登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→  体験談目次 → 体験談 2005年2月発行ニュースより



体験談

2005年2月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.109


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



 命があればまるもうけ 命こそ大事!

 
1月は私達親の会にとって心に残る出来事がありました。
1月9日に3分半、26日に20分間親の会がNHKで紹介されました。



 初めてのテレビ出演に戸惑いながらも、本当に我が子の不登校やひきこもりを肯定し受けとめている親の会の存在を世に訴えることができたとてもいいチャンスでした。
 短い場面にもかかわらず、ちゃんと自信と確信があらわれて伝わってきました。
ですからこの番組を見て安心しましたという電話やメールをいただいたとき、とてもうれしかったです。



 番組の準備は11月から始まりました。
親の会の考え方を理解し、いい番組を作ろうとする担当のディレクターさんの惜しまない時間と労力には敬意を表します。



 1月23日は恒例の新年会でした。
50人の大人と子どもたちが楽しく集いました。親の会の新年会ですから、笑いはもちろん、感動も涙もあふれました。



 「亡くなった息子勝己のことを話すとき今でも構えて顔がこわばります。
でもここでは笑えます。唯一心許せる場です。・・・」村方敏孝さんの言葉は胸を打ちました。



 障害を持って生まれたお子さんを救急隊員として自ら救急車で運んだというTさん。
「生きていればこそです」という言葉は子どもたちからもらったかけがえのない宝物です。
ここでは苦しいときでも笑える、みんなわかってくれる仲間だから。
「生きているだけでまるもうけ、命こそ大事」
「今」を大切にして生きよう・・・そう誰もがうなずいていました。



 子どもたちの笑顔がとても素敵でした。
自分らしく生きていると伝わってきました。
 最後におもいがけなく世話人へ子どもたちから花束が!
 ありがとう子どもたち! ありがとう親の会のみなさん! 

 


↑山口愛美ちゃんの絵 ↓maiちゃんの絵
お花に添えて・・・


 

 0.世話人内沢朋子の挨拶

 
1.NHKに出演して本当によかった! Kさん

 2.「15年間は幸せだったんだよ」 長谷川登紀子さん

 3.
「心許して笑顔で話せるんです」 村方敏孝さん

 4.「生きていればこそです」 Tさん

 5.子ども達の優しさが私の支え Yさん

 6.私は大丈夫、そう言うことができます。 山口愛美さん

 7.「親の会は私自身が生きた証」 内沢玲子





―――内沢朋子(世話人):例年楽しい新年会です。
今回も楽しく、そして心温まる新年会にしましょう。
 毎回、楽しいな、非常に価値があるな、そして心豊かになったなという親の会を毎月行って15年も経ったんですね。あっという間の15年だったなと思います。



 先日maiちゃんが、お母さんが「今日は気分が悪いんだけど、親の会、どうしようかな」と言いながらも、親の会に行って帰って来ると「楽しかった、あのね、あのね」とお話してくださる。
 するとmaiちゃんはそれですごく元気が出て救われた気持ちになったというお話をしてくれました。



この頃のmaiちゃんのお母さんの決めては親子ゲンカの時、「親の会に行かない!」と言うんですって。「それを言われると一番困る」とmaiちゃんは言います。
親の会の存在がこんなふうに親も子も家族も幸せにしているんですね。
とてもわかりやすくて大切なお話ですね。



先日、「不登校や引きこもりは病気じゃないですか?」と聞かれたんですね。
どこか病気が隠れているからこういうふうになるんじゃないか、これが世間の考え方なんだなとあらためて思いました。



先日の朝日新聞に[不登校や引きこもりを考察する研修会が福岡で開催される]という記事がありました。
どんな研修会かというと、「ADS(注意欠損多動性障害)」、「アスペルガー症候群」、「小児のうつ」、「不登校や引きこもりの訪問サポートをどうするか」、それから「統合失調症の疑似体験」等々でした。
そんな形で、子どもを病気だという前提のもとに行われている、こういう時代錯誤の環境が私達を取り巻いています。



NHKの「どうする子どものうつ病」というテレビを見て、Bさんから「今回の会報にありましたようにこの番組に腹立たしさを感じていました。
ところが何気なくテレビをつけた時、美輪明宏さんが不登校になった娘さんのことで悩んでいらっしゃるお母さんに<学校に引きずってでも行かそうとしちゃ駄目! 学校なんて行かなくたってちゃんと生きていけます。私だって行っていないけどこうして生きています>とアドバイスしていたのを聞いて、本当に嬉しくなりました」というお手紙を頂きました。



こんな社会の偏見の中で、この親の会を知らずに治療や矯正の対象とされていく子ども達の苦しみ、家族の苦しみはどんなだろうと思います。
どんな問題でも必ず原因があって、子ども達の自己否定の苦しさの表現なんだ、そして子ども達だけじゃなくて大人も同じなんだと、そのことをきちんと理解し、納得していけば間違った対応をしなくても済む、赤の他人に委ねなくても済むんですね。



私たちが15年間子どもの生き方から学んで、むしろ不登校や引きこもりは自分を大事にする積極的な生き方だという強い信念があり、そしてそれが揺ぎない確信として親の会で培ってきたことはほんとに良かった、だからこそ親の会の存在価値がますます大事になっているんだなと思います。
 親の会のHPにも多くの反響が寄せられています。



 Nさんからもお手紙を頂きました。
 「泣きながら暮らした5年前、なんであんなに苦しんだんだろう、今は懐かしくさえ思います。子どもを通し親の会を通し沢山のことを知り学び、大きな生きる喜び、幸せを感じることが出来ました。人生何とかなる大丈夫と、そういうふうに自分が思えるようになりました」



 小6の1月に片眼を失明するという大きな事故を受けて、そしてそのあと中学からいじめで不登校になったEriちゃん、今年春に結婚します。
Eriちゃんから玲子に送られたメールがとても感動的でした。
今、彼と住むということで引越しの準備をしているそうです。



 「引越ししながらいろいろ考えたの。
何て私のうちはこんなに物が多いのかと。自分大好きでやってきたけど、結局は自分に自信が無くて、いっぱい物を買いあさって、人と違うもの良いもの可愛いものって、それで自信つけて人と比べているだけかと思ってた。



 昔、私は泥んこをいっぱいかぶって、ほんと泥んこまみれだったの。
無理して飛べない水溜りを何度も飛んだのよね。
でもとりあえず何もしていなくても、太陽が照ってきて乾かしてくれたの。でも、とりあえず何もしてなくても太陽が照ってきて、乾かしてくれたの。
 その泥両手で払って、それでも残った物はホコリじゃなくて誇りだと気付いたのさ!



 過去は私の栄光。
全部きれいになる必要なんて無い、何にもしなくても太陽だけは平等に照るしね。
今、私は自分が大好きなの。結婚式は純白で行きたい…。」
こんなふうにして自分を大事にし、自分が大好きになって、そして結婚できる喜びを語っています。感無量でした。



 私たちの人生は一話完結じゃないですね。
日々生きている。皆さんがいろいろな問題提起をしてくれる、親の会もこうして生きて成長し、豊かな財産をもらっているんですね。 



生きているということをどんなことかなあと思っていろいろ考えたら、昨日NHKのテレビの「土曜インタビュー」で、旭川動物園の園長さんが「命は説明することじゃない、感じるものだ」と言うんですね。
生き生きと生きる、生き生きと生きる命を大切にするということなんですね。



 私は親の会で一番学んだのは、自分たち自身を大切にして自分たち自身が生き生きと生きる、そして家族もその影響をちゃんともらっていく、そういうことじゃないかなと、そういうふうに思うんですね。



 人生は大きな流れの中にあります。
その中で留まることもあるかもしれないし、それから立ちすくむこともあるかもしれない、いったん安心したのが不安に駆られたりすることもあるかもしれない。
でも私は親の会の中で、人のお話を聞き、自分だけが不安や苦しみを感じているんじゃないんだ、皆さんと共通しているんだということを感じれば、「あっ、大丈夫なんだ、こうして生きていけるんだ」ということを皆で学びあってきたんじゃないかと思うんですね。



 「遠い将来をどうするという不安に駆られるよりも、今を大事にする」、今我が家では閉じこもっている子どもがいて、ちょっとした夫婦喧嘩があったりするけれども、でも今の生活がすごく大事なんだ。
 今が大事で自然なんだと、今私は自然に生きているんだと思うことが出来る。
そうすると見方が違うと、地獄の生活じゃなくて、幸せなんだということを私は学んできたと思うんですね。



「人は人によって癒される」「人は人によって学ぶ」んです。
人によって癒される中心は家族だと思うんです。家族がその子を癒し、そして自分自身をも癒されていくと思います。
体験談は真実ですね。
 真実に勝るものはありません。



 皆さんのお話の中にこそ学ぶべき教訓がたくさんあるんですね。
こうして成長してきた親の会です。
私は親の会の皆さまに、子ども達に心から感謝したいと思います。
そんなことをこの15年の歴史の中で感じて、そしていろんな人たちのお話を貴重なものにして、これからまた、どこまで続くか分かりませんが歩んでいきたいと思っています。




NHKに出演して本当によかった! Kさん


Kさん(母)
:NHKの取材が12月に終わって、ホッとしたのも束の間、年明けにまた取材があってすごく緊張しました。
 テレビの取材については、いろいろ悩み迷いましたけど、内沢さんと電話でいろんなことを話していく中で、いろんなことが伝わってきて、「最後は自分の心ひとつ」と思えるようになって受けることにしました。



 どういうふうに放送されて、どんなふうに受けとめられるのだろうかと思いましたけど、取材を受ける中で、今までより強くなっている自分を発見して、取材を受けて本当に良かったと思いました。



Kさん(父):テレビ出演の件では、妻が話したように悩みました。
僕は転勤族で大阪から来たと紹介されましたので、会社のお得意さんや会社の同僚も見るだろうし、何か言われるかもしれないと思いましたけど、そんなことで悩むのもアホらしいし、自分からわざわざ言う必要はないけど、「そうなんですよ」とありのままに認めればいいと思いました。



 子どものためにも、自分達のためにも世間に知れれば、それでいいと思いました。
テレビに出るのは妻と子どもだけで自分は表に出ませんけど、受け止めようかなと思って出演をOKしました。テレビを見て、妻の化粧姿を見るのは数年ぶりでした。(笑い)
 26日の放送は、またゆっくり見て受け止めようと思っています。



―――Kさんが、息子の将太君に「NHKに出たのだから、町を歩く時も、胸を張って堂々と歩いたらいいよ」とおっしゃったのよね(笑い)。いい機会でよかったですね。




「15年間は幸せだったんだよ」 長谷川登紀子さん


長谷川登喜子さん:今日は夫婦で参加しました。
仲良いところを久しぶりにお見せします。(笑い) 



 親の会で15年、我が家の登校拒否で16,7年なんです。
表に立って発言するのはいつも妻の私でしたが、いつも夫はわかってくれていると思う16年でした。
 1年に1回の飲み会には、顔を忘れられないように出席しています。(笑い)



 夫は昨年大病しましたので、今年はアルコール抜きです。
私も大病しましたので、「お互い健康には十分気をつけて、これからはゆっくり肩の力を抜いて共に生きていこうね」と話しています。
夫も同じ気持ちで、「そんなに頑張らなくてもいいんだね」と話しています。



 NHKで親の会が放送されることもあって、1月に入って15周年記念誌を父と母へ持って行きました。
 10周年記念誌の時は1冊、今回は父と母へそれぞれプレゼントしました。
父は花が大好きです。「表紙の花の絵は三原色で渡辺さんという人が描いたんだよ」と言いました。



 父は私の原稿を読んで、「お前たちは、おれの知らない所で難儀をしたんだねえ」と言って泣き出しました。
 16年前の息子の不登校のことは、少しは話したことはあったけど、こんなに長く行ってなかったとは、父へは直接話していませんでしたから、今回初めて知ったのでした。



 とても厳格な性格でしたので、怒られるのが怖かったからでした。
私は「話さなかったのは心配をかけたくなかったし、私は息子が不登校していてもとてもこの15年幸せだったからだよ」と言いました。



 「そこに来るまで難儀しただろう」と言いましたけど、「いや、難儀はしてないよ。こんなに沢山の仲間がいるから、みんなでやってきたから大丈夫だったんだよ」と話すと、「俺は評論家は嫌いだ。何も知らないくせに偉そうに言っている。こんなふうに同じ仲間がいるのはいい」と、もうすぐ87歳になる父ですが私よりもしっかりしています。



 父が私達を受け入れてくれたことがとてもうれしくて涙が出、いいお正月を過ごしました。親の会でも父のことは話してませんでしたけど、15年ぶりに話ができて嬉しかったです。




「心許して笑顔で話せるんです」 村方敏孝さん


村方敏孝さん:12月の例会の時、NHKの取材の方が「切羽詰った時でも本当に素敵な笑顔で皆さん笑って話していらっしゃる」とおっしゃっていましたけど、僕も本当にそう思いました。
TV取材が入ったから、いい笑顔で笑っていられるのかというと、そうじゃないですものね。



 僕は亡くなった息子、勝己の話が近所や友人達からも出ても、構えてしまって絶対笑えないけど、でも子どもの話がでて笑えるのはこの例会だけです。
今でも笑えません。構えて顔がこわばります。ここが唯一、心を許せる場ですね。



 皆さん、僕も例会に7年くらい参加していますけど、いつも例会では最高の笑顔で、かわいい、美しい笑顔です。僕もここで子どもの話をしながら、笑わせて下さい。皆さんの前で。



―――村方勝己君は、1996年9月18日にいじめで亡くなりました。
つい先日美智子さんと電話でお話しました。
小学校卒業の時、20歳の時に開けようと校庭に埋めたタイムカプセルを勝己君の友人がお正月に届けてくれたそうです。



 20歳の時に飲もうとお酒とお手紙が入っていました。
御仏壇にお供えして、勝己君とお話したそうです。
 「命こそが大事、命の他に大事な物はない。命こそすべて」と、勝己君は私達に教えてくれています。
 親の会がもらった大切な教訓です。ありがとうございました。




「生きていればこそです」 Tさん



Tさん(父):薩摩川内市から新幹線でやってきました。(笑い) 
 昨日は、今日ご出席のRさんもご一緒に「先天性四肢障害父母の会」の新年会が霧島でありました。
 今日は長男を連れて、不登校の親の会に参加しました。
下に妹がいます。
娘は生まれつき左手に障害があります。
遅れてしまったのは、娘の学校行事がありまして、娘を送って行ったものですから。



 皆さんおっしゃっていましたが、「生きてるだけで丸もうけ」という気持ちで今は生活しています。
 私は救急隊員で、娘が生まれた日は勤務中でした。
夜の10時半過ぎに産婦人科のドクターから「女の子が生まれましたよ。お父さん、ちょっと出てきて下さい」と連絡がありました。



 私は何の知識もなかったので、なんだろうと思って上司に許可をもらって行きました。
産衣をはいだ時、僕は「ああ」と声をあげました。左手は指がなくて、グーの形でした。
医者は「内臓の病気もあるかもしれないので、鹿児島の病院へ搬送して下さい」と言いました。



 僕は救急車を呼んで、自分で運転して、娘は後ろの保育器の中にいました(涙ぐむ)。救急隊員の立場と運ばれる患者の親の立場を同時に味わいました。
 いろいろ思いました。
 娘のそばについていてあげたいとか、抱いててあげたいとか、しかし自分は仕事中だから仕事を全うしないといけないとか、・・・。
本当に鹿児島市立病院までの道のりは千々に心は乱れました。



 妻には数日経ってから言いました。
その子も小6で大きくなって、生意気になって、生きていればこそです。
元気に育っています。長男坊も私を追い越しはるかに大きくなっていますし、生きてればこそと思っています。



 いろんなことで悩みましたね。
なんで俺だけにくるのだろうかと思って。
しかし、幸い私は打たれ強い性格でしたので、「もう、何でもこい」と思って、身体を鍛えて、このように胸も動きます。(笑い、拍手)



 ボディビルを中2の時から30年やっています。僕はひ弱でしたので、体力測定の時、担任に「星原は体力がないので、懸垂1回もできないだろう」とバカにされ、実際1回もできませんでした。
 もう、くやしくて、くやしくて、明けても暮れても重いものばかり持ち上げてやってきました。(笑い)




子ども達の優しさが私の支え Yさん


―――Yさんは最初の頃から親の会に参加していただいていました。
不登校だった娘さんは今ご結婚されて幸せに暮らしておられます。
YさんもHさんと同じように夫を亡くされて、Hさんとは同じ病院でお互いに励ましあってきたのね。


Yさん:はい(涙)。先ほどのTさんの話は何回聞いても涙が出ます(涙)。
これは年のせいかもしれません。
もうこの会に来て10年以上になります。



 先日、中学校のそばを通ったら女の子たちがニコニコして通り過ぎていく姿を見たんですね。
10年前はそういう光景を本当に辛い気持ちで見ていたので、そんなこともあったなあと思い出しました。
 長女は死にたいとよく言っていましたし、リストカットをしたりいろいろあったので、そのころはこれからどうなるのかなあと不安でした。
でもこの会を知って学校に行かなくていいと言ってからは、家で楽しい毎日を過ごすことができました。今結婚して福岡に住んでいます。



 息子はTさんの娘さんと同じように障害があって、中2から不登校になりましたが、今は大学生で自分の道を見つけようとしています。
 夫は1年半前に亡くなりましたが、その時は子ども達が支えてくれて、励ましてくれて大事にしてくれました。



 子ども達の強さや優しさが私の何よりの支えでした。
ああ、あの時ゆっくり休ませてよかったなあと心から思いました。
私は子ども達にいろいろなことを相談していますが、本当に力になってくれます。



 大変なこともありますが、私は根が明るいので、これからの人生を楽しんでいきたいなあと思っています。
 今年は山登りにもたくさん行きたいし、この会にも出かけてきたいと思います。
 今日は皆さんのお話を聞きながらいっぱい元気をもらいましたし、私が夫を亡くした時も立ちなおれたのは、この会で学んだ多くのことがあったからだなあとあらためて思って、感謝の気持ちでいっぱいになりました。(涙)




私は大丈夫、そう言うことができます。 山口愛美さん



 
山口愛美さん:去年NHKの取材を受けて、テレビが放映されたらどうなるんだろうとちょっと不安はありましたが、でもすごく今、自分自身が楽で、今が一番自分らしいなあと思います。



 取材を通じて、お父さんが私の将来についてまだ不安に思っているということが分かって、でも不安に思っているということを言われても動揺したりしなかったんです。
前だったら私が不安になるからと思って言わなかったことも、今はお互い言うようになって、そういうことが自然に出来るようになりました。
本当に取材を受けてよかったなと心の底から思います。



 お正月に年賀状を整理していたら私が学校に行かなくなった時に友達がくれた手紙がたくさん出てきました。
それを読んでみたら、「これからどうするの?」とか、「ごはんは食べているの? 食べてないなら料理を作りに行くよ」とその頃は私が落ち込むようなことが書いてあったんだけれど、今読み返してみると素直に私を思っていてくれていたんだなということが伝わってきました。



 今私は私を理解してくれる人たちにめぐり合えて幸せだと感じているんですが、昔は昔で、条件つきだったかもしれないけれど私を思ってくれている人が周りにいたんだなと思ったら、私が学校に行けなくなったのは、ただ単純に学校が合わなかっただけなんだなと、それだけのことだったんだと思いました。



 今まではいろいろ理由を捜してああじゃない、こうじゃないと言って、こうだから私は学校に行けないと言っていたんだけれど、それよりも学校に合わなかったという単純な話をこねくり回して考えていたんだと思ったらすごくすっきりしました。



 以前は不安に思ったりすることは悪いことだと考えていて、不安がなくなるのがいいんだと思っていたけれど、今は不安になったり、苦しくなったり、悲しくなったり、些細なことで腹を立てたり落ち込んだり、それはすごくいいなと思って。いままで何をそんなに不安に脅えていたのかなと不思議に感じたりしました。



 玲子ちゃんと一緒に昔のメールやホームページへ書いた私の書き込みを見ると、今は忘れてしまって思い出すこともできないことが書いてあって、ホームページや会報に記録として残っていてすごくいいなと思いました。



 その頃も正直な気持ちを書いていたんだけれど、昔と今ではものすごく意味合いが違っていました。昔はこれでいいんだと書いていても、どこかでダメだという部分が残っていて、認めて欲しいと誰かに訴えている「いいんだ」だったんだけど、今は自分の心がすごくホッとして、きっとこれからいろんなことが起こるだろうけど、自分は大丈夫だなと思って。



 私は学校に通っている時、何をしていても自分に自信がなくて、生徒会長になって、愛美よくやっているね、頑張っているねと言われてもちっともそういう気持ちになれなかったんです。
テストでいい点をとってもその場限りの暗記だから自分の力になってないと思えて、とにかくすべてに自信がありませんでした。
 何故かなと考えたらそれは押し付けられた生徒会長だったし、押し付けられた勉強だったからで、自分が望んでやったことではないからだと思います。



 取材の時は私一人の時で、初めて男の人が3人部屋に入ってきたんですが、ネコは私以上に反応してびびっていたんです。以前だったら考えられなかったことができて、自分の考えをしっかり持ってカメラの前で堂々と話している、すごく気持ちが自立しているなと思いました。



 お父さんが親の会に来て、私に学校に行けとか、ああしろ、こうしろと何も言わなかったことで私は自分のことをしっかり考える時間が持てたんだなと思いました。取材の中でそのことに気がついて、自分で初めて結果として見えた気がしました。



 皆の話を聞いて楽しかったから親の会に通っていたんだけれど、毎回参加することがすごくよかったなと思って、自分の身になっているんだということが3年経って見えた時にすごく嬉しかったです。



 これからもいろんなことがあった時にどこかで頑張ってしまったり、焦ってしまったりすることがあるかもしれないけれど、そういう時もちゃんと自分が学んで、今よりも素敵になっていけるだろうという自信がついて本当によかったなと思っています。(拍手)




 
「親の会は私自身が生きた証」 内沢玲子


 
内沢玲子さ:最後にちょっと一言言わせてください。文章に書いてきました。



 「最近、私の中では何かが変わりました。
 去年と大きく違うこと、それは自分のことを客観的に見てあげれるように、もっともっと親の会で勉強したいと思うようになったことです。



 親の会で、人の話を自分のこととして聞くということは、自分のことを、客観的に、冷静にみれるようになるための勉強をしていたんだなと2年半以上、親の会に通ってようやく気づきました。
 ゆっくり休み始めて3年、親の会に来はじめて2年半は、私が親の会によってじっくりとゆっくりと時間をかけて癒されていった年月でした。



 今年からは癒されるのももちろん、でも今度は自分の足で立ち、自分のこととして会報を読み返し、自分の人生のために、人生の主人公として歩むために、私は親の会に来たいです。
 3年間、ゆっくりと時間をかけて疲れをとっていった私、こんなに楽になって今ここで自分の話をしています。



 不安のかたまりだった3年前、何をするにも人が怖くてしょうがなかった。
月1度の親の会にでてくるので精一杯でした。



 親の会と、いつも人の話から学ぶんだという貪欲な、だけどとても冷静な姿勢を崩さない世話人、毎月親の会を開いているこの6人がいなかったら、
私はここにいただろうか、こうやって今、自分に自信を持ち始め、楽に、こうやって立っていただろうか、私は自信を持って言いたいです。



 この6人が毎月、何度もテープ起こしをし、何度も何度も話あってやってきた親の会。
 その親の会がなかったら、私は今こうやって立っていなかっただろう。自分に自信なんか持ってなかっただろう。
 こんなにも楽に生きれるだなんていう確信はないどころか、今頃私は病院で入院してるか自殺してると思う。



 だから、私はここで感謝の言葉を言いたいです。

いつも冷静に物事を見ている木藤厚子さん、ありがとう、

おっちょこちょいだけどみんなを和ませる渡辺笑さん、ありがとう、

笑い上戸で楽しい雰囲気にしてくれる瀬戸山恵美子さん、ありがとう、

親の会の世話人だけやってるわけじゃないのに、親の会の世話人として全力を尽くしてくれている川島和子さん、ありがとう、

いつも仮説での人生の教えを親の会にも教えてくれる内沢達さん、ありがとう、

そして、どんな時も人の話から学ぶんだという姿勢を教えてくれた内沢朋子さん、ありがとう。



 今悩んでいられる方も、そうでない方も、私は自信をもってこの親の会を、
この世話人を薦める。それは私自身が生きた証拠だからです。



 最後に、地球上で一番私が尊敬するこの6人の世話人に花束を贈呈しようと思います。」




このページの一番上に戻る→


体験談(親の会ニュース)目次へ←


2005年3月発行ニュースはこちら← /TOPページへ/  →2005年1月発行ニュースはこちら



Last updated: 2005.2.16
Copyright (C) 2002-2003 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)