登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年7月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.103


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


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 6月例会報告    信頼を育む強い愛へ


親の会の例会は毎回、毎回が新しい発見です。
 「我が家の親の場合」と「実例」がたくさん出されて、共通点がわかります。



子どもは自分でわかっていくんです。子どもにわかってもらうために、親が何かすることは、子どもをいっそう苦しめることになるんです」とたっちゃんは結ぶ。
くりかえし、話し合って、「親」も新しい価値観を発見していくんですね。



 「どのお子様の話も全て勝己の叫びに聞こえてきます…」村方美智子さんの感想です。
わが子がいじめで自死してから8年、悲しみはいっそう深いのだと送られてきた15周年の原稿を読んで思います。



 東京に行く機会を得て渡辺笑さんとHさんを見舞いました。Hさんご夫妻は親の会でともに励ましあってきた大事な仲間です。
 病と闘うHさんは健気でひたむきでした。
転勤した先で病気と向き合ってこられました。
生きることが大事なんだよと私たちに教えてくれていました。



 最後の日、千葉の施設で暮らす年老いた母を見舞いました。
93歳の痴呆の母はいっそう小さくなって、姉と一緒の私を見て、「朋子かい? よくきたねえ」と力の限り手を握りました。
手をさすり、髪をさすり時々娘の名前を思い出さない母の言葉にうなずきました。
お別れするとき、いつまでも手を振る母に激しく涙しました。



 わが子を思う親の愛、親を思う子の愛、家族の愛は無限です。
そして限りない信頼を生む強い愛へと変わっていきます。

内沢朋子





1.
おばあちゃんとのおつきあい Jさん

2.おばあちゃんとのおつきあい Mさん

3.
おばあちゃんとのおつきあい 木藤厚子さん

4.あふれる程の母の愛を感じて Uさん

5.子どもは自分でわかっていく 内沢達




おばあちゃんとのおつきあい Jさん


Jさん:高校1年です。今は週に1回体育の時間だけ行っています。
友達に「あんた体育ねらいできたでしょう」と言われながら行ってるんですけど、私のことでお母さんがお祖母ちゃんによくいろいろ言われて、「あーあ」と言ってるのを聞くのが嫌なんです。(笑い)



―――今、お祖母ちゃんとお母さんとお兄ちゃんと4人で暮らしているのね。
お祖母ちゃんは「Jちゃん、学校に行ったら」と言うの?




 はい。「将来のことを思って言うんだよ」と言うんです。それが一番嫌で。



―――もちろんお母さんはあなたの味方になってくれるんだよね。



 うーん(大笑い)。頑張って守ろうとしてますけど、まだちょっと迫力がないんです。
「将来どうするの?」と友達からも言われるんですよ。
それは私が一番知りたいことで、そんなこと言われてどう答えていいかわからないのに、そういうことを聞かれたらまたずっと考えてしまいます。



―――将来どうするのとか、大学は、就職は?とか、そんなことしてたら出来ないよとか言われるの? そういうお友達とは付き合いたくなくなるでしょう?(はい)
 あなたのことを思って言ってるのよとなるのね(はい)。
 小さい親切余計なお世話ですね。担任からはどうですか?



:それは内沢さんから言われたように「一応しばらく休みます。中学でも不登校でしたから、ちょっと疲れていますので」と言ったら、それからは何も言ってこなくなりました。(―――それは良かったでしたね
 はい。すごく気持ちが楽ですね。
中学の時はしょっちゅう先生が家に来てくれたので、あのときは結構きつかったです。



―――でも、あなたはあの先生はとてもいい先生でとおっしゃってましたよね(笑い)。
来ない方が楽でしょう。(はい、楽です。) 将来のことは何も心配はいりません。



 私は31歳のとき北海道から偶然鹿児島に来ました。
夫の就職がここしかなく、来て見たらゴキブリが飛び交うすごく汚い住宅で、こんなところには住めないと初めは毎日泣いて暮らしていました。
その後、もう28年もこの地に住んで第二の故郷になっています。



 人生って偶然なんですね。
偶然の毎日の連続が人生を作っていく、その毎日を大切に生きていくということが将来も豊かになっていくんです。
将来が不安だなと思う自分の気持ちに負けて、自分はダメなんだと、高校にも大学にも行かない自分はダメなんだと、追いつめていく方が自分が小さくなっていくんじゃないですか。



 将来というまだ見ぬ先の不安に脅えて今を台無しにしてはいけない。
将来は誰だってわからないんですよ。高校へ行ったらバラ色の将来があるか、それは違います。
 就職がバラ色の人生だとしたら、高校で就職できる子は全体の4割にも満たなくて、就職しても定着率が悪く8割は離れて行っている状況ですね。
 大学生も大変な就職難です。



 そういう状況の中で、かつては卒業即就職しか考えなかった考え方から、今は就職活動する若者が減っています。
 もっとゆっくり考えてもいいんじゃないか、自分の人生なんだもの納得して生きていこう。自分を大切にしていこうとそういう傾向になっていますね。



 自分の人生を、他人から色々言われたからではなく、自分が生きていく。
自分が人生の主人公になっていく。このことが本当の幸せだと私は思います。
これからも偶然の色んな出会いがあって、そこでいろんなことを考えたらいいですね。




Jさん:高校を辞めたときに好きなドッジボールが出来るかなと思ってるんですが・・・、やろうと思えばできるかな。(笑い)(―――かわいいですね



:母は78歳で、今まで生きてきてそういう人生観は変えられないので。
私もまだバシッとしたところがなく、母には親の会で勉強中だから、黙っててと言うんだけど、やっぱりまだ私がわかってないんだと思います。



 今HPは毎日読んでいます。
 1年間パソコンがなくて読んでいなかったら、常識的な世界に引き込まれそうでしたが、新たに毎日読んでいるところです。



―――お祖母ちゃんやご家族との関係がやっぱりたいへんですからね。
そうですね。あなたが強くなられたらこの問題は解決するでしょう。
あなた自身はだいぶお元気になられて?




母:はい、1年前としたらだいぶ元気ですけど、まだちょっとぐらぐらで、ここに来たら元気がでます。




おばあちゃんとのつきあい Mさん


Mさん(父):現在16歳の息子は、昨年春、高校に入学しましたが、ほとんど学校に行かないで、今年3月に退学しました。
 我が家も隣に私の母が住んでいます。
 3月に退学は済ませていたのにお袋にはまだ言っていませんでした。



 お袋が「また4月になって、新学期だから学校に行けるようになるといいね。私毎日お祈りしてるから」と言うので、私が「もう退学したよ」と話をしました。
 「えっ!」という感じでしたが、ちょうどその日は例会の日で、親の会に誘ってみましたら「行く」ということで、1回連れて来ました。
 それ以降何も言わなくなりました。



 それまでは隣家に孫が一人でいる姿を常に気にしていて、夜中に息子の部屋の電気がついていたとか、色んなことを気にして言っていました。
 僕が「そんなに気にされると息子の負担になるから、出来たらほっといて欲しいんだけど」と言うと、「じゃ、私は引っ越してどっかに行こうか」と言ったりしていたんです(笑い)。



 例会ではお話をただ聞いていただけで、どう思っているかはわかりませんが、言葉で言わなくなりました。
―――それは気持ちの上では楽ですね)はい。



 中3から行けなかったんですけど、息子はその前からパソコンでチャットをしていて、兄(現在県外の大学生)もいて一緒に全国の仲間とやりとりして、名古屋に住んでいる子が鹿児島まで遊びに来たりしました。夕食を一緒にしましたがなかなか面白い子でした。
 最近、県外の兄と名古屋のその子と息子とでチャットをしたらしいんですね。その面白い話を妻の方から話します。



Mさん(母):3人でチャットをして、「このままでいいのか」、「このままではいけないだろう、バイトでもやったらどうか」と言われたらしいんです。
 名古屋の子が親元を離れてファミレスで働きながら高校に通ってるらしくて、息子もこのままではいけないと思ったようで、バイトを探したんです。



 近くのリンガーハットは18歳以上でダメで、今度は新聞配達をしようと考えて、南日本は部数が多いので大変だから読売にしようと言ったり、でも実際に電話したりは全くしていません。



 不登校になってから20キロも太ってしまい、配達をするにも体力がない、自転車では自信がない、それでダイエットしようと思ったらしく、家にあるシェイプアップ用のエアロバイクを動かしたようです。



 以前、太ったからそれをやってみたらと言っても嫌がっていたのに、動かした形跡があったので聞いてみると、10分やったらしいんです。もうたった10分で汗だくになったのでこれじゃだめだとなり、すこしダイエットにも目覚めたようですが、バイトの話はそこまででした。



 息子に私が「自分が納得してバイトをやるのはいいけど、お兄ちゃんとお友達に言われて始めるのは無理することになるよ」、「お父さんもお母さんもあなたが家にいることに問題はないし、ゆっくりしていていいんだよ」と親の方が反応しすぎてしまって。



 それで思いとどまったかどうかはっきりしません。夫にそのことを話すと、「それはやりたいと言うなら、やらせてみたらよかったんだよ。無理に引き止める必要はなかったんだよ」と言われてしまいました。それからは行動は一切ありません。



 先月の例会でもあったように、本当にやりたければ自分で動くだろうし、やりたいという「願望」だけだったのかなと思いました。前からすると少しは動いたことになるんでしょうけど、まだかな、まだゆっくりする必要があるんだなと思ったところです。



―――ゆっくりされることは全然違和感がないんですね(はい)。
 息子さんもバイトなどそういうふうに言われると、ちょっとは調べたりするけれども全然動く気配はないのですね。



 ダイエットも言う必要はないですね。
 私たちのような中高年のダイエットは1キロ痩せるのにかなりの努力が必要ですが(笑い)、子どもは新陳代謝が活発ですから簡単に痩せます。



 子どものやることに関心をもたないということが大事ですね。
お祖母ちゃんがそういうふうにしておっしゃらなくなったということは本当に良かったですね。
 木藤さんもお姑さんと年のうち半分くらい同居で、初めのうちはいろいろありましたよね。

 ↓に続く




おばあちゃんとのおつきあい 木藤厚子さん


木藤厚子:姑は学校に行かないということに関しては行った方がいいと思っていましたので、直接息子には言うことはなかったけど、私には言いましたね。



 その話になると「そうね、そうね」と言って聞き流していたので、あまり強く言われることはなかったですね。
―――嫁がしっかりと自分の意見をもって、そのことに自信をもっていれば、だんだん言わなくなるけれど、弱いとどんどん踏み込まれてくる。
お姑さんも不安だから自分の不安を解消するために言ってくるのですね




 そうそう、自分が大丈夫なんだと思っていれば言ってこないですよ。
 言ってきても相手にしないというか、そんな感じですかね。
ここで育まれて、お陰さまで強くなりました。(笑い)



 当時姑は、夫(舅)を亡くしてそのショックでか家のことは一切できなかったんです。
ご飯の支度から洗濯まで全部私がしていました。
 子どもが2,3歳のときで、しつけのことなど言われて私は傷つきました。



 でもまだ私も30歳と若かったので、自分が一生懸命やればいい関係がつくれる、わかってもらえると思って、グチも言わずに一生懸命やりました。
 でもそうすると自分にストレスが溜まり、それを夫にぶつけてしまうわけで、そのことで夫婦仲が悪くなったりました。



 だけど、それではいけない、お姑(かあ)さんも自立した生き方をしてもらわなければと、夫婦で一致団結した時に私も割り切ることができました。
今はヘルパーさんをお願いして福岡で独り暮らしをしています。



 私が何でもやっていた20年前に比べたら雲泥の差です。
それは自分がどうしたいかという意識をちゃんと持つということですよね。
それが「自分を大切にする」ということですね。この会で子どものこととあわせて、自分のことも学んできたということです。




あふれる程の母の愛を感じて Uさん



Uさん:私の母が亡くなって22日目です。
 息子の中学の卒業式の後すぐ発熱し、毎日介護生活となりました。
 父と私と妹の3人で介護にあたり、私は自分なりに納得できる介護が出来ました。
家庭は二の次にして母中心の生活を送りました。
私は大変さより介護できる幸せで病院へ行くのが楽しかったです。



 母が亡くなってからどうしてなんだろうと思った時、私が母へ甘えていたのだと気づきました。母の体を拭いたり、つめを切ったり、おむつを変えたりと母の体に触ることによって、思う存分母へ甘えられたような気がしました。
 私自身が母へ甘えて癒されていました。そんな時間を持ててとても有難かったです。



 私と妹とは調停をしたりと最悪の姉妹関係でしたけど、母がベッドに横になりその周りを父と私と妹が取り囲んでいると、結婚前の家族になれました。
 私にはそういう気持ちがあり、違和感もなく、これまでの妹へのこだわりも消えて、そういう意味からも母へとても感謝しています。



 いろんなことを教えてくれた大切な時間だったなと思います。
この頃、「ああ、母は死んだんだな」と思うとさびしいです。
 裁判をしている時も母は入院中でしたので、ストレスを与えないようにと父からも言われ、私は一切裁判のことは母へは話しませんでしたけれど、妹は母へよく愚痴を言っていたようでした。



 それから受ける印象は私には苦しい面もあり、私の言い分もわかって欲しいと思っていたので、今度母の介護ではそれも全部包み込んでくれて逝ったような気がします。(涙、涙)



―――あなたが7歳、妹さんが5歳の時、二度目のお母さんとしてあなた方を育ててくださった方なのよね。
 そのお母さんの介護が楽しくて、お母さんに甘えられて、心を抱きしめてもらえたとUさんがお話するのには深い訳があるのです。



 娘さんの目の失明という大きな事故に妹さんの子どもさんが関わっていたのです。
それでUさんは妹さん夫婦を相手に裁判を起こしたのです。
 


 ご両親にしてみれば、娘二人が争うということで随分大変な思いをされたわけですし、Uさんも「親不孝をした」と思って、随分自分を責めたりされました。
 お母さんの介護をしながら、全部お母さんに受けとめてもらえたと言いたいのですが、今涙の方が先に出てしまったのですね。(はい)



 お母さんを見送ってまだ3週間ですけど、とてもよかったと思っておられる。私もお葬式に参列しました。
 Uさんは、ああ、こんなふうにして沢山涙を流したけど、その涙の分だけ今があるんだなあと感無量で手をあわせました。




 娘さんは今22歳です。
 小6の時片目を失明し、中学で「あなたの目はうつるんでしょう」と言われて、登校拒否となりずっと引きこもっていたのです。
 そういう辛い経過をくぐりぬけて、Uさんはお母さんに甘えられたのですね。
(はい)いいお話をありがとうございました。




 子どもは自分でわかっていく 内沢達


―――(内沢達):今日は長谷川さんが参加していないけど彼女がよく言うのが「親は何もしない」ということです。
 それはとても大事なことです。



 「する」ことは誰でも気がつきます。
 しかし、しても大概はうまくいかないだけでなく、逆効果です。
ところが「しない」ことは反対に、じつは大変効果的なことをしています



 お勧めではない「する」話からします。
たとえば「子どもにわかってもらう」と言えば聞こえは良いのですが、それは早い話、子どもを説得しようとしていることです。
 でも、説得なんかできるものではありませんし、またしてはいけません。



 子どもは自分でわかっていくのです。親から言われてわかるのではなく、時間はかかっても自分でわかっていきます。親が説明したり、説得したりして、子どもが納得する家なんて、じつはどこにもありません。



 子どもと明らかに考えや意見が違うときに、いくら時間をかけても、「お父さんの言う通りだ。お母さんの言う通りだ」とは決してなりません。無理無駄なことで、しかも逆効果なことは「しない」に限ります。



 10年以上も前の我が家のことです。
 娘は中3、2学期に塾通いを始めました。
 「受験勉強をわざわざ塾に通ってまでしなくてよい」と考える私とトモちゃんの娘であっても、娘には娘の世界があり、親とは違う考えがあります。



 それまでほとんど勉強をしなかった娘も勉強をそれなりにするようになるというのが、いわゆる受験期なのでしょう。
 自分で探してきた、近くの小さな塾で、なかなか子ども一人ひとりのことを考えている塾でしたので、通塾を親としても認めました。これはまあ普通の話です。



 その2年前、息子・兄の塾通いの話が普通でありません。
 やはり中3のときです。
 自分で探してきた塾だったのですが(大手の塾)、これは途中で止めさせました。



 「必勝」だか「合格」だかのハチマキを締めさせられる塾であることがわかって、またある時期から塾側が帰りは遅いので親が車などで迎えに来るようにとの要請があったものですから、「こんな塾にはやってられない!」と思って止めさせました。
息子が納得したわけでは全然ありません。相当ブーブーでした。



 高校進学後も「お父さんがあの時止めさせなかったら・・・」としばらく文句を言ってました。
 これは親の考えで、受験期真っ最中の息子に分かってもらうことは無理なことでした。
 わかってもらえなくても、親として子どもにはしてほしくないことであれば、何かして子どもを手助けするのではなく、何もしないで、ただ「拒絶する」ことが重要だったわけです。


 
 大変そうでも子ども自身が、自分の意思で頑張っているときには、親として最大限できることを「する」、してあげることが大事だというのが普通の考えです。
 しかし、その考え方を私たちの会ではこれまで問題にしてきました。



 親の助けを借りないで子ども自身が頑張るのは、感心はできなくても、失敗から子ども自身が学ぶという点でまだ良いのですが、親は手助けを絶対にしてはいけません。
 この会で度々申し上げているように、それは子どもの辛さに親が手を貸しています。
親が子どもをさらに苦しめるようなものだと言っても過言ではありません。



 なにか子どもにわかってもらいたいことがあったとき、少し話をするのは良いのですが、本気になって分かってもらおうとしてはいけません。
 してほしくないことをすることを妨げる、拒絶するだけで十分です。
子どもには子どもの世界や考えがあり、すぐにわかってもらおうとすることは大体無理なことです。
 そのときは妨げるだけで、わかってもらえなくてもいいんです。



 でも、親から妨げられることによって、じつは子どもはゆっくりでき、今の自分を肯定するきっかけを得ることができるのです。
だから、普通の意味では親は「する」ことよりも、「しない」ことのほうがよほど大切なのです。



 僕ら自身も子どもの頃そうだったはずです。
自分自身である日ふと気づくのです。親に言われて気づくのではなく、ある日、自分で気づくのです。
 だから親は子ども自身のことについては「よけいなことをしない」、もっと言うと「何もしない」ということが一番大事です。長谷川さんが時々言っていることは、そのことです。



 私たちの会は親の会であって、子どもを、わが子をどうにかしようとする会ではありません。
子どもであれ、大人であれ、人間をどうにかしようとする人は、たとえて言えばオウム真理教か金正日です。
 「そんなつもりはない」と言っても、間違いなく「人間改造」を考えています。
恐ろしいことですよ! 無意識のうちに、じつはできるものなら人を「洗脳」したいと考えているんです。



 毎月の親の会のことをお家に帰ってからも、どうぞ話題にしてください。
もちろん、親の会ですので、親はどうあるべきかです。
子どもがどうあるべきかでは、全然ありません。
 くれぐれも、親の会でのやりとりを子どもさんへの説得の材料になさらないでください。



 説得はできるものではなく、またしてはいけません。
私たちの会は、間違っても「子どもをどうにかしよう」とする会ではないんですから。
そうではなく、つまり子どもではなく、私たち親自身がどうあったら(「子どもに対して」ではなく、「自分自身に」対して)よいのかは、大いにお家に帰ってからも話題にしていただけましたら、と思います。



 親である、私たち自身のことですから、子どもたちの耳に入っても、「あ〜、お父さんやおかあさんたちのことか」と子どもは腹を立てなくてすみます。
そんな経験も例会に持ち寄っていただけましたらと思います。




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Last updated: 2004.7.15
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