登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話
   

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体験談

2006年8月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.125より


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から、いくつかの記事をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→




会報は元気のみなもと


2006年7月例会報告



 例会のとき「娘が不登校になって、いままでの人生で一番勉強しました」とIさん。お電話をして、さらに伺いました。「娘の不登校は、夫が病気で亡くなった時とは比べることはできないけれど、同じように苦しいものでした」。胸が熱くなりました。はじめのうちは辛いものですね。しかし、親の会に参加するたびに、「このままでいいんだな」と納得していったそうです。「命あればこそ、こうして今のおだやかな生活に幸せを感じることができます」。電話でのお話を加筆しました。



 Hさんも、会報やHPの記事をノートしながら勉強したそうです。「読むとすばらしい解答が載っています」と言います。会を呼びかけた長谷川さんは、「例会に参加して学び、後から会報を読んで学ぶ。そして自分のものにしていく」と話しました。Oさんは、自身が引きこもっていたときでも、例会だけは欠かさず参加し、「親の会は元気の源」と言います。二人の息子さんのことはまったく心配していません。彼女の辛かった時期を知っているだけに「たいしたものだなあ」と感慨を深くしました。



 このように、毎月の例会や会報、HPは、わが子の不登校や引きこもりが「じつは明るい話だったんだ」と気がつき、親が自分の人生を幸せに生きていくうえで、とても大事な宝物のようになっているということですね。しかし、「辛くて会報を読めない」という話も出されました。そんなときは、「ねばならない」と自分を責めるのではなく、「あるがままの自分を認める」ことが大事ですね。「辛く、苦しく、悲しいことだって、そのことを素直に自分が受け入れることができたとき、力に変わっていく」と内沢達は話しました。



 自分の親や夫の親との関係についても深まりました。「自分を大切にする」ことは「相手を尊重する」ことにもつながっています。介護のありようも共通するテーマです。



 まいさんは、「高校に行ったことも、辞めたことも、なんでも自分で決めたことってうれしい」と。子どものことでは「親は何もしない」ことの大切さを指摘しています。



 お一人おひとりの話は「扉の言葉」では言い尽くせません。是非お読みください。

(以上、会報「扉の言葉」より)



(目次)

1 不登校が私の原点  あいみさん

2 会報とHPは素晴らしい答えがいっぱい!  H さん

3 いままでで一番勉強しました  I さん

4 「自分さえガマン」から「自分こそ大切に」へ  T さん

5 「不登校と同じ。自分を責めなくていいんだ!」  K さん

6 「もう22歳」ではなく、「まだ22歳」なんだよ  O さん

7 ドキドキもするけれど、自分で決めたことってうれしい
  まいさん(17歳)


8 辛いときほど、辛さをとことん受け入れる  内沢達





―――
(内沢朋子)(世話人):ここ数日来大雨が続き、昨日鹿児島県北部地方が大きな水害に見舞われました。このため参加できない方もいらっしゃいますが、不幸中の幸いというか会員の皆さんは全員被害もなくホッとしました。この災害で亡くなられた方がいらして、ほんとに胸が痛みます。



 ものごとを考えるときの優先順位について、復習しておきます。


(以下、1〜4を板書)

1 学校に行くか行かないか

2 勉強をするかしないか

3 元気かどうか

4 命がある。生きている。


 わが子が不登校になるとこの順番で考えがちですね。


 最初は「学校に行ってほしい」(1番)と思います。次に行かなくても家で「勉強して欲しい」(2番)と思います。しかし、勉強はそう簡単にできるものではありません。


 それでも元気だったらいいのですが、だんだん元気もなくなっていきます。子どもは自分の辛さを家庭内暴力や引きこもり、脅迫行動や過食・拒食、また自傷行為といった形で表します。


 そこで勉強なんかしなくたっていいから「元気であればいい」(3番)と思います。最後は、たとえ元気がなくても「命があればいい」(4番)と考えるのね。



 優先順位は「命がある」というのが一番ですね。
 上から下へではなく、下から上へ、4,3,2,1の順番で考えることが大事なんですね。
 このことは夫が大学の前期の最後の授業で話したんです。
 それで、大事なことなので、皆さんにもお伝えします。



(1〜4の番号はつけていませんが、「ことわざ・格言と登校拒否、引きこもり」の中の「3束縛によって得られる自由もある」に、その詳しい説明があります。「ものごとを考えるときの原理・原則にも優先順位がある」という話です。ご覧ください。)






不登校が私の原点
  あいみさん



―――
山口良治さんのカキコミを紹介します。あいみさんが旅立つんですね。しっかりと自分と向き合った引きこもりの時間を肯定した時、旅立ちがとても素敵に自然に出来るんですね。


山口さんは、ぼっけもんさんのハンドルネームでいつも素適な写真を親の会HPに送ってきてくださっています。朝早くに鹿児島市内を出て大口の職場に通う毎日を何年間も続けられました。いつも朝焼けの、素晴らしい桜島の写真を載せていただきました。
そして、いい原稿、ありがとうございました
(拍手)。


(親の会HP掲示板から)


旅立ち?巣立ち


画像以外!初めての書き込みです


早いもので、この鹿児島の親の会に来るようになって約7年経過したのかな〜と今思い返しています。


当時男性は、僕1人って言う状況でしたけれど!


高校一年の娘が「拒食から登校拒否そして過食」と、今思えばよくそんな状況を乗り越えるというか、過ごせたな〜という思いです。


この親の会に出会っていなければ、未だに出口のないトンネルの暗闇の中でさまよっていただろうと想像すると「ぞ〜とします。」


親の会に出ること、参加することで自分の重荷を軽くできたり、洗い流せたり


知らず知らずのうちに「何も問題ない!心配要らないと」感じることが出来てきたんだろうと思います。


ともちゃん、たっちゃんをはじめ親の会を支えていただいている方々に本当に感謝です。


両親との同居の中での登校拒否や過食は、娘にとっても僕にとっても地獄だったことを思い出します。


そんなときに、娘と二人だけで生活することを勧められて、現在の住まいに引越し、その途中で荷物運びの軽トラックが高速で炎上!


波乱の幕開けだったけれど、結局は親子の平穏の始まりだった。


少しずつ、薄皮をはがすようにいつしか元気が出てきて、拒食・過食や登校拒否が何の問題もないと感じて、そのことを本当に意識しなくなってから僕自身が元気になり、娘はその上を行く元気さで親の会に参加して、その中でまたいろんなことを感じて成長したと思います。


娘にいろんな意味で教えられ、そのことを喜びに感じることが出来て、親子の仲は人のうらやむほどの仲になりました。(もともと仲は良かったけれど!)


よくぞ、僕の娘として生まれてくれたと感謝しています。


その娘が、いよいよ鹿児島を離れて博多へ行くことになり今月の末に引越しです。


ともちゃんがオロオロした、玲子ちゃんのタイ行きの時の気持ちが理解できる現状になって、はじめて寂しさと不安が頭をあげてきました。


いよいよ!!!あと数日で旅立ち


あれこれ心配しても仕方ない!!!心配しないで信頼する


親の会の教えです。「うん」心配は片隅に追いやって信頼して送り出します。


(2006・7・20)




@山口良治さん:(涙)実家を離れて7年ですねえ。


(―――
「学校に行かないのはいいんです。過食、拒食だけを治したいんです」と言って病院に予約して、ベッドが空きましたという前に、はじめてお会いしたんですね


 思い返すと、私のお袋といろいろあったのが一番辛かったですね。


―――
あなたの文章の中に「よくぞ、僕の娘として生まれてくれたと感謝しています」とありますが、こういう出会いがなかったら、あいみさんがこういう問題提起をしてくれなかったかもしれませんね。(そうねえ)(涙)(笑)


 
感極まって涙が先になり、お話ができないようですね。
あいみさんどう? 7年間になるのね。去年からアルバイトをしているのね。




@あいみさん:お父さんに寂しいと言われると、すごい寂しくなってきて、すごい不安になってくる。


私は今、プロダクションに入ってモデルをやったり、いろんなことを福岡でやっているのね。



今でも私は何がしたいって分からないんだけれど、すごく思うのは、今まで自分が経験してきたこと、不登校したり拒食をしたり、その7年間を活かせる場所を見つけたいなと思って、それを正直に相手にぶつけたときに、「それならここはそういう経験が一番活かせる場所だと思うよ」って言われたので、「頑張ってみようかな、やってみたいな」と思ったのね。



それで、鹿児島から通ったらすごく大変だよ、と言われたこともあって福岡に行こうと思ったんです。それをしながらアルバイトもしようかなと思っているの。部屋も借りました。



―――
あいみさんも「自分のことが大好き?」と聞くと、「大好き !」と言えるようになってきましたね。自分のことを受け入れられるようになってきました。
辛いときとか困ったなと思ったときは、ほんとは自分のことを好きじゃなくなっているのよね。


これからもいろいろ不安になったときや自信がなくなったときは、「私は、今自分のことを好きだと思っていないんだな」ということなんですね。


親の会の一番大事なことは「自分のことが一番好きだな」ということなのね。「嫌なところも、自分は欠点だなと思っているところも、それも全部ひっくるめて、一人の大事な命なんだ」と、いつもいつもそう思って下さいね。


あいみさんは親の会に最初は来れなかったけれども、だんだん来ようかなって思って、会場の入り口まで来るようになったのね。
(うん) 親の会に出会って大きな力になりましたか。



 自分を大事にするというのはすごく大切なことだって、この会で勉強したことだと思うし、一生続くものだと思っていたので、お父さんの文章を読んだときに嫌だったのは、旅立ちとか巣立ちとかそういう言葉は私は嫌い。


昔辛くて悲しかったときの私と今の自分も変わらない感じで自分も見ていたいし、お父さんにも見ていってもらいたい、そういう一区切りみたいな区切りをつけて欲しくないなと思う。



―――
お父さんは、ただ寂しいだけなの。お父さんは昔あなたが辛かったときも今も、あなたのことをいつも愛しているよと言っていました。あなたがいつも言っていた「私はただお父さんに愛してもらいたいだけなの」ということは変わらないから。(私も寂しい。だから、寂しいって言われるとほんとに寂しくなってしまう) 一卵性親子みたいに仲良しだものね(笑)。



 自分の中で不安が大きくて、バイトを始めたときもそうだったし、いろいろ始めるときにすごい不安になって、やってみてなんでもなかったなというのを何回か繰り返して分かっているんだけど、やっぱり飛び込むまではすごく不安なのね。



 でも違うなって思うのは、前の自分だったら絶対やっていないなというのが分かるのね。出来ないときには私は何にも出来なかったし、出来ることしかやってないなというのが自分の経験の中で分かっているから、今の私はそこが違うなって思う。よかったなってすごく思う。



―――
親の会でパワーがいっぱい貯まったんですね。そういう不安というのは、引きこもっている、いないに関係なく、誰でも持っているのね。(うん、そうだと思う)


 
旅立ちという言葉は決して嫌な言葉じゃないのよ。そういういっぱい不安を持っているけれども、ちゃんと自分で受け止める力が出来た不安ということですね。


そして生きている限り、いろんな不安を持ち、いろんなことがあるかもしれない、でもそのときには自分を大切にしようと思う力がちゃんとあるところが以前と違うんだと思います。親の会であいみさんが自分の思いをたくさん話してくれたことで、私たちもすごく勉強になりましたよ。




この前、久しぶりに夏合宿の時のビデオをみました。自分のところはあまりに痛々しすぎて見れなかったけれど、S君の話を聞いていて、「僕はずっと不登校でいたい。自分にうそをつかないということが僕の不登校だから」と言っていたのね。


私もそうだなと思ったの。私も不登校の私でいたい、なぜかといったら、そこでやっと私を見つけられたという気がするし、大事なものをたくさんもらったなと思うの。



―――
そこが原点だということは素晴らしいですね。
今日は、命があればというお話で、鹿児島でも何人もの方が水害で亡くなられました。ほんとに命があれば素敵な人生が送れるんだと私は思うんです。






会報とHPは素晴らしい答えがいっぱい!
  H さん



―――
先月はおいでにならなかったHさんいかがですか。先々月は中学卒業した息子さんが建築のお仕事をはじめて、お母さんが朝の4時半に起きて、おにぎりを作ったというお話でしたね。それはどこまで続きました?



@Hさん(母):それは1日でした(笑)。その後は私は全然ノータッチになったので、いつ行って、いつ帰ってきたのか分からないです。私の気持ちがすっかり離れていきました。(―――
それはよかったですね) 



 海外に行っている娘と息子がチャットをしていて、ちょっと過去のものを見ていたら、「こういう仕事があるよ」と、娘がアドバイスをしていました。息子は「それもやった。これもやった。でも、人間関係が大変」などと姉にはよく話しているんです。いろんな仕事に行って体験をしているみたいです。



―――
あんなに息子さんに関わっていたのに、気持ちが離れたのはどうしてですか?



 今は息子に関心が全然ないですね。今、私は、何か自分探しをしてみようと思って、いろんな講座を聞きに行ったり、本を読んだり、良いものを見たり聞いたりしています。



 私は会報が届くとマーカーを引いて繰り返し読んで勉強しています。例会でお話を聞いているときは耳と頭では分かっても、ハートではまだ分かっていないと思うからです。



 HPに掲載されている過去5年間の親の会の会報も全部読み、大事なところをノートに記録しました。



 会報やHPにはすばらしい解答がたくさん載っていますね。また例会に参加することで夫婦や家族について考えることができ、それは私自身の生き方を考えることに繋がっています。(―――
それはすごい力になりますね



 だから、全然子どものことは気にならなくなりました。15周年記念誌も良かったですね。芹沢俊介さんや東京シュ―レの本、渡辺位さんの本を片っ端から読んでノートをとっています。



 私は、自分の人生が大事、自分を高めたいと思うようになりました。昨日は芹沢さんの本『引きこもるという情熱』に「モンタナの風に吹かれて」の映画を紹介してあったので、それを観ました。とても素敵でした。「幸せは自分の心の中にある」ということですね。



―――
そうでしたね。あの馬が傷ついて引きこもっているとき、「いつまでこの馬は引きこもるんですか」と飼い主が聞いた時に、「それは自分が決めるんです」と言っていましたが、あれは一番大事な言葉ですよね。



 その子をどうしよう、どうしようじゃなくて、その子を信頼していけば必ず子どもは自分で決めていくんですね。自分で決める力は何かというと、親は何もしないことですね。子どもを信頼して一緒に住むことを大事にすることですよね。




 そうですね、全然期待をしなくなりますよね。以前子どもが荒れている頃は、夫婦仲も悪くてお互いがお互いのせいにして、すごく悪い状態でした。どっちがどっちということもなくお互いに悪い影響を与え合っていましたね。



@Hさん(父):前はもうワイワイしていましたが、今はシーンとしていますね。(大笑)



―――
それはもう、家に帰りがいがあるでしょう。



(父):そうですね。平日は分からないですけど、土、日、家にいると子どもも8時か9時には起きて一緒に過ごすようになりましたね。



―――
会報はほんとうに力を入れているんですよ。全国各地でも25家族の方を含め100家族が会報を読んでくださっています。それが力になっていると反響を頂くんです。
 それを読まれて力にしてご夫婦仲もよくなってほんとによかったですね。息子さんのおかげですね。
(そうですよね)



 
私も、達ちゃんが心筋梗塞の病気をして、医者から五分五分ですと言われた時には、皆さんに支えていただいて、辛い思いもしたけれど、ほんとによかったと思っているんです。それ以前と今とでは夫婦仲もすごく良くなっているの。(かけがえのない相手ですよねえ)



 
そうです、かけがえのない相手です。かけがえでない方もいらっしゃるんですが(笑い)、この会に参加されると、自分を大事にしていくということが相手を大事にするということに気がついていくんですね。困難だと思うことがあって、それがきっかけで自分の人生を見つめなおしていくことが出来る、家族の関係もよくなっていくんですね。いいお話をありがとうございました。





いままでの人生で一番勉強しました  I さん




―――
ご主人様がお亡くなりになって、おひとりで16歳の娘さんを育てていらっしゃるんですね。



@I さん:娘は高校1年の、昨年11月ぐらいからすっかり行かなくなり、本人は12月には辞めようと、気持ちの中では思っていたようなんです。担任からは転学を薦められたんですが、娘は「やっぱり辞める、ほかの学校にも行かない」と言って、今年2月に退学して今家にいます。1日を24時間じゃなく30何時間サイクルで生活してマイペースでやっています。



 夫が亡くなって今年で丸9年になります。私も、娘が学校に行かなくなって、自分の人生で一番勉強しました。



夫が亡くなった時の辛さ、苦しさと、娘が不登校になって悲しそうにしている姿を見た時の辛さは比べることは出来ないにしても、私にとっては同じように苦しいものでした。



 初めのうちは何とかして行かせようと必死でした。でも私の不安はどんどん増していくばかりでした。そんな時にこの会のHPに出会いました。HPを読んでいくうちに、私は安心して、救われていきました。HPがきっかけで例会に参加するようになって、初めて参加した昨年の11月の頃はボロボロの状態でしたが、HPとあわせて毎月送られてくる会報も2度ほど読み返して安心していきました。



 経験した人の話はとても貴重です。不安になった時、HPや会報の体験談を読み直して、これでいいんだなと確認していきました。またHPにあるお薦めの書籍の渡辺位さんの本などを図書館からいっぱい借りて読み、大事なところはノートをとって勉強しました。最愛の娘に幸せになって欲しい、と願い、今その通りになりました。そして私自身も娘との落ち着いた生活に心から幸せを感じています。



 ―――
ご心配なことはなくなりましたか?



 もう今は娘の人生だからと思うようになりました。


 最近ちょっとうれしかったことがありました。娘からは学校を辞めたことを誰にも言わないでと頼まれていたので、私もずっと黙っていたんです。



 ゴールデンウイークに私の妹家族が帰ってきて、一緒に食事をしたんです。そのとき娘に「文系なの、理系なの」と聞いてきたんです。娘はもう辞めていましたので、相当こたえたらしくて、帰りに「ほんとは皆に言わないといけないんだろうな」と言って、「でも、言ってしまったら、私は誰にも会いたくないだろうなあ、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんや叔母さんが遊びに来ても会わないと思う」と言いました。でも、私から言って欲しいという気持ちがあったんです。私もそのときにどう言っていいのか分からなくて、ずっと私の母にも秘密にしていました。



 でも、ふと言おうかなという気持ちになって、母に「娘は学校に行っていないんだよ」ということを言って、この親の会の資料を渡しました。母も初めて聞いて「そうだったのね」と、それほどコメントもなくびっくりしていました。それから暫くして、娘は一緒ではなかったのですが、私が母と食事に行ったとき、母が娘のことを「強いんだね、普通だったらみんなと同じでいることが安心で、そこから外れたくないと思うのに、強いね」と言ってくれたんです。



―――
それはよかったですね。ホッとしたでしょう。それまで言わないといけないと心の負担になっていたでしょう。



 私もうれしかったです。丸ごと分かってもらえて、母は「大変だったね」とも言ってくれました。


 娘にそのことを言ったら、娘はポーカーフェイスで、さっと自分の部屋に入っていきましたが、鼻をかむ音がしていましたので、うれしかったんだろうと思います。



―――
それはとても良かったですね。あなたが娘さんを心から信頼しておられることが娘さんに伝わっていることがよく分かります。



 学校に行っていたときは、娘を一人前にするのが親の務めだと思って、「ああさせなければ、こうさせなければならない」など、いろいろ考えていたんですけれど、今はすごく楽になったなあと思います。全部娘に任せて、朝もお弁当を作らなくていいし(笑)。



―――
そう、そう。「全部娘に任せて」という言葉はとても大切ですね。そうやって娘さんがお母さんから信頼されているということを受け止めたら、自分をちゃんと認めていきますよね。毎日を大切に生きている幸せが伝わってきます。よいお話をありがとうございました。






「自分さえガマン」から「自分こそ大切に」へ  Tさん




@18歳の息子は、1年半以上食事を拒否していましたが、親の会のお陰で、今、本当に良かったです。



 昔から信頼し相談にのって頂いていた小児科の先生からは、「もう、医者のアドバイスを聞かないのだから」と冷たくあしらわれていました。



 「もう、いい」と思う反面、「今度、息子が倒れたら、どこへ行けばいいのかしら」と思っていましたけれど、親の会でいろんな方の経験を聞かせてもらって、その時はその時、と親の会を信じて腹をくくったら、息子が変わって、食事も普通に摂れる様になりました。



 息子は時々1日に1食のときもありますけど、ほとんど食べるようになったら、すごく生き生きしています。



 息子の心配が一段落したら、以前から心配していた実母との関わりで悩んでいます。私は今、夫と離婚して母と実家で暮らしています。13年前に父が急死して、私の体調がおかしくなったこともあり、その時から実家に家族で同居しました。私は母を大切にして何でもしたいと思っていたのですが、息子3人との間でとても気を遣ってきました。



 私は兄弟姉妹で1番年下です。兄姉がみんな県外に住んでいるので、お盆やお正月には家族中で母の元へ帰省してきました。そんな時、皆によくしてあげたいと思う反面、自分さえ我慢すればうまくいくと思って、自分を押さえていました。



 長男が不登校になったときも、「伯父さん、伯母さんには挨拶だけはしてね」と強要し、私の兄姉からは、不登校の長男のことを帰省した度ごとに言われてましたから、帰った後は荒れて揉めて大変でした。



 親の会で、子ども達まで親戚づきあいや法事に無理矢理出席させなくてもいいと分りましたので、だいぶ楽にはなってきましたが「もう、我慢できない」と言っています。



 息子たちは、帰省してきた私の兄姉の食事の世話を一手に私が引き受けてやっているのを見て、「やり過ぎだ」と言って、昨年あたりから「家を出よう」と言っていました。私がひとりで何もかも背負っているのが、子ども達には不満なんです。私の兄姉達にも「自分たちの苦労を分ってほしいし、もっと気づかってほしい」と言っています。



 それで、その練習の意味もあって、先日、初めて母を残して、私と息子たちが旅行に行きました。



 2泊3日でその間は初めての経験でとても楽しかったのですけれど、母をひとり残してきたことが、やはりひっかかっていました。帰ってみると、84歳の母が「保険証がなくなった。○○がなくなった」と言って探していました。



 おまけに母は姉に「自分は危篤状態だ」と電話して、姉はすっ飛んで帰ってきました。姉も本来は優しい人なんですが、母の言葉をまともにとって、帰ってきたときはとても怖い顔で私をにらみつけました。私たちが3日留守にしたので、母は不安になって置き場所を変え、それをすっかり忘れてしまったんだと思います。少しずつ物忘れが多くなってきているので、このままだと少し不安になります。母はきちんとした性格で、しっかりした一面もあります。ですから余計周りから言われると傷つくかもしれません。



 今年のお盆には姉が次男にも帰ってくるように言ってくれたので兄姉で話し合えると思います。



 今回初めて自分も働いていて大変なんだということを兄姉に言えました。私は経済的援助はしてもらっていないけれど、実家へ家賃も入れずに生活しているので、兄姉は私がいい思いをしていると思っていたようです。



 元夫は長男だったけれど、私の実家で生活しました。母は夫への文句を私に言うので、私は夫に「こうして、ああして」と言って、母と夫の板バサミで気を遣い大変でした。



 ここで学ぶようになって自分を大切にすることや、子どもを大切にすることが分かるようになりました。きっとここに来ていなかったら自分さえ我慢すればいいと思っていたと思います。ずっと相談したかったけれど、誰にも言えず、一人で悩んでいました。ここで話をすることが出来てよかったです。




@K子さん(世話人):
子どもさんたちはあなたとお祖母ちゃんとの暮らしだけだったら、そう思わなくても、実家というか、あなたの兄姉達がしょっちゅう出入りするのが負担なんでしょう。あなたが世話をしたり、自分たちもいろいろ挨拶させられたりと、積もりに積もったものがあるのでしょうね。



 私も立場は違いますが、いろんなことを経験しました。夫の両親を在宅で9年間介護し、今は義父を近くの老健施設にお願いして、週2,3日通う日々がもう5年過ぎ、計14年介護しています。夫の姉も2人いるのですが、一人は遠方でしたし、一人はフルタイムで働いたので、どうしても私の肩に介護や種々のことがのしかかってきました。



 私は親の会のスタッフやボランティア活動で忙しくしていましたが、世間では“長男の嫁”として私をみているだろうと、私自身も自分さえ我慢すればうまくいくと思ってずっとやってきました。



 昼間は家政婦さんにお願いし、夕方5時になると舅の家へ泊まりに行き、舅を介護していました。昼夜逆転して徘徊、妄想、暴言などがあり毎日とても大変でした。



 前半は姑の介護もあって、中高生の娘二人を置いて、毎日泊まり込んで、今、思い返しても、我ながら良くやったなあと思っています。



 その時は必死でしたので、内沢さんや友人たちからおかしいよと散々言われて、「うん、もうしない」と言うのですが、結局また泊まりに行き、元の木阿弥でした(笑)。世間体を気にして「いいお嫁さん」というものに捉われ過ぎていたんだと思います。



 ついに5年前に夫が長距離通勤しながらの介護で倒れて入院し、私も身体に変調をきたしました。そこで初めて舅を在宅で看るのは、もう限界だと悟ったのです。お陰で今はすごく楽になり、楽しく生活しています。



 その頃、達さんの楽しい授業を受けた中で特に心に残った格言が2つありました。ひとつは「他人の評価の影におびえない」です。他人の評価を気にして決断できなかったんですね。自分を大切にしてこなかったなあと気付きました。もうひとつは、「いい加減はよい加減」です。自分を大切にするということは、ひいては自分の家族も大切にするということですよね。親の会で毎回言われても、いざ自分の問題になると分からなくなるのです。



 私も娘二人から、「お母さんは私たちのことより、じいちゃん、ばあちゃんだよね」、「どうして嫁のお母さんがひとりで介護しないといけないの? 実の娘の伯母さん達も交代で泊って看るべきだ、おかしい」とよく言われていました。



 娘たちを大切にしてこなかったということはないけれど、その時期、もっと豊かに娘たちとの時間を過ごせばよかったなあという後悔は少しあります。その時期というのはその時しかないのですね。



 Tさんがお母さんを大切にしたいという気持ちも大切だけど、84歳のお母さんは食事も作り、家計簿や日記もつけたりとしっかりされているし、私の実母も84歳でひとりで生活できているから、ひとりで生活できないということではないですよね。



 親子の情のこともあるけど、息子さんたちが水入らずで生活したいと言い、お母さんもあなた達の幸せのためにそうしていいとおっしゃるのなら、そういう生活をされるのもいいと思いますよ。




@A子さん(世話人):
うちの場合は夫の父が私たちの結婚4年後に亡くなりました。今から20年前のことです。それからは今福岡で一人暮らしをしている姑とは毎年お正月を挟んで4,5ヶ月一緒に暮らすようになったんです。



 私はその時30歳を過ぎたばかりで、子どもは3歳と2歳でした。夫の母はその時60歳だったんですが、家事一切を私がしました。私もまだ若く、母も夫を亡くした直後でさびしいのだろう、私が頑張れば私のこともわかってもらえるだろうと思って一生懸命でした。



 でも私は小さな子ども二人を抱えて大変なわけです。当然私のストレス、不満は夫に向けられ、夫婦のケンカは母が原因となっていきました。母が帰ると家族の生活となり平穏になるのですが、12月くらいになるとまたお正月がやってくるなあと思うとイライラしてきましたね。そんなくり返しが17年続きました。



 2002年の夏合宿の後、母が病気で倒れ鹿児島で入院生活を送りました。母の状態を考えるともう一人暮らしは無理なのではないかと思い、いろいろ考えましたが、私たちの生活を一番に考えて、夫は「一緒には住めないよ」と率直に母に言いました。そして鹿児島のケアハウスなどを見学しました。



 母は「もう一度福岡へ帰って一人でやってみたい。それが無理ならケアハウスも考える」ということで帰って行きました。それから3年経ちますが、ヘルパーさんの力をかりながら元気に生活しています。



 御兄姉でお母さんをどういうふうに見ていくか、よく話し合われたらいいのではと思います。



―――(内沢達):「何で登校拒否の会なのに介護の交流をしなきゃならないの?」と思われるかもしれませんが、とても大事なことです。原理は全て同じなんです。相手が小さい子どもであれ、若者であれ、高齢者であれ、「本当に相手を気遣うとはどういうことか」が問われています。


 お年寄りも独立して自分のペースで毎日暮らしている。そのお年寄りを一人の人間として尊重することが大切なんです。息子であれ娘であれ、子どもたちは無理のない、やれる範囲でやったらいいのです。共通するテーマは皆同じです。本当に相手を尊重する、子どもを尊重する、お年寄りを尊重するとはどういうことか。


 変な気遣いは自分が無理をしています。無理な気遣いは続かないし、気遣いされるほうにもよくないということですね。






「不登校と同じ、自分を責めなくていいんだ!」  Kさん



@私は今、夫の両親とは付き合っていません。夫の姉妹とは夫は付き合っていますが、私は息子のことをいろいろ言われて、あまり付き合いたくないし姉達が怖いです。



 玲子ちゃんが引きこもっていた時に人が怖いと言っていましたよね。私は全部は怖くなかったけれど、夫の身内はすごく怖かったです。夫の姉から時々荷物が届きますけれど、私は一切ノータッチで夫が姉に電話をします。



 今は以前に比べると夫の母や姉達の影は薄くなりましたが、頭の片隅にその時の恐怖がこびりついていて、時々夢にまで出てきます。



 ここに来る前は、寝る時に夫の身内に冠婚葬祭があったらどうしようと先の不安ばかりを考えていました。今はもうそういうものには「行きたくないなあ、ダス(愛犬)と将太さえいればもういい」という気持ちです。(笑)



―――
今はもう不安はなくなりました?



 親の会で話すまでは夫の身内に対して、すごく悪いことをしたと思っていました。
 嫁としてするべきこともせずいるのに、夫から離婚もされずにいると思ったら、自分が悪いこと(夫が両親と義絶したこと)をさせたと自分を責めていました。



 福岡時代は余計に夢を見たし、自分さえ我慢していたらこんなふうにはならなかったのにと思って。楽になったけれど心から楽にはなっていませんでした。



 鹿児島に引っ越して、親の会へ来るようになってから、皆さんのお話を聞いて「ああ、ここは自分と一緒だな」と重なる部分がいっぱいありました。



 私は夫や夫の身内に対してすごく悪いことをしたと思っていたけれど、見方を変えたら自分を大切にしてきた選択肢であり、不登校の子が学校が怖いというのと一緒だと思いました。



 私だけではなかったと思ったら、自分が頑張って頑張って、ある日プツンと切れたのは不登校と同じと分かり(涙ぐむ)、・・・



 すごく心が軽くなりました。夫の身内と付き合わなくなっても、やはり心は辛かったけれど、ここで初めてそんなに自分を責めなくてもいいんだと分かりました。



 この会へ来るようになって5年ですけれど、不登校のことは勿論のこと、自分の生活のことも軽くなって、イライラすることもあるけれど、今本当に家族でいることが幸せで、毎日親子ゲンカもするけれど、一緒に生活できるだけで幸せです。






「もう22歳」ではなく、「まだ22歳」なんだよ  Oさん




―――
あなたは4月に離婚が成立してやっと安心されたんだけれど、色々な手続きを元夫が進めてくれないので、また不安になってしまったのね。



 今までも、いつも嫌な予感がして問い詰めるとお金を借りたりしていたことがあったので、今度もさっさと手続きを進めてくれないので、せっかく離婚して不安がなくなったはずなのに、きつかったですね。でもまだ手続きは済んでいないんですけれど、ちょっと見通しが出てきました。



―――
26歳の次男さんは大学に行っていないんですね。あなたとずっと口を利かないんですって?



 はい、もうずっと口を利いていません。裁判の頃はちょっと心配して弁護士を頼んだほうがいいと言ってくれたりしたんですが、裁判が終わったくらいから態度がきつくなって、口を利かなくなりました。



―――
父親が大学に行け行けと言うので、次男さんは仕事を辞めて休んでいた大学にまた行くようにしたんだけれど、行っていないんですね。



 もう行かないのかなと思っているとひょこっと行っているみたいで、私は早く辞めてほしいと思っているんです。でも近頃は気持ちの上では穏やかになってきているようです。



 怒っている様子が見えても私に対して怒っているのではなく、思い通りに行かない自分に対するモヤモヤで怒っていることが分かったので、これはもう放っておくしかないなと思って知らん顔でいます。



―――
知らん顔していたら穏やかになってきた。(はい) それに対する不安はなかったですか? 



 それは全然なかったですね。私に対して怒っていることは絶対にないと思ったし、それこそやっと夫から解放されたのに今度は息子から圧力を受けるようなことにはなりたくない、それに腫れ物に触るようなことも絶対したくないから、放っておきました。



 22歳の三男は通信制の開陽高校に行っています。今スクーリングが休みでバイトを始めたのですが、夜のバイトなので朝5時頃帰ってきて昼の2,3時に起きています。用事があって部屋に行くと本を読んだり何かやっていますので、それも放っています。



 三男が高校に行く日と私が車を使う日が一緒になっても、私は譲りません。そこまでする必要はないと思うし、行きたいのなら歩いてでも行きなさいという感じです。



―――
あなたの中で今まで人が怖かったり、不安だったりしていたことが薄らいでいる感じがしますか?(多分そうだと思います) 子ども達のことに構わないというのはとってもいいですね。



 でも次男も三男も「お母さんは親なんだから、子どもがちゃんと歩けるようにレールを敷くのが本当なんだよ」と言ったことがあるんですよ。(笑)



 「お母さんはそんなことをする気は全然ない。自分のことは自分で決めるのが一番いいと思っているよ。だから離婚調停でもあなた達の養育費が入ってくるように頑張ったの。お母さんはあなたたちにはゆっくりと考える時間をあげたいから」と話しました。



 息子は私とすれ違う時に「働け」と言うんですよ。「怖いとか言ってる場合か」って。(笑)



 腹が立ったから「お母さんが働いてないことで何か困ることがあるの」と聞いたら、「ない」って言うんです。「お母さんの傍にいて食べられなくなったらお父さんのところに行くって言っているんだから、いいんじゃないの」と言ったら、それからは何も言わなくなったんですけれど、もう一回小さい声で「働かないの」って言いました。(笑)



 三男は「もう22だ」と言うので、「まだ22でしょう。焦らなくてもいいんだよ」とそういう話はしています。



―――
そう、よかったですね。たいしたものですね。息子さんたちに対するお気持ちに不安がなく、心から信頼されて、それがとても自然になっていることが分かります。いいお話をありがとうございました。





ドキドキもするけれど、自分で決めたことってうれしい

 まいさん(17歳)




(不登校の中3の子が突然学校に「進路相談に行きたい」と言った話を受けて・・・)


@「皆に追いつきたい」という気持ちは分かる気がします。「私もちゃんとしているんだ」ということを証明できるのは高校に行くことで、それを成し遂げるためにはどんなことをしても高校に受かりたくて、でも疲れていて、何をしても落ち着かなくて、私も不安で焦っていました。



 高校に合格したときは認められた気がしてすごく嬉しかったです。私は学校には行っていなかったけれど、自分で勉強して受かったんだみたいな。だけど家庭教師を頼んでくれたのはお母さんだし、それでお母さんの期待も膨らんで、高校に合格したらお母さんはそこで周りの子どもと私が一緒になったと思ったと思います。



 私が高校に行き始めて、ほっとして、だけどだんだん私の気持ちは辛くなっていって、それをお母さんに話すことは以前は嫌だったけれど、その時はちゃんと言えました。すると今度はお母さんがイライラして、あれだけ勉強して受かったのに、もったいないという気持ちに二人ともなっていきました。



 こんなことのために私はあんなに時間を使って頑張っていたのかなと思ったりしました。



 結果的にものすごい親子喧嘩をして、でもそれまでのことがなかったらそのケンカは起こらなかったわけで、そのケンカがあったからお互いにまた分かり合えて、二人ともちゃんと前を見られるようになりました。



 お母さんは私に「あなた大変だったね」と言ってくれるし、私も素直に「ごめんね」と言える関係がだんだん出来てきたのはそこからでした。



 ―――
そうね。困ったときが絶好のチャンスでしたね



 Nさんの息子さんが「高校に行きたい」と思っていることは本当に行きたいと思っていると思うんです。それを誰かに「やめなさい」と言われるのも嫌だと思います。



 自分のしたい通りに突き進んでみないとわからない、「やめなさいと言われたからやめたんだよ」と後から言っても辛いものになってしまうから、一度自分がやりたいように、辛くてもいいから自分がやってみたらだんだんとわかってくると思う。



 ―――
自分で決めたことに対しては自分で責任を取れるよね



 それにドキドキもするけれど、自分で決めたことって嬉しい。自分で辛い思いも選んだみたいな。他人から傷つけられないように守ってもらったんじゃなくて、「自分で傷つく道を選んだんだ。だからいいんだ。やめたいときは自分で求めてやめたんだから」と思ったから、ホッとしました。



 ―――
お母さんといっぱいケンカもして、いっぱい泣いたりもしたけれど、自分に納得して、自分で決めたという考えは大切ですね。



 私は今バイトをしているんですが、私と同じ年でもうすでに子どもがいる先輩が私に対して強く言ってきます。初めはその通りにしていたんですが、だんだん仕事を覚えるに従って納得できないことが出てきました。それでその先輩に言い返していいんだろうか、断ってもいいんだろうかと思ったら、モヤモヤしてきました。そのことで一度他の人に相談したんです。



 「私が仕事が出来ないからそんなふうに言われるんだろうか」と言った時に、「いいや、自信を持っていいよ。本当にあなたは一生懸命やっているよ」と言ってくれ、「ああよかった」と、それが素直に私の心に入ってすごく嬉しいなと思いました。



 自分でもだんだん仕事が出来るようになってきていると思えたし、お客さんから「愛想がいいね」と言われると嬉しくて、仕事も楽しいから、まあいいかって思えるようになりました。



 私と同じ年の娘さんがいるおばさんから、「あなたはタイムマシンできたみたいだね」と言われたことがあるんです。「あなた本当に17歳?うちの娘とぜんぜん違う」とすごく年取っているように言われ、最初はエーッとショックですごく悲しかったんですが、「それくらい落ち着いているって意味だよ」って言われて、よかったと思ったんです。



 ショックでしたが見方をちょっと変えるだけでそうかと納得し、「まっ、いっか」となりました。自分が変われば人が言ったこともいい風に変わるんだなあと、色々学んでいる気がします。(笑)



 物事の見方を変える術が身についたかなと思います。ズキッてくることもあるけれど、だんだん強くなっているなって自分で分かります。おばあちゃんにも「あんたは強くなったね。私だったらそんな所にいられないよ」と言われました。でも結構働いている人たちは優しいし、楽にいれるんです。



 ―――
見方を変えることで、自分を否定しなくなるということですね。まいさんが先月お話してくれたこともとてもよかったですね。不登校を体験していろいろなことがあったけれど、自分のことを大好きと思えるようになったんですね。



 家族が、昔はあんなに言い合っても心が通じ合っていなくて、何か物を言えば空気が変わっていたのに、今は何も言わなくてもお互いがお互いを思っていて、「何かあったら言ってご覧」というような関係になっています。



 お母さんは「辛かったらいつでも辞めてもいいよ」と言ってくれて、おばあちゃんは「あんたは強くなったね」と言ってくれて、お兄ちゃんは私にとても優しくしてくれて、私はこんなに元気になったと思ったら、全部が嬉しくてたまりませんでした。(笑)



 ―――
辛いとき、困ったときは、本当に自分のことを大好きになっているかなと確認する絶好のチャンスなんだよね。すると、家族のありがたみが分かって、自分に自信を持って自分を信頼して責任を持って生きていけるのよね。


 今も辛いこともあるけれど、家族がいてくれたら、何を選ぶにしても自信がもてる、だから私は今いろんなことをやってみたいなと思ったりするんです。



 この間、私は上の人に「私はそろそろ辞めたいです」と言ったんです。その人のことで時間を無駄に過ごしているような気がしていたからです。当たり障りのないことを言って辞めようと思ったんですが、私が相談していた人から話を聞いていたみたいで、「相談してくれるのを待っていた。今は人が足りないので新しい人が育つまではいてもらうけれど、その後あなたが続けたいと思ったら続けてもいいし、辞めたいと思ったならそれでいいから」とやさしく言ってくれました。正直に話すことが出来たので良かったなと思っています。



 ―――
気を使わないで自分の気持ちを正直に言えた、家族とそんな風に心が通じ合えた。自分のことを大切に出来るようになった、何よりの証拠ですね。そして次第に不安がなくなってきたということですね。いいお話をありがとうございました。






辛いときほど、辛さをとことん受け入れる

内沢 達




(24歳の息子が毎日のように「死ぬ」と不安を訴える。お母さんが、怖くなって、親の会の会報も読めなくなった・・・という話を受けて)



―――(内沢 達) 昨年11月の親の会で、僕は「子どもは自分で解決していく力を持っている」という話をしています。その一例として息子さんのことも話しています。息子さんは「俺が不登校、引きこもりになって、良かったのはお前たちを幸せにしたくらいだ。あとは全部だめだ!」と言ったそうです。



 僕は退院後、お母さんから電話で聞いたのですが、そのときも、例会のときも「それは大したものだ」と言いました。自分のことを否定ばかりしているようでいて、じつは違う。両親が仲良くなってきたことをとても喜んでいて、そうなってくるうえで自分の存在や役割も小さくなかったと自己評価ができているからこそ言い得た言葉です。



 ところで、その頃息子さんはしょっちゅう「自分は生きていてもしようがない。死ぬ、死ぬ」と口走るようにもなっていました。それは、息子さんの本当の気持ちではなく、両親に自分を受けとめてもらいたいという甘えなのですが、100%軽視してかまわない言葉でもないんですね。



 僕はトモちゃんに言って「ご両親が息子さんの“死ぬ、死ぬ”という言葉にオロオロしているようでは、本当に死にかねないよ」と伝えてもらいました。昨年12月のことです。それでお母さんはショックを受けます。以来半年以上元気がありません。お父さんも妻を支えるのが精一杯で十分に元気だとは言えません。大雑把に言うとそのような経過がありました。



 僕の言い方とかトモちゃんの伝え方になにか問題があったのかもしれませんが、どうか物事を根本的に考えていただきたい。お母さんにしてみれば、「私って確かにオロオロしているしダメかもしれない。でも、内沢さんからそこまで言われなきゃいけないのかなー」という気持ちがあったと思います。



 でも、やっぱり言い方、言われ方の問題ではないと思います。



 会報に2ページ分も加筆した今日の僕の資料のタイトルがまさにポイントです。「“ダメな自分”も認められるようになると元気になる」。



 自分のいいところだけじゃなくて、「自分のこういうところは本当にダメだ!」というところも認められるようになることが大事です。オロオロしないでデンと構えていたい、シャキッとしていたい、けれどなかなかそうはなれない、そういう自分を認めてあげてください。



 息子さんは自己否定が強いので、不安がいっそう大きくなります。
 そういう自分自身の不安をそのまま認めてあげてください。「息子が死ぬかもしれない」となったら不安どころじゃないですね。恐怖でさえあります。そういう感覚、感情はもちろんおかしくありません。



 どうか「これじゃいけない」「デンと構えなければ・・・」といった「カクカク、シカジカあらねばならない」式の考え方はしないでください。



 そうすることが大事だと思っていても自然にはできないわけですから、そういう自分をそのまま認めてあげてください。トモちゃんが言ったように僕が書いたものや会報を読むとよくわかります。けれども「読まなくては・・・」と思っても読めないときは、無理して読まないで下さい。それが今の自分なのですから、その場合もそのままの自分を認めてあげてください。



 子どもであれ大人であれ、不安がいっぱいのときは不安いっぱいでかまいません。不安に思うのはおかしいということはありません。不安から逃げないで、不安にどっぷりつかってください。それこそ真の勇気です。



 僕は4年前に「ことわざ・格言と登校拒否、ひきこもり」という文章の「9 負けるが勝ち」の最後のほうに次のように書きました。




 
「“家から一歩も出られないような自分はおかしい”と自身を疑っているもう一人の自分と、“いや、そうでないかもしれない。引きこもりは大切なことかも・・・”と思う自分がいま闘っているのです。存分に引きこもり、闘ってもらったらよいのだと思います。励ましの言葉などは、いっさい無用です。親は子どもに対して、子どものことでは何もしないということが、何よりの信頼の証しで、じつは大変なことをなしたことになっています。することといえば、美味しいご飯を作ってあげれば、それで十分です。明るく、楽しいことだけが、我々に元気を与えてくれるわけではありません。辛く、苦しく、悲しいことだって、そのことを素直に自分が受け入れることができたとき、力に変わっていきます。」




 この最後の「辛く、苦しく、悲しいこと・・・」が今は大事なところです。



 明るく、楽しいことではないんですから「受け入れること」は本当に大変なことです。でも、辛く悲しいことも、いっぱい涙して受け入れたときに力に変わっていきます。4年前のこの文章には、作家・五木寛之さんの『大河の一滴』からの引用を続けました。



 
「喜ぶのと同じように、本当に悲しむことが大事なのです」



 「本当の悲しみを悲しむ、泣くべきときに泣く、心痛むべきときに心痛む、そのことで自分の〈体〉と〈心〉をいきいきと活性化していくことができる」



 「足もとに目を落としたとき、そこにくっきりとした濃い影が伸びていれば、自分が背後から強い光に照らされているということに気がつくでしょう。上を見ることだけが光を探す手段ではないのです。同じように、胸を張って遠くを見ることだけが希望を見つけることではない。悲しいときや辛いときには、うなだれて肩を落とす。深いため息をつく。そうすることによって、自分を照らす希望の光の存在を、影が教えてくれるということもまた、ありうるのではないでしょうか。」



 辛いとき、辛いとしか思えないときには、そりゃ大変です。ひょっとしたら我が子が死を選びかねない。それが絶対ないとは言い切れない。でもそうしたことをも受け入れて、もしそうなったらそのときは我が子の寿命だと、そこまで腹を決める。それは大変なことですけど、そういうことまで受け入れる。



 そういう影であったり、闇のようなことであったり、だけど、そうしたことをはっきり捉えたほうが光も見えてくるのではないでしょうか。光を追ってばかりいると、じつは光がさしこんできているのに気づかなかったり、何が明るさなのかもわからなくなったりします。辛く苦しいときにはそれをそのまま受け入れる。とことん受け入れる。するとそれが力になるんじゃないかと僕は思います。




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Last updated: 2006.9.11
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