TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2009年11月発行ニュースより
「私はお母さんを選んで生まれてきたんだよ」 2009年10月例会報告(抄) 今月のサプライズ。mihoさんが結婚する彼と一緒に参加してくれました。来春4月にかわいいベィビーも・・・。かつてDVに苦しみ、親の会と出会い、離婚し、子どもたちと新しい道を歩んだ日々はいつも私たちと一緒でした。息子さんの「お母さんは何も悪くない」、娘さんの「私はお母さんを選んで生まれてきたんだよ」の言葉に支えられて、新しい人生への一歩を、皆さんに祝福されて嬉しそうでした。 Tさんは、「学校に行ってもらいたい」自分と、「行かなくていい」とも思う自分と、「二人の自分」を認めようという先月の例会の話に気持ちがすごくラクになったと言います。すると、娘さんにも心から「行かなくていいよ」と言えるようになって。そんなお母さんに娘さんは初めて中学時代のいじめの辛い日々を打ち明けてくれました。わが子を信頼すると子どもは必ず安心していくということですね。 しずりんさんも、「ふたりの自分」の話を受けて、「私たちが元気になったら大丈夫ですよ」と若葉マークのお母さんにエールを送ります。2回目参加のTKさんは、先月例会のあと、息子さんに「学校に行かなくていいよ」と言ったそう。「でも、2、3日で不安に襲われて例会が待ち遠しかった」と素直な胸の内を話します。ゆっくりと、ひとつひとつ気持ちが楽になっていけばいいんですね。 KHさんは、黒板に書かれた“人間は誰でも自分が幸福になることは可能だ。だが他人を幸福にすることなどできない”に関連して、障害を持つ4歳の娘さんのことに触れ、「私は親の会に感謝しています。以前は娘のことを勝手に不憫だと、幸・不幸を決めつけていた。今娘は一番わが家を明るくしてくれています。なおいっそう可愛く、幸せに思えます」と。感動でした。 今月もいっぱい感動、いっぱい笑ったけれどそれと同じくらい胸が熱くなって、「やっぱりライブがいちばん」(ユミさん)でした! 「私、家族がふえました!」 mihoさん ―――mihoさんにお祝いのプレゼントを用意いたしました。(お花と果物をお渡しする。) ありがとうございます。(―――少し痩せましたね) ―――初めて参加された方のために、私が紹介していいかな。息子さんが18歳、娘さんが14歳です。息子さんは中2の時に不登校になり、不登校生を受入れる私立高校に入学しましたが、12月に辞めたんですね。娘さんは中学には2日しか行きませんでした。 mihoさんは前夫の何年にもわたるDVで辛い自分の気持ちに蓋をしていたんだけれど、その辛さを親の会で出すことができるようになって、2年前の9月に離婚しました。その後も外に出られないぐらい大変な思いをしたんですね。 生活保護の手続きもやっとできて、母子三人で暮らしてました。 そして月日がめぐってきまして、お隣でニコニコ笑っておられる方と結婚することになったんです。(大きな祝福の拍手) いつ子どもさんは生まれるのですか。(来年の4月です) よかったねえ。おめでとうございます。(拍手) mihoさん、うれしいでしょう。(まだ自分の気持ちを整理できなくて) 今、つわりで苦しいんだよね。(はい) ものを食べれなくて。点滴をうったりしたのね。 先月の親の会の時には、一番きつくて点滴をうたないと持たなくて参加できませんでした。今回はまだ波はあるけれど、例会は最後まではいられないけど、半分ぐらいまでだったら大丈夫かなと思います。 ―――実家にも、息子さんと娘さんと彼と一緒に行って、5人家族になるのって報告したのね。 両親にも子ども達にも、彼のことは話していなかったから、ずっと話す機会はないと思っていたから、だから祝福というよりはびっくりしていました。 ―――ことほど左様に人間はね、将来何があるか分からない。自分を大切にしていけばちゃんと幸せになれるのよね。 そうですね。自分のこともだけど、今のTさんの話を聞いていると3年前の自分の気持ちと重なるところがあって、そういう話を聞くと、自分も不安になって、まだまだ以前の気持ちの整理も全然ついていないところだから、大丈夫かなという気持ちの方が大きくて・・・。 私はそういうことから一気に回復ということは出来ないから。 ―――これから毎月二人で親の会に来て、うれしい気持ちをいっぱいにしていってくださいね。彼の今のお気持ちを聞かせてください。(私は5人で一緒に住むつもりでいます) うれしいでしょう。(笑)(はい) mihoさん大丈夫です。フラッシュバックになって眠れなくなって泣いたりとか不安があっても、それを否定しないで大事にしていきましょうね。お兄ちゃんが、あなたに子どもができたということを聞いたときは受けとめてくれたんでしょう。 私のほうがすごく不安で、すごく大変で、誰にも相談しないで産まないという選択をするだろうなって思っていたんだけど、どうしても答えが出せなくて、彼のことを子ども達に話していなかったし、子どもができてから話をするというのが、すごく自分自身も許せなかったし、それを不安なまま話しているのも情けなくて嫌だったんだけど、息子は18歳なりに一生懸命受けとめてくれて、最初びっくりしたんだけど、「お母さんは何も悪くない」と言ってくれました。 ―――すごいじゃない。一番最初に打ち明けたのが息子さんだったんでしょう。息子さんは、びっくりして2日間仕事を休んだのね。 5日間です。(笑) 私が「思い通りにならない自分自身が許せない」と言ったら、息子は「いや、人間って思い通りにならないんだよ」と言って(大笑)、私の肩をよしよしするようになでてくれました。 立派なことは言ってくれたんですが、でもその次の日から息子はバイトに行けなくなって、「どうしよう。体が動かない」と言っていました。(笑) かえって、それぐらいショックを受けてくれたほうが自然なのかなと思いました。 ―――娘さんはどうでしたか。 娘もびっくりして、泣いてしまったんです。離婚するとき「お母さんは再婚しないよ」と約束していたので、娘も「新しいお父さんはいらない」と言っていました。 私も「あんなお父さんだけど、君たちのお父さんはあの人しかいない。新しいお父さんは考えない」と言っていたんです。 そう言っていたのに、そんな話をしたので、びっくりしてすごく泣いたんです。でも、泣きながら「それで、お母さん産みたいの、産みたくないの」と言いました。(大笑) ―――それで、あなたはどう答えたの。 「お母さんは、どうしようか決めてない」と言ったんですけど、子ども達に話しているうちに、産もうと気持ちが決まりました。 ―――そうね。子ども達に支えられてね。 7月の例会で「子どもたちがお母さんのこと大好きだよ、と言ってくれるのが私の自信です」ととても素敵なことを言っていましたものね。 子どもたちって、私が思っていた以上にすごいなって思うし、私が離婚した後落ち込んだり自信がなかったりして、「こんなお母さんでごめんね。迷惑かけるばかりで何もしてあげられないね。よそのお母さんのほうがよかったよね」と言ってしまうんですけど、娘は「いや、私は自分で選んで生まれてきたんだよ」と言ってくれるんです。 ―――「自分で選んで生まれてきたんだよ」。感動的な言葉ねえ。 だから娘は「この人には、自分がついていないと駄目だろう」と思っているみたいです。(笑)娘がそんなに言ってくれたから、「お腹の中にいるこの子も、私を選んで生まれてくるのかな」と、今いる子ども達と同じ様に大事にしたいなと思うようになっています。 だから、いろいろ不安だけど、そのまま彼にも不安をぶつけたし、子ども達にも言ってしまったし、もう少し言い方があるはずなのにと思いながら、でも他にどうしようもなくてそのまま話したら、私が思う以上にみんな優しいなと思いました。 私はまだ気持ちの整理がついていないのに、周りのほうがじゃあこうしようかと助けてくれるので何とかなるのかなと思っています。 ―――そのことを発見してとてもよかったですね。不安をそのままぶつけてもちゃんと受けとめてくれる人ができてよかった。 はい、木藤さんとお話していて、そういえばそれまで不満とか頭に来ていることとか全部言える人はいなかったと思いました。遠慮なく言える人がいるから良かったのかなと思いますね。 ―――ほら、話しているうちにいいこといっぱい発見できましたね。 だから先のことは分からないと先ほど言われて、離婚する前は、ほんとに来月どんな生活しているかな、明日何があるかなと怯える感じでした。 子どもたちとも明日何があるのか分からないから、とりあえず今日を大事にしようという感じでした。 今は先のことに怯えるんじゃなくて、こういうことになるということを全然誰も予想していなかったけれど、そういうことも世の中にはあるんだなと思いました。(笑) ―――明日何があるか分からないと不安で怯えていた時と、今考える「先」とでは違うということは大発見ですね。私も幸せになっていこうと自分の幸せを大事にしていかれたらいいですね。自分ひとりだけが幸せになるんじゃなくて、家族みんなが幸せになっていくんですね。 娘がいっそう可愛い KHさん(父) 中学校の教員をしています。 先月から例会に参加されているHさんの子どもさんの昨年のクラス担任でもあります。偶然、この会で一緒になりました。昨年受け持ったとき、そのとき不登校だった生徒の保護者にはこの会の資料を差し上げたりしましたが、Hさんの子どもさんはそうではなかったので、この会のことはお話していませんでした。 今は担任ではありませんが、そのうちに機会があったらお話しようかなと思っていましたので、例会でいっしょになり驚きました。 私はこの会にほんとうに感謝しています。 下の子のことは前回もお話しましたが、脳性麻痺で手足が不自由なんです。最初は「なぜ、どうして、我が子が?」と受け入れられず、検査のたびに「嘘であってくれ!」と願っていたように思います。 ―――そうでしたか。大変でしたね。 そうですね。私もですが、私以上に妻が大変だったと思います。 でも、今一番家のなかで笑いを振りまいてくれるのが4歳のこの子です。 今は以前の気持ちとは全然違って、すごく楽になりました。 障害を受け入れることは現実がそこにあるわけですから、私も早くからできましたが、受け入れてはいても、わが子のことを勝手に「不憫」とか「不幸」とか決めつけていたのではないかな〜と最近気づきました。 今日、黒板にも「人間は誰でも自分が幸福になることは可能だ。だが他人を幸福にすることなどできない」と書いてあります。自分の幸せは自分で決める。 娘とはいえ、親が勝手にわが子の「幸・不幸」を決めつけ思い悩んでいたな〜と、そこを私のなかで切り替えることができて、いっそう娘が可愛く、幸せに思えます。 娘の人生はこの先どうなっていくかは分からないけど、娘は娘で精一杯生きていくだろう、僕らと同じなんだという考え方ができるようになりました。 この会に参加して他の人のお話を聞き、また来られないときは会報を読んで感謝しているわけです。 ―――いいお話ですね。ありがとうございます。 お聞きしたいことがあります。今私は中3を担任していて、卒業アルバムや文集について、学校に行ってない子どもたちがアルバム作成のことをどう思うのか、参考になるご意見をいただけるといいのですが。私としては写真撮影もあるよ、と一声はかけ、そこから後は子どもや親の気持ちを尊重しようと思っているのですが。 卒業アルバムの写真、どうでしたか? (各人の体験) Aさん: それがもうすごく嫌でした。私は断りたいのに、いい思い出になるからと担任に言われて、撮らないといけないと思って。文化祭の帰りに学校の近くの写真館で撮るように言われてやっと撮りました。アルバムを貰いに行きましたけど、でも1回も見ていません。息子のところは空けてなくていいから詰めてと言いたかったです。 Bさん: 転校して週に2日しか行かなくなったんですけど、家庭内暴力もあったし、一番ひどい状態の時でした。そんなとき学校から「卒業文集にひと言でいいから書いてくれ」「夢を書いてくれ」というわけですよ。(大笑) もう嫌でね。そしたら無理をして書いたんです。後で読んで何でこんな嘘を書いたんだろうと。今はもう何処にいったか分からないです。 アルバムは「あなただけ特別一人だけ写真館で撮ってきて下さい」と言われて娘に制服を着せて撮ったんですけど、ものすごく暗い顔をして、泣きそうな顔で写っているんです。娘は「これは私はいらなかった。これは貰いたくなかった」と言いました。あの時私が断ってやれば良かったのに、写真だけでもと思って、学校へ「お願いします。お願いします」とばっかりで、ずっと学校をたててきました。 Cさん: アルバムは「これは要りませんから」と断りました。私は、この会でみなさんのお話や考え方から学んでいましたので、迷いがなくて助かりました。文集は何にも話はありませんでした。 Dさん: 私は断ったんですが、一応子どもの意見を聞かなくちゃ、と思って、長男に「先生に断ったけど良かったよね」と言ったら、「えっ、ほしい」と言って。私は「そんなもの要りません」って、すごい言い方で断ったのに、先生に「すみません、欲しいというものですから」とまた言いました。(笑)写真は、「2年の時の集合写真をコンピュータ処理して」と言って、写真屋さんには行きませんでした。 2番目の子のときも断ったんですけど、「えっ、オレ欲しい」と言って。3番目の娘のときも「要らないよね」と言ったら、「ほしいし」と言って、「じゃあ、自分で先生に言ってくれない」と言ったら、放課後担任と良く会っていたので、「8千円持ってきたら、取りおきがあるから」と言われて。(笑) 結局不登校の子はアルバムにはどうなるんだろう、と思ったんです。2番目の子は写真屋には行かなくて、自分は載らなくてもいいけどアルバムは欲しい、ということで、そういう時は名前だけ載っているのかと思ったら、名前も何もない状態で飛ばしてあって、ああこういう形なんだ、良かったと思いました。 名前が空白だったら嫌だけど、小、中とも不登校なので、写真が何もないから載っていませんでした。今、小学校の卒業式は小さい頃の写真をスライドするんです。上の子も真ん中もそうでした。下の子の時は「小さい頃の思い出を持って来て」と言われたけど、「私は自分は出ないし、要らない」と言って、結局写真は渡しませんでした。私はその子に聞くのが一番かな、と思います。 Eさん: 息子のときは一応断ったんですが、校長まで来て「一生の思い出だからアルバムの写真をどうしても撮ってきて下さい」と言われて、その頃は息子は不登校に誇りを持っていたので、本人が出てきて「要りません」と断りました。結果どうなっているのか知りません。 娘のときも同じように言ったんですが、不登校の子が多かったみたいで、そのままでした。 でも、1回だけ2年のときの担任が「週報にひとりずつ題を書かせたけど、娘のものがないから、これに題名だけだから書いてくれ」と言われて、娘は「書かない」と言ったら、「それを大事に取っている人がいるから、どうしても書いてくれ」と担任が涙ぐんで言ったけど書きませんでした。娘は自分のそういうのを残したくないという気持ちがあって。でも最初の頃は、将来の夢みたいなこと、嘘みたいなことを書いたこともありましたよね。 |
Last updated: 2009.12.31
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