登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2005年4月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.111


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



 「今、そこにいるだけですごいこと!」

 
たくさんの大切な「言葉」がありました。辛さを体験した私たちが肌で感じ取ったものです。
それは、「家族の愛」です。



 お母さんが病気になってしまった・・。立ちすくむmaiちゃん。
お母さんのことを想い「(家族が)今、そこにいるだけですごいことなんだな」と気がついたと言います。



 短大を逃げ出したNさん、「私は大丈夫。自分を大切にしよう」とメールがきました。
お母さんから「大好きだよ」と言ってもらえたことが何よりうれしいと涙で話します。



 「あるがままの私をそのまま抱きしめてほしい」と愛美さん、休むことを「自分の気持ちを整理してそれを受け入れる、そういう時間」とその必要性を表現します。
そして休むことで「私自身が世界でたったひとつのかけがえのない命」だと教えてもらったのです。



 Kさんは過食して悩む娘さんに「今、あなたが過食して家から出られないことは家族にとって必要なことなんだよ」と伝えたことを紹介。



 不安に襲われて人がこわくなったとき、大きな花束を抱えた夫の限りない愛が私の気持ちを救ったとMさん。
・・・・ほかに参加された方たちの話にも宝物がいっぱいです。



  こんな素敵な言葉がしみじみと交わされ、参加する人の胸を打つのも、同じ思いを抱えそれを積み重ねてきたからです。
ひとりで抱え込まないで、ひとりぼっちにならないで、みんなで支えあって、まもなく16年、生まずたゆまずやってきたからです。



  3月、かけがえのない命を喪いました。
私達は突然の訃報に悲しみでいっぱいです。
命こそ大事、命こそかけがえのないもの、命こそ宝・・・。
そのことを教えてくれた急な出来事でした。 心からご冥福をお祈りします。




 
 
1.自分が大好き! 自分を大切にしよう! Nさん

 2.休むことは、私が世界でたった一人のかけがえのない命だと教えてくれた
   山口愛美さん


 3.
「今、そこにいるだけでほんとはすごいことなんだ」 maiさん

 4.「私は家族の中で必要とされてるんだね」 Kさん

 5.学校にこだわるのはもう時代遅れですよ。 内沢達

 6.私が不安に襲われた時、夫の花束(愛情)が私を救った Mさん




 自分が大好き! 自分を大切にしよう! Nさん

 お手元にある資料は、Nさんが私に送ってくださったメールです。
了解を得て皆さんにお配りしました。


……………………………………(Nさんのメール)
 夜遅いですが…こんばんわ☆2月の親の会からいろいろとありました。
でも今は落ち着いています。何か朋ちゃんにメールしたくなってメールしました♪



 2月いっぱいでバイトを辞めました。
絶対怒られると思うと言い出せなくて、結局バイト最終日にお母さんに言いました。
最初はお母さんも、何で?どうするの?って気が動転してる感じだったんですけど、私も自分の気持ちを精一杯ぶつけたら、お母さんは必死に受けとめようとしてました。



 その中でお母さんが「あなたはお母さんに否定されるからって肝心な事は言わないけど、結局は自分の思いを通してるよね」って言ったんです。
 あぁ、そうだな!って思いました。
 そう言われて初めて気が付きました。



 「私はこうしたい!」って自分の気持ちを伝えてたんですね。
 これってすごいことだなって思いました。
 今までずっとしたくて、でもずっとできなかったこと。
 それを今まさにしてるんですよね。



 お母さんに「あなたは大丈夫。お母さんは大好きよ。あなたはみんなから愛される子なんだよ」って言ってもらえてすごく嬉しかったです。
 私はこんなにも両親に愛されているんだなって実感できて、漠然とした大きな不安がなくなった気がします。
「両親に愛されているか」それがすごくすごく不安だったんだなって気付きました。



 学校も自分で休学することに決めました。
いつ戻るのかそれとも辞めるかもしれないけど、自分の中でまたはっきりした時に伝えればいいんじゃないかって思っています。



 自分で納得して歩いていきたいっていうのが私の中にしっかりあるような気がします。
今は自分を大切にしようって思います。
不安はまだあるし、気持ちが揺れる時もあるし、まだ気を遣ってしまう部分もあるけど、「ゆっくりいけばいいさ! その中でまたぶつかりあっていけばいいんだ」って思ってます。



 親の会に出会えて良かったです。
私が今「私は大丈夫なんだ。自分を大切にしよう」って思えるのも親の会のみなさんが居て私の話を聞いてくれる場所があるからだなって思います。



 そして愛してくれる両親がいる。
一人で全てを抱えこむのは辛いですよね。
気持ちをぶつければ受けとめてくれる人がいる。
「人は人によって癒されていく」んだなって実感してます。



朋ちゃん、ありがとう。。☆彡何か朋ちゃんにありがとうって伝えたくて。
今月の親の会にもお兄ちゃんと行きますね。楽しみにしてます♪
…………………………………………………………


 Nさんは今19歳です。
高校から学校に行けなくなって、家を出るんだけれど、1日中外で時間をつぶして帰ってきていたんです。



 ご両親に受け入れて欲しいとリストカットをしたり、家出したり、いろんなことがあったんだけれど、とにかくお母さんに分かってほしい、気がついて欲しいと心から願っていたんですよね。



 高校を卒業して短大に行ったんだけれど、とうとう行けなくなりました。
お兄ちゃんが味方になってくれて一緒に親の会に来るようになって、自分の気持ちを思いきってぶつけるようになったら、お母さんに「Nちゃんのこと大好きだよ」と言ってもらえた。
それがとっても嬉しいとメールを送ってくれたんです。




 
私はNさんが自分のことを大事にしようと毎月毎月親の会に来て、元気をもらって行く姿を見て本当によかったなあと思いますね。
 Nさんは親の会に来るようになってから、どんどん自分が元気になっていっていることを感じてきたのね。
 (Nさん:涙、うなずく)



 
親の会が楽しみになってきている感じがするの? (Nさん:うなずく)
 
先月もお母さんに「親の会だけは行きたい」とよく自分の気持ちが言えるようになりましたね。出て行けと言われたらどうしようとか、働けと言われたらどうしようとか、いっぱい不安があったのに自分の気持ちをちゃんと言えたということはすごいことだと思うのね。
 どうしてそんなふうに言えるようになったの?




 
Nさん:今思うと教育実習の途中に逃げ出したことやアルバイトを勝手に辞めたことはすごい行動力だったんだなあと思うんです。
 自分ではとにかく必死だったんだけど、すごい勇気がいることで、その勇気があったんだなと今思う。



―――「なんだかんだ言っても自分の思い通りにやっているよね」とお母さんから言われて、「でもあなたが大好きだよ」と言われた時、ものすごく嬉しかったね。



 はい。私が教育実習の途中でいなくなって一時行方不明のようになって、お母さんはすごく心配したと思うんです。
 帰ったときに私から「もう学校には行かない」と突然言われて、すごくパニックだったと思うんです。



 それで結局バイトだけはしなさいと言われてやっていたんですけど、やっぱり辛いなと思って。家で休んでいるんだけれどいつもバイトのことばかりを考えていて、辛くてお母さんに言わずに勝手にバイトを辞めて、今日辞めたんだと私から言われて、お母さんもびっくりしたと思うんです。それでも必死に受け止めようとしていたから、ああ親の愛情ってとっても深いんだんなあと思って、それがすっごく嬉しかったです。



―――お母さんがそんなことでは将来大変なんだからといっぱい言われたことがあると思うんだけれど。



 高校の時も短大に行っているときもいろいろ言われて、そうなのかなと自分を否定していたけれど、今はお母さんも不安だからそういうことを言って当たり前だったんだと思えるようになりました。



―――そう。そんなふうに思えるようになったの。よかったね。
 お母さんも不安でいっぱいだったんですよね。
でもあなたが元気になってきてお母さんも安心されたのね。
 不安もいっぱいあると思うけどNさんは自分のこと好き? (うなずく)
そう何よりだね。よかったね。




 休むことは、私が世界でたった一人のかけがえのない命だと教えてくれた 
  山口愛美さん


山口愛美さん:私は21歳です。高2の5月に退学しました。
 たいていの子どもは学校に行きたくないと思うんです。
行きたくてたまらない子は見たことないです。



 私も高1まで行ったけど行きたかったわけではなく、小学校も中学も友達に会えるから行ってたんです。
 高校では勉強もあるし、義務教育はもう終わったんだとか言われ、おまけに生徒会長までやって辛くなったんです。



 さっきのNちゃんの話、今嬉しくて泣きそうなんです。
 Nちゃんとずっとメールしてて、「嫌だということをお母さんに言えない」とか「怖くてたまらない」と言っていたのに、ここへ来るようになってそんなふうに思えるようになって、ほんとに良かったなと思って。



 Nちゃんが「私のお母さんは私のことを思ってくれないんじゃないか」と言ったとき、絶対そんなことはないと思って、どうかそうあってほしいという気持から言ってたけど、お母さんがNちゃんのことを思ってることがわかり嬉しかった。



 夏の全国合宿で私が「何も言わないで抱きしめてほしい」と言ったあのときの言葉と共通すると思います。
 親がこの子は困った子だと思い、原因探しをしてこれをなくしたらうまくいくんじゃないかとやってしまう、そういうことではないんです。
 唯一やってはいけないことは、その子を否定して「あんたはだめな子だ」とやってしまうことがいけないことだと思います。



―――夏合宿(2002年in霧島)で、愛美ちゃんは「あるがままをそのまま受け入れて、そのままの私を愛してほしい」と言ったよね。



 私はただ休むことが必要だと思っていたけど休むということは、自分の中の気持を整理してそれを受け入れる、そういう時間が必要なんだな、何もしないで心が安らぐとかじゃなくて、今までの自分を受け入れたり、今までのことを考えたりするのにやっぱり時間が必要だから、そういう意味での休むという期間が必要なんだなと思います。



 先月、森田さんが私のお父さんが真正面から私を受け止めてると言ったけれど、でもそれは父子家庭でたまたまお母さんがいなかったから、私はお父さんに言うしかないし、お父さんも私のことを受け止めてくれたの。



 私が過食し、学校を辞めたとか、そういう経験が特別すばらしいとか、悲しいことではなく、私自身が世界でたったひとりのかけがえのない命だと教えてくれたことなんだなと思って。




 「今、そこにいるだけでほんとはすごいことなんだ」 maiさん


maiさん:(―――maiちゃんは今16歳、中学の時不登校で高1の1学期に中退したのね。
先日お母さんが検査をしたら病気と言われて、今日は来られなかったのね。
でも入院はしなくてよいということでした




 おととい検査をしたんです。
その前に病院に行った時に、お母さんが入院するかもと言われたんです。
それまでは、お母さんが心臓が苦しいとか眠れないとか言っても全然心配してなくて、ただ気分がのらないのかなあと思っていました。
 でも脈を測ったら高かったので、気づけなかったのが申し訳なくて、入院と聞いたら怖くて、インターネットで調べたら手術もあるし、亡くなった人もいると書いていました。(涙)



 おとといの検査はついて来なくていいと言ったけど、怖くてついて行きました。
絶対起きれないからと言われたけど、その日は7時に起きて、お祖母ちゃんも一緒に病院に行きました。



 10時に説明があって、「全然心配しなくてもいい。入院しますか?」と言われて、ほっとしました。
 もうお母さんがいなくなってしまうのではないかと思って(涙)、それだけですごく嬉しかった(涙)。
 それでほっとしたのか、それから四六時中食べました。(笑い)



―――maiちゃんにとってお母さんがどれだけ大切な存在かということが分かってよかったね。
家族が一番大事だって。




ずっといつまでもそこに居るというのはないことで、今そこに居るだけでほんとはすごいことだと思います。
いつ交通事故にあうかも分からないのに。だから別居しているお父さんにも会いたくなったし、サラ(愛犬)もいるし。(涙)



―――そのことがわかったということだけでも良かったよね。
「今そこに居るだけでほんとはすごいこと」という言葉はとっても大事ですね。




私は7時に起きたのはその日だけで(笑い)、お祖母ちゃんに「その日だけだったね」と言われたんだけど(笑い)、それよりも起きれたことにびっくりして、起きれたというより眠れなかったんです。



何回も目が覚めて。
―――心配で物も食べられなかったでしょう?
 でも食べました。(笑い)
 お母さんも手術か入院かと怖かったみたいで、二人とも眠れなかったんですが、検査後は皆ホッとしました。



―――おいしいものを食べられました?(はい) それは良かったね。
お母さんにお聞きしたら、「80歳の母とmaiが病院に付き添ってくれてありがたかった。家族のありがたさがすごく大事だ」と話されました。


お母さんも20数年の結婚生活でいっぱい自分に無理されてきたから、私も休めるいいチャンスだねと言いました。
家族のありがたさがわかったということが何よりすばらしいことですね。


 
そして、あんなにけんかしていたお祖母ちゃんがすごく私に優しくしてくれた、家族皆が優しくしてくれた、とお話していました。
maiちゃんは高校辞めてこれから先どうなるのか、不安に思っていたことがあったでしょう。

(はい) 
そのことをお母さんの病気でどんなふうに感じたの? 



なんか喜ばれることをしておいたらよかったと、今からでも学校に行こうかとか。(笑い)
 でも何かしようと思ったけど、体力がなくて。(涙)



―――さっき居るだけでいいと言ってたけど、お母さんだってmaiちゃんがいるだけでいいと思っているのよ。
あなたが何かしたらお母さんが喜ぶんじゃないのよ。おうちに居てニコニコしていることが、お母さんにとってとても嬉しいことなんだね。



maiちゃんは高校を辞めたときはちょっと元気だったけど、将来のこととか、今の自分を許せなくなって不安になったりしたよね。
その時、お母さんが今まで中学を含めて4年間辛い思いをしてきたから、ゆっくり休むことが大事なんだよとメールしてくださったんでしょう。



自分を大切にしてねというお母さんのその気持を大事にすることが、お母さんが一番喜ぶことなんだよ。
maiちゃんはゆっくり休んで大好きなミートスパゲティーを作ったりしてね、昼夜逆転も大事なことだと分かって下さったんですから。




 私は最近ゲームにはまっていて食べてるときもずっとやっていたので、いいんだろうかと思ってたんだけど、お母さんが病気だと聞いたときからパタッとしなくなって、どうしようとばかり言ってすごい不安だったんですけど、今はまたほっとしてまたやってます。(笑い)



―――泣いてるんだけどおかしくてね、かわいいね。
 お母さんが元気でお祖母ちゃんとやりあったりすると、maiちゃんも元気でゲームにはまるし、昼夜逆転もするし、それは家族が安心だからそうであって、お母さんが病気だと心配でゲームに手がつかなかったり、食べられなかったりするわけね。


お母さんは「maiは私が元気だと言ったら、今一生懸命食べるようになって安心しました」と言ってましたよ。




今はそのときの倍食べてます(笑い)
高校を辞めた不安はどっかにいって、今はお母さんがずっと生きているかな、お父さんは生きているかな、ずっと元気にしているかなという不安が多いです。




 「私は家族の中で必要とされてるんだね」 Kさん


 
Kさん:過食している娘は今太っている自分のことを否定しています。
 太っているとおしゃれも出来ないし、見かけも悪いし、そういう自分は生きていたらいけないんだと言いました。



 親の会に行っても自分は親の会の考え方と違うんじゃないかと言い出したんです。
私は根本はまだこの子は分かってないなと思ったけど、それ以上は本人が納得しないといけないことだからと思い、黙って「ああそうね」と聞いていました。



 私も親の会にはじめの1,2回行った時に、姉弟間でけんかをして大きな事故になって、親の会に行ったら救われると思ったのにとショックを受けました。
 そこからが自分が腹をくくって必死になってやってきました。
これは子どものことではなく親の問題なんだ、自分が変わらなければと思いました。



 娘が最初不登校になったときは、私は学校に行かない娘が悪いんだと言って娘の立場に立たず、2年間ありとあらゆることをして、何とか学校に行かせようとしました。
 同級生が来てくれたときはお菓子を出し、勉強を教えに来てくれる友達にはありがとうと言って、担任の家庭訪問には、すいませんという感じでした。



 公営住宅の4階に住んでいたとき、階段に同級生がずらっとやってきて「何で学校に来ないのですか?」「会わせて下さい」と言うと、娘に「どうして出ないの、せっかく来たのだから、出てよ」と言ったりしました。



 通学途中まで連れて行って「ここからは自分で行きなさい」と言ったり、保健室の先生にも来なさいと言われると行かせるし、教育センターも行きました。
あるときは、私がパニックになって、「行かないんだったら制服はいらないね」と投げ捨てたこともありました。
 とにかく親の会に入る前、娘のときはあらゆる手段で行かせようとしていました。



 そのころは私がパニックになって、上階の音がうるさいから学校に行けないんだと思い、一軒家に引越しもしました。
 そのときにも娘が「ここは学校の近くだからだめ」「ここは線路の近くだからだめ」と言うと、そのとおりずっとあちこち探し続け、そこから学校に行くだろうと思って、手立てをつくしました。



 あれから11年になりますが、前半の5年くらいは地獄で、親の会に入ってからは本当にかわいそうなことをしてきたなとつくづく思います。



 息子も姉の後を追うようにして、4,5年ずれて不登校になりました。
 その頃は親の会に私も通っていましたから、すごく寛大な気持ちになり、「学校は行かなくてもいいよ」、「中学の制服も買わなくていいよ」と言い、担任が「家庭訪問をしたい。教師だということを隠してでもしたい」と言ってきたときも、「それも困ります」ときっぱり断りました。



 中学の担任に親の会に行っていますと話すと、「どういう会ですか? 僕の知っている子も不登校になったけど、今は普通に生活してますよ。今の中学には何も求めるものはないんじゃないですかね。ただ給食を食べたり、部活をしに来ているだけで、本当の勉強というのは、息子さんのように好きな本を読んだりすることで、それはいいことじゃないですか。それだけ考えているのなら何も言いません」と言い、卒業式も行かないで中学を卒業しました。



 そんな感じで姉弟で私の対応が全く違って、娘の場合は今でも尾を引いてるのかなと思っているんです。
 娘にはほんとに悪いことをした、もっと早く親の会のことを分かっていたらよかったのに、苦しめた期間が長かったと反省しています。



 息子は今、「僕は一生家にいる」と言うので、「いいよ」と言ってます。
娘は「このままではいけない、働かなくちゃ。お父さんが退職したらお金もなくなるし」と言うんですが、外に出ないといけないと言って出ても疲れてしまいます。



 私が息子に「お父さんがいなくても寂しくない?」と尋ねると、「ううん、だって今までも3人だったじゃない」と言い、「お姉ちゃんもずっと過食しててもいいよね」と言うんです。
私はそれを聞いたとき、お姉ちゃんが過食してお金をいっぱい使ってると言うんじゃなくて、そんなふうに言ってくれたことがうれしかったです。



 そのことを娘に「弟はあなたがそのままでいいと受け入れてくれているんだよ。今あなたが太っていて家から出られないことは家族にとって必要なことなんだよ」と伝えたら、「アッ、そうか、私は家族の中で必要とされてるんだ」と言って、心が少しファッと暖かくなった感じなんです。
それまでは私に当り散らしていたんですが。



 会報が届いて、親の会と考えが違うからもう読まないと言っていた娘が読んだんです。
先月私が何を言ったのか気になって、「お母さんのところだけ読んだら、お母さん、かっこいいね! 前のお母さんと違う」と言ってくれて、「お母さんは照れるな」と言ったんです。



―――あなたが年末にご自分が病気じゃないかととても不安になって布団をかぶって涙を流したり、夫が仕事を辞めて別居して一人暮らしをするかもと言って、あなた自身が不安になった時、子どもたちが不安になって、しばらくしなかった姉弟げんかも激しくなったりしてね。



 はい、そうです。
特に息子がひどいです。
娘はそうでもないけど。私が病気になると私だけが頼りっていう感じなものだから、すごい不安になります。



―――今それが落ち着いたら、もううちの中では「それは過去のことだよね」と言うようになって、「親の会の人たちはまだ心配してるの?」と言ったんですね。(笑い)



 内沢さんたちが心配してるよと言ったら、「まだ皆考えてるの? うちではもう済んだことなのに」と言ったんです(笑い)。
 また私が病院に行ったりしたら揺れるんでしょうけど。
私は今自分を大事にしないといけないんだなと感じます。
自分が元気でなくてはこの子どもたちは幸せにならないんだと思います。



 玲子さんが先月、「不安なときは人のことがいっぱい気になるけど、自分を大事にするということは自分で考えて、自分で感じることだ」と言っていました。
 これは私にも当てはまることで、娘はまだそれが出来ないけど、いつかこうなってきたらいいなと思っています。



―――何年か前に娘さんを必死になって行かせようと努力して、私にお電話されたことがありました。
 この人はいったい何を言ってるんだろうという感じで、全く私の言うことが耳に入らなかった、子どもを学校に行かせようとしてるときは、私の話は判じ物に聞こえるんですね。




 そうですよね。
だから、初めての方がおっしゃったのも分かりますし、やはり時間が必要ですよね。
もう無駄な時間じゃなくて、私にも娘にも必要なんです。



 状態はそんなに変わってなくても、私のことを「お母さん、かっこいい」と考えられるようになったということは、娘も少しずつ楽になってきたのかなと思えます。
以前は娘は不安になると携帯電話を壊したり、ぬいぐるみを切り裂いたりして、息子もゲーム機を叩き壊したりしたことがありましたが、この頃はなくなり、人を労わる言葉が出てくるということがとてもすばらしいことだと思います。



 今、夫の定年後のことも心配なんですが、夫のことで昨日ふと思ったことは、この人とは話をしないけど、憎んでるわけではない、もし家族と離れて仕事をするんだったら、「お父さん、がんばってね」という感じで、励ましてあげようかなと思っています。



―――良かったですね。あなたのお気持がそんなふうに変化してね。



 12月に辞めると言われたときは、「もう、どうして!」という感じでしたが、1,2,3月私も腹をくくっていかないといけないと思って、夫の好きなようにさせようと思ったんです。
 子どもも好きなことをしてるし、夫も長年の夢だったらそれもいいかなと思って。
でも夫が出て行くとなると寂しい思いです。



―――今おっしゃった、玲子の掲示板の書き込みです。
 

「自分を大事にするということは、自分にちゃんと焦点をあてるということだよね。
自分がどう思うか、どう感じるかということなんだよね。
そうすると、ちゃんと考えることができるんだよね。



 玲子は不安なときは、人がどう思っているか、人のことばかり気になって、自分がどう思うかという考え方が出来なかった。
 いつも心が泳いでいた。
自分のこと不安で自信がなくて、だから人のことばかり気になっていた」




 自分がどう感じて、どう思うか、そのことをしっかり考えれば、不安というのがなくなっていくんですね。
 しかし、これもひきこもって本人が納得して分かっていったことだと思います。



 不安というのはほんとに自分の気持を左右し、自分を不幸せにし、家族をも不幸せにしていくということなんだと思います。
 だから不安なときは大人も子どもも動かない、毛布をかぶってじっとしていることですね。




 
学校にこだわるのはもう時代遅れですよ。 内沢達

―――(内沢達):一般に親御さんはわが子の進学のことについてとても熱心です。
「いい高校」や「いい大学」に入ってもらいたいと思っています。
でも、その前に入学試験があります。そこでお伺いします。問題におつきあいください。



 日本の入学試験のなかで一番やさしい試験はどれだと思いますか?
 「お受験」と言われるような有名私立幼稚園の入試、国立大付属小・中学校の入試、私立中また私立中・高一貫校の入試、公立・私立高校の入試、国公私大の入試というように、たくさん入試があります。
さて、一番やさしいのはどれでしょう?(「公立高校!」といった声あり)



「やさしい」試験というのは受験した人がほとんど合格する難しくない試験のことです。
普通皆さんご存じないのですが、これは知っておいてほしいと思います。
と言うか、知っておいて損はありません。



 教育の問題について、通り一遍ではない幅広い見方ができるきっかけにもなります。
この答えは、大学教員であればだいたい知っているのですが、しかし「そう言われてみれば、確かにそうだ」という程度で、日常的に意識しているわけではありません。



 大学教員も多くは世間一般の価値観に流されています。
さて、答えですが、例示はしませんでした。
じつは、大学の上の大学院の入試が一番やさしいんです。



 日本の学校制度は、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院と連なっています。
大学院という、なんと最高学府の(笑い)試験が一番やさしいんです。
たとえば東大の学部の入学試験は、ご存知のように超ムズカシイ。
ところが東大の大学院は学部に比べるとまったく難しくはありません。



 僕の知人に東大大学院を修了したのが何人もいますが、彼らの出身大学は埼玉大学や神戸大学、京都教育大学であったりします。
学部は弘前大学だったけど東大の大学院に進学し、その後九大に勤め今は東大で教授をしているのもいます。



 大学院の入試は専門科目と外国語だけなので、その分野の勉強が好きであれば、大学院だと東大に入ることも簡単なのです。
「どうしてもトーダイに行きたい」のであれば、大学入試で無理をする必要はない。
大学院で行けばいいんですね。



 鹿大の教育学部だって、学部の入試はそんなにやさしくはありません。
誰だって受かるわけではありません。
ところが大学院は「まず落ちることはない」と言ってもよいほどに簡単なんです。



 いま教員採用試験に現役で受かることは難しいのですが、「教採に落ちたから大学院に進学する」という学生も少なくありません。
大学院は希望さえすれば、だいたいは入れます。



 前からそうだったのですが、大学院の入試はこれからいっそうやさしくなり、事実上「形」だけのものになっていく感じさえあります。
少子化時代にあって、年間50万円以上もの授業料を納めてくれる人たちは、大学にとって大事なお客さんですので、よほどのことがなければ拒みません。



 以前は4年制大学卒業でないと大学院に来られなかったのですが、それも変わりました。
短大卒の人でも「大卒同等の学力がある」という、大学ごとの個別の資格審査をへて、大学院に来られます。
「資格審査」といってもこれまた大したことはありません。



 鹿大教育学部の場合は、若干の書類の提出を求め(「大学院で勉強しよう」と思っていることを書いてもらう)、30分ほどの面接があるだけです。



 申し上げたいのは、そんなにも簡単だから「大学院に来ようよ」ということではもちろんありません。
 A大学が1番で、B大学が2番で、C大学が・・・というような序列にこだわるのはナンセンス、とうに時代遅れですよ、ということです。



 高校の序列にこだわるのもナンセンスです。
 「いい大学」であれ、「いい高校」であれ、難なくそこに入れるのなら入ったらいいでしょう。
でも、相当に無理をしなければいけないのだとしたら、そこはやめたほうがいい。
どこの高校であれ、どこの大学・短大であれ、ちゃんと道はありますよ、ということを言いたい。



 高専も簡単ではないかもしれないけれど、いわゆるトップクラスの進学校よりはやさしいでしょう。
 高専から工学部3年への編入は、進学校から工学部を目指すのに比べるとこれまたはるかにやさしいんです。
工業、農業、商業、家庭などの職業科からの推薦入学もあります。



 要は、いろいろな道があるのですから、何を学ぶかということが肝心であって、どこの高校かどこの大学かということではありません。
 時代は明らかに変わりました。



 30〜40年前の高度経済成長の頃までは、日本の社会はまだ貧しく、学歴が大切で、努力して頑張って苦しい受験勉強に耐えて、いい高校、いい大学に入れば、豊かな未来が約束されるような感じがありました。



 それが高度成長をへて変わってきました。
別にいい高校やいい大学に行かなくたってそれなりの、いや相当に豊かな生活ができるようになってきました。



 いま現在不登校で学校に行かないことだけでなく、家でも勉強をしないことも心配いりません。教科書の勉強は、いまの子どもたちには特にあいません。
 「主要5教科」といったような勉強ではなく、家で好きなことに打ち込んだらいいと思います。



 これからの時代にはコンピュータは不可欠ですので、インターネットなどをどんどんしたらいい。漫画やアニメなども存分に楽しんだらいい。
音楽を聴いたり、ビデオで洋画を見たりしているうちに外国語に関心が出てくるかもしれない。
好きになったら、その勉強をどんどんしたらいい。そういう勉強が実質的です。
雑誌や面白い小説を読むようになると普通の国語の勉強以上のものがあります。



 そうこうしているなかで、自然に「学校は利用したほうがいい」と思うようになったときに、要領よく短期集中的に勉強して、難なく入れるとこころに入っていったらいいと思います。
その先の道は、いろいろとたくさんあるということです。



―――途中を気にしないで大学院に行きなさいということを言っているんじゃないですよ(笑い)。
 
高校に行かねばこの子は絶望だと周りが言う、ですから本人も高校に行って大学に行きたいと言うんです。



 親や周りの期待と自分の不安で言うんです。
親はほっとしていそいそとします。
その状態を子どもさんは見ているからますます辛くなります。
子どもは明日から行くとか来月から行くとか、今のお子さんは来年から行くと言っている。何度も言っていますが将来のことなんか分からないです。
将来に自分の不安を先送りするんです。



 明日から行けとか、4月から行けとか具体的に迫まっていくと子どもさんは荒れるというのは、つまりお子さんの答えは行きたくないということなんです。



 だからお子さんはできないことを言ってくるんです。
 それを親がやってしまえば、又さらに出来ないことを子どもさんは言います。
 そうやって自分の気持ちを分かってくれと本能的に訴えているんです。



 もう僕、私はやらないんだよと、いつまでも言うなと言っているんです。
 「学校に行かなかったら駄目だ」とお子さんに言い続けるという現象は、今の状態を否定されるということです。  これはとても辛いです。




 私が不安に襲われた時、夫の花束(愛情)が私を救った Mさん

 
Mさん:久しぶりの参加です。皆さんのお話を聞いていると元気がでますね。



 今21歳の娘が円形脱毛症になった高校生の時、誰にも相談せずに娘にカツラをと思い、あちこち店へ電話したことを今なつかしく思い出しました。
「60万円でカツラを作ってあげる」という説明を鵜呑みにして、カツラを作ることに夢中でした。



 本人もそんな所へ行くのを嫌がったし、夫も「大丈夫ね。内沢さんに相談してみたら」と言って、あの時の内沢さんの助言のおかげで、事なく本当に助かったなあと、今感謝しています。(笑い)



 次女は適当にガス抜きできる長女と違って、ものすごく真面目な性格で、皆勤しなければと思っている子でした。
 学校に無理して行った結果だなあと思いました。
私が心から納得して、「学校へは無理して行かなくていいんだよ」と言えた時、娘がパアーと明るい顔になって、「今日、学校休もうかな?」と言った時のことは今でも忘れられません。



 娘たちは親が電話やメールもせず、心配もせず、放っておいたら元気になってきました。
この頃、長女は好きなことをしているせいか、貧乏しているけど明るく元気です。



 先ほどから不安の話がでていますが、私自身も昨年の秋ごろから不安でいっぱいでした。
人間は不安になると、誰とも会いたくないし、何もしたくなくなって、布団をかぶって寝ていたいという気持ちが本当によくわかる体験をしました。



 そして今日、皆さんのお話を聞いて、元気をもらうことができました。
不登校の会というのは、人生の生き方を学んでいる会なんだなあとつくづく思いました。



 今、「竹島問題」のように、実家の山の境界のことでもめているのです。
相手は境界の立ち会いにも来ないし、今までは実家の近所に長年住んで、母達も付き合っていたのに、今は地域や御近所に私の実家のことを言いふらしているようなのです。


 そのことが度重なると私は次第に変な噂に脅えてしまい、人が怖くなって外へ出るのが嫌になってきました。
 だから不登校の子ども達の気持ちがわかります。今は少し元気になりましたけど。



―――なぜ元気になったかというと、あなたの夫が結婚記念日に大きな花束をプレゼントしてくれてからでしょう。(笑い)
 
肝心なことを言わなくちゃ。(笑い)
 
その問題はまだ解決していないのですけど、夫の愛にあなたがとても癒されたのね。



 そうなんですけどね。
不安になると、いつも自分を一番よくわかってくれてる人に当たるというのもよくわかりました。
子ども達にも、同居している姑にも当たることはないけど、一番よくわかってくれているやさしい夫には、もう当り散らすのです。(笑い)



――― 一番大切な人に、一番当たるのよね。
はい。とっても大変でしたので、楽しみにしていた新年会にも具合が悪くなって参加できませんでした。
 めまいがしたり、胃けいれんはおこすし、不眠になるし、といろいろあって病院へ行くと、「何か心配なことがありますか?」と言われて、安定剤を処方されました。
でも飲まないでやっているんですけど、子ども達の気持ち「わかるなあ」と思って・・・。



―――大人も子どもも関係ないんですね。
不安な時はそうやって表れるのは自然なのね。
それを癒してくれるのが家族の愛なんですね。そのことを教えてくれたんですね。




 境界問題が起こる前は、実家へ毎日出かけて、畑仕事をしたりいろいろ働いていたけど、今はもう何もせずにボーっとしており、母に食事をさせるという最低限のことしかしていません。



 私は何年も親を見続けてきました。
今まで特に大変という思いはありません。
それはこの親の会で、「自分を大切にする」というのを学んできたからです。



 それがなかったら、90歳近くの親や叔母を3人看るというのはきっと出来なかったと思うのです。
 以前だったら、介護を第一に考えて、だんだん自分を追い詰めていったりもしましたけど、今は少しわがままになってきましたね。(笑い)





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