登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2007年2月発行ニュースより
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.130


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


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愛は求めない! 1月例会報告


 1月例会は、昨年11月例会での「求めないとうまくいく」という話をいっそう深めるものでした。
11月例会で、内沢達は、
相手が子どもであれ、大人であれ、求めたらうまくいきません。
相手を変えようとしているからダメなんです。

 もう少しこうしたら、ああしたら、などと求めると、うまくいきません。

 そうではなく、相手のそのままを認め、求めなくなると違ってきます。

 相手に信頼が伝わり、伝わった相手は自分を信頼してくれる人と悪い関係を作ろうとするはずがありません。・・・ということで、“愛は求めない!”です」
と話しました。


 家族の間でも、うまくいかないときは、法則的です。
 相手に変わって欲しいと期待し、自分の思い通りにならないことに、いらいらしてしまい、結果、お互いの信頼関係がこわれてしまいます。
 人が人を変えようとすることは恐ろしいことで、うまくいくはずがありません。
人が変わるときは自分で変わっていきます


 わが子の今を、あるがままを受けとめる
 これは、わが子を信頼しているからこそできることです。
 「親は何もしない」ということは、じつはとても大きなことをしているんですね。
子どもは自分の人生にちゃんと責任を取ることができるし、生きる力を得ることができるからです。


 「したくないことは、せず、させず」。親子で、夫婦で、毎日を笑顔でたのしく暮らす。
 これ以上の幸せはありません。
 そのために、いっそう自分を大切にしていきましょう。
皆さんのお話はその教訓でいっぱいでした。




<目次>

1 「命があればいい・・・」、夫婦の危機を乗り越えて   長谷川登喜子さん

2 「心配」しないで「信頼」する       Sさん

3 自分を大切にすると、まわりに優しさがひろがる    Mさん




「命があればいい・・・」、夫婦の危機を乗り越えて   長谷川登喜子さん



 私が、子どもたちから学んだのは、自分の生き方だったような気がします。
 子どもが3人いて、小さい頃はうるさいわけですよね。
そしたら、夫が「俺は、10時になってから帰ってくる」と言ったんです。
上二人は年子で、3歳離れて下の子がいました。
小3で不登校になった末の息子も12月で27歳になりました。


 その頃から、夫はギャンブルにはまり込んでしまい、20年繰り返していました。
私に心配かけまいとしたのかわかりませんが、サラ金から金を借りて、自分で抱えきれなくなったときには、私に丸投げしました。私は銀行から借りて、4,5年してやっと返し終わるなと思ったら、また次の借金を丸投げしてくれて、私は「オリンピックだね」と言って。


 苦しいこともあって、お金を返すときに私の妹が応援をしてくれて、妹に3年かかって払うということで、たくさんのお金を借りたこともありました。
 その時、妹に「こんな人とは別れなさい、アパート探しに行こう」と言われて、私は別れても、夫はどうしているんだろうという思いを断ち切れるのかなと思いました。


 そして最後の土壇場になって、私は「この人と別々に暮らしたとしても、元気にしているかな、ご飯食べているかなと思ってしまうことは、そこまで自分はいっていないんだ」と思い、妹に「別かれないよ」と言ったんです。
 妹からはすごく傷つけられるようなことを言われ、その時に、もう死のうかなというぐらい打ちのめされてしまいました。
 だから、打ちのめされたのは家族からじゃなくて姉妹の言葉だったんです。


 別れないと決めてから、私はどうしたらいいのかなと考えて、マイナス面を自分の中で大きくしていかないことだと思いました。
 私は夫に言いたいことをガーッと言って、すごく傷つけてきたと思うの。
 夫は「悪かった」と言って、そして同じことをやって、また「悪かった」と言って(笑)、その繰り返しでした。だけど、夫を傷つけた分、自分も深く傷ついていたんだなと思いました。


 子どもが大きくなって、恨みつらみで夫を責める気持ちばかりの私に、救いだったのは、長男坊が「そういうことをやるお父さんの気持ちが分かるよ」と言ったんです。
 「お父さんが悪い」、「お母さんが悪い」と責めなかったんです。
私は「自分が何をやってきていたんだろう」と気持ちが楽になりました。


 それでも、もうすぐ夫の定年が来るという時に、ローンが残っていて、その時、私はもう体がきつくてたまらなくて、払えるだろうかという不安でいっぱいでした。
夫が定年を迎えた1ヶ月後に私は倒れてしまい大病を抱え入院してしまいました。


 夫が私の看病をして命を取り留めました。
 命の有難さを知りました。その2年後、夫が胃がんになり、手術をして元気になりました。
 お互いに命の有難さを思ったときに「今まであった全てのことはどうでもいい」と思いました。
「命さえあればいい」、「同じ家に一緒にいて動く存在の人がいることだけで幸せ」、「二人で生きているだけでいいじゃないか」、今はもう何があっても何とかなるさ、という楽な気持ちで生きています。


 これから後の人生、いつ亡くなるか分からない人生、別れなくてよかったと思っています。
だから、別れないんだったら、プラスのほうにもっていったらと思うんです。
家族なんだから、言いたいこともあるし、間違いもあるしね。
それを許し合えるのが家族なんだから、憎むエネルギーがあるのならそのエネルギーを自分の幸せのために向けたらいいと思います。




「心配」しないで「信頼」する       Sさん



Sさん(母):27歳の息子です。
私は5年間この会を休んで、再び参加するようになったのはKさんと同じ頃です。
ですから初心者で、そこからスタートしています。
(笑)Kさんはとても理解する力があるなあと思います。


 私は、ここで言われることは頭ではわかっても行動が伴わず、理解できていなかったんだなと今になってわかります。
再び参加するようになって2ヶ月経った頃、内沢さんが「大丈夫」と言って下さったことと、その2,3ヵ月後にまた長谷川さんが「Sさん、大丈夫よ」と言って下さったことがあったんです。
その時はこういう日が来るとは思ってもみませんでした。
私が参加していなかった頃のHPをさかのぼって見てみると、長谷川さんの「大丈夫と思うと不思議と大丈夫になる」というコメントがあり、私にかけてくださった言葉もちゃんとした根拠があってのことだったんだとわかりました。


 私達は当たり前のことが当たり前に出来なかった、不自然な状態だということに気がつかなかったんですね。
 過去に家庭内暴力があり、その恐怖がトラウマとなって、子どもにはっきりした態度を取れませんでした。お金を要求された時も、渡してもお金は使わないから大丈夫、信用しているからと渡していたんです。
 でもそれは信用しているというのではなく、無理やり自分を納得させてすり換えていたんだと思うんです。
 やはり、子どもの言いなりになっているという不自然な状態だったわけで、それをある日、はっきりと親が息子に言い切れたことが良かったんだと思うんです。


 今徐々にわかりつつあります。過去をさかのぼって、もう少し理解があればもっと早かったのかなと思うんですが、私なりの時間が必要だったんだと思っています。
 息子は昨年の12月8日からパチンコ店に勤めています。
 不規則な出勤で遅番、早番があり、どうかすると3時間くらいしか寝ないでまた出勤という時もあるんです。
 最初の頃、息子は「起こしてくれるかな」と言ったんですが、私は「目覚ましがあるでしょう、携帯があるでしょう」と言って請け負いませんでした。そうしたら夜中に帰ってきて、朝方出る時も自分で起きて行っています。全く本当に何も手伝っていません。(笑)


 ああ、これだけやれるんだと今わかり、心から信用していなかったということがわかりました。今までできないだろうからと親が手を出して手伝っていたんだ思いました。
 1月8日に初給料が出たようで、その日は夜中に帰ってきたんですが、父親が起きる朝方まで寝ないで待っていて、父親に「初給料をもらったよ」と報告してから休んだようでした。
よっぽど嬉しかったんだなと思います。


 これからの私の課題は、一緒に生活するけれども、細かく聞かない、子どもの周りをウロウロしないことだと思っています。
 これからも私の人生の勉強のために親の会には参加したいと思っています。
 Tさんのお話はうちとよく似ています。今のお気持ちもよくわかります。
私の体験を10周年記念誌に書いていますので、ぜひ読んでいただけたらと思います。
子どもはすごく優しいんです。優しいから言える言葉があると思うんです。


―――よかったですね
 はい、よかったです。
でもまた仕事を辞めると言うかも知れませんが、それはそれでいいと思っています。



―――仕事を辞める、辞めないは何も問題ではありません。
辞めてもいいし、続けてもいい。
息子さんが自分で決めていくということが大事なんですね。
やっぱり自分を大事にする、それがとても大切なことで、それをしていれば大丈夫なんですね。こんなにニコニコしたお顔になるなんて思っても見なかったでしょう。



 そうなんです。
ほんとうに思いませんでした。
最後は私の年金で生活すればいい、そんなに緊張するくらいなら働かなくてもいい、と開き直ったのがついこの間でした。


―――息子さんに何も関心がなくなったということが大事ですね。
 お薬はどうなりましたか。



 自分で病院に行って、お金も自分で払っています。
眠れないので睡眠薬をもらっていると言ったので、そう、と言うくらいで、もう全然かかわっていません。


―――「薬は止めなさい」とはっきり言われたらいいですね。
眠れないだけで薬を飲む必要はありません。
ずっと眠れないということはないですから。
異常でもなんでもないのに「治療」する必要はないんですね。
自分で行くんだから放っておいていいだろうという問題と、放っておいてはだめな問題があります。薬は1日も早く止めるといいですね。
(わかりました) 




自分を大切にすると、まわりに優しさがひろがる    Mさん



 私は現在92歳の実母、87歳の母の妹、家で85歳の夫の母の面倒を見ています。
人に話すと大変ねえと言われますが、私は今は大変だとは全然思っていません。
でも以前は大変に思っていて、私の姉妹や夫の弟妹達は無条件に私に頭を下げないといけないと思っていました。誰にも言いませんでしたが。(笑)


 しかし今はそう思わなくなりました。
というのはここで学んで、自分自身を優先させようと考えたからです。
10年以上前に内沢さんに「親のことをずっとひとりで抱えこんでいると、そのうち親に愛情がもてなくなるよ」、「介護は他人に、愛情は家族で」と言われました


 昨年の7月の会報で親の介護が話題になっていました。
達さんが「お年寄りも一人の人間として独立して尊重することが大切なんです。
変な気遣いは自分が無理をしているのです。
無理な気遣いは続かないし、気遣いされるほうもよくないということです」と話されました。
私は姑も実母も絶対に最期まで私が看るんだと思っていましたが、その会報を読んだときにちょっと整理してみようと思いました。


 私は自分の姉達や夫の弟にも介護の相談をしてこなかったので、何もわからなかっただろうし、どう手助けをしていいかもわからなかったと思います。
夫も私の考えに賛同して動いてくれて、夫の弟妹に話してみたら「今は最後まで家で看なくてもいいんだよ」と言ってくれました。
私の気持ちもスーッと解けて弟達にも感謝する気持ちを持てるようになりました。


―――お姑さんを施設にと決めて、夫や弟さん達も賛成してくれて、驚くことに当のお姑さんも施設に入りたいと思っていらしたことがわかったのね。
見方を変えるとあなたのお気持ちもとても楽になって、お姑さんのことも一層大切にしようという気持ちになったんですね。
今はお姑さんと一緒に、二人で一番いい施設を探そうと回っているのね。



 はい。弟達にも「お母さんと共通の想いで楽しく行動しているのは久しぶりよ。
賛成してくれてありがとうね」と電話をしました。
 そういう気持ちになれたのも会報のおかげです。
 でも、なかなか入所できるところがないのですが、状況は変わらなくても、皆がわかってくれている場合と、そうでない場合とでは気持ちが全然違いますね。
一人で頑張って自分さえがまんすれば、という考え方は絶対にだめだというのを学んだ1年でした。




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Last updated: 2007.2.16
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