登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話
   

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体験談

2006年10月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.126より


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から、いくつかの記事をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



 
「我が子の状態はあたりまえ」  2006年10月1日臨時例会報告


<家庭とは、家族が誰にも遠慮せず、緊張せず、自分らしくのびのびと、お互いの暖かい愛情にふれて心休まるところ>
今回の例会はこのことをいっそう深めました。


家庭は「言いたい放題言える場」でもあるんですね。
自分の辛さを初めてあらわした娘さんをみて動揺したIさん、会報を再び自分のこととして読んで安心したと言います。
Kさんは、娘さんから「私がお母さんにあたるのをまともに受けとめてはだめ。気にすることないのよ。そういうときは流せばいいの」と言われました。いい言葉です。


親が信頼されるようになると、子どもは自分の不安を素直に親にぶつけることができるんですね。


親だって家族に支えられています。
Jさんは3年間夫と別居しています。「二人の子どもたちが支えてくれてすごく助かった」と家族が自分の不安を受け止めてくれたと言います。家庭は、子どもであっても大人であっても誰にも遠慮せず、お互いの愛情にふれて心休まるところ、無条件にあるがままを受けとめてくれる、そこにいるだけで癒される、そういうところでなければ、ということですね。


「息子の状態はあたりまえ」というMさん。そう思えるようになってきて、「今、あまり息子に関心がなくなってきている」という言葉は大事です。


山口さんも、「娘が過食しているそばで晩酌しているのが我が家ではあたりまえでした」。Kさんも「我が家の子どもたちはフツーなんだ。おかしくないんだ」と親の会に参加すると気づくと言います。
Nさんも、「不安になった姉娘のこと、その経験を活かして妹のバイトは不安がない」と言います。Mさんも、「会報を読み返して、息子のあれが心配、これが心配、と言ってきた自分を発見した」と言います。


初めて参加した頃、不安で恐怖だったあのとき、でもこうして会に参加し、体験し、他の人の話から、会報から教訓を共有していくことで、「問題があるとしたら、それは子どもにではなく、わが子が心配だと不安になっていた親のほうにあり、親がそうした考え方を変えることができたら明るくなれる」ということがわかっていくのですね。


9月例会が台風で中止になったために開催された臨時例会。
とってもいい会でした。


<目次>

1 娘が「高校辞めてゆっくりしたから、幸せです」と  Gさん(母)
2 今年中学を卒業した息子、今、ゲームに夢中です  Kさん(母)
3 息子の状態はあたりまえ  Mさん(父)
4 自分の辛さを初めてあらしたわが子  Iさん(母)
5 親の私が不安だったのね  Nさん(母)
6 私にはかけがえのない家族がいます  Jさん(母)
7 人生は一度きり  Uさん(父)




娘が「高校辞めてゆっくりしたから、幸せです」とGさん
(母)

―――
突然ですがあなたの文章をご紹介していいですか?


福岡を中心に妊婦さんたちを支援する助産師の会で、「何もしないほど妊婦さんは自ら気づいて動く」ということを言っている会です。親の会と共通するところがあってそこに感銘したんですが、何か書いてくださいと言われたので、「不登校のことを書いてみようかな」と木藤さんに相談したら、是非、とおっしゃったので書きました。


―――
いつからお仕事をしていらっしゃるのですか?


まだバイトで健康診断などに行ったりしていて、1月頃からと思っているんです。 


―――
こうしてあなたが、お仕事に復帰できるようになるまでになったのですね。今、宮崎に新しいお家を建てて、ご家族三人仲良く幸せな日々を過ごしていらっしゃる。今朝は8時半に出てこられたそうです。


では、Gさんがお書きになった文章を紹介します。


こんにちは、Gです。専業主婦となって早18年。毎日があたりまえのように流れて、日々感謝することを忘れていました。子どもは生きているだけで幸せというあの出産時の喜びもすっかり忘れてしまって…。


高校入学時より、「受験時の学校説明会での話と全然違う。」と学校への不信感を抱きながらも、高校生活を一生懸命乗りきろうとしていました。とうとう、高校2年生の新学期2日目の朝、制服は着てても居間のソファから立とうとしません。手を引っぱっても断固として動きません。


「どうしても学校へ行けない。校門をくぐろうとすると胸が苦しくなって足が前へ動かない。」と泣きながら訴えます。


私は、学校神話に囚われたうえに、世間体ばかり気になり、いろいろと手段を講じましたが(今考えると人間性を無視したひどい事ばかりしていました。)、どうしてもだめでした。親が手を貸して指導すればするほど、笑顔がなくなり、会話が少なくなり、食欲がなくなり、人がこわくなって電話や外にも出なくなり、昼夜逆転してテレビゲーム、まんがばかり…。


どこに相談しても、親の育て方が悪い、あなたの性格がそうだから登校拒否になってしまったなどと言われて、私自身どうにかなってしまいそうでした。


そんな時、ある一冊の本から、「登校拒否を考える親、市民の会(鹿児島)」との偶然の出会い。そこで初めて、最初から最後まで否定される事なく聞いてもらえる幸せを知りました。そして、「登校拒否は病気じゃないの。登校拒否という道を選んだ子どもさんは、自分の意志を貫いてすごいことじゃない。新しい生き方のひとつなのよ。」と言われて、心が救われ軽くなっていきました。


その親の会で「何もしないことが一番大事」、親は手を貸さず、何も言わず、放っておくこと、生まれた時のことを思い出してみることなど、いろんな事を学びながら、家族の方の生の話を聞かせてもらったり、自分の話をしていくうちに、だんだんと子どもの状況が見えてくるようになってくると、私自身の子育てや人生、物の見方が変わってきました。


ただ生きているだけで幸せ、生まれてくれてありがとうと心から思えるようになり、愛しくて、可愛くてたまらなくなりました。


 (中略)


私達も家に子どもが居るのが当たり前のようになってきて、子どももゆっくりと自分の時間を過ごしたのか、いつの間にか目標を見つけて動き出しました。


ただ私達は見守り支援することしかできませんが、『今』を大切に生きていこうと思います。
 (「フムフムボイス」2006年7月発行)



 (読み終わって、大きな拍手)


―――
突然のお願いにもかかわらず、すばらしい体験談を紹介してくださり、大変ありがとうございました。


娘はこの前、高卒認定試験に通りました。予備校に通いながら大学受験に向けて勉強しています。今は自分で起きて、自分で勉強していますので、変わってきたなというのを感じます。高校に行かなくなったのが2年前で、辞めたのが1年前ですね。


最初は社宅の4階でしたので、下の階の人が気になってトイレの水も流せずカーテンも締め切って、昼夜逆転で、夜にちょっと外に出るという感じでした。電話もコンセントを抜いていました。


―――
どうかなったんじゃないかと思われたでしょう?


思いました。それで相談に行くと、「あなたの子育てが悪いから」と言われ、ものすごくショックでした。あちこち病院も行きました。鹿屋の不登校の受入れ施設に夫婦で行ったり、いろんなところに参加し相談しました。でもいつも「親が悪い」と言われて、立ち直れない状態でした。最初の頃は夫婦でお互いに「あなたが悪い」と喧嘩していました。夫婦の関係も最初は悪く、夫も仕事を辞めたいという感じでしたので、「あ〜、うちはどうなるんだろう」と思っていました。


それまでは、話している途中で「それはおかしい」と必ず言われていたんですけど、この会を知って、内沢さんや木藤さんにお会いした時、ずっと話を聞いて下さるので、そんな風に聞いてもらったのは初めてでした。そして「大変でしたね、よく頑張りましたね」と言われただけで、聞いてもらえたという幸せで、それがうれしかったです。


心療内科では統合失調症と診断され、「半年も動かないのは異常です。このままではずっとそうなってしまう」と言われました。それで「娘に薬を飲ませようと思う」と言ったとき、内沢さんたちに「異常ではありませんよ」と言われて、その言葉ですごく救われました。その頃はあちこちで、不登校の子どもが親を殺めたり、いろいろあった時期だったので、子どもが怖いという感じになっていました。でも娘は親を責めたりするとかそんなことは全然なかったです。


―――
あなたが登校拒否は異常じゃないんだとだんだん分かって安心してきたら、娘さんも変わってこられたんですね。(はい)ご夫婦仲も良くなって、あなたの夫もお仕事を辞められて・・・。


そうですね。毎日魚釣りに行ったりして充実しています(笑)


―――
あの頃仕事で悩んでいましたものね。ゆっくりと休むことは、子どもにとっても大人にとっても、とても大切なことだということですね。そろそろ仕事をしたらなんて焦りはないですか?


それはないです。夫が仕事に悩んでいたことは娘の不登校と同じですものね。だから私はすんなりと受け入れることが出来ました。私は何かを探すんじゃないかなと思っています。食欲もあるし、以前に比べると楽しそうです。


娘の行っている予備校は不登校の子がほとんどですので、学校を中退した理由を聞いたりして、いろんな人がいるんだと勉強になっているみたいです。


先日、三者面談があり、先生は「高校辞めてからもっと早く来ていたら、いい大学に通るかも」とおっしゃったんですけど、娘は「いいえ、私はあの時辞めてゆっくりしたから、これでいいと思います。いろんな人に出会えて幸せです」と言いました。それを聞いて私は「よかったな」と思いました。


私もこの会に来て、以前助産師で働いていたときに妊婦さんのあるがままを受け入れて、もっと優しく「頑張りましたね」、と褒めて接していればよかったなと反省しました。(笑)




今年中学校を卒業した息子、今ゲームに夢中ですKさん(母)


今年の3月中学を卒業した息子です。今家にいます。あまり変わりばえないです(笑)。息子はゲームばかりしています。夫と見ていて「エーっ、これ、いつまで続くんだろうか」、と思うときがあるんです(笑)。


今はもうゆっくり好きなことをしてそれしかないなと思っているんですけど、あの姿を見るとやっぱり「あ〜」と思うんですよ。まだ1年もならないんですけど、いつまで待てばいいのか、と頭をよぎっちゃって…(笑)。


―――
「よぎる」程度になってよかったですね。以前よりあなたの不安が小さくなって、安心感の方が大きくなってきたのかなと思います。


それがあったりなかったり(笑)、それの繰り返しです。


―――
でも息子さんはゲームをして幸せそうにしているんでしょう?


そうですね。でも最近は目が悪くなって、時計の針が見えないと言って…。


―――
ゲームをしても全然おかしいことじゃないですから。


でしょうか? ゲーム依存症とかありますよ。それにならないのかなあと思ったりして。


―――
マスコミにあおられて不安になりますよね。依存症とか言われるとね。何かに夢中になるという状態をすぐ否定的にそういいますね。依存症になったことないですか? 


私なんかいろんなことに依存症になって、鉢植えのお花にものすごく夢中になって、狭いベランダにどれだけ鉢植えをいっぱいにしたかわからないですよ。アレは「鉢植え依存症」と言うのかなあ(笑)。今はもう全くですけどね。人はいろんなことに興味を持っていいし、また変わっていっていいんです。


ゲームをしていることは問題じゃないんですね。好きなだけゲームをさせてあげて、心から可愛がってあげてください。



 でも、先のことを考えると…あ〜〜(笑)


―――
息子さんが中学で不登校になった時と比べて、Kさんの不安は今はずっと小さくなっていますよ。あの時は学校に行かせようとしてすごく不安だったでしょう。(そうでしたね。昼夜逆転して起きているのが心配で気になって、「早く寝なさい」と言っていましたよね)
でも、この会に参加されている子どもさんのほとんどが昼夜逆転だと知って、安心されたでしょう。


それが一番安心しました。


―――
今の子どものあるがままの状態を受入れられるのは親なんですね。親しかできない。周りは「ゲームばかりして、大丈夫なの?」と無責任に言うんですね。


「それでいいの? 早くお父さんが仕事に連れて行けば」などいろいろ言われます。でも、親の会の考えは世間の常識とは違うし、息子の状態を見ていても仕事ができる状態ではないと思うので、今のままでいいかなあと思っています。


―――
今のままでいいんです。息子さんが元気で生きている、それだけでとってもすばらしいことなんですね。


私の夫は今日この会に来れなかったんです。去年の9月30日に心筋梗塞で倒れたんです。病院で倒れたから命が助かりました。あれから1年経って、二人で北海道に住む84歳の夫の母のもとに里帰りしました。そして帰ってきて、翌々日39度6分の熱を出して、1年前手術のとき静脈を取り出した足の付け根から足先まで、真っ赤に腫れあがって、そして血尿が出てしまったんです。


私は、神様がきっと、「あるがままでいいんだよ」って、再び私に言ってくれたんだなと思います。人さまにはそう言っている私が実は、夫の生活スタイルとか、そういうことをだんだん言うようになった。そういうことを反省しなさいって、言われているんだなって思いました。ちょうど1年前「生きているだけでいい」と泣きながら神様に祈ったのにね。「あるがままを」と言っているわりには、この私がそうしていなかったな、と反省するための病気じゃないかな、と思うんです。


だから、「生きている」ということだけで、どれだけすばらしいか、家族が生きている、わが子が生きているということがどんなに素晴らしいことか、私はほんとに多くの皆さんに支えて頂いて教えてもらったと思います。




息子の状態はあたりまえ  Mさん(父)



19歳の息子です。中3の6月頃から、朝になると「頭が痛い、具合が悪い」と言い、学校に行かなくなりました。担任が家まで来てくれたりもしたので、私は妻と話し合って「1学期は何とか頑張って行かせよう。朝はたたき起こして、車で送ってでもいいから行かせよう」と決めました。


しかし息子は行ったり行かなかったりで夏休みに入りました。夏休みのうちに気持ちが変わってくれることを期待していたので、2学期の始業式に行ったときはすごく嬉しかったです。(笑) ちゃんと学生服を着て行ったので嬉しかったけど、次の日から行かなくなりました。(笑)


私は夏休み中もいろいろ考えて、もし2学期も行けないようだったら無理に学校に行かせるのはやめようと考えていましたので、息子に「学校に行けないのだったら無理に行きなさいとは言わない。また行きたくなった時に行けばいい」と話しました。


そして妻には、「今、不登校の子ども達がいろいろ事件を起こしているが、西鉄バスジャック事件の少年のようになる可能性がうちの息子にもある。だからそうならないように自分たちはしっかり見ていないといけない」というようなことを話しました。


息子は翌朝からガラッと代わり、いつもより早起きをして、とても元気になりました。
高校は専願で私立高校へ入学しましたが、2日行ったきりでした。出席日数が足りず、2年へ進級できないのはわかっていましたので親子で相談して退学しました。


それからもう4年経ちました。息子は今でも家でずっとゲームをしています。中学校時代のことを思い出すと、妻に「家中のテレビをなくす。隣の祖母のところにゲーム機やテレビを移動して、家の中を息子にとってつまらない環境にする」(笑)と言ったりもしました。実行はしませんでしたけどね。


それもいつかは飽きるときが来ると思っています。違うところに興味が出てくるだろうし、それはいつになるか分かりませんけれど、いつかは来るだろうなと思っています。もし一生涯息子がゲームに熱心だったとしたら、それはなかなか執着力があり、長所だなと思います。(笑) 


―――
ご自身が一番不安なときはいつ頃でしたか。


高校を辞めようかと相談していた頃です。やはり一番心配したのは仕事に就く時に「履歴書」が必要なんではないかということです。学校を退学してしまうとそれがなくなるわけです。私自身が不安になりました。


しかしそんなことは関係ないかなと、この会にはHPを見て参加しましたが、親の会に参加していく中で少しずつ自分で気づいていきました。この会で皆さんのお話を聞き、「社会復帰」という考え方がおかしいし、息子はいつか自分の人生を歩いて行くだろう、と思えるようになりました。


私は今あまり息子に関心がなくなりました。自分のことで精一杯なんですが、今朝息子は自分の部屋の掃除とピアノの掃除をしたらしく、妻がそのことを報告してね、と言っていました。(笑い)


―――
関心がないということはとてもいいことですね。我が子のそのままを受け入れているということですものね。息子さんはこういう点が不安なんだとは、お父さんにおっしゃいませんか。


そういうことは言いませんね。僕は息子に何も言わないで来ましたが、1ヶ月前に1つだけ言いました。僕は医療関係の仕事をしていますが、「視能訓練士」という目の検査をする仕事があって、あまり知られていないけれど、病院にとってはとっても欲しい人材なんですよ。だから息子に「その資格を取っておくと病院からは引っ張りだこだよ。インターネットでも検索できる」と言ってメモにも書きましたが、息子は見ていませんでした。(笑)


息子はその時「へえ、引く手あまたの職業っていいね」と感想を言ってました。しかしそのまま何もしていません。


―――
息子さんはお父さんに合わせてくれたんですね。(笑)


そうなんですよ。今まではそんなことを言わないように気をつけていたけれど、「言ってもいいかな。そういう自分もありかな」とも思えるようになりました。(笑)


―――
不安がないからそんなことを言えるようになったんですね。よかったですね。Kさん、19歳でもゲームをしているから大丈夫ですよ。あなたの息子さんは16歳だから、まだ3年ありますね。(笑い)





自分の辛さを初めてあらした娘  I さん(母)



―――
I さんは夫を9年前に亡くされて、娘さんと二人暮らしなんですね。娘さんの不登校は夫を失ったときの辛さと同じくらいの辛さとおっしゃっていましたね。


娘は高1の昨年11月から完全に行かなくなりました。1年前はメロメロ、ボロボロでした。


しかしこの会のHPをいっぱい読んで参加するようになり変わりました。それまでは、どうしたら行けるようになるか、そればかりを考えて、そんな会を探していましたが、どうやっても娘は行きませんでした。この会へ参加して「行かない選択もある」ということを知りました。


将来のことも不安だし、今も不安はありますが、それでも娘に「行かなくていいよ」と言ったときの喜んだ顔が今でも忘れられません。パーっと血の気が娘の顔に戻って来ました。


ここでいっぱい皆さんの体験を聞き、勉強させてもらったお陰です。


―――
いつぐらいに「行かなくていいよ」と言えましたか?


11月の中旬でした。年が明けて3月には退学届けを出しました。ここで学び、娘のやりたいようにさせようと思っても、それでもいつになったら動き出してくれるのだろうと思う自分がいて苦しかったです。


でも辞めるくらい嫌な学校にまたいつ戻ってくれるのだろうか、と思っている自分はなんて諦めが悪いのだろうと考えたら、それから少し気持ちが楽になってきました。


以前から娘はバイトをしたいと言っていましたが、私は「別に働かなくてもいいんだよ」とずっと言っていました。今月に入って娘は求人情報誌を見て電話をし面接を受けに行きました。


ところが、9月13日の朝、「お母さん、私はうつ病かもしれない。以前より悪くなっている」と言い出したんです。8月にも一度インターネットを見て「自分はうつ病だ」と言ったことがありました。


私は「お母さんから見て普通だし、違うんじゃない」と言いました。今回も私は少しドキッとしましたが、娘の様子は私の目から見て、いたって普通でしたので「普通だと思うよ」と言ったら、娘は「お母さんは、全然分ってない」と泣きながら朝ごはんを食べていました。


親の会の資料を少しでも読んでくれたらいいなあと思って机の上に置き仕事に出かけたのですが、帰宅してみるとビリビリに破っていました。求人情報誌も部屋中に散乱していました。「ああ、娘は辛いのだな」と思ったら私も辛くなって(涙ぐむ)、娘が辛いと自分も辛くなって・・・(涙)


でも親の会で勉強して、安易に精神科に行き、薬を飲むのはいけないと分っているので、そうだなと思う反面、大人でも病院へ行くのにどうして子どもはいけないんだろうか、とちょっと思いました。


私もそのHPでうつ病のチェックシートをやってみましたが、「そんな状態が2週間続く」とあったので、これは全然違うと自分なりに納得して少し落ち着きました。


翌朝仕事に行く前に娘に「ドーナツでも買ってこようか」と言ったら、「ドーナツくらい自分でも買ってくる」と言ったので(笑)、ああ、ちょっと元気だなと思って。帰宅してみるとドーナツがあり、「お母さんの分も買ってきたよ」と言われました。まあそれで少し元気になりました。


―――
あなたの分もドーナツを買ってきてくれて、それを見たらとても嬉しかったでしょう。(はい) 精神科へ連れて行かないとだめじゃないかと自分を追い詰めていたわけでしょう。たった一言の「ドーナツ買って来たよ」に救われたのですね。良かったですね。


精神科へ行かなくて良かったと思いました。HPでその後の皆さんの体験を見て、全然状況は違うのですけど、初めて子どもから不安をぶつけられた方の経験が分りました。自分は見ているようで全然分っていなくて、自分のこととしてHPの体験を見ていなかったなと気づきました。


―――
HPはとても力になりますね。娘さんが親の会の会報をビリビリ破ったり、求人情報誌を部屋中に散乱させていたのは、「お母さん、私はこんなに苦しいんだよ」という気持ちをあなたに見せたかったのでしょう。親なればこそ、あなたに苦しさを見せたわけでしょう。


娘は今までそういう激しさを見せることは一切なかったものですから、私も少し動揺してしまって。


先週の水曜日、娘が自分で髪を切っていました。途中部屋でシクシク泣いていましたので、きっとうまくカットできなかったんだなと思っていたら、お風呂から上がって泣き笑いみたいにして娘が「お母さん、こんなに短くなっちゃった」と言いました。でも、すごく似合っていたんです。「上手に切れたね」と褒めてあげましたが、「しばらくは外出しない」と言いました。(笑)


―――
昨年11月、とっても不安だった頃のあなたと今のあなたとでは、娘さんの目から見て確実に違うと思います。すごく大変な思いをされてきたけれど、あなたはあなたのお母さんに打ち明けられることができて、お母さんもお孫さんのことを「そうだったの、偉かったのね」と言ってくれたりして、あなたのお気持ちが安定してきた状態を娘さんは見ているのですね。


「私のお母さんを信頼していいんだ」ときっと感じています。そういうお母さんだからこそ、部屋を散乱させたりしたんですね。娘さんがそういうことをしてくれて良かったなと思います。信頼されている証拠ですものね。


そういう状態を異常視して、第三者へ委ね治療や矯正してもらった方がいいんじゃないかと思いがちですけれど、親を信頼していることがドーナツの一言で分るでしょう。すごくいい体験をされましたね。
(はい)





親の私が不安だったのね  Nさん(母)


21歳と18歳の二人の娘が家にいます。長女は中学校から、次女は小5から不登校です。


我が家は病気のネコがきっかけで家を建てることになりました。夫と、私と娘達の考えが違って、夫とまた3対1になってしまったりもしたんですが、なんとかネコと一緒に快適に過ごせる家が今年中に完成する予定です。


次女は姉を見ていましたので、そんなに追い詰められることなく学校を休むことができました。最近家にいることがつまらなくなってきたようで、外に出たときには求人情報誌を取ってきて、「どういうところでバイトしたらいいかな」と言ってます。


以前長女がバイトをした時には、私は娘が焦っていることが分かり、どうしよう、どうしようと私のほうが不安でたまりませんでした。


次女を見ていると無理していないということが分かります。長女がバイトに行っていた頃は雨の日も風の日も自転車に乗って坂道をこぎ、必死でやっていたんですが、それを下の子は見ていたわけで、「私はそんなバカなことはしない。私がバイトをするためにはまず原付バイクの免許を取ってからにする」と言っています。


そして祖父に「こんなふうにバイトをしようと思っているんだけれど、そのためには交通手段としてバイクがあった方がいいと思っているの。でも今うちは家を建てているから、払えないだろうなー」と話すと、祖父が「それじゃ、買ってあげるから」という話をしているんです。(笑)


長女は妹が原付免許の問題集を勉強していれば、問題を出してあげたり、バイト先についても相談にのっています。長女もいつか働きたいという希望はあるようですが、今は家事を手伝うと言っています。小さな焦りはあるようですが、以前のような大きな焦りはなくなっています。


―――
娘さんたちが動き出すことに、もう不安はありませんか?


上の子の時と違って、バイクを運転するということで事故などの不安はありますが、だからと言って下の娘が焦っていないかといったらそうではなくて、焦りもあって動き出そうとしているのかもしれませんが、もしそうならやめるだろうなあと思っています。長女のときのことがすごく勉強になりました。


―――
子どもが焦るのはいいんです。親が焦るのが問題なんです。お姉ちゃんのときと今と比べて、親の見方が違うわけですね。心の余裕ができてきてそれはすごいことですね。


長女さんは生きる時間に限りがあると言って、自分を否定し、ものすごく焦ってアルバイトを始めたのでしたね。引きこもっていて動き出す力もないのにね。そのとき親も不安が大きくなってしまった、あの体験は貴重でしたね。それがよかったと今思われるでしょう。(はい)


いろいろあっても家族4人で新築の家に住めるという幸せは以前は考えられなかったでことしょう。何年もたくさんの時間を積み重ねてきたから良かったんですね。





私にはかけがえのない家族がいます  Jさん(母)



―――
まいちゃんは中学の時にいじめにあって、高校1年の7月に退学したんですね。


娘は5月からアルバイトを始めて、まだ辞めないで働いています。娘は結構生活を楽しんでいます。


先月、夫から娘の携帯にメールが入りました。私は別居して3年になりますが、生活費は夫の給料全額が私が持っている通帳に入ってきていました。夫は、「3年間も音沙汰のない妻に全額給料を渡して、そこから自分の生活費をもらうなんてバカじゃないか」と人から言われたらしく、「自分が管理する」という内容でした。


9月の給料日に銀行で確かめたら入金はゼロでした。自分の家族のことよりも、人から言われたことでそうするということに、私はなんて人だと怒りがわきました。そして今まで人に電話をする元気もなかったのに、Oさんや木藤さんに電話をかけました。すごい怒りがこみ上げてきてすぐにでも離婚してやるぞ、という気持ちになりました。


家の住宅ローンは昨年の12月に終わったんですが、住宅ローンを組む時に私は独身時代の貯金を出したり、共働きだったので繰り上げ返済したり、私の退職金も使ったりしていたんです。本当に今でも怒りがあって夜も眠れないんです。布団をバンバンたたいていたら子ども達がびっくりして、私の話を聞いてくれました。


許せないのは、子ども達の生活費までも全く入れていないことです。来年4月に離婚後の年金分配が出来るようになるので、絶対に離婚するという決心です。


―――
婚姻費用の分担も求めたらいいですね。


それも請求しようと思っています。


―――
それがいいきっかけとなって良かったじゃないですか。恐怖の対象から離れないとあなた自身の不安はなくなっていきませんね。


モラルハラスメントの本に、夫とは直接交渉してはいけないと書いてあって、それはすごく参考になりました。だから私は代理人を通してやっていこうと思っています。


本当に怖いんです。怖いという気持ちが結婚した頃は分からなかったんです。感情が鈍磨してしまっていたんですね。


―――
別居してからも辛かったですよね。


はい、3年かかってやっとです。


―――
時間が必要ということですね。気持ちがすっかり疲れてしまって、親の会に出るエネルギーもなくなってしまったとおっしゃってましたね。


二人の子ども達がいてすごく助かりました。本当に親の会に出会えて良かったと思います。この会がなかったら、こんなに辛抱強くやってこれなかったと思います。


―――
自己否定するということがどんなに辛いかということがよくわかるでしょう。


はい、よくわかります。本当に自分のことを否定していましたよね。自分という存在に全く自信がなくて、本当は外に出て行きたくないんだけれど、毎日子ども達の幼稚園の送り迎えをして、やっと生きている感じでした。(―――
良かったですね


娘はお兄ちゃんみたいに父親から危害をこうむっていないので、前に別居した時もお父さんが一人でさびしいだろうねと言って慰めたりしていました。私は「あなた達が父親として尊敬したいという気持ちがあるだろうに、それをも踏みにじられたことが辛いし、そういう人と結婚した自分のために、あなたたちに苦しい思いをさせていることが辛い」と言って、夜中に子ども達と話しました。


そしたら子ども達は「お母さんは悪くない」と言ってくれましたが、自分の結婚が子ども達を苦しめる結果になってかわいそうだなと思います。(涙)


―――
そんなことはないですよ。まいちゃんだって、お兄ちゃんだって、そんなことは思っていないよね。お父さんとお母さんが離婚するのは夫婦の問題なんだけれど、子どもはそれ以上にたくましく冷静に見ていますし、お母さんを支える力を持っています。信頼してくださいね。お兄ちゃんはお父さんから殴られたりして、許せないと思っているけれど、ちゃんと自分の中で清算しているものね。


最近、親を殺したりする事件が多いですよね。息子が「あのまま一緒に住んでいたら俺もやっていただろう」と言ったんです。「良かったね、そういうことにならなくて」と言いました。


―――
あなたは子ども達に支えられているでしょう。生きる力って一人ではできないんですよね。家族があってこそ生きる力が湧いてくるんですね。


7月の親の会で、まいちゃんが家族に支えられていると、とってもいいお話をしてくれました。そこにいることで癒される、それが家族だと思うんですね。


せっかく今あなたに力が湧いてきたんですから、自分の生きる力と家族を守るために一生懸命闘えばいいんです。闘うと決心したんでしょう。
(はい)


それだけあなたはエネルギーが貯まったんだということですね。私たちも支援します。必ずいい方向に行きますから。




人生は一度きり  Uさん
(父)



私も親の会に出会って13年になります。昨年妻が亡くなってから1度きりの人生だという思いがあって、子ども達もそれぞれの人生だから思いきり生きて欲しいと思っています。


日常、ちょっとしたことで子ども達とけんかしたりします。先月は、結婚した24歳の長女と言い合いになって、「何のために親の会に行ってるの! 勉強が足りないよ」と言われて・・・


―――
なかなか鋭いですね。(笑)


下の息子にもひと月前に言われました。自分が仕事でイライラして、仕事場から居間に降りていくと、いつまでも子どもがテレビのサッカーを見ていて、「いい加減に寝なさい」と言ってしまい、子どもは「いいじゃん」と言い、言い合いになり「お父さん、親の会に行ってる意味ないじゃん!」と言われて、二の句が告げなかったんです(笑)。


最近は子ども部屋がどうなっていようが、子どもの状態がどうだろうとあんまり立ち入らないようにしています。子どもも自分の人生だから、親が必要で親を頼って来たら別ですが。まあまあ下の子もしっかり成長してるなと思いました。


話は違いますが、長女が電話で「お父さんは今、何してる?」と言うので、「家で仕事中だ」と言うと、「振り込め詐欺の変な電話がかかってきた」と言うんです。内容は「お父さんが交通事故を起こしたので、200万円振り込まないと刑務所行きだ」と言うんです。


娘は相手に「そんなことした父が悪いのだから、処刑してください」(大笑)、と言って、2度目の電話では「父はここにいます」と言ったら電話が切れたそうです。


―――
さすがEriちゃん、なまじ苦労はしてないね。処刑してくださいとはね。(大笑)


今年2月、私の49歳の誕生日に子ども達は50歳だと勘違いしてプレゼントをたくさんくれました。「失敗した」と言いながら来年はほんとの50歳だから、みんなでお金を出し合って旅行に行こうということになりました。たぶん半分は私が払う羽目になると思います。(笑)


我が家の子ども達は3人とも不登校で、今24歳の娘は中学からほとんど行かず、2番目の娘は途中から行ったりもしましたが、今は郵便局で働いていて、今18歳の3番目の男の子は学校に行ったのが5、6年生と中1で、3年の2学期に高校に行きたいからと行きだして、高校に入学しましたが、ご多分に漏れず1年の7月からパタッと行かなくなりました。いろいろ相談して早く高校の退学願いを出して、そのままにしていたら、自分で通信制高校の手続きをして今行っています。


―――
あなたは由貴代さんを亡くして、ひとりで二人の子どもさんと一緒に生活しているんですよね。最初はお父さんが一生懸命やらなくてはという感じでしたが、今は少し手抜きもできていますか?


はい、最近はキュウリを刻むのも上手になって(笑)。先日は妻の書いたノートがでてきて、昔の子どもや私の記録を見て懐かしく思い出され、我が家の歴史を感じました。


―――
いろんな人生があるけど、いろんな思いをしながらね。由貴代さんの分まで命を大切にしてね。



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