登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2006年5月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.122


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から、いくつかの記事をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→




「解決の道」は自分のなかにある

 2006年4月例会



 困難を感じたとき、子どものことやまわりの状況について、「○○さえなければ・・・」と考えがちです。暴力・暴言、拒食や過食、自傷行為や強迫行動、親・兄弟の無理解・・・などなど。「これさえなければ・・・」といった考えかたをして、いまある状態を否定し、おかれた条件を嘆き悲しんだところで一歩も進むことはできません。


 本当の困難は、子どもやまわりにではなく、自分自身のなかにあります。うまくいかない原因を他に求めている限り、それこそうまくいきません。まわりを変えようとしても、簡単に変わるものではありませんので、そうした努力は徒労に終わってしまい落ちこむだけです。


 ところが、自分自身のことだったら、その気にさえなればできるのです。たとえまわりがすべて否定的な見方をしていても、自分が肯定的な見方でことに当たることができるようになると違ってきます。子どもやまわりをどうかしようとは思わないで、予想を立てながら自分自身のことに取り組んでみませんか。


 すべての問題が心の持ち方で解決するわけではありませんが、心の持ち方ひとつで多くのことが変わってくることも確かです。いままで困ったこととしか思えなかったことも、そうでなくなってきます。「解決の道」は、ほかでもなく自分自身のなかにあるんです。


「心配」と「信頼」では、その姿勢が180度違います。人は自分の人生を自分で作っていきます。主人公は自分です。親が「心配」のあまり子どもにあれこれ言い、いろいろとしてあげることは、その子の自己決定の機会を奪い、生きる力を削いでしまいます。子どもは自分で判断し、生きていく力をもっています。自分が親や家族から「信頼」されていることがわかったとき、その力はいっそう強くなるでしょう。


 4月も、このように大事なテーマを深く掘り下げた貴重な例会でした。皆さんの発言には大事な教訓があふれています。世話人が1ヶ月かけて会報にまとめます。遠くて例会に参加できない方にも、元気をいっぱい届けることができると確信しています。




(目次)

1 「わが子を信頼する」ということ  内沢朋子

2 息子のことが不安でたまらない・・・  Tさん

3 「心配」しないで「信頼」する 内沢 達

4 仕事を辞めて、スッキリ! Hさん

5 今、私は大事な時を過ごしているの  まいさん

6 親の会で心が軽くなります  Mさん

7 三人の子どもたちに感動をもらっています  じぇりさん

8 今、夫婦で求職中!  Gさん






1 「わが子を信頼する」ということ  内沢朋子



―――(内沢朋子)(世話人):鹿児島の親の会のHP(ホームページ)には4月現在42万件を越えるアクセスがあります。たくさんの方が見てくださって感謝しています。そしていろんなところから個人メールや掲示板を通じて相談やお便りが来ます。その内容は問題が共通していて法則的なんですね。



 共通しているのは、当事者も周りも相談員と言われる人も、不登校やひきこもりを否定しているということですね。いろんな所に相談に行くと、好きなことを見つけてさせてくださいとか、外に連れ出してください、元気になれるよう働きかけなさい、という相談員が多いですね。そういうふうに働きかけることが大事だと言われても、自分の子どもは好きなことがない、このまま社会に出られないのではないかと親は動揺するわけです。そしてそう出来ない自分はダメな人間だと子どもさんもいっそう自分を否定していきます。



 どうして否定的なのかと考えてみると、根本的に不登校の子を信じる、信頼するという考えがないからだと思います。人というのは動いていて、社会的に活動していて、何かしているのが人としての価値観があるのだという考え方なんです。人として「存在している」こと自身に大きな価値があるという根本的な思想がないんですね。



 そして、お父さん、お母さんは許してくれるが、自分が許せないという自分のうちにある自己否定の相談も多いです。親が理解できているかどうかには関係ないんですね。自分の中に自己否定があるんです。ですから、その子本人が納得し、親もその人自身が納得しない限り、自分の不安はなくならないということなんです。



 納得する大前提は何でしょうか。私は先月の会報の扉にも書きましたが、「家族の絶対的な信頼と無条件の愛情」だと思います。今の状態を「大丈夫だよ」とそのまま受け入れる、何もおかしいとか問題だと思ってない。だからその子のことを放っておくことが出来る、その子の生き方を安心して見ていられるわけです。その親のオーラを感じればこそ自分は信じてもらっている、一人ぼっちではないと感じるわけです。家族の信頼や、親の無条件の愛情という土台があってこそ、その子には生きる力、納得する力が出てくると思います。





2 息子のことが不安でたまらない・・・  Uさん(母)



(―――17歳の息子さんはお話しないし、食事も摂らないまま、あなたの前では体を揺らせて頭をあちこちぶつけるけど、あなたが職場に行ったら、お兄ちゃんの前ではふらつかないで歩いていると、先月のお話でしたがいかがですか)



 内沢さんにデンと構えなさいと言われ、そうしようと思うんですけど、息子があちこち頭をぶつけて、こぶが出来てすごく痛そうだし、今度は目の中が痛いとか、頭の中が痛いと紙に書くので、そういうのを見るととても不安で、「出来るだけ横になりなさい」と言っているんです。私が仕事に行っている時もぶつけているようです。帽子をかぶせていたんですが、嫌がります。それで今度は1週間前に防災用の頭巾をみつけてそれを被せています。母が来ておかしがると、嫌がってとりますが、出来るだけ被せています。



 食事は摂らなくて、お茶とマックのシェイクを飲んでいます。シェイクをやめたら何かを食べるだろうと思い、様子を見ていたら、結局お茶しか飲まずに…。



(―――どのくらいの期間様子をみたのですか?) 2,3日です。そこが限界でした。

(―――誰がシェイクを買いに行くんですか) 私が買いに行きます。

(―――そこなんです。本人がシェイクが好きで買いに行くんだったらいいけど) 本人は行ける状態ではないんです。

(―――買いに行けないんだったら放っといたらいいじゃないですか)
 でも飲みたいだろうし…。

(―――それがとても心配なんですね)
 ここではそう言われると、もういいやと安心するんですが、親の会を3日くらい過ぎたら、もうだめになって1週間でどんどん不安になっていきます。それで、また会報などを読み返してこれではいけないと思うんですけど、何も食べない息子を見ると…


(―――どうしたいのですか? 病院へ連れて行きたいの?)
 病院は連れて行ってはいけないと思っているんですが、職場の同僚に言われたり、祖母に言われるとすごい不安になります。同僚の娘さんが精神科に勤めていて、受診日とか色々教えてくれましたが、このままでいいのかなあと思ったり。


―――シェイクはどの位の量を食べるんですか?


 1回の食事でMサイズを2個くらい、1日に10個くらい飲んでいます。だから体重は減っていなかったようです。


(―――それをあなたが毎日買ってくるんですか。)
 仕事帰りにまとめて20個くらい買ってきます。1個200円で、このままではお金が高くて続かないし、兄にもお金では辛抱させています。


―――親の会の後は不安がなくなって、その後どんどん不安が増してくるのですね。不安が大きくなってくると、常識では考えられないことをしてしまうんです。しかも、まわりからそういう話を聞いたら、精神科に連れて行ったほうがいいんじゃないだろうかと思ってしまう。


 私がもし第三者だったら、親はどうしてそのままにしているのかと思うだろうなと思うんです。親として出来るだけのことをしてやりたいと思うので。


―――あなたは1ヶ月ですっかり元に戻ってしまいましたね(笑い)。あなたが今やっていることは、子どもをどんどん追い詰めているんですよ。
シェイクを食べているから他の物を食べないとは思わないのですか。



 それは思うのですが…。食べないと倒れるんではないかと心配して、この頃たくさん買ってきているんです。(―――シェイクを食べさせているからお腹がいっぱいになって他のものを食べなくともいいんです)


シェイクはこの頃で、その前はシェイクに似たもので、その前は私が作ったバナナミルクだったりで、これがダメならこれというようにどんどん変わっていくと思うし、こんなことをしたらいけないと思うのに、私の場合は2、3日でその思いは続かないんです。頭では分かっているんですけど、自分の安心感からついやっているという感じです。



―――親はこれさえなければ安心だと言いますね。過食・拒食さえなければ、家庭内暴力さえなければ、非行や昼夜逆転、暴言、脅迫行動、夫の無理解…。様々な条件を出してきて、今の状態を否定します。これさえなければとね。



 今の状態をあるがままで受け入れるか、それとも不安に支配されてしまうかということなんです。不安が大きくなると、どうなの、どうなのと子どもにばかりアプローチするわけです。子どもにばかり言って親の不安を解消しようとするんです。先月も不安の秤を絵に描いてお話しましたね。不安が大きくなればなるほど不安の秤が重くなって、子どもの状態を否定していくんです。そしてやることは、今だから出来ると言って、1日にシェイクを20個も買って来てたくさん与える、その前はバナナとココアの飲み物とか、その前はジュースとか、色々変わっているけど、何とか食べさせようとしている。



 そういう親御さんの不安は子どもさんから見たらどうですか。自分は異常なんだということを子どもはどんどん学習するんです。シェイク以外の食べ物を口にすることは「異常じゃなくなる」から口にしなくなります。



親は何もしてはいけない。何もしないということが大事なんです。あなたは親の会に参加して3日くらいは少し不安がなくなるわけでしょう。その後元にもどってしまうけれど、親の会に参加することによって少しでもあなたの不安が軽減されてきているわけです。長いスパンで考えたら軽減されて来ているわけで、それに確信を持って、親は何もしない、シェイクを買うことを止めないと、子どもさんの辛さはどんどん増していきますよ。



 子どもさんが頭をぶつけることもワザとじゃないと思いたいんです。そういう形で子どもさんはあなたの前で、これでもかこれでもかと親の不安を試しているんですね。



 たとえば、私が夫に「達ちゃん、血圧は高いけど、大丈夫? 大丈夫?」と言えば言うほど、夫の血圧が上がり不安が増していくんですね。



 「これさえなければ」の不安の材料の「これ」をいっぱい表して自己主張している我が子に、親自身が翼をいっぱいに広げてこの子を包むだけでいいんです。この子のあるがままを受け入れて、大丈夫なんだという気持ちがこの親の会に参加していく中で膨らんでいけば、気がつかないうちに「あれっ、しなくなっているな」となっていくんです。



 私も仕事をしてるときはいいんですが、母や親戚や同僚に言われたときによけい不安になって…。



―――「周りが言うから」、とよく言いますね。必ず「周り」は言います。その「周り」の言葉がその人によって大きくなったり、小さくなったり、ほとんど聞こえなくなったりするのは何故でしょう。それは聞き手である親の不安が大きい時は大合唱です。安心しているときは周りの声はほとんど聞こえなくなります。実は当人の心の迷いが周りを言わせるんですね。



 一番自分に自信がないと不安が増幅されます。子どもも自分だけど、親も自分なんです。自分に確信がないと不安が大きくなっていきます。だから自分自身が納得するということが一番大事なんです。

(そうですね。まだ自分に確信が持てなくて…)

 そのために親の会に参加するわけですからね。何度も確信が持てずに動揺するんだけど、次第に周りから何か言われても図々しくなって動揺しなくなっていきます。親の会の多くの体験が教えているでしょう。親の会に参加しながら、あなたの不安をひとつひとつなくしていくことが大事だと思います。


 でも、結論から言うと、シェイクを毎日10個やるのは止めないといけません。それでは息子さんの不安は大きくなるし、大きくなればなるほどいっそうゴツンゴツンとぶつけるし、声も出さないでしょう。




3 「心配」しないで「信頼」する
 予想を立てて「三原則」に取り組もう   内沢 達




 親御さんは、ときに親の会の会員が長い方でも、子どもとの関係で困ったことが起こってくると、「子どもにどう接したらいいのか」「どう言ったらいいのか」といった問題のたて方をしがちです。しかし、そういう発想やアプローチはそろそろやめませんか。おしまいにしませんか。



 普通、子どもが落ちついた状態にあると親御さんは楽な気持ちで親の会に来ることができます。あるいは、いま現在は「困ったことはない」ということなのか、例会に参加されなかったりします。子どもが荒れたり、何かがあったりするとまた来られます。これは半分はやむをえない。人間ですから、必要に迫られないと動きをとれないところがあります。



 でも、僕らの親の会は「子どもをどうにかしよう」とする会ではないので、そうした親御さんの対応はやっぱりおかしい。子どもの状態次第でうれしくなったり、悲しくなったり・・・。子どもに振り回されていて、親御さんが一人の人間として、自分が自分の人生の主人公になっていない。それはまた、子どもに対して失礼な話でもあります。子どもは声にこそ出しませんが、「僕(私)は、お父さんやお母さんを喜ばせたり、安心させたりするためにだけいるの?!」ということにもなるのではないでしょうか。



 親は子どものことではなく、親自身の課題に取り組んだらいいんです。 
子どもがどうあろうが、息子さんがどうあろうが、自分自身に課題を課してみる。その結果、先月は親の会の後、3日か4日しか持たなかったけれど、今月は1週間は頑張ることが出来た・・・。ということになれば、自分に花マルをつけて自身をほめてあげたらいいのです。


 「予想を立てると見えてくる」(板書)


 僕はこれまで板倉聖宣さんの「ことわざ・格言」を使って、登校拒否や引きこもりについての考え方を深めてきましたが、まだ使ってなかった格言のひとつがこれです。事前に予想を立てない行き当たりばったりのやり方では、何度経験しても自分のものになりません。法則があるのに、それを無視しているからです。そうではなく、予想を立ててからやるとうまくいけばやっぱり法則通りだと納得し、うまくいかなかったとしてもなぜそうなったのかわかり、早くに法則をわがものとすることができるようになります。



 今までだと子どもの状態いかんで親も揺れ動いていました。僕たちの会では「親がでーんと構える」ことの大切さがよく話題になります。子どもが落ちついているときや元気なときはひとまずいいでしょう。問題は子どもがそうでないときです。親が「でーんと構える」ことができずオロオロしていると、子どもは親からみてさらに「困った」状態を呈するようになります。これも法則的なことです。



 しかし、そうした状態もマイナスに見るべきでなく、むしろ「いいチャンスだ!」というのが私たちの捉え方です。親が自分自身のありようを変えるチャンスなんですね。



 Tさんの三男さんを例にして言いますと、どうしてそんなにも頭をぶつけ自分を痛めつけるようなことをするのか。そうでもしないと「お母さんが自分の方を向いてくれない」からです。他の家の子どもさんの場合も同じです。子どもがみるからに元気でしっかりしているようだったら、親は見向きもしません。そこで子どもは自傷行為だけではなく、拒食や過食で、また家庭内暴力・暴言や非行等々で、自分の辛さや苦しさをあらわし、「こっちを向いて!」と言っているわけです。これらはあらわしかたが違っても、せめて親にだけは「自分のことをわかってほしい、自分を認めてもらいたい」という訴えにほかならず、共通しています。子どもは、無意識のうちに「こんなにひどい自分でも、お父さんやお母さんは僕(私)を認めてくれるか」と訴えているんです。にもかかわらず、その訴えを受けとめようとしないで、表にあらわれていることだけに親が囚われ心配していると、子どもは「これでもまだわかってくれないのか」と言わんばかりにその状態をさらにエスカレートさせます。これもまた本当に法則的です。



 僕は「家庭内暴力などが続いてかまわない」とはまったく思いませんが、他面では簡単におさまってほしくないとも思っています。簡単におさまっては、親の反省がありません。「あっ、やっぱりこの子の問題だったのだ」という考え方をしてしまって、親に進歩がありません。子ども自身の無理な自己規制や頑張りから、いっときおさまったかのように見えるだけで、やがてもっと強い自己否定の行動をとらせるようになります。



 ですから、子どもが親を心配させるような状態にあるときこそ、チャンスなんです。親が「でーんと構える」ことができるかどうか試されます。これを相変わらず、子どもの問題と捉えて、「困った、困った。どうにかできないものか」と考えている限り、悪循環が続いて親も子も救われません。我が子とはいえ、人が人を変えることはできません。いや、そもそも変えたり変えられたりではいけないんです。しかし、人を変えることはできなくても、自分自身は変わることはできます。



 そのことを予想を立てながらやってみませんか、というのが僕の提案です。親として、子どもの状態に振り回されることなく、どこまで「でーんと構える」ことができるか、予想を立ててやってみませんか。子どもには子どもの課題がありますが、親がでーんと構え泰然自若としていることができたら、子どもにも良い影響がおよぶのは間違いありません。これは、鹿児島の親の会・17年の経験から確かめられる法則とも言ってよいことです。子どもは、もっとも身近な他者である親のありようから、「今の自分でもよいかもしれない」と自己肯定のきっかけをつかんでいくんです。



 先ほどSさんが紹介してくれた「心配」と「信頼」の違いです。親は我が子を「心配」しないで「信頼」することができるか、ということです。
「心配」と「信頼」はもちろん違うのですが、かなやローマ字で書くと、「ぱ」と「ら」、「p」と「r」というほんのちょっとの違いに過ぎなく、音はとくに似ています。でも、やっぱりこの二つは意味が全然違いますね。



 子どもは確かに一面、心配もしてもらいたいんです。子どもだけではありません。大人の、この僕にしてもそうです。昨日、「たのしい授業」の研究会に参加して、久しぶりに会った友人から「すっかり元気になりましたね」などと言われると僕は不満なんです(笑い)。元気になってきたことはもちろん喜ぶべきことなのに、そう言われて素直に喜べない。「まだまだ大変ですね。大事にしてください」などと同情してもらいたい自分がいる(笑い)。



 かと言って、僕の場合は退院後昨年11月にトモちゃんがすぐ切り替えてくれたから助かったけれど、心配されてばかりだとたまったもんじゃない。自分でも血圧がどうして上がるのかわからず不安なところに、トモちゃんから「たっちゃん! 大丈夫? 大丈夫?」なんて言われると困ってしまうでしょ。



 子どもも同じだと思います。自分自身を支えるのに精一杯なところに、親が自分のことを心配してくれてのことであっても、周りでオロオロとされたのでは、ますます不安が大きくなりイライラもつのってきます。



 子どもは親に何を一番求めているかというと、自分のことを心配ではなく、信頼してほしいと思っています。うわべとは違って、「自分はどこもおかしくない」ことを親にこそ認めてもらいたいと思っています。次に、自分がおかしくなく、特別でもないのだから、言動にごまかされないで、親には自然かつ普通に接してもらいたいと思っています。



 これは、鹿児島の親の会の三原則を子どもの側から捉えたものです。三原則は、親や大人のほうの見方やかかわり方をまとめたもので、第一は、子どもの状態を異常視しないこと、第二は、子どもの言いなりにならない、奴隷にならないこと、第三は、ガラス細工を扱うような、腫れ物に触るような接し方をしないことです。



 わが子を信頼して、この三原則で予想を立ててやってみませんか。



 われわれは自分のことになるとなかなか気づかないものです。でも、こうして経験を出しあうと他の人の例から、自分(の置かれた状況)も決して特別ではなく同じかもしれないとだんだんわかってきます。それがさらにわかり、法則をわがものとするためには、例会に参加して話を聞き発言しているだけでは不十分で、実際に予想を立ててやってみないといけません。



 その結果を「子どもの状態がどう変わったか変わらなかったか」ではなく、親として「三原則をどこまでやれたか」という視点から評価します。親が子どものことではなく、親自身の課題に取り組むというのはそういうことです。たとえ、少しの進歩であっても、予想を立てての結果であれば、大きな花マルをつけてあげましょう。その積み重ねで要領がどんどんわかっていきます。



 子どもは子ども自身の力で、その必要があれば変わるべきときに変わっていきます。親は親自身のことに一生懸命取り組むようになると、以前のように子どものことが気にならなくなり、心配もしなくなります。親が三原則の考え方やかかわり方を自然にすることができるようになると、つまりは子どもを信頼して「でーんと構える」ことができるようになると、子どもも本当に落ちついてきます。




4 仕事を辞めて、すっきり!   Hさん(父)



@Hさん:息子は18歳です。2年前に高校を中退してからずっと家にいます。息子は冷蔵庫にある食材を見て料理をするのが得意で、夕食も母親を手伝って作ったりしています。まだ提案の段階なんですが、妻も働いていますし、息子に食材を買って料理してもらうことを頼もうかと考えています。


 実は私も転職を考えて今家にいるんです。妻にはいつまで家にいるのと言われています。私も道具から入るほうなので昨日は包丁を買いに行きました。(笑い)


―――転職を考えるのにはだいぶ勇気が要ったでしょう?


 いえ、決断は1日でした。今年齢が55歳できりがいいという事もあるし、健康状態で生活習慣病が積み重なっているし、このまま定年時期まで働いて体がもたなくなるよりは、この時期体質改善をして働ける身体に作りなおそうかという気持ちがあって、あまり迷いなくぱっと決めました。

 (―――今すっきりしていらっしゃる) そうです。10日前は家族全員と母を連れて、京都、奈良の旅行に行ってきました。桜がすごくきれいでした。
 ほんとうに今のような生活は10年以上していませんでしたね。でも周りが言うんです。初めはいいよ。2ヶ月経ってくると何か仕事をしたいと思ってくるよと。(笑い)でも今はすごく肩の荷が下りて楽ですね。




5 今、私は大事な時を過ごしているの  まいさん(17歳)



 最近友達から「臨時のバイトの人数が足りないから行かない」と電話がかかってきて、ちょっとだけならいいかなと思って2日間行ってみました。花見のお客さんにバーベキューを配ったりする仕事でした。その後にキーボードがほしくなって、そこでのアルバイトを思いつきました。電話をしてみると面接の日時を後で知らせるということだったのですが、2日経っても何の連絡もありませんでした。もう1度連絡しても、もう少し待ってと言われ、こんなに働く子を放っとくなんて変な所だなと思いました。(笑い)



 バイトに行っている時に通信制に行っている子がいて、そのことをお母さんに話すとNHK学園はどう?と言われ(笑い)、そこに行く気は微塵もないと言いました。



 先月、お父さんからお父さんの友達のところの宴会に行かないかと誘われました。以前、御馳走を食べることが出来たのでまた行きたいなと思い二人で行きました。



 宴会では変なおじさんがいて、私に「何年生?」と聞きました。私は「何年生といったら高校2年の年で17歳です。学校に行ってないんです」と言いました。おじさんから「何かしないとだめだよ。おじさんの店で働くのもいいし、ちゃんと道筋を立てて考えないとダメだ」とものすごく言われました。楽しい会の雰囲気の中で私ひとりが泣いてしまいました。その時は私の気持ちが高校のことを考えると不安で揺れているときだったんです。(涙)



 家にやっと帰った時にお母さんが「大丈夫だった?」と聞いてくれました。そしたらまたワーッと泣いてしまって、自分がどれだけ周りに否定される存在だったかを久しぶりに体験したので、お兄ちゃんとお母さんがすごい優しい言葉を掛けてくれて、私ってなんて幸せ者なんだろうと思いました。



 だから自分のことを肯定できるようにしておかないといけないんだなと思って、今私はその時期を過ごしているんだ、家族と一緒に家でゆっくり過ごすことは私にとってすごく大事なんだから、その中でずっと自分を肯定していけたらいいなと思っています。



―――自分にとって今を大事に過ごす時期だとちゃんとわかってきたのね。自分が苦しくてたまらなくって病院に行って薬を飲んだりして本当に辛かった時期もあったけれど、今こんなふうにお話できるようになったのは自分を大事にしてきたからなんですよね。いいお話でした。ありがとう。




6 親の会で心が軽くなります  Mさん(母)



 中学を卒業した息子です。卒業したら学校からは何も言ってこないので、気持ちは楽になりました。息子は家でゆっくりしているのですが、友人たちが高校へ進学したり、夫が先日、仕事である高校へ行ったらピカピカの1年生達の姿を見て、少し落ち込んで…(涙ぐむ)。その話を聞いて私も悲しくなりました。


―――4月は皆ピカピカの1年生ですものね。あなたは我が子がピカピカの1年生になれなくて悲しかったのですね。(笑い)


(はい。しかし、本人にやる気がないと)


 息子さんはピカピカの人生をちゃんと歩いているじゃないですか。まいさんが大事な時を過ごす時期だとさっき言いましたよね。


 そうなんですけど。先ほどの息子さんと同じで、息子も土・日は遊びに出かけます。今日はまだ寝ていたので「親の会に出かけます」とメモしてきましたが、今出かけているかどうかはわかりません。


(―――あなたが親の会へ参加していることを知っているんですね)


たぶん知っていると思います。私がパソコンで親の会を検索したりしていますから。私は親の会の10周年と15周年の記念誌を堂々と置いていないんです。表紙を裏返しにしています。(大笑い)


(―――どうしてですか。表紙を表にして堂々と置いてください)(笑い)


 我が子が不登校になったことは親しい友人たちは知っていますが、他人にはなかなか言えませんし、自分から友人にも進んで言えません。言ってもなかなか分かってもらえないし、普通の人から見たらグータラな生活をしている息子ですから、自分からは言いたくないし、知られたくないです。


―――自信を持ってくると、だんだん言いたくなりますから(笑い)。それまでは無理して言う必要はないし、自分の気持ちを大切にして、息子さんと仲良く生活することですね。


 いつまで続くのかなと思ったり、これでいいんだと思ったりいろいろです。最初の頃よりは悩まなくなりました。以前は夜中にトイレに起きたとき、息子がまだ起きていたら、「早く寝なさい」と声をかけていましたけど、今はもうそのまま寝ます。息子の昼夜逆転もここへ来て皆そうなんだと分かったら安心しました。


以前福岡から参加された方が、子どもに何が一番心配かと聞いときに、「お母さんが自分のことを心配していること」と話されたので、母親が明るく、クヨクヨしないことが大事だとわかりました。ああ、心配しなくていいんだと思えるようになりました。


―――長いスパンで考えたら、ずっとご自分の気持が楽になってきているのが、お分かりになるでしょう。


(この会に参加すると皆同じ悩みを持つ方々ですから、分かってもらえるし、心が軽くなります。)


 あなたの不安が軽くなり、あなたのお気持ちが楽になるのが何よりなんですね。親の不安もたくさんあるけど、無理せずにその不安も大切にして、生活していくことが大切ですね。不安があるのを認めて、受け入れていけば必ず楽になりますから。「一生老後の面倒もオムツの世話までこの子に見てもらう」と腹をくくってみたらいかがですか。


(いやあ、そこまではまだ思えません) まだまだ若いですからね。(笑い)


@長谷川登喜子さん:腹をくくったら、いつの間にか子どもたちは出て行って寂しくなりますよ。(笑い)




7  三人の子どもたちに感動をもらっています
   じぇりさん




 私は以前、喜界島の高校で教えていたことがあります。高校生が不登校のことでいろいろ悩んでいるとき、私はこの状態が早く改善されて、子ども達が楽になっていくことがいい、だから大人は何か出来ることをしてあげたらいいと思っていました。親が理解してあげるのがいいし、学校がそんなに大事だったら親が子どもに代わって学校に行き、我が子に教えてあげたらいいとまで思っていました。



 しかし、我が子の不登校のおかげで親の会に参加することができ、皆さんの話を聞くことが出来て考え方が変わりました。頭で分かっていても悩むし、体調を崩したり不安にもなります。過去のことは考えても変わらないし、すんだことは考えないようにしようと気持ちを変えていきました。先のことはわからないし、明日死ぬかもしれないので、明日のことも考えず、今心地いいこと、したいことをして、したくないことはせず、寝たいときは寝て、今を楽しむことだなあと思っています。



 すべて自分の判断基準ですけど、どこに視点を当てるかによって違ってくると思いますし、当事者の悩みはまた別のものかもしれませんけどね。



 うちの子ども達はずっと家にいて、テレビやマンガばかり見て外に出ないので、お小遣いもあげていません。これが欲しいと言えば「うん、いいんじゃない」と言います。



 以前の私はゲームを100パーセント否定していましたが、子どもがはまるものや魅せられるものを私が否定しても、それは子どもの時間だから子どもに委ねるしかないと思うようになりました。私は「ゲームのいい、悪いはわからないので、自分で判断してね。それで必要と思ったらお金を渡すよ」と言っています。私はいろんなゲームをしたほうがいろんな出会いがあっていいと思うけれど、子ども達は絶対に楽しめるものじゃないと買おうとしませんし、すごく大事にします。自分と子どもの価値観も大きく違ってきているし、子どもがしたいといえば「うん、いいんじゃない」と言っています。



 息子の言ったことを掲示板に書き込みましたが、「周りがどうあってもその人がそうしたいのだったらいいんじゃないの。でも私には押し付けないでね」というのが私と夫との関わり、私と子どもとの関わりにも言えると思います。


―――水泳のインストラクターのアルバイトをして、今、子どもたちと触れ合っているのね。


 はい、もぐって水を鼻から出す練習を小さい子のクラスにさせています。他のインストラクターの方はもぐったらいけないと叫ぶのですが、私は子ども達が水にもぐるのが好きなんだし、その時間はその子たちの時間だから好きにしたらいいんじゃないかと思っているので、あまり注意もせずにやらせています。私も水にもぐったらとっても楽しかったんですよ。(笑い) だから子ども達が水にもぐる楽しさも充分わかりますね。子ども達は大人たちが考えている以上にすごい存在ですよ。


―――じぇりさん、すてきですね。子どもの気持ちがよくわかるんですね。


 いいえ、うちの子ども達がすごいんですよ。うちの子ども達を見ているから他の子ども達のすごさも判るんだと思います。プールの人たちには「大丈夫なの? 泳がせたほうが体力がつくからいいんじゃないの」と言われます。(笑い) 「子ども達には優先順位があるらしく、泳ぐ暇はないと言ってますよ」と言っています。(笑い)


 以前娘は人の顔を見ることが出来ず、アトピーで大変でしたけれど、今はアニメにはまってテレビを見ながら楽しそうに歌っています。その姿を見て私は「ああ、しあわせだな。こんなに楽しそうに暮らしている。何もしなくてよかった」と思います。子どものおかげだと思います。


―――喜界島の小学校の先生をしていたあなたの夫が仕事が出来なくなって、一家で引き上げてきたんですが、鹿児島県内にも住めず都城に住むようになるまで、狭いウィークリィーマンションで暮らしたこともありましたね。


 そういうこともありましたねぇ…。あの時はきつかったですね。


―――子ども達と夫と、夫々の領域を侵さないようにして、仲良く生活しているのですね。あなたのお話は本当に信頼とはどういうことかを教えてくれますね。お幸せですね。簡単に幸せと言っても、それは勝ち取っていくものだということがよくわかりますね。親は「何もしない」ことですね。




8 今、夫婦で求職中!  Gさん 



―――Gさんは4月から川内から引越しされて宮崎県人になられたんですね。1年半前から親の会に参加していらっしゃいます。あの時は「僕はいいんです。子どもはいいんです。嫁が心配なんです」とおっしゃっていましたね。



@Gさん(父):そういうことがありましたね。もう、今はだいぶ楽になって、嫁とも娘とも、いつも言いますが一生懸命喧嘩をやっています。(笑い)


 私はものすごく好きな歌があるんですよ、たぶん皆さん年配だから(笑い)、ご存知ないと思うんですけど、NHK総合で夕方6時10分から放送されるアニメの前後にある歌で「勇気100パーセント」という歌です。娘が「お父ちゃん始まるよ〜」と言ってくれて、「辛いときはいつも傍にいてあげるから…」という歌なんですが、いい歌だなあと思って、今日はそれだけを言いにきました。あとは嫁が言うと思います。(笑い)


―――今は、ご夫婦ともお仕事の準備をされているんですよね。


 はい、3月31日で辞めまして、今はハローワークに行っています。退職しましても案外と忙しいんです。明日は就職の用事があり、泊まりで福岡に行きます。具体的にはまだ見つけていません。まだちょっとゆっくりしようかなと思っています。5ヶ月間は失業保険をいただけるということでしたから。(―――じゃあ、Hさんの希望の星になって…)(笑い)、いや、Hさんは先ほどのお話では、ある程度もう決まっているというお話でしたから、焦ります。(笑い)


―――お母さんも今仕事を探していらっしゃるんですね。


@Gさん(母):はい、娘にとってもすごくいいと思いました。宮崎に帰ったら、独身のときにすごく仲の良かった人が、高給の職場を見つけたけど合わなくて一月半で辞めた、また新しいところを探すから一緒に行かないと誘ってくれて、今ナースバンクに行っています。


 その人の娘さんは知覧の看護学校に行ったんですが、1週間で寂しくなって帰って来たそうで、日曜日にはまた知覧に帰ったんですが、そういう話を聞くと、娘は「私だけが不安じゃないんだ、みんながみんな最初からずっと仕事をしているわけじゃない、新しい学校に行っても寂しかったり不安で、親の顔を見に帰ってくるんだ」と、ちょっと勇気が出るという感じで言ってくれたので、宮崎の地元に帰ってよかったなあと思っています。


―――看護師さんのお仕事を目指していらっしゃるんですってね。先ほどお伺いしたら18年間ぐらいブランクがあるということで、30年のブランクの人もいらっしゃるのですから(笑い)、安心して働けますね。


 今度、娘は予備校に行くことになったんですが、そこがすごく不親切で、約束の時間に行っても担当の先生がいなかったり、説明が不十分だったりしているんです。でも、私はそのほうが娘が自分で調べて勉強をするからいいのかなあと思っています。本格的に行くのは明日からです。


―――振り返ってみて一番不安だったのは、どんな時でしたか?


 娘が学校を辞めると言ったとき、寝てばっかりでした。小さい頃から精一杯させてきたために娘がそうなったと、自分のせいだと思ったら自分が許せなくて、夜も2、3時間しか眠れず、ごはんも食べられないし、どうしようもない不安で薬に頼らないとダメでした。その時の皆さんの言葉もありがたいんだけれど、でも私のことは誰にも分からない、夫に慰められても、自分が一番可愛そうな気になってしまっていました。


 でもそれを経験したから、あのときの不安に比べたら今の不安は小さいなと思うと、少しずつ上がっていけて、仕事もしようという気になりました。(―――その時は人生の中で一番辛かったですか?) 初めてでした。先ほどじぇりさんが言われたみたいに、時間が薬だなあと思いました。






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