登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2007年12月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.139より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


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後ろ向きになる自分も認めてあげたら
前向きになれる


11月例会報告



3人の若者が参加してくれました。
じぇりさんの「子どもや若い人からエネルギーをもらう」という言葉に納得です。


Nさんは二人の娘さんといっしょに参加して幸せそうでした。
長女さんは笑顔いっぱいに話してくれました。
「両親は私たちのことをちゃんとわかってくれている」。
「ときどき後ろ向きになるけど、そういう自分も認めてあげたら、前向きになれる」。


不登校と引きこもりの長い年月があったからこそ、今の自分も自然に肯定できる。
すばらしいですね。「家族の信頼」が伝わってきます。


啓介君は親の会と出会って1年。
「今の自分になりきる」と自分に向き合い、自分を大切にしてきた1年だったと思います。


ベテランのSさんは、「私たちは何年もかかったのに、新しく参加された方たちは何ヶ月かで気持ちも楽になり元気になられて・・・」と。
でもこれは、新しい方たちへのエールなのですね。


不安は小さくなることはあってもなくなることはありません。
不安を否定しないで、ともに生きてゆけばよい。


比較的短い期間でそのことが納得できるようになるのも、
Sさんをはじめとして親の会を築いてきた「先輩」たちの存在が大きいのです。


Sさん夫婦は、かつて、わが子が荒れ、家におられず車のなかで夜を過ごさなければならないこともありました。
「そのときのことを思い出すのはお辛いですか?」との問いに、
「いいえ、心の傷になっていません」と答えます。


息子さんへの揺るがない信頼です。
「息子がとてもかわいい」という笑顔に長い年月をかけて培ってきた家族の愛情、確信が伝わってきて、胸が熱くなりました。


「先輩」のみなさんの体験は、貴重な親の会の教訓となって「若葉マーク」の新しい方たちを励ましてくれます。
体験交流をして教訓を互いのものにしていく。
「人の話は我が話、我が話はみんなの話」ですね。





目次


1 自分の人生は自分で決めていいんだ! mihoさん

2 優先順位を考えて・・・  みーたんさん

3 「いいえ。心の傷にはなっていません」  Sさん

4 「後ろ向きになる自分も認めてあげたら、前向きになれる」  Nさん母娘




自分の人生は自分で決めていいんだ!  miho
さん


―――
mihoさんは息子さんと娘さんの不登校をきっかけに参加されるようになったんですが、じつは夫のDVで何年間も家庭内別居をしていて、自分自身が自己否定していることに気づいてきたのですね。
大きな揺れと不安があって大変でしたが、結局9月3日に離婚が成立して、今月初めに新しいところに親子3人で引っ越されたのね。
よかったですね。気持がずいぶん楽になったでしょう。



そうですね。引越しの手続きでバタバタして、それに追われて疲れて、買い物に行っても頭が痛くなり、しばらく外に出られないという感じになっていました。


2、3日家でじっとしていたら少しずつ元気になってきています。ほとんど何も持たずに引っ越したので、子どもたちと一緒に1つ1つ買い揃えながら、やっと部屋らしくなって生活できるようになってきましたし、子どもたちも落ち着いてきました。


今日親の会に来る時も、子どもたちも私も自然な感じで、すごく楽しみな感じで来ることが出来たので、そういう自分にびっくりしました。
同じ場所同じ道のりなのに自分自身の感じ方が変わってきたのかなあと思いました。


この会に参加したのは2年位前です。当時中2の長男が9月から学校に行かなくなりHPを見て参加しました。その頃、自分自身のことは全然頭の中にはなくて、子どものことでいっぱいという感じでした。


―――
でも、ほんとうは自分のことだったんだと気がついて、まさかいつも夫に怯えていた自分が離婚するなんて思わなかったでしょう。


そうですね。(笑) 子どもが不登校になっていなければ、自分自身がおかしいということに気がつかなかっただろうし、学校に行かない子どものほうが大変な状況で、自分が家の中でどういう風に過ごしているかということを考えることはなかったでしょうね。


子ども達が元気になってきて、私も子ども達を見る目が少しずつ変わって、子ども達もそれにしたがって、また変わってきて、子ども達と自分の関係がよくなってきたら話もよく出来るのに、何で夫とは話が出来ないんだろう、そういうのが少しずつおかしいのかなという考えが出てきました。


それを初めて意識できたのも、朋子さんにひとこと「その夫婦関係はおかしいんじゃないの?」と言われてからでした。
他人からそんなことを言われたのも初めてだったし、そういう話もしていないのに「他人から見ておかしい」というのは、どういうことだろうと、それからはそのことばかりでした。


―――
自分の人生にびっくりしているでしょう。


びっくりしていますね(笑)。


―――
ちゃんと自分で幸せをつかむことが出来るんだと。


自分で決めていいんだということに、びっくりしています。子ども達には「学校に行くか、行かないかは自分で決めていいんだよ」と、この会に来るようになってから話をするようになったんですが、それを言っている自分が、自分自身のことを自分で決められない、とだんだん気づいてきました。


―――
今までの疲れが出て、それで眠れないというのは、子どもたちが「学校に行かねばならない」と、すごく無理して自分を否定していく、それと全く同じですね。だから、外に出られないのは当たり前なのね。
今は無理してすぐ仕事を見つけようとか、外に出ようとか考えないで、今ある貯金で過ごして
(笑)、充分休養してそれから出られたらいいですね。


実家にいた時も気持ちが十分休んでいなかったということに、最近気がついて、今、純粋に自分の気持ちと向き合えるようになって、人ごみに行って疲れたら、それを自分で感じて、じゃあ、ゆっくりしようと思えるようになりました。


以前住んでいた家から子どもたちの荷物を運び出すときに、娘がアルバムを持って行きたいと言ったんです。
私は「あなた達が一緒にいるから、アルバムはいらない」と言いましたが、長男が元夫の写真が入っているのだけ抜いてくれたらしくて、帰ってきてから見て、娘は喜び、私も安心して見ることが出来ました。


息子がそんなふうに思ってくれたことが、また嬉しくて…。





優先順位を考えて・・・    みーたんさん


来月29歳になる息子と27歳の息子が家にいます。この1ヶ月は何事もなく穏やかな毎日でした。
11月3日は私の誕生日でした。次男が「映画に行って来たら」と言って、ケーキ代と合わせて5000円をプレゼントしてくれました。(―――
よかったですね)私はひとりで映画を観るのが好きで、「三丁目の夕日」を観てきました。


今、宮崎にいる母が入院しています。医者は「認知症」とはまだ言っていませんが、私が勤めている職場の認知症の方々と症状が少し似てきています。
6ヶ月前に入院したときはポータブルトイレを使用するときに、母は私に「外に出ていて」と言ったのに、今回見舞いに行った時は、「拭いてくれる」と言ったのです。


こういうものなんだなあと、帰ってきてから母が私に頼んでくれたことにホッコリしました。
宮崎にいる妹が母を看ているんですが、妹の夫が原因不明の高熱が続き、妹はパニックになりました。


私は息子達のことでパニックになったときに、よく内沢さんに、「優先順位を考えなさい」と言われたことを思い出し、妹に「今は夫のことを1番に考えて、お母さんのことは病院に任せなさい」とアドバイス出来たんです。
私はここで学んだことが活かされたと思って、自分をほめてあげました。(笑)


2、3日したら妹も落ち着いて、「夫のことを1番に考えよう。そう考えたら自分が楽になった」と言ってきたので、しめた、と思いました。(笑)
私は仕事をしながら月に2回日帰りで母を見舞います。その日は朝4時起床、6時半に車でスタートして、好きな音楽を聴きながら母の許へ行くのが楽しいです。


以前、内沢さんが朝起きたらワクワクするとおっしゃっていましたけれど、私も最近それがわかるようになりました。
私は家事も完璧にしないとすまない性分で、それもやって出かけるのですが、家族に任せられない性格だから仕方がないし、何も気にならなくなりましたね。


夫や子どもが何もしてくれなくてもグチを言わず、そうすることがとても楽しいし、自分がやりたいからやっているんだと思ったら、何も苦にならなくなりました。
考え方で自分の気持ちがこんなに違うんですね。(笑)
今はメソメソする暇もなくものすごく早く生活が回転しているんです。


―――
子ども達が家にいることに違和感がなくなりましたか。


はい。もう全くありません。


―――
すごいじゃないですか。もう家出もしなくなったの?


そうでした。それを話に来たんでした。(笑)
10月23日に夫が天文館に飲みに行き、酔っ払って帰ってきて、その夜はすごく怖かったんです。
11月13日に宮崎の母の所に行って帰ってきたら、また夫が飲みに行ったと子どもたちから聞いて、すごく恐怖がよみがえったんです。疲れているのに眠れず、夜中に胸がドキドキしたんです。


思い切って、近くのホテルに「今から泊めてください」と電話を入れ、車を走らせました。
フロントの男性が不審そうに見るので「怪しいものではありません。一晩泊めてください。長くはいませんから」と言って泊まりました。(笑)
夜中の1時に入って、朝の7時半にはホテルを出ました。インコの世話や洗濯もしないといけないですから。
朝6時に展望温泉からの日の出を見て、朝食バイキングもおいしく食べて、家出をしてきたのにルンルン幸せな気分でした。


でも帰ってみたら、誰も私が外泊したことを知らないんですよ。(笑)
7000円が惜しかったです。夫は昨夜はあまり飲んで帰らなかったらしく、「お前、宮崎から今朝帰ってきたのか」と聞くので、「何言ってるのよ。あなたが怖くて家出してホテルに泊まったのよ」と言いました。(笑)勇気がいったけれど、出てしまったらルンルンでした。


―――
あなたの夫が酔っ払って帰ってくると、ドタンバタンしたり・・・。
それがあなたはとても怖いのね。 


はい、でも今は私のなかでは、夫の存在感が小さくなっていますよ。
私が自分のサイクルで生活しているせいかなあ。
内沢さんみたいに強くなったせいかもしれませんね。(笑)





「いいえ。心の傷にはなっていません」
   Sさん



―――
中3の3学期から不登校で、高校に行ったけれど2ヶ月で退学し、その後家庭内暴力などもありました。無理難題に言いなりになったりもしましたね。
その後息子さんは大検を受け、大学の通信教育部に行くために東京でアパートを借りたので親御さんは安心したんだけれど、ところが息子さんは東京で引きこもっていたのですね。そして大学を卒業して鹿児島に帰ってきましたが、その後動き出すことが出来なくなったわけですね。


いろいろありましたが、今仕事をしているんですね。あっという間でしたね。


(母):27歳の息子が仕事を始めて1年経ちました。早いですよね。
最近、保育園時代のアルバムや絵などが出てきて、それを見ていたらかわいいです。
夫の似顔絵を描いた絵の後ろに「お父さんは、夜、時々お仕事に行く。僕も大きくなったら手助けしたい」と書いてありました。


「ああ、この子がそのまま大きくなって、今あるんだなあ」と思ったら、いろいろあったけれど、ますます息子がかわいくなりました。時には一緒に食事に出かけたりして、楽しく生活しています。


私達も再度この会に来るようになって2年半経ちました。その前から来ていたので、古いほうになってしまいました。
あの頃は、学校のあり方とか、いじめについての話題が多く、夫婦の関係、介護の問題などはあまり話題に上がることはなかったと思います。


今の若い方たちはほんの2、3ヶ月で不登校を受け止めて、理解力もあり、ビックリします。我々は何でこんなに時間がかかったのかなあと思って(笑)。どんなふうに子どもと接してきたんだろうかと思いました。
ひとつは理屈で解決しよう、説得しようとしてきたからかもしれません。


―――
それは「先輩」が素晴らしいからです。長い分、いっそう人生観が深まったと言えるんじゃないでしょうか。
やはり先輩の方たちのお話が聞けるから、安心感が大きくなっていくということですね。
新しくこられた方も大きな不安から小さな不安になっても、やはり次々に不安が出てくるものです。



息子さんをかわいいと思っているんでしょう。
(はい、とってもかわいいですよ)
お辛いときには、この子さえいなければと思われたこともあったでしょう。


はい、ありましたね。なぜ、こんなになったんだろうと思ったりしましたね。


―――
みーたんさんみたいにホテルに泊まったことはないけれど、車の中で寝たこともありましたしね。(笑)


(父):年越しを家で2年くらい出来ないこともありました。(笑)


(母):車でずーっと走ったりして……。ついこの間だったような気がしますけれど、こんな日が来るとは思ってもいませんでした。


―――
そういうときのことを思い出すとお辛いですか?


(母):いえ、そんなことはありません。あんなことがあったなあと思い出すけれど、心の傷には全くなっていませんね。


―――
それはよかったですね。息子さんはどうでしょうね。


それはどうでしょうね。先日、生まれ変わってもこんな子どもで良かったか、という内容のテレビ番組を見ていたら、息子がニコッと笑って「生まれ変わってもこんな俺でよかったのかなあ」と言ったので、「うん、いいよ」と言いました。(笑)


―――
よく、息子さんに責められたりしていましたよね。そして、息子さんは人が怖いと言っていましたねぇ。


(母):はい、人が怖いとよく言っていました。しかし今の仕事は接客業ですものね。「お前はこの仕事にあわない」と職場の方から言われたりもしているようですが、親も子も試練だなあと思っています。
それでも息子は頑張っていますもんねえ。


―――
私の娘玲子も、何回も「もう辞める」と言ったり、「続ける」と言ったりね。でもその度にしっかりその試練を受け止めてたくましくなっているなあと感じます。子離れのチャンスだなあと思っています。


でもいろんなことがあったから、子どもへの愛情もひとしおなのですよね。
そしてご夫婦の愛情も一層深まったでしょう。
辛いとき、困ったときに、支えあってやってこられた夫婦であったことは本当にお互いに感謝ですね。そのことを忘れずにいつまでも仲良くね。


本当に家族の歴史を感じますね。
穏やかになって自分達の幸せを必ず作っていける、そういう「先輩」の道があとへ続く方たちの確信になるんですね。すごいことですね。





「後ろ向きになる自分も認めてあげたら、前向きになれる」

Nさん母娘



―――
今日はお二人の娘さんといらしてくださったんですね。
先月はお父さんがおひとりで参加してくださいました。会報は読まれましたか?
お父さんは娘たちのお陰で幸せだとおっしゃっていました。読んでジンときたでしょう。


(母):はい、読みました。夫が何て言ったのか気になって。(笑) 
私も娘達のお陰で幸せだと思っています。


―――
Nさんもご夫婦で支えあって励ましあってやってこられましたものね。


そうですね。お前が悪いとか、あなたが悪いとかはなかったです。
ただ初めは子どもを無理に学校に行かせようとしました。
でも、お互いを批難しあうことがなかったのは良かったなと思います。


私も子離れができなくて、私は本当に心配性なんです。
長女が車の免許を取り、私の父が車を買ってくれたんです。
長女が運転したり、次女がバイクに乗ってバイトに行くのが心配です。
事故に遭わないかしらと「命」を心配しています。信頼はしているけど、外へ出る機会が増えるものですから。車、バイク=命を失う、と考えてしまうのです。


―――
あなたご自身も車を運転されるけど、車=事故=命とは思わないの?


自分のことは余り心配していません(笑)。
先月、私自身が事故を経験してスピードの出し過ぎは良くないなと反省していますけど、自分のことと違って、娘たちへの心配は別なんです。
心配し過ぎと言われたんですけれど、娘たちの帰りが少しでも遅いと、つい悪い方へ考えてしまいます。反省、なんです。


―――
お父さんは3対1で女性たちから責められると話していましたよ。(笑)


まあ、夫にしてみればそう思うのかもしれませんけれど、決して責めるのではなく、普通に言ってるだけなんです(笑)。
価値観の違いなんです。私たちはこう思うよと言っても、夫はそう思わないと言うので、たまたま3対1になるだけなんです。だから結局スイッチがポンと入ってキレるんです。(笑)


―――
親の会では反省しているとおっしゃっていましたよ。(笑)
「お小遣い月額3万円でやろうとしてるけど、なかなかそうできなくて」とか「僕が仕事でミスしたときに妻と娘たちから、ちゃんと前を向いて歩きなさい。メモもちゃんととって、と言われた」と言っておられました。(笑)


いえ、そういう言い方ではないのです。夫は他人の評価を気にするほうなので、そうではなくて、自分が一生懸命したことに対して自分が納得する。たとえ結果が出なくても、という考え方を持って欲しいということです。
自分を責めたら何にもならないから、「先ず優先順位を決めてメモしたら」と娘たちが言ったんですよ。
会報を読むと、3人が夫のお尻を叩いて頑張れと言ってるみたいと思われますものね(笑)。


―――
お父さんはおもしろおかしく話されたのね。(笑) 娘さんたちにもお話をお聞きしましょう。


(姉):私は1月で23歳になります。京都にいた中1の9月から不登校でした。
以前この会に参加したときは、自分自身がとっても不安なときでしたので、ちょっと恥ずかしい気持ちがします。今日は皆さんのお話を聞いて参考にしたいなと思って参加しました。


―――まあ、とてもしっかりしていますね。
(笑)お祖父ちゃんに車を買ってもらって、車の運転はどうですか? おもしろい?


はい、最初の頃は少し怖かったけれど、今は慣れてどんなふうに運転したらいいか少し分かってきて楽しいです。


―――もうどこへ出るのも不安はないの?


うーん。今、妹と一緒に高校卒業認定(旧:大検)を取ろうと考えています。その費用を稼ぐために妹はバイトをしています。
私も明日アルバイトの面接を受けに行きます。不安がないと言ったら嘘になります。
だけど、後ろ向きになる自分も認めてあげたら、前向きになれるというのが段々と分かってきて。



―――すばらしいですね。今の自分のことを、あなたは好きですか?


昔よりは好きです。


―――好きになってください。大好きになってね。
今まで辛かった体験も、全然無駄じゃないし、家の中でたくさんのことを考えて、学んできたと思うのね。
思いつめたこともあったけど、そういうことがあったから、今、車を運転したり、面接にも行ったりできるんだよね。不登校になって良かったね
(笑)。


まだ、そこまでは胸を張って不登校してよかったとは言えないのですけど。



―――ここで胸を張りなさい!(笑) そしたら胸を張れる様になるからね。
妹さんはどうですか? お姉ちゃんが不登校になってから、あなたも不登校になったので、気持ちは楽でしたでしょう。


(妹):そうですね。私は小5から不登校になりました。今、19歳です。
今、パン屋さんでバイトをしています。



―――猫ちゃんが病気で、猫ちゃんの余生を大切にしたいと思って、家を建てたんですものね。それとお母さんの心配は気になりますか。


3匹いる猫は今のところ元気です。
そうですね、母はあまりに心配性だから、いいかげんにして欲しいときもあります(笑)。


(姉):私たちのことを心配、心配と言ってる割には、帰ってくると茶碗は
そのままで、ソファに寝ています(笑)。
だからここで言ってるほどではないんだろうと思います(大笑)。



―――人の話というのは両方から聞かないとダメですね(笑)。お父さんはどうですか?


お父さんは、大事な所はもう分かってくれているし、お互い分かりあえているので。
ここで最近はお金の話をしているみたいですが、どうでもいいことを話せるのは、きっと私たちに不安がなくなってきているからだと思えて、いいかなと。(わあー、すごい)(拍手)
外へ出るようになって、すごく家族が自分の事を分かってくれているのを実感するようになりました。



―――会報を読まれましたか?
(はい、読みました) お父さんはあなた達のことをとても大切に思っていますね。
家族が信頼しあえているのは、何よりも大切ですね。家事は今でも姉妹二人でするの?


(姉):母はたまにご飯を作ってくれたり、後は洗濯はしてくれます(笑)。 
洗濯にはこだわりがあって、私たちが干したものを手直ししたりします(笑)。


(母):子どもたちのほうが我慢していると思います。今は私が甘えさせても
らっている状況です。
でも、娘たちが外へ出るようになったら、それも無理かなと思っています。
私も今まで十分ゆっくりしましたので、エネルギーは貯めていますから大丈夫です(大笑)。



―――いついつまでも娘たちは家にいて欲しいと思っていましたよね?


はい、それはずっと思っていました。どちらかというと娘たちから、「私たちのことを引き止めて外へ出ないようにと思っているんじゃないの」と言われたりしました(笑)。


―――それがいい、それがいい。いつまでも家にいて欲しいと親が思っていると、子どもたちは動き出していくんですよね。
親が「しない」と子どもは「する」ようになるのね。
先月のじぇりさんの話じゃないけど、何もしないと息子さんが冷蔵庫を片付けてくれる
(笑)。気持ちが楽になりますよね。


決してNさんの家はお金がテーマではないのですよ
(笑)。 
辛い気持ちを家族で支えあってこられた。家族っていいなと実感させてもらえる体験だから素敵なのです。


Nさんは親の会にいらして何年になりますか? 
(9年です)
この会が明かるくてびっくりされたのね。 
(はい) 
あなたがとても不安になって娘さんたちのことを受け止められなくなったこともありましたね。
それでもいつも親の会に参加して、ご夫婦で支えあって楽になり、家族全員がお互いに信頼できるようになってこられました。本当に良かったですね。




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