TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2010年12月発行ニュースより
「人の話はわが話。わが話はみんなの話」 2010年11月例会報告(抄) このところ月例会は、毎回のように「人の話はわが話。わが話はみんなの話」と板書して体験を交流しあっています。それぞれ事情が違っているようでも、じつは課題はほとんど同じで法則的に考えられるんですね。ところが大変そうなことが続くと「この子の場合は特別じゃないか」などと思ってしまいます。 今回は娘さんのことについてのTさんの受けとめ方がそうでした。 Tさんは息子さんの場合は不登校を認め受け入れることができ、そのことをきっかけとして自分自身も大切にできるようになったのですが、娘さんのことになるとまだまだでした。 でも、これはありがたいことでもあるんです。子どもたちはときに「親を困らせ心配させる」ようなことを言ったりしたりして、私たちのわが子への「信頼」がほんものかどうか試してくれています。私たちの成長を促してくれているんです。 11月例会は、ゆいさんのHP掲示版への投稿の紹介から始まり、プリント「心配しないで信頼する」の読み合わせもしました。じつは、ゆいさんの投稿は、子どもの立場から「心配しないで信頼する」ことの大切さを述べてくれているものです。大人のほうからだけでなく、子どもからだって大事なことは同じなんです。ここでも、人と人との関係がうまくいくようになるには、法則があることがわかります。 では、11月17日の投稿を紹介します。 これを書いてから、なんか気分がすっきりして 自分の意見をはっきり言う事が出来ました。 そしたら、とても楽でした。 自分中心になれた感じです。 お母さんを信頼してるからできたんだなぁ。と思いました。 今日は、買い物行きたいなぁ。って思って、自転車で行きました。 全然、苦じゃなかったです。 自分の為に自分のしたい事をした感じです。 だから、ちっとも嫌じゃありませんでした。 ボール遊びがしたくて、お姉ちゃんに無理言って庭でバレーボールと キャッチボールをしました。すごい楽しかったです! 人に気を使ってた時は、なんか、自分ではしたい事もなくて だから人の行く所にどこでもついて行きたい!って感じだったけど、 人に気を使わずに思いついたままに、「どこどこ行きたい!」とか、 「こうゆうことしたいな。」とか言ってたら、 だんだん自分の気持ちが見えてきた感じです。 この会を知ったから、こんなに自分中心な考え方が できるようになったと思います! ゆいさん、投稿してくれてありがとう。 やっぱり、「人の話はわが話。わが話はみんなの話」ですね。 11月例会も、「会報から元気をもらった」など、おひとりおひとりの話にいっぱい感動しました。ご覧ください。 目次 1 子どもの言動にごまかされない Tさん 2 運命を切り開いていくのも自分 笑さん(世話人) 3 こんなに幸せでいいのか ちなちゃん 4 母といっしょに「アランの幸福論」 永田さん 5 一人称で話す・・・娘に教えられた 淳子さん 6 「うちはみんな幼卒!」 じぇりさん 子どもの言動にごまかされない Tさん 子ども達3人が不登校です。今、高2の娘は中学から行かなくなって、不登校の子どもを受け入れる私立高校のドリームコースに行っています。 先月の親の会の前日に具合が悪くなりました。頭痛、吐き気、腹痛、夜眠れないという症状が出て小児科を受診したら腸炎と言われ、漢方薬で腸炎は2日くらいで良くなったんですが、最初の症状の吐き気や頭痛はよくならず、入院となりました。2,3日のつもりが1ヶ月になります。 食べなくなって食べても出してしまい、天井をボーっと見たり、人の話が気になるらしく物を投げつけたりしました。しかしエコーやCTなどいろいろ検査をしてもどこも悪いところはなく、漢方薬しか処方されません。 娘の様子が家にいるときとは全然違い、私は鬱じゃないかと思ってたまりかねて、医者に「ちょっと違うんじゃないですかね。精神的なものじゃないですか」とたずねました。医者は「鬱ではありません。僕は精神科は勧めません。ここで様子を見ませんか」と言いました。 2週間経つと元気になって来て、家に帰りたいと言うようになり外出も2回しました。犬と遊んで楽しそうでした。私は元気になってきて退院に向かっているんじゃないかと、その話をすると娘はたちまちガタンと落ち込んで元気がなくなってしまうんです。学校の友達もお見舞いに来てくれて、その時は喜ぶんですが、次の日はまた落ち込むんですね。 娘が「筆箱を持って来て」と言うので持って行ったら、カッターナイフが入っていて、病院でリストカットをしました。私はびっくりして先生に相談したら、「大丈夫です。それくらいじゃ死なないから無視して下さい」と言われました。 娘は先生のことが大好きなんです。小さい頃から診てもらっている先生で、ものすごく優しいんです。娘の言うことを否定しないで「いいんだよ、大丈夫」と受けとめてくれるんです。初めて男の人を好きになったと言って、メールをやり取りしています。 ―――いろいろ検査してもどこも悪くないのに、拒食になったり、ボーッと天井を見たりするのを見て、あなたは精神科と思ったの? 親の会のことも忘れてしまって、山口さんのところの拒食は許せるけれど(笑)、わが娘がそうなることは受けとめられないと不安いっぱいになったのね。 娘の症状が本に書いてある症状に当てはまるのと、2,3日で退院できると思っていたのが長引いてくるとだんだん不安が大きくなってしまったんですね。 今の「心配しないで信頼する」の資料を読んで、ああ、これはバタバタしている私のことだなと思いました(笑)。 ―――自分のことだと資料を読んで気がついてとてもよかったですね。親の不安で娘さんに対して心配でパニックになってしまったのね。 退院を勧めるとガタっと落ち込むのは、私だけは他の兄弟と違って不登校じゃない、また退院したらドリームコースに行かなくてはいけない、と自分をきびしく追い込んでいるからですね。友達が来たら元気だけれど、その翌日に落ち込むのも、やっぱり学校とつながる友達には私はこんなに元気なのといい顔をしようとする訳ですよ。人間誰しもそうですね。 その後本当はそうではない自分を否定して苦しむんですね。「もうドリームコースはいいんじゃない。誰とも会わずに家でゆっくりとしようね」としっかり宣言したらいいですね。 私は娘に、「学校はもう行かなくていいじゃないの」と言ったんですが、娘は「自分で決める」と言いました。それでそれ以上は私は何も言っていません。 ―――あなたは何か自分の好きなことをするといいですね。今夢中になれることはありますか。 今夢中になれることを見つけたんです(笑)。 韓国のジョン・ライウンという43歳の主婦が考えたエクササイズのDVDを見ながら毎日しているんですが、それがすごく楽しくって。最初は娘のことが100%だったんですが、今は50%くらいになりました。下の息子は笑っているんですが、私は一生懸命です(笑)。 ―――それはよかったですね。娘さんに対する信頼のオーラが伝われば、娘さんは必ず安心していきますよ。 子どもから目をそらして自分の好きなことに夢中になったらいいです。娘さんを信頼する絶好のチャンスですね。毎日病院に行っているの。 はい。入院した最初の頃は、娘から毎日「きつい、死にたい、辛い」とメールが来ました。そうすると私の心も穏やかではなくて、私も先生にメールを打つと、「大丈夫、大丈夫。無視して下さい。何の問題もありません」と言われて。娘は娘で先生にメールをして(―――三角関係だったのね)(笑)。この先生で良かったなと思います。 私が行っても何もすることはないんです。娘はテレビも見ないし、ベットを下げてとか、トイレに行くから付き添ってとか言うくらいで、さびしいのかな、いるだけで安心なのかなと思って。 ―――毎日何のために行ってるのかな。自分の不安をなくすためなのかな。 娘さんは全部自分でできますよ。あなたが行かなくなって、寂しくなったら家に帰ってきますよ。家に帰ればかわいがっている犬もいるし、家族みんながいます。 先月の会報に大阪から参加したなおみさん、やすしさんご夫婦の娘さんの拒食の話が載っています。 ずっと食べないことに囚われて「どうなのどうなの」と言っているうちは娘さんはずーっと食べないですよ。あなたが娘さんを信頼するようになって開き直ったら、必ず食べるようになります。 娘さんはドリームコースに入って、リストカットして、拒食して、入院して‥‥と繋がってきたわけですね。 ―――(内沢達):先ほど資料を読んでもらいましたが、予想を立ててことにあたることが大事なんです。予想を立ててあたらないと行き当たりばったりで、教訓を自分のものにできません。 Tさんの今の課題は、娘さんにどう対応するかではなくて、確かにTさん自身がワクワクすることに一生懸命になることなんです。とは言っても、Tさんは娘さんのことが気になってしょうがない(はい)。 他の人の子どもさんのことだと冷静に聞けるんでしょうが、わが子のことになるとわからなくなってしまう。今日の資料もそうですし、親の会でずっと経験を交流しあってきたことは、子どものことではなく僕ら自身が自分の課題にどう取り組んだか、ということです。子どもがこうだから、こう言ったから、ではどうしたらいいのか、ということではないんです。 Tさんに限りません。子どもの言動にごまかされてはいけません。たとえば、小さな小学生の場合にとても多い。担任から「今日は学校に来て元気でしたよ」と言われると、親は「この子は本当は学校に行きたいんだ」と思ってしまう。 子どもの言動や担任の報告にごまかされ、さらに自分で自分をだましてしまいます。 「うちの子は不登校じゃありません。だって、『学校に行きたい!』って言うんですから」とおっしゃった親御さんはこれまでいっぱいおられます。じゃあ、行きたい気持ちが本当なら行けばいいんですね。誰もじゃまなどしません。けれど、やっぱり行けないでしょう。本当は行きたくないんです。 でも、いつも「学校には行かなければいけない」と思っていて、その気持ちが「僕(私)だって(行けるものなら)行きたいんだ」といった言葉になっているだけです。ときに無理をして頑張って学校に行くこともあります。そうしたとき、子どもの「ああ、今日はみんなを心配させずにすんでよかった」という気持ちが少しは笑顔もつくることでしょう。それが、担任によって「元気でしたよ」と表面的にのみ観察されるわけです。 Tさんの娘さんが「友だちが来たら嬉しそうにするけれど、帰ってしまうと落ち込む」というのも同じです。前半は本当の気持ちではありません。無理をしていたからこそ、あとで落ち込むんです。 子どもさんの表面だけを見てごまかされないように。「カッターナイフ(筆箱)を持ってきて!」ということも真に受けてはいけません。本当に持ってきてほしいわけではありません。知らない人が聞くと間違いなく驚くようなことを口に出すほど、「私は大変なのよ」と訴えているだけです。そこでまた、「そんなに大変だったら、親の私が少しでも力になってはあげなければ・・・」と考えるのがまたいけないんです。 子どもを「心配」しないで「信頼」する、ということが本当に問われているんです。Tさんは資料を読んで私のことが言われているような気がしたとおっしゃいましたが、みなさんに共通する法則的なことだからです。 親が心配すると子どもの不安がもっと大きくなっていくということはわかりますね。また、子どもがこうなったら元気で、ああなったら元気じゃないというのは、親が自分の人生の主人公じゃなく、また子どもにも失礼な話で、おかしいでしょう。 Tさんが娘さんの病院に行きたいのなら毎日行ってもかまいません。でも、くれぐれも娘さんを励ますためにとか、娘さんがさびしそうにしているから、とは考えないように。行くのは何よりも自分自身のためです。自分は娘を信頼できているか確かめるために、自分自身の課題への取り組みとして行くんです。 Tさんは息子さんのほうの不登校をきっかけとして、そのおかげで自分をとても大切にするようになりました。そのことを娘さんに話すのもいいですね。それは娘さんをはげますためではありません。子どもは子どもで問題があれば自分で解決していきます。 親は、自分のことに一生懸命になる。「お母さんは試されているみたいだから、あなたのことは何もしないよ」と言えるかどうかも大事です。そういうことが自分の課題に取り組むということです。少しでも自分のことを言えたら、自分のことをやれたら、自分にハナマルをあげましょうということです。 私も毎日行くのは体力的にきつくなってきたし、精神的にもストレスがたまってきていて考えてはいたところです。行ったところで何もすることはないし、あの空間にふたりでだまっているのも大変です(笑)。 私は会報を読みながらでも過ごせるんですが、どうなんだろうと思っていました。3日に1回にすると言えば娘も何か考えるかもしれません。 ―――(内沢達):「病院に行って、そこでも会報を読む」ことは自分の課題への取り組みですから、とてもいいことです。でも、「娘さんがなにか考える」ことを期待して回数を減らすというのはいただけません。 娘さんのことは娘さんにまかせましょう。娘さんをどうにかしようと、そもそもできないことを、またしてはいけないことをしようとするから、病院に行くことが苦痛になるんです。わが子とはいえ、人のことをどうにかはできないんです。でも、自分のことはでき、やっていくと気持ちよくなります。 先ほど読み合わせた「心配しないで信頼する」のなかにも、鹿児島の親の会の3原則が書かれていましたね。 1番目は「子どもの状態を異常視しない」。子どもが親を困らせたり心配させたりするようなことをしたら、普通はマイナスに見てしまいますが反対です。娘さんがおかしくないだけでなく、母親のTさんも大したものなのです。「相手が親の私だから、安心して不安をぶつけられるんだな」という受けとめ方ができるんです。そう受けとめられるようになったら自分にハナマルです。普通困ったな〜と見てしまいがちなことは、たいてい見方の問題に過ぎなく、じつは大変なチャンスになっています。 2番目は「子どもの言いなりにならない」。先ほど話しましたが、発する言葉を真に受けてはいけません。子どもは無意識のうちに親を試しています。子どもが親に突きつける無理難題は「こんな私(俺)でも本当に認めてくれるのか」という訴えです。表に出てきた言葉ではなく、子どもの本当の気持ちを受けとめなくてはいけません。わが子を信頼できるんだったら、言いなりならないということがその証です。 3番目は「腫れもの扱いしない」。娘さんはどこもおかしくないのだから、また信頼できるんだから、特別扱いせずに、普通に接するということです。 3原則はこのように、親自身が自分の課題として取り組むことができることばかりです。娘さんがどうなったか、こうなったかではないんですね。そうした三原則を予想しながらやってみませんか。いっぺんに何から何までできなくてもいいんです。まず一つでもできたら自分にマルをあげる。そのマルを増やしていきましょう、ということです。 ―――私の娘が埼玉に行って働き出した時に酒屋のレジが合わなかったと言って毎日のように電話をかけて来たんです。そうするとやっぱり気がかりになりますよね。それでも何も言わずにほうっておくと、自分で答えを見つけて元気になっていく。 娘さんもいい経験していますよ。ちゃんと自分で人生を切り開いていっているんだな、今すごく大事なことを教えてもらっているんだな、もう少し休めということなんだな、と必ず納得していきます。 それにしても良い小児科医と出会って幸運でしたね。せっかく娘さんが自分で力をつけて行こうとしているのに、お母さんが娘さんの周りをウロウロして心配の眼差しで見ていたら、ますます拒食したり、物を投げたり、天井を見てボーッとしたりしますよ。 そうじゃなくて「お母さんは今日もジョン・ライウンのエクササイズをしてきたのよ」と楽しそうに話してみてください。お母さんが自分のことでワクワクしていたら、「全然私のことを心配していないわ」「じゃあ私も落ちついてゆっくり自分のことを考えようかな」となっていくでしょう。そういうふうに予測を立ててみましょうということですね。すると病院からも足が遠のいていくでしょう。 運命を切り開いていくのも自分 笑さん(世話人) 私は2月に卵巣癌を宣告されて手術をしましたが、癒着がひどくて何も取り出すことができませんでした。 その後3月から抗がん剤の治療を8月まで受け、癌が小さくなって癒着がなくなった状態で10月再手術をしました。今回はおかげさまで全部取り出すことができ手術が成功しました。 後は12月から月2回の抗がん剤を2月まで打つ予定です。みなさんからたくさん励ましを頂いて感謝しています。ほんとにありがとうございました。 先月の資料「自分自身のかけがえのない友となる」のなかに、アランの言葉「どんな道もいい道だ」「悪い運命などない」とありました。それを読みながら、私は癌という病気になってよかったとまだ100%は思えてないのですが、いいこともあるんだなと思えるんです。 実家の屋久島では高齢の両親と障害のある弟が、長女で一人娘の私を頼りにしていますし、私も何かあったら私がやらないといけない、と思い続けていました。実家を守っていてくれた一番下の弟を昨年癌で亡くしたものですから、いよいよ私の肩に降りかかってきたと思っていたんです。 しかし、がんという病気が「もう、それはできないよ」と教えてくれて、私が「何よりも自分の命が最優先なんだ」と心に決めることができて、ほんとに気持ちが楽になっていきました。 障害のある弟の介護のことで公的機関から、年老いた両親だけではおぼつかないので家族の承諾を下さいと、この間いろいろ電話がありました。 それも私の事情が許さないので、そちらでうまくやってくださいと頼むとそれはそれでなんとかなるもので、もしも親に何かあったら、弟は一時預かりやいろんなところの援助が受けられるような手続きもしてくれました。 こんなふうにできたのも、私の病気のおかげです。 それから夫が家事に関わらざるを得なくなって、風呂の掃除や、洗濯物は洗って干してたたんでしまうまで全部します。夫には水仕事のためにハンドクリームをあてがい、私は自分中心の幸せな食生活をしています。 先日術後はじめての検診も終わって1ヶ月ぶりに入浴ができて、「この世の極楽だ!」と喜んでいます。 術後1ヶ月、どんどん気持ちが楽になって病気が遠くなったような気分です。がんの本には「治療は医者だけど、癌を遠ざけていくのは本人。本人が病気を治していく姿勢が大事」とありました。毎日を大切に、日々の暮らしに幸せを見つけています。 ―――最初はすごくショックだったのね。「病気を遠ざけていくのも本人」、「解決の道は自分なかに」ということですね。 はい、最初は頭が真っ白になって何も考えられなかったです。私に課せられたがんという運命を切り開いていくのも自分次第なんだなと思います。 こんなに幸せでいいのか ちなちゃん ―――ちなちゃん、お久しぶりです。髪型もステキねぇ。 お久しぶりです。最近この髪型なんですよぉ(笑)。 今日は夫が仕事なのでこの会へ参加しました。 日曜日はいつも家族4人で楽しいところをみつけては出かけています。中3と小5の息子2人が不登校です。下の子が小1の2学期から不登校ですので、かれこれ4年経ちました。上の子はそれを追うようにして行かなくなりましたので、私も「ま、いいかあ」と思って(笑)。 ―――中3でしたら、高校進学のことで何か言ってきますか? 先生がいっぱいプリントを配達してくれます(笑)。子ども達は週に1回くらい蒲生にある楠学園へ行っているんですが、そこへ来る開陽高校のお兄ちゃんからいろいろ話を聞いているみたいで「行こうかなぁ」と言っています。どうぞ自分の好きなようにして下さい、と私は言っています。 ―――最初から息子さん達が学校へ行かないことには抵抗がなかったの。 最初はやっぱり抵抗がありましたし、近所のおばちゃんに言われたりするとショックでした。上の子が行きたがらない時には、途中まで一緒に行って「具合が悪い時は保健室へ行けばいいから」と言ったり、下の子は、がんとして行かないと言って全く動かなかったので、「えぇ〜!小学校からぁ?早すぎかなぁ」とも思ったりしました。 だけどみんなそれぞれだし、考え方はいろいろあるし、私だって子ども達が普通に学校へ通っていたら、こんな考え方はできなかったかもしれないし、まあ、これもありなんだなあ、と思って。最初、夫は「そんなことがあるものか」と言ってましたが、「あるみたいだよ」とうまく夫を口車にのせて、今のような状態になりました(笑)。今は不安もありません。 今、家族で遊びに行ってすごく楽しいです。美術館とか、もちろん平日にも行くんですけど、動物園、水族館など「人が少なくていいよね」と言っています。明日は、今日の新聞に「ドームシアター」があると載っていたので3人で科学館へ行こうかと言っています。 私自身、高2で中退しているんですが、私も高校へ行ってないことを親には黙っていました。学校から連絡があり「行ってないんだって」と言われました。その時私は親にはっきり「行きたくない」と言いました。 私が学校に呼ばれた時も校長先生には、「私自身が辞めたいので親は呼ばないで下さい」と言いました。後で呼ばれたみたいでしたけど。その時母は泣いて「お願いだから普通のことをして」と言いましたが、それだけであとはもう何もなかったです。 辞めてホッとしました。しかし高校を辞めたからには働かなくてはいけないと思って、愛知県で美容室の住み込みを数ヶ月したことがありました。でもお盆休みに帰ってきて、そこには戻らずそのままでした(大笑)。 その後喫茶店でバイトをしたり、親に迷惑をかけてはいけないと思って。家でゆっくりすることはなかったです。私が家にいて親がまわりからいろいろ言われたらかわいそうと思って、ずっとウロウロ働いていました。今気づきました(笑)。 ―――高校に行かなかったことで引け目を感じたりはなかったのね。 特にないですね。私は弱いところを全部さらけ出したほうが楽なので、夫にも洗いざらい話しました。夫は私のことを認めてくれて、今すごく幸せですね。とってもやさしい夫です。 私はうつ病と言われた時があって、その時に自殺未遂をしたんです。その時は自己否定がすごかったです。「私はこの世に存在していてはいけない。なのに子どもまで産んでしまった。こんな私が子どもを育てられるんだろうか」と思っていました。「お前なんかと一緒にやっていられるか」と言われたほうが気が楽だったからそんなことをしたけれど、でも誰も見放さなかったんです(涙ぐむ)。 だから会報を読むと考えさせられます。ああ、みんな同じなんだ、みんな同じなんだと思ったら安心できますね。 ―――家族があなたを愛してくれたから、今命があるのね。命があるというのは、ありがたいなあと思うでしょう。 最近、こんなに幸せでいいのかなあと思います。よかったです。 母といっしょに「アランの幸福論」 永田俊子さん 今20歳の息子です。高1の2学期になってある日突然「もうダメ」と言って不登校になり、高1の3月に中退しました。私はなかなか不登校を受け入れることができませんでしたが、退学した後にこの会を知り、ずいぶん助けられて良かったなあと思っています。息子はそれからゆっくりと家で休んでいます。 私の母は84歳で近くでひとり暮らしをしています。しかし目も足も悪くて、姉と私が交代で毎日夕方、母のところへ行っています。母は息子のことを「どうねぇ」と必ず聞きます。「元気にしているよ」と答えると、「あんないい子がどうして? 20歳の今が人生の中で1番楽しい時期なのにねえ」と言うものですから、私は「お母さん、人生はいくつになっても楽しめるんだよ」と言ってます。母は「そんな考え方もあるのね」と言います。 ―――あなたは目の不自由なお母さんのために、会報を読んであげているんでしょう。 はい、最近は余り読んであげてませんけど(笑)。 「アランの幸福論」をいただいた時に、これはいいと思って一部分読んであげました。そしたら母は、「阿覧(アラン)という相撲取りもいるよ」と言って(大笑)。「愛する人のためにできる一番のことは自分自身が幸せになる」ことは、母も一番感動していたみたいでした。 ―――素晴らしいじゃないですか。あなたはお姑さんにも支えられたのね。 私が息子をなんとか学校へ行かせようとバタバタして形相も変わっていた頃、夫の母は、「私は何も言わない。生きていてくれさえすればいい」と言ってくれたんですが、私はまだその頃はすぐには受け入れられませんでした。親だったら、なんとか行かせようとするものだと思っていました。 今となってはありがたい言葉でしたね。 ―――どうして気持ちが変わっていったの? ここに来て少しずつ少しずつわかってきました。ここにくる前は、学校に行くべきと思い込んでいましたから。 「生きていてくれさえすれば大丈夫、なんとかなる」と思ったら、息子のこともかわいく思えるようになり、こんなにいい子だったんだとわかりました。 息子も不登校の始まりの頃は部屋をメチャメチャにして、窓ガラス以外は全部壊しました。その時私は気が狂ったと思って、かわいさも半減しました。「なんで行かないの」と思って息子を階段から突き落としてやろうかと思ったりする鬼のような母親でした。自分の気持ちも変になっていたんでしょうね。よかったです、突き落とさなくて(笑)。 ―――お姉ちゃんにも助けられたのね。 息子が大暴れした日に「殺して」と書いてあるメモを見て、娘は「みんなあなたのことが大好きだから、殺せません」と書いて置いてくれたこともありました。今は穏やかに、家にいるのが当たり前というふうに生活しています。 ―――あなたのお気持ちが一番落ち着いてこられましたものね。あなたの夫もあなたを支えてくれましたね。あなたが辛いときに「いつまでも親子3人仲良く暮らす」と言ってくださったんでしょう。 はい。そう言っていましたね。先生達が何度も足を運んでくるのを、夫は「もう断れ」と言ったんです。 「あの時はどうしてそう思ったの?」と聞くと、「お前が先生方の接待に追われるのも嫌だったし、次の日息子がガクンと落ち込むのを見て、ああこれはもう行く気はないなと思った」と言いました。 でも夫はこの会にも来ませんし、会報も読まないので、最近は「いつまでそうしているんだ」という目で息子を見ている時もありますね(笑)。その時私は、「そうじゃないよ。会報のこの部分だけでも読んで」と夫へ会報を見せます。 ―――担任が来た時は、息子さんは元気そうにするよね。 はい、「玄関まで先生を出迎えなさい」と私が言っていましたから(笑)。 先生は「来週は友達の手紙をもってきます。次は友達を連れてきますから」と言って、その次はボールを持ってくるのでサッカーをしようと言っていましたね。そんなふうによくしてくれたので(笑)、半分は感謝しています。その当時はありがたいと思っていました。 ―――その時の息子さんの気持ちを思うと、本当に余計なお世話でしょう。「何とかして、何としてでも学校に」という親には教師はそこまでふみ込んできますからね。 学校について息子は非常に揺れました。息子が揺れると、私は「ああ、まだこの子は学校へ行きたいんだ」と思ってしまったんです。 行きたいけど行けないから、ちょっと背中を押しさえすれば、と思ってましたね。 ―――今なら分かるのね。 今なら分かります。その渦中にいると、全くわからず頭の中はまっ白でしたね。 ある日、ベッドの隙間に息子が氷のように冷たくなっていて、もうこの子は死んでしまうんだと思いました。身体が硬直して動かなくなっている時もあり、この子は病気なんだと思いました。 しかしそうではなくて、身体中で学校を拒否していたんだということをあとでわかりました。 ―――病院に連れて行こうとしたけれど拒否されて、あなたがひとりで行ったこともあったのね。 私がひとりで何度でも行きました(笑)。「お母さんのほうにもクスリが必要かもしれませんねえ」と言われ、少し話していっぱいお金を取られました(笑)。 ―――先月の例会で、「あのままだったら私も息子も元気になりようがなかった」と言われましたね。息子さんは畑仕事を手伝っているのね。 それは嫌じゃないみたいで、一日おきに夫と畑仕事をしています。大根や人参がとれています。(―――心のこもった美味しいお野菜ですね) 一人称で話す・・・娘に教えられた 淳子さん 淳子さん:息子は中1の時不登校になって、高校は開陽高校に自分で行ったんですけど辞めて、それからずっと家で過ごして、24歳のときに動き出して働きはじめました。今年27歳で正規の職員になりました。 バイクが好きでいろんな年代の方といっぱい知り合いになって、私たち親の知らない世界で楽しんでいます。 ―――下の娘さんも中2のときに不登校になって、今25歳で家にいるんですね。 息子さんのことは初め「信頼」できずに「心配」していましたね。 心配しすぎたかなと思います。親が心配しすぎて、子どもに負担をかけたかなと思っています。もっと遊べばよかったなと思います。(笑) ―――ふたりの子どもさんが不登校になって、一番の収穫は。 私は夫の転勤で今鹿屋に夫婦ふたりで住んでいます。子どもが不登校でなかったら、多分私は鹿屋に一緒に行かなかっただろうなと思います。 この会に出会わなかったら、私は自分と夫を大事にするということはまずなかっただろうなと思います。今まで転勤は単身赴任しか頭になったんですね。 子どもたちと離れることもそうだけど、経済的な面とか考えてしまって。 だけど、自分で選んで、楽しまなくちゃというのがあってふたりで暮らしてみると、それは悪い道ではなくて、それを自分がいい道にできるんだなという実感があります。 以前自分が悩んでいるときは、なぜ私の周りは悪い道しかないんだろう、とそればかりでした。(―――あなたは死にたいと思ったこともありますか?) 死にたいとは思わなかったです。だけど何も考えられなかったですね。 この前夫と話したんですけど、「○○さんは、親の会に来ないよね。何にもないから来ないのかな。でも、何かあって参加したら、何を言われているのか分らないよね。だから何もない時にきて、ちゃんと聞いていないと分らないよね」と話しました(笑)。 夫の姉が具合いが悪くて「死にたい」と言って、それを聞いたもうひとりの姉がパニックになって「どうにかして、どうしよう」という感じなんです。 私も子ども達のときにパニックになって、どうしようと思ったこともいっぱいありましたけど、今日「心配しないで信頼する」を読んで、「同じようにお姉さんのことも信頼することだな、信頼しているという気持ちがお姉さんに伝わると、お姉さんも安心するんだな」と思いました。 娘にも姉が「死にたい」と電話で言ったそうで、娘はびっくりしたけど「私は伯母ちゃんが死んだら、寂しいです」と自分の気持ちを伝えたと言いました。 娘は「私はこんなときは、“私は”と言うことにしているの」と言いました。 ―――我が娘に教えられますね。一人称で話すのね。 娘もつらいことがいっぱいあったから、「“頑張ってください”と言われるのは嫌だもんねえ。でも、伯母ちゃんに何かあったら、私はほんとに寂しくなるから・・・と自分の気持ちを言った」と。それを聞いて私はびっくりし感動しました。 重則さん:頑張れというのは言ったらいけないし、意味がないと言うのは分っていたので、そう言われると、やっぱりきついですよね。 淳子さん:姉から不安いっぱいの電話があったりすると、夫がすごく落ち込んで、それで自分がイライラしてしまう。 今日は親の会に参加して気持ちがゆったりしているので、どうしてか分るんですよね。夫が幸せじゃないと私も幸せじゃないんだなって分かりました。 子どものことも考えたり、夫の仕事も大変だしと、いろいろ心配なことがあるんですけど、子どものことだけではなくて、いろんなところで信頼しようと思うと、お姉さんのことも不安が消えていくような気がしました。 ―――先月の会報で、長崎のお姉さんのところに重則さんがお見舞いに行くときに、淳子さんが「私も一緒に行くけど、私は長崎くんちに行ったりして、お手伝いはできないよ」と言ったのね。重則さんがひとりで長崎に行っているときは、帰ってきてから一週間ぐらいは機嫌が悪くて口を利かなかった、と言われましたね。 娘も言います。「お母さんが長崎に一緒に行くようになってから、お父さんは帰ってきてから機嫌がいいよね」って(大笑)。長崎であったことを車で一緒に帰りながら話したりして、私も状況が分かるからいいですよね。以前は、一緒に行けば、夫は掃除をして木を切ったり草取りしたり窓やカーテン洗いと全部するんですが、私はそれをするのが嫌で、行きたくないなというのがあったんです。でも一緒に行っても、私はしなくてもいいんじゃないかなと思ったんです。 親の会に来ていないと、世間の常識では夫にそんなことを言うのは大変勇気がいることだと思うんですけど、言ったら夫もすぐ分かってくれました。 いそがしい時でも、ちょっとの時間を作ってふたりで中華街に行ったりして楽しみを見つけるようにしています。 ―――重則さんも、お姉さんのところに一人で寂しく行くよりも、淳子さんと二人の方が楽しいでしょう。 私がいると夫は姉との間に立ってすごく気を使うんです。私も気を使っていたけど、最近は気を使わないように自分の気持ちを大事にして、行くときはできるだけ一緒に行こうと思います。最近は高速道路の情報を切り抜いたりして、今度はここに寄って行こうねなど、楽しみながら行きます。この会で学んだことが他のことでも役に立っています。 ―――週末は指宿の実家に帰るけれども、それ以外は6時頃には仕事から帰ってくるんでしょう。(前は8時9時があたりまえでしたけど)(笑) 今までとガラッと違いますね。そうやっておふたりで生活を楽しんでいらっしゃるのね。 重則さん:今度一緒に行ってくれたのは私にとって非常に有難いですね。帰ってきて、家に電気がついていることはいいですね。(大笑) 「うちは、みんな幼卒!」 じぇりさん ―――じぇりさんは、都城に住んでいて3人の子どもさんが不登校して家で過ごしているんですね。学校に行かなくてよかったと思っているのね。 子どもが「行かない」という判断をして、ただ私はそれを「あ、そうですか」と受入れただけで、それから10年ぐらい経って、今はその選択がよかったなと思っています。 今23歳の長女が小6で、もうすぐ1月で22才になる長男が小5で、18才の次男が小1のときに不登校になりました。 当時は鹿児島県の離島の喜界島に住んでいました。 次男が最初に行けなくなったんですが、次男の様子を見てそこまで追い詰めてしまい、こんなにも無理するんだということがすごく分かったんです。我が子が無理していることに気づけない自分がいると分かったので、「私が気づかなくても、きつい時には自分で休んでもらわないと困るな」と思って、上のふたりに「学校は行ってもいいし、行かなくてもいいし、それは自分で決めていいことなんだからね」ということは、情報として伝えたんです。 そしたら、娘が「じゃ、行かないかな、家にいるほうが学校に行くよりいいから」と言いました。娘は学校でも昼休みも図書室で本を読んだりとひとりが好きだったし、もちろん友達とも遊んだりしていたんですけど、小さい学校でしたから人間関係も限られているし、長女はそうなのかなと思いました。 長男はなんとなくなのかなと言う感じで私は理由も聞きませんでしたけど。ちょっと意外だったんですけど、流れ的にそうしたいのかなと言う感じだったんです。一過性のことだと思っていました。 結局1学期の間に子どもたちがぽつんぽつんぽつんと行かなくなって、夫も教師をしていたんですけど夏休み明けに行けなくなりました。 休職して、ちょっと休んだら戻るかなと思っていたら、そういう問題では全然なくて、鹿児島で入院したりしていろいろあって退職し、結局宮崎県の都城に引っ越したんです。次男も4年生で1日きりでしたが学校に行きましたが、息子は迎えに行った夫を置いて家まで走って帰ってきました。不登校になって最初で最後の登校でした。 それから学校に親が呼び出されたり、話をしたりいろんなことがありました。この会でトモちゃんに「学校に行くのも自分がやりたければやってもいいけど」と言われたりもして、その意味がわからなかったんですけど、無駄なだけだったなと過ぎたら分かりますね。 ―――不登校してよかったなって思っているのね。 よかったですね。先ほどみどりさんの息子さんが挫折したとは思っていないと言われましたけど、ほんとにそうだなと思いました。 中卒、高卒の話題が出ていましたが、次男が「俺は幼卒だから」と言いました(大笑)。 そう言えば「うちは、みんな幼卒だね」と。結局、上の子ふたりも5年か6年の途中で辞めているので、結果的にみんな幼卒かな〜(大笑)。 ―――子ども達は、毎日生活を楽しんでいるんですね。 前も話たんですけど、次男は、娘に妹がいたらと思って産んだ子だったんですけど(笑)、今の我が家にあの子は娘のためだけじゃなくて、みんなのために有難いという存在なんです。 私は胸にしこりがあるのを気づいていたんですけど、病院嫌いだし、3月の検診でどうもなかったので放っておいたんです。先々週の土曜日にすごく痛みがあってたまらなかったんですけど、日曜日になったら痛みがなくなったんです。 どうしようかなと思っていたら、次男が「テレビでも早期発見と言っているし一応病院に行ったほうがいいんじゃない」と言って、「あのさ〜、私ひとりじゃ苦手だから、行ってくれると助かるんだけどなあ」と、一番言いやすい次男に言って一緒についてきてもらいました。私が一番言いやすいのは娘でも長男でもなく、夫でもなくて、次男なんです。 いつもだったら「忙しいから嫌だ」と言うんですけど、「いいよ」と言ってくれました。 ―――忙しいと言っても、家にいるんでしょう。 家にいるんです(笑)。いろいろスケジュールがあって、あれ見てこれ見て、ここで日記書いてとスケジュールが決まっているので結構忙しいんです。 結局エコーの検診で何かあったんです。病院に行く前に、息子に「言われたらどうなるか分からないから頼むね」と言って行ったんです。でも意外と自分でびっくりだったんですけど「あ〜そうなんだ」という感じで、結果はまだ分からないんです。しこりが2cmぐらいで「検診では写らない場所にあったから見つからなかったんでしょう」と言うことでした。 宮崎の病院で再検査の途中なんですけど、そのときも一緒について行ってくれました。「昔だったら家族が呼ばれてという時代があったんだよ」と話したら、「いい時代に生まれてよかったね」と息子に言われて(笑)、「おお〜」と、息子のひとことひとことが何故かうれしいんですよね。 そのこともそうですし、いい時代で、いいタイミングで、例会にきていることも含めて、ちょうど会報も届いたので、病院に行ったときに見て、「ワー、すごい、これがあれば大丈夫だな」って思えることが書いてあって、これからどうなるか不安はあるけれど、恵まれているなと思いました(涙、笑)。 夫には痛くなったのは伝えたんですけど、「病院に行ったの」と1回ぐらい聞いただけで全然気にしていないんです(笑)。私はそれが嬉しくて「この人すごいなあ」と思ってしまいました(笑)。 その時思い出したのが、夫が仕事をしていなくて子ども達が学校に行けないときに、私の仕事先のパン屋で、ある人から「そんなによく笑っておられるね。私だったらパニックになって」と言われたことを思い出して、いろんなことがあるのが人生だよねと思っていたんですけど、不登校は不幸だとか、このことがあるから幸せだとかじゃないんだなあというのを思い出したりしていました。泣くつもりじゃないんですけど(涙ぐむ)、そんな感じです。 ―――これだから不幸だとか決めつけることで、結局自分の幸せを逃してしまうんだもんね。 だから、問題だと思ったり、困難だなと思うことでも、考え方次第で自分でどんなふうにでもできるということを先月の会報に書いてあって、今日もそういうことをお話された方がいらっしゃいましたけれど、ほんとだなと思いました。 病院に行った時も朝が早くて、待っている息子は朝方まで日記を書いてそのまま行ったので、見ていたら眠っているんですよ。息子の寝顔を見ていて、私はもう幸せで、恵まれているなと思って(涙ぐむ)、帰りの車の中でも「あんたは、私のために生まれてきてくれたんだよねぇ」(笑)と言いました。 ―――その息子さんが「うちって世界一だね」と言ってくれてとても嬉しかったのよね。(そうですね。) 子どもが不登校になって子ども達のいろんな話に感動して、家族ってなんて素晴らしいんだと発見していくことは本当に幸せなことですね。不登校を通して自分を大切にすることに気がついて、家族への愛情がいっそう深くなっていく、素晴らしいことですね。 次男がメールしてきて、兄に対しても姉に対しても「俺はハグしたいぐらい大好きなんだ」と普通に言うんです。それだけであの子が生まれてきて良かったなあ、他の子ももちろんそうですけど(大笑)、そう思います。 |
最終更新:
2010.12.25
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