TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2007年11月発行ニュースより
お母さんは何もしなくていいから。笑っていてね 10月例会報告 「息子(高校)の不登校に不安」と初参加の方。体験を出し合いました。 思いもよらなかったわが子の不登校に、はじめは何とかして「学校に戻そう」と考えます。 しかし、思うようにはいきません。不安と苛立ち・・・。 親の会と出会い、「学校に行かないことは何も問題ない。改めるべきは不登校や引きこもりに対する偏見かもしれない」と気づいていきます。 わが子をどうにかしようと考えているうちは、不安や辛さが増すばかりでした。 子どもの問題ではなく、じつは親である自分自身が一番不安だったのだと気づきます。 子どもではなく、自分自身の生き方に関心がいくと、わが子への「監視の目」はなくなります。 わが子の今の状態を自然なものとして受け止められるようになり、わが子への信頼が大きくなってきます。 それでも不安は押し寄せてきます。そのたびに親の会で確認していく。 不安を否定しないで不安とともに生きてゆく。 そうした包容力が親の会にはあります。 「自分を一番大切にしていこう」が親の会の大事なモットーのひとつです。 学校と距離をとりたいわが子の不登校は、自分を大切にしたいという意思表示です。 そのことに気がつくと、親も自分自身を大切にしているか、振り返らざるをえません。 親も「自分を大切にする」生き方をわが子から学ぶのですね。 異口同音に「わが子に感謝」という言葉が出てきて、感動です。 Kさんは気持ちが楽になって、笑顔が増えてきました。 子どもたちもうれしそうです。 「お母さん、何もしなくていいから。笑っていてね」と。 何よりの言葉です。 親子の笑顔。信頼がないと笑顔は出てきません。 「家族の笑顔」ほど大切なものはありません。 目次 1 わが子のおかげで僕の人生観が変わった Mさん(父) 2 離婚をとおして、自分の柱をしっかりと・・・ mihoさん 3 毎日ワクワクしています じぇりさん 4 息子のおかげで、たくさん「幸せ」発見! Nさん(母) 5 お母さんは何もしなくていいから。笑っていてね Kさん(母) ―――(内沢朋子)(世話人):向精神薬「リタリン」について朝日新聞(10/10付)、NHK等いろいろ報道されています。薬物依存の恐ろしさが問題になっています。 不登校や引きこもりにともなう様々な状態を病気と診断し、「夜眠るために」睡眠薬を、「朝起き、昼やる気を出すために」リタリンを処方される。最初は1日1錠ほどが4年後は30錠まで増える。薬物依存から抜け出せなくなり、大変な苦しみを味わうというものです。 私はこれはリタリンに限らず、不登校や引きこもりを異常視し、治療の対象にして、薬を出すことに大きな問題があると思っています。 不登校や引きこもりは、おかしいことでは全くありません。ですから、もちろん治療や矯正の対象ではありません。 それでは交流していきましょう。 わが子のおかげで僕の人生観が変わった Mさん(父) 息子は9月で20歳になりました。高校を2日で行かなくなり、翌年留年が明らかになった時点で退学し家で過ごしていましたが、今年の4月から飲食店で働いています。 60歳ぐらいの職場の先輩で、親身に世話をしてくれる人から「20歳になったら一緒に酒飲もうな」と言われたらしいです。 息子は夜11時か、日によっては12時を過ぎて帰って来ます。私はもう寝ているので、話す機会がなくすれ違いが多いんです。 妻と息子は話すことはあって、今朝も「夕べは団体さんが25人ぐらい来て大変だった」などと話していました。順調にやっているようです。何かあればきっと相談してきてくれるだろうと思っています。 ―――今日は子どもさんが高校で不登校になった新しい方がいらしていますので、高校を退学したMさんの体験を教えて下さい。 息子は中学3年の1学期の途中から行ったり行かなかったりで、担任が家に来て話したりしていました。 そのときは私も学校に行って欲しいという気持ちがあるし、起きない息子を無理やり起こして学校に行かせようとしていました。 実行はしなかったけれど、もし、起きないようだったら、洗面器の水を顔からかけてでも起こして行かせようというような気持ちでいました。(笑) ―――無理やり起こしているときの、あなたの気持ちはイライラ、トゲトゲした気持ちでしたでしょうね。じゃ、息子さんのことは、その時はあまり可愛くなかったでしょう。 そうですね。そんな感じですね。言ってみれば「なんて意志の弱いやつだろう」と思っていましたね。(―――僕はこんなに意思が強いのにって?) いや、僕も子どものときはそうだったから(笑)。 それで夏休みになると、みんな家にいて同じような状況になるから元気になるんですよね。 1学期の頃、サッカーをやっていたんですけど、3年になって辞めたので、自転車漕ぎなど運動器具を買って、出来るだけ外で運動させて、夜はぐっすり寝るという生活習慣を作ろうかなと思っていました。(笑) そうして9月の2学期からちゃんと行けるようにしようと思っていました。 実際にはやりませんでしたけど。 8月が終わる頃の昼夜逆転の息子の姿を見て、僕はすごくイライラして、どうもこの調子じゃ難しいなと思いました。 でも2学期初日学校に行ったんです。 その時僕はものすごく嬉しくて、「やった、これで行ける」と思いました。(笑) そしたら2日目から行きませんでした。(笑) その時、妻にも「もう、無理にやらせる必要はない」と言い、息子にも「1学期みたいに、朝無理やり起こしたりしないから、自分から行きたいなと思ったり、行けるようになったら行けばいいから」と言いました。 すると次の朝からは、パッと起きれるようになりました。 でも学校は行かなかったです。(笑) ―――そのようにあなたの心境が変化したのはどうしてですか? 1学期は無理やり起こしていましたが、息子の姿を見ていて、これはおかしいなという感じがあり、夏休み中にいろんなことをして何とか2学期から自然に行けるような環境が出来たらいいなと思っていました。 それでダメだったら無理に行かせることは止めようと思っていました。 妻にもそうしていこうと相談しました。2学期からは行っていません。 ―――それで、ご自分の気持ちは楽になりましたか? いいえ、楽にはなりません。その時、妻に言ったのが、昔の話ですけど「西鉄バスの少年の話」(バスジャック事件)がありましたが、息子は彼と同じような環境になっていく、だから我々親はそんなふうにならないように注意していかないといけない、という話をしたのを覚えていますね。 僕としては、今学校に行けないという状態が始まったけど、少しでも早いうちに復帰できれば簡単に戻れるんじゃないか、その期間が長引けば長引くほど戻りにくくなるんじゃないかと思い、対策としては、周りが環境作りをして、早く学校に復帰できるようにするといいと思ったんです。 そこから僕はすごく責任を感じたんです。焦っていましたね。 ―――息子さんにそうは言ったものの、ご両親の心の中はとてもお辛かったのね。 子どもには「お父さん、お母さんは朝起こしたりはしないから」と言ったものの、僕の主眼は「君が学校に行けるようになったら行けばいいんだ」というところに気持ちがあったんです。 ―――でも、言わないでおこうと思うけれども、息子さんの見る目は苦しかったでしょうね。 その息子さんが、高校に行くと言い出した。 受験すると言って(―――喜んだでしょう。内心は)そうですね。 ―――合格して行った、どれぐらい行ったんですか? (2日)(笑) 2日のために受験料も払い、入学金も払い、制服も買い、いろいろ買ったんですか? でしょうね。(笑) ―――ずいぶん出費しましたね。でも、喜んだのね。いそいそとね。(そうです) 2日だった時のお気持ちはどうでした? 一番ショックだったのは中3の2学期、2日行って次の日から行かなくなった時ですので、もうその免疫があったから、高校もそんなもんだろうなという感じです。 しかし僕の気持ちは、学校に行かない期間が長くなればなるほど復帰のハードルが高くなるから、それをどういう形でタイミングを捕まえればいいのか、ということばかりを考えていました。 ―――息子さんを連れていろいろ相談に行かれたのはいつ頃からですか? 行かなくなった10月頃、私は息子を連れて心理学の先生のところに行きました。 しかし、親の会のことはその前から新聞で、この会のお話をされている朋子さんの写真入りの記事を読んで知っていました。 高校は義務教育ではないので、出席日数の問題が出てきます。そのへんが気になって、妻に「こういう会があるから、行こうと思う」と言ったら、妻はHPを開いて「ここでしょう」と言いました。妻はかなり調べていましたね。 それで夫婦で2月の例会に初めて参加しました。 その頃息子は休学していたんですが、私の気持ちの中では、休学という形であってもそこの高校の一員として籍があるわけで、将来、就職の履歴書を書くのにも何年入学、何年卒業と書けるわけでしょう。(―――卒業させたかったわけ)そうそう。 でも、出席日数が足りないから進級できないわけで、私は退学するとどうなるのかよく分からないし、どこかに籍があると安心するんだけれど、どこにも籍がないというのはと、そういう心配もしていたんです。 しかし、この親の会に参加して、周りにそういう体験者の方がたくさんいらしたし、いろいろお話を聞いて、別に学校を退学しても、生活上、または将来においてもさほど問題はないんだな、ということが分かってきました。 その後、息子に「このまま学校を続けるとしたら、1年後輩の子たちと一緒のクラスでやっていくことになる」という話をしたら、「僕はそういうことは出来ない」、「じゃあ、辞めるか」、「そうしたい」というやりとりで退学しました。 ―――本当にお気持ちが楽になったのはいつ頃からですか? それは、去年ぐらいからかな。ここに参加して、話している流れの中で、ふと「最近、私は息子に関心がなくなってきた」と言って、自分でもびっくりしたんだけど、その辺から気にならなくなってきました。 だから息子が家にいて普通に生活している姿が、私の中でごく普通に感じるようになりました。 「何をしているんだろうか、何を思っているんだろうか」とか詮索するように見る感じがなくなってきたんですね。 ―――そんなふうになってくると、息子さんのことをきっかけにして、自分の生きてきた道とか、仕事のこと、ご夫婦の関係とか、視野が広がってくるのね。 そうですね、それは息子が言葉ではないけど、僕たちにいろいろと発見させてくれたと思います。 僕は、息子が学校に行っている頃は「義務教育というのは、子どもが学校に行く義務があるということじゃないんだよ、これは親が家の手伝いをさせたりして子どもを学校に行かせないというのがいけないのであって、子どもは行っても行かなくていいんだよ」、(笑) 「学歴は関係ないよ」と、言葉では言うんだけど、息子は「言葉ではそういうけど、体ではそういう意識が非常に色濃くある」と言いました。(笑) 息子の姿で教えてくれたんですね。 今はもう心から「学歴は関係ない」と自信を持って言えるようになってきました。(笑) ―――そうですね。教育論をいろいろ言ったり、今の教育はおかしいと鋭く批判する人がいるけど、いざ自分の子どもが学校に行かないとなると別なのね、「いや、それは困る」と。(笑) やっぱり、不登校や引きこもりは親である自分の生き様を問われるわけですね。 とても大事な問題を我が子から投げかけられた。 そうですね。息子に相当教えてもらいました。感謝しています。 ―――すばらしいですね。とても大事なお話でした。 離婚をとおして、自分の柱をしっかりと・・・ mihoさん ―――mihoさんは、結婚後夫のDVや人権侵害の中で生活してきて、4年間の家庭内別居の後、やっと離婚にこぎつけました。 けれどその後の元夫のいろいろな干渉にあなたは振り回されてしまったのね。 今まで住んでいた武岡の市営住宅を「俺が出るから、子ども達と三人でここに住めばいい」、と言われたり。 mihoさんは今、大口の実家で子ども達と一緒に住んでいます。 「武岡の家に戻る」と子ども達にもご両親にも言ったんだけれど、そういうことが出来るわけがないわけで、「やっぱりお母さんはあそこには帰らない」と宣言したのね。 息子は高1です。娘は小6で不登校ですが、今週は修学旅行があり、それには行きたいと言って準備をしています。 私は4月30日に家を出て大口の実家に帰り、9月3日に離婚が成立しました。 私の望んでいたことは、「仕事を辞める、家を出る、離婚する」ことで、ひとつずつ叶えてきたはずなんですけれど、こんなに早い展開に気持ちの準備が出来ていなくて、何をどうしていいかわからなくなってしまいました。 私にはそんなつもりは全然なかったのですが、元夫から「自分が出るから、お前と子ども達はここに住めばいい」と提案され、私は息子が早く学校に行きたいと言ったり、娘が今の小学校を卒業したいという希望を叶えてあげたいし、私のために我慢してきてくれた子ども達に早く落ちついた生活をさせてあげるためには、それが一番いいのかなと思ったりして気持ちが揺れ動き、不本意ながら元夫の言うことを受け入れようとしました。 子ども達にも両親にも「もと住んでいた武岡に戻る」と話し、自分もそうしないといけないと思って、早く帰る段取りをしないと、と思うんですが、身体は動かなくって、という状態でした。 先月の親の会から1ヶ月はずっと悩んでいて、でもそれはやっぱり出来ないことなんだと思うまでがすごく辛くて、家を出るまでの時期や、出てからの3ヶ月よりも一番きつかったです。 夜も眠れず、そうすると外を通るバイクの音が元夫ではないかと怖くなって、そうではないと確認するまで眠ることが出来ませんでした。 1ヶ月も経ってから「やっぱりできない」と話すことがすごく怖かったんです。 でも思い切って母に話したら、母は「仕方がない」と言ってわかってくれました。 保証人の署名をしてもらうという段階まで来ているときに、父に「やっぱり私は戻れない」と言いました。父は怒って「言っていることがコロコロ変わり、それに子ども達も振り回されている。一体これからどうするんだ」と大声で言われました。 私は「戻れない」と言うのが精一杯だったのに、そこを次から次へ、「じゃあ住むところはどうするんだ、子ども達はどうするんだ」と言われ、私も感情的になって「本当に私のことを心配してくれるのなら、これくらいのわがままを聞いてくれてもいいんじゃないの」と言ってしまいました。 父は「これだけ何も言わず、聞かずに、何ヶ月も子ども達も一緒に居させてやっているのに、これ以上どうやって守ってやればいいんだ。もう娘でなくていい、出て行け」と怒鳴りました。 私は小さい頃から父親と面と向かって話したことがありません。だから父が黙っていることが不安だったんです。本当はどう思っているんだろう、という思いがずっとあって、そのとき私も初めて言いたいことを全部言ったので、父にそんな風に言われても、父は父なりに私のことを大事に思っていてくれていたんだと実感でき、「怒鳴られることも初めてだったけど、愛されていると感じることが出来てよかった。ありがとう」と言って、そこで私は気がすんでしまいました。 父は「何を言っているのか、わけがわからん」と言っていましたが…。(笑) ―――それはいい経験をしましたね。自分が人から左右されて自分の意志を曲げると必ずしっぺ返しは自分に返ってくるということですね。 自分の考えはきちんと主張する、それが自分を大切にする第一歩なんですね。 それから娘の修学旅行の準備もあって荷物を取りに一度武岡に行きました。100円ショップでマスクと手袋とスリッパを買ってから行きました。子ども達に元夫が居ないかどうかを確かめてもらい、家には娘に手をつないでもらわないと入れませんでした。 子どもたちの着替えや自分に必要な物は触ることが出来たんですが、台所やお風呂場など生活に密着している所は足を踏み入れることも触ることも出来ませんでした。 1時間位いたのですが、出るときにはもうクタクタでした。本当に戻ることは出来なかったんだと実感しました。 息子は私が武岡に戻らないと言った時に、一時口を利いてくれませんでしたが、一緒に不動産屋さんを回って、アパート探しを協力してくれました。疲れて帰る途中、お小遣いで肉まんをおごってくれて、3人で1個の肉まんを食べて何より元気が出ました。嬉しかったです。 今は親子3人で住むアパートを見つけ、契約を済ませたところです。 息子の高校にも近いところで、歩いて通えます。 3人とも新しく住む家にはいろいろな思い入れがあったのですが、その希望がほとんどクリアできた家が見つかり喜んでいます。 ―――それは良かったですね。嬉しいでしょう。 あなたは親の会に来ても初めのうちは辛くて、会場に入ることも出来なくなりましたものね。 そうですね。時間通りに来ることがなかなか出来ませんでしたし、ここで人の話を聞いているのも辛かったです。 ―――ですから子どもの自己否定と全く同じなんですね。 そのくらい学校に行かないことや引きこもりで自分を否定していくと、自分の精神を破壊しつくしますね。そういうことだと思うんです。 これからは自分の気持ちを第一優先にしてね。自分を大切にしていくとはぶれません。 すると必ず周りは支えてくれます。そうしたら口を利いてくれなかった息子さんも、出て行けと言ったお父さんもあなたを支えてくれたでしょう。なんだかんだ言ったって、ご両親は一番あなたのことを心配しているし、愛してくれています。 あなたを支えているのは子ども達だし、軸足がぶれたら皆に迷惑をかけるんです。 ですからそのことを大事な教訓にしていくことですね。自分がこうすると言ったことに自信を持ってね。 先月の会報は読まれましたか? そのことをあなたにお伝えしようと書いてあります。 はい、読みました。先月は一番自分が混乱しているときでした。 でも他の人のお話を聞いているうちに自分と重ねることが出来、自分の気持ちに気づいていくことが出来ました。 何か問題が起こると私はすぐに解決しなくては、返事をしなくては、とそういう癖が付いています。最近は息子の担任から「中間試験があるので学校に来て名前だけでもいいから書いて受けるように」と電話があったんですが、一旦電話を切って、息子の気持ちを確認したり、木藤さんと相談して冷静に考える時間をとって、「それは出来ません」と返事をすることが出来、良かったです。 毎日ワクワクしています じぇりさん 宮崎から参加しています。3人の子どもが不登校で、不登校になって何年になるかしらと考えるのも出来なくて(笑)、基準になるのは3番目の次男が小1になった頃ですね。 学校に行かなくなると、区切りがないからわからなくなりますね、次男が行っていれば中3で15歳です。 都城に引っ越したのは次男が小2でしたので、ずいぶん年月が経ったなあと思います。 その頃は長女が中1でしたので連絡しないで下さいとか、何度か学校へ出かけて行きましたが、今の次男にはもう何も連絡がきません。 昨年1回だけ不登校対策の相談員が突然何の連絡なしに我が家に来ました。 相手は心配して良かれと思って来ました、という感じでしたね。(笑) 私は怒っていろいろ言って、久しぶりで熱くなって。 もう今はそういうことも興奮することもなくなるほど平和です。 長女の時は中学の卒業証書をどうするかというのがありましたが、長男のときには何もありませんでした。たぶん次男にもないでしょうね。 担任の名前も知らないし、教科書もこないし、息子に使われるべきお金の元は欲しいかなと思うけど仕方ないし(笑)、今は学校と関わらないで生活できるこの快適さがいいです。 朋ちゃんが朝起きたらワクワクするとおっしゃっていましたけど、本当にそうだなと思います。 子どもが学校に行かなくなって分かったんですけど、子どもも親もずい分学校に時間を奪われていたことに気が付いたんです。子どもが学校に行くために付随してくる諸々も結構多いです。 以前は弁当作りや子どもの制服や夫のYシャツやハンカチにせっせとアイロンをかけ、朝食作りに追われていました。 最近はもう、アイロンを使うこともなくなり、夫は私が寝ている間に仕事に出かけますし、(笑) 子どもは勝手に暮らしているし(笑)。 夫はもう大人ですから自分の事は自分で出来るし、子ども達も手がかからなくなっているので、私がしなくちゃいけないことが減ってきているので、朝ワクワクするんでしょうね。(笑) 朝起きたとき、自分がしなくてはならないことがないので楽しいのです。 以前は食事も三食きちんと作らなくてはと思っていたので楽しくなかったです。 今はそうじゃなくて朝起きたいときに起きて、作りたいときに作るから、とても楽しいです。(笑) 楽しいから食べてもらえたり、美味しいと言ってもらえたら尚更楽しいです。(笑) ―――作ろうかなと思うときに作るの? はい、でも食事は私しか作らないし、みんな外食も嫌いだし、お惣菜を買ってきて食べるのも好きでないから、結局私が大量に作っておいたものを、みんなが食べる、それで不足の人は自分でチョコチョコやっています。 夫は私と好みが全然違って、体に悪そうな物ばかり買って来て食べています。 昔だったら「私がこんなに工夫して調理しているのに、体に害のある物を食べて」と頭に来ていましたが、今は「あなたが食べたい物を食べていいんじゃない」と思えるようになりました。(笑) 冷凍食品をチンしてお弁当に入れて持って行っても、今はもう何も気にならなくなりました。(笑) 夫は休みもなくずっと会社で仕事をしているけど、それも「あの人の人生だからいいんじゃない」と思うし、私も自分のペースで生活しているし、夫や子どもに「これしていい?」と聞くこともないし、また逆に夫や子ども達から「これしていい?」と聞かれることもありません。 自分のことだけでいいと思うと、毎日ワクワクします、幸せです。 今日も運転しながら自然の景色を見ながら好きな音楽を聴いて楽しいなと思いながら来ました。 ―――家の中も楽しいでしょう 楽しいですよ。子どもが大きくなると、子どもを通しての情報が多く集まってきて、知らなかった世界が開けてきます。 長女は今年20歳になります。実家の母など「成人式の振袖作らないの? 節目だから」と言って来ますけど(笑)、娘はきっと欲しいとは思っていないでしょうし、娘自身が「ああ、もう過ぎたと思っていた」と言って。(笑) 今年19歳の長男は引きこもりで1歩も外へ出ません。 しかし、親の会へ参加するなかでそれが全然おかしいとは思わなくなりました。 長男は綺麗好きなので、私がバーッと買い込んで冷蔵庫にそのまま突っ込んだ食糧をきちんと整理し、ついでに賞味期限の切れた食品は捨ててくれたり、掃除機もかけます。 私は夫や子ども達のお陰で生活できています。(笑) ―――あなたは何をしているの?(笑) 私は材料を買い込んできて、料理を作ります。皿は私や夫が洗い、ごみ捨ては夫がします。 ―――本当にあなたは自分を大切になさっていますね。素晴らしいですね(笑) (はい、昔はそうじゃなかったんですけど) 相手に求めないから愛情が深まっていくんですね。 はい、そうです。年月が経って一緒に暮らしている中で、それが心地良いと思うと後のことはもうどうでもよくて、たぶん理屈ではなくて、そう感じて、そうなってくるような気がします。 何日か前にテレビで教師の質がどうとか、どういう学校がいいとか討論会をやっていて、チラッと見たのですが昔だったら一生懸命に見て、「ああじゃないといけない、こうじゃないといけない」と思った自分がいたはずですが、今は「どうでもいいんじゃない」、と思って見ませんでした。 人のことどころではありません。自分がボケてしまって。(笑) ―――初めての方は、この人はどういう人だろうと興味を持たれたかも知れません。(笑) じぇりさんの夫は喜界島の小学校の教員でしたが、学校の標準服の強制に反対する取り組みのなかで、ひどいいじめに遭い、学校に行くことが出来なくなりました、子ども達も不登校となり、鹿児島を離れ、都城へ引っ越したのです。 本当に大変なご苦労をされたんですね。だから自分を大切にすることを実感出来たんですね。じぇりさんのお話を聞くと、いつも本当に素晴らしいなと思います。 子どもがすごいと思います。しかし、子ども達だけではダメで、この親の会に来ていろんな方のお話を聞いて、また私も自分の思いを出すことが出来たからそうなれたと思います。 ―――自分の正直な気持ちを出すことが大事なんだよね。 でも、出したくても出せない人も多いと思うので、この会があったから救われたと思います。 息子のおかげで、たくさん「幸せ」発見! Nさん(母) 現在高2の息子が1年から登校拒否を始めて、今の方のお話を聞いて1年前が思い出されて胸が熱くなりました。でも今とても元気です。 高1が終わるとき退学しました。昨年の今頃、部活で色々トラブルがあって、それでも行かなきゃいけないという感じで、「登校拒否」とはよく言ったものだと思うんですが、起こしにいくと本当に体がコチンと強張って拒否しているんです。2,3回目にそれに気がついて、それから休ませました。 息子も真面目な子で、お昼頃になると体の緊張が解けて「行こうか」と言ってくるので、私は喜んで車で送って行きました。行くとまたそこで辛い思いをしていたのだと思います。 朝は起きられない、昼に送って行く、を繰り返したのが昨年の今頃です。 あるとき「どうしてこんなになるのよ」と私と言い合いをして、おとなしい子だと思っていたんですが、夜に野球のバットで壁や壁時計などめちゃくちゃにして、部屋中がガラスだらけになった事がありました。次の日、赤書きで「殺せ」と書いたものを見つけた娘が、「あなたのことが大好きなので殺せません」とその下に書いていました。 ―――いいお姉ちゃんですね。 はい、仲がよかったんです。それが昨年の11月4日で、それ以来息子は1日も学校に行っていません。 その時私は無理矢理カウンセリングや心療内科に連れて行き、薬も飲ませました。 その薬を飲むと先ほどのリタリンの話のように「学校に行かねばならないという気持ちになる」んだそうです。 それを1週間くらい飲みましたが、息子が「俺は鬱じゃない、こんな薬も飲まない、どこにも行かない」と拒否するので、その後は何回か私だけが心療内科に行きました。 「綺麗な景色でも見せたらいいでしょう」と言われるので、嫌がる息子をムリヤリ車に乗せて「ほら、綺麗な景色でしょう」と言って見せました。(大笑) もちろんそれは何の効果もありません。 お決まり通り担任も訪問して、学校からのお手紙ももらって、その時は心がすごく揺れて、息子は「火曜日から行く」と言っていました。不思議と決して月曜日からではないんです。 私は火曜日まで待っているんですが、決して行けるわけがなく、それの繰り返しでした。 今思い返すと、とてもかわいい我が子なのに、どうして?と、ヒヤッとするほど私の気持ちもおかしくなっていました。この子がいるから私は辛いのだ、とほんとに私はおかしくなっていました。 今はほんとにかわいい息子です。 いろいろありまして、息子が「とてもあんなところは戻れない」と言うので、夫婦で話し合って、3月に退学して引きこもっています。でもとても元気です。 夜になると、息子と二人でウォーキングしています。 歩きながら10代の息子とこうやって毎日歩ける人はそうたくさんいないだろうし、もしかしたら幸せかもしれないと思っています。 「先の不安におびえないで今を大切にする」とはこういうことかな、それが幸せということなのかなと思います。 この間ウォーキング中に息子が「お母さんは僕のこと恥だと思っているでしょう」と言うんです。 私は「いや、そんなことないよ」と言いながらも、私自身が近所のスーパーに行けなくて、知人から「息子さん、どう?」と聞かれたくなくて、遠くのスーパーへ買い物に行っている状態をちゃんと見抜いているんです。(笑) ―――親の会に出会ったきっかけは何ですか? 甥がインターネットで見つけて教えてくれたんです。 この会がどんなところかも知らず、行ったらフリースクールや、カウンセリングを教えてくれるかもしれないと思い、飛び込みました。それこそ最初は夫婦の話が出て、(笑) 隣の席のnekoさんが「今こうして笑っているけど、最初は泣いてきたんだよ。親に出来ることはあったかいご飯を作ってやるだけよ」と話しかけてくれて、(笑) いろんなプリントをもらって帰りました。 ―――あなたのお気持ちが楽になってよかったですね。 はい、楽になってよかったと思いながらも、いやおかしい、いや大丈夫の繰り返しです。 ―――夏に帰省したお姉ちゃんが「弟の顔が明るい、元の顔に戻っている」と言ってくれたのね。 はい、「明るくなったね、全然違う」と言って。 今のあるがままを受け止めなさい、と言われて、私は息子が元気になるのだったら、矢でも鉄砲でも受け止めようと思うんですが、「何をどう受け止めたらいいのか」が分からないんです。(笑) 楽になるということが、受け止めるということなのかなと思ったりの葛藤の日々です。 ―――「親」が元気になること、「親の私」が元気になること、「私の不安」がなくなることです。それが「矢でも、鉄砲でも・・・」ですね。 それが子どもを100パーセント応援するということなんですよね。 あっ、お母さんは僕のこと私のことでちっとも心配しないんだな、私や僕はこのままでいいんだなということを、最大の味方である親が理解してくれたとき、子どもは元気になって、自分を受け入れていきます。 親がどうだどうだと熱い関心のまなざしを注いでいるぐらい子どもにとって辛いことはないですね。 息子が不登校のとき、「お母さんは、道はいっぱいあるよ、選択肢はいっぱいあるよ、と言いながら、お母さんのは道はひとつしかないね」、「学校に帰る道しか言っていないよ」と息子に言われました(大笑) だから子どもはよく見ていると今になって思います。その時は学校に戻して「たった3年だから行っちゃえば」(笑)と言って、それがすごい自己否定をすることだったんだなと今思います。 ―――よかったですね。あなたの夫も学校に戻そうとされなくて。逆にあなたを支えてくださったのね。 はい、私は何としても学校に戻そうとして、すごい形相で学校に戻す手立てばかりを考えていましたが、夫は早い時点で「俺はもう戻さないぞ」と言ってくれて。肝心の子どもが動かないことにはどうしようもなかったんですが。 今の方のお話を聞いて1年前を思い出しました。その時は息子を、これはうつ病だと思って、精神科にすぐ連れて行き、薬をもらいました。F・Kさんのように過去は封印しないといけないですね。 ―――それは封印しなくてもいいんですよ。(笑) また繰り返さないための教訓として、自分を戒めるために思い出されて下さい。 大部分の親が自分が不安で、そういうことが分からなくって、子どもを追い詰めてしまうことをしてしまいます。 私達夫婦も夫の心筋梗塞の時のことを思い出して、お互いに反省をしています。(笑) お母さんは何もしなくていいから。笑っていてね Kさん(母) ―――Kさん、先ほどのじぇりさんのお話はいかがでしたか。あれからご自分のことを大事にするようになりましたか?(笑)あなたの課題でしたね。 あそこまではとても出来ませんが(笑)、 昨日は職場が忙しかったし、体調もきつかったので、夜には「お母さんは何もしないで寝るからね」と言って、寝るようになりました。 私が言えるようになって変わったからだと思うんですが、こうしてほしいと思っていたことや、気付いてほしかったことを夫が分かってくれるようになりました。 先日、今まで泣いたことがなかった夫が泣いたんです。中学から泣かないと決めて父親が亡くなったときも泣けず、私が死んだら泣いてくれるかと聞いたら、「うん、その時は泣けるかな」と言っていたんですが、昔話をする中で過去のこだわりを吐き出したのか、夫は号泣したんです。 そしたら夫も気持ちが楽になって私に対するこだわりがなくなったみたいで、とてもよく理解してくれるようになって。 ―――もうあなたに「あれせ、これせ」と言わなくなったんですね。(はい) 夜中の11時にラーメンを作って、と言われなくなったんですか。 はい、たまに作ってくれるかな、と言うときは作りますが、ご飯を一緒に食べるようになって、お酒も少ししか飲まなくなって、片付けも早く終わって楽になりました。 私がそう頼んだから楽になったのではないのです。 私は何も言いません。でも、食事中に話もわりとするようになりました。 ―――それは親の会に参加してきてよかったですね。 そういうお話になって。あなたは、ここで泣かれましたよね。 はい、私も気持ちが楽になって、憂鬱な顔をしなくなって、それを子ども達が分かっていて嬉しそうにしています。 この間は夫婦で日帰り旅行に出かけました。「泊まるかもしれないよ」と言って出かけましたが、やっぱり家が気になって日帰りで帰って来ました。 結婚以来でした。 ―――結婚以来何年で? (25年です) 銀婚式で初めての二人だけの旅行が日帰りだったのね。(笑) はい。「銀婚式だよ」と言ったら、長男が「お母さん、行っといで、楽しんでおいで」と言ってくれて。(―――それなのに日帰りになったの)(笑)。 でも、「来月連休がたくさんあって休めるから、お父さん、行こうよ」と言って。 ―――あなたが「疲れた、疲れた」と言って、疲れた顔で11時にラーメンを夫に作る、自分を大切にしない生き方は、子ども達にとってはこれほど自分を大切にしないことを毎日教えていることはありませんね。本当によかったですね。 私が落ち着いてきて、不安も大分減ってきたんです。 現在20歳の次女は通信制に行っています。その次女がアルバイトをしたいということで職安に行き、面接の日が決まりましたが、「あ、お母さんの休みの日じゃないから最悪だ」と言ったので、「お母さんがいるといつも頼るから、勉強になっていいじゃない、いないほうがいいよ」と言えました。 アルバイトの経験がある下の妹に「どうしたらいいの」と面接のやり方など聞いていたようでした。私は履歴書の書き方を教えて後は一切ノータッチでした。 面接の日はすごく不安だったようでしたが、私は「行きたくなかったら、行かなくてもいいからね」、「お産と一緒で、いざとなったら誰もが自分ひとりで産む、そのくらいやってみて」(笑)と言って仕事に出かけました。 以前の自分だったら、娘と一緒に不安になって、「行かなくてもいいよ」と一生懸命言っていただろうと思います。 ―――長男さんはどうしていますか 23歳になりました。今は何もしないで家にいます。(―――もう気にならなくなりましたか) だいぶ楽にはなったんですが、あ、起きてきた、という感じで気にしているところがあって、ドアの開く音を聞くと緊張します。 夫と息子はよく話しています。息子が家にいても何の違和感もなくなりました。 先日、長男と長女がふざけていたとき、長女がお父さんにちょこっと抱っこされたんです。今度は長男も座ろうとして、はじめは「おっ」と手で防ごうとしたんですが、私が「あ、抱っこされるの」と笑うと、夫は照れながらひざの上に乗せて、息子をゆすったんです。 二人とも嬉しそうにして・・・(涙) ―――それは嬉しかったですね。よかったですねえ。 こんなふうにしたかったんだろうなと思って。 娘にも「お母さんは何もしなくていいから、笑っていてね」と言われました。 ―――変わるべきは親なんですね。親が変わる。親の笑顔なんですね。笑顔は子どもを信頼しないと出てこないものです。 「持つべきは親の笑顔、無くすべきは親の不安」です。これに気がつくことですね。 あなた自身が親の会に参加して自分を大切にして変わっていくことですね。とてもいいお話でした。 |
Last updated: 2007.11.26
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