登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2009年6月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.156より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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幸せは私の手のなかに

2009年5月例会報告(抄)



5月は母の日があって、「お母さんありがとう」のお話に心和みました。

ちなちゃんは、不登校だった高校時代は自分のことが大嫌いだったと振り返ります。でも変わらず愛してくれた夫や母親のおかげで、「私ってこんなに愛されているんだ、と気づきはじめて自分を肯定することができた」と言います。

しずりんさんは息子さんの誕生日に「あなたのおかげで親の会に出会えてよかった」と手紙を書きました。感動的ですね。
mihoさんの娘さんは、誕生日に「産んでくれてありがとう」と言ってくれました。mihoさんはそれ以上に「私のところに生まれてきてくれてありがとう」とふたりの子どもたちにいつも感謝していると言います。

みきこさんは、先月の例会では「わくわくしたときは、結婚したときと子どもが生まれたときくらい・・・」などと言って会場大笑いでしたが、今月は違いました。誕生日と母の日に子どもたちから、夫からと花束をもらったと笑顔が輝いていました。

淳子さんも誕生日でした。子どもたちから重則さんから花束とケーキのプレゼント。いっしょに市房山登山もしたとうれしそうでした。ふたりで楽しむようになって、わくわくするようになると、いらいらした気持ちもなくなってきたと言います。

認知症の母をおもう良ちゃんの話、兵庫県から高速道路を走らせてきたサクサクさんの夫婦愛、みどりさんの楽しそうな家族の交流・・・、どのお話も教訓がいっぱい、感動がいっぱいです。

はたちの真衣ちゃんの「平凡な幸せを感じられるってことが幸せなんだな」の言葉にみんながうなずきました。
「幸せは自分の手の中にある」ことを発見すると、こんなにもわくわくできるんですね。

自分が愛し、愛される家族ほど、この世の中で大事なものはありません。そして家族の愛は自分の力で育てていくもので、黙って育つものではないのですね。

惠さんは、お土産の手作りケーキをもって兵庫県から参加。前日息子さんも手伝ってくれたと嬉しそうでした。とびっきり美味しかったです!



目次

1 「お母さんが理解してくれてよかった」  イケさん(母)
2 わくわくを見つけられるようになって  重則さん・淳子さん
3 「私はこんなに愛されている・・・」    ちなちゃん
4 「生まれてきてくれてありがとう」   mihoさん




「お母さんが理解してくれてよかった」
  イケさん
(母)



―――
山のお友達と「ミツバツツジ」を観に霧島の新燃岳登山をされたのですね。かわいい写真が四季山遊会のHPに載っていました。


はい。登山を始めて2年弱なんですが、噂に聞いていた新燃岳の「ミツバツツジ」は初めてでした。とてもきれいでした。


―――
山登りを楽しんでいいですね。娘さんと二人暮らしなのね。


はい。現在19歳の娘は、高1の11月から行かなくなって3月に退学届けを私が出しました。
その後、家で3年半過ごしていて、3月の末にいきなり「アルバイトがしたい」と言いました。いつも無料の情報誌をコンビニからもらってきて見ているんです。それで今度も、私はああ、また見ているな、という感じでいました。

娘は「電話で面接の申し込みをするのが嫌だ」と言っていましたが、自分で面接も申し込んで、4月1日のエイプリルフールからコンビニでアルバイトを始めて今も何とか行っています。


―――
緊張したでしょうね。


やはり、娘は口から心臓が出るくらいドキドキしながら行ったんだと思います。面接を受けて涙眼で帰ってきて、「採用が決まってどんな気持ちなの?」と聞いたら、「不採用も嫌だったけど、採用も微妙だな」と言いました。


―――
あなたは娘さんが面接に行くときも、採用のときもずっと黙っていたのね。


はい。ダメかもしれないし、期待してはいけないということは、親の会で散々聞いていますので、なるようになるという気持ちでした。
娘が「採用も微妙だ」と言ったとき、「無理しないでね」と言ったら、「私は頑張ろうと思っているのに、無理しないでと言うのはなんなの。頑張って、と言ったらどうなの、親の会に毒されている」と怒られて。(大笑)

親の会を全然知らないんですよ。私が「明日は親の会だ」と言ったら、「私はあんまり親の会の世話になっていない」と言って。「でもさ、間接的には親の会の世話になっているよね」と私が言うと、「そうだよね、お母さんが理解してくれてよかった」と言ってくれました。(―――
嬉しかったでしょう) はい。


―――
ひきこもっていたとき、娘さんが会報やアルバイトの情報誌を破ったりしたとき、あなた自身がとても不安になったことがありましたね。


そうですね。ちょうど引きこもりだして2年くらいの時に、自分でバイトの申し込みをして面接に行ったけど、面接官の目も見られなかった、と言って、不採用になりました。
それから「自分はウツだから病院に行った方がいいんじゃないか」と言いだしたので、私は親の会で聞いていましたので、「落ち込んではいるけど、それが普通だと思うよ」と言ったら、「お母さんは分かってない」と言って泣きながらご飯を食べたことがありました。

その後自分で、ウツとは何か、というのをインターネットで調べたようで、「落ち込んだ状態が2週間続くとあったので違う」と安心したようでした。
そのときに背中まであった髪の毛を2センチくらいまで短く切ったりしました。

いろいろありましたので、あまり子どもに期待したらいけないんだなということが分かりましたが、そのとき私も親の会に参加しながら、心の底ではいつ動くんだろう、とずっと思っていたし、多分そんなオーラが出ていたんだろうと思います。
ここで話して涙を流したのを覚えています。私は泣ける場所があってよかったなと思います。


―――
今はもう落ち着いているのよね。


はい。でもやっぱり娘は働いていると落ち込むこともあるようです。
夏のシーズンはソフトクリームの販売があって、不器用なのできれいに巻けないから、お店の人から、「お母さんに練習用のソフトクリームを買いに来て貰ったら」と言われたようです。(笑) 

私も見たかったので行こうとしたけれど、食べたいと思わないのに行くのは手を貸すことになるのかな、と思ったりして行きませんでした。食べたいときに行けばいいんだと思いました。まっ、続くかどうかは分かりませんが。


―――
あなたは山登りや自分の楽しいことを発見して、毎日楽しく暮らしているのね。あなた自身が気持ちが楽になってきたなと感じていることが何よりですね。





わくわくを見つけられるようになって   重則さん、淳子さん



―――
HPにあなたのお誕生日と母の日に、重則さんから、二人の子どもさんから、お花やケーキの贈り物の写真が載っていましたね。とてもよかったですね。


淳子さん:私の誕生日が5月で、夫と車に乗っているとき、お花屋さんのほうに曲がっていき、私は全く予想していなかったんですが、花束をもらってうれしかったです。
息子からも花束をもらい、娘はケーキを作ってみんなから祝福されました。

そのケーキを「HPの画像貼り付け掲示板に載せたよ」と言ったら、娘は「アレは失敗作だった、もっとデコレーションするんだったのに」と不満そうでした。(笑) 
娘は毎日のようにケーキを作っていて、デジカメにはケーキ屋さんみたいにデコレーションしたのもいっぱい入っているんです。

でも私は「誕生日のケーキがうれしかったんだよ」と言いました。娘は、お正月にお重にいっぱいなるぐらいおせちも作ってくれました。

2,3年前はすごい強迫で、窓も開けられず大変でした。
その頃は、「今までは、大きくなるたびにいろんなことができるようになったのに、去年できていたことが、今できないことが辛い」と言って泣いたことがありました。


―――
たしか自分の体に何かついている、ということでしたね。


自分は汚い、それが皆につくのが怖い、PCをしたいんだけど、自分の情報が漏れて、それがまた迷惑をかけるかもしれない、網戸もしてあるんですけど、「窓を開けると、自分のメモした情報などが飛んでいくかもしれないから、窓を開けないで」、「誰かが見ているかもしれないから開けないで」と言っていました。


―――
その当時、あなたはどうでした?


そのときは、娘のことじゃなくて、息子の言うことの方が不安だったです。
アスベストのことで、私も不安で息子も「家にアスベストが使ってあるんじゃないか、隣から飛んできそうだ」と不安がいっぱいありました。

娘の言うことはおかしいと思うんですけど、私もアスベストが降ってくるんじゃないかと思ってしまって、一時は庭いじりもしたくなく、買い物もすぐ近くなんですけど、知っている人に会いたくなくて一番人が少ない時間帯に行ったり、夫がいるときは一緒に行っていました。


―――
そのときは重則さんは不安でしたか。でも不安になっている暇はなかったですよね。僕がしっかりしなくちゃと思って。(笑)


重則さん:う〜ん、そこまでしっかりしていなかったですね。(笑)
娘のことでも、僕も、黙っていればいいんだけど、結構「大丈夫だよ」と言いましたね。でも、だんだん気が付いたら、それが気にならなくなっていました。


淳子さん:娘は、もっと心配して欲しかったみたいなことを言いますけど、ある意味で自分に注意が向いていなくて楽だったというようなことを言います。
息子は不安をどんどん出してきて、娘はあまり出さなかったので、どうしても出してくる方に気持ちがいってしまって。


―――
その時は淳子さんは親の会で泣いてばかりでしたよね。


わが家は特別なんだと思ってしまったり、親の会で言っていることを自分が理解していないからだと思ってしまって、会報を読むことも怖かったですね。


―――そ
うでしたね。でも、そういうことも積み重ねてきて、あーいうことがあったからこそ今の幸せがどれだけ大事かということですね。(はい)


夫はたいした病気じゃなかったんですけど、何回か入院しました。
入院中、夫は不安だったんだろうと思いますが、私はひどいことを言われたりして、泣いて外をさまよったこともありました。(笑)

お互いに不安で、子どもたちのこともあったし、そんな重い病気ではなかったんですけど、やっぱり入院は気持ちが落ち込みますよね。先ほどのお話を聞いていて、もっと夫の立場にたって考えて、自分の思いをつたえていけばよかったな、と思いました。


―――
そのときは、あなたもいっぱいだったものね。
そして、3月の親の会で「それぞれ別の好きなことをすればいいの」と本心ではないことを言っていたけど
(笑)、 いっしょに市房山に登れて楽しかったでしょう。


楽しかったです。結婚する前に夫はひとりで登って、「いっしょに登ろうね」と言ってから27年ぶりです。(笑) 登れてよかったなと思うし、もっと早く登りたかったなとも思ったりしています。


―――
よかったね。お若いうちに登れて。(笑)


その前が、ふたりで龍門寺坂を歩いて、その後JRの“隼人の風”に乗って嘉例川の林道を10キロずっと歩いたりしました。五木村にも行きました。


―――
重則さんは、「朝起きたら、今日も仕事か〜と、僕はワクワクすることがない」と3月の親の会でおっしゃったのね。どうですか、朝起きてワクワクするようになりましたか。あなたの優先順位は、お姉さんのことだったり、仕事だったり親戚のことだったりなんだけれども、そのときは淳子さんに対してイライラしていたでしょう。(笑)一緒に龍門寺坂を歩いたり、市房山に登ったりしたら、それだけでとても淳子さんに対して優しくなったって。
どうですか、皆さん、
(笑) そういうことなのよ、人間って。とてもわかりやすいの。

重則さん:自分がいっぱいいっぱいだったら、周りが見えなくなってしまうんですね。仕事のこと、親戚のこと姉弟のこといろいろあったりしたら、妻が何か言っても、聞いているんだけど何も覚えていないんですよね。

淳子さん:仕事から遅く帰ってきて、ご飯食べたらすぐ二階に上がって行って、顔は見るけど1週間ぐらいしゃべらないことがありました。


―――
しゃべるのは親の会のとき(大笑)


忙しくなるとそんな感じでした。
夫が、捨てなさいと言っていたのがまだあると、「これはまだ取っている。いつまでこれがここにあるんだ」みたいなことを言われると、私もイライラしてしまうんですよね。


―――
そうですよね。自分を大切にしていないときにイライラするんですよね。だから、気持ちに余裕がなくなってイライラしてしまう。せっかく出会って大事な人生を送りたいと思っているのに、イライラしてしまうようなことを続けてしまう。
自分を大切にすることがたくさん発見できた連休でしたね。



淳子さん:ほんとに、ありがとうございました。(笑)
家ではなかなか言えないことを、この会で言うと、皆さんが「ああ、そうだよね」と言ってくれるし、それで市房山にも行けたんじゃないかと思います。(笑)

自分を大事にする、やりくりして遊びに行くなど、自分たちの周りにもあまりないですよね。そういう生き方みたいなものがあるんだよというのを知って、よかったです。


重則さん:楽しい連休を過ごさせてもらいました。(笑)





「私はこんなに愛されている・・・」   ちなちゃん




―――
ふたりのお子さんが不登校でお家にいらっしゃる。それは心配ではないんですね。(はい、楽しんでいます)あなたは親の会に参加して皆さんのお話を聞くうちに、ご自分の高校時代のことを思い出されたんですってね。


はい、私自身高校に行きたくなくて高校を中退しています。
皆さんのお話を聞いて、そういう時に外野から言われることとか、すごく気を使われることとか、みんな似ているなと思いました。

当時は、このまま学校に行って卒業して、専門学校に行くとか就職してどうするんだろうと漠然とした思いがありました。
でも学校に通って勉強していることとか、ただ言われることを黙々としていることが面白くなかったというか、自分で何かできないのかなとすごく感じていました。

親にも「あんたは子どもなんだから」と言われて、それが私はすごくイヤでした。中学の頃にどうして対等に扱ってくれないのかという不満があって、「子どもだからと言わないで、対等に話をして」と母親に泣いて頼んだことがありました。自分に子どもができて、対等に話をしているつもりですが、やっぱり自分の方が経験を積んでいる分、ああ、私って大人だなあと思う時もあります。(笑)

でもいまだに私はいつから大人になったのかはわからないでいます。


―――
高校に行かなかったときには自分のことが好きではなかった。


はい、大嫌いでした。まず何の役にも立っていないと思いました。
生きているっていうことは何かの役に立つことだと思っていたんです。
何かするためにはそれこそ肩書きが必要で、それがあって初めてステップがあるみたいな価値観の中で育ったので。


―――
高校を辞める時はご両親はどうでしたか。


泣きました。頼むから普通のことをしてと。(笑) 
でも私は「ほっといて、私は私だから」と言って。私は家にいたくなかったのでアルバイトをしていました。


―――
そう言いながらも自分のことが嫌いだったのね。


そうです。嫌いで、嫌いで、どうして私はここにいるんだろうか、とただただ考えていました。
で、結婚して子どもを産んで鬱病になりました。
それまでも自分を否定することがすごく強くて、自分を好きになるということが全く理解できませんでした。


―――
結婚しても好きになれなかったの? 結婚した時は幸せだったでしょう。


はい、幸せなんだけれど、私がこの人と結婚していいんだろうか、こんないい人と、と思いました。
私はこの人のために一所懸命いろんなことをしなければならないと思い、とにかく頑張りました。


―――
それでふたりのお子さんが生れて、ふたりとも学校に行かないと言った時はどうでしたか?


私が親に言われて一番嫌だったことは、「私はこんなにあなたのためにしているのに」と言われることだったんです。
だから早く家を逃げ出したかったんです。「誰も、してって頼んでない」って言いたかったんです。

ですから妊娠した時にこのことだけは絶対に言わないと思いました。でもたまに言っているかもしれません。(笑)


―――
先月の会は、「立場」と「ために」ということが話題になりましたね。


先月私は参加できなかったんですが、夫に「これを見て見て」と会報を見せました。


―――
最初にいらした時に午前中に子どもさんに勉強を教えて、何かフリースクールみたいなところがあればとおっしゃって参加されたんですね。
私が「勉強を教えなくても大丈夫ですよ」と言ったら、「それはあなたの意見であって、私の意見ではありません」と言われたんですね。
(笑)


相変わらずそれは変わってなくて、午前中は一緒に勉強をしています。
それを言われた後に、そうだよな、楽しんでいる? と言われたらそうでもないかもねと思ったり、でもやりながら盛り上がって楽しい時もあるんです。

その時にそれは私のためだったんだと気がつきました。それでそれも正直に子ども達に「ママは自分のためにやっているみたい。私は神様じゃないからごめんね」と言って謝りました。

鬱になった時に病院で、「入院するか、家にいても入院していると同じような生活をしてください」と言われました。
子どもが小さかったので家にいる生活を選びました。その時に母が来てくれて家のこと一切合財をゆだねました。

その時も自分のことが嫌いで、嫌いで、母親とも何度もケンカをしました。
「こうなったのはあんたのせい」とか、「あんたがあの時こういうことを言わなかったら、こんなにならなかったのに」と、もういっぱいの恨みつらみをさんざん言いました。

母はものすごく大変だったと思うんですが、それでも全部聞いてくれて。
夫にも「ここまでになったらもう私のことを嫌いになるかも、もう離婚してもいいよ」と言ったりしたんですが、今までと何ら変わりなくて。
その時に、私ってこんなに愛されているんだと初めて気がついたんです。
そしてもし立場が逆になって、子どもたちがそういう行動をとった時に、私はどうするんだろうと考えました。

私の母親が私がブツブツ言っても私のためにしてくれている、それと同じことをするんじゃないのかなと思ったら、あっ、これでもいいんだと思えて、その時はじめて自分を許したというか、そこから肯定し始めたんです。

落ち込む時ももちろんあって、その時は泥沼の中をはいずりまわって、でもしばらくしたら、ああ、そうだった、と戻ってきて、その繰り返して、周りの人が支えてくれるというか、周りの人がただ黙って居てくれているということで今に至っています。


―――
「こんなに愛されているんだと気がついた」。いいお話ですね。(本当にそれが良かったと思います) かけがえのない家族を持ってお幸せですね。(本当に幸せです)





「生まれてきてくれてありがとう」   mihoさん



私は離婚して1年半になります。
今、18歳の息子と13歳の娘と3人で生活していて、生活保護を受けています。真衣ちゃんの話を聞いていて、娘のことと重なってしまいました。

私と元夫の仲がうまくいってない状況のなかで、子ども達は育ってきました。
時間が経てば子ども達も離婚のことをわかってくれると思っていましたが、時間が経ってわかったのは、子ども達がこんなにも気を遣っていたということでした。

娘は家の空気が悪くならないように、元夫が機嫌が悪くならないように、可愛い可愛い娘の役を引き受けていました。
私から見ると、仲の良い父と娘だと思っていましたけど、本当にそうしたくてやっていたわけではなかったんだと、今わかります。

離婚後、娘は一切父親とは会っていません。調停のときも私を心配して家庭裁判所まで付いてきてくれましたが、お父さんとばったり会ったらどうしようと怖がっていました。
息子は向こうのお祖母ちゃんのお葬式があったときに参列しました。離れて暮らしていてもお父さんの機嫌を取らないといけない、そのためにはやっぱりお葬式に行って、長男としてちゃんとしなければいけないと思ったみたいでした。

もっと早く子ども達の気持ちに気づいてやればよかったと思いました。
いままでいろいろなことがあってすごく大変だったけれど、私のことや自分たちの生活を子ども達が一生懸命支えてきてくれたんだなあと思います。


―――
そのときに気づいてやればよかったと言っても、そのときは元夫のDVで、あなたはそれどころではなく、精一杯だったものね。でも、そういうことがいっぱいあったから、いろんな気持ちに気づくことができるようになったしね。(はい)
あなたの掲示板への書き込みはとっても良かったですよ。会報に掲載しました。


今はとっても楽しいし、何もしてなくても毎日いろいろ楽しいことがあります。ふたりの子どもたちの誕生日も最近ありました。
うちのアパートは5階でエレベーターがないから、普段何気ないときも長男が重い物を運んでくれます。そういう時「君がいてくれてありがとう」と言います。素直にそう思えます。

娘といろいろ話をしていて、自分のことが気づけるので、私が産んだけど「よくぞ、私のところに産まれてきてくれてありがとう」と言いたいです。

もう、お父さんはあの人しかいないから、あの人を選ぶしかなかったかもしれないけど、選べるとしたら、も少し平穏な状況の家を選びたかっただろうに、その中でも私の元に生まれて来てくれたことに、いつも感謝しています。

昨日お誕生日のケーキを食べながら、娘が「産んでくれてありがとう」と言ってくれました。
素直にそう言ってくれるのが嬉しいけれど、それ以上に、私のほうがたくさん子どもたちに感謝しなくてはいけないと思えるので、いろいろ大変なこともあるけど、やっぱり楽しいことのほうが多いですね。


―――
いいお話ですね。娘さんに「産んでくれてありがとう」と言ってもらえてよかったですね。あなたの書き込みは「いつも私のそばにいてくれてありがとう。私の元に生まれてきてありがとう。そう思えるだけで、また手の中の幸せを見つけられて、胸がじ〜んとあたたかくなります」とありました。とってもいい文章で感動しました。



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Last updated: 2009.7.16
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