TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2011年11月発行ニュースより
自分のこと大好き! 2011年10月例会報告(抄) 「俺はやっぱり自分のことが大好きなんだと思った」。 永田さんの息子さんの言葉です。 永田さんは先日いらいらして、つい言わずもがなのことを言ってしまい、 息子さんはプイと2階に上がってしまいました。 けれど、やがて降りてきてくれて、そのとき口にした言葉です。 息子さんは大事なことをちゃんと学んできています。 そのようなやりとりができる! すばらしい親子の関係ですね。感動しました! しずりんさんも、なぎささんも、「自分のことが大好き!」と言います。 自分をいっぱいほめてあげる毎日が幸せです。 Aさんは夫に「力をもらってくるよ」と言って家を出て、例会に参加します。 家事は夫も分担します。自分の好きなことができるようになったとうれしそう。 淳子さんは「親の会は、喜びや楽しみ、そして悲しみも共有できるところ」と言います。 そんな親の会と出会えて「とてもよかった」とまつぼんさんは言います。 親の会に参加して12年のみどりさんの話は圧巻です。 「大学に行く」という息子さん(長男)に、 父親が「うちはお母さんが使うから、お金はないぞ」と。 息子さんは当然にも「うちは3人も学校に行ってないから学費はいままでかかっていない。なのに、なぜ、ないんだ!」と。 みどりさん「どうしても行きたいんだったら奨学金がある」。 長男「お母さんは親にだしてもらったじゃないか」。 みどりさん「じいちゃんたちが行かせたかったの。 お母さんは別に望んでないから・・・」(大笑) 堂々としていてカッコいい! 親子のきずながしっかりです。 親の会の存続を確かめあって、今月も本当に感動! でした。 来年4月以降の親の会の運営についてお知らせします。 1 月例会は今まで通り第3日曜日に午後1時から5時まで行います。 2 月700円(半年4200円)の会費の徴収はやめて、月例会に参加された方から その月ごとに1家族500円の会費をいただいて運営費にあてます。 3 毎月の会報の発行は取りやめます。 親の会HP上で体験談などを紹介していきます。 HPの掲示板でも体験を交流していきましょう。 以上よろしくお願いします。 ―――(内沢朋子)(世話人):「かごしま仮説の会」のニュースを、親の会の会員でもある濱崎さんが毎月発行しています。そのニュースに、5月15日の親の会22周年の集いのことが紹介されていました。とてもいい紹介をしてくださっていますので、感謝してみなさんにもご紹介します。 去る5月15日に「登校拒否を考える親・市民の会」の22周年記念の集いが行われました。オープニング講演で内沢達さんが話しました。当日は全国各地から100人を越える大勢の方々が集まりました。22年間毎月例会を行い、それをテープ越しして会報として発行するのは並大抵のことではありません。まずは、ここまで継続してこられたことに敬意を表します。 その中で互いの事例から学びあうことで、親の会の「三原則」やいい言葉が生まれてきました。例えば、「“心配”しないで“信頼”する」「人の話はわが話、わが話はみんなの話」「解決の道は自分の中にある」「“しない”と“する”ようになる」「とても辛いことだって実は明るい」などです。 お互いの話やこうした言葉から学んだ多くの参加者が自分の人生を明るく、楽しく過ごせるようになっているという事実がすごいです。 もちろん発想法の根本は、板倉式発想法であることは言うまでもありません。この22周年を機会にまとめられたガリ本『自分が自分の主人公! まっ先に幸せになる!』をぜひ一読ください。 目次 1 保護者へのかかわり方 河野さん・内沢 達 2 自分のことをもっと褒める なぎささん 3 「うちにはお金がないよ・・・」 内木場みどりさん 4 自分の気持ちが第一 木藤厚子(世話人) 保護者へのかかわり方 河野さん 内沢 達 半年振りに例会に参加しました。 今日ももしかしたら出られないかなと・・・。実は昨日、息子(小6)が交通事故にあい、交差点を青で渡っていたら赤で突っ込んできた車にはねられて手首を骨折したんです。事故現場から2キロ離れた病院に救急車で運ばれて処置してもらいました。 そこに心配した子ども達が10人以上来てくれて、その後も自宅に子ども達や親御さんが10人以上も来たりで、すっごく暖かい気持ちになって、息子も相手の運転手のことを心配して、いい気分になる事故というのもあるんだなと感じて、何でも考え方ひとつなんだなと思いました。 私は中学の教師をしており、いまクラスに気になる生徒が3人います。 一人は朝起きれなくていつも12時過ぎに登校してきます。 2人目は9月の始業式から休んでいる子。3人目は3週間目から欠席している子です。 保護者にこの親の会で学んだことなどを基にしながら声をかけたりしているんですけども。昨年、一昨年など、そういう会話がかみ合うときはお互いいい感じで日々が過ぎていくんですが、特に3人のうちの2人は登校拒否をしたばかりで、保護者は何とかして学校に行かせたいという思いが強くて、現状を否定的にしかとらえられない、学校に行くことが我が子のためだと一生懸命考えている方に、先ほどの会報25ページの内容を言葉足らずですけど語ったりするんですが、それが受け入れてもらえなかったときは逆に一人のお母さんは私と距離を置こうとしているのを感じたりするので、であれば私も距離を置こうとしてるんです。 担任としてなんらかの関わりをしないといけない中で、この会で学んだことを伝えようとして出てくる私の苦しみというか、悩んでいる状況もあります。 気長によい関係になってきているところもあるんですが、少し状況をお話しました。 ―――(内沢達):親でも教師でも、原理は同じではないでしょうか。相手が誰であれ、またどんな方向にであれ、人が人を変えようとしては、やっぱりいけないのだと思います。 僕らは「子どもを変えよう」とはしません。子どものあるがまま、それが他に害をおよぼすものでないかぎり、そのすべてを認め変えようとはしません。 ところが、大勢の大人は「よかれ」と思って、子ども(わが子)を「変えよう」とします。僕らはそのやり方ではけっしてうまくいかないことを知っています。変わるべきは子ども自身でも子どもの状態でもなく、大人のほうの考え方なのです。 でも、そこに課題があるからと言って、人が人の考え方を変えようとしてはいけない。人は、僕ら自身もそうであるように、変わるときは自分の意思で自分の見方や考え方を変えていきます。だれもがみんな、自分が自分の主人公です。 かく言う僕にも反省があります。森田さんはじめ会歴の長い方はご存じです。 僕は子どもを変えようと思ったことは一度もありませんが、例会に見えられた親御さんには、なんとかわかってもらいたいと思って、つい熱弁も過ぎてしまうことがかつてありました。そのつもりはなくても、やはり「変えよう」としていたんだと思います。 相手がほとんど納得していないことをいくら熱弁をふるって説得しようとしてもだめです。むしろ逆効果で、反発されたり、恨まれたりもしました。 そこで、こちらからのアドバイスはだいたい控えめなほうがいいんでしょうね。こちらは先走りしない。その人が主人公として選び決めていくことですから、なんならいっぱい失敗し、困ってもらってもいいのだと思います。 向こうのほうから「どうしたらいいんでしょうか?」と求めがあったときに初めて、「こういう考え方もありますよ」と答えたらいいのだと思います。 求めがなくても、こちらから言いたいときは、冊子に収められているタイトルの一つにもあるように「一人称でいつも自分自身について話す」という姿勢が大事だと思います。「あなたはこうしたらいい」といった話し方ではなく、「僕はこうしています」という言い方です。そうした自分の話に相手が関心を示してくれたら、とてもうれしいですね。 僕らは、僕らの考え方に自信があり、それがとてもいいものだから、いっそう相手に押しつけをしてはいけないのだと思います。 自分のことをもっと褒める なぎささん 私も自分のことが大好きです。 海外旅行に行かなければも山にも行かないんですけど、自分は幸せだなあと思います。 (―――おつれあいさんは飛行機嫌いだから) 夫は退職して今年の4月から家にいます。好きなテレビ番組も合わないんですけど、とっても幸せだなと思っています。 ――― 幸せを感じることができるのは最高ですね。夫が退職するのをすごく楽しみにしていて、いざ退職して一緒にいると、初めのうちはふたりともちょっとギクシャクしていたこともあって・・・ ギクシャクしてということではなかったんですけど、まあ、けんかはいつもしています。私は我慢できない方だから(笑)。4月から一緒にいることが多いというより、私はひとりで出歩いているほうが多いかもしれませんね。 ――― 一緒にいるのも楽しいんでしょう。 そうです。夫は畑に行くんですけど、私は自分の好きなことをしています。でも畑にばかり行ってひとりで一生懸命クワをうっている夫がちょっと可哀想だなと思って「私が何かすることない?」と言ってみたり(笑)。そして申し訳なさそうに大根の種を一列だけ蒔いて、「あー、私も手伝った」と、そんな感じで過ごしています(笑)。夫は退職して念願の農作業ができると毎日夢中です。 この親の会のニュースに書いてあるとおり、今幸せを実感しています。ピアノを習い始めてバイエルの基礎をやっていて、楽譜もよく頭に入ってきます。朋子さんが私の話に「自分をほめるところがとっても素敵ね」とコメントしてあったんです。私はとても感動して、「私はこのままでいいんだ」「自分をもっと認めてもっとほめていけばいいんだな」といっそう自信が持てました。 ―――自分をほめることはとてもいいですね。淳子さんが言われたように、ここだったら分かってくれる、自分をほめたら「そうだよね」と分かってくれるのね。 そうですね。でも以前は、私は自分のことをすごく謙遜する性格でした。 ―――みんな本当は自分を誉めたいのに、みんなで謙遜しあっているのね。 昨日すごく嬉しかったんです。認知症の叔母の補聴器の電池を買いに行ったんです。そこの奥さんが私に「あら、この頃すごくお顔が素敵になっていらっしゃいますね、前と感じが全然違います」と言われたんです(大笑)。 すごく嬉しくて「私はそんなに素敵な顔をして世間を歩いているんだ」と思って、「そんなに見える」「アレンジフラワーをしたり、ピアノを練習したり、いろいろしているのよ、ほんとうに楽しいですよ」と話しました。 その方は私が92歳と96歳と88歳の3人の母、義母、叔母の介護をしていることを昔から知っている方なので、「この頃全然違うね」と言ってくださったんです。 ―――顔ににじみ出るんですね。いいお話でしたね。毎朝起きたらワクワクするでしょう。 はい。1日が24時間じゃ足りなくて、30時間くらい必要だなと思っています。 また明日アレンジフラワーがあるんです。型を取って切っていかないといけないんですが、間に合わないので、夫に頼んで切ってもらいました。でも半分ぐらい切ったのを見たら、少しずれていたんです。私はそういうのが嫌なんです。それを言うと夫はもう止めてしまいました。言わなきゃよかった、次もしてもらわないといけないのに、と思いながらここに来ました(笑)。 「うちにはお金がないよ・・・」 内木場みどりさん ―――内木場さん、お久しぶりですね。日曜日も山形屋の子ども服売り場で働いているのね。 国分の山形屋です。テナントで、三人でやっていて社長の休みに合わせて火曜日と木曜日しか休めません。それで親の会にもなかなか参加できないんですが、でも私の場合は、3人の子ども達も家にいるので、土、日が休みじゃなければということもなかったし、2時から仕事なので、夫ともちょっとしたランチに月に1回ぐらいは一緒に出かけたりできたのでいいんです。一度そういう仕事もしてみたいと思っていたんです。 長男が21歳、次男が18歳、娘が15歳になりました。娘は幼稚園のときから行かなくて、長男は小2から、次男も幼稚園を卒園していないので、以前、内園さんが使っていた「幼卒」と言う言葉で、「うちは上の子は幼卒だけど、下のふたりは幼卒でもないよね」と言って、それがすごくおかしかったです(笑)。 3人とも家にいます。長男は家で過ごして、次男はバイトをして、もう2年経ちました。私の家も夜になると、しずりんさんのところみたいにネットゲームで対戦して、お祭りみたいににぎやかに対戦相手としゃべっています。次男はそれが得意らしいんです。バイトをしているのでモニターなども自分で買っています。長男も別にモニターを持っているんですけど、お年玉や誕生日にもらったお金を貯めて買っています。 ―――長男さんは「ギターの学校に行きたい」と言ったことがありましたね。 私はその時にお金がなくてよかったと思っています。その時にポンと出せるお金があったら、私の気持ちが多分「どうぞ」と言っていたと思うんです。木藤さんからも助言があって。 ―――お金がなくてよかったですね。(笑) 本人は「そこに行ったら何かが変われる」「そこにいったらバイトもする」と思い込んでいて、私も「やりたいことが見つかったんだ」と思ってしまったし、だから、その時お金がなくてほんとによかったなと思いました。今もお金はないんですけど。(大笑) ―――ギターのギの字も言わなくなったの。 言わないです。春頃、「6日で分かる算数」という本がアマゾンから届いたんです。私のカードで買うので、これは誰だろうねと娘と一緒に開けてみて「数学」じゃなくて「算数」で、長男が注文したものだったんです。「へー、算数なんだ」と言ったら、「いや、算数からやってみようと思って」「俺、高認受けるから」と言いました。私は「まー、受けたければ受ければ」という感じでした。子ども達は二階で過ごしていて何をしているのか分からないし、長男もネットゲームをしているので、そういう声しか聞こえてこないんですけど、いろいろ考えていたんだなと思いました。 夫がタイに2回目の単身赴任で行ったあと、息子が「お母さん、高認を取れたら俺大学に行くから」「高認を取るってことはその先を考えているのか、とお父さんがしつこく聞くので、大学に行くと言ったら、うちはお母さんがお金を使うから、お金がないぞとお父さんが言ったけど、家はお金がないの?」と聞くんです(笑)。 「ないよ」と言ったら、「なんで? 俺たち3人とも全然学校に行ってないし、学費も使ってないのに何でないんだ」と言うので、「何でだろうね、どうしても行きたいんだったら奨学金とかもあるしね」と言ったら、「俺達今まで使ってないのに、何で奨学金で行かないといけないの?」「お母さんは親に出してもらっているのに」と言うので、「お母さんは自分で行きたかったんじゃないの、祖父ちゃんと祖母ちゃんが行かせたかったんだもん。だから親が望むことをしただけだから、あなたには別に望んでいないから行きたいんだったら、それぐらいはしなきゃ」と言いました。(大笑) ―――すごーくイイ! たいしたもんだ! 結局、長男は高認を受けて合格しました。それで、すごいなあと思ったのが、「めっちゃ勉強が楽しい」と言うんです。これなんだよね、本当に学びたい気持ちがあったらそうなんだよねと思いました。「自分は文系だと思っていたけど、数学がこんなにおもしろいとは思わなかった」と言って、お風呂にも本を持ち込んで2時間ぐらいずっと読んでいたりしました。 試験が終わったら、「今までめっちゃ勉強していたのが、受かってみたらつまんなくなった」と言って、私が今日あらためて「試験はいつだったっけ」と聞いたら、「公立は受けないで私立を受けるので1月に受けて3月に2次募集があるので、それを受けるんだけど、まず力試しに1月も受けてみたい。行きたいところは県外で俺はひとり暮らしが向いていると思う。その大学を出たら鹿児島に帰ってくる」と言いました。 「別に帰ってこなくてもいいじゃん」と言うと(笑)、「そんなに俺が帰るのがいやなの」と言うので、「だって先のことは分からないし、その時に考えればいい、大学に行って嫌になったらその時、帰ってきていいし、帰ってきても拒む家じゃないからね」と言いました。一応1月と3月に受けるようです。 ―――とっても素晴らしい! あなたはギターのときに比べると、自分の気持にこだわらなくなったのね。「受験生の親でございます」ということがなくなったんだ。 ないですね。不思議ですね。この前仕事に行く車の中で、ふっとおかしくなって「私って受験生の親なんだ」と思ったら、他の受験生の親って一生懸命で夜食を作ったりとか、私は全くそれがないから、今日また息子に聞いてみようと思って、受けるんだったっけみたいな感じで聞いて、お金のことを言ったので「何とかなるんじゃないの、その時に考えたら」でした。(笑) ―――木藤さんが、息子さんが大学を受けることを全く知らなかったということがありましたね。 そうですね。木藤さんの息子さんが23歳で大学に行くと聞いたときは、それはそれで素敵だなと思って、でもたぶんどこかに大学を卒業する年令の人もいるのにという気持ちがあったと思うんです。でもあまりにも息子は家にいることが自然なので全然そんな感覚がないんです。21歳で受験するということに対しても、家を出て行くことに対しても自然で、寂しいと思わないという感じですね。 次男もいいことがありました。昼間すごくゲームで叫んでいたときがあって、私が「うるさ過ぎ!」とメールしたことがあったんです。それは全国大会で優勝した時だったらしくて、賞金2万円をもらったんです(笑)。いつも何も言わないんですけど振込先を聞いてきたので、あのとき全国大会で優勝したということだったんです。 ―――長男さんや次男さんのことをそういうふうに見られるようになって、本当に幸せが伝わってきます。もう子ども達のことにあまり関心がなくなったのね。 ないですね。(―――自分のことに夢中になって?) 夢中ということもないですけど、次男は彼女がいてそれでよくて、上の子もそれなりにですし、娘は女の子なので私の話相手になってくれています。 このあいだ感動したのが、今夫は単身赴任で家にいないですので「お父さんがいなくて寂しい?」と聞いたら、15歳ぐらいってお父さんを毛嫌いしたり嫌がる年頃ですけど、「やっぱり寂しいと思う」「前回は8歳ぐらいでお兄ちゃん達と一緒に行動していたので、あまりお父さんがいないことが訳も分からないし、そこまで寂しいとは思わなかった」と言いました。 今回夫が帰ってきている間、私の仕事が午後2時から8時までなので、食事は夫とすることが多かったんです。「お父さんと食事の準備をしたりしていたので、その時に寂しいと思ったり、結構、土、日にふたりで出かけていたので、そういうときに寂しいと思う」と言いました。 それってすごくいいことだね、普通その年齢だと「お父さんはウザイとか嫌い」だけど、今の年齢でそう思うというのはすごくいいことだ、やっぱり家族の仲がいいというのはすごくいいなと思って、涙しながら夫にメールしました。今、向こうは洪水で大変みたいです。 ―――単身赴任ですものね。寂しいでしょう? はい、でも慣れるのも早くて(笑)、前回の経験があるのでこうだったなあという感じです。 長男が下に降りてきて「土、日が分からなくなった、お父さんがそこらへんにごろんとしていると土、日だと分かったけど、最近その感覚がなくなった」と言っています(笑)。それはそれで面白くて、他の人がどう思おうが家の中では幸せな時間が流れています。 会報を見て、親の会が3月いっぱいという話があったんだと思ったら、やっぱりここがあったから息子も生きているんだと思って。 最初は、どうしたら子どもがいいかたちで学校に行けるかという思いで来たので、ここの考え方は何か違うよねと思っていました。それでも自分で模索しながら参加し続けてきて、やっぱりここだったからよかったと思えるので、永田さんの書き込みで安心しました。 ―――参加されてどれぐらいになりますか。 12年だと思います。長男が小2のときからです。(―――あなたは今自分のこと大好きでしょう) そうですね。好きだったり嫌いだったりで。 息子にお金がないと聞かれたときに「じゃあ、お母さんはこれから洋服を買わないようにするね」と言ったら、「うん、靴もね」と言われました(大笑)。 それがすごくおかしくて、まあ、その時考えればいいかなと思っています。そういうふうに思えるようになったのも、この会に参加するようになってからです。ですからここで皆さんのお話を聞いたりできるので、無理なく続けていってください。(笑) ―――堂々としてね。幸せのオーラがいっぱいで感動しました。昔のあなたの辛さからは考えられないよね。 そうですね。過ぎた嫌なことは忘れてしまっているけど、必ずちょっと戻すようにして、あのときがあったから今があるとまた思うようにしています。 娘も友達関係でいろいろあったりするけど、「やっぱり、この家の子でよかった」と言ってくれるので。 娘の誕生日に「お母さんの子どもに生まれてきてくれてありがとう」「今はあなたがいてくれるので、みんな子どもは一緒だけど、お母さんもあなたとお話できることで救われている」と言いました。 ―――子ども達がとてもいいことを言ってくれて、それでまたあなたが励まされて、子ども達に支えられて、あなたも輝いて生きているのね。いいお話でした。 自分の気持ちが第一、 自分を大切にすると相手も大切にできる 木藤厚子(世話人) 福岡で一人暮らしをしていた義母が東北大震災の前日に倒れ、鹿児島で入院生活を送っていましたが、9月末に亡くなりました。 半年間の入院生活でしたが、その間夫も姉弟も何度も母を見舞い、食事に出かけたり、家族一緒の時間を過ごすことができて、とてもよかったと思っています。 入院も長期間となり義母は「早く帰りたい、ここから出たい」と言っていましたが、家で看ることはできませんでした。外泊したこともあったんですが、夜中も1,2時間おきにトイレに車イスで連れて行かないといけないし、家族も眠れず大変でした。 やはり「介護は公共で、愛情は家族で」というように、病院でスタッフのみなさんにお世話になりました。でもその分私は、今日は何を持って行こうかと母の好物を考えたり、じっくりと話し相手になることができ、散歩をしたり、院内の喫茶店でお茶を飲んだり、母が喜ぶことを精一杯することが出来たと思っています。 義父が亡くなった27年前から、義母はお正月前になると毎年鹿児島に来て我が家に4,5ヶ月滞在して福岡に帰るという生活を繰り返していました。子どもも小さく、狭い家の中でいろいろなことがありました。 しかし8年前に義母が病気をしたことをきっかけに施設への入所を勧め、私達は一緒に暮らせないことを率直に伝えました。それからはヘルパーさんを頼んで生活をするようになり、しっかりと自分の生活を守って暮らしていました。 自分の気持ちを第一に考えて自分を大切にすると相手のことも大切に考えることができるようになり、とてもいい関係ができたと思います。 今は昔のことはすっかり忘れてしまって、楽しかったことばかりを思い出します。毎日手を合わせますが、私の両親もそうですが、亡くなっても親って力をくれるなあと思います。 ―――私は「自分を大切にする」ということは、人生すべてに通じることだと思うのね。自分を好きにならないと自分を大切にできません。自分をもっともっと好きになるって、素敵ね。自分を大切にする!すごいことだと思います。 相田みつをさんの言葉に「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」というのがありますね。自分の見方や考え方次第です。まわりがどうだからとか、子どもがどうだからではありません。いい言葉ですよね。私の家の玄関に飾ってあるんです、「行ってきます、ただいま」というときにいつもそれを見て、そういうふうに思って生活しています。 みなさん、毎日朝起きたときに、どんな小さいことでも自分がワクワクすることを発見していきましょうね。 |
最終更新: 2011.12.25
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