登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2006年6月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.123


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から、いくつかの記事をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→




「解決の道」は自分のなかにある(その2

 2006年5月例会



 4月に続いて5月例会でも、「解決の道は自分のなかにある」という見方・考え方について、交流し深めあいました。


 まいさん(17歳)は、4月の例会でそのことに納得してとても心が軽くなったとメールを寄せてくれました。まいさんの了解を得て掲載します。


 Sさんは、子どもが荒い言葉でぶつかってきても、「心の中はそうではないんだ」とわかったとき、息子さんを信頼し、向き合うことができました。遠く千葉から参加したTさんは、「何か自分にとって困難なことがあっても、解決できないことなどないのだ」と思えるようになって、いつしか「今の自分がとっても好き」という時間が増えてきました。ジェリさんは「こんなにも人生が楽しいなんて!」、子どもたちのおかげで古い殻を破ることができた、と言います。


 過食と強迫行動で「死にたいほど」という娘さんの辛さを受け止めるBさんは、実に堂々としています。そして娘さんも「聞いてくれてありがとう」とお母さんに信頼を寄せています。Bさんの「わが子がかわいい。愛しい」「以前の辛かった日々を思えば、人はどう思おうが、今が十分に幸せ」という言葉は感動です。


 「いま思えば、体に激痛が襲ったのは不安だったんですね」。「その私を支えてくれたのは、とりわけ夫」と家族の愛を深く感じたMさん。


 夫との関係で自分の感情を殺し、ふたをしてきたというNさんは、親の会で涙があふれます。自分を大切にして生きたい、という思いがあふれてきたのですね。自分の人生の方向をいつも親に左右され、結婚生活でも自分を大切にできなかったというOさんの離婚体験は、いつからでも自分が、自分の人生の主人公として生きていくことができると教えてくれています。


 皆さんの体験は、自分のなかにこそ解決の道があることを示しています。「今」の状況を自身が肯定的な見方をしていくと違ってきます。貴重な体験から学んでいきましょう。




(目次)

1 こんなに気持ちが楽になったの!  まいさん

2 わが子の本当の気持ちが理解できるようになって  Sさん

3 大きな不安は身体までも壊していく  Mさん

4 私も本当に不安でした・・・、でも今はこんなに幸せ!  Kさん 

5 1年以上、自分の気持ちをていねいに書いて・・・  Tさん

6 親は子どもの人生を決めてはいけない  Oさん

7 子どもは、親の「期待」に応えようとする  Hさん

8 古い価値観を捨てられたのは子どもたちのおかげ  じぇりさん







こんなに気持ちが楽になったの!  まいさん



<まいさんからのメール>

 ともちゃん、こんにちは。
 暇なわりにしたいことがたくさんありすぎて一個一個やってみて毎日結構楽しくすごしてます。ただ、誰かにお父さんのことを話すたびに涙が出てきてしまってた。


 でも、今度の親の会(4月例会)で、「これさえ無ければ」ということは無いということを言ってたよね。あたしの場合お父さんさえ分かってくれれば、だったような気がするの。いつか分かってくれるだろうという期待が、あたしの中にあったから、こんなに悲しかったんだと思う。あたしが学校行かないからではなくて、もともとそういう人だからもう分かってもらう必要は無かったのにね。


 今度の親の会に来るまで、ずっとお父さんなんてひどいと思ってたけど、期待してた部分があたしの中にかなりあったことに気付けていなかったんだ。。人に期待して、人を変えるのって良くないことだったんだよね。あたしはあたしで自分の思うまま立派に生き抜いて見せていたら、どこかでお父さんは見ているはず。


 それをどう思うかはお父さん次第だけど…お父さんがどう思うにしろ、そのことであたしは悲しむ必要はないんだよね。そう思うと、あたしは本当に気持ちが楽になったの。きれいな花を見に行ったり、一緒に山を登ったり、お父さんが大好きだった思い出があるからこそ、悲しい気持ちはずっとずっと続いていたけど。。。それさえも無くそうとしなくていいんだって。。


 あたしのおばあちゃんはピカピカの一年生を見ると今でも悲しくなるんだって。なんだか以前はそれでおばあちゃんに自分が期待していた分「ごめんなさい」って思って、次に「どうして分かってくれないの」って思っていたのね。


 この間そのピカピカの一年生だとか卒業式の話になったときに、おばあちゃんが涙を浮かべながらそのことを話したのね。


 そのときにあたしは今までに無い気持ちになったの。おばあちゃんの人生の中で学校に行かない、何もしないことは不幸なことなんだよね。そのことであたしについて涙を流してくれるまでいつも考えてくれているんだって。そうすると、どれだけあたしのことを愛してくれているかってことに初めて気がついて、自分を否定する言葉なはずなのに、痛いほど嬉しくて。。おばあちゃんの生きてきた人生の中の範囲で、必死にあたしを愛していることをおばあちゃんは教えてくれていたんだと思ったの。。学校に行かないことを今まで見たことがないんだから、分からないの当たり前よね。


 なんだか何も気にしないでいいんだって思ったら、心が軽くなった。前も親の会で何も気にしなくていいんだよって言われて、何も思わないようにはなってたけど、こう、心からそう思ったって言うか。


 なんかありがとうって言いたくなったからメールしちゃいました。


(メールの紹介に大きな拍手)



―――
こんなふうに、親の会に参加していくと自分は変わることが出来る、けれども人を変えることはおせっかいなんだと、自分が変わればこんなに気持ちが楽になるんだということがよく分かる内容ですね。

親も子も今ある状態や周りの環境を変えれば楽になると考えてしまう。
強迫行動さえなければ、過食、拒食さえなければ、暴力があるからとか、私はわかっているんだけれど夫が…と思ったりします。
違うんですね。
自分の心の持ちようで十分に幸せになる、ということをまいさんは教えてくれているわけですね。とても大事なことに気づいていますね。



 まいさんは中学のときにいじめにあって、幻覚幻聴になったり非常に苦しく辛い状態だったんですね。不登校になって休んだかにみえて高校に行ったけれども続かなくて、1年の7月で辞めて1年経ったんですね。そして自然に自分のことを受け入れられるようになっていったのですね。



 2002年の全国合宿の記事をお母さんが見つけて、親の会のHPを真衣ちゃんが画面に出してあげたのね。最初は親の会にお母さんが参加して、次にあなたも親の会に参加するようになったんですね。どうして来ようかなと思ったの?



@まいさん:そのときは高校がきつくて、誰かに話を聞いて欲しくて、親の会の人たちの話はどんな話なのかなあという好奇心で来てみました。
そしたら、最初から私が別に悪いことはないと言われて、それまでいろいろHPで読んではいたけれど、親の会で、直接目を見て言葉を言われるとすごくホッとして、それからまた行きたいなと思って参加しています。



―――
先月の親の会のことを、私にメールしてくださったように、自分の気持ちが大事なんだと気がついたのね。


 お父さんが私のことを理解してくれないということがあってから、お父さんと話もしないで、メールの返事も打たないでいたんだけど、バイトをすることになって、銀行の通帳の身分証明に保険証がいるので、お父さんに会わないといけなくて、「バイトするんだよ」と自分でもスーッと言えたの。
一緒に住んでいるお母さんでさえたまに不安になったりするし、自分だってたまに不安になったりするのに、わからずやの彼が(笑い)、分かったりするのって無理だよなと思ったんです。



 お祖母ちゃんのことに対しても、私は「どうして分かんないの?」と思っていて、お祖母ちゃんも私に対して「どうしてそうなの」ときっと思っているのに、自分だけの気持ちを押し付けていて全然気づいていなかったけど、お祖母ちゃんを変えようとしていたなと思ったら、「あっ、そういうことはしてはいけないな」と思って。それにお祖母ちゃんが丸くおさまったとしたら、お祖母ちゃんじゃないような気がしたの。(笑い)


 なぜか自然にホッとしたというか…



―――
今、レストランでバイトをしているの。楽しい?


 うん、結構お茶碗を割ったりするんだけど(笑い)、「ごめんなさ〜い」と言うと、「私もかごごと割ったことあるよ」とか皆が言ってくれます。バイトを別に意気込んでやったわけじゃなくて、自然に始めていました。親の会でちゃんと嫌だったら辞めてもいいと逃げ道を教えてもらっているしね。







わが子の本当の気持ちが理解できるようになって Sさん



@(母):26歳の息子です。高1の6月くらいから全く行かなくなりました。その後大検を取り、通信制大学を卒業して、ヘルパー2級免許を取り、1級取得途中で前に進めなくなりました。1級の実習に行けなくなった時点で、夫が初めて「行っても行かなくてもどちらでもいいんだよ」と言いました。それ以降息子は気が楽になったのか、ヘルパーのことは全く言わなくなって、言わないどころか「ヘルパーは自分には向かなかった」と言いました。
私が今一番嬉しいことは、親の会に参加を渋っていた夫が、4月から一緒に参加してくれるようになったことです。



 先月もでしたが今月も、私と二人きりのとき、息子は不安を訴え続けます。
それを聞き流すようにするんですが、「早く言え、すぐ答えろ」と迫られると、何とか言わなければと焦りました。その内容は、「中学の頃に俺とちゃんと話をしなかった」とさかのぼって親を責め、「俺は人間不信だから仕事が出来ない。
ハローワークに行っても面接が出来ないのではないか」と言ったので、「あの頃は学校に行ける状態でもなかったし、怖くて会話が出来る状態でもなかった」と言いました。


息子は「あの時はひとりで悩んで、親が力になってくれなかった、そのときの責任を今現金で償って」と言うので、ここで教えてもらったことですが、「親としてはあのときには何も言えなかったけど、今は今の生活で十分だと思っているし、親の会でもあなたのことは間違いではなかったと、私たちは納得してるんだよ」と答えることができました。でも、息子の不安はあちこちから噴出してくるわけで、それを一つひとつ答えられないと、息子は全部メモして聞いてきてと言いました。



 それで、メモを持って内沢さん宅に行きました。先月も今月も内沢さんに、子どもが落ち着いているときは安心して、ちょっと子どもに言われると動揺し不安になってしまうと言われたんです。



 自宅に帰ると息子はどうだったかと聞くので、「子どもの相談事を親が代わって尋ねるのではなく、あなたが直接聞きにおいでと言われたよ」と言うと、「家まで上げてくれるようなそういう親切な人間がいるのか」と言うんです。


―――
簡単に言うと、息子さんが自分の不安をたくさん言って、中学時代に自分と向き合ってくれなかったのは親の責任だ、責任を取るためにお金を渡せということと、自分の疑問を内沢さんに聞いてきてくれ、ということなんです。それでご夫婦が我が家にいらしたんですね。


 私たちは「子どもの使いで親が来てはいけない」、「聞きたいんだったら自分で聞きなさい」と言いました。もちろんお二人には上がっていただいてお茶もお出しいたしました。(笑い)


 息子さんはいつもお母さんにそういうことを投げかけ、お母さんはあの時にはちゃんと答えられなかったと言われるので、私は「息子さんが荒れて、イライラしているときに、穏やかに話しましょうなんて通じませんよ」と、娘の例もたくさん出してお話しました。
お母さんが息子さんに「だって、あなたはあのとき暴力をふるっていたから怖くて話なんか出来なかったよ」とご自分の気持ちを正直に言われたことは、それには大きな花マルをつけましょう、大きな前進だねとお話しました。



(母):内沢さんから直接来なさいと言われたことなどを言うと、「そんな家まであげてくれるような親切な人はいない」と言うんです。
「あいつらは全然分かってない、人間不信の俺が行ける訳がない」と言った後に、「いやあの人たちは」と言葉の訂正がありました。(笑い)



 親の会の話をして、少し興味も持ってくれてよかったと思いました。息子からどんな話をしたのかと言われて、私がそれに答えようとしたら、夫がよけいなことを言わないほうがいいと言って、まだ息子が荒れないうちに、夕食がてら二人で出ようとするときに、息子が「何で出るんだ」と言ってきたので、怖くなってさっさと出てきました。


―――
いつも車の中には外泊用の道具を入れていて


 はい、その日の夜は帰らずに、車の中に泊まりました。



@(父):二人で夕食をしてくるからと玄関まで行ったら、息子が追っかけてきて私のむなぐらをつかんで、「自分と食事とどっちが大切か」と言い、私が黙っていると、「お前たちは信用できない」と言って台所に走っていきました。また何か手にとってくるんじゃないかと、これは大変だと思いすぐ出て行きました。その日は車泊で、(―――
軽自動車の中で?)はい、慣れていますから。(笑い)


(母):次の日夕方に帰りました。今までは帰るのが辛かったんですが、今回は夫の方から「よし、ただいまとわざと大きな声で帰ってみようか」と、夫が「ただいま」と玄関で大きな声で言い、私は「ただいまでござる」と後から入っていきました(笑い)。そしたら、いつもの夕食が始まったんです。



(父):その日の夕食は、息子が台所の続き部屋にいてパソコンをしながら食べて、私たちは居間で二人で食事をしていたら、台所から息子がヤクルトを投げてきました。照れくさいので投げて、これを飲めということなんです。



―――
ああ、なるほどね。やっぱり親子ですね


(母):そういうのは月に1回くらいはあるんです。いつもは優しく二人で旅行に行ったらとか、昨日の綾戸智絵のコンサートも勧めてくれたんです。



―――
息子さんに言われたり、命令されて行かれるんではなくて、お二人も行きたくて行かれるのでしょう。(そうです)


(母):息子が、連休は広島のお兄ちゃんの所に行ったらと言ったんですけれど、行きたいところがあると言って別なところに行きました。息子は喜んでいました。


―――
だから、息子さんの考えていることがわかりますでしょう。ただいまと帰っていったら、そのまま何事もなかったわけでしょう。息子さんはお父さんとお母さんが僕のところに帰って来てくれたというそれだけで嬉しい気持ちがあって、ヤクルトを投げてその気持ちを表現した、その気持ちが分かるでしょう。それで充分なんです。良かったですね。こうやってご夫婦で参加できて、あなたがひとりで辛い思いを抱えていたのが、ご夫婦でお話をすることで、あなたのお気持ちの中の不安がなくなっていくし、ご夫婦で力を合わせていくことができます。


 お母さんが、ゆっくりしなさい、ゆっくりしなさいと息子さんに言い続けているけれど、そういうふうに言うことで本人の自己否定は解けるものかどうか、そのことがお母さんが一番不安だということなんですね。


 親御さんが不安でたまらないのに、不安の気持ちで子どもさんに「ゆっくりしなさい、ゆっくりしなさい」と言っても伝わらない、Kさんも同じで、自分は自立してもらいたいと思っているのに、「ゆっくりしなさい」と言うのは子どもに伝わらないです(笑い)。我が子を信頼していないということなんです。


 ですから本当にいいんだよと、あなたがどういう人生を送ろうが、あなた自身が決めるんだよ、とそこの腹のくくり方が出来るかどうかです。あなた自身が決めることで、どんなに辛くても、お父さん、お母さんが決めることではない。
でも、そのバックにあなたを心から信頼し大切に思っている親がいるということが伝わるときに、子どもさんは安心して自分の人生を決めていけるんですね。
まいさんのメールにあるように、お祖母ちゃんの価値観と違うけれども、でも私はそういうお祖母ちゃんから愛されているという事が伝わる。それは感じることであって、議論しあうことではないんですね。そうやって家族の愛でわかりあっていくんですね。



(父):子どもが荒い言葉でぶつかってきたとき、今まではひるんでいたんですが、心の中ではそうではないんだということが少し分かって、(―――
激しく求めているんですね) はい、本心ではないということに気づき、少し余裕が出てきた感じです。


―――
まともに議論し合うから、売り言葉に買い言葉になってしまうんですね。暴力の時はお泊りコースでね、軽自動車でなくホテルとかね(笑い)。


 やっぱり、子どもを腫れ物扱いしたり、子どもの言いなりになったりというのはうまくいきません。車にしてもご両親が軽で、息子さんが普通車、ではダメです。小遣いも大幅にカットして、親がいま現在の自分のために使うといいですね。


 娘の玲子が引きこもっているときに、私が「ここの家は私たち親の家だから、老後はここを売って老人ホームに行く」と言うと、「私はどうするのよ」と言ったので、「そのときになったら自分で考えなさい」と言ったことがありました。(笑い)








大きな不安は身体までも壊していく  Mさん




―――
自分が不安なんですね。不安を理詰めで解決しようと思ってもそれは解決できないわけで、子どもの不安じゃなくて、「私の不安」をどうするかと考えていく大事なお話だったと思います。
 ここで、Mさんに不安だということに気がつかないで、大変な思いをしたというお話をしていただきましょうね。



 昨年の秋から、背中から脇腹にかけて痛くなって、次第に激しい痛みで耐えられない日々が続きました。


 私は、実の母、同居している夫の母、一人暮らしの叔母と3人の老人を抱えています。その叔母のところにも食事を届けたり、入院したら世話をしたり、毎日のように顔を出していて、それを大変と思っていませんでした。そんな時、三女の受験、長女が妊娠しつわりがひどくて帰ってくるということが重なったんです。



 でもそれも少しも大変だという思いはなく、どんどん私は動き回っていました。そんなときに脇腹が死ぬかと思うほど痛み出したんです。いろんな病院で検査をしてもどこも悪くないと言われ、モルヒネ一歩手前の強い痛み止め注射を打っても効き目がなく、注射の後遺症の吐き気とめまいに襲われながら、精神的にもどんどん不安が出てきて、私は死ぬかもしれないと、救急車の中で夫に遺言めいたことも伝えたりしました。それから2週間はずっとそんな思いをしたんですが、今はだんだんと痛みがとれてきています。



―――
本当のストレスは別なところにあったのね。亡くなられたお父さんに代わって管理している実家の山林を、土地の有力者がここは俺の山だと勝手に木を伐採したんです。それが解決してないんですね。


 もう、それはすごいストレスになりました。 


 話し合いも出来なく、終いにはあなたはそういうことを口に出すことすら怖くなって、その人が殺されて自分に容疑がかかるんではないか、警察が私を逮捕にくるんではないか、墓荒らしも私のせいになるのではないかとか、そんな不安に襲われて家を出て行けなくなったんですよね。



 そういうことまで考えてしまいました。(笑い)
 でも、私が一番言いたいことは、例会への参加は年に数回ですが、この会報は隅々まで読んでいます、会報のお陰で今までこうしていろんなことを学んで来れたと思っています。次女が大学を卒業して帰ってきました。就職をまだしてないのですが、親が何も言わずに見ていることが出来るのも会報のお陰です。以前の私だったら取得した資格を生かして早く自立してほしいと、焦っていただろうと思います。



―――
あなたが苦しくて死ぬような思いをしたとき、一番支えになってくれたのは家族で、とりわけ(夫です)。一番感謝しているのよね。(そのことが一番の収穫です。夫と仲良くやっていけたら子どもたちはどうでもいいですね)(笑い)
 あなたは子どもさんの不登校や引きこもりはないけれど、親の会でご自分の生き方にたくさん元気をもらうというお話をしてくださいました。その前は次女さんが高校の時に、円形脱毛症になったんでしたね。



 はい。娘が円形脱毛症になった時は、もう、親の会も内沢さんも全部ぶっとんで、この子に何とか「かつらを被せようと」と、いろんなところに電話をして調べました。60万円と言われてもこの子が助かればいい、この子が元気になりさえすればいいと思っていました。(笑い) そのとき、先ず内沢さんに相談してみたらと言ってくれたのが、夫でした。いざと言うときは内沢さんにと、夫の方が分かっているのかなと(笑い)。それで、かつらは止めにしました。(笑い) 






私も本当に不安でした・・・、でも今はこんなに幸せ!  Kさん 




―――
大きな不安は体まで壊すということですね。 Kさんもそうでしたね。ご自分がたいへんなときにいろいろ言われて、頭が痒くなってとまらなくなったんでしたよね。



 はい、頭が痒かったり、家に居てもじっとしていられない、座っていても居心地が悪くて。頭は2度洗いしても痒くて痒くて、しょっちゅう電話もかかってきていたので、電話がかかってきてないのに呼び出しているような音が聞こえるんです。


普段では考えられないようなことが起きてしまって、電話は常に気になって、神経質になって何度も受話器を確かめにいきました。ずっとお腹の調子が悪くなって、病院に行ってもどこも悪くなくて、精神的なことからきてますね、辛いのを取り除けばおさまりますよと言われて、軽いお薬を出されたこともありました。
そのときは薬を飲んだという安心感から収まりましたが、小さいときから病院が嫌いで薬など飲まない私なのに、それなのに薬をもらいに行ってしまうんですね。



―――
それは遠い過去であなたは今とっても幸せで。息子さんは中1になられたけど、学校からは何も言ってこないんでしょう。



 はい、大丈夫です。小学校の卒業式の日、夕方校長室に証書を受け取りに行ったら、「卒業おめでとうございます」と証書とお花とお饅頭を頂き、1分ほどの立ち話で帰ってきました。(笑い) 証書はポストへ入れてくださいと言ったんでしたが、それが通用しなかったので学校へ行きました。


 中学の入学式の日は息子とふたりで寝ていて、後で「今日は中学の入学式よね」という感じでした。夕方に校長と担任が挨拶がてら教科書と書類をもってこられました。私は玄関の外でお話をしました。雨でも外で話をします。玄関の中では愛犬のダスが威嚇してすごいやな吠え方をずっとするので(笑い)、その前で話をするんです。


―――
すごくいい効果音ですね。(笑い)


 ダスは私が来てほしくない客を相手にしてるのが分かるみたいです。5分以内に済んでしまいました。レクレーションがあるので良かったら来ませんかということでしたが、そんなのは行きませんと言って教科書だけ頂きました。


―――
もう、学校とは縁が切れたという感じですね


 はい、姉の子は学校に行っていて、今日は遠足でとか、家庭訪問だったとか聞き、学校行事がわかってない私の中では感覚がずれています。姉が「世間は今が家庭訪問で、あんたのところはなしね」と言って(笑い)、もう、世間の学校と関係なしに生活してます。


―――
そうなると、頭も痒くないし電話の音も気にならなくなってきたんですね。


 はい、今は全然なく、楽しいことがいっぱい増えて大丈夫です。


 
子どもも大人も不安になるということですね。自分の人生を左右すると思いがちなんですが、夫も書いていますように、不安と向き合って不安をあるがままに受け止めることが大事なんですね。夏樹静子さんの『私の腰痛放浪記・椅子が怖い』を読んで私はとても共感しました。文春文庫です。大変参考になりますのでお読みになってください。






1年以上、自分の気持ちをていねいに書いて・・・  
Tさん



―――
今日は千葉からTさんが来てくださいました。Tさんとは毎日のようにメールを交換してきました。彼女のメールから次第に不安がなくなっていく様子が伝わり、私の方がとても勉強になっています。初めのころは「泣き虫まあちゃん」と私にあだ名をつけられるほどでしたね。



 息子は高1の10月でから休学して、高2に進級する3月で退学しました。あれから1年ちょうどです。私の気持ちも随分変わり楽になって、最近はもう泣かなくなりました。(笑い)



―――
あなたが自分を大切にしていこうと決めた頃から息子さんも楽になっていったのね。



 はい、そうです。いつも夕食は一緒に食べてましたけど、家族が食卓にいる時間がどんどん増えていき、夫がいるときは社会のこととか、子どもたちと楽しそうに会話しています。



―――
以前はあなたの夫は時々不安になって、どうするんだと言っていらしたのが、最近はほとんどなくなったでしょう。



 はい、そうですね。夫は夜間高校でもいいんじゃないのと思っているようです。夫の憧れもあるらしく、何か忘れた頃に「行ってくれるといいんだけどなあ」と言っています(笑い)。「ああ、また言ってる」と私は思うけど、夫は聞いてもらったらそれでいいという感じです。あとは趣味の話とか、今は将棋に二人で凝っています。


―――
じゃ、息子さんが家にいるのは、もう自然なことですか?


 そうですね。すごい助かっています。私は仕事をしているので、息子が結構家事を手伝ってくれています。
以前私は、息子が不憫で不憫ですぐに涙の日々でしたけど、今はそうではなくなりました。しかし、つい最近コンサートのポスターを見たら息子が部活で使用していたコンサート会場と一緒でしたので、胸がズキッとして、ああ、まだここ辺は行けないわと思いました。
その夜息子はNHKで、中学時代の定演で演奏した曲を放映していたのを見ていたので、私の方が「えっー」と思って。(笑い)



―――
どうしてあなたの気持がそんなに楽になってきたんですか?


 なんででしょう(笑い)。なんか気がついたらそうなっていました。以前の私はもうショックでどこかへ去って行きたいとか、死にたいとまで思いつめていました。
 今、仕事のことで悩んでいた自分に気づき「ああ、私、自分のことで悩んでいるわ。私ってひょっとしたらすごいかもしれない」と自分に感動しました。(笑い)



―――
子どものこと、子ども、子どもと悩んでいたけど、いつしか子どものことが頭から離れて、自分のことで悩んでいる自分を発見したのね。


 はい、そうです。ああ、こういうことなんだなあ、お風呂に入って、映画や本を読むのが私のリラックスタイムでしたけど、以前はここの会報を何回も何回ももうボロボロになるまで読んでいましたけど、今はもちろん読ませてもらっていますけど、好きな小説をゆっくり読んでいる自分も発見しました。



 鹿児島へ来るのは3回目なんですけど、昨年12月は、来るときも帰るときも飛行機の中でいろいろ思い出して涙でぐしゃぐしゃでしたけど、今回は「ああ、私、泣かないでちゃんと飛行機に乗ってこれた」(笑い)と思って。1回目は何も分からず鴨池公民館へ行くのもホテルからタクシーに乗ってきました。


 2回目は憧れの市電にも乗りたかったけど、遅れるといけないと思って乗れずにいました。しかし今回3回目は、きちんと朝から計画を立て、水族館でイルカショーも見て(笑い)、天文館で素敵なレストランを見つけて、また、そこのデザートの美味しかったこと。
「ああ、幸せやなあ」と思って(笑い)、こちらへも市電に乗って来ました。途中、いろんな人達に道を教えてもらいながらでしたけど、「ああ、なんかすごいなあ」と自分に感動しました。(笑い)



―――
今まではそんなふうに感じられなかったのよね。息子さんがどうしても学校へ行きたいと言って寝袋をもって学校の近くに行ったのを、あなたは一晩中眠らず、息子さんが帰ってくるのを寒さに震えながら待って朝を迎えたこともありましたね。


 この子は不憫といつも思ってしまっていたのね。親は何もしないで、自分の事を大切に自分の楽しみを求めていたら、子どもはちゃんといつか自分の道を求めて行くのだということがあなたのメールからもよく分かりますね。
あなたが知らないうちに、息子さんは大検の資料を取り寄せていたり、見学に行ったりしたのを、あなたは後ではがきを見て知ったんでしょう。




 はい、そうなんです。ちょうどその頃、私も仕事上の悩みを抱えていたので、息子もこんなふうにして悩みながら人生を決めていくんだなあと思いました。本人もいろいろ取り寄せて自分に合いそうな塾を見学に行ってきたと私に話してくれました。決めるのもやめるのもちゃんと自分の力でやっています。私も息子に負けないように悩まなくちゃいけないなあと思って。(笑い)



―――
以前は息子さんが辛くて、高校を中退してすぐ大検の予備校に手続きをしたのに息子さんが行けなくてね。


 はい、私の頭の中にはずっと行けないなんて全然なくて、ここがダメなら次があると思っていましたから。そうじゃないのだと分かって、今回も行くかどうかはわからないけど、それはそれで考えていくのだろうなと思って。


―――
あなたの中にはこうしてほしいとかの期待はもうないのね


 期待はあるんだけど(笑い)もうそんなに思いません。早く行ってほしいとかも思わないし、しっかり悩んで考えてくれたらいいなあと思っています。


―――
もうすごく気持ちが楽になったでしょう


 はい、そうですね。次男は中3なんですけど、勉強しなくてもあまり不安はありません。



―――
よく涙が枯れるくらい泣いていたけど、本当に良かったですね。私との毎日のメールも良かったですね。書くということはとても大事ですね。
多くて一日3,4回のメールのやりとりで不安な自分の気持ちと丁寧に向き合い、それを文字にしていく、そのことであなたの不安はここ1年足らずの間に次第に消えてゆき、ご自分を大切にすることができるようになっていったんですね。
そして、自分を大好きになってこられました。これはとても大切なことですね。すると息子さんやあなたの夫、ご家族の雰囲気が明るくなり、愛情がいっそう強く深まっていったのですね。


 一日三度三度のご飯の度毎のメールに気持ちはこうやって変わって、納得していくんだと思って。


 
いつもあなたのメールを楽しみにしていました。あなたの不安がなくなったら学校へ行かないことなんて、どうっていうこともなかったでしょう。


 はい、仕事の帰りに美容院にも寄れて、息子にご飯を作っておいてねと頼んで。(笑い)いいなあと思って…。(笑い)






親は子どもの人生を決めてはいけない  Oさん




 先日、離婚調停が成立し、姓が変わりました。両親との関係は以前からうまくいっていませんでした。私は小さい頃母親からたたかれて、そのことがあってから強迫神経症と尖端恐怖、緊張した時にチックになりました。止めようとすればするほどまばたきが止まらなくなりました。


 母は兄と妹をかわいがるけれど、私のことは放っておいて私はいつしか父親と関わって生活するようになりました。しかし父が私をかわいがって生活したわけではなく、私はなんとなく父にくっついていました。



 高校卒業後の進路も自分にはやりたいことがなかったけれど、母が勝手に看護学校への入学を決めました。自分には合わず1年で辞めたいと言ったのですが、「資格だけでも取りなさい」と言われ仕方なく生活していたら、アトピーが出て他にも病気をしました。それでも何とか資格だけは取りました。



 なんとなく大阪で就職したけれど、合わなくて帰りたいと言っても母が帰ってこなくていいと言いました。
 しかし私は母の病気を口実に自分で病院を辞め帰りました。自分の居場所がないので「大学へ行かせてほしい」と頼んだんですがダメでした。



 兄は不登校のハシリのような人で、高校にも行かず不良みたいな生活をしていて、大学には行きたくないと言ったのですが、父は「籍だけでも置いておく」と言って行かそうとしました。


 私は父から「大学なんか行かずに嫁に行け」と言われていました。そうこうしているうちに父が私の就職先を決めてきました。
 親に押し付けられた看護師の仕事が嫌で嫌でたまりませんでしたが、生活のために仕方なく働いていて、そこで出会ったのが元夫でした。結婚して1年経たないうちに無理だと思い、両親に離婚させてほしいと頼んだんですが、ダメでした。



―――
あなたは全て将来を親に決められて生きてきたのですね。離婚が決まってどんなふうに気持ちが変化してきましたか?


 5年間別居していたんですが、別居した途端に体が軽くなって、それまでは鎧を身につけていたようでしたから。引きこもりに対しては何も悪いことではないと知っていたし、三男が「あんなことをされたら誰だってそうなるよ」と言ってくれましたので、私もゆっくり引きこもって、子ども達と楽しく穏やかに生活していました。


 しかし夫との関係が完全に切れているわけではないので、夫の影を感じ、命を削がれるようで不安でした。その間調停があり、婚姻費用の分担請求をしたり、夫から無理難題を突きつけられたりなどありましたが、息子達と相談していろいろやってきました。


 離婚しても夫の影はまだなくなっていません。長いですからね。またしばらく時間が経って吹っ切れると思います。それでも気持ちはとても楽になりました。



―――
あなたは本当に元気になって変わられましたね。今までは男の人が怖かったのよね。(はい) うちのたっちゃんでさえ怖かったのに、たっちゃんが今度の病気で不安神経症になったら親近感を持ったんですってね。


 はい、そうです。何を話しても相談に乗ってくれて、的確に答えてくれると通じるものがあって。(笑い) 男の人に対してはまだ身構えるところがありますね。


―――
自分を否定することが長く続けば続くほど、怖さも大きいということですよね。子ども達も一緒ですね。そのことをわかってもらいたい。親が子どもの一生を決めてはいけないのです。絶対にダメです。自分で決めないといけません。大事なお話でした。






子どもは、親の「期待」に応えようとする  Hさん




―――
中3の息子さんの卒業後の進路について、お母さんがいろんな情報を集めたけれど、結局息子さんは従わなくて、今息子さんはどうされていますか?



@(母):結局定時制高校も本人に行く気がないのに、無理に親がどうにかしようとして、ああしたら、こうしたらと言ってきたんですね。それに抵抗するには茶髪にしてピアスをして受験するしかなかったんでしょうね。そういうことに厳しい高校だったので結局行けなかったんですが、中3のときは受験がいやだったんですね。
今は昼夜逆転して家にいます。
2、3月は友達のところにしょっちゅう泊まりに行っていました。それがどこなのかがわからず心配しましたが、受験が終わって今はゆっくりしています。


―――
ゆっくりしていることに対して不安はないですか。


 先月の会で、子どもは高校の話や仕事の話は全然しませんと話したんですが、1ヶ月経って子どもが仕事に行くと言い出し、とび職の作業着や足袋をもらってきて何日か行っています。今朝も5時半に集合だと言って、4時半頃自分で起きて行きました。自分で動き出したときには本物と言われたんですが…。(笑い)


―――
いえいえ、それはすぐに分かりますから。それは本物というよりも「ねばならない」という考えですね。動かなければならないとすごく焦っているように思います。


―――(内沢達):
16〜7歳の頃、ものすごく焦って働いたりするんですよ。学校に行かないんだったら、今度は仕事で頑張ろうと子どもは親が黙っていたって頑張るんです。そうすると親は、この子はやる気があるんではないかと勘違いするんですね。
 そしてしまいには親がだんだん起こすようになるわけです。勤め先に「すいません今日は遅刻で」と連絡したりするんです。なんだか学校と同じようなことをしていくんですね。そういうことにまた親が巻き込まれていくんですね。だから、親は息子さんが4時半に起きようが知らん顔をして絶対に起こさないんですよ。



 何を食べているかと見てみるとカップヌードルなんです。で、それだけでは1日仕事ができないと思って、私はおにぎりを作ったり、お味噌汁を作ったりしているんですが…。(大笑い)


―――
それじゃ、親の期待に応えて行かざるを得なくなってしまいますね。(そうですね) それは絶対に続かないんですから。自分がこれをみきわめてとび職でやっていこう、これが自分の好きなことだとは息子さんは思っていないし、また思う条件でもないでしょう。好きなことというのは紆余曲折して長い時間かかったり、またそこから発展していったりして見つかっていくんです。


 なぜかというと5月の連休に友達との交流が多くありました。友達は高校に入って部活を決めるか決めないかというところで、次のステップに入っていっているんですね。だから焦ってしまったんだと思います。



―――
それがわかっているのに、親が一緒になっておにぎりを握っていてはいけませんね。(笑い)そういうのは子どもが自分から動き出したとは言いません。何もしないといってもまだ1ヶ月しか経っていません。それまでさんざんいろいろしてきたんですから、親の期待に応えるためにはどのようにしたらいいかと、息子さんは今までのことで十分学習しているわけです。今後一切何もしない、それを肝に銘じないと親も子もものすごく辛くなっていきますね。


 息子は何もして欲しくないみたいですね。自分の生きる道を削がないでほしいと思っているみたいです。(笑い)それはわかるんですけれど。
 うちには高3の兄がいて、制服などを見ることがどうしても多いので本人が感じてしまうのかなと思います。


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親御さんが感じてしまうんじゃないですか。御夫婦でお忙しくなさるといいですよ。お勤めはされていないんですか?


 私は勤めていたんですが、1月に仕事を辞めたんです。2月は子どものために情報を集めて回っていました。


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子どもの「ために」と言って、仕事を辞めたり、親が方向転換するのはよくありませんね。とにかく息子さんの動き出しというのは無理なことをしているわけですから、それに親も巻き込まれないように御注意ください。






古い価値観を捨てられたのは子どもたちのおかげ  じぇりさん





 我が家は皆考え方が同じだから、家にいると何も感じないんですが、世間のいろんなものを見た時に価値観が違うから言っても通じないし、自分が違うところで生きているような気がするんですよね。



 以前の私は、夫や子どもがいるから自分は我慢しているみたいな思いがありました。夫がこうだからと夫のせいにして自分が我慢する、でも私の気持ちもわかってもらいたくて、事あるごとに訴えるんですが、夫に話しても立場が違うので全然わかってもらえない。すると自分は何のためにいるんだろう、いなくてもいい存在なんじゃないかと思った時期がすごく長い期間あったんですね。



 夫と同じ仕事をしていたのに私だけが辞めて、夫は自分のしたいようにしている。その時って夫や子どもの生活に合わせる自分であって、自分の意思で自分の時間を使っていなかったんですね。私は「ねばならない」ということに捉われていて、こうあらねばならないという母、妻だったんです。


 自分のことを大切にできていないから子どものことも大切にできなかったし、その時は大切にしているつもりだったんですが、結局自分のストレスを子どもに向けて子どもが悪いと見えるんですよね。



 そんな感じだったんです。がまんしない選択肢をなぜ思いつかなかったんだろうと思うんです。嫌なことを嫌だと言う、嫌なことはしないと拒否する、言われたことを「はい」と言ってするのがいいことだとすごく染み付いているものがあるんですね。だから嫌だっていうことを自分が思うことさえなかったんだと思います。



 子ども達が学校はいやだと拒否してくれたおかげで、いつの間にか自分も妻だからご飯を作るっていうのは違うでしょう、掃除するのも違うでしょう、子どもや夫のために生きているわけではないし、私は自分がしたいことだけをする自分になろうといつの間にか思えるようになって、どんどんやらなければいけないと思ってやってきたことをしなくなっていきました。



 そうするとすごく楽なんですね。傍で見たら、お母さんなのにあれもしていない、奥さんなのにやってないのということがあるんでしょうけれど、そんなことはもうどうでもいいことで、今日も私は、私が出てきたい時間に出てきて、夫や子どもにお伺いをたてることもないし、そうしなくてもいい関係が夫とも子どもともあると思います。何でこうなのと私を非難する事もありませんし、私も子どもや夫にそういうことを言いません。



 うちでは、「期待は裏切られる。信じるものは裏切られる」とよく言います。人に優しくしてほしいとか、期待してやっていると、そうでない時にさびしかったり、残念だったりするじゃないですか。だけど自分にはできると思うんです。人に優しくしてもらおうと思わないで、自分にどんどん優しくしていけばいいと思うんです。



 日々そうして暮らしているので、世間で言っているこうあらねばならない、これが出来ていない、ただ生きているだけではダメでこういう生き方をしないといけない、これが足りないからそれを補うようにこう努力していかないといけないとか、そういうことを耳にすることが日常的にあるので、そうすると違うなあと感じるんですよね。


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生きることが楽になってきた?


 そうですね。楽というか、楽しいですね。こんな楽しい人生が待っていたとは私は思っていませんでした。


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朝起きた時にわくわくするでしょう。(そうですね。わくわくしますね) それが立派な「自分が好き」ってことですよね。


 今日も夫と次男と3人でゆっくり食事をして、テレビを見たり、ばかなことを言いあっていたんですが、だんだん次男の好みや興味を持つことが夫と似てきて、「おい、なおぶー、これは○○だよね」とか話しているのを見ると、夫が昔こういう子だったのかなと思わせるくらい似ていて、それを息子に言ったら「いやだ」と言ってました。(笑い)これまでいろんなことがありましたが、今日もここに来る時にいい人と結婚したなあと思いました。



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価値観が変わって素敵に人生を生きるということを子ども達から吸収してきているわけですね。とってもいいお話をありがとうございました。





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Last updated: 2006.6.24
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