがあると思っていました。
 他には大学からの勧めで、大学生のお兄ちゃんが家に来て話し相手になってくれるというメンタルフレンドも1回やりましたけど、兄ちゃんの手におえず断りました。



 クラブ活動だけは行かせるとか、友達を家に呼ぶというのをよくやりましたね。
 先ほどから出てますけど、息子が外に出て行かないと不安なんです。
 土、日だけでもいいから、友達に誘ってもらって遊びに出かけるというのを、1年の3学期はずっと繰り返しました。



 息子は楽しくなかったと思います。
 私たちがそのように仕向けて、例えばかみさんが友達の家に電話して、「この日に遊びに来てください」とお願いして、友達が来て色々ゲームとかして外に行くんですけど、息子は良く分かっていて「あいつらはゲームだけしにくるんだよ」と言いました。



 結局良かれと思って親がやることは、息子にとって良くないということが分かりました。
ここに来て皆さんの話を伺っていくうちに、親が何もしなくていいんだなということがわかりました。



 2年生になったら行くということを息子と合意して、新しいクラスに息子の友達を集めてもらいましたが、始業式にだけ行って後は行きませんでした。
 顔色が悪くてなじめないみたいだったと担任に聞きました。
その後5月にかみさんがここに来て、私も参加するようになりました。



 その頃から人を頼りにしないようになりました。
毎月の例会で自分にリセットを繰り返しながら、納得するまでに1年ちょっとかかりました。



―――今はどうなんですか?



 正直言って、息子のことを今不安と思わないんですよね、息子がこんな状態で不安と思わない親は正しいのかなと(笑い)、もっと早く次のステップを考えないととか。



―――考えない、不安がないということが自然になったんですね。
一番不安なときは、あちこち連れてあるいているときですか?




 連れてあるいてときはあまり不安じゃないんです。
自分じゃ何もしないでカウンセラーや他人に頼っていますから。学校や病院の先生にやってもらう、カウンセラーにやってもらう、専門家に頼んでいるから自分の責任は何もないんです。
ところがその人たちは関係なく、自分しかないんだとなるとものすごく不安になりましたね。



―――自分しかないと感じたときというのは、カウンセラーが役に立たないと感じたときですか? 息子さんが拒否したからですか?



 そうです。息子が拒否して絶対動かなくなったときです。
ちょうどここの会に来始めたときで、親しかいないんだとものすごく不安になりました。
不安で不安で仕方ないでしたね。



―――でも、諸先輩が親しかいないとがんばっていたら神様みたいに見えたでしょう。(笑い)



 そりゃあ、神様ですよ。森田さんなどは大大神様ですね(笑い)。
 一生頭が上がらない、尊敬すべき存在です。
 でも、みんな出来てないからそういう不安がずっとあるんで、なかなか出来ないですよね。



 先のことを考えると不安なんだけど、学校に行ってない子だけが特別な不安があるわけではないし、そういうふうに考えるとずいぶん楽になって、不安が自分だけのものだと思うとすごく不安になるので、皆同じだと思い、不安と思うことが不安じゃないと。(笑い)




娘が教えてくれた


―――前回自分の中に答えがあると言われた山口さんどうでしたか?


山口良治さん:いや、偉そうに言ったみたいですが(笑い)、自分の中に答えがあるということよりも、むしろ娘の愛美から教えられることが多くて、愛美は僕に対して何でも言いますから、ズキッと親として反論できないような本質を突いてきます。



―――愛美さんが学校に行かないで、自分の家の屋根に隠れたり、食事を全く摂らなくなったときが一番不安だったですか?



 痩せてガリガリになって骸骨のようになっていましたからね。
 鹿大の心療内科に2回連れて行って、1週間後に連れて行こうとしたら貰った薬を1粒も飲んでいなくて、「何で飲まないの?」と言うと、「私は病気じゃないから飲まない」とはっきりと言われました。



 それでもやっぱり私は、大学の先生がそうおっしゃってるのに(笑い)、「私は病気じゃない」とお前が分かるものかという思いでいて、入院の予約までしていました。
 ベッドが空きますからという連絡をもらった頃に、親の会に電話したんです。



 愛美は病院に絶対行かないと言うし、高1にもなる子の首に縄をつけて連れて行くわけにもいかず、内沢さんに「登校拒否はいいけど、拒食過食だけは治さないと」と話しましたね。



―――もう例会会場の入口に立たれたときから泣いておられましたね(笑い)。他人の話を聞いては泣いて、自分の話のときはもうグチャグチャになって…。(笑い)



 そうでした(笑い)。私がどうこうしたのではなく、愛美が先に答えを出してくれたような気がします。(
―――あのときが一番不安で仕事しても手につかない状態でしたよね。



 そうですね。仕事をしたら少し忘れられるところもあって…、(
一時はお父さんと一緒に寝ていましたよね) うん、この頃は寝てくれないので寂しくて。(笑い)



 先ほどHさんが下の娘さんも不登校になったら不安だとおっしゃいましたが、我が家でも愛美の弟が今は高専に行ってるのですが、自動車の免許取得のため1,2年の頃より成績が下がったので、僕が「お前はこの頃はたるんでるんじゃないの?」と言ったら、愛美に「何でお父さんはそんなことを言うの、小泉成チャンが言ったことを分かってるの」と言われてしまいました(笑い)。



 色々経験しているのに、愛美と弟とは違うという考えがいろんなところで出るんですよね。
ですからHさんのおっしゃったことが良く分かるような気がします。



―――親の不安がなくなると子どもが元気になるというのが法則的だと思いますね。
 小泉さんが言われたように、親しかいないんですね、誰か専門家に頼る、それはもうあり得ないんですね。それが良く分かるよね。




家族の愛が不安を消してゆく


森田重則さん:我が家の長男の場合は8年になります。
 最初の5年間は、私は徳之島に単身赴任していて、見て見ぬふりをしていました。
 その後鹿屋に異動になり、毎週末に家に帰ることになったあの1年間というのは、すごい不安の固まりでした。息子が荒れていて妻にいく、僕にもくるという状況でしたから、鹿屋から家に帰る途中に内沢さん宅に何度も行きましたね。
 


―――徳之島に単身赴任していたときに、親の会で大学出ないと就職もダメだと、ツッパったことがありましたよね。(何かそんなこと言いましたよね)(笑い)。
 
あのときは不安じゃなかったのですか? (不安がありました) 
 
俺が徳之島にいる間に何とかなると思ったら、なってないじゃないかという感じだったんですか?



 そうですよね。子どものことを何も見てないのに良くなるはずはないんですよね。
 鹿屋に単身赴任になって毎週鹿屋に帰る月曜日の朝は、息子が妻にあたるんじゃないか、あたるんじゃないかとそればかりを考えていましたし、金曜日に帰るときも正直言って家に向かうのがきついなあという感じで、このときが一番不安でした。
―――でも後半は家に帰るのが楽しみになってきたんですよね。



 結局、家に子どもたちがいるというのが不思議じゃないというか、それに自分自身が慣れたのかもしれませんけど、それからですかね、自分の中の不安が消えていったというのもあるんです。



 今はもう不安はないかといったらそれはあります。
 子どもたちはどうするのかなという将来のことを考えますけど、昔みたいじゃないです。(
―――不安に支配されることはない?) そうですね、不安はあるかもしれないけど、支配までされないですね。



―――毎日お忙しい仕事だけども、家にいることがすごく楽しくなって、(それが普通ですから)前は家に帰ってきても僕の居場所がない、僕のかばんの置き場がないと(笑い)、居場所がないから2階に引き上げて騒動が終わるまでじっとしてるとか、(そういうのがありましたね)(笑い)。



 今はどこにでもかばんを置いてますの?
 (私のかばんはここにあります)(大笑い)
でも、不安はだんだん小さくなっていって消えていきますよね。
 気がついたら息子さんは毎日明るくやっているわけでしょう。




 そうですね。
 多分前みたいなことはないと思いますし、今は、私はそういう状態を見たことがありません。
子ども自体はまだ不安を持っていて、息子は体の不調を訴えることで不安を表し、娘も今は絶対外に出ません。



 娘が今すごく不安なんですよ。
しかし、それはもうその子が自分で解決しないとどうしようもないことだし、前みたいに私が娘を見てて「ああ、どうしよう、どうしよう」と思うことはなくなりました。



森田淳子さん:私が一番不安だったときは、夫に話をしてもそれが通じない、何を言っても話し合いが出来なくなった時期でした。
 たぶんそのときは夫自身が不安だったから薬を飲んだりしてて話が出来なかったときでした。



 今夫が言ったように、月曜日に夫を送りだして、自分もこの次会う週末は我が家はどうなっているんだろうという不安があって、どうもなっていないときの方が多かったんですけど、週末夫に会えるんだろうかという不安がありました。



 今は何であんなに不安だったのかなというくらいに、そういうことはなくなって。
 その頃は兄妹の仲も悪くて話もしなかったし、どうやって暮らしてたと聞いても誰も覚えていないというくらいでした。



 今は兄弟二人でよく話をして、兄の方は不安があるんだけど、その不安をチョコチョコ出しながら、でも妹が落ち込んでいると笑わせたりして、妹も悩んでるんだけど家族全体では笑って過ごしてるような感じなんです。



重則さん:なんか兄が妹の不安を一番理解してるようです。



―――家族ってすごいね。
 お互いにそうやって力を出し合って素敵に生きていくのも家族だもんね。
不安は解決しなくても、必ずそうやって力を出し合える、そういう力を持ってると思いますよ。




淳子さん:娘が半年くらい前から急に不安になって、自分に自信がないから、自分の情報が外に漏れることがすごく怖いと言って、「いろんな大事なメモなどが体についてない?」と頻繁に言うんですね。



 物を捨てたりするときもそこに入ってるかもしれないので、捨てられないと言います。「お母さんが見てあげるから」と言って私が捨てています。



 「大丈夫だよ」と言うと、「お母さんはお兄ちゃんのときは心配したのに、何で心配しないの?」と言うので、「お母さんは勉強したら、皆そうで、そういう形で現れてくるから」と言ったんです。
 本人はすごく心配してるんだけど、一緒になって心配することでもないし、別に心配じゃないから心配しないんですが(笑い)。



 でも娘を落ち着かせるためには一緒になって心配してやった方がいいのかなと思ったりして。
―――心配じゃないのに、下手な芝居して「心配だよ」なんて、それこそ、娘さんを信じてないということになりますよね



 息子も妹の様子から「自分のときと同じなんだね」と言いました。息子の時には「食べた後は自分の茶碗は下げさせなさい」と内沢さんに言われても、なかなか言えず、やっと言ったらそれをひっくり返してしまい、一緒に片付けようと言って片付けたりしました。
 今考えると当たり前のことなのに、そこまでいくのに時間がかかってしまいました。
でも娘の場合は私が手を貸してやってるんですが…。



―――お兄ちゃんの時は淳子さんの目は泳いでいましたね。
 お母さんが動揺して不安が前面に出ているから、だから一挙手一投足が息子さんに対して不自然だったでしょう。



 これを言うとどうかなるんじゃないかとか、息子さんがワーッと言ったら自分がものすごく不安になって「どうしょう、どうしょう」でしたね。だから娘さんから見たら、お母さんはすごくお兄ちゃんのことを心配してるみたいに見えたけど、お母さん自身が不安だったんですね。



 今は動揺していない、娘さんのそういうことは全然自然なことだよと思っているわけですから、あなたの行動も自然になるんじゃないですか。
(ええ、そういうことですよね)とにかく親が不安でなければいいんですね。

(そう思うこと自体が不安なのかなと思ったり)(笑い)


 


私に笑顔が戻ったとき、子どもが笑った


Cさん:今皆さんのお話を聞いていろいろあったなあと思い出していました。
今度の記念誌の原稿をと言われていろいろ振り返ってみるんですが、その頃を思い出そうとしてもいったいどんな生活をしていたのか、この悲しみや辛さは絶対に忘れないと本当に思っていたのに忘れているんですね。



 かつての先生との連絡帳を見てこんなやり取りをしていたんだ、こんなことがあったんだ、私はこんなことを思っていたんだと読み返して驚いています。



 今中1の長男が小2の5月から行けなくなったんですが、そのときは電話相談に電話をしてみました。
 電話だと顔が見えない分、私が責められない気がして2箇所くらいかけました。
 友達にも泣きながら思いを全部ぶつけてみました。
そうしたら逆にすごく怒られて、まずあなたをどうにかしないといけないと言われて、ものすごくショックを受けました。



 それまでも市の相談機関で相談して私が傷つき、子どもも傷ついてきました。
あるクリニックでは臨床心理士なのに全然子どもの気持ちをわかってくれなくて、言葉では言えないんだけれど、感性の部分でここはなんか違うと思ったこともありました。
講演会を聞いてもなんか違うと思ったんです。



 結局私自身が不安で悲しかったのを子どものせいにしていたんだとわかりました。
子どもが悲しいから私も悲しいといい親を演じている、子どものためにこんなに苦しんでいるのと思っていたんですが、実は私自身だったんだなとわかったときに、自分がすごく楽になったんです。



 私に笑顔が戻ってきたときに、子どもがニコッと笑ったんです。
あっ、この子達は常に私を見ていたんだと思うと、私の不安が子どもをなおさら不安にさせて、こんな小さな子に気を遣わせていたんだと思いました。



 今だったら、「学校に行っても行かなくても、あなたはあなたなんだよ」と言えるんですが、どうして自分の子どもなのに信頼できなかったんだろうと思います。



 子どもが不登校になる前は子どもを信用するとか、信頼するというのは言葉としては一番大事とわかっているつもりでも、一番大変なときはただ言葉として流れてしまっていたのかなあと思いました。



 本当にいいお母さんを演じようとして、自分が頑張りすぎて、かえって子どもに当たってしまっていたというのがあるので、1回家族がぐちゃぐちゃになって、いつ寝たか起きたかわからない生活をして、私も子どもたちもワーッと言いたいことを言って、その繰り返しできました。



 ここでも家族って何でもありと言われますが、それが少しずつわかってきた、なんでもありってこんなことなのかなと実感してきました。
 だんだんわかってきて自分の不安が小さくなってきたときに、この子たちは大丈夫なんだと思えたときに、子どものほうも安定してきました。



 2,3ヶ月前に本当に息子が憎たらしいときがあったとお話したんですが、だけどいまはすごくかわいくて、なんだかんだいいながら隣に座ってべたべたしてきます。



 世間的なああじゃなくてはいけない、こうじゃなくてはいけないというのではなく、この子はこの子という目で子どもを見れると、なんてかわいんだろうと無条件で思えて、ちょっとした不安があっても揺るがないという気持ちになっています。
 私もいろんなところを回ったんですが、今は友達にもこの会しか紹介しません。



 やはりこの会との出会いで、最初にお母さんが悪いんじゃないのよと言われて、私はこの言葉を待っていたんだと感じて、すーっと肩の荷が下りました。 
 誰もそんなことを言ってくれなかったなあと思ったら、やっぱり私が不安だったんだなと思いました。





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Last updated: 2003.12.16
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