登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年10月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.105


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→




 親の会15周年記念誌 登校拒否もひきこもりも明るい話

 編集作業をしながら、何度も熱いものがこみあげ、深い感動をおぼえました。
早く皆さまにお届けしたいと、嬉しさでいっぱいです。
 みなさま、本当にありがとうございました。


親の会の15年の歴史のつみかさねに ふさわしい記念誌が完成しました!!

 考え方、見方を変えれば、ステキな人生なんだと考えることが出来るお話満載です。
どんな本より、納得できて、元気をもらいます!



10月17日親の会でお渡しします。 価格1000円

 ご注文の場合はクロネコメール便で発送します。送料160円(1冊)です。
郵便振込用紙を同封します。お手元に届いた後、1160円を郵便局でお振込みください。

15周年記念誌詳細はこちら→



 9月例会報告

 我が子を信じる親の強い愛があれば家族は幸せになれます。
 そんな思いを強くした9月の親の会でした。
 会報を読んで心と心をつなぎましょう。いつしか不安が消え、安心が広がります。
 10月お会いできることを楽しみにしています!


 



 
1.本人が納得してはじめてひきこもれる 内沢玲子

 2.高校やめてよかった!! Jさん

 3.
我が子が自分を受け入れることができるのは基本はやっぱり親 Nさん

 4.親の不安もホームページで消えていきました。 Mさん

 5.我が家の歴史を原稿に託して Uさん




本人が納得してはじめてひきこもれる

―――今年でこの親の会は15周年となりました。
 一口に15周年といっても、うまず、たゆまず、長い間毎月やってきた訳です。
 15周年の記念誌作成にあたっては、44人の方々から原稿が寄せられています。
 どれもが胸を熱くします。早く皆さまのお手元に届けられるよう只今作業中です。



 次は内沢玲子の原稿です。私の25才の娘です。
 当事者の原稿はよくわかりますね。どんなに親がしっかりしていても、立派でも、つまり私のことなんですけど(笑い)、本人が納得しないとダメなんですね。
 そのことがよくわかりますね。そこを読み取って下さい。

(〜原稿読み上げる)(拍手)
原稿はこちら→



 9月は多くの相談がきます。
 2学期になって学校に行かなくなった相談とか、子どもさんからの相談も多いですね。
 その時に大事なことは「ひきこもる」ということです。



 「うちの子は閉じこもってはいないのです」と言われます。
ひきこもりがいかに社会的に否定されてきたかということの表れですね。



 「学校に疲れる」、「学校が怖い」から不登校になるのであって、親の子育てに何か問題があるからではないのです。
 子どもさんは学校と距離を置きたいから、行かないだけなんです。
 これは人間として当たり前の感情です。



 しかし、なぜか学校というだけで、「行かなければならない」と思うのです。
「学校信仰」という価値観で、親も子もがんじがらめになっているんですね。
だから学校がダメならフリースクールとか、この学校がダメならあの学校へとか、子どもたちをどんどん追い詰めていくのです。



 子どもは休む暇を与えられないからどんどん苦しみ、そのどれにも行けません。
ひきこもりの大切さは、そういう精神的な辛さからくる疲れを癒さなければいけないということです。



 しかし、休むことを次第に親が納得しても本人が納得しない、そうして心が休めないままひきこもっても決して自分を許していないんですね。
 自分のひきこもりを許した時、はじめて心が癒される時なんです。
心から休むということがどれほど大事かということですね。
休むことによって、パワーが溜り、爆発的なエネルギーを子どもは出せるのです。



 玲子の、充分に休まなくてはいけないと思いつつ、なおかつ親が大丈夫なんだよ、充分休んでいいんだよと言っても、自身が納得しないとダメだということを理解して下さい。



 子どもが納得する最大の保障は親御さんの理解です。親が本当に心から理解しないと子どもは納得しません。
 自分を責め続けます。
 子どもを理解する親の受け皿があってこそ、子どもはゆっくり自分を否定しないで閉じこもることができます。



 親が「一生、家にいていいよ。私が寝たきりになったら、オムツを取り替えてほしい」と言うぐらいの腹をくくらないといけない。
 私は「引きこもる情熱」という芹沢さんの本をまた読み返しました。



 いい本ですので、お持ちの方は復習の意味でまた読んで下さい。
親の会で紹介している本は、どれも素晴らしい本です。
 本を読む心構えは、この親の会の皆さんの実際の体験を復習する意味で本を活用したらいいと思いますね。




 内沢玲子さん:先日、Fちゃんと電話で話したんですけど、Fちゃんはものすごく不安を抱えていて、私にその不安を訴えてきたのです。
 Fちゃんと話すうちに、自分も以前はそうだったんだとつくづく思い出されて。



 あの時の私はパワーが溜るなんてどうしても思えなくて、疲れが溜っていて不安で、本当に一生家にいて一生好きなことは出来ないと思い込んでいて、だからやけになって自分を自分で責めたり、自己否定し、休んでいる自分を受け入れられなくて、そんな状況がずっとずっと続くと思っていました。



 しかし、本当にゆっくり休んでいると、だんだんパワーが溜まってきて、その不安も少なくなっていきました。
 自分も大きい不安に以前は包まれていたんだなあと思い出してきて、それぐらいそのことすらも忘れていたほどパワーが溜まってきたのかなと今実感しています。



―――玲子は閉じこもっていてもいいんだと思ったのはどうしてなの?



 そう思わないと、自己否定ばかりしていても何も生まれないし、何もいいことはないし、負の連鎖だけが続くと思いました。
 私は親の会のHPを立ち上げたり、毎月親の会へ参加していく中で、ああ、ゆっくり休んでもいいんだなと本当に思えるようになってきたのです。



 だけどやはり、一番身近にいる親が理解してくれるのが一番大きかったと思います。
 何かをしている玲子がいいとか、何もしていない玲子はダメとか、一切条件付けずに悩んでいる時も、落ち込んでいる時も、パワーがある時も、そうでない時も、その時の玲子が一番いいんだよと受け入れて認めてくれるのが感じられたし、わかったので、安心してゆっくり休んでいられました。



 ゆっくり休んでいてもパワーが溜っていない時は、あれこれ考えてしまうけど、パワーが溜ってくると、あんまり深く考えなくても、ただ、今疲れが溜ってるんだな、ゆっくり休めばいいなと、シンプルに思えるようになったんです。

 

高校やめてよかった!! Jさん

 次は、高校を中退したばかりのJちゃんね。かわいいね、かわいいスリッパとTシャツ姿ね。
お母さんは今日、はじめて原稿を聞くんですね。
一番最後に届いたばかりのホヤホヤの原稿です。

(〜読み上げる)(拍手)
 

 生きてるだけで
   こんなに嬉しい


 私は今15歳。もうすぐ16歳です。
 中学校の1年生の時の不登校するときのこと、思い出そうとすると、気持ち悪い、とても嫌な感覚がすっと体を通る。
 涙が出る。思い出せない。



あのときはいつも親の会のホームページを見ていた。見るたびに心が軽くなっていた。
 中3になって、お母さんと兄ちゃんと私はお父さんと別居して、パソコンのないおばあちゃんの家に居候することになった。
 ホームページを見る機会はなくなった。



 中3のときは、早く高校に行きたかった。
2年生まで、ずっと学校に行かなかったけど、3年になって急に行きたいと言い出して、毎日学校に行くようになった。
きっと、先のことばかり考えてしまっていたんだろうな。自分はできそこないの人間だと思っていた。



 毎日が受験勉強のための時間ばかりの学校で、1年以上行っていなかった私は、家庭教師を自分から頼んだ。塾には行きたくなかったけど、学校の勉強についていけなかったので、そんな自分が嫌で頼んだ。



 だけど、家庭教師を頼んでも点数が上がらなくて、「出来の悪い私は、家庭教師を頼んでも駄目なんだ、どうしよう、あんなにお金払ってもらってるのに、あんなに細かく教えてくれたのに」と、いろんな人に迷惑をかけているのに、期待に応えることのできない自分が嫌になった。



 そんなとき、「学校行ってれば、きっとトップだったんだよ。気にしないで」と家族に言われると、余計申し訳なくてしょうがなかった。
 イライラしたときは、家族に怒鳴ったり、物を蹴ったりして当り散らした。
「やっぱり学校に行ってほしかったの」と言いたいのをこらえた。
「そりゃそうよ」、と言われたらどうしようと思ったから。



 テストの点が悪かったと泣きながら相談する友達に、「あなたの努力が足りないんだ、もっとがんばりなさい」と言う先生。
 遅刻すると別の部屋に行かされる生徒。
 家に帰っても、不安から夜遅くまで勉強とは言えない舟をこぎながら睡眠学習をする自分。
 全部普通の、当たり前のことだと思っていた。
「がんばらなくちゃ、いい人間になれない、いい人生はやってこない、後で絶対後悔をするんだから」と思っていた。



 勉強していないときは、しなきゃ、しなきゃと心臓がドキドキしていて、勉強しているときも、今本当にこれをやってればいいのか不安で、いつも誰かに怒られるんじゃないか、私は何かまたをミスしているんじゃないか・・・気が休まるときがなくて、不安、不安、どうしよう。の、毎日。



 そんなふうに気を張りつめていても、宿題を忘れたり、時間に遅れたり、何かとミスしてしまう私。ミスをするたびに、ああまただ、と自己嫌悪になって、プラス何かと怒鳴る先生が、怖かった。
 自分のために勉強してたんじゃなくて、怒られたくないために、あと、少しでも誉められたら・・・と、必死だった。



 何かを選ぶのにものすごく悩む私だから、高校を選ぶときも、ぎりぎりまで悩んでいた。
「ここなら受けても大丈夫」と言われたところから選んだ。「将来のことを考えて選べ。何になりたいのか」とか言われた。
 将来したいことが、今の私に分かるわけないのにね。



 私は今何がしたいか、考えると、いっぱい出てきた。
外国旅行に行きたいな。夜までずっと遊びたい。美味しいもの食べに行きたい。もっとぐっすり寝たいよ。受験が終わったら、受験が終わったら・・・。



 そして受験の日をむかえ、希望した高校に受かった。卒業式も終わると、今まで張りつめていた気持ちがゆるんで楽になっていた。
これから変な説教も、変な校則も、疲れる毎日も終わるのか、わーい、わーい! 



 この期待は、高校の説明会で壊された。
まだ入学してもいないのに、厳しく意味不明な校則を、ひとつひとつ眠くなるほど丁寧に説明された。(私は寝た。)
 宿題も、知ってはいたけどもちろん出る。



 その日の帰り道、私はものすごく吐き気がしたので、急いで帰った。
何か期待してたものが大きすぎたのかな。
 「入学したら、きっと慣れるよね、最初だけだよ、きっと」。自分に言い聞かせた。



 入学式でも寝てしまった。
教室に入って、周りの知らない人間にびくびくしていた。
みんな同じように慣れてないんだよ、と思っても、目が怖かった。担任の話も寝た。



 入学式も終わり、私が待ちに待っていたはずの高校生活が始まった。
 私は、授業のとき、休み時間、クラスメイトと話しているときも、ノートに文字を書くときも、いきなり涙が出そうになった。
 出したいわけじゃなくて、泣きたくないのに、それに何も泣くようなことはないのに、前触れもなく、あの嫌な感覚がして、出てきそうになるの。そのたびに涙をこらえて、がまんした。



 そんなふうにがまんしてたら、ある日、頭が割れるように痛くなって、そして、涙がこらえきれなくなっていた。
でも、誰にも涙を見せたくなくて、とりあえず保健室でこらえようと思って、友達と行った。



 ベッドで寝れば大丈夫と思っていた。
 保健室について、何かしゃべろうとしたとたん、今まで一生懸命こらえていた涙が、一気に流れ出した。
 しゃべれないくらい息が苦しくて、頭がパンクしそうに膨らんでいるみたいに痛かった。もう、どうしようかと思った。



 保健室の先生が、「何かあったの?」と聞いてきた。
「何もないです、頭が痛いんです」。
 「本当に? 言っていいよ、言わないから」。やさしく聞かれたが本当に何もなかった。
 ただ私がおかしいだけなんだ。昼休みから授業中もずっと泣き続けた。止まらなかった。
泣きながら、家族の顔が浮かんだ。



 もうそのときに、学校行けない気がしていたんだろうな。
「ごめんなさい」、という言葉が、頭をぐるぐるとまわってた。
 「生まれてこなかったらよかったのかも、なんで生まれてきたんだろう」と思った。泣いたことは、最近まで誰にも言わなかった。その後も学校に行っていた。



 まあ、少し慣れてくると、話せる友達ができた。でも、気を使っている自分がいた。
 私はどう思われてるんだろう。本音を言えば嫌われるかも。嫌われたくない。
 人に合わせるのは疲れるので、それもなんでしなきゃいけないんだと思うようになった。
 あ、でも、合わせてるつもりなのに、「あんたマイペースだね」と言われてた。
 休み時間が怖かった。教室にいるのがいやでひとりでトイレに行くこともあった。
 ご飯の味が分からなかった。
 毎日緊張して、自分が自分じゃないみたいだった。



 ゴールデンウイークのある日、私が毎日ねだっていた、NEWパソコンが家に来た。
久しぶりに親の会のホームページを見た。
 涙が止まらなかった。
 その次の日から、私は学校を休んだり、途中から行くようになった。
 1週間のうち、2日ぐらい、それも体育がある時間だけ、行っていた。それ以外はずっと休んだ。



 休んでいると家族が心配してくるのも分かっていた。
「申し訳ない」、「ごめんなさい」と思った。でも、体が動かないの。
 途中まで行って、泣きながら帰ったことも何回かあった。心臓がドキドキするの。
 朝早くお弁当作ってくれるのも、お母さんとおばあちゃんが私のことで言い合っているのを聞くのも、お母さんが私のこと心配して泣いているのも、申し訳ないと思ってたんだよ。



 それでも毎日イライラして、怒鳴ってわめいて、物をけりとばした。
 「私のこと何で生んだんだ、クソババア」とかも言った。
「養育費も少なくてすむし、うるさいあたしなんかいても何もならないよね」。寂しくて涙が出た。朝がくるのが嫌だった。



 学校に行っていないと、クラスメイトから「今日は来る?」、「起きてる?」というメールが来る。「今からでもおいでよー」という電話も来る。それで行くと「お母さん何も言わないの?」、「いつも家で何してるの?」と聞かれる。
同じ会話。電話に出るのも、メールが来るのも怖かった。
ありがたい嬉しいという気持ちは、最初はあったが、今は正直申し訳ないし、うんざりだった。
うんざり、と思う自分も嫌いだった。



 ある日、運動会の応援団をくじで決めることになった日に、ちょうど行った。
私は応援団になってしまった。応援団は夏休み中も練習しないといけないらしい。
学校にも全然来てないのに、応援団だなんて、私を再起不能にする気だ・・・周りが全て敵だと思った。



 学校を休んでいるのに、私の心は休めていなくて、むしろ疲れていった。
誰にも会いたくなくなった。誰と話していても、怖いのだ。もう、全ての疲れることをやめたいと思った。
やめたい、と分かってても、行かなきゃならないのに・・・、この先どうしよう。という不安が頭から離れない。



「今でさえだめな人間なのに、もっとだめな人間って言われるのかな」、「友達いなくなるかもな」、「大学に入れないよな」、「お金稼げないかも」、「追い出されたらどうしよう」・・・。
こんなふうな私の考える、学校を辞めたあとの物語が、夢に出てくることがあった。



 それでも学校にはもう行きたくなかった。
「やめたい」というと、また家族は心配して、私のことでもめていた。
私のことでもめる時間があるなら、自分の好きなことすればいいのに。相当暇なんだろうか。私が決めることなのに。



 私は、留年か、編入か、やめるか、で迷っていた。
留年して、2年生になったら行けるかもしれない。編入して、新しい学校に行けば、行けるかもしれない。やめたら・・・この先どうしようか・・・家族に迷惑がかかる。せっかく受かったのに。
家庭教師にも、担任にも、友達にも申し訳ない・・・3つの選択で、毎日頭の中で悩む。迷う。あたしはどうすればいいんだろう。



 友達からのモーニングコールにメール、全て無視するようになった。
家族の不安も、無視。自分のことだけ考えて、自分はどうしたいのかを、悩むようにした。
私は、やめたかった。
 


 毎日「やめたい〜。やめたい、でも迷う・・・編入のほうがいいのかなあ」。
お母さんは「そうなのね、迷えば」と流したり、「編入もあるかもね」と言ったり、「もうやめたら」と言ったりした。



担任が通知表を渡しに家庭訪問に来たときに、いきなり「やめたいです」と私が言った。
担任は、理由を聞いたので、「いろいろあって、疲れたし、やめたいから」と言った。
若い担任で、編入の仕方も教えてくれたが、私がやめると言ったら、すぐに手続きができるようにしてくれた。



 やめる手続きをしに行く前の日に、母親が最後に私に不安をぶつけた。
「本当にそれでいいの、迷いはないの」と言われて、「正直迷いはあるけど」と言うと、「迷いがあるなら、もっと迷ってもいいのよ」と言われた。
またそういう話かと思って、いつものように「うるさい」と無視してたけど、「ちゃんと話をしようよ!」。長々と不安を話された。



 「自分でちゃんと責任取るのよ」、「お父さんにも自分で話しなさいよ」、「後悔してもしらないからね」。全部グサグサと私に突き刺さる。
言い合いになると、「もうお父さんのとこへ行きなさい!」、と言われた。
お母さんも不安だって分かってる。でも、いらないのか。学校やめた私はいらないの。
学校やめた私のことは誰も好きになってくれないの。
やわらいでいたはずの不安がこみ上げてくる。



 内沢さんに電話した。「どうすればいい、やめないほうがいいの、私」。内沢さんは不安でいっぱいの私の気持ちをやわらげてくれて、そのあとお母さんの不安も聞いてくれた。
ありがたかった。
お母さんに、心の底から「私、やめるね」と言った。お母さんも、「そうだね」と言ってくれた。



次の日、内沢さんの家に行ってから、学校に行った。
久しぶりで、最後の学校だった。
教頭と担任に、理由を全て自分で言って、自分でやめると言った。
「疲れたから休みたい。今は編入も考えていない。休んで休んで、学校に行きたいと思ったら、そのときはまたそのときに考えればいい。自分のやりたいことは、自分で見つけられると思う」。迷いなく、言えた。



 こんなふうに言えるようになったのは、前の日に私がお母さんの不安を分かって、お母さんも私の不安を分かってくれたからなんだろうな、と思う。
教頭に、「さわやかだね、すっきりしているね」と言われた。
校門で見送る担任にも振り返らないで、足早に二人で歩いて帰ったときの、あのすがすがしい気持ちは忘れられないなあ。
嬉しくて、ドキドキして、生きている気がした。



 学校を辞めてからも、何も生活の内容は変わってない。
好きなときに寝て、好きなときに遊ぶ。
 でも、すごく楽しい。パワーがたまる。気持ちが違う。



 だけどおばあちゃんが、「元気になったらこの先どうするか考えないとね」と言ってくる。
 「嫌だ、ばあちゃんが考えとけば」と言う私。ずいぶん遠慮しなくなった。
 「私、旅行行きたい」と言うと、「私も行きたいけど、飛行機怖い」というお母さん。
「バドミントンしたい」と言うと、「暑いからやだ」という兄ちゃん。
 誰にでも吠えたくる、かわいい、かわいい愛犬サラ。家族が、生きてるだけでこんなに嬉しい。



 お父さんには、学校を辞めてしばらくしてから、「学校やめたんだよ」と言った。
何か言われるか、怒られるかなと思ったけど、「ああ、そうね、また勝手に決めたのね」とだけ言われた。そうだよ。



 ぐだぐだと悩み、口が悪く、すぐ調子に乗る自分が大嫌いになる。
でも、そんな自分もいいなと思えるようになった。
きっとこの先、不安だ、不安だとまたわめくんだろうけど、今はそんなこと考える暇もないほど楽しい。
 


 あんなに迷って、泣いて、怒鳴って、迷惑かけて、そして学校やめてよかったなあと思う。
生きてるだけでいいなあ〜と思う。
親の会に会ってなかったら、こんな素敵な生き方があること知らなかっただろうな。
心の底からよかったって思うことできなかった。
本当によかった〜!
            (鹿児島市)



 Jちゃんの原稿からは、ずっと自分を否定し続けながらも、お母さんのことを思い、家族のことを思い続けたことがよくわかりました。今、Jちゃんは学校を辞めて、本当に良かった、スッキリしたと思っているのね。



Jさん:はい、今とっても楽しいです。
―――この原稿、泣きながら書いたんですか?
 はい、こんなこともあったなあと思い出した時に泣きました。
今が楽しいから、昔悩んだことがすごいギャップというか、楽しいことにつながっていてよかったです。



―――今、おしゃれもできるしね(笑い)。
お祖母ちゃんがいろいろ言っても、余り気にならなくなったんですって?




 はい。言い返せるようになりました。
お祖母ちゃんは普通にしゃべっていてもいいなあと、お祖母ちゃんが好きだからそう思います。



―――家族が一番支えてくれたものねえ。どんなに尊敬している人がいても、お母さんにまさる人はいないのでしょう?



 はあー(笑い)どうかな? (―――以前、そう言ったじゃない。)言ったかな?(笑い) いや、そういうことにしておきます。(笑い)
―――学校辞めてよかったのよね) はい、すごくよかったです。
寝てても、起きてても不安じゃなくて、ああ私すごくいい生活していると思って。
毎日楽しいんです。



―――学校では勉強できた方なの?
(はい、まあできてました。)
できる子は更に、まだダメだ、まだダメだと言われたり、自分でも思ったりして、不安になって大変だったのよね。(はい) 本当のかしこさは点数ではなくて、自分のことをしっかり考えられるということだよね。



 昔はこんな考え方があるなんて知らなくて、以前はクラスの不登校の子に自分が手紙を出していたりして。
 今度は自分がそんな手紙をもらってイヤな気分でした。
その時は担任から手紙を出してみたらと言われたので、少しかわいそうな子だと思うくらいで、何の考えもなく手紙を出しました。すごいひどいことをしたなあと思っています。



 中学の時、私も友人から年賀状をもらって、返事出さないといけないのかなあと思ったりしました。結局返事は出しませんでしたけど。
 電話のベルが鳴る音や、インターホンの音がすごく怖くて、イヤでした。
今はもう怖くありません。



―――学校にしばられる生活って本当に怖いよね(はい)。
今は、毎日楽しくて、自分を否定しない生活なんでしょう(はい)。
自己否定しない生活が大事よね。



 学校に退学届けを出していない時は、同じように寝ていてもすごい疲れていて、ゆっくりできなかったです。起きてもだるい、寝てもだるいという感じでした。



―――お母さん、どうでしたか?



母:やっぱり毎日楽しそうに笑顔でいる娘を見ると、よかったなあと安心しました。
娘に対しての不安が以前は少しありましたが、学校を辞めてみるとその不安もなくなりました。
私自身もあまり学校というものが好きではなくて嫌だなあと思っていました。



 娘が学校と縁を切ってくれたおかげで気分がスッキリしました。
でもそれが長く続くかはわかりませんけど・・・。(笑い)
自分では将来の不安とか口にしていないつもりでしたけれど、娘の文章を読むと結構ひどいことを言ってるのがわかって、ちょっとショックでした。(笑い)



Jさん:母は今は余り言いませんけど、今度はお祖母ちゃんが代わりに言ってます。(笑い)



―――あなただけでなく、ここにいらっしゃる皆さんが、子どもさんへ自分の不安をぶつけたりしてきたんですよ(笑い)。
 子どもの不安ではなく、親の不安なんですね。親の不安を解消するために子どもへあれこれ言ってみたり、指示したりするんです。
 だから当事者のお話というのは大事なんです。




 親は知らず知らずのうちに、子どもにいろんなことを言っているというのがよくわかりますね。
それは心の財産として、残したらいいですね。
こんな素晴らしい原稿が集まった記念誌を心待ちにしていてくださいね。


 
 
 我が子が自分を受け入れることができるのは基本はやっぱり親 Nさん

 Nさん(父):19歳と16歳の娘たちが家で過ごしています。
 6月の例会の台風以来久し振りに参加しました。
あの時は山口さんにお世話になりまして、やっと鹿屋の自宅に帰り着きました。(笑い)



 長女がもうすぐ20歳なんですけど、アルバイトを4ヶ月間続けて8月末で辞めました。
 私は単身赴任ですので土、日しか会わないんですけど、長女を見て、無理矢理学校に行っていた頃と同じようになり、すごく疲れて帰ってきていて、とにかく行かねばと無理してアルバイトに行く状態でした。



 そんな娘を見ていて、私は雨が降ったときは送っていこうと言うと妻が送ってはいけない、手を貸してはいけないと言うんです。
 どこまで親として手助けしたらいいのか、好きなようにさせているつもりでも、いざ環境が変わった時に、親としてどのように接したらいいのか悩みました。妻はそれ以上ずっと悩んでいました。



 アルバイトを辞めて、長女は以前と同じように今家にいるんですが、またご飯を食べなかったり、朝早く起きてきたり、まだ心がゆっくりしていないのかなあという感じがします。
 昨日夕食の時に、長女が食べなかったので、「食べないの?」と聞くと、「朝食べたから食べない」とつまみ食い程度しか食べませんでした。   



それを聞いて、私は「そう」と言いました。以前だったら「食べないとダメだよ」と叱っていたんですけど。
私もずいぶん気持ちが楽になってきてるんですね。



―――長女さんは7年間ひきこもっていた訳ですね。
 でも自分を許せなくて、「このままではダメだ。
限りある命なのにこのままでは私はダメになる」と言って、家庭教師を頼んだんです。




 お母さんは親の会で、子どもの辛さに手を貸してはいけない、そうすることで娘さんは親の期待まで背負うことになりいっそう辛くなると納得され、「家庭教師のお金は出さない」と言ったんですね。



 長女さんは「じゃあ、私はアルバイトをしてそのお金を作る」と言って、結局そうやってどんどん辛くなっていったんですね。
その間ご夫婦の意見が合わなかったりぶつかったりがありましたでしょう。
(ありましたね) 



 雨の日に娘を妻が送っていかないと言った時に、「送っていかないのはおかしい、だったら俺が送っていく」と言って送って行かれたこともあったでしょう。
 その時のお父さんの心境は「あっ、7年間も閉じこもった娘がアルバイトをしてくれた」というような嬉しかったお気持ちがありましたか?




 そういう気持ちはなかったですね。
ただこんな土砂降りの中を娘が出て行くのは大変だから送っていく、自分の気持ちを無理して押さえて子どもと接したくないなと思いました。



―――なるほどね。
じゃあ学校に置き換えて、娘さんが学校に無理して行っていた時に、お父さんはどんなふうになさっていましたか?

 (昔は学校に行かなかったら叩いてでもつれて行っていたんですよ)
 その時の気持ちとは全然違ったんですね。
アルバイトを辞めて本当によかったと思っていらっしゃるのね。




 そうですね。というのは娘が帰ってきた時は、エネルギーを使い果たしたような感じだったんですよ。
 だから大検を受けたいと言って始めたのが、どこに目的を置いたらいいのかわからなくなっている。
今の現状を見ると先の目的より、今を生きていけばいいと思いました。



―――ほんとに娘さんは7年間閉じこもっていながら、エネルギーを溜めたかというとそうじゃなくて、自分を否定し、お父さん、お母さんにも申し訳ないんだと激しく自分を責めた。
 だんだん自分を責めていった時期が高じていって、そうして動き出したんですね。
今まで充電期間が必要であった閉じこもりの時期を娘さんは否定していったのよね。




 親が心から「閉じこもっていいんだよ」と言っても、子どもは自分を許さないんですね。
玲子の原稿のとおりなんですね。自分で納得していくんです。
 その時に親は何をするのか。「親は何もしない」ことがとても大事な教訓なのです。
ひとまずアルバイトを辞めて、心からよかったと思いますね。



 Nさん(母):ほんとに8月いっぱいで辞めてくれてよかったです。
7月末に「辞めたい」と店長に話をしたんですが、先々まで予定を組んであるのでと言われ、8月まで働いて辞めました。



 私は夫に偉そうなことを言ってきましたけれど、それまでは1回も送り迎えはしなかったんですが、8月31日は台風で、私は「こんな日は休みになるから行かなくていいんじゃない。店に連絡とっても誰も出ないんだから、きっと休みなんだよ」と言うんですけど、娘は「何も連絡ないし、前の台風の時、店は開けたから今日もあるかもしれない」と納得せず、「送って行って」と言いました。



 私が送っていかないと言うと、娘は自転車では行けないから歩いてでも行くと言いました。
その日、私は台風で仕事は休みでした。そこで私はここまで手を貸さずにやってきたのにとすごく迷ったんです。
 でも今日で辞めるんだし、こんな天候の中を歩いてでも行くと言う娘のほうが心配で送っていきました。案の定休みで、そのまま帰ってきました。



そこが私の中で「ああ、1回送ってしまったなあ」と引っかかっているんです。
娘が辞めると言ったから送っていったんだと納得したりして・・・。(笑い)



 娘もそこは分かっているんです。
娘も自分はなんのために働いているのか、自分自身のためにではなく店のために働いているという思いが強くあったようなんです。結局、4ヶ月行ってお金も結構もらいました。



 娘は働いている時は、欲しいものは何もないという感じだったんですが、辞めてからMDを買い、来月自分の好きなバンドが鹿児島に来るので、そのチケットをインターネットで少々高かったんですが自分で働いたお金だからと買って、妹と行くのを楽しみにしています。



 娘は働いている時は「いつまでこんな生活が続くのかなと思っていた。辞めてホッとしたけれど、家にいるから楽しいというわけでもない」と言いました。
今まで通り家事を手伝ったりしてくれるんですけれど、先程の真衣ちゃんのように今が楽しいというわけではないようです。



 バンドのライブも楽しみだけど、若い人がいっぱい集まるからちょっと嫌だなと思う。でも楽しみの方が大きいから、妹とふたりで頑張って行こうかなという感じです。



 食べないというのは、バイトをしている時は自転車で行って仕事をしてエネルギーを使っていたので消化していて、お菓子もいっぱい買って食べていましが、ライブに行くことになってからは「私は今までみたいには食べない」と言って、自分で制限して大体1日1食ですね。



―――娘さんもそうですが、ひきこもっている自分を許さないんですね。この本(「引きこもるという情熱」 芹沢俊介著)をみても、親が充分にひきこもることが娘さんの心を癒し、疲れを取っていくことになるという気持ちになったとしてもです。



 つまり自分の価値観――社会の中に出て行かないとダメだとか、働かないとダメだとか、勉強をしていないとダメだとか、学歴をつけないとダメだとか、こういう社会的な価値観の中に自分を置いて苦しめていくわけです。




 しかし、そういう状況でも、アルバイトをして、やっぱりこれは無理だったんだとそうやってひとつひとつ自分で納得する。親も含めて他から言われて決めたことではなく、自分で決めたことは決して無駄ではないんです。



 御両親が心合わせて、そして我が子を思う基盤をそういう方向でひとつにすれば必ず解決していくと私は思います。元々仲がいいんだから(笑い)おふたりで力を合わせて親の会に是非いらしてね。
(父:頑張ります)(笑い)



 先月、Nさん(母)が、夫は非常に厳しい職場で、仕事が忙しく自分を大事にしたくても出来ないような状況があったと心配されていました。
 内沢達がそのことで話したんですが、「自分を大事にするということを子どもから学ぶ」ということなんだけれど、なかなかそういうことが出来なくて、そういうのをみていて娘さんは「お父さんは自分を大事にしているんだろうか?」となる訳ですよね。

(ウ〜ン、たぶん、あるかもしれないですね) 「お父さんも身をすり減らして働いているのに私だってやらないといけないんじゃないのか」とね。



 親が自らを大事にして、子どもは初めて納得するんですよね。
 そして閉じこもりの根本は、やっぱり親。
 子どもを支える親という器を頑丈に、どんなに我が子が揺れても揺れがいのある親にならなくてはいけない。
そういうことを我が子から気がつき学ぶんですね。
ご両親はとてもいい体験をなさいましたね。





 親の不安もホームページで消えていきました。 Mさん

Mさん(母):次男は昨年高1で休学して、今年3月退学しました。
 今は普通に生活していますが、食べることでストレス解消していたのか、体重が20キロ増えたんですね。
 「太っていると体がきついし、僕はまず、ダイエットしないと始まらない」と言って、食べる量が減りましたね。



 名古屋に3才年上のチャット仲間がいて、2度ほど会ったことのある人なんですが、チャットを通じて息子がいろいろ人生相談をしているようです。本音の部分ではどうしたいのか言いませんし、私も聞きません。



 (―――もう不安はありませんか?
 はい、家にいるのが当たり前になっています。
 (―――お隣のお姑さんも何もおっしゃらなくて
 はい。いい子だから、将来も大丈夫だろうと言ってくれます。



 (―――休学の時は不安でしたか?
 休学したときは、復帰してくれればと思っていたんですが、ここに来て退学の道が一番いいとわかって、退学してからの方が本人も親も楽になりました。
 一番不安だった時は、中3で行かなくなった2学期からの1年間ぐらいですね。



―――よかったですね。
早く見切りをつけて。(はい) 気持ちが楽になることが何よりですものね。



Mさん(父):息子は中3の6月頃から頭が痛い、おなかが痛いと訴えていたんですが、何とか卒業して高校に入学しました。
 しかし入学式と2学期の始業式の2回、行っただけでした。



 9月になって出席日数が足りないということで、自習室に2週間通ったんですが、それも続きませんでした。そうなると退学か、留年かということになり、休学の手続きをしました。



 2月になって新学期からどうするかを考えなければならない時期になり、初めてこの会に参加しました。
 皆さんのお話を伺って、帰ってから息子に「もしこれから学校に行くとなると、1学年下の子たちとやって行くことになるがどうか?」と聞きました。
息子は「それは無理だ」と言いましたので、じゃあこの際退学しようとなって、3月で退学という形をとりました。



 私の中ではどこかに籍があるということが、心のよりどころというか、安心感につながっていました。
 どこにも籍がないと、高校編入や大検などに不利なのではないかと思っていました。
しかし別にそんなことは関係ないということがここでわかって、やめる決心がつきました。
 現在どこにも籍がなく、我が家で過ごしているという状況に納得して安心しています。


―――Mさんの住民票に籍があるじゃないですか。(そうですね)(笑い)




 我が家の歴史を原稿に託して Uさん

―――Uさんも10周年記念誌の時には書けないとおっしゃったのよね。


Uさん:はい。なにか自分がきれいに書いてしまうような気がして、自分に正直になれないというのを感じていたので。
そうすると余計にそういう自分が見えてきて、どうしても書けなくて、そのときTさんが「そういう時は書かなくていいのよ」と言ってくださり、年数が経ったら、それもTさんが「私は自分のために書くのよ」と言われて、そうだなと納得し先輩にいいアドバイスをもらいました。(笑い)
 


―――9200字書いたのね。



 そうなんですかあ?(笑い) 
長男が不登校になった当時はこの辛かった思いを絶対に忘れないと思っていたのに、だんだんと今の生活が楽しくなると忘れてしまっているんですね。
やっぱり自分のために書いて残したほうがいいと思って会報を読み返してみました。



 会報を読むと私が話したことなのに覚えていないこともあったり、子どもが言った言葉でその場面がよみがえってきたりしました。こんなこともあった、あんなこともあったとどんどん思い出して、ああ、やっぱり原稿を書いてよかったなと思いました。
木藤さんが短くしてくださったのを繰り返し読んでも涙が溢れました。私の宝物となりました。



 今中2になった長男は休むことへの葛藤がなくなり、中学校は6、7割行って、あとは休んでいました。
夏休みは昼夜逆転の生活を楽しんで、今は夏休みの延長みたいな感じでゆっくりしています。
修学旅行も行くと言っていたんですが、もう行かないかなあという感じになってきています。



 先日担任が修学旅行の費用を取りに家に来たんですが、それも収めませんでした。
また学校を休む時は毎朝連絡していたのですが、「今回は長くなりそうなので連絡しません」と言ったら、担任が「僕は担任として息子さんのことが心配だから、それだけは必ず朝連絡してください」と言うんです。



私は来なかったら休むんだなと思って下さいと言うんですが、「義務教育だから」とか、「学校に管理されているから」とかいろいろ言って、でも義務教育の意味も全然分かってなくて、そういうやり取りが何回もありました。



 夏休み明けに電話があった時も、「息子さんは髪の色が変っていませんか」と言うので、「別に変っていません。髪の色が変ろうがどうあろうと息子は息子です」と話していたんです。
それで「この間も先生に言ったように、息子は学校の子ではなく、うちの子なんですから、昼間出歩こうが、髪の色を染めようが、学校がどうのこうの言う必要はない」と言って、義務教育のことも教えて差し上げました。(笑い)



―――あなたも強くなりましたね。
最初は自分が病院に入院しなくてはと自分を追い詰めるほどだったのに。
そうやって「演説」したんですね。




 はい。でも朝の連絡のことをすごく言われて、「それ以上に言われるんだったら校長までどうぞ」、「もしどうしてもということであれば鹿大の教授に文章を書いていただきますので」と言ったらしり込みされたみたいで…。(笑い)



 昔の私だったらそれだけ言ったら、すごくドキドキしてその日は寝込んでいたと思うんですが、それだけ言ってさっぱりという感じでした。
 他の先生の暴力事件を学校がもみ消していたので、そのことも言いました。
「それは学校批判ですね」と言われたので、「先生が殴って、生徒が頭から血を流し、怪我をしたのは事実じゃないですか」と言ったら、「僕は見ていませんけど」と逃げていました。



 親がそうだから子どももそうなんじゃないかともすごく言われたんですが、別に自分は間違ってないし、そう対応できたらすごくすっきりしました。
後に内沢さんがいらっしゃるのですごく心強くて、何かあったら安心しています。
―――私なんか必要ないでしょう) いえいえ必要です(笑い)。
身内の次に長生きして欲しいと思います。(笑い) 



―――子ども達に、毎日お母さん、お母さんと言われて幸せなのね。(はい)
よかったですね。




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Last updated: 2004.10.15
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