登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2011年2月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.174より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




自分の気持ちを一番大切に、
 
でも他に押しつけない



2011年1月例会報告
(抄)


「大変だと思われることも、考え方次第で変わってくる」「自分の気持ちを一番大切にする」。新年1月の例会も感動的な体験の交流がいっぱいできました。

M子さんは「今はいろんなことに感謝できるようになった」と言います。以前は、先々のことを考え心配ばかりしていました。それが今を大事に、わが子を信頼できるようになり、自分も今日一日を頑張ろうと考えられるようになって、元気が出てきました。子どもたちが親の会にも「楽しんできてね」と送り出してくれた、とうれしそうでした。かつて大変な日々が続いていただけにその言葉に胸が熱くなりました。

HGさんは、息子さんから「自分ばかり幸せになりやがって・・・」と言われました。これは明らかにお母さんを認め肯定している言葉です。そこで、HGさんはますます自信をもって自分のわくわくを増やしています。

永田さんは、お母様から「親の会はいいところだね。なによりもあんたが元気になったのがよかった」と言ってもらいました。

3人のお年寄りの介護をしているなぎささんは「親の会は生き方を学ぶ会。大変なこともだいじょうぶと思えてくる」と。

淳子さんも「会に参加し続けていると、そのときどきを生きる大事なヒントをもらえる」と。

例会での貴重な体験交流のたまものですね。Tさんは、お舅さんの介護を家でしています。「子どもたちが私を支えてくれる。子どもたちはすばらしい。家族の絆がうれしい」と涙します。

大阪から参加した直美さんと泰史さんは、3年越しの「お正月事件」を紹介しながら、「自分の気持ちをちゃんと相手に伝える。でも押しつけない」と話しました。とても大事な教訓ですね。また一つ鹿児島の親の会に財産が増えました。

まわりを変えようとしない。まわりは変わるときに変わっていきます。私たちは自分を一番大切にすればよい。それは他の人にとっても大事なことです。自分自身の一番の気持ちに素直になるとまわりとの関係も良くなっていくということですね。





目次

1 病気の自分、妻に支えられて  町田さん
2 自分の気持ちを一番に、でも他に押しつけない  なおみさん・やすしさん
3 親の覚悟を見せたとき(その2)  M子さん
4 自分ばかり幸せになりやがって・・・・  HGさん





―――(内沢朋子):みなさま、新年明けましておめでとうございます。今年も励ましあい、支えあって感動を共にわかちあって楽しくやっていきましょう。

ちょうど1年前昨年の1月のテーマは「自分がまっ先に幸せになる!」でした。今回は「自分を一番大切にする」。同じですね。今年5月で親の会は22周年です。私たちは「自分を一番大切に」しよう、「自分が自分の人生の主人公に」なろうと、ずっとやってきました。5月例会は「22周年記念のつどい」というかたちで行いたいと思います。是非ご都合をつけてご参加ください。





病気の自分、妻に支えられて    町田さん



60歳の誕生日を迎えました。(―――60歳に見えないですね。仕事を一度辞められたのよね)55歳までしていた眼科の仕事を辞めて、眼科関係の医療器械を扱う会社に2年間、また同じような会社に2年間所属して、次に今まで自分がやり続けていた仕事を同志といっしょにもっと続けていこうと思っていたらなかなか順調にいかなくて、私もやりたい仕事があってそれを中断するのはちょっと辛かったので、55歳まで勤めた職場に相談して現在はそこに所属しています。自分の今までやっていた仕事も平行してしながら、そこの仕事もしています。何とかうまく収まっています。


―――お休みの日は、そのやりたいというお仕事で離島に行かれて忙しいのね。


そうですね。それが私にとってすごく意味が大きくて。だからその前の仕事を辞めざるを得なかったのは、どうも会社側はそこにあまり行って欲しくないようで、であるならば自分でその仕事を続けられるところを探したわけです。


―――それはどこなんですか。


沖永良部(おきえらぶ)です。鹿児島県の最南端が与論島でそのひとつ手前です。そこの外科の先生が、土日に鹿大の眼科の先生に応援を頼んで、それに私が同行しているわけです。


―――そうですか。大事なお仕事ですね。息子さんは中学のときに不登校でした。


そうです。今、22歳です。中3で行けなくなって、高校には入学したけど2日で行けなくなり退学して、家でゆっくりして、19歳のときに動き出しました。
おでんやさんで2年間働いてお金を貯め、高卒の認定資格を取り、昨年4月から医療関係の資格をとるために福岡の専門学校に行っています。(―――お父さんと同じ仕事を)そうですね。


―――「息子の人生は息子のもの」と安心できるようになって、ほったらかしていたら動き出したという感じでね。


そうですね。ずっと私も例会に参加していましたけど、17,8くらいまでは自宅にいる息子に「はたして一人で何をして何を考えているのだろうか、手助けすることはないのだろうか」と仕事をしながら考えていました。

あるときおふくろが病気になり、そっちのほうに私の意識が行って、息子のことが気にならなくなって、興味がなくなってきたというか、私の気持ちがそういうふうに変ってきて半年後、息子が「お父さん、僕は明後日から仕事することになった」と、自分で仕事を決めて来て行くようになりました。それから2年間働いて今は福岡です。今年の正月は向こうでアルバイトして帰れなかったけど、先週の土日に帰って来てすごく元気そうで、頑張っています。


―――かわりに長男さんが大学を辞めて帰ってきたんですってね。


そうなんです。変な話ですが、昨年4月に次男が自宅を離れて夫婦ふたりきりになるのかなと、ちょっと不安だったら(笑)、そしたら広島の大学に7年間行っていた長男が「いや、ちょっと卒業できそうにない」と、入れかわりに帰ってきたんです。今半年以上、半分引きこもりの状態で自宅にいます。


―――それはあまり心配はしていない。


いや、やっぱり心配なんですが、次男との長いつきあいの経験で、次男がそういうふうに巣立っていったので、心配はありますけど次男のときのような自分でありたいと思っています。


―――昨年12月に「うつ病」になられたんですってね。


一緒に仕事を始めようとしたときに相当ストレスがあって、その後、前に勤務していたところで働けるようになった状態に安心したのかどうか、夜も9時ごろ寝ても12時に目が覚めてそこから寝られないとか、テレビも見ているけど全然内容が頭に入ってこないし、私は自分の仕事に自信をもっていたのだけどいやそんなことはないと、自信もなくなってきて、いろんな状況を考えてこれはうつだなと自分で感じて。


―――昔から早寝早起きでしたよね。


そうです。妻との会話もなくてね。妻は9時から見たいドラマがあるときは、「まだ寝ないの?」と言って、無理やり寝かされて(大笑)。それで早めに心療内科にいったら「うつですね」と薬を処方されて、11月の末から安定しています。1ヶ月くらいでよくなってまだ薬は飲んでいます。
今でも「僕は今薬の力でこうなんだ」という意識があって、薬を取り上げられたらだめじゃないかと不安になります。私が苦しい時に、元の職場に戻って一緒に仕事をしていいよ、と言ってくれた先生にすごく恩義を感じているけど、「僕という人間はみんなの足手まといになって、みんなの足をひっぱる、先生のご好意に応えられないからもう仕事は続けられない」と信じ込んでしまったんです。
それで診療内科で「実はもう断りにいこうと思っています」と相談したら、「まあ、一般的にうつ状態のときに重大な決心とか行動は起こさないほうがいい」「自分の状況を話すのはいいけど、自分から辞めるとかいう決断はやめたほうがいいですよ」と言われました。


―――それはいい先生でしたね。親の会でもよく言いますが、不安がいっぱいのときは考えているようで考えていない、すべて否定的なことしか頭に浮かんできませんね。


そうですね。そういう状況になった自分を考えたときに、仕事を一緒にやろうという人間に頼りすぎる自分とか、その人の力を借りて何とかしようとする発想法が色濃くあったので、今はそういうふうに頼るのではなく自分の考え、自分の生き方に沿ったやり方で物事を決めていかないといけない、人に頼ったやり方だったので精神的な面でもダメになると感じました。


―――おつれあいさんは支えてくれたのね。


そうそう。僕が別人のような姿になったとき支えてくれたので感謝しています。夫婦のことで相手にこうしてくれたらなと、すぐ思ってしまうのだけど、そうじゃなくて自分は何ができるかということだよね。妻に対しても自分のできることをやっていけば、これからもいい関係ができるのかなと今思っています。


―――相手がこうしてくれたらいいのにということがよくあるよね。自分に言ってるんです。愛は求めるものではない・・・。(笑)


数年前、その話を達さんにしてもらったけど、やっとわかってきたという感じです。(笑)


―――いろいろ大変なことがあれば、夫婦の愛情がいっそう深くなっていくし、家族の愛情が一番と身にしみてわかりますよね。自分を犠牲にしては家族への愛情は生まれないです。先月、明子さんのお話にも、私がこんなに一生懸命やっているのに、夫は何もしてくれない、鹿児島弁で「はらかっぼ」であった明子さんが病気をしてから笑顔になった、自分を大切にするようになった、甘いものは身体に毒と言っていたけど、アンパンを食べれるようになったと、いいお話でした。
あなたも「うつ」になって良かったですね。あまり働きすぎないでご自分とおつれあいさんを大切にされてください。


今から3年前、2008年1月8日のHP掲示板への私の書きこみを紹介します。


自分を大切に

内沢朋子

自分を大切にすると、
自分の本当の気持ちがわかってくる、
自分の気持ちをごまかさなくなる、
そして、素直に自分と向き合うことができるようになってくる・・・・。
自分の人生の主人公として生きていくことが出来るようになる。
すると、自分が一番愛している家族の存在がどれだけかけがえのないものか気がついていきます。

誰しも、自分を抑えて生きていくことは難しいことです。
そんな状態を長く続けていくと、
自分の気持ちを押さえていることすら気がつかなくなって、
常に不安になって、いらいらしてくるし、
大切な家族をもないがしろにしてしまう。
「私がこんなにガマンしているんだから・・・」なんて悲劇の主人公になってしまう・・・。
そんなときは、自分にも家族にも、愛情は生まれません。

自分を大切にしていくと、ちゃんと周りも大切にしていくことが出来るんです。
何気ない家族の笑顔と一緒に、夫を子どもたちを信頼できるようになっていきます。
取り戻したあなたの笑顔は、きっと自分と家族へのあふれる優しさを伝えていることでしょう。

問題解決の道は自分の中にあります。
自分自身の、ものの見方次第で、幸せにも不幸せにもなります。

今の幸せを大切にしてください。
今を生きること、今を大切にすることです。

自分と家族以上に大切なものはこの世の中にありません。
愛情がすべて、なんの代償も求めない、人との競争もない、
人が心から安心できる、それが家族ですね。

No.394 - 2008/01/08(Tue) 21:43:24







自分の気持ちを一番に、でも他に押しつけない

なおみ
さん、やすしさん



―――よく大阪からいらしてくださいました。今お配りして、みなさんいただいている「ラスク」はなおみさんが作ってくださったの?


なおみさん:18歳の娘です。(みんな:わあ、おいしいね〜。お店のよりずっとおいしいね) 「親の会に行くよ、何か作る?」と言ったら、娘が「作る、作る」と。一生懸命考えていたようで。


―――昨年からしゃべらなくなったり、食べなくなったり。でも、10月例会のなおみさんの「食べるも食べないもこの子の人生」「好きにし」というお話はよかったですね。そうしたら娘さんは食べるようになってね。


そうなんです。今日もまた何か作るみたいです。この間もたしか引きこもりも長いとか、自分のこと受け入れられないなどと、ゴチャゴチャ言って泣いて何かを私に訴えていたんですが、かわいいなとしか思わなくなってきました。


―――それはいいですね。「かわいいな」という言葉になおみさんの娘さんへの無条件の愛と信頼と、あなたの安心がいっぱい伝わってきます。こうやっておふたりで鹿児島に仲良く来てくださってとても嬉しいです。

なおみさんが親の会と出会って、自分を大切にしようと、だいぶ行き来が遠くなったけど、お姑さんとお正月は共に過ごしたくないという自分の気持ちをつれあいのやすしさんに伝えたのね。夫婦間では大変なこともあったけど、こうしてふたりで親の会にいらしてくださるということは、ふたりの関係もいいということなのね。
(笑)


年末にすごいケンカをしたんです。もうこれで3年目ですけどね。

やすしさん:僕の母親に正月に会うかどうかで、妻がいやだと言うからね。


―――それであなたが荒れて家中のものを蹴飛ばしたりするの?(ええ、そう)その後片付けはどうするの。


なおみさん:それはもうしてもらいます(笑)。今までは私がしていたんですけど「自分でしてください」と言ったら、しています。


―――荒れたときってどんな感じかな。とにかく「僕の母親に正月くらい会ってもいいだろう。我慢しなさい」といった感じかな。


やすしさん:うーん。でもなんで自分自身もこんなにこだわって一生懸命になってしまうんだろうとも。


―――お母さんにご自分もじつはあまり会いたくないんでしょう(はい、そうです)。気をつかっているんですね。僕を育ててくれた母親だからと(うん)。するとイヤになってこないですか。


そうですね。だんだん自分がイヤになってきてます。


―――ほんとは自分に腹を立てて蹴飛ばしているんじゃないの。


そのときは妻に腹を立てています(笑)。でも、よくよく考えたら自分が我慢をしていて、気をつかってるんですね。母親はうるさいし、すぐ怒るし、でも正月早々ケンカするのはイヤだし、それだったらその時だけガマンして、こっちが下から出たらいいかなと思って、母も期待してるだろうし、と思ってしまう。


―――昨年のお正月もそうでしたね。


妻は、はなから会いたくないと言って。別に元日に会わんでもいい。外食もある。うちの家にも入ってほしくないと。(―――ご近所なの)車で10分です。(―――それは近いね)(笑)僕はひとりっ子だから母親が寂しいんじゃないかと思ってしまう。今回は、なんでか知らないけど僕の母から電話で、「食事も外で食べられへんし、お年玉だけ取りにおいで」ということで、家族4人で1時間で帰ってきました。とりあえず今年はそれだけで終わったんです。


―――それはよかったですね。お姑さんのことがなければ仲がいいけどね。だけどなおみさんは離婚まで考えていると言って、ケンカするとそんなふうに思いつめちゃうよね。ほんとはそんなことはないのにね。


なおみさん:長い間、私は姑と夫は違う存在だと、姑が何を言ってこようとも夫が言いなりにならない限りは私は離婚は考えないと思っていました。でも、夫が姑を優先してそれがあたりまえだとして、私に言うことを聞かせようとしたら、それが延々と続きますよね。私も自己主張が強くなってきたのですごくいやになってきたんです。

言い合いしてからしばらく考えたんです。逆の立場で考えると、私も夫を自分の思い通りにしようとしているのかなと思って。ちょっと反省して手紙を書いたんです。一応、悪かったということと、でも姑のところに行くのがあたりまえ、嫁だからあたりまえだと言われるのはいや、本当の気持ちはあなたと仲良くお正月を迎えたいと。


―――あなたが親の会に参加するようになって、自己主張をすると、やすしさんが「親の会は中ピ連か!」と怒鳴ったとかいうことがありましたね(笑)。なのに「親の会に行こう」とやすしさんは言うのね(大笑)。


今でも怒ったらすごいです。怒ったら、「どうせ鹿児島流なんだろう!」と言ってくるんですよ(笑)。私には小さい子が本当は自分がイヤなことをイヤだと言えないで、それで怒ってるように思えて。不登校の子が学校に行かされるのがいやだと言うのと一緒のように思えてきて。

私がいやだと自己主張だけしてても違うかな、今まではただ自分の思い通りに姑にも意見をしてほしい、言えるようになってほしいと思っていたんです。でも、それは夫がやることで私は関係ないことなので、悪かったかなと思ったんです。
私は「行かないよ、いやだよ」ということをニコニコしながら言っていたらいいんだ、夫にどうにかしてと言うのはおかしいなと思ったんです。(―――すごいじゃない。

私が手紙を書いてから夫は今までは「なんでやねん、なんでやねん、行くのがあたりまえじゃないか」と言ってたのが、すごく私の話を聞いて理解してくれたんです。姑の家に行ったら行ったで、私は楽しくしゃべれるんです、そこまでいやじゃないんですね。ただ夫に押しつけられるのがいやで、夫がそれを理解してくれたらいやじゃなくなるんです。


―――とても大事ですね。強制されるのがイヤなんですね。前回10月にいらしたときに、初めてやすしさんは自分のお母さんに対する気持ちをここで話してくださったのね。自分の気持ちを言えたということがとても大事ですね。自分を大切にする第一歩ですから。本当は自分の気持ちの辛さをなおみさんに訴えていたと思いますよ。私はなおみさんにメールしました。最優先で大事にするのは自分です。そしてふたりの愛情を最優先する。おひとりの方は別にしてね。ご夫婦で仲良くしていくというのが最優先課題です。

なおみさんが今言われたように自分の気持ちを伝える、だけどその気持ちを押しつけない。やすしさんも自分の気持ちを直美さんに伝える、押し付けない。するとたちまち仲良くなっていきますね。ちょっと荒れてよかったじゃないですか。自分の気持ちを爆発されたんでしょう。(やすしさん:そうですね)物が壊れたって、後であなたが働いてまた新しく買ったらね、ピカピカになる(大笑)。自分で片付けてくれるしね。雨降って地固まるですね。


なおみさん:でも、姑さんもずいぶん変ったと思います。すごい割りきりはったと思います。10月も11月も会ったんですが、10月に会ったときはすごいお祖母ちゃんになったなという感じがして悲しかったんですが、その次会ったらものすごく元気になっていたんです。なぜか、これは一皮むけたなと思って(笑)。


―――こっち側が気をつかわなくなったからなのかもね。(そうですね)


やすしさん:こっちからはもう連絡しなくなったし。


―――ひとり息子だからと背負い込まないことですね。お母さんにはお母さんの人生が、息子には息子の人生があるんだから、お互いに相手に気をつかわず自分の人生を楽しく生きていることがより良い親子関係にとっても大事なことです。

今回の話は、ふたりの愛情を最優先にすることを大事にしていくと、たとえ「事件」があったとしても、そのことがお互いの信頼と愛情が深くしていくきっかけにもなっていくことを私たちに教えてくれています。3年越しの「正月実家事件」、よかったですねえ。親子でも夫婦でも議論は要らない、必要なのはお互いの愛情です。いっしょにいると楽しいな、気持がゆったりするな、安心するなということですね。


なおみさん:自分の親でもうっとうしくなることってありますか。ちょっと疎遠にしていたら母に対して優しい気持ちになるんですが、会ったら母は「世間の常識」を突きつけてくるんです。正月に母や兄に会ったら気持ちが沈んでしまい会いたくなくなるんですが、これって収まるんですか。


―――そういうことってあるんじゃないですか。カヨさんの「世間的価値観は年の数だけ」、ですね。親であっても、いや親だからこそ遠慮せず世間的価値観で言ってしまうのね。そのときは、離れる、距離を置く。親子だからまた愛情がわいてくるのでご心配なく。お母さんのことでイライラするのは「ああ、まだ自分が不安なんだなあ」と気がつくいいチャンスですね。世間が何と言おうが「ふん」となったらすごいです。

なおみさんの娘さんも食べなかったり、口をきかなかったりするのは家族だからですね。だから自分のことをさらけ出せる、それが家族のいいところですね。その幸せに感謝ですね。家にいたら誰にも遠慮しないで口もきかないし、荒れて物を蹴飛ばしたりできるんですね。それもいいじゃないですか
(笑)。

また来年のお正月、お姑さんとの関係が楽しみですね(笑)。昨年は外食し、今年はお茶のみ1時間、来年は今度こそ楽しいお正月ですね(笑)。



(以下、例会前と後のなおみさんからのメールです。なおみさんのご了解をえましたので紹介します。とても大切なことがいっぱい記されています。)


●先日電話でもありがとうございました。
夫に口ではうまく言えないので、手紙に書きました。「あなたは自分を犠牲にして自分がしんどいのでは? 自分のいやなことを私におしつけるのはちがうと思う。当たり前と強制されると私の気持ちがついていかなくなる。本当の気持ちは、私はあなたと仲良くたのしくお正月を迎えたい」と。

私は、この人と死ぬまでやっていく気持ちがあるのかと考えてしまいました。
朋子さんと電話で話をして気がつきました。嫌なのに家事をしたり、嫌なのに夫に疲れて妥協してしまう自分をだめだと否定していました。
ゆっくり、少しずつでよかったんですねー。

手紙を書いた次の日にメールであやまりました。
「調子にのって自分の要求をつきつけていたみたいです。あなたをどうかするという考えになっていたみたいで、自分がいいと思ってもおしつけはだめですね・・・」と

昨日夫とすごくおだやかに話せました。
「母とずっと会ってないのになぜいやなのか、わからない、あたりまえ」と言っていた夫なのに、すごく理解を示してくれました。夫も本当は年末の墓参りも義母とは行きたくないと言っていました。

「今日は、昨日君と話してから、久しぶりにおいしくお酒が飲めて 気持ちよく酔えたな〜」とつぶやいていました。

先送りにして現実逃避していたのですが、思いきって話してよかったです。
お正月義母とは、外食にいきます。夫が理解をしてくれてからは、いやではなくなりました。
〈なんで私が〜!!私にはムリムリ〜っ (~o~) 表情はやわらかく、自分のための行動は断固に〉 これはmegurinさんに教えてもらいました(笑)
これなら自己主張するのもワクワクしそうで楽しみですね。

1月の例会行きたいと言っても、もうムリと言われていたのに、今日電車で切符をとってくれました。なんと奮発して、行きだけ「グリーン」だそうです。
夫はずっと、死ぬまでに一度でいいからグリーン車にのりたいと言っていたので、うれしそうです。楽しみです。1月16日 またよろしくおねがいします。



●例会ではありがとうございました。皆さんに会えてとっても楽しかったです。
行きも帰りも新幹線で長くて大変ですが、これがまたいい。テレビなどの邪魔するものもなく、夫と話す時間がものすごく長くて、例会の話などしながらいい時間がもてました。

年末に夫とお正月のことで喧嘩するのも3年目で、お互いまたかという思いと正月がいやになってましたが、少しづつですがゆっくりと変わってきているのがわかります。
喧嘩した時は悲しくて情けなくて100年の恋もさめるわ、と思いますが、とにかく自分はどうしたいかだけをよく考えて、夫を信じてそれだけ伝えていこうと思います。

喧嘩しないでいけたらそれが一番いいし、腹はたつけど「へ〜!そんなこと思ってたんだ」って相手のことが少しはわかるので、喧嘩しない時より確実に夫は優しくなってます(^_^)v
お正月も私の親に言われたことや、兄の電話や年賀状で毎年少々落ち込みますが、年々短くなっているのと、今年は朋子さんが書いている文章を読んでとても助けられました。涙がでました。

娘のことでも、私が心のどこかでまだ条件をつけていたんです。それがすごくよくわかりました。わかるなりうれしくてうれしくて。
何もしていないわが子をかわいいと言えますか?

やっと心の底から「はい」と言えるようになってきたようです。それからは子どもが愛おしくてかわいくてたまらなくなってます。
私はゆいさんやまゆさんと一緒だな〜とよく感じます。ゆいさんやまゆさんの書き込みがありがたいです。

そうですね。何度も何度も同じ事をくりかえして、やっと少しづつ自分のものになっていくんですよね。

今年は一月から例会にも行けて、自分でもよく笑うようになったな〜と思います。
まだ「引きこもる元気」までは到達はしてません。何もしていない自分のことももっと認めていけるようになれたらいいな〜と思っています。

新幹線が開通するので新大阪から3時間45分で鹿児島中央駅までつくそうです。
とってもうれしいです。また行きます。
皆さんの暖かさがとても身にしみますし、何より楽しいです。
ありがとうございました。






親の覚悟を見せたとき(その2)   M子さん



(12月例会の続報です)
久しぶりに先月参加しました。笑さんのことも気になりながら、お会いできてよかったです、他の方からも病気のお話を聞いたりして、明日のことは誰も分からない、今、自分が元気に働けることに感謝できるようになりました。

それまで、私は将来のことが心配で先のことばかり考えていたんです。今はいろんなことに感謝できるようになって、仕事に関しても今日1日だけを頑張ろうと考えて、まだまだいろんなことがあるのですが乗り切れています。

先ほど内沢さんも言われたんですが、家族のよさを最近すごく感じています。それまでは「私はこんなに働いて大変な思いをしているのに、どうして自分の思うようにならないんだろう」と思っていました。

三男の病気の発作のことも、先取りして心配しないで何かあったときはその時に考えればいいと思うようになったら、三男は自分で調子をみて座薬を使ったりしています。子ども達がそういうことをしてくれているお陰で私は仕事ができるんだと感謝しています。

仕事は時間に追われてすごく大変なんですが、家に帰ったらホッとして気持ち的にゆっくりできるようになって、帰ってからご飯の支度とバタバタなんですが、それも楽しく思えるようになっています。

私の兄のところへ行った母と2年前まで16年間いっしょにいて、自分の母なのにすごく私が気をつかって何もかも全部しないといけないと思ってやっていました。今は離れてみて母にも感謝できるようになりました。


―――今、働いて生活ができるようになったのね。


まだできるようにはなっていないですけど、それなりに子ども達も、もうどん底は味わいたくないと思っているらしくて最低限のことはできています。

11月に洗濯機が壊れて使えなくなって、今までの私だったら「わあ、どうしよう」だったんですけど、いまだに手で洗っています(笑)。2ヵ月半ぐらいそんなことをして、母達や昔の人はこうやって洗濯してくれていたんだよねと感謝しながら。なければないでなるようになると思うようになりました。


―――あなたもお金のことでずいぶん大変な目に会ったり、長男さんもたくさんのお金を使ったりして大変な思いをされてきました。息子さんのことも「もう、わが子とも思いたくない、一緒に住みたくない」ということもありましたね。


ほんとにそう思っていました。この会で「心配しないで信頼する」と言われていたんですが、いつもの癖で私は心配が先走ってしまっていたんですね。他の方の話を聞いても、私には上の子に関しては全く信頼できなかったんですけど、だんだんできるようになってきました。

私も今日のことだけを考えようと思えるようになって、子ども達のことを信じられるようなって、すると自分に元気が出て以前は仕事から帰ったら、疲れて「話もしたくない」だったんですが、今は家に帰ったら充電ができて「また、がんばろう」と思えるようになりました。
今日も「楽しんできてね」と言ってくれました。


―――本当によかったですね。とっても大変だったけど、自分の覚悟を決めてから変わってきました。警察に届けて、それまで言いなりになっていたけど自分の覚悟を見せた時に息子さん達があなたのことを信頼してくれるようになったんですよね。

拒食のことも、「心配しないで信頼する」の記事を読んで思い出されたんですね。以前、三男さんが頭を四六時中ぶつけていたり、拒食になったときに、もうこれで食べなくなって死ぬんだったら死んでも・・・と覚悟を決めたら食べ始めたんですね。もしものことがあったら「この子の寿命だ」とまで、わが子を信頼できるか、大切な教訓ですね。

去年もいろんなことがいっぱいあったけれども、大きな転換でしたね。あなたがそういうふうに自分を一番大切にしていけば、必ず息子さん達はあなたを信頼してくれるようになるし、安心がいっぱい増えていきます。経済的にはまだ大変でしょうが、家に帰ればホッとするというのがなによりよかったです。



私の実家に住んでいるんですけど、家があって暖かい布団に寝られるというのは幸せです。以前はそんなに思っていなかったんですが、ほんとに感謝しています。


―――あなたはひとりで働きながら家計を支えてこられたんですね。あなたのお気持ちのなかに安心が広がってとても嬉しいです。「幸せは自分でつくる」と、あなたの体験にとても感動しました。






「自分ばかり幸せになりやがって・・」    HGさん



―――HGさん、年末はまた「第九」の合唱に夢中だったんですか?


年末はクリスマスのゴスペルに行き忙しかったです。
17歳の息子と私の二人暮らしです。去年1月雪が降ったときに息子が「今が5月だったらよかったのに、こんなに月日がたってしまった」とすごく荒れて怖かったんです。


―――あなたが息子さんに「退学する、しない」を言えなくて不安で、結局去年の3月に辞めたんですね。


また年末から今年にかけて雪が降った時、一年前と同じように息子が荒れるんじゃないかと思ったんですけど、すごく穏やかに迎えることができました。


―――株の勉強をしたいと言って、あなたに本を頼んで買っていましたね。


今も夜遅くまで勉強しているんですけど、今はインターネットで注文して、受け取るのは私なんですけどね。最近謎というか、息子がいつ睡眠をとっているのか、いつご飯を食べているのかわからない状態なんです。

息子はリビングで過ごしています。寝るときはリビングの横の和室で寝るんですけど、私が朝6時半に起きていくと起きているし、朝一緒に食べてその後自分でラーメンを作るんですがその二食で、それからずっととってないのでどうしているのかなと思っています。私が出かけて帰ってきても、起きていて、私の目に付くときはいつも起きているので、いつ睡眠をとるのか分からないんです。私もいないときも多いです。私はリビングにいたり二階にいたりします。


―――あなたの夫は年末単身赴任先の屋久島から帰ってこられたのね。


はい、一緒に同じ市内で車まで40分の夫の実家に行きました。一応息子に「お父さんが帰ってくるけど」と聞いたんですけど、「むりむり」ということでした(笑)。義理の父が亡くなってちょうど一年で、義母も「寂しい、家においで」と言っていたので、一緒に泊まりました。(―――では、おふたりでお正月はずっと実家で過ごしたわけですか) はい、実家や友人の家に遊びに行ったりして、家では過ごしませんでした。


―――じゃ息子さんとお父さんが衝突したりしたことはなかったんですね。
(そうです) 3月にはこちらに帰っていらっしゃるんでしょう。


来年の3月帰ってきます。息子が去年の10月、私に対して「自分ばかり幸せになりやがって、俺の人生は駄目にしたくせに」と言ったんですけど、(―――よかったじゃない) そうなんです。私も、そのあとの「俺の人生を・・・」と言うのは耳をふさいで、私も幸せに見えるんだと思ってすごく嬉しくて、ずっとわくわくの方に集中していました(笑)。


―――どんなことにわくわくしていたの。


最近アロマを始めて、そのアロマの神話が面白くて、その中で70歳の女王様に20代の王子様がプロポーズしたという話があって(笑)。どうしてそうなったかというと、70歳の女王様は年取って自分の姿を哀れんで、ローズマリーというアロマを用いたそうなんです。月日がたって、見る見るうちに若返って、そのうち隣の国の20代の王子様がプロポーズしたという神話があるんです(大笑)。そういう神話がとっても楽しくて行っています。

今年の目標は何か資格を取りたいと思っているので、アロマの教室に行こうと思っています。だから、わくわくに集中しているので息子のことは「どうぞ、ご自由に」と気にはなりつつしていたら、「自分ばかり幸せになりやがって」と言ってくれたんですね。私はこのままでいいのかなあと思いました(笑)。


―――それはとてもいいお話ですね。自分のわくわくが息子さんに伝わって「このままでいい」と自信を深められてよかったですね。交通事故にあって大変な思いをされた娘さんは、通信制の高校に行くのやめて、今福岡で働いているのね。


はい、まだ高校には籍を置いたままなんですけど、ネットで申し込める働き先に、自分で申し込んで福岡に行ってしまいました。(―――向こうで元気にやっているんですか) そうですね。「最初の一歩を焦ってしまった。福岡は寒すぎる」(笑)と言っています。


―――あなたが毎日を大切にわくわくを増やして堂々としていけば、その先にある夫の同居の問題も自然に解決していく力がそなわっていくでしょう。自分の家に帰れるようになっていきますよ。お義母様は何か言われるの?


息子のこととか口を出さない義母なんですが、お正月は「このままでいいの?」といろいろたまっていたのをポンと言ったんです。「このままだと一生今のままなんじゃない、何か働きかけないと、誰かに頼らないと、あんないい子だったのに可哀想過ぎる」と言いました。

私は「親の会に行っています、だから大丈夫ですよ」と言うと、「それはどういう会なの?」と聞くので、「鹿大の先生がやっているんです」と言ったら、(―――なんか、偉いみたいに聞こえるよね)(大笑)、 そういうのが好きなんですよ、「じゃ、安心だ」と言いました(笑)。今日も義母に会ってきました。「いってらっしゃい。頑張ってね」と言われました。

自分の親には内緒にしていて言えないんです。3時間かかるところでしょっちゅう帰れないし、母は節約、父は学歴や安定した仕事をと言う厳格な両親なので(笑)、未だに言えないです。


―――自分に自信がついて、あなたが強くなったら、言えるようになりますよ。あまり気にされないで下さいね。今はまだあなたの夫は近くに心を許されるお母さんがいらっしゃれば、帰ってきたらなぜかそっちの方にすっと行っちゃうよね。


義母はすごく喜ぶんです。「息子が帰ってきた」と言って。屋久島に行くときは、お重にご飯やおかずを詰めて「今度いつ帰ってくるの?」と言います(笑)。夫は親思いの優しい息子なんです。





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最終更新: 2011.3.21
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