登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年8月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.104


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


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 7月例会報告   「今日という日を大切に」 Y子さんの手紙から


 いつ出て行ってもいいんだよと言う私。
 「お母さん、30年待って」という17歳の息子。
 その時あなたはもうすぐ50歳。



 私は天国の階段を登っているよと言う私に、「登る足を引っぱって、現世に連れ戻すために僕は家にいるんだよ」と言うんです。(Kさん)
 …もがいたり、紆余曲折があっても、わが子が家にいることを受け入れていった腹の据わった会話です。



 わが子への限りない愛情こそが力になって、わが人生の生き方さえも変えていく、大切にしていくということは一朝一夕にできるものではありません。
 15年の親の会の歴史は、個人差はあれ、こういうことだったのかと毎回の新しい発見の積み重ねでできていくということを教えてくれます。



 いま、15周年記念誌の原稿が集まっています。
Bさんは原稿を書くにあたって親の会の会報をすべて読み返したと言います。
子どもたちにも堂々と見せることが出来て、親子の信頼が深まったという話は、出会った5年前には考えられないと深い感動をおぼえました。



 辛いときは辛いままで、弱さも含めてあるがままに、しかし、親の姿は年月を経て、着実に強く変わっていっています。
 原稿を書くにあたって親子の葛藤も披露されました。
 絶好のチャンスですね。編集作業をしていて、感謝の気持でいっぱいになります。



 この原稿を書いているときに、東京在住のHさんから、Y子さん(妻)の訃報が入りました。
 8月9日22時31分でした。
 突きつけられたあまりにも早い、悲しい報せを受け止めることができません。



 Hさんは8年前親の会に。
 以来、喜びも悲しみもわかちあってきました。
 ひたむきに生きたY子さんは私たちに命の大切さを教えてくれました。
 心からご冥福をお祈りします。





1.我が子とのきずなが一層深くなりました。 Bさん

2.昔不安で焦る我が子の言いなりになっていたのは私が不安だったから Mさん

3.
僕があと30年家にいるのは天国に行こうとするお母さんの足を引っぱるため Kさん

4.いざ高校を辞めると言われると・・・。Jさん




我が子とのきずなが一層深くなりました。 Bさん


Bさん:私は、15周年記念誌に載せる原稿を書くために、入会してから今までの会報を全部ひっぱり出しました。
 原稿には書いていないんですが、1999年9月に入会して、10月に「10周年記念のつどい」が開かれました。
 そのとき子どもが荒れていて大変な状態でした。



 奥地さんの講演後に私は質問をして、当時のその質問がプリントされていたので、それを「まだ分からない、まだ分からない」と何回も読み直してきました。
 当時私は、子どもの無理難題、暴力、物の要求、娘のリストカット、子ども達のけんかといっぱい抱えていましたので、私の心をどういうふうにもっていったらいいでしょうかと質問しました。



 それに対して、「お母さんの常識とか役目とかを抜いて、裸で子どもと付き合ってみたら、子どもさんの心が見えてくるんじゃないですか。そうするとお母さんから出てくる言葉が違うんじゃないですか」とあり、一昨日これを読んで、「あー、ありがたいな」ととても感動したんです。



 当時の私の発言をいろいろ読んでいると、息子も読んで、「何これ、なんでこんなことを言ったの?」と言いました。
 そのころは息子の暴力があり私を蹴ったことが書いてあって、「僕はお母さんをこんなに蹴ったの?」と言うので、「うん、蹴ったよ」と正直に言いました。



 「僕が蹴ったの? 嘘だ」と言うから、「ほんとうだったんだよ。その時はあなたは辛くてお母さんに当たってきたんだね。
 お母さんは今になってわかるんだけど、分かってくれる人にしか子どもって当たらないんだよね。
 だってあなたはお母さん以外の他の人には当たっていかなかったでしょう」と言うと、「うん」と言いました。



 何万もするものを買って壊したり、家を傷つけたりと書いてあって、それは覚えているけど、私を蹴ったり殴ったりしたことは覚えていないようでした。
 本当に息子には読ませたくないというのがたくさんありました。
夫が親の会へ参加したときのことも読んでいました。



 息子がどういう反応をするかなとちょっと不安もありましたが、今まで私の心の中に封印してきたことを全部出して、もう堂々と私はここの会であなた達の気持ちが分かるようになったと伝えました。



 他にも、不登校のNHKのアンケートに基づいた報道特集があったときに、内沢さんが「NHKの特集はあまり期待していたものじゃなかった」と感想を述べていた箇所に、息子が「すごいね、この人たち、こんなことまで考えてるの」と言ってすごくびっくりしていました。
 私が子ども達に言えなかったことを会報が伝えてくれ、この15周年の原稿を書くことで、またひとつ子どもとの絆が出来たことがとても嬉しかったです。



―――とってもいいお話ですね。
 あなたは今までいろんな所を廻って、「家庭を崩壊させるようなところに行かないで」と息子さんは言っていましたね。




 はい、「○理」やらいろんな所へ行って家庭が壊れていっていました。
 「親の会」に入会したときも、息子はまたそういうところに入るんだろと言ってすごく反発していましたから、会報を見せるのも怖かったですね。
 昨日は山積みにして子どもの前にボンと置いていたら、自分で丁寧に読んで、月毎に綺麗に並べていました。



 娘はつい最近、拒食のときの自分の日記を見て、何時何分に何カロリー食べたと書いてあって、「こういうのを書くと、なおさら食べちゃうじゃん」、「ばかみたいなことをしていた」と言ってました。
 それを聞いて「ああ、この子は少しゆっくりなってきたな」と思いました。



 親子3人で暑い昼下がりにゴロゴロして話しながら、私はこの原稿を書きながら、本当に幸せだなとしみじみ思い、ありがたいと思います。



―――息子さんは最初のあなたの発言から、今に至るまでをずっと読んだのね
 はい、時々「こんなことまで言ったの」と言ってましたが、何も怒らないで、私が今まで隠していたものを受け入れてくれたんだなと胸のツカエが取れたような気持ちです。
 ずっと読み返して、今考えて見ると、ほんとに言われることが分からなかったんですね。



―――最初は分からなかったでしょうね
 はい、何にも分からなかったです。
 そんな悠長なことを言ってられないんだ、家は今大変なんだ、危ない状態だから、一足飛びにすぐ答えが欲しいという感じでした。
 その時は姉弟は出来るだけ一緒にさせてはいけないと思いましたね。



―――どこかの施設に預けなさいと言ってもらいたかったんですね。(そうですね)
 それなのに一緒に住みなさいと言ってね。
 最初は分からないんですね。




 二人置いて大学病院に薬を貰いに行き家に帰るときは、その頃は息子はまだ学校に行っていましたので、汽車から飛び降りたい気持ちでした。
 汽車が1時間半遅れたときなどは、息子が家に帰ってなければいいとそればかりで、とても怖かったですね。それまでにも怪我したことがありましたから。



―――二人を別々にしようとばかりしていましたからね
 はい。
 今はとても姉弟仲が良く、お互いにずばり言い合い、すごいことを言うなあと感心しながら、これが本当の信頼関係なんだなと納得するんです。



 娘が過食で太ってしまったと言ったら、息子が「あんた大変なことになっちゃったね。そこまでになるとは思わなかったよね」と言ったらしいんです。
 そんな言葉かけができるというのがすごいと思うんです。
私は子ども達に教えられてばかりです。



 ただ夫のことが気がかりです。
 子ども達との関係はほとんどもう話をしなくなって壊れています。



 風邪を引いて夫がマスクをしないでいると、息子が夜中にテーブルをドンと叩いて、「何で自分からマスクをしようとしないんだ、どうして人のことを考えてくれない、自分は病院にも行けないから風邪が移ったら困る。なぜ人から言われないと何も出来ないの」と言われて、しぶしぶマスクをしていました。



 すると娘からも「私も病院ばかり行って大変なのにこれ以上風邪を引かせないで」と責められて、夫は居場所がなくて夜遅く帰ってくるんです(笑い)。
その方が母子3人心地よいので、これでいいのですかね。



―――あなたは寂しくないの?



 いいえ、それはないです(笑い)。
 昔は子どものためにお父さんは良い父親であって欲しいとか、良いお父さんに見せるために私が裏でいろいろ工作していましたけど、子ども達はもう分かってきましたから、私は何も言わなくなりました。
 子どもが私の代わりに言ってくれるので、夫には子どものグチも何も言わず私は黙って朝夫のお弁当だけ作っています。 



―――あなたは夫に気を遣っていたんですね(そうですね)。
今は気を遣わなくて済む様になったのですね。



 はい。今私はやりたいことがいっぱいあって、夫にかまっている時間がないんです。(笑い)



―――ご夫婦でいたら幸せだなと思わないの? その境地ではない。



 話をしないから寂しくないですね。話をしたら違ったことを言うんですね。
今はそんなに望むことはないけど、正直に言ったらやっぱり家族の仲間に入って欲しいなというのがありますし、子ども達もそう思ってると思います。



 なかなか分かってもらえないな、寂しいなあと思っています。
それでも気を遣っていた頃より私は自然に過ごせるようになって気持ちが軽くなってきました。



―――最初、Eさんが親の会に来られて「どうしたらよくなるでしょうか?」と言われた時、「あなたが強くなることです」と私は答えました。
 あなたも以前に比べると本当に強くなられてきましたね。




 そのことがあなたの家族を結び合う力になって来ましたね。
ご夫婦の関係も同じで、そうやって自分を大切にするあなたの姿勢は必ず夫にも通じて心が通いあっていくと思いますよ。





昔不安で焦る我が子の言いなりになっていたのは私が不安だったから Mさん



Mさん(母):最初は1周年記念誌の原稿を読む人が分かるようにと思って書いていたのですが、自分の気持ちが上手く原稿に書けなくて、書きながらこうじゃない、自分は本当にこう思っているのかな、不安があるのかなと思いながら書いていくうちに、これは自分のために書いてるんだなと思いました。



 そういう自分の気持ちをまとめるのにとてもいい機会だったと思います。
ですから他の人には分からないかもと思います。



―――ちゃんと分かりますよ。
 当時息子さんから言われた通りにすればどんなにか楽なのに、その葛藤と「勇気」があなたを変えていったのね。大変だったと思います。




 はい。それって今考えれば、息子が夜中に起こしにきても「私は起きないよ」と言うのは当たり前だし、とっても簡単なことなのに、何でそのくらいのことを拒否できなかったんだと思うんですけど、そのときには自分が必死で、息子の話を夜中に聞いていたころでしたので、余計それを変えることが出来なかったんです。



 またそのことで荒れたらどうしようかと不安が先に立ってしまったりして。
これは書いてないんですけど、それまでは息子は自分の不安を聞いてと言って、毎日夜中に起こしに来てたんですけど、断ったその日以来、息子は1回も私を起こしにきていません。



 夜中にうとうとしてるとき、トントン階段を上がってくる息子の足音が聞こえるとパッと目が覚めて、また息子が起こしにきたら私はきっぱり言わないといけないと思いドキドキするんですけど、夜中に起こしたことはないですね。



 私は夜中に起きて、一生懸命息子のために不安を聞いてやっている、自分はいいことをしていると思ってやっていたことでした。
 結局、あのまま息子の話を聞いていても息子が落ち着くかというとそうじゃなかったんだと、今は分かるのですが、自分が息子の不安を大きくしているとは全く思っていませんでしたので、それを言われた時は全く分かりませんでした。



―――親だったらそのくらいしてもいいだろうと
 はい、それをするのが当たり前だと思っていました。
仕事に行っているんだったら別だけど、仕事もしていないので夜中であろうとじっと話を聞いてあげるのが当たり前だと思っていました。



 この会で「どうして起きるの、寝なさい」と言われた時は、ほんとにびっくりしました。
180度違うことをしなさいと言われたので。



―――でも、あなたは親の会を信じてされて)(笑い)
 その時は私もかなり無理をし続けていたんだと思うんです。
だからそういう中でそういうことを続けていくと、ますますためにならないよと言われ、気がついていったんですよね。
 もうその時はそうするしか道がなかったんです。



―――もう他のところに行こうという気も起こらずに(笑い)。他にも行かれましたよね。



 はい、ここへ来る前に、他のところに1年間行ってました。
そこでは、ここはひどいところだから行かない方がいいと言われましたけど。(笑い)



―――あなたの原稿の行間には、ご夫婦の関係で苦労されたことが出ていましたね。(はい) 子どものことより夫婦のことだと気付かれたことはたいしたものですね。



 はい、子どものことは登校拒否ということで同じ思いで考えてくれる人はいっぱいいるけど、夫婦のことは初めはどうしていいか分からなかったですね。



 Bさんと同じで、言われていることが分からなくて、その上自分に余裕がないものですから余計大変で。
 夫のほうも訳が分からないまま、わからない私から言われて「自分はダメなんだ、ダメなんだ」とまた思っていったのかなと。



―――そういう夫婦の危機を乗り越えて、今は親の会の仲の良いおしどり夫婦ですよね。(笑い)



Mさん(父):とにかく単身赴任で徳之島にいた5年間は、妻は大変だと言ってくるけど、見えなかったし、何かあっても徳之島に帰れば見なくて済む。
 それが鹿屋に異動になって、毎週家に帰える条件になったとき、目の前にパッと出てくる。
今まで私には何も言わなかった息子が私にも厳しく言い始めて、それで私も親の会に通い出したんです。



 今、3年ちょっと通っていますけど、あの時にどうしていいのか、もう全然わからないんですね。何かあると内沢さん宅に行って、何度も行きました。
 そんな中で、自分が何かありながらも段々と落ち着いてくるというか、自分が落ち着いてくると子どもが落ち着いてきたのか、本当に子どもも荒れなくなっていきましたね。



 そうやって、家族の中に私もやっと入れたのかなというところです。
先月の例会は自分の手術で欠席しましたが、その間2週間自宅療養をしました。
私は今まで2週間も、24時間家族4人で居るということはなかったんですね。
この2週間で家族ってこんなにいいものなんだなとつくづく思いました。



 でも逆に、今まで38回連続で参加してきた親の会を休んだので、自分の中で不安なんですね(笑い)。
 まだ私の中に、息子のことを気にしているところがあるんです。



息子は「もっと、どっしり構えて欲しい」と妻に言ったみたいで、それがまだ私が出来てなくて、そういうところが親の会に1回行かなかっただけでもっと助長されて、やっぱり親の会に行かないとダメだなと思いました。



―――2週間休暇をとられたことはほんとに画期的なことですよね。
 今までいくらお勧めしても休まなかったものね。
そして3年前の最も辛いときは、家族を捨てるか、崩壊するかの瀬戸際で、ご自分の居場所がなかったですものね。




 ほんとにあの時の辛さというのは、病院から出ていた薬を全部溜めて、いっぺんに飲んで死ぬかどうするかという選択までしたんでしたよね(笑い)。
今だったら笑って話せているけどね。あの薬は生ごみの日に全部捨てた。(笑い)
 こういうふうにして原稿を書かれると、考えが深まってきますよね。





僕があと30年家にいるのは天国に行こうとするお母さんの足をひっぱるため Kさん


Kさん(母):お久しぶりです。
3人の息子たちが不登校でした。
今は22歳、19歳、17歳です。家は子ども達が高校進学を考えなかったので、中学を卒業してから鍛えられたかなというのはありますが、親も学校とやりあって開き直ったこともあって、あまりプレッシャーはかけなかったように思います。



 私は今2年近く義母の介護をしているんですが、今が一番大変な状態で私もイライラしていて、ちょっと長男とやりあってしまいました。
 長男は去年の4月から1年くらい仕事を休むと言って仕事を辞めているので1年3ヶ月働いていないんです。



 私はそれはかまわないと思っていたし、今でもそう思っているんですが、長男とやりあった時に腹立ち紛れに「あんただって20歳すぎているでしょ。弟も今年で20歳でしょ。何考えているのよ」と言ってしまったんです。
 そしたらハンストが始まって4日くらい続きました。



 その後で「お母さんがイライラしていて八つ当たりしたんだから本音じゃない」と話したんです。息子は「そう言って本音がでたんじゃないの」と言いました。
 私は「絶対に本音じゃない、言っている最中に私は言い過ぎている、思ってもいないことを言っていると思った」と言うと、息子は「考えてないように見えるかもしれないが俺だって考えているんだ」とワーッと言いました。



 最後に「また言うかもしれないけど気にしなくていいから」と言ったら、「自分もすごく考えていると言ったけれど、実際は考えている部分は2割か、3割で、まだ考えなくちゃいけないということだろうなと思った」と言ったんです。



 それを聞いて、多分私の中でもゼロじゃなくて少しはある、でも少しあるのはしょうがないことなんだろうと思いました。
 普段は夫以外はのほほんと過ごしていますので、家族で掛け合うプレッシャーもほとんどないと思います。



 中学を卒業して誰のせいにもできなくなった時に、子どももそれから1年くらいはピリピリした時期がありましたけれど、それから性根が座ったように思います。
 三男が一番先にクリアしたというのもあって、わりと楽でした。



 私は子ども達にはいつでも出て行っていいと言っているんですが、長男はこんなぬるま湯的な生活をしていてとても出て行けないと言います。



―――いつ出て行ってもいいと言ったら追い立てられるような気持ちにならないかしら?



 それは思っていないみたいです。
 お兄ちゃんを待っていたらいつになるかわからないので、三男に「あなたが先でもいいんだよ」と言ったら、「お母さん、30年待って」と言われました。



 「30年待ったら、あなたは50歳でしょ。お母さんは天国への階段を登りはじめている」と言ったら、「そのときは足を引っ張るから待て」と言うんです。
 「僕はお母さんが天国に行く足を引っ張って、現世に連れ戻してあげる。そのためにいるんだから30年待ってね」と言うんですよ。(笑い)



―――とってもいいお話ですね。
Kさんは3人のお子さんと住むことに違和感はないの?(そうですね。) 
一緒に住みたいと思っていらっしゃるの? それとも早く一人になりたいと思っているの?



 今でも一人でぶらぶらしているんですが、「ああ、北海道に行きたいね。たまには一人でボーッとしたいよね」と言うと、子ども達が荷物持つから、話し相手がいるでしょうとか言うんです。
 ほんとにこんな感じなんです。
当分はお父さんが元気な間は働いてくれるんだから感謝してのんびりしていなさいと言っています。



―――いろんなことがあって大変でしたね。
今はまたおばあちゃんの介護で大変だけれど家族5人で安定して、言いたいことも言いあって過ごしているんですね。




 結局愚痴を言い合える、カッカしてケンカもするけれど、それで傷つけあうかといったら、それはなくなったと思います。
 ごく普通のケンカをして、ごく普通に思い合っているという感じです。
優しくなったかなって思いますね。



―――優しい息子さんたちですね。
 荷物を持ってあげるからとか、天国に行かないよう足を引っ張ってあげるからと言ってくれて、30年は一緒にいるって。



―――(内沢達):「いつまでもお父さん、お母さんと一緒に居ようよ」と心から言えるかどうか。
期限をつけてはいけません。結果的にはそのほうが早いんですね。



 たとえば不登校について言うと、僕は不登校の子が再登校できるようになることが必ずしもいいこととは思わないけれど、無理なく自然に行けるようになったのであればそれはそれでいいわけです。



 再登校が我々の目的では全然ないけれど、再登校のためにも、逆に学校に行かないことを即認めることが早道なんです。
 いま現在「行きたくない」と思っている子に無理強いをして行かせようとするとこじらせてしまいます。
 将来、自分が主人公として、自分のほうから学校を活用していくと考えるようになる、その芽も摘んでしまうことになります。



 引きこもりも同じです。
 親が「そんなに引きこもられたら困るなあ」と考えているようでは、引きこもりはどこまでも続きます。
 仕方なしにではなく、とことん引きこもることを認められるかどうかが肝心です。



 不登校を否定する不登校は、学校を休んでいても、自分自身休んだことになっていません。
 引きこもりを否定する引きこもりもそうです。
 当に引きこもったことになっていない引きこもりです。
 ですから、手段的にじゃなく、また慰め的でもなく、心底、登校拒否や引きこもりを肯定することができるかどうかです。



 和やかな会話のなかでのことでしょうが、今度そういう会話がでたら、「30年も! いいね! お母さんの足をいっぱい引っ張って!」といった感じがいいんじゃないでしょうか。





いざ高校を辞めると言われると・・・。 Jさん


Jさん(母):娘は高1で高校を退学するかしないか、今正念場です。
まだ決めかねていて、昨夜も「中退したら、後悔しないかな」と泣いていました。



 私も黙っていたらよかったのに、焦ってしまってAさんみたいに「通信制」もあるし、あれもあるしと言ってしまいました(笑い)。
 デンと受け止められない自信のない親です。
娘の苦しみを受け止められる親になって、将来はEさんみたいになれたらいいなと思っています。(笑い)



 内沢さんに担任の家庭訪問の件をご相談した時、「家庭訪問受けないといけないの?」と言われたのですが、そこまで断るのができなくて、まあ、一度は担任と会って本人の辞めたい気持ちとかお話してもいいかなと思って決めました。



―――あなたは娘さんが学校を辞めてもいいと思っているのですか?



 心からではありませんけど、朝の娘の様子を見ていると疲れているなとはっきりわかるし、行ける状態ではないと思うので。



―――でもまだ動揺してるんですね。
 娘さんの立場に立つともうヘトヘトで疲れているんですね。




 中学時代の疲れが癒されていないのに「高校を辞めたら将来があるのか?」と不安に思う訳でしょう。
 その時、お母さんの気持ちがしっかりしていないままに担任の家庭訪問を受けると「どうやって進級するか、単位を取るか、どうやって登校させるか?」という流れの中にまきこまれてしまいます。



 娘さんの立場に立つとよくわかるのです。
 不安で揺れながらも「高校を退学したら、どんなに心休まるか。不安がなくなって解放されるか」と思い、本能的に自分を大切にしようとしていますね。



 今の不安で、毎日毎日を台無しにしている人生よりも、今を大事にするという子どもさんの気持ちを大切にしていけば自然に答えが出てきますね。
 お母さんの気持ち次第なんですね。



 私は娘の気持ちを受け止めきれないので、すごい自己嫌悪に陥ってます。



―――そんなことないでしょう。
 あなた自身がとても大事な体験をなさっているでしょう。




 ご夫婦の関係で自分を否定し続けた辛い経験があるでしょう。
 我が娘も私と同じ気持ちでいるんだなあと、娘さんと同じ気持ちを体験できるじゃないですか。
 最初からデンとは受け止められなくても、自分と同じ辛さを体験した娘の気持ちはわかってあげられると思いますよ。(はい)



 「お母さんもその気持ちわかるよ。お母さんも体験したから」と娘さんへ言ってあげたら、きっと娘さんも安心すると思います。
 自己否定の辛さを受け止められなくてもそれを共有することはできますよね。
それが一番大事ですね。




 本人も迷っているんでしょうか?



―――それは迷いますよ。
 迷っているというより「行かねばならぬ」で迷っているのであって、状態は絶対行けないのに「行かねばならぬ」と思っているから、迷う訳でしょう。   



 沢山の人生があるのに学校しか自分の人生がないと思うから不安があり迷うんですね。
きっとふっ切れたら娘さんは随分とすっきりすることでしょう。




(後日談)7月24日担任の家庭訪問の際、Mさん(娘)は「高校を辞めます」と伝えました。
「初めは迷いもあったけれど、とてもすっきりした。
 担任も「退学するなら授業料がもったいないから7月中に手続きしたほうがいい」と言ってくれて。
 今までは外出しても後ろめたい気持ちでしたが堂々とできて…。」同居しているおばあちゃんは不安いっぱい。



 お母さんも「伝染」して不安がありましたが、それも手続きの前日にはふっ切れていました。
7月28日母娘で学校におもむき教頭に退学の手続きを済ませました。
「すっきりしてますねえ」と教頭が言うぐらいふたりはさわやかでした。




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Last updated: 2004.8.18
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