TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2007年8月発行ニュースより
自分の人生の主人公として生きていますか 7月例会の様子から mihoさんは夫のDVにより精神的に追い詰められ、4年以上の家庭内別居の後、実家に戻り7月例会には笑顔で参加しました。先日mihoさんと話しました。いま離婚調停中のJさんも加わって。 「HPの“だめな自分も認められるようになると元気になる”を読み返して、ハッと気付かされた」と例会で話したJさんは、「“毎朝起きるとワクワクする”という内沢さんの話は、以前は自分には無縁なことだと思っていたけど、私もこのごろワクワクするようになってきたの!」と嬉しそうでした。 お二人とも「自分の人生の主人公」として一歩を踏み出しました。強くなってきたなあと思います。 どんなに困難と思われることでも、「解決の道は自分の中にある」と考えられるようになれば道が開けてきます。そうではなく、「まわりが問題!まわりが大変!」と思っているかぎりうまくいきません。まわりを変えようとしても、まわりは変ってくれるものではありません。まわりではなく、自分自身を一番大切にすることで道が開けてきます。自分自身を一番大切にする親の姿こそが、何よりのわが子への応援でしょう。 困ったとき、とても辛いとき、真っ暗で道が見えないと思ったとき、そのときこそ、「自分の人生の主人公として生きているか」と自分を問い直す絶好のチャンスです。自分にしっかり焦点をあて、いま現在自分にとって何が一番大事なのか、自分の気持ちを確認するときなのですね。 7月例会は(も)、その大きなテーマを共有した大切な会でした。 目次 1 柱を大切にしてぶれない mihoさん 2 ダメな自分も認められようになると元気になる Jさん 3 みんなと繋がっている。ひとりじゃないんだな Nさん(母) 4 みなさんも、まずいご飯食べてね?! じぇりさん 柱を大切にしてぶれない mihoさん ――― mihoさんは3年間に及ぶ夫の暴力と、それに続く家庭内別居で、精神的にとても不安定になりました。思い切って家を出たのね。あなたのご両親のところに帰って1ヵ月半経ちましたね。 自分が1ヵ月半前まで鹿児島にいたという感覚がだんだんなくなってきて、実家にいるのが普通になってきました。だいぶ前のことみたいな気がします。その時に自分が我慢していたとか、何を考えていたとか、あんまり思い出さないようにしているのかなあ〜 ―――人間って、あまりにも辛いときのことは記憶がなくなるんです。 そういうふうにして人間は自分を守る力を持っているんですね。 子どもたちは行ったり来たりしているんですね?(はい) 子どもたちのそんな状態はあなたの中ではごく自然なことですか。 以前はそのことも不安でしたね。 行ったり来たりは、こういうふうになるなと思うようになりました。 最終的には、子どもたちはそれをちゃんと受け入れてくれたんだなあと思います。 子どもたちがJRで私のところへ帰ってきたときに雨がひどくて、子どもたちはどうしていいか分からなくて、私の迎えを待っていたことが2回ぐらいあって、そういう時に可哀想なことをしているのかなと思ったりすることがありますね。 結局道路が通れたので迎えに行けたんですが、もしどっちにも引き返せない状態だったら、子どもたちだけでどうしたらいいのかなと思ってしまいました。 それでも子どもたちは私のところに来ようとするし、それだけ自分は距離があるところにいるんだなと思いました。2週間ぐらい会わないと、「子どもたちは何で週末は帰って来なかったんだろう」と、寂しくなって勝手に思ってしまったりしています(笑)。子どもたちが行ったり来たりして可哀想というよりも、自分がいつでも子どもたちとかかわれる距離にいたいなあと思っています。 ―――経済的なことでもいろいろ思っているんですって。 私は家を出る時夫へ置き手紙をしてきたんですが、長男の学費の振込みとそれとは別に金額は書かなかったんですが、生活費も出来れば送ってくださいということも書いてきました。 夫から私の両親へ手紙が来て、「子どもの学費に毎月4,5万円かかり、後は生活するだけでいっぱいだから、お金は送りたくても送れない」と一言だけでした。 一応、私は実家でご飯も食べられるし、お風呂も入れるし、心配はないけれど、いきなりお金はないというのじゃなくて、せめておこづかい程度でもいいから気持を示してくれたらよかったなあと思います。 ―――あとは何が心配ですか? 実家の両親は何も言わないのですが、私と子どもたちがきて、夫婦二人だけでいたときより光熱費も上がっているわけだから、少しでもお金を入れられたら気持がすっきりして、実家に居れるなと思います。水道屋さんが料金が急に上がっているのを見て、「夫婦二人でこんなに上がるのはおかしい?!」と見に来たというのを聞いて(笑)、どれだけ上がっているか両親は言わないけど、水道料金が上がっているんだったら、電気代も上がっているし、いろんなものも上がっているので、少しでもいいからそうしたいなと思います。夫から5千円でも1万円でも送金があれば、そっくり実家に渡したいと思います。 ―――mihoさんのお話の中に大事な教訓がいっぱいありますね。人には「試練」の時があります。辛いときは気持ちの中で、「あれもこれも辛く」なってしまうんですね。しかし、その試練の時こそ何が獲得目標か、何を柱にしなければいけないのかということを考えたらいいというのが、今のお話です。 mihoさんの場合は、柱は自分の幸せを大事にするために一歩踏み出したということです。水道料金とか、夫がお金を入れないとか、子どもが立ち往生したとか、それらは枝葉の部分です。それらは一番大事な柱を獲得するために生じたものです。多かれ少なかれ避けられないものですから、耐えるほかありません。受け止めていけばいいことなんですね。枝葉の困難さに目を奪われて、柱(幹)の大事さをおろそかにしてはいけないということです。おろそかにすると不安が大きくなってしまいます。 一番大切な柱や幹は何でしょうか。 自分らしく生きたいと思って一歩を踏み出したことです。 子どもたちもちゃんと受けとめて、応援してくれました。 あなたは親の会に時間通りに来られるようになって、笑顔が出てきた。 いま現在をなによりも大切にして、自分で自分の幸せをつかみとった! 枝葉(不安)が出てきたとき、そのことをいつも確信にしていく。 とても大事なことだと思います。 ダメな自分も認められようになると元気になる Jさん ―――今、離婚調停中で、相手の返答がいろいろ変わってきて心配されているのね。 はい。財産分与の件で返答が変わってきて、すごく疲れてしまいました。でも弁護士さんもいろいろな方法で一緒に考えてくださるので、心強いです。 相手が調停の場に来たのは2,3回なんですが、申立人の私の部屋から相手方の部屋が見えるんです。そこで一度後姿を見て、すごく気分が悪くなったことがあります。来ていたらどうしよう、エレベーターのところで会ったらどうしようと考えるだけで胸がドキドキして、裁判所に行くことにとても疲れてしまいます。 ―――相手の返答が変わることで、不安を感じてしまうのね。 はい。でも、先ほど内沢さんから、「離婚できる、という軸をしっかり持っていれば、ぶれない」というお話を聞いて安心しました。 ―――結婚してから22年間に渡って、あなたは否定され続け、自信をなくし、自分でもまた否定してきた。でも今、自分の人生を自分の力で勝ち取るわけです。それはすごいことだと思います。 昨年の5月に、Oさんと今延岡に住んでいるHさんの離婚祝賀会をしたことがありましたね。 Hさんは離婚できたばっかりで、すがすがしい顔をしてらして、Oさんもいい顔をしていて、私にできるのかなと不安でいっぱいでした。 ―――そうでしたね。そのとき、まさか自分が今のように調停をしているなんて思わなかったでしょう。ですから、そういう積み重ねでみたら、すごく力になっているんですね。それを忘れないで、私は自分の幸せを勝ち取るために一歩踏み出したんだって。その後にはmihoさんが続くってね。いろんな不安は枝葉の部分なんだということがわかれば、つまり軸がしっかりわかっていれば、堂々としてくるんですね。 先月の親の会で、私は小さい時から自分のことをダメだと否定してきた、とお話したんですが、達さんが書かれた「ダメな自分も認められるようになると元気になる」を再び読み返して、私はダメなときの自分を認めないできたんだなあ、と思ったんです。ダメだった自分を消し去ってしまいたいと思っていたんですね。ですからそこを認められるようになったら、もうちょっと元気になれるのかな、とはっと気づかされました。 ―――それはとてもうれしいです。自分のことを好きになるというのは、今の自分も過去の自分も、あるがままの自分を肯定していくということなんですね。 今度のことは「自分をたいしたものだな」と認めていく機会をもらったと考えたほうがいいですね。 みんなと繋がっている。ひとりじゃないんだな Nさん(母) ―――Nさん、会報が届くとすぐ読むんですってね。 今回で会報が届くのは2回目なんですけど、会報が届くとすごく嬉しいです。 それはひとりぼっちじゃないと感じるからです。今回も「台風がそれて親の会を予定通り開きます」と連絡いただき、本当にひとりじゃないんだと嬉しかったです。 ―――新鮮なお気持ちですね。(笑) 最近、私の気持ちもずい分落ち着いてきました。しかし、1日中家で過ごす息子の姿を見ると、ついつい「今日は、あなたは何してたの?」と言ってしまうのです。すると息子は「生きていた」(笑)と言うんです。ああ、また傷つける言葉を言ってしまった、と後悔します。 何でこんなになったんだろうと思って。高校を辞めたとき、過去は振り返らないと決めたのに、息子に意地悪をした友達は普通に進級し、卒業していくのにと思ったら、先月の例会で幽霊のお話がありましたが、そのままなんです。過去を振り返ってその子たちを恨む、幽霊の姿そのままだなと思ったり、です。 息子が親の会のHPを見て、「お母さん、信じているの?」と聞いたので、「うん、信じているよ」と言ったら、「あれは気持ち悪いね」と、失礼かもしれないけど、そんな感想を言いました。(笑) 私はそれにびっくりしました。息子は今まで「今後のことはゆっくり考えていこうね」と周りから優しい言葉をかけてもらって、そんな人たちはいっぱいいたけど「そのままでいいんだよ」と言ってくれる人は、親も含めて一人もいなかったわけです。いろんな辛い目にあったんだから、自分を嫌いになって当たり前なんだよ。引きこもって当たり前だよ。出たくなかったら一生でなくていいんだよ、と書いてあるのでカルチャーショックというか、息子の数少ないボキャブラリーのため、「気持ち悪いよね」になったんだと思います。 「お母さんは親の会に行くよ」と息子に言ったら、「うん、いいよ。あれはお母さんの慰めでしかないから」と言いました。(笑) ―――「生きていた」という言葉はとてもいいですね。一番大事なことを言い当てている。そして、親の会への評価は、息子さんが全面的にお母さんを信頼している言葉ですね。 Nさんは今働いていらっしゃるの? はい。一週間のうち4日パートで働いています。息子が不登校になったときはパートも休んでいましたが、春からはまた復帰しました。 初めて例会に参加したときに、昼夜逆転も当たり前、ご飯も食べなくても大丈夫、と言われたのですごく安心しました。それからは息子に余計なことは言わなくなりました。 朝ご飯は食べないだろうと思って作って行かなかったら、「お母さん、朝ご飯は作っていってね」と言われましたので、今はちゃんと食べているみたいです。 4,5日前、ひとつ嬉しいことがありました。前回の例会の話は息子にしてないのに、息子が「“I LOVE ME”に気付いた」、「こんな自分が嫌だと思うのも、自分が“I LOVE ME”だからだ」と言ったのです。「あなたは哲学者みたいね」と話しました。(笑) 「自分のことが嫌い」と言って暴れた息子が、「自分のことが好き」と言ってくれたことがすごく嬉しかったんです。 ―――素晴らしいですね。息子さんの言うように、自分のために例会に参加することが大事ですね。すると、毎回必ず、新しい発見があります。気付かなかったことや、知らず知らずのうちに傷つけるような言葉を言ってしまったことも、例会に参加していくうちに、そうやって、すぐ気がついて軌道修正できる。 息子さんに対する不安は実は自分自身の不安だったんだ、と気がついていく。軸足をしっかり自分自身にすえていくと、息子さんや家族への信頼も不動のものになっていきます。 Nさんは息子さんに負けずご自分のことが好きになってきましたか?(はい) それは素敵なことですね。胸張って言えるようになって。 親の会を知る前は、辛い思いを何度も味わったでしょう。 はい。思いました。ベッドの下にもぐり込んで泣いている姿を見たらとても可哀想で…(涙ぐむ)。「辛いねえ」と言って息子の背中を一晩中なでていたこともありました。その頃に比べたら、心の状態は親子とも安定していますので、本当に良かったなと思っています。 ―――Nさんがずっと親の会に参加してくださると「自分を大切にしよう」という気持ちがたくさん出てきて、それがオーラとなって息子さんへ伝わっていくでしょう。自信を持って過ごしていただきたいと思います。「会報が届いてよかった」と言ってくださると、とても嬉しいですね。 みなさんも、まずいご飯食べてね?! じぇりさん 台風が来て、すごい情報が流れて、あんなのがここへ来たらどうしよう、まあ借家だからいいかと思ったり。持ち家の人は大変だなと思ったり。(笑) 台風が来ることでいろんなことが話題なって、どうして今の場所に決めたかという話題になり、以前住んでいた喜界島で、今14歳の息子が2,3歳の頃、震度5強の地震にあい、喜界島は周りが海で、津波がすごく怖かったんです。不安材料の中に津波があり、娘が海の近くは不安を呼ぶので、嫌だと言って、たまたま今の所になって良かったねということでした。 いい意味で台風の予想が外れて良かったんですが、不安材料があると意味の分からない不安が自分を不安にしてしまい、でも過ぎてしまうと別に何もないんですね。 不登校も同じで、自分の気持ちがそういうふうに自分を不安にしたり、考えさせたりすると思います。知らず知らずに捉われてしまっているものがあるなと思います。 先日カレーライスを作ろうと思ったら、ルーが半分しかなかったんです。でも、全部材料は煮込んでしまい、カレースープになってもいいけど、どうしようかなと思い、見たらシチューのルーも半分あって、これを混ぜたらどうなるだろうか、カレードリアなんてあるし、いけるかも、薄いよりはいいと思い、最後には「まずいの食べてみてもいいんじゃない」と思ったら、入れることが何でもなくなったんです。出来上がったカレーシチューなる物を食べても、家族は誰も気付かないんです(笑)。 カレーの定番の材料は、人参、たまねぎ、ジャガイモ、お肉ですが、私が入れたものはそのほかに、もやし、コンニャクなんです。(大笑)あったら大根も入れます。皆さん笑っていますけど、その時ある材料を何でも入れるようになったんです。昔は違いました。 ―――子どもたちが不登校になってから、とらわれるものがなくなったんですね。 そう、そう。「これはこういう料理だと捉われていると、結局それしかしなくなって、違う物を入れると違う美味しさがあるかも知れないのに、そういうチャンスを逃しているよね」と今日も息子と話したんです。だから、損していたなと思って。 以前掲示板(5月30日 205)にも書きましたが、「どこかに出かけよう」として、夫が「こんな所、来なければ良かったと思う所に行こう」と言って行くと、どんな所でも楽しめるんですね。だから、「まずい物食べるよ」とそういう気持ちでいると、何でもOKで(大笑)。 インストラクターをしているスイミング教室でも、この位の子ども達にはこれをさせるというふうに決まっていて、でも同じことばかりはつまらないなと思っているので、ときどき「自分の好きな泳ぎをしていいよ」と言うんです。 そしたら、担当コーチのお休みで私のところに初めて来た子が、「何するの?」とすごく戸惑うんです。 先ほど「自分の人生の主人公として生きる」ということでしたが、自分でしたいことをしていいと言うと、それが許されていない中にずっといる、何でもしていいよ、と言われてこんなに戸惑うんだなとびっくりしました。最初から私のところにいる子は、味をしめると好きなことしたいと言います。他のコーチの子どもは慣れてないんです。自分がしたいことをしたら怒られる状況にいる子はしたいこともできないんです。子ども達に「今日は楽しくないレッスンをするよ」と言うと、子ども達がニコニコするんですね。 ―――「あまり人前では話さないほうがいいよ」と言われたジェリさん家の「家事は、したい人がする」というお話もしていただけませんんか。 そうですね。たまに食事を作るのが面倒な日は「今日は絶食の日にする」とか言って。(大笑)そうすると、息子が自分もやると言って、私は「いや、私は食べたい物を食べる」と言ったりして、何も捉われないんです。 それに世間は無駄がないのがいいとか思っているようですが、無駄がないのはだんだんつまらないと思うようになって。娘がコーヒーゼリーを作っていたら、考えながらやっているうちに、煮固める段階で水分が蒸発して、硬いのが出来たんです。昔の私だったらおいしい物が出来るのが最優先だったんですが、でもそれはつまらなくて、おいしくなくてもいいから、そこに「笑うネタ」があったらいいなと思うようになって、娘に「それは面白いね」と言ったんです。(笑) ―――あなたは、妻だから、母だから、という束縛もなくなって・・・ はい。昔はありました。結婚当初団地に住んでいるとき、夫に「お布団を干して」と頼んだら、夫が「皆が見てるかもしれないよ」と言ったんです。当初はそういう夫でした。共働きでもご飯を作るのは私で、夫は食べるだけでした。私は夫が自主的にやってくれるのを待っていましたが、何でやらなかったの、と後で聞いたら「しない方が楽だから」と言いました。(笑) そのとき私もしたくなければしなくて良かったんです。今の我が家はそうです。夫も、私も、子どもも、したくなければしなくていいんです。でも自分が困ったら何かしようという気になるじゃないですか。それでいいんじゃないかと思います。 ―――気持ちがずい分楽になりましたね。 楽すぎてどうしようかなと思うくらいです。(笑) 子ども達も大きくなって話題も変わってきていて、すごく楽しいです。皆さんもまずいご飯を食べてね。(大笑) |
Last updated: 2007.9.4
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