体験談
      
      2006年4月発行ニュースより。
      登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.121
      
      登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
      毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
      その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。
      
      体験談(親の会ニュース)目次はこちら→
      
      
      
      信頼があればこそ、子どもは自分で決めることが出来る  
       
       3月例会報告
      
       「好きなこと」って? 例会で話題になりました。
      よく不登校の子や引きこもっている子に「自分の好きなことしなさい」と言いますね。
      ところが、「好きなことがわからなかったりする」本人は自分を否定します。
      好きなことは、毎日の暮らしのなかで「今」を大事にしていくなかで出てくるもの。
      焦ることはないんですね。
      
      
       3、4月は心がざわつく時期でもあります。
      進学や進路のことで親子の気持ちが揺らいで不安になります。
      率直に状況が出されました。
      不安を出しあい、それを受けとめる親の会の存在がいっそう大事だとの思いを強くしました。
       「親が手を貸す」ことの問題、これも大事な話題の中心でした。
      つい手を貸してしまっては、我が子の生きる力を奪うことになります。
      
      
      親は手を貸さず、何も言わず、放っておくことです。
      それは我が子にたいする信頼がなくてはできません。
      それができれば、子どもは自分の人生を自分で決めていく力を身につけていきます。
      
      
      子どもが「自分は親や家族から愛されている、信頼されている」と感じることが出来れば、どんなに辛く苦しくても自分の人生を歩んでいくことができます。家族の信頼や無条件の愛情という土台があって、生きる力が出てくるのです。
      
      
       不安ゆえに我が子の言いなりになってしまう・・・。
      そんなとき、言いなりにはならないで、しかし親自身の不安も否定しない、不安を持っている自分のあるがままを認めよう。
      
      
      すると、あるがままの我が子も受けとめることが出来る・・・。
      これからも、自分の気持ちを出し合って、経験を交流していきましょう。
       「親の会に出会って我が家は救われました」と何人もの方が言われました。
      16年間積み重ねてきた親の会の貴重な財産だと胸が熱くなりました。
      
      
      
       1.「好きなこと」って?    まいさん
      
       2.「今を大事にすると見つかるんだね」   内沢達
      
       3.息子は中学を卒業しました    Mさん(母)
      
       4.「信頼があればこそ、子どもは自分で決めることが出来る  木藤厚子(世話人)
      
       5.お父さんとお母さんは仲良くなっているよね」   Gさん
      
       6.二人の娘たちと暮らす幸せに感謝    Nさん(母)
      
       7.涙で眠れなかった日々、今はうれしくて眠れないの  Kさん(母)
      
       8.不安は不安のままで、あるがままに    内沢達
      
      
      
      
      ―――(内沢朋子)(世話人):3,4月はちょっと気持ちがざわざわする時期ですね。
      それは周囲が移動するからですね。
      親も子も不安になったり、そういう時期です。色々大変な時期でもありますね。
      
      夫、達がこの3ヶ月間の親の会での発言を冊子にまとめましたので、後でお配りしますので、改めて読んでいただければと思います。
       
       
      
      
      「好きなこと」って?    まいさん
      
      
      @今17歳です。
      アルバイトをしたいと言ったときに、「それはダメだ」と言われたことが嫌で、私がしたいと言ったら親は黙って見守ってくれたらいいのにという気持ちがあって。
      (―――なるほどね。絶対ダメだと言われたら、余計したいと言うよね)はい。
      
      
      いいよとなって、2回受けたんですが、そこの会社のアンケートに「疲れたときでも体調が悪いときでも、顔に出さずに仕事が出来ますか」というのあって、はいには○をせず、状況によるという方に○をしました。
      会社はそういうことを求めているということだから、そんなのは無理だと思って・・・。
      (―――今、振りかえってどうしてアルバイトをしようと思ったの?)
      
      
       いつもあいみちゃんと遊んでいたから、あいみちゃんがバイトを始めたら私はやることがなくなってすごく暇だから、私もバイトでもしてみようかと思ったんです。
      でもちょっと焦っていたなと思います。
      今はもう暇なりに何か見つけたり、たまに料理して、今度は学校に行きたいなあと思ったり、でも自信がないなあと思ったりです。
      その学校のことで、お母さんやお祖母ちゃんがウキウキしたり、がっかりしたりしたんです。
      (―――自分が焦っていることってそのときは分からなくて、後で分かるんだよね。周りもウキウキするしね)
      
      
       そのウキウキを見るとやりたくなくなるんです(笑い)。
      まだウキウキしてるのかと思って。
      見ないと言っているのに、学校の切り抜きなどをそこら辺に置いてあったり(笑い)。
      でも、そういうふうにする気持ちも分かるし、お祖母ちゃんが卒業式を放映しているテレビを見て、「はあ」とため息をついたりして、そんな気持ちも分かります。(笑い)
      
      
      ―――以前だったらそういう状況を見るとすごく傷ついたと思うんですが、今は、ああやってんだという気持ちで見れるという、そんな感じなんでしょう。
      
      
      はい、以前の気持とは全然違います。
      でも、やっぱり不安もあって、そんなときが来るんだろうな思うんだけど、自分だけ遅かったらどうしようとかと思ってしまい・・・。
      今、3月だし、そんな日が来るのかなと、すごく心配になってきたんです。
      
      
      ―――いくつになったんでしたか?(まだ17歳)(笑い)、世話人の瀬戸山さんは55歳から働き出したんだよ。(笑い)
       その人その人の時期というのがありますからね。
      知らない間に動き出してしまう、そのときがほんとにやりたいときですね。
      
      
      自分のことが大好きですか? (はい、それなりに) 以前は、大好き?と聞いたら、「うん」と即答していたけど、3,4月はそんなふうに「それなりに」という感じになるんです。
      そういうときこそ、自分は焦っているんだと気がついて、じっと動かないでいる、そのうちにやりたいと思うエネルギーが膨らんでくるからね。
      
      
       今決めたらきっと周りの空気で決めたことになると思って、もうちょっと待ってみて、それから決めた方がいいかなと思っています。
      
      
      
      
      
      「今を大事にすると見つかるんだね」   内沢達
      
      
      ―――(内沢達)(世話人):まいさんの好きなことは何ですか?
      (食べることです)(笑い)。
       「決める」って、人によって何を決めるかはいろいろだけど、まいさんが決める中味はなんですか?
      (学校に行くか、行かないかということです)
      
      
       「学校に行った方がいい」ということが今後ありえると思うけど、今は「学校に行くか、行かないか」よりも、自分が好きなことに気づく方がよっぽど大事じゃないかな。
       以前、玲子が言ってたけれど、まいさんの英語の発音はすごいんだよね。
      だから、例えば英語を学校で勉強することよりも、英語が好きという方が大事だと思う。今、食べること、料理が好きと言ったけど、好きなことから自分の世界が広がっていくと思う。
      他にも、小説を読むのが好きだとか・・・、そういうのは、学校での国語・算数・理科・社会といった勉強よりももっと大事なことで、いろんなことを日々学んでいると思う。
      
      
       まいさんはそういう好きなものって何なのか、自分のなかで「ひょっとしたらこれじゃないかな」と感じることはないですか?(分かりません)
       いま特別にないのだったら、なにかやりたい、本当に勉強したいと思うことが出てきてから、そのためには学校に行ったほうが有利だ、というときに行くことを決めたらいいと思います。
      
      
       ところで、自分が好きなことって何なのか、やってみたいことって何なのか、まいさんに限らず分からないものです。
      大人だって簡単には答えられません。
      そういうときは、「今日、いま、したいことは何なのか」を大事にしていったらいいと思います。
      「今日、したいことは特にない」のだったら、ボーっとしていることも含めてとにかく「いま」を大事にしていく。
      気が付くと「今日」何かにはまっていた。知らず知らずのうちに何かに夢中になっていた。そういった積み重ねのなかで、自分が好きなこと、やってみたいことが出てきます。
      
      
       そして、何かをやり始めるのも動き出すのも、「100パーセントこれだ!と確信を持てるようになってからだ」と考える必要は全くありません。
      「案ずるより産むがやすし」で、そのときがきてやり始めると自ずと答えが出てくるものです。1年ほど前、わが娘・玲子がHPの掲示板に「バリバリバリ・・・」と書いていましたが、動き出してからも迷いがたくさんありました。それが当然だと思います。
      
      
      誰でも、とくに子どもや若者の場合は、本人自身の試行錯誤がとても大切で、いろいろな失敗も含めて、全部力になっていきます。
      
      
      
      
      
      息子は中学を卒業しました    Mさん(母)
      
      
      @(―――息子さんが中学を卒業されましたね。)
      はい。卒業式はどうなるかなと思っていたんですが、卒業式の前日も、当日も担任から電話があり、「明日は卒業式だけど、どうされますか?」と言ってきました。
      「たぶん難しいと思います」と答え、本人も「僕、行かない」と言いました。
      「欠席でいいですね」と念を押されて、式終了後にもまた電話で、「卒業証書を本人に直接校長が渡したい」と言うんです。
      帰宅した息子に聞くと「僕はやっぱり嫌だ」と言ったので、2日後、私が受け取りに行きました。
      担任から簡単に証書を貰えると思ったのに、図書室で私、担任、校長とで話をすることになり、すぐにはくれませんでした(笑い)。
      
      
      息子は、学校行事のフェスタでベースギターをやることを目標にしていたので、3年生ではその日のためのオーディションと、リハーサルと、本番の3日しか学校に行きませんでした。
      その時のことが話題になり、校長は首を傾げながら、あの顔はすぐ学校に来れそうな顔なのに分からないと言って(笑い)。
      
      
      私が「見た目と中味は違います」「最初は学校に行ってもらいたいと思ったけど、今は本人の意思を大事にしたいと思っています」とか、親の会のお話もしました。
      学校側は「これから高校に行くという明るい話でもあったら、窓口になりますから」(笑い)、ということだったんです。
      
      
      息子は、中2の2学期の期末テストの頃に完全に行けなくなりました。
      その頃私は1日も早く学校に行ってほしい、行ってほしいと思っていました。
      親の会に初めて参加したのは昨年の6月でした。
      最初は学校に行けるようになると思ってきました。でも、だんだん参加するうちに、行くのは本人なんだと思うようになって。
      (―――お母さんのお気持は楽になりましたか?)
      
      
      学校でカウンセリングを受けるよりはずっと気持ちが楽になっています。
      6月の頃は、カウンセラーは学校へ行かせようとする、親の会は行かなくてもいいという、でも私は行ってほしいからカウンセラーの方かなと思ったけど、カウンセラーは無理なことを言うんです。
      規則正しい生活をさせなさいとか、外に引っ張り出しなさいとかですね、でもいくら言っても本人が動かないんです。
      そんなふうに出来ないと私が落ち込みました。
      
      
      ここでお話を聞いているうちに、だんだん私が楽になったので、一番は私が元気になった方がいいかなと思って、友達からもすごく明るくなったね、落ち込んでいたけど立ち直りも早いねと言われて。(笑い) 
      (―――担任から入試の資料も目につくように置きなさいと言われたこともありましたね。)
      
      
      卒業文集づくりのときも、息子にも書いてほしいと言われて、ええっ、学校に行ってない子に何を書けというのかと思い、「それは酷過ぎます。パスして下さい」と怒ったんです。
      「そうですかね」と担任は言い、卒業証書の渡し方の話をして、何か吊るような感じでした。
      本人と代わってほしいと言われたけど、以前2階へ逃げて布団にもぐりこみ、起こしても会いたくないと言い、それから担任を拒否して会っていません。
      そういうことがあったのに不登校の子の気持ちを全然考えてくれない人でした。
      
      
      息子は高校は受験する気はなく、毎日ゲームばかりして、私も受験の確認をしませんでした。
      ですからどこも受験しませんでした。
      卒業した息子の同級生も遊びに来るようになって、私は高校入試の結果なども辛くて聞けないかもと思っていたけど、案外色々話せるようになっていました。
      
      
       息子の卒業式が終わったら、私はもう学校と縁が切れて気持ちが晴れ晴れしています。これから学校から電話も来ないし、それが一番楽です。
      (―――通知表はどうでしたか?)全部評価なしでした。
      (―――卒業についてはどうでしたか?)どうされますかという確認の電話がきて、「卒業させてください」で終わりでした。
      
      
      ―――あなたのお気持ちも晴れ晴れになって本当に良かったでしたね。(はい) とにかく親御さんの気持ちが楽になることが何よりなんです。
      学校に行くか行かないかにこだわって捉われている時はすごく気持ちが沈んでいくでしょう。
      
      
      学校に行かないと私が不安でした。
      (―――息子さんが食べなかったこともありましたね) はい、今は2食ですが、昼夜逆転しているので昼くらいに起きて「腹が空いた、空いた」と食べます。
      
      
      ―――それはよかったですね。
      気持ちが安心して楽になってきたということですね。
      一緒に住んでるということに感謝してね。
      その気持ちを忘れるとこれから、また何かしてほしいという新たな気持ちが登場してきますから。
      
      
       いつまでこうしてるんだろうかと思って(笑い)。ゲームばかりして。
      
      
      ―――ゲームばかりして運動不足にならないだろうかとか、皆が高校に行っているのにうちの息子だけがとか、いつまでとか、絶対に焦りと不安が起きてきます。
      「そのままでいいんだよ」ということの大切さが不安でかき消されていくんですね。
      
      
       その不安は親の会に繰り返し繰り返し参加していくうちになくなって気持ちが楽になっていく、だけど、もう分かったからと参加しなくなると、そこからまた不安が大きくなって我が子を信じられなくなっていきますね。
       (でも、親としては1日でも早く動いてほしいというのがありますが、まだ早いかな)(大笑い) 正直でいいですね。(笑い)「親がしないと子どもはするようになる」んです。
      
      
      
      
      
      信頼があればこそ、子どもは自分で決めることが出来る  木藤厚子(世話人)
      
      
      @長男は25歳で、次男は24歳です。
      二人とも不登校を体験し、今は県外の大学に行っています。
       長男は中2から不登校になり、それから10年間ずっと家に居てゆっくり過ごしてきました。
      先程、達さんが好きなことから始めていくと言われましたが、私の長男もそんなふうに自分の道を決めていったんだなと思います。
      
      
       息子は小さい頃から機械やもの作りが好きでした。不登校になった頃はテレビとゲームの生活をしていましたが、しばらくしてからパソコンに興味を持ちはじめました。
      それからは昼夜逆転の生活で、いろいろパソコンについて調べはじめました。
      わからないところはパソコンの解説書を見たり、本屋に行って雑誌を買ったり、パソコンの番組をビデオに撮ってわかるまでやっていました。
      
      
       パソコンが自由に使えるようになってくると、息子は大変忙しかったです。
      親の会のニュース、子どもの人権を守る連絡会ニュース、村方さんのいじめ自殺裁判の資料作りと3つを掛け持ちで手伝ってくれました。
      しまいにはもう自分達でやってくれと言われてしまいました。(笑い)
      
      
       もうその頃には充分に休んでいたのでしょう。
      18歳の時に大検を受けると言って自分で勉強を始めましたが、不登校の幼なじみの子から塾に誘われ一緒に通いはじめ、その年に大検に合格しました。
      その後も週2回塾に通って勉強を続けていました。1年半後に大学を受験したんですが、まだそのときは何をやりたいかが自分の中で決まらず、とりあえず受けてみようかという感じでした。
      合格するとは思っていなかったのに合格してしまい、でもやっぱりまだ自分の中に大学に行くという気持ちがないことがわかり、「行かない」と言いました。
      私たち親も本人の意思を受け入れました。
      
      
       その後は塾もやめ、自動車の免許を取ったり、家で普通に生活し、相変わらずパソコンと向かい合った生活をしていました。でも今振り返ってみると、いろいろ自分の道を探していたんだなと思うんです。 
      
      
       大学受験から2年半経って、10月に突然「センター試験を受けてみようかな」と言うんです。
      私は大学に行くことを考えているとは知らなかったので、「センター試験というのは大学に行くためにあるんだから受験をしないのに受けても無駄になるんだよ」と言ったくらいです。
      その後自分でセンター試験の申し込み書を取り寄せ、受験料も自分のお金で払って手続きをしました。
      センター試験後、大学受験をしましたが、受ける大学も学科も自分で決めました。
      やっぱり息子が好きな情報関係の学科です。
      
      
       私は息子が忙しいと言って自分の部屋で何かやっているのはわかっていたんですが、まさか受験勉強していたとは知りませんでした。
      後で聞くと4月頃から準備していたと言うのです。
      受験勉強もパソコンを使い、インターネットで受験問題を調べたり、英語のテスト問題をやっていました。
      うちのパソコンは台所に置いて共有して使っていたので、そうなんだとわかりました。
      
      
       23歳の時に大学に合格しましたが、前回とは違い入学の手続きやアパート関係の手続きなど、息子が一人で積極的にやり、本当に自分が納得していく姿が見えました。
       今は春休みですが、帰ってくるのは1週間だけでもうさっさと自分のアパートへ帰ってしまいます。
      
      
       ですから本当に親がいろいろ心配しなくても、結局は自分の好きなもの、やりたいことを自分が見つけて選択し、どんどん広げていくんだなと思います。
      
      
      ―――大事なのは大学を受けようとしていることも、受験勉強していることも親は知らなかったということですね。
      木藤さんは自分のことに夢中でしたから、そんなことは知らず、息子は家にいて当たり前という生活をしていたわけです。
      
      
      親がしなさいといったわけではない、そんなふうにしてやることがその子の力になっていく。
      木藤さんの息子さんの場合はパソコンが好きでそこからどんどん広がっていったということですね。
      
      
       さっきの夫の話ではないけれど、今日何か好きなことをやろう、そのことが自分の興味として広がっていくわけです。
      先を見通してこれをするために今自分はこうするんだということではないのですね。
      世間一般はそのように考えがちですが、でも多くの子ども達も私たち大人も含めて、何が好きなのと聞かれたら、答えられない子どもがほとんどですよ。
      
      
      好きなことというのはそんなに簡単に見つかるわけではないし、いろんなことを体験していく中で好きなことというのが出てくるわけです。仕事だってそうですね。
      家にいるのが当たり前と暮らしていたら、突然子どもが動き出したということですね。
      だから親がどうなの、どうなのと言っているうちは、子どもはエネルギーが貯まっていかないんですね。
      
      
      
      
      
      「お父さんとお母さんは仲良くなっているよね」   Gさん
      
      
      ―――世話人の木藤さんがお電話で後藤さんの娘さんといろいろ話したそうですね。
      
      木藤:親の会のお誘いの電話をした時に娘さんが出られました。
      娘さんに「親の会のニュースを読んでいるの?」と聞くと、「毎月楽しみに読んでいる」と言っていました。「お父さんとお母さんの発言を読んでどお?」と聞いたら、「ハゲ親父とか言ったことまでも言わなくていいのにと思う」と言うので、「お父さんを信頼しているから言うんでしょう」と聞くと、「そうです」と答えました。
      
      
       「御両親が包み隠さず皆さんの前で話してくださるのは、親の会を信頼してくださっているからで、とても素敵なことだと思うよ」と言うと、「ああ、そうですねぇ」と新しい発見をしたように答えてくれました。
      
      
      ―――よかったですね。すごくお父さんのことを信頼しているって。
      
      
      @Gさん(母):昨日もケンカしていました。(笑い)
       娘は昨年3月に自分で高校を退学し1年経ちました。
      
      
      @Gさん(父):真剣にケンカすることはすごく大事なことだと思います。
      他の人とはケンカできませんもの。
      もうちょっと早く晩御飯を食べろとか、テレビのチャンネルを変えるとか、そんなことなんですけどね。(笑い)
      
      
      ―――そういうことですね。
      娘さんは学校を辞めてからアルバイトをしたいという話がありましたが、そういうことはもう言わないんですか?
      
      
      ・(母):学校を辞めてからすぐ、バイトしないと自分のいる場所もないし、親に迷惑かけるからと言って求人情報誌を買ってきました。
      履歴書に学校を辞めた理由をどう書いていいかわからないと言いました。
      娘が木藤さんに電話で相談したら、「あせっているんじゃない」と一言言われて、「あ、やっぱりあせっていたんだ」と言ってすぐに止めました。
      
      
       また自分で家の近くの職安に行ったり、インターネットで調べたんですけど、やっぱり18歳くらいにならないと仕事もないとわかり、自分で納得しました。
      私たち自身も安心して、その後旅行に行ったり、ゆっくり過ごしていたら子どももゆっくりと落ち着いてきました。
      
      
       去年8月に娘と二人で10日間京都旅行をしたんですが、その後くらいから娘は「私、大学に行ってみたい」と言い出しました。
      「お母さんは何もしてあげられないよ」と言うと、娘は先程話しが出た国際アカデミーに自分で電話をして、授業体験もしましたが、毎日は無理だし自分には合わないかなあと言って、家の近くに塾を見つけました。今は楽しそうに通っています。
      
      
       娘が「雪が降っているんだけど」とか、「スプレー事件があって危ないかも私」と塾へ送ってもらいたいという意思表示をしたときに、「じゃあ行かなければいいんじゃない」と言うと、自分で自転車で行っていました。
      
      
       ですから先程から言われているように、親は何もしないで手を貸さないでいると動くんだなと思います。
      達さんが言われたように、娘も100パーセント動きたいと思って動くんではなくて、大学は1つの手段として行きたいから勉強する、ある程度の目標が決まったから動き出しているんだと思って、それでいいんだなと思いました。今は娘がやりたくて勉強しているんだと思います。
      
      
       1年前はこれからどうなるんだろうと不安や心配もありましたが、今を楽しもうと毎日を暮らしてきたら、私自身も家族も変わりました。4月からの宮崎での新しい家での生活も楽しみですし、自分が働くのも楽しみです。
      
      
      木藤:娘さんが「お父さんとお母さんは私が不登校になった頃に比べたら、仲良くなっている」と言われていましたよ。(笑い)
      
      
      ・(母):最近東京で、中学生の不登校の男の子が家に火をつけた事件がありましたよね。娘はそれを聞いて、「この子の親も親の会に行けばよかったのにね」と言いました。
      だから娘も親の会を信頼しているんだなと思いました。
       (―――以前は本当に寛子さんご自身がものすごく不安でしたね。今は全然違うわけでしょう。)
      
      
       全然違います。今は本当に生きているだけでありがたいし、娘がいてくれるだけで幸せだと思います。本当にかわいいと思えます。
      
      
      ・(父):私は今月いっぱいで退職します。
      しばらくはハローワークに通いながらゆっくりあせらずやっていこうと思っています。
       本当にここに来てつくづく良かったなと思います。振り返ってみると転機が何回かありました。前の高校に行けなくなって私の単身赴任先の川内に妻と娘が来たわけですが、その高校も娘が辞めると言いました。そこを辞めたのがまたひとつ良かったなあと思っています。
      
      
       それまでは電話がかかってきてもびくびくして出ることが出来ませんでした。
      ウサギを飼ったんですが、狭い家ですからケンカをしてもウサギの世話をしなければならず、それが仲介役となってくれたと思います。(笑い)
       私もいろいろ仕事の面でありましたが、思い切って会社を辞めて良かったと思います。
      
      
       来月からは川内からではなく宮崎から参加します。
      どのくらいこの会に通ったかなと振り返ったら1年6ヶ月なんですね。
      
      
      ―――お父さんご自身が職場のことですごく不安を抱えていらして、辛い時もあったけれど、自分を大切にしていこうと考えていったら、結局ちゃんと落ち着かれましたものね。
       アル中じゃないかと悩まれたり、娘さんに嫌われたりありましたね。
      (はい、何回も嫌われました)(笑い) それが今娘さんはお父さんを信頼しているって、何よりのうれしい言葉ですね。ありがたいですね(はい)
      
      
      ・(母):先月の会の後は二人で食事をして夜遅くに帰りました。
      帰りは9時過ぎで、電車の中は静かだったんです。
      なのに夫は酔っ払って、「内沢さんが何を言おうとしているかわかるか」、「この会に来てよかった」と大きな声でしゃべって恥ずかしかったです。(笑い)
      
      
      ・(父):もうひとつ言わせてください。
      「私は小さい頃一生懸命勉強して天皇陛下になりたいと思っていた」と話したら、前の座席の娘さんがクスッと笑ったんです。(大笑い) 
      天皇陛下になれないのが本当にショックでした。
      
      
      ―――かわいらしいですね。
      高校を出たから何かしなくてはいけないとか、中退したから何かしなくてはいけないとか、そういうことではないんですね。
      大人であっても仕事を辞めなければならない時があって、またそれで辞めていいんですね。自分の人生を悔いなく大切に生きるということですね。
      
      
      
      
      
      二人の娘たちと暮らす幸せに感謝    Nさん(母)
      
      
      21歳の長女は中1から、17歳の次女は小5から不登校で二人とも家に居ます。
       (―――中学を卒業して高校に行きたいとか、働きたいというようなことはどうでしたか?)
       なかったというか、そういう次元ではなく娘は自己否定が強く、自分がここにいてはいけないというのがずっと続いていました。
      
      
       もしこの会と縁がなかったらそういうことも思ったかもしれませんが、娘の自己否定の姿を見たら、とても高校とかそういう状態ではなかったのと、この会に来ていたということで、そういうことを考えて動揺することがなくて本当によかったです。
      当時、長女は自分のことが嫌いでたまらないという状態でした。
      
      
      娘たち二人は、以前も今もよくケンカをしますが、最近は自分の意見を言い合っているような感じです。好きなものも似ていて、今は新作のゲームにはまっています。
      昼夜逆転ですが、昼間も夜中も家事をしながら楽しんでいるようです。
      私はその様子を見て、すごくいいなあ、うれしいなあと思います。
      
      
       娘が私が好きなCDを借りてきて録音してくれるんです。
      私は仕事の行き帰り車の中で聞いたり、仕事で嫌なことがあったりすると一緒に歌ったりしています。
      娘たちに支えられていると感じます。
      だから娘たちがいなくなった生活を想像すると、夫と二人で生活できるだろうかと、そっちのほうを心配してしまいます。(笑い)居て当たり前ですごく頼りにしています。
      
      
       2年前、長女がアルバイトをしたいと無理にあせって動き出したときは、どうしたら止めさせることが出来るだろうかと不安で、その時が今までの中で一番心配しました。
      大検を受検すると家庭教師を頼んだのですが、そのお金を親が出さないと言ったら、そのお金を作るためにアルバイトを始めたのでした。
      私は一切手を貸さなかったんですが、気持ちは心配で心配でたまらないわけですね。
      それをいかに娘に見せないかと努力したつもりなんですが、娘には見抜かれていましたね。
      
      
       私は、娘が今無理をしたら、今以上に自分を否定していくのではないかと思って、まだゆっくりしていてほしい、動き出すなと必死で言っていたわけです。
       それもまた今真衣ちゃんの話を聞いて、結局動くも動かないも娘が決めていくことで、あの時の話をすれば娘はやめてと言うんですが、いかに自分が無理をしていたかということを娘自身も勉強したと思います。私も、とにかく親は何もしないことだと勉強しました。
      
      
      ―――そうやって体験し、勉強になって、1つ1つ信頼関係が深まっていますよね。
      
      
      
      
      
      涙で眠れなかった日々、今はうれしくて眠れないの  Kさん(母)
      
      
      ―――ダスママさんも息子さんが幼稚園の時に行かなくなって、周りからどうするの、どうするのと言われて、息子さんを抱っこして泣いていたら、息子さんが「お母さんのために学校に行く」と言ったんでしたね。今度中学に入学するんですね。
      
      
      @今は大丈夫です。今度小学校を卒業するので学校と1回話をしました。
      私が「卒業式には出席しません」と言ったら、学校は「6年間を歩んできましたという大事な証書なので卒業証書授与を別にしたい」と言いました。
      私は「ここに子どもを連れてくる気持ちは一切ありませんのでお断りします」と言うと、「子どもさんも同じ意見ですか」と聞かれたので、「子どもには聞いていませんが同じだと思います。ここにくること自体がストレスで、ストレスがたまるようなところには連れてきたくありません」と言いました。
      
      
      「それじゃ卒業証書はどうしますか」と聞かれたので、「別にいいですよ、ポストにでも入れておいてください」と言ったら(笑い)、教頭先生が「エッ」という感じで沈黙して会話が出来なくなりました。
      
      どうしても大事なものなので郵送はできないと言うので、「私ひとりがもらって帰るということでいいですか」と言うと、校長先生もあきらめたみたいで、「じゃあ、お母さんの時間がある時に取りに来てくれたらすぐに渡しますから」となりました。
      ですから子どもは全く関係なく来週卒業することになりました。
      
      
       後は中学校と話してくださいと言われたんですが、何も連絡はありませんし、入学説明会もすでに終わっているようです。
      
      
      ―――あなたは親の会に来て何年になりますか。(5年です)
       皆さん、5年も経つとこのようになります。(笑い)
       5年前は本当に弱い感じのお母さんで泣いていましたものね。
      
      
       今の方のお話を聞いていたら昔の私とダブるところがいっぱいありますね。
      この時期はとっても不安で、進級できるかどうかだけでも心配でした。
      学校と話すことがすごくストレスでした。
      
      
      ―――今は学校と距離を取って、親子3人とダスと暮らして、幸せなのね。
      
      
       はい、今は学校のことを全然気にせずに、ただ中学は入学式直後に連絡があるかなと思っています。嫌やな、というのはちょっとあります。その程度ですね。
      
      
      ―――毎日の生活をすごく楽しんでいるんでしょう。
      お茶をしたり、お花を育てたり、そういうことがとっても喜びになっているのね。
      
      
       毎日自分のしたいことをしています。
      今まで趣味はなかったんですが、ちょっとした花を育ててみたり、花が咲くだけですごくうれしかったり、ダスのことからいろんな犬関係のことを広く調べたりしています。
      ご飯も昨日はパパが好きなものを作ったから、今日は子どもが好きなものを作ってあげよう。たまに自分がどうしてもこれが食べたいというときは家族のことを考えずにそれをどっさり作って皆で食べます。
      
      
       夜寝る時も明日の晩御飯は何にしようか、ジャガイモがいっぱいあるからポテトサラダにしようか、ご飯を作っている間にあそこをかたずけようとか考えていたらどんどん楽しくなって眠れなくなって、早くそれがしたくて気がついたら外が明るくなっているんです。(笑い)
       お金を使わなくても身近なところに幸せがあるんだなと思います。
       (―――朝起きるとウキウキするんでしょう) 朝はちょっとボーッとしているんですが、しばらくしたらヨッシャーみたいな感じです。(笑い)
      
      
      ―――以前、息子さんを抱いて泣いていた頃はそんな喜びはなかったでしょう。
      
      
       なかったですね。
      明日のご飯は何を作ろうと思ってうれしくて眠れないなんて事もありませんでしたし、夜は毎晩不登校の本を読みながらひとりで泣いていました。
      子どもの寝顔を見ながら、休ませてやりたいのに行かせていた自分がいたので、子どもの気持ちを考えた時に自分の未熟さや弱さがすごく悔しかったり、子どもに対してすごくかわいそうなことをしていると思いながら、子どもをなでながらごめんねと謝っていました。
      気がついたら、泣いて明け方を迎えるという日々が続いていました。
      
      
       そのときは幼稚園、学校、周りの父母が皆怖くて、電話の音が恐怖でした。
      第一声でそういう人たちからの電話だとわかるとものすごく緊張が走って、電話を取らなければよかったと後悔したし、電話を切った後もホッとするのではなく、何時間かは無気力になっていました。それだけで私が辛くなって、常にそういうことで泣いていました。
      子どもも辛いのに私の気持ちが伝わって、すごく小さいのに「ママのために行くね」と言ったんだと思います。
      
      
       私が安心して強くなってくると、子どももそういうことは言わなくなりました。
      堂々と家にいて、家にいるのが当たり前、こういう道もあると納得して過ごしています。
      
      
      
      
      不安は不安のままで、あるがままに    内沢達
      
      
      ―――(内沢達):僕は心臓病です。
      自分のことを頭のなかでは特殊とは思っていなかったけれど、気持ちの上では特殊と感じていたんですね。先月お話したように、新年1月の半ばからしばらく調子が悪かったとき、なんで調子が悪くなったのか解せずに、隠れた気がつかない病気があるんじゃないかと不安になったわけです。
      いや、逆に言ったほうがよくて、そのように不安を募らせて調子を悪くしておりました。
      
      
      Sさんもご自身のことを理屈では相当にお分かりと思います。
      しかし、荒れる息子さんを、こわい、おそろしいという気持ちや感情はどうしょうもないといったところでしょうか。
      
      
       私たちの親の会はずっと〈子どものあるがままを認める〉という考え方でやってきています。
      子どもだけでなく、我々〈大人のあるがままを認める〉ことも大事だと言ってきました。
      「親だから、大人だから、しっかりしなくちゃいけない」とは全然思いません。
      しっかりしているのも素晴らしいけれど、しっかりしていないというのも人間的でよいのではないでしょうか。
      大人でも、このうえなく辛く苦しいとき、悲しいときがあります。
      大人だからといって、そうした感情を抑える必要はまったくありません。こわい、おそろしいときも同じです。
      
      
      怖いときに「怖がってはいけない」というのは無理な話です。
      怖い自分をそのまま認めてあげてください。立ちすくんでも、その場から逃げ出してもかまいません。
      
      
      自分自身の〈あるがままを大事にする〉とは、そういうことです。悲しいときには悲しみにどっぷりとつかり、辛く苦しいときにはそれをそのまま受け入れ、怖いときはとことん怖がったらよいのだと思います。その時々の自分になりきったらよいのだと思います。
      
      
      怖いときに「怖がっている自分」を否定してはいけません。
      否定して、余計なことをするとおかしくなります。子どもが「要求」したからと言って、子どもが本当に望んでいないことを親がしてしまうとダメなんです。
      
      
      ―――荒れる我が子を怖いという気持ちがあるのは本当にそうでしょうね。
      でも、これだけはわかってほしいのです。
      怖いからといって全部ゆずってはいけません。これだけはしてはいけないとわかっているのに、怖いからといって言いなりになってしてしまうのは、息子さんの苦悩が増すばかりです。
      ご夫婦で力を合わせることができますし、努力する余地もいっぱいあります。
      
      親の会には是非ともご夫婦でご参加ください。
      他の人の経験から学ぶことがたくさんあります。
      ここで元気をもらってご夫婦で力をあわせてやっていくと必ず道は開けていきます。