体験談
2008年6月発行ニュース 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.145より
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。 その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。
体験談(親の会ニュース)目次はこちら
「あなたがいなければ、生きてはいけない」
2008年5月例会報告(抄)
「いなくなったら生きていけない」ほど、家族は大切な存在です。
「直美さん(妻)がいないと生きていけないよね」と問う司会者(内沢朋子)に「うん」とうなずくSさん(夫)の笑顔が素敵でした。お互いがかけがえのない存在と確かめ合うことができる、親の会はすばらしいですね。
Gさんは、娘さんが引きこもっていた時期をふりかえって「今思えば、楽しかった思い出ばかり」と言います。「辛いことはおぼえていないんです」とH子さんも。今、家事の切り盛りをするGさんは、妻への愛がいっぱいです。
Kさんは「家にいる17歳の息子が私を見て、にっこりしたんです。ちゃんと通じているな、すごく可愛いなと思って」と毎日がとても自然です。
Uさんの10歳の娘さんは、担任の「将来どうするの?」という問いかけに、「将来のことは誰にもわからないし、お兄ちゃんふたり(17歳、14歳)も何も心配していないよ」と切り返したそう。なんて素敵な答えでしょう。
Mさんも「妻がいないと生きていけません」と告白。J子さんも「ふたりで山登りがまたできるようになった」と嬉しそうでした。
Nさんは「子どもは子ども自身で元気になる。親は自分のことに取り組めばいい、という親の会の考え方に目からうろこだった」、今では「高校辞めてよかったねえ」と言えるようになったと。
先月の例会で涙が止まらなくなったというめぐりんさん、「息子の状態をいつまで? と思って、信頼してなかった。自分が不安だったんだと気がついて、とても楽になった」と言います。
みなさんの体験談は「かけがえのない家族」への愛情にあふれています。親の会は自分を大切にし、家族も大切にすることを再確認できる場ですね。
Mさんの「親の会へは子どものためではなく、自分のために来ている」という言葉は、とても大事ですね。
そういう捉えかたこそ、子どもや家族へのほんとうの愛だと思います。
目次
1 「それは女房への愛です」(その2) Gさん夫婦
2 親の会は自分たちのためにある Mさん夫婦
3 今、私のことに夢中です Nさん(母)
4 あるがままの息子と自分をそのままに めぐりんさん
「それは女房への愛です」(その2) Gさん夫婦
―――Gさんの娘さんは高1のときに不登校になり、家から出られなくなくなるほど不安いっぱいになって、お母さんも不安が大きくなって、お父さんの単身赴任先のワンルームの部屋に母娘で引っ越されて三人で暮らされたんですね。
(夫):あれは4年ぐらい前でしたね。私も娘が学校に行けなくなったときは、「どうして、うちの娘だけなんだろうか」と思いました。
ちょうど私の通勤経路が高校生の通学路だったんです。歩きながら涙がボロボロ出て、仕事帰りにも、高校生が帰っていくのを見ては娘のことを思っていました。
私も娘が15,16歳の頃は、一番多感な時期に外との接触がないので、ほんとにこれでいいのだろうかと悩んだ時期がありました。
だけど、今ふっと思い出したんですけど、今考えたら、その時期がほんとに楽しかったと思うんです。
狭い家で、妻と私が引っ付くように寝て、娘が横に寝て、その間にウサギがいたんです(笑)。
そのウサギは今も一緒にいるんですが、朝ゲージから出してやると、布団の上に乗ってきておしっこはするし、フンはするし(笑)、喜んでものすごくジャンプするんです。
名前はレオといい、ちなみに毛並みが私にあてつけたようにフサフサしているんですよ。(大笑)
今考えたら、このレオというウサギが娘を助けてくれたんじゃないかなと思いますね。ご飯をやったり、トイレを変えてやったりして、娘はそれを楽しみにしていたみたいですね。
その時期辛かったのが、妻が朝早く川内川の堤防へ散歩に行って、なかなか帰ってこないんです。妻に聞いたら、「堤防に座って考え込んでいる人がいたよ。私と同じ様に悩みを持っている人がいっぱいいるんだなあと思ったよ」と言った時期もありました。
私も荒れてあまり家に帰りたくなくて、月10万円ぐらい飲み代に使っていましたね。(笑)
―――振り返れば楽しかったと思えるのに、その時は辛さばかりが先にたったのね。本当に、自分の考え方ひとつでちゃんと幸せになれる。「解決の道は自分の中に」ということですね。じゃあ、飲んでいてもワクワクしなかったんですか?(笑)
そりゃもう、飲んでいるときは楽しいです(笑)。月水金はいつも会社の同僚と飲んでいました。でも次の日がなんか落ち込んでですね。(笑)
―――あなたもお仕事を50歳でお辞めになったのね。
すみません、52歳です。2歳の差は大きいですから、今54です(笑)
―――「こう見えても」でしたもんねえ。結婚の時のお話がおかしかったですね。
エピソードはいっぱいありますねえ、お婿さんじゃなくて、お仲人さんに見られたりして、ごくろうさまです、と言われたりしてですね。(笑)
―――今はもう、お仕事はしていらっしゃらないんでしょう。今はH子さんが働いて、あなたが主夫業をしていらっしゃる。そして、家事をしたり、お食事の支度をする源はなんですかと聞いたら、「妻への愛です」と言われたのね。(感動!共感!の大笑)
やっぱり、愛おしいというか・・、やっぱり愛でしょうねえ。(笑)
―――毎日が楽しいですか?
妻は夜勤もあり疲れていますから、以前のようにはしゃべったりはしないんですけど、私はその間は、早くから、あんまりだけど・・晩酌をしています。(笑)楽しみで。
―――家事をやりはじめの時は、時間に終われて「奥様劇場も見れないぐらいだ」とおっしゃっていましたよね。余裕ができてこられたんですね。
その娘さんは川内の高校に転校したけれど、2日で辞めたんですよね。高校2年生からということで入学金などいろいろ払ったんですね。(はい)
多分、私立だったのでそれなりのお金だったと思います。もう、覚えていませんけれど。
今、娘は認定試験を受けて、東京の大学へ行っています。2年生です。昨日は六大学野球があって「逆転本塁打で勝ったよ」と言って、とても喜んでいましたね。
―――あんなに人を怖がっていたのに、びっくりされるでしょう。親の会と出会う前は薬も飲まれていたのよね。
話を聞いて、「薬は飲まなくてもいいんだよ」と言ったら、「ありがとう」と言って、すぐやめました。
今はほんとに楽しくやっているみたいです。
アルバイトを週に3日間やって、「いろいろほめてもらったよ」と言って、ほめてもらったら嬉しいんでしょうね。
ヤル気満々です。本末転倒になったらいかんがと思っているんですけど。
―――そんなこと考えなくていいです。
そうそう、そういうことです。(笑)
―――最初お辛い思いをされて、相談した先の産婦人科医に「あなたの子育てが悪い」と言われたんですね。
(妻):娘があるとき、自分が高校を辞めたときの理由とか、どうして辞めたのかを書こうとしたら、全く思い出せない、と私に聞いてくるんです。
娘のことは断片的に覚えているけれど、私も自分のことはあまり覚えていないんですよね。
この前テレビで、人間は辛いことは本能的に忘れる、と言っていたので、あまり思い出さないようにしているというか、今を生きていけばいいかなと思っています。
一人っ子だったし、ここでは期待しちゃいけないと言われて、私は期待していたから負担があったんだろうなと、今は分かるんですけど、その時は分からなくて。学校に行ってほしいという期待があったり、常に期待していましたね。
夫に対してもそうだったと思います。
今はこの会に来て勉強して、自分にも相手にも期待しないようになったら、すごく楽になりました。
―――K夫さんがお仕事辞めるということについても不安はなかった。
全くないといえばうそになりますけれども、やめる前、夫は覚えていないというんですけども、朝、ひげをそるときに手がガタガタ震えていたんです。
娘と一緒だなと思って、辞めないとこの人はおかしくなると思って、「辞めたら」と言いました。
―――今は、あなたが働いておられるのよね。
はい。夫がそれまで働いてくれたお金があるから、そんなにプレッシャーはないですけれども、毎日楽しく働いています。(笑)
―――食べられるだけのお金があれば十分だと言っておられましたものね。
職場は精神科と介護施設があり、私は介護施設で働いています。
失礼な言い方ですけど、私も精神科を少しだけ受診しましたが、精神科や薬では私も子どもも治らなかったなと今すごく感じています。
やっぱり親と家族があるがままを受け入れて助けあっていくのが一番の薬だなと思います。
この会で言われるように、家族の愛情が一番だなと、働いていてもっと思うようになりました。
私も今思うと、その時の川内がものすごく楽しかったですね。知り合いが誰もいなくて、家族だけでしたものね。
それから、夫が退職して宮崎に家を建てて、娘に「好きなようにしていいよ、お父さんとお母さんは働くから、家のことをお願いね」と言ったら、「一生家にはいたくない」と言って(笑)。
それから何も言わないのに自然に動くようになり、紆余曲折しながらでも自分の思いをとげて行きました。
―――それはご夫婦が娘さんに対して不安がなくなってきた時期とやっぱり同じなんでしょうね。あなたは今の職場は続いているのですか?
もう少しで半年になります。(笑)
―――3日で辞めたこともありましたね。(笑)
はい、次が半年で、今3回目ですね。夫は20数年勤めてすごいなと思っています。
夫は、私が専業主婦の時よりいろいろ気を使ってしてくれるから、このままでもいいのかなと思っています(笑)。
休みの日は、私は映画を観に行ったりしていなくなるので、洗濯物から全部夫がしてくれます。
―――あなたは、お幸せね。
はい、楽です。(大笑)
(「夫が怖い・・・」、と言われた方に対して・・・)
(妻):夫は普段はおとなしい性格なんですが、お酒が入るとしつこくなります。お酒の席では陽気なんでしょうけれど、家に帰ってくるとうるさいんです。(笑)
娘と二人で嫌な時がありました。そういう時は別の部屋に隠れたかったけれど、部屋が狭かったのでそれもままなりませんでした。(笑)
この頃は翌日が休みという前日の夜は、私も少しお酒を飲みます。私も仕事をするようになって、夫の気持ちがわかるようになりました。
―――逆に、K夫さんはH子さんのことを怖いと思ったことはありますか。
(夫):全然ありません。いやありました。(大笑)
例えば以前飲んで帰った時は、廊下に布団が敷いてありました。(笑)
ああ、ここで寝ろということなんだなあと思って、寝ました。(笑)
ドアチェーンが掛かっていたこともありました。私はどうやって入ったか不明なんですが、開けて入っていました。次の日に開けようとしてもできなかったです。(大笑) すごいなあと思って。
皆さん、おっしゃるように仕事上の問題は辛いですね。よくわかります。
私は仕事をしているときに週末になると尿に鮮血が出ていました。
先ほど妻が「震えていた」と言っていましたが、きっと飲み過ぎでそうなっていたのでしょう。(笑)誤解のないように!(大笑)
親の会は自分たちのためにある Mさん夫婦
―――息子さんと娘さんが不登校になり、家で過ごしていた息子さんが数ヶ月前に突然動き出した、ということでした。お二人でずっと支えあってきましたね。離婚の危機も色々あったけどね。
(夫):はい。私もGさんと同じように荒れていたときは毎月飲み代が10万円という時期をかなり長く過ごしました。(笑) 私のときは単身赴任中でした。
―――でも仕送りしないといけないでしょう。
そうです。妻には少しやって自分がたくさん使っていたんです。ときたま、「あの、お金があればね」なんて妻は言います。(笑)
たぶん、数百万は使っているかも。(笑)
(妻):最初は我が家は子ども達の入学金を払うこともなく良かった、と思ったんですけど、Gさんの話を聞いて、あっ、そういえば飲み代に使ってそれどころじゃないわ(笑)、と思い出しました。
―――なるほどね、それがあるから今幸せなんだよね。
(夫):私はこの人がいなくなると生きてはいけませんから。(笑)
―――長男さんが不安でいっぱいの時にもお二人で映画を観に行ったり、一泊旅行に出かけたりしましたよね。
(妻):行っても内容を覚えてなかったり、行かないといけないと思って義務感で行っていました。(笑)
楽しんでいなんですね。内沢さんが言われるようにしても、息子が不安をぶつけてくるので、今度は海外にも行かないといけないんだ、と思って。(笑)
もう、わけが分からなくなる程、全部が不安になってしまって。
いっぱい穴があいている壁を見ると、そのときマスコミで盛んに言っていたアスベストのことは自分の家にも当てはまるんじゃないかとか・・・。
―――最初はあなたの夫が毎月10万円使うほど荒れて、次はJ子さんの方が不安になって、でも、そうやってお互いに支えあってきましたね。J子さんが食事の支度も出来なくなって寝込んでいたとき、娘さんがご飯を買ってきたこともありましたね。
今はお二人ともニコニコされて何よりです。
昨日は楽しかったでしょう、一泊2日でお二人で霧島登山を楽しんでこられたのね。
(夫):おととい休みを取って登山を楽しみました。もうすぐ23歳の娘が自分たちの食事も作っていましたし、洗濯物もしっかりたたんでいました。
息子のものと私のものを間違って入れていましたけど。(笑)
―――4人で暮らす今とても幸せですね。ふたりの子どもたちは、どこにも行ってほしくないのね。先月はおかしったですね。「指宿だけ地震が起きない。だからここにいて!」とね。(笑)
(妻):はい。「行ったら大変だよ」と言ってるんです。(笑)
娘は「お父さんが定年まで家にいるから、定年後働くからね」って言うんです。「それまでには後ちょっとしかないので、今のうちにゲームをたくさんしないといけない」と言っていました。
娘は「私がいるからいいでしょう」と言うんです。週に一度食事を作ってくれたり、最近はいろんなことも手伝ってくれます。
外出も自然にするようになって、先月の例会のときは一緒に鹿児島に出てきました。
夫が車をおいて仕事に行くときは、息子の運転で私と娘3人で鹿児島に遊びに来て、食事をしたりして帰ります。夫はいいなあ、と言って。
(夫):例えば、冷蔵庫にロールケーキがあったりすると、3等分に切って、私の分はないんです。(大笑)
(妻):血糖値が高いんですよ。(大笑) いつもカロリーのことを気にしてるので、3回に1回しかあげないんです。
(夫):私の健康を気遣ってくれて、ありがとうございます。(笑)
―――幸せですね。
(妻):私は自分がこんなに不安になるとは思わなかったんですね。
息子のことじゃなくて、自分をまだ信じられないというか、何か不安があるんだと思います。
なんでもない時はいいんですが、あの時は父が亡くなったこともあって、いくつかが重なってくると、先を考えてしまうと不安になってしまうんです。
―――誰しも、人は将来のことと過去のことを思い出すと不安になるんです。だから、今を楽しむことですね。
あなたのお話は良かったですね。「足元だけを見て、今日、明日のことだけ考えよう」と。
(妻):今まで辛かったときはそうしてきました。あんまり考えないようにしてきたんです。
先を考えないようにすることにまだ力が入っていて、今でも、ちょっとなんかあると、不安な感じなんです。
―――ケーキを食べたりすると幸せですよね。
(妻):それはそうですね。
―――今ある幸せを考えたらいっぱいありますね。
(妻):いっぱいあります。野いちごでジャムを作ったり。ヨーグルトに入れて食べたらおいしいです。お金もかからなくて幸せです。
夫が単身赴任から帰ってきて、お弁当を作ったときもすごく嬉しかったです。
また、夫婦で山に登れるようになったのも親の会のお陰です。
また、これからもよろしくお願いします。(笑)
(夫):親の会へは子どものために来ているんじゃないですから。
―――そうだよね。「親の会のお陰」と言ってもらえることが何より嬉しいですね。
今、私のことに夢中です Nさん(母)
昨年5月に初めて親の会に参加して、ちょうど1年になります。
その時の例会は、「朝起きたらワクワクする」という話しで盛り上がっていて、この会は、一体何の会なんだろうかと思って。(笑)
その当時の私は、息子の不登校に悩み、心配の余り二人で無理心中をしようかと思うぐらいの状態でした。
この会があったおかげで本当に助けられました。
去年の3月、高1で中退した息子は、心を閉ざしていて、私はどう接していいのかわからない状態でした。
状況さえ整えてあげれば、気持ちは後からついてくるだろうと思っていたのですが、今思えば、心というのはそんなうすっぺらなものではなかったなあ、と思います。
「子どもは、子ども自身で元気になります。私たち親は、自分のことに取り組めばいいんです」という考えを聞いて、目からウロコでした。
それを聞いてから、もともと山登りが好きでしたので、山に登ってみたり、夫と映画を観にいったりして、私が少しずつ楽しくなっていきました。
そして息子も生きる気力を間違いなく取り戻しています。そこは間違いなかったです。
数ヶ月前までは、朝、目がさめたらワクワクするとかではなく、今日こそ、奇跡(=つまり息子が動き出すこと)が起こらないかなあと思っていました。(笑) しかし奇跡が起こるはずもなく(笑)、毎朝同じ期待と失望のくり返しでした。
そうしたらもう疲れてしまって。なんとなく、不思議なんですけど、ここで「息子さんのことをかわいいと思って、一緒に過ごすだけでいいんですよ」と言われてましたけど、今はそんな状況になっているような気がします。
今は毎日HPをみて、「生まれたときのように無条件にかわいいと思えますか?」ということを確認しています。(笑)
自分が忙しい時などは、のんびりグータラな生活をしている息子の姿をみると、「いい身分ね」と嫌味を言ったりしたこともありました。(笑)
時々、息子は「お母さんから“殺すぞ光線”が出ているよ」と言います。(大笑) 息子に言われた時は、たしかに「いい身分ね」と心の中で私が思っている時です。(笑)でも、1年前とは全然違います。
―――県外の大学へ行っている娘さんが帰省した時、「弟も元気を取り戻したけれど、お母さんが一番明るくなっている」とおっしゃったんでしょう。
はい、そうでした。「去年の今頃、お母さんが一番心を閉ざして暗かった」と娘に言われました。
―――息子さんも、「学校へ行かなかったから、たくさんいろんなことを得ることができた」と、あなたに言えるようになったのね。
はい、そうです。2月頃に私は息子に初めて、「高校辞めてよかったねえ」と言うことができました。
でもやっぱり葛藤があって、“殺すぞ光線”が出ることもあります。(笑)
―――「高校やめてよかったねえ」と言えるようになって本当によかったですね。
あなたの夫が「いつまでも親子三人で暮らせばいいじゃないか」とおっしゃって下さったのね。
はい、夫はそう言いました。
しかし、その当時の私は、私と同じように不安を持ち、心を傷めてくれない夫に不満があったんです。
「私はこんな苦しんでいるのに、あの人はそこまで苦しんでないじゃないか」という思いがありました。
最近は、夫が「もう、次の事を考えてもいいんじゃないか」と言った時に、私は「人は今を否定されたら次がないというから、もう少し待って」と言えました。
やっぱり私は毎回親の会に参加しているから言えたのだと思います。
―――すごいじゃないですか。
ご夫婦で山へ登ったり、映画を観たりして楽しいでしょう。どこに行かれましたか?
4月に霧島の新燃岳に登りました。もう少ししたら久住にも登ってみようと思っています。
―――今、息子さんがかわいいでしょう。
はい。今の息子の生活は、昼前に起きてきて、ゲームをして、マンガをみて、好きなテレビをみて・・・という毎日です。夜だけは頑張って走っています。
だから、息子の方ばかり見ていると“殺すぞ光線”が出るので、余り見ないようにしています。(笑)
あるがままの息子と自分をそのままに めぐりんさん
―――めぐりんさん、今月も兵庫県からご苦労様でした。
先月の例会報告の会報を読んで“夫に恋してます”なんて書いてあって、そんなこと言ってしまったかなと、恥ずかしかったです。(笑)
―――以前のあなたは離婚のことばかり考えていたのですね。(はい)
(夫が怖いと言われた方の話を受けて)
私は一度も夫のことを怖いなんて思ったことはなくて、逆に夫の方が私のことを怖かったと思います。(笑)
夫はおとなしい人で、何を聞いても俺は何にも意見がないというので、それに私がイライラして、そのたびに私はきつい言葉や表情で責めていました。
だけど何もしてくれなくて、子どものことも何もしませんでした。1時間責めても、人の話を聞かないで寝てしまうんです。(大笑)
―――その時のことをよく考えてみたら、あなたはご自分のイライラをぶつけていたのかもしれませんね。
今は夫があなたの願いをかなえてくれて、ご両親との15年間の同居生活をやめて、家族4人で暮らしているのね。
私は自分のことを自由な人間だと思っていたのですが、それは違っていて、自分で自分のことを騙していたんだということをこの会で知りました。
自分を縛って、嫁として、妻として、母親として、自分はこうあらねばならないという思いで生きてきたということに気がつきました。
夫はそういうことをあまり考えないみたいです。連休も7日間休みがあって、毎日パチンコに行ってご機嫌でした。
共通の趣味はないけれど、二人でたまに旅行に行ったり、パチンコで勝ったお金で飲みにつれて行ってくれたり、飲むと結構話をしてくれます。それが楽しいです。
―――あなたは家計も管理しているし、「ええやん、ええやん、という悪魔のささやき」(HP掲示板書き込み)に負けて買い物もできるし、(笑)ずいぶん元気になってきましたね。
私は、どうしてこんなに疲れが取れないんだろうと思っていました。その度に朋子さんから「分析しないの。ただただ休みなさい」と言われて、そうだそうだと自分に言い聞かせながら、やりたくないことはしないということに徹していました。
でもやっぱり考えていて、それは本当にエネルギーがいることで、結局は分析しているんですね。
息子から「クソババァ、死ね」と言われて、「なんで? 私は登校刺激もしなかったはずなのに、ここまで長引くのかな」と思っていたんだと思うんです。
先月の例会で、「クソババァ、死ね」と言う息子のことを、なんで皆さんがかわいいと言うのか、わからなかったんです。
HPの掲示板にも書きましたが、先月Sさんのお話を聞いているときに涙があふれてきて、なんでなんだろう、とまた分析してしまって考えていたら、ああ、「いつまで?」と思っているんだ、それって息子を信頼していないことじゃないか、とわかったんです。
サクサクさんが掲示板で書かれていたことがよくわかります。言葉での理解ではなく、ハッと気がついた時っていうのは全然違うなあと思いました。
息子を不快でも受け入れなければいけないんだ、と頭で思ってやっているから疲れていて、「そうなんだ、私の不安だったんだ」とはっきりしたら、「あー、悪かったなあ」と思って。そうしたら帰りの飛行機の中で涙があふれました。
私はインタ―ネットでいろいろ検索しましたが、子どもの状態を病気じゃないと言い切っているのはこの親の会だけなんですね。
息子を心療内科に連れて行こうとしたときに息子は「行かない」と言いました。
私も若い頃4,5年過食を経験しています。どうしても会社に行けなくて出勤拒否のような状態になったんです。
それでおかしいなと思って病院に行ったことがあるんです。カウンセリングを受けてくださいと言われて、いろいろ聞かれるんですが、見ず知らずの人に話したくないと思って、断ったことがありました。
そういう経験があったので、息子が行かないと言った時、「あっ、この子は大丈夫」と思いました。
いろいろなサイトを見ると、どこのサイトも「その症状は」と書いています。でも私が初めてここに来た時に、「まったく薬は必要ないです」と言われました。
帰ってから息子が私に「耳鳴りや人の声が聞こえる。すごく長い夢を見るんだ。おかしいやろ」と言ったんです。
そして私に「幻聴とかの経験はあるか」と聞くので、私は「あるある。小さい時に全部がオレンジに見えたことが何度もあったよ。でもそれは健康だからなるんだよね。気持ちや体がしんどい時にそうなるのは当たり前のことなんだよ」と言えたんです。
それから息子は幻聴や幻覚のことを私に言わなくなりました。それに気がついて、私は息子にすごくいいことを言えたんだと思ったんです。(笑)
それでも時々不安にはなるんですが、当たられてその時気分が悪くても引きずらなくなりました。それが楽になりました。
ちょっとしたことが、すごいかわいくなってきています。本当に1ヶ月前はしんどかったです。
―――全部、大切ないい思い出ですね。怒ってもいいんです。でもあなたにはちゃんと夫という逃げ場がある。
そうなんです。ああ、私は今が一番幸せなんだと思っています。
―――それは良かったですね。
「クソババア」は「お母さん」という愛情の言葉と思ったらいいですね。これからも自分の好きなものを買って、自分の好きなものを食べて、自分を大事にすることです。
息子さんは、不登校になって退学した自分を否定しているから気持ちが荒れて、「大好きなお母さん」に当たるんですね。
同じようにめぐりんさんも、今の「疲れている自分」を「分析」して、そのことで少しでも楽になろうとしている。
今の自分を否定していますね。
もっと徹底的に「休む宣言」をして、今のあるがままの自分を受け入れることですね。
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