登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2009年5月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.155より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




幸せのハードルは高くない

2009年4月例会報告(抄)



はたちの真衣ちゃん。おばあちゃんの目の手術が成功したのはもちろん、お皿の洗いかたや積み上げかたの工夫など、たいしたことないことでも楽しめてうれしい、「ありがとう」という自分の気持ちに「びっくり」。そんな一日の終わりに「ああ、楽しかったなあ」と思うそうです。お母さんの孝子さんも、朝起きたとき、「とにかく自由になった」と、そのすがすがしい気持ちがうれしいと言います。

例会で「あまりワクワクしないですねえ」と言った森田重則さんは、HPの画像掲示板に「わたしのワクワク」と題して淳子さんといっしょに歩いた龍門司坂(たつもんじざか・旧街道のひとつ)を載せました。ふたりの楽しい心の通いあいが伝わってきます。若松明子さんが重い病気になったときの夫婦愛の話も感動的でした。

息子さんの不登校に泣いてばかりいたというHさんは、親の会に参加して目からうろこ。「私の人生を楽しもう」とおしゃれも楽しんでいます。妙子さんは夫に遠慮せずにピアノを弾くことができ、「自分を大切にすることは・・・夫に遠慮することをやめることから・・・」とHPの掲示板に書き込みました。永田さんは、「自分で変わったなと思うことは、息子のゲームをすごく楽しそうだなと思えるようになったこと」と言います。息子さんのおかげで夫婦の時間も楽しんでいます。KMさんは、娘さんといっしょにチョコを食べたこと、誕生日に花束をもらったこと、息子さんと一緒に親の会に参加できたこと、雨の日、息子さんとずぶぬれになって歩いたこと・・・と嬉しそうでした。

自分を大切にしていくと、真衣ちゃんのように毎日にワクワクを発見できます。幸せのハードルは高くなく、幸せは身近にいっぱいあります。なにげないところに「わくわく」もたくさんあります。自分を大切にして、「わくわく」をたくさん発見することができたら、自分に大きなハナマルをあげましょう。



目次

1 「お母さんは、自分の人生を楽しむからね!」  Hさん
(母)

2 毎日がうれしい!   まいさん
3 息子のゲームはすごく楽しそう  永田さん
4 娘の不登校で大事なことを発見  Tさん(母)
5  自分をもっと大事に、もっと素直に
  (娘の強迫行動と私 その4)  KMさん
(母)





「お母さんは、自分の人生を楽しむからね!」
  Hさん(母)



昨年6月に初めて参加しました。
その時は私は不安がいっぱいで、「どうしてるの」と聞かれるだけで涙があふれていました。

今17歳の息子は、中1になってすぐ不登校になりました。
私はなんとか息子を学校に通わせたいと思って、無理やり起こして連れて行くと過呼吸になり、車の中で苦しそうにしていました。カウンセリングや神様、他にもいろんなところへ連れて行きました。息子もそれに素直に従ってついてきました。

中3になって、本人も高校受験のことが頭にあったのか自然と行きだし、高校に進みましたが、高2の5月の連休明けからぴたりと行かなくなりました。


―――
ちなみに神様はどんなことをするんですか。


息子の気持ちを神様が代弁してくれるんです。(大笑)
今思うとバカじゃないのと思うんですが(笑)、「息子さんはやさしい子でいずれは行こうとしているけれど、今はちょっと行けないんだ。確たる理由はないけれど、まあ、待ってあげなさい」みたいな言い方でした。


―――
神様もたいしたことは言わないのね。(笑)


その時はもう私が必死でしたので、「原因は何なんだろう」と思っていました。息子は何も言わないし、原因が分かれば私が安心できると思っていましたから。
私が住んでいるところは本当に田舎で、世間体を気にするところが多々ありました。私は周りのことを気にして、何とか高校を辞めないで行ってほしいと思っていました。

友人から「学校に行っていないんだって?」と聞かれても、息子は家に引きこもっているばかりではなく、友達と出かけたりしていたので、私は「うん、でもとっても元気だよ」と意地を張って返事をしていました。

そんな中でこの会のHPに出会いました。
初めて参加した時に内沢さんに「そんなにいろいろ連れまわしたのに、よく息子さんは荒れなかったですね。息子さんに感謝ですね」と言われました。
私は目からうろこでした。私がしてきたことはすべてマイナスなことだったけれど、それに気づかされて、息子に「よかったら親の会のHPを見てみて」と言いました。

そして初めて息子に「お母さんも人生の折り返し地点だから、お母さん自身の人生を楽しもうと思っているの。あなたもあなたの人生を楽しんだらいい、自分の好きなことが見つかった時に動きだせばいい」と言うことができました。

夏休みに息子が「じつは迷っている。学校に残るか、中退するか」と初めて打ち明けてくれました。その時私は「遠慮しなくていいから、自分で決めたらいいよ」「2学期になったら退学届を出したほうが、そのほうがすっきりするんじゃない」と言えました。そう言えたことに私自身びっくりしました。
それまでは私が学校にすがっていたものですから、担任に会っても自分の意見を言うことができませんでした。何かはじめて自分達の考えを言うことが出来て、もうすっきりしてこれでいいんだと思いました。

最終的には息子は高校を代わりたいと言い、親子3人でK国際高校を見学に行きました。今そこで高3になり、ファションや髪型に目覚めています。(笑)
私達夫婦も野球を観に行ったり、その帰りにおいしいラーメンを食べに行ったりして楽しんでいます。

今までは私は息子のことが気になって、出かける時に自分の髪型や洋服に気を付ける余裕がなかったのですが、今は美容院へ出かけたり、洋服を買う楽しみも見つけました。
息子はいつもにニコニコして明るいし、やさしいし、家の手伝いもよくしてくれます。夫の趣味のジャガイモ作りも良く手伝ってくれます。
皆でお茶をするときも和むし、本当に幸せで、息子に何もみつからなくてもいい、今のままでいいと思うようになりました。

今日も息子は友達のところへ泊りに行ってくるからと言って出かけました。
今では私が楽になり、息子の不登校をきっかけに、いろんなことが、まあいいか、と思えるようになりました。


―――
いいお話でしたね。今もHPは見ていますか。


はい。掲示版デビューはまだですが、皆さんの書き込みはよく読んでいます。


―――
どんなハンドルネームでデビューされるか、楽しみにしていますね(笑)。





毎日がうれしい!     まいさん




この前、WBCでイチローがヒットを打って、「侍ジャパン」が世界一になった瞬間、トモちゃんとたっちゃんに会いました。母と愛犬のサラと散歩中でした。
HPに写真を載せてもらって、たっちゃんありがとう。(笑)


―――
とってもかわいかったですね。


今、私は家にいて幸せです。
私は幸せのハードルが低いので、朝起きた時、ワクワクはしないけど、1日が終わったとき、「ああ、楽しかったなあ」と思います。


―――
どんな時にそう思うの?


お祖母ちゃんが眼の手術をして、それが成功した時、それだけでありがたくて、幸せだなあと思います。病院へお見舞いに行って、「お祖母ちゃんがいなくて寂しい」と言い合うのを楽しむのも幸せです。(笑)

お兄ちゃんはもっとハードルが低くて、自転車でバイトに行くときに、コースがいろいろあって「今日は何分で行けた」、「何秒で行けた」とか言っています。お兄ちゃんはすごいなあ、と思って。(笑) 

そんなたいしたことでもないことで楽しめるのだったら、私もたいしたことでもないことに感謝しよう、楽しもうと思って、お皿の洗い方や積み上げ方を工夫したりしています。
そんなどうでもいいことで楽しめるのがうれしいです。(笑)


―――
お母さんが泣いて、お皿を割ったりしたこともありましたよね。(笑)


大阪の専門学校に行っていた時、ひとり暮らしをするといかに夜が怖いか、親が心配する理由を肌で感じてわかったので、そういうことはしたくないなあと思って。
お祖母ちゃんもあの時は心配のし過ぎで、「頭がひっぱしれるごとあったが」(頭が壊れるくらい)と言いました。(大笑)

それを聞いて、そんだけ心配してくれたんだなあと今では冷静に「ありがとう」と言えるようになりました。
あの時は自分に余裕がなくて、自分の気持ちだけだったから。「ありがとう」という気持ちが私の中にあることにびっくりです。


―――
お父さんとはどお? お父さんとお母さんが離婚して、別々に生活してるのね。


お父さんは最近部長になったらしく、新聞で知りました。お兄ちゃんの誕生日にメールで「おめでとう」とあったらしいです。(涙ぐむ) 「部長おめでとう」のメールを出したけど、そんだけです。(笑) なぜ涙が出るのかわかりません。たぶんいろいろあったからだと思います。


―――
今までいろいろいっぱいあったけど、学校も卒業し、就職もお断りして、毎日感謝して暮らしてるのね。よかったね。


はい、そうです。この前、何が自分にとって大事なのか全然わからなくなって、服を大半捨ててしまったんですけど、服が3,4枚に減って、「ああ、あの服良かったなあ」とやっとわかるようになりました。(大笑)
不思議でした。辛くなったら全部捨ててしまって…(涙ぐむ)


―――
生きてるだけでいいの。(笑) 命に別状なければ大丈夫。
服がなくなったらまた買う楽しみも出てくるしね。(笑) とってもいいお話でしたね。
お母さんのイキイキとしたお顔すてきでした。写真をHPに紹介しました。



(母)ありがとうございます。

私は今朝起きたら時、ワクワク感があるかなって自分に聞いてみたら、「とにかく自由になったな」と思い、それがうれしいです。
娘は複雑な気持ちでしょうが、元夫が部長になったという記事を新聞で読んでも「ああ、別に関係ない人だわ」と思えるようになりました。

10年前に課長になった時は家族で食事に行ったんです。そのころ私はパートで保健師として働いていたんですが、職場の人に「昇進おめでとう」と言われても、私はあまり嬉しくなくて。でもその頃はまだ妻だったので「ありがとう」と言って。
そういう複雑な立場でしたが、今はもう自由な立場で良かったなあと思いました。すべてが清々しい気持ちです。





息子のゲームはすごく楽しそう  永田さん




―――
あなたの掲示板への書き込みは良かったですね。「あたしげーの勝手」というところがとてもよかった!(笑)


・・・・・・・関東に住んでいて、うちのことなんかほとんど知らない叔母から、<引きこもりから脱却した人の話>の新聞の切り抜きとか、<逆境こそ人を強くする>等の本を送ってきました。
もっと前向きにという手紙まで添えて〜。もともと、上から目線で社会の正論をいう叔母が私は苦手でした。
前向きにという言葉も、この時は耳障りでたまらなかった・・・
「前を向こうが後ろをむこうがよそ見をしようが、あたしげーのかってだがね。だいたいどっちが前なのか本人にしかわからない、本人だってわからないかも・・」という気持ちでした。
・・・・・無責任なアドバイスなんかいらなーいと思います。
(No.962 4月11日 永田さんの投稿)



手紙が送られてきたのは1年くらい前だったんですが、恵さんの書き込みを読んで思い出して書き込みました。

叔母は「私のために」と思ってこの手紙をくれたんでしょうが、「私の立場」に立てば、どうしたらいいのかわからず立ち止まっている私達に、前を向け、と言っている失礼な手紙だなと思いました。


―――
先月の例会で「ために」と「立場」という話があり、そこでいろいろなことに気がつかれたんですね。


そうです。息子はどうしていいかわからないのに、私は「あなたのために学校に戻るしかないのよ、皆そうやって普通に生きていくのよ」とそればかりを言っていたんですが、今振り返ってみればとんでもないことを言っていたんだなあと思います。

先月息子が自動車学校に行こうかなと言ったんですが、それっきり何も言わなくなりました。
私は、ああ、やっぱり、世間の風に当たって来たんだな(笑)、とそう思っています。ただ去年娘が車の免許を取った時の教科書が置いてあって、それを一生懸命勉強しているんです。タクシードライバーをしている夫に「あなたよりも交通規則に詳しくなるかもね」と話しました。(笑)


―――
あなたは近くのスーパーに買い物に行けるようになりましたか。


いいえ、遠くに行っています。
近くのお店に行けば必ず誰かに会って「どお?」と聞かれます。間違いなく気分が悪くなるということが分かっていますので、気分の悪くなるところには行かないと決めています。


―――
そういう人とのお付き合いはしていないのね。


していません。ご飯を食べに行こうかと誘われてもそれは断って、無理じゃないところに行っています。


―――
それはいい。そうするとお気持ちが楽でしょう。


そうですね。
息子は今18歳です。4月になって新学期が始まる頃、息子が「今日から始業式だ。俺はこの辺もあの辺も痛い」と体を押さえて訴えて来たんです。
その時にこそ親の会の話をすればいいんでしょうけど、私はうまく言えないんです。「お腹が痛いんならトイレに行っておいで」としか言えなかったんです。(笑)


―――
それがいいです。何か言おうとしなくていいんです。ただ聞くだけでいいのね。


自分で変わったなと思うのは、ここでお話するときに「・・・でも息子はいつもゲームをしているんです」と毎回も言っていたんですが、この頃は息子はすごく楽しそうに生き生きとゲームをしているんです。そんな様子を「気合いを入れてゲームをしている様子がすごく楽しそうだな」と思えるようになってきました。そこが変わったかなと思います。

私が仕事から帰って、ダラーッとゲームをしている息子を見ても、お母さんはこんなに働いてきたのに、あんたは家でゲームをしていたの、と思うことはなくなりましたね。
2年間親の会に参加してきた成果だと思います。(笑)





娘の不登校で大事なことを発見   Tさん(母)




娘は15歳です。中学を卒業間際に「変わりたい、高校に行きたい」と言い出しました。ちょうど私立J高校に不登校の子ども達のためのドリームコースがあって、そこに入学しました。

本人もものすごくやる気があったので、お金はかかるけれど親としても出来るだけのことはしてあげたい、今は人と人との繋がりを身に付けることの方が大切と思って、一生懸命でした。


―――
私が言ったことは耳に入らなかったわけね。(笑)


内沢さんに「行かなくなりますよ」と言われたんですが、何を言っているんだろう、私が子どものために一生懸命やろうとしているのに何でへし折るようなことを言うんだろうかと思っていました。(笑) 
子どものため、と思って一生懸命で、本当にわからなかったんです。(笑)

しかし娘は5日行って、だんだんと気持ちが「行きたい」から、「行かねばならぬ」に変わってきたんです。
夜はちゃんと明日の準備をするんですが、朝になると行けなくなり、3日続けて休みました。私はお弁当を工夫をしたり、バス停へ送り迎えをしたり、娘に気持ち良く学校に行ってもらうために気を使って、夜も眠れなくなってしまいました。

3日目に休んだ時に「お母さんもこんなに頑張っているんだから、あなたも頑張ろうよ、あなたのためなんだよ」と言って娘をなじりました。
娘は布団をかぶって聞きたくないという感じでした。
ああ、やっぱりダメなのかなと思ったら、私もどうにかなりそうで木藤さんに電話をしました。

その時に初めて、私が社会や学校にすごく捉われていたんだと分かったんです。子どもの幸せってそういうことじゃないんだ、関係なかったんだと思って、今までここにきて私はいったい何を聞いていたんだろうと思いました。

親の会で、高校に行っても途中で辞めたという話を何人も聞いていたのに、うちの子は行けるんじゃないか、不登校の子が集まっているコースで卒業した子もいるし、うちの子だって卒業できると思ったんです、その時は。(笑)


―――
ちなみにいくらかかったんですか。


入学金が10万円、制服が10万円、他に教材などで全部で30万円です。授業料は月5万かかります。
でもそれはいいと思っています。高くついたけれど大事なことが分かって良かったなと思っています。


―――
大事なことってどんなことですか。


子どもの幸せって、人とのコミュニケーションを取ることではなく、親と子の絆が大切で、私にとって子どもが明るい顔をして楽しく過ごしてくれるのが一番の幸せなんだと思えるようになったんです。本当にすごくすっきりしました。


―――
それはよかったですね。あなたのお気持ちが安心したんですね。3人の子どもさんのうち一番下の唯一学校に行っている、あなたの表現を借りれば「希望の星の次男」さんはどうですか。(笑)


次男も4月に中学校に入学しましたが、「行きたくない」と言うので、「じゃあ、行かなくていいよ」と言うと休むし、そうすると次の日は自分で支度をしてさっさと出かけます。ですので、本人の好きなようにさせています。

長男は3月のはじめに薬を100錠飲みました。
息子は4月が誕生日で、私が以前から18歳になったら仕事をしないといけないと言い続けていたんです。息子はそれを気にしてか大量に薬を飲んだんです。
その後今度は拒食になってしまって10日で8キロやせたんです。ゼロカロリーのゼリーみたいなものと水分しかとらなくなってしまって、もう心配で心配でたまりませんでした。

でも誕生日を過ぎたら普通に戻ったんです。ですから明るく話かけたり、挨拶をするようにしています。
今は18歳、15歳、13歳という3人の子どもたちがどうやったら楽しく過ごせるのかというのが課題です。


―――
それ以上にあなた自身のことについて、ご夫婦のことについて気づいていただきたい。「子どもがニコニコしていたら私が安心」ではないんです。
「私がニコニコする」、あなた自身が幸せだなと思うことが、子どもに対する最大の応援なんですね。

今一番の辛い気持ちは、あなたの夫のことではないですか。あなたの夫はあなたの信頼に背いて、またパチンコにお金を使ってしまい、あなたはすごく悲しい思いをされたのね。



夫から裏切られて、私は家業のコンビニ店に出ないと宣言しました。私が店に出なくても夫や従業員がいるので店はまわっていくし、お給料もちゃんと入ってきます。
ただ発注の仕事だけは私がしなくてはならず、夜中の2時頃に店に行きます。1時間その仕事をして、帰ってから朝の5時に起きて娘のお弁当を作っていましたから、私はクタクタでした。

私は今まで一生懸命働いてきました。
今は家でゆっくりできるし、娘と犬の散歩に行ったり、キャッチボールをしてすごく幸せだな、良かったなと思っています。
母にも私の思いをそのまま話しました。母もそうだね、と言ってくれて。仕事はまた探せばいいし、どうにでもなると思っています。


―――
あなたの夫のパチンコの借金を、あなたのお母さんが肩代わりしていたわけでしょう。(はい) すごくわかりやすいですよね。娘の幸せのために私が何とか頑張って、お金を出してしまう、というのと同じですね。

結果的に自分で責任を取ることや生きる力を削いでしまうんですね。お金があるということはだめですね。出してしまうから。



そうですね。夫も当てにして繰り返してきましたので、今回はここで断ち切らないといけないと思って、一切何もしません、というメールを送ったら、夫から何の返信もありません。今は全く夫と会っていないんですが、離婚すると店を辞めるという契約なので、このままの状態でいこうかとは思っています。


―――
自分の幸せってなんだろうか、どうしたら自分を大切に出来るんだろうか、ということを課題にして親の会にいらして下さい。





自分をもっと大事に、もっと素直に
(娘の強迫行動と私 その4)

KMさん(母)




今日は息子と一緒に参加しました。息子は後半は図書館へ行きました。
先月もそこまで来ていましたが、入れませんでした。一回は行ってみたいと言って、今年の1月くらいから私について鹿児島に来ていました。

1月に来たとき雨の日で、図書館で私を待っていたら息子の傘がなくなっていて、私の傘で電車通りまで相合傘で行きました。
私の傘がボロ傘でふたりでザーザー雨をかぶりながら歩いて、もう楽しかったというか、うれしかったですね。(笑)

それを内沢さんに言いたくて言いたくてですね。(大笑)


―――
それはうれしかったでしょう。幸せのハードルは低いのよね。


2,3月は一緒にきてお店を見たりして、今日はそこまで来て、「どうしてもだめ」と言ったけど、「大丈夫よ」「行っちゃおうか」と勢いで来たけど、本人も緊張していました。

先程息子は図書館へ行く前に、私に「お母さん、もう僕のことはそんなに心配しなくていいから」と言って行きました。私がすごく緊張してるのが分かったみたいです。


―――
あなたは今日は明るいですね。


4月14日の私の誕生日に娘からお花をもらいました。
息子は4月11日なんです。息子の誕生日を祝ったら、自分の誕生日は忘れていました。
娘は自転車で片道20分かかるところまで行って、「お母さん一日早いけど誕生日、はい」と渡してくれたんです。


―――そ
れはとっても嬉しかったでしょう。娘さんは外に出ると、家の中に入る
のに2時間くらい埃を落とさないといけないのね。


はい、でもその時はポッと入ってきて。(笑)
お花はガーベラで、花束にミツバチの花飾りをわざわざ150円で買ってつけてくれていてね。


―――
だから今日は元気があるんですね。(笑)


その時は例会まであと1週間くらいで、それまでは毎晩泣いていました。
私はもう破れかぶれで死んでもいいや、と思うくらいきつくて。


―――
親の会の後、どのくらい元気が持つの?


頑張って2週間なんです。あんまり電話すると、これだけ言ってもまだ分からないんだろうかと、朋子さんが思われるんじゃないかと我慢している感じです。


―――
そんな風に思わないで、どんどん連絡してくださいね。


実家に住むようになった息子を母は理解しようとするんだけど、父は世間をそのまま持っていますから、直接息子に言うわけにはいかなくて、私に愚痴を言うので、それが息子に聞こえているんです。

私も母には「わかって、わかって」と言ってしまいますし、今まで親を尊敬してきたのに、息子を実家に預けてから、親を憎んでしまう自分が嫌になり、辛くなって落ち込んだりします。

よく夜に泣いて、「お父さんはひとりで逝ったけど、私はひとりできついんだよ。どうしたらいいかな」と言いながら、また泣いてしまうと次の日は元気になって。だから、泣くだけ泣いてもいいんだ、いっぱい泣いてもいいと思って。
朋子さんにお電話する1週間前までそんな感じで泣いていました。


―――
娘さんは、掃除機をかけるたびにあなたにいろいろ言いますか。


娘は弟がいなくなってどんどん時間が遅くなってしまい、6時くらいから10時くらいまで掃除します。ただ埃だけの問題ではなく、掃除機の廃塵口の向きが悪いとやり直したりしますから。
お菓子のくずも、お砂糖がこぼれるのも嫌だしですね。それが終わってから、最近は夜中の12時くらいにお風呂に入ります。

一昨日は私が無理をしたのでしょうか、左足が痛くて立っていられなくなって、歩くのがきつくなってしまいました。足が痛くなったので、掃除の途中の7時くらいに家に帰ったら、娘が「なんでこんなに早く帰ってきたの」と怒りました。
でも「私はもう限界よ。体がきついからもう入る。きつくてきつくて、もうこんなだったら死んじゃうからね」と言って家に入ったのです。

娘から花束をもらった後だったんだけど、「今はもうあなたに反発するエネルギーもないから、もうどうなってもいい、もう私は家でごはんを作って食べるからね」と言ったら、娘は怒って、「私はまた掃除をやり直さないといけない」と言ったんですけど、私は知らんふりして台所に立ちました。

私が食べ終わったのが10時くらいでしたが、娘はその時、掃除が終わり、「お母さん、チョコレート食べる」と言うから、「うん、食べる」と言って。(笑)
娘は話をしたくて寄ってくるわけですね。私はそんな娘を怒っていないんですね。


―――
あなたは以前は娘さんに言われると怒り心頭になって、絶対仲直りしたくないと言ってましたよね。(笑)


そうそう。でももう自分が痛いから、そんなこと言っている場合じゃない、もう私が我慢できないから、娘の言うことなんか聞いておれない、もう我が家しか私はおれないんだ、という感じでした。


―――(内沢達):
よかったね。頑張ったからよかった。


これがもう正直な気持ちというか、痛くてたまらないから。
この時、子どもって正直に自分の気持ちをぶつければわかってくれるんだなと思いました。

それでふたりでチョコレートでお茶飲みして。娘は掃除機をかけたらすぐお風呂なんですが、やっぱり話したくて、「私、お母さんがいるとダメね」と言って。お風呂はその後入りました。

お風呂は次の日の朝の8時くらいに出てきますから、6時間くらい入っています。その後洗面所で自分の洋服の埃を全部取ってから着るので、また時間がかかります。汗をかいてもさっと着替えることはできないんですね。


―――
あなたに迷惑をかけたり、巻き込まなければいいんです。何やたっていいんです。


「ほかの人に迷惑をかけてはいけない」と朋子さんに言われたことは、娘にはビシッときたみたいです。
「親の会を信頼しているから、悔しいけどそれはあたっている」と言ってね。


―――
大事なことで、共通することですね。
自分の辛さを解決するためにと、家族にいろんな条件を付けても、その条件をクリアしたかのように見えて、実はもっと辛さが待ち構えているということですね。
弟がいなくなれば楽になる、じゃないということですね。



ほんとに、そうじゃないみたいです。娘がそう言いますから。


―――
娘さんはおばあちゃんに対して、「自分たちのことは自分たちで解決する。自分で悩んでいるんだから、ほっといていいんだよ」と。とっても大事な言葉ですね。


それは息子も言うんですね。
昨年12月から私の実家に住んでいる息子は私にバーッと言ってくるんです。
言うだけ言ったら「あんたにどうしてほしいということじゃないんだ」と言うんです。

娘も、「世間の風当たりがお母さんに来るのが辛い」と言っていました。

「世間から直接いじめられるわけではないけど、こういう子がいたらお母さんがいじめられるのではないかという気持ちがある。そういう時は私がお母さんを守ってあげたいのに、私が家の中でお母さんにあれしたらダメ、これしたらダメとお母さんをいじめていたら何にも意味がない」「私は何してるんだろうね」と。私は娘はわかっているけど、強迫の行為の掃除はまだまだ止められないだろうな、まだまだ続くんだろうなと思いました。


―――
まだまだは続きませんよ。長いスパンで考えたら、あなたのお気持ちが確実に楽になってきていますよ。(波がありますけどね)
あなたがどれだけ自分のことを大事にしていくかということです。
自分を一番大切にする。それを最優先にすることです。決してそこで遠慮してはいけないのね。



だから嘘をついてもいけないし、見透かされてしまうんですね。


―――
わが子を信頼することです。自分の気持ちを素直に出すということは、わが子を信頼しなければできません。決して自分に我慢してはいけません。

波があって落ち込んだ時は、遠慮なくまたお電話して頂いて、またそこで自分の気持ちを修正して立てなおしてやっていきましょう。
先月は朝起きてワクワクしますかと聞いたら、「ワクワクはしないけど今日は何をやろうかと考えています」ということでした。

ワクワク出来たらいいね。ワクワクのハードルは低いんですね。例えば、私は周りの沿道から咲きこぼれたお花をちょっと失敬して摘んできて自分の家に飾る。
(笑)すごく楽しいです。

「また来てねと言ってたよ」と息子さんにお伝えくださいね。
(はい)




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Last updated: 2009.5.25
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