登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2005年3月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.110


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


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 ’しない’と不思議と’する’ようになる


 「私立中学と言っていた我が子に、私がとりあわないと安心して言わなくなりました。
自分でも無理だとわかったんでしょう」というKさん。
 我が子の言葉は不安から出ているとわかっているからです。
親の会に出会う前は、泣いてばかり、薬も飲み、不安ばかりだったのがうそのよう。
不安がなくなると、こんなにも強くなることができるんですね。
さわやかな笑顔が感動でした。



  不安を抱える我が子にメールをしたJさん。
「かわいいまいちゃん、お母さんはいつもあなたの味方だよ。
今を大事に、あせらずゆっくり休もう
」我が子への限りない愛が心を癒します。



  我が子を信頼する力があれば、何もしない、ことができる。
あれこれ余計なことを言ったり、しなくなる。
子どもの状態を問題だと思わなくなると、親は何もしなくなるんですね。
内沢達の話があります。ご参考にしてください。



  「辛いことはまだまだあるけど、でも親の会に参加するとわくわくするの。私は幸せだなあって思う。子どもたちが私を心から信頼してくれるから」それがなによりの財産とBさん。
この気持ちに共感される方が多いことは、皆さんの笑顔を見て分かります。



 過去にこだわり、まだ見ぬ「将来」の不安におびえるより、「今」を大事にしていこう、その積み重ねが豊かな人生を築いていくと気がついていったからですね。



 3月、4月は、進級、卒業、就職の時期です。
 特に学齢期のお子さんと家族は不安になる時期です。
学校の干渉も多い時期。
「あー、そういえば今はそんな時期ね・・・」、と感じる気持ちがあれば大丈夫です。
 学校が決めたスケジュールに我が子の気持ちを合わせないことです。



 
 
1.’しない’と不思議と’する’ようになる 内沢達

 2.10年歩いてきて、大丈夫だよと伝えたい Hさん

 3.
娘の人生は娘が決める わが子を心から信じて Gさん

 4.帰りの飛行機代はだしてあげるよ Eさん

 5.不安から出ている言葉にはとりあわない Kさん

 6.ひきこもった時期は私の人生にとってとても充実した時期だったんだよ 内沢玲子





’しない’と不思議と’する’ようになる 内沢達


「この子はどうしてパニックになるのか?」、また「どうして学校へ行けないのか?」などと子どもの状態を不思議に思うことはあっても、逆に、そう思っている自分の考えのほうが「ひょっとしたらオカシイのかもしれない」とは普通なかなか思われないようです。



 多くの人は、子どものパニックひとつ取っても、ただ単に困った状態だとマイナスにしか見ていません。
 でも、人間というのは大変な時には多少はおかしくなるものです。
なにしろ大変なのですから。
大変なときに普通じゃなくなる、異常な状態になるというのは、その人が正常である証拠です。ときどきパニック状態になるというのは、息子さんや娘さんが正常である、なにもおかしくないからこそそうなるということです。



 そうではなく、大変なのに、元気そうに学校に行き、一生懸命勉強もして、就職し働いているとしたら、そっちのほうがよほど危ない。
 こういう考え方を僕らはしています。
この考え方は、親の会をずっとやってきて、法則的に確かめられることです。



 僕ら自身の、小さかった頃をふり返ってみても、中学や高校の頃に、一度もパニック状態におちいらず、周りに当たったこともなかったのか、胸に手をあてて思い出していただきたい。
我が息子、娘のようなことまではなかったとおっしゃる方も、忘れているだけかもしれない。



いや、事実、親に当たるというようなことがなかったとしても、それは昔の子どもが我慢に我慢を重ねていたからです。
 そうした我慢はいいことではありません。
それを今の子どもたちや若者は我慢せずに、不登校なり、引きこもりという形で現してくれるようになったのです。
子どもには、親だったらわかってくれるはずだ、受け止めてくれるはずだという期待が無意識のうちにあります。
子どもは親に遠慮せず、親は子どもから頼りにされています。良いことではないでしょうか。



 ところが、そういう見方ができずに、不登校やひきこもりをただただ良くないことだと思っていらっしゃる方が大半です。
 息子、娘の状態を不思議に思っているけど、そうではなく、自分の考え方のほうがおかしいんじゃないかとはなかなか思わない。
 そこを僕らの会は問題提起しているのです。



 そもそも、学校に行かないこと、引きこもっていることが問題なのか?! 
パニック状態を呈するというのは、とてもありがたいことなんです。
そうならないで、親の期待通りに、身支度して学校に出かける方が心配なんです。
もうどうしようもないところにまできているのに、子どもは頑張ります。



 僕の同僚の子どもですが、小、中、高どころか、大学、大学院まで一度も寄り道をせずに順調にきて、東京の大手の会社に就職も内定していました。
24歳まで、はたから見ると順調そのものです。それがバッタリ動けなくなりました。
それはそれで、そこからその今を認めてスタートすればいいのですけどね。



 子どもが早い時期から、パニック状態を呈してくれるのはチャンスなんです。
それは子どもだけでなく、我々親ももっとゆとりをもってゆっくりと自分自身を大切にして生きていってよいということを、子どもが不登校やひきこもりを通して、親に気づきを促してくれたんです。
 


 話が長くなってきました。
 司会者の目線が気になります。
夫婦でも意思疎通が難しいんです。(笑い) 親子だったら話せば分かる、意思疎通ができる、なんて思うのは傲慢ですね。(笑い)



 我々の子ども時代を考えても、親の言うことなんか聞かなかったでしょう。(笑い) 
親の言うことを素直に聞く子のほうが心配です。
「はい、お父さん、お母さんのおっしゃるとおりです」と言う子が心配です。
そういう子はほとんどいませんので安心です。
親に反発する子、親の言いなりにならない子が安心ですね。



1月の新年会で僕が用意した「ことわざ・格言」でもビンゴゲームをしました。
その中のひとつに
 <“しない”と不思議と“する”ようになる>
というのがありました。



 この“しない”とは、一つは「親が余計なことを“しない”」ということです。
ああしなさい、こうしなさいと言わないことも“しない”ことです。
子どものことを心配しないというのも“しない”ことです。



 親が“しない”というのはすごいことなんですよ。
わが子を信頼しているから、何も“しない”でいられるのです。親が何か“する”というのは、自分の子どもを信頼していないから“する”のです。
なんとおっしゃろうとも、信頼してないから「この子は大丈夫だろうか?」と心配して、言わなくてもよいことを言ってしまったり、またしなくてよい、すべきでないことをしてしまうのです。
そうではなく、反対に親がしなくなると、なんと子どもは“する”ようになるのです。



 これはじつは不思議でもなんでもありません。
人間、他から信頼されているのが分かると、言われなくたって信頼にこたえようと“する”ものなのです。
 ひとつは、このように親が余計なことを“しない”ということですが、もう一つは、子ども自身も“しない”ということです。
子どもは、自己否定が強いとき、自分で自分自身のことを信頼していなくて、自分はダメな人間だと思っています。



 これではダメなんです。
 子どもが“しない”自分自身を認められるようにならなくてはいけません。
勉強もしない、仕事もしない、家の手伝いもしない、自室に引きこもっていて遊びすらしない、そういう“しない”自分を認められるようになると、じつは知らず知らずのうちに“する”ようになります。



 人間、辛い時はできないものです。
「しないといけない、しないといけない」と、そう思っているうちはなかなか出来ないものです。
 ところが、「しないでいいんだ。できない時は無理しない。しないでいいんだ!」と思えるようになってくると違ってきます。



 不思議なものですね。
いや、これまた不思議でもなんでもないんですが、「しよう」「しなければ・・・」と思っているうちはダメです。全然気持ちが楽になっていません。
“しない”自分を認めきれていないんですから、不登校であっても本当に学校を休んだことになっていません。



 そこで、不登校やひきこもりのときは誰彼に義理や責任があるわけではまったくありませんので、「あー、そうか。何もしなくていいんだ!」と心から思えるようになってきたとき変わっていきます。



 人間って、誰でも基本的には信頼できると僕は思います。
他から強制がなくても、人間って、ずっとしないままではいられないんです。
誰にも好奇心があるし、誰しも美味しいものが食べたいし、動きたいし、気持ちよく生活したい・・・、そういういろんな動機をもっている。心底ゆっくり休むと、みんな必ず動き出します。



 そのことは親がいくら口で言ってもダメです。親自身の生き方や態度で、子どもが「ああ、自分も、もっといまの自分を大切にしていいんだ」と思えるようになってきて、気がついてみたら動き出していたということになります。






10年歩いてきて、大丈夫だよと伝えたい Hさん


Hさん:3人子どもがいます。
長女は10年前、中1で不登校になりました。活発な子だったのになぜ?と私はパニックになって、どうしたらいいか途方にくれました。
担任に相談したら、「親は鬼になって、学校へ出してください」と言われましたが、どうして鬼にならないといけないのかと思いました。



 私が無理やり学校に行かせると、公園で時間を過ごして帰ってきていたと後から言いました。私自身は楽しい中学時代を過ごしましたので、どうして行けないんだろうか、娘がかわいそうと思い、通学途中の子が光り輝いて見えました。



 周りには不登校の子がいなかったし、夫は皆勤賞で学校に行ったので「行かせるように頑張ってくれ」と私に言うし、でも娘の姿を見るととても行けるような状態ではありませんでした。



 親の会に出会い、毎月参加する中で気持ちが楽になっていきました。
親の会で、「あなたの学生時代は楽しかっただろうけど、娘さんは辛いんですよ」と言われ、親の気持を押しつけていたんだということも分かりました。



 娘が不安なときはおんぶして欲しいと言うので何回もおんぶしたり、一緒にお風呂に入ったりしました。
 「学校に行かなくてもいいよ」と言ってからはそういうことはなくなりましたが、それでも一緒に外食したときに、同年令くらいの中学生や高校生が入ってくると、娘は急に青ざめて別人のようになり、タクシーで急いで帰るようなことが何回もありました。



 家では一緒においしいものを作って食べたり、犬の散歩に出かけたり、修学旅行に行かなかったからと二人で旅行をしたりして楽しいことをして暮らしました。
それが娘にとってとてもよかったのと同時に、行きたくない子を毎日行かせようとすることに疲れはててしまっていた私にとってもよかったことです。



 親の会に参加して、最初のころは3ヶ月くらい学校を休ませるとまた行くようになるかもと思っていましたが、全然そうではありませんでした。家が学校に近いので声がいろいろ聞こえてくるし、娘はとても辛かったんだと思います。中学卒業の頃リストカットもしました。



 卒業後も家でゆっくり過ごしていましたが、翌年、自分から通信制高校に行きたいと言って、どんどん動き出しました。やはり親はただ一緒に暮らすだけでいいんだな、それが大切なことなんだと思いました。



 弟も中学入学後行ったり、行かなかったりとなりました。姉で経験してましたので、「行かなくていい」と言ったんですが、息子は「それは自分で決めることだから、お母さんが決めないで」と言ってすぐには休まず、中2のときに「僕はもう限界だ」と休みました。
その後、姉と同じ通信制高校に行きました。



 夫は家にいるんだったらこれをと、英語のカセットのすごいのを買ってきたこともありました(笑い)。
 「規則正しい生活をして、勉強したらいい」という感じでしたけれど、最後には学校側の対応の悪さと私が親の会の話をしたりして、行かせないことがいいとわかってくれました。



―――娘さんはおいくつなりました?(24歳です)
 チャットで出会った方と結婚されて幸せに暮らしていらっしゃるんですね。(はい)
 
二人で楽しくインターネットの本屋さんをされているんですね。



 ほんとに楽しくやってるようです。
 息子は今大学生です。
先週「僕はお母さんに存在をずっと否定されてきた」と言われたんです。



 否定するつもりはなくてもそんなことを言われたら、「ごめんね」と言うしかないんですけど、小学生のときにもいろいろ言ってきたとき「いいえ、そうじゃないよ」と私の気持ちを先に言ってしまうのが間違っていたのかなと思うんです。
 息子は「ただ聞いてほしかった」と言うんです。



 息子は先天性四肢障害で手がなく、「お化け」などと言われて来ました。
「でもそういうことは僕にとってはなんともなかった、そういうことをいっぱい聞いてほしかっただけ」と言われて、存在は否定してなかったと思いながら、私は間違っていたな、この子を全部受け入れてなかったと思いました。



 今でも「あなた、それではだめ」とついつい言ってしまうので、彼そのものを受け入れようとすごく反省したんです。
 今度友達と外国に行くと言うので、手がないのに荷物が持てるだろうかといろんなことを心配もします。
 でもそういう心配をやめよう、もっと彼を信じて放ったらかして、私自身の好きなことをしようと思います。



 今、私は「冬ソナ」にはまっています(笑い)。
先ほどゲームを取り上げる話がでましたが、私はそれを取り上げられたらどうしようと思います(笑い)。
 息子はゲーム、私はドラマです。



事件があるとマスコミではすぐ不登校、ゲーム好きとなり、息子は「僕のことだね、こういう書き方は嫌だな」と言います。
 何があっても私は好きなようにしたらいいよと言っています。
息子は朝方までゲームをやって寝たりします。



 このように10年歩いてきて、大丈夫だよと言いたいと思います。
まだ過程ですが、ずっと親の会に参加することで、親自身が元気になっていきますし、子どももどんどん成長していきます。
 先ほどの方の担任の言った「13歳で成長が止まる」なんてとんでもないですね。息子は12歳ごろから不登校でしたが、どんどん親に言い返して、やりたいことはどんどんやりました。



―――新年会でお話しくださったように、夫を亡くされたとき子どもたちが支えてくれたのね。
(はい。今でも子どもたちが支えになってくれています)






娘の人生は娘が決める  わが子を心から信じる Gさん


Gさん(父):今高2の娘が休学中です。
以前も不安がありましたが、今の不安はレベルが全然違います。私と妻が年とったとき娘はどのようにして生きていくんだろうかということを時々考えます。



 今娘は明るく元気になりまして、妻もだいぶ前から薬もやめて元気ですから、非常にありがたいなと思っています。
 この間私が娘に「もう3月だからそろそろ結論を出さないといけない時期だね」と言ったんです。



 私は娘が退学するだろうと思っていたんです。
でも娘が「学生証ってもう辞めたらなくなるんだよね」、「中学卒業の肩書きでどこか働く場所があるんだろうか、お父さんだったらどうする」と何回も聞いてきたんです。
私は自分で判断してほしいという思いから、全くそれには答えなかったんです。
娘もそういう不安を持っているんだなということが分かりました。



 翌日妻が「もう退学したらとなんで言わなかったの?」と言ったんですが、私は「これは自分で判断しないといけないことだから」と言いました。
私は娘が「辞める」と言ってくれる言葉がほんとは欲しかったんですが。
娘は悩んでいる状態です。




―――娘さんの将来にあれこれ不安があったとしても、自分で決めるというお考えは大事ですね。
 辞めたら受け入れるお気持ちなんですね。




 はい、私はそう思っています。
先ほどの方と同じで、私の通勤の往復道は学生達もたくさん通ります。
以前はそれを見ると、みんな学校に行っているのに娘はまだ寝てると思い、不安がいろいろありました。この頃は時々、以前はそんなふうに思っていたことを思い出します。



―――でも、お父さんご自身がとてもいいお手本じゃないですか。
ご自分のお仕事に見切りをつけて、先のことは分からないけど何とかなるというお考えですね。

(そうです)
 先月のお話では、出身地の宮崎に帰られたら、もう親の会には来られないようなことをおっしゃっていましたが?



 はい、宮崎からはちょっと遠いですよね。(母:私は来るつもりです)(笑い)
 


―――宮崎に行かれても是非親の会へご一緒にいらして下さい。
その日はご夫婦のデートの日と決めてね。親の会に来られると元気をもらえます。

 


Gさん(母):宮崎は私達夫婦の出身地なんです。
この間家を建てる準備のため、夫と娘を残して4日間郷里に帰ってみました。
二人でどんな食事をするのかなと思いましたが、本人たちが決めることだと思いお金だけ置いて行ったら、娘が毎日お弁当を買いに行ったようで、洗濯も掃除もしてくれたと夫が喜んで報告してくれました。



 娘と口をきいていなかったんですが、今はどうしてもしゃべらないといけないときだけしゃべっています。(
―――まだ続いてるんですか、エネルギーがありますね)(笑い)



 先日娘が顎関節症のようになり、痛み止めでは効かなくなって歯医者に行かなくてはならなくなりました。
 黙っているのもどうかなと思い、場合によっては私が車で連れて行かないとと思って、病院へ電話して、娘に「何時だったら来ていいと言われた」と告げると、雨の中を自転車でひとりで行きました。また次のときもひとりで行きました。



 私はまさかひとりで行くとは思ってなく、内沢さんが言われたように、親が何もしないと子どもは自分で動くんだなと納得しました。
 それまでは自分で漫画を買いに行くのが精一杯でしたが、ひとりで動いたのは初めてでした。ほんの最初の一歩でしたが、今では1週間に1,2回はひとりでビデオを借りに出かけたりするようになりました。



―――あなたは毎日の今の生活に不安はないのね。(はい)
 
娘さんの将来にも不安はないですか?



 はい。
 本人の人生だから本人が決めたらいいかなと思っています。
夫がどうしても不安というなら、お金を少しくらい残さないといけないのかなと。(笑い)



―――夫婦逆転しましたね。
最初は一夫さんが子どもより嫁の方が心配だと話していらしたのにね。
(笑い)



 私は最近は皆さんの顔が見れるようになって、参加している子どもさんがきれいになってきているし、皆さんがニコニコされているのがうれしいなと思うようになっています。
そんなにふうに見れる余裕が出てきました。






帰りの飛行機代は出してあげるよ Eさん


Eさん:我が家は26歳、24歳、20歳の息子がいて、次男と三男が不登校で、家にいます。
 三男が成人式に行きそこで焦ってしまい、名古屋にいる友達の工場で働くと言い出しました。



 行きの飛行機代を出して欲しいと言ったのですが、私はあげないと言ったんです。
そうしたら怒って、一番言いたくない別居している父親に話して飛行機代をもらい、親の会の新年会の前々日に出かけて行きました。
行きの飛行機代だけを持っていましたので、私は帰りの飛行機代をあげないとしょうがないと思いお金を渡しました。



 翌日私が留守の時に、弟から「帰ってくる」と電話があったと長男が言いました。
また電話するということだったので明日くらいに帰ってくるのかなと思っていたら、夕方「ファミリーマートに迎えに来て」と電話がありました。
もう家の近くまで帰ってきていたんです。(笑い)
 空港から一時も早く離れたかったんでしょうね。
もう歩いてきているということで迎えに行きました。



 「ういろうを買ってきてくれた?」と聞いたら、「帰ることに必死でお母さんのういろうどころではなかった。もう泣きそうで一刻も早く帰りたかった」と言いました。
名古屋空港と工場は結構離れているようでしたが、3時には帰ろうと決めて、携帯でタクシーを呼んで5時の飛行機で帰ってきたんだそうです。



―――いい経験をしましたね。どんなことでも本人が納得しないとね。



 私はすぐに帰ってくると思ったのでお金も渡さないで、「すぐに帰っておいでよ」と言っていたんです。
 そしたら「こんな家になんか帰ってくるもんか」と言ったので知らん顔をしていました。
長男が「行きの飛行機代をやって、帰りをやらなければ帰って来れずに頑張るからそれでいいんじゃない」と言いましたが、「お母さんは行きの飛行機代はあげないけど、帰りの飛行機代はあげるよ。でないと名古屋でパニックになってる」と言ったんです。



―――自分の子どもさんが家にいることに不安はないのね?



 実際に子どもを見ていれば、今心がどういう状況かが分かるじゃないですか。
ですからかえって安心ですね。



―――本当に子どもの立場に立ってみたら分かるようになるのよね。



 次男は1日も大学に行っていないのにまだ辞めていません。
今、働いていますが、以前は食べ物がのどを通らないくらいになって仕事を辞めたんですが、今は働いたお金でジムに行ったり、ちょっと生活を楽しむ余裕が出てきたようです。
 三男はちょっと焦っているのか機嫌が悪いんですが、それは仕方がないし自分で考えることだと思っています。



―――息子さんが学校に行かなくなった時、「僕はアルバイトをしなくてはダメだ」と言って、お母さんが「しなくていいよ」と言っても聞く耳を持ちませんでしたね。
そうやって親が何もしないと本人が納得していくんですね。






不安からでている言葉にはとりあわない Kさん



Kさんお久しぶりです。
 娘さんは6年生になりましたね。
去年1月、5年生の時に転校をきっかけに不登校になって、お母さん自身が辛くて不安だったんですが、お母さんは学校に行かないことを吹っ切られたんですね。



でも娘さんは私立中学に行きたいと言って家庭教師を頼んでいたんですが、お母さんが取り合わなかったら何も言わなくなったんですって。




Kさん
:はい。自分でも無理と分かったんじゃないでしょうか。
何も言わなくなりました。(
―――中学のことはあなたは何も言わないの?



 はい、言いません。学校に行きたいと娘は言うんですが、不安から出ている言葉だとわかっているので取り合いません。
―――あなたはすごく変りましたね。
去年はずっと泣いていました。
病院で薬を貰っていました。
何秒か前に考えていたことが思い出せないくらいに混乱していました。



―――あなたの夫は娘のことより妻のほうが心配だとおっしゃっていましたね。
今あなたは中学に行かないことへの不安はないの?




 ありません。
 逆に1ヶ月に1回くらい、娘がイライラして不安を訴えてくることがあるんですが、そういう姿を見ると辛いんだなという思いはあります。
でも何も言わずにただ傍にいるということを続けています。



 先ほどからお話があったんですが、うちも子どもと母親対父親という感じになっています。
夫も単身赴任で週に1回くらいしか帰って来ませんので、このままでいいんだろうかという不安を持っているようなんです
。私は「見えていない分不安なんでしょう。大丈夫だよ」と言っています。






ひきこもった時期は私の人生にとってとても充実した時だったんだよ 内沢玲子


内沢玲子さん:引きこもってはじめの半年は親の会に来るのも必死で、皆さんが私に話しかけてくれるのも怖くて、私に話しかけないでと思うくらいでした。
親の会においでよと言われても、行きたいし、遊びたいんだけれど、パワーがなくて疲れ切っていました。



 夏合宿をきっかけにホームページを作り、チャットで一緒に遊んでもらって、そして親の会には愛美ちゃんが誘ってくれて、私も毎月参加するようになりました。
親の会を通じていろんな人の話を聞けて、いろんな人に会えて、チャットでみんなと話して、すごく幸せだなあと感じます。
親の会に毎月参加することによって癒されて、私は大丈夫なんだなというふうにだんだん感じてきました。



 2月13日に我が家の愛犬コナンが亡くなりました。
コナンとは一緒に留守番をしたり、遊びに行ったり、ずっと一緒に過ごしたんですが、そのコナンが最後に私にパワーをくれたように思います。
「気づいてないかもしれないけれど、自分が思っている以上にたくさんパワーが溜まっているんだよ」とコナンが自分の命をもって教えてくれたようです。



 私は本当にゆっくり休んで、毎月親の会に来て癒されることによって、自分が感じていた以上に元気になっている自分を感じます。
以前は人が何気なく言った一言をものすごく敏感に受け取ったり、それに対してイライラしていたんですが、今は前と同じことを言われても、その捉え方が違っているんです。



 アルバイトもやろうかなと思って、今天文館でティッシュ配りを始めたんですが、前は人の顔を見るのが怖かったのに、今は笑顔で配ることができるんです。
周りの人はわからないだろうけれど、もう人を怖がらなくていいんだと自分に感動しながらティッシュを配り、涙が出そうになってしまいました。(笑い)
 


 本当に私は親の会で出会ったひとりひとりからすごくパワーをもらって、ひとりひとりから癒されていたんだなあとしみじみ思いました。
 まだまだ不安はあるけれど、やりたいことはゆっくり休んだら必ずできるんだ、どうせできないんだからと投げやりになってすごくイライラしたこともあったのに、全然そんなことはなかったんだなと思いました。



 3年間以上ゆっくり休んで、親の会には2年半来て、私は人生の仲間に出会えました。
不安はまだあるけど、自分が持っていた数々のコンプレックスがどんどんなくなっていく感じで、これからもわからないことがあったときはここで勉強させてもらって、皆さんのお話を自分の人生に活用していけばいいんだなと思って、親の会があるからと安心しています。
振り返ってみたら今はいいことしか残っていないんです。



 親の会があったから、私はこうして考えられるようになりました。
本当に親の会に感謝しています。



―――引きこもっていたからこそ深く深くいろんなことを考えられるようになったのね。



 コナンが亡くなったときに私の中高時代の親友に電話をして、「私は3年間引きこもってゆっくり休んでいたんだよ」と言ったんです。
 そしたら「若いいい時期に3年間も休んでいたなんてもったいなかったね」と言われたんですが、私は自信を持って「私の人生にとってすごく充実した3年だったよ」とはっきりと言えました。
それがすごくよかったです。(拍手)




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Last updated: 2005.3.20
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