登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
2006年5月発行ニュース(会報第122号)より、一部修正加筆
2006年4月例会(16日)での内沢達の発言


「心配」しないで「信頼」する

─ 予想を立てて「三原則」で取り組もう ─
  


内沢 達



親御さんは、ときに親の会の会員が長い方でも、子どもとの関係で困ったことが起こってくると、「子どもにどう接したらいいのか」「どう言ったらいいのか」といった問題のたて方をしがちです。しかし、そういう発想やアプローチはそろそろやめませんか。おしまいにしませんか。


普通、子どもが落ちついた状態にあると親御さんは楽な気持ちで親の会に来ることができます。あるいは、いま現在は「困ったことはない」ということなのか、例会に参加されなかったりします。子どもが荒れたり、何かがあったりするとまた来られます。これは半分はやむをえない。人間ですから、必要に迫られないと動きをとれないところがあります。


でも、僕らの親の会は「子どもをどうにかしよう」とする会ではないので、そうした親御さんの対応はやっぱりおかしい。子どもの状態次第でうれしくなったり、悲しくなったり・・・。子どもに振り回されていて、親御さんが一人の人間として、自分が自分の人生の主人公になっていない。


それはまた、子どもに対して失礼な話でもあります。
子どもは声にこそ出しませんが、「僕(私)は、お父さんやお母さんを喜ばせたり、安心させたりするためにだけいるの?!」ということにもなるのではないでしょうか。


親は子どものことではなく、親自身の課題に取り組んだらいいんです。
子どもがどうあろうが、息子(娘)さんがどうあろうが、自分自身に課題を課してみる。その結果、先月は親の会の後、3日か4日しか持たなかったけれど、今月は1週間は頑張ることが出来た・・・。ということになれば、自分に花マルをつけて自身をほめてあげたらいいのです。


「予想を立てると見えてくる」(板書)


僕はこれまで板倉聖宣さんの「ことわざ・格言」を使って、登校拒否や引きこもりについての考え方を深めてきましたが、まだ使ってなかった格言のひとつがこれです。


事前に予想を立てない行き当たりばったりのやり方では、何度経験しても自分のものになりません。法則があるのに、それを無視しているからです。そうではなく、予想を立ててからやるとうまくいけばやっぱり法則通りだと納得し、うまくいかなかったとしてもなぜそうなったのかわかり、早くに法則をわがものとすることができるようになります。


今までだと子どもの状態いかんで親も揺れ動いていました。僕たちの会では「親がでーんと構える」ことの大切さがよく話題になります。子どもが落ちついているときや元気なときはひとまずいいでしょう。問題は子どもがそうでないときです。親が「でーんと構える」ことができずオロオロしていると、子どもは親からみてさらに「困った」状態を呈するようになります。これも法則的なことです。


しかし、そうした状態もマイナスに見るべきでなく、むしろ「いいチャンスだ!」というのが私たちの捉え方です。親が自分自身のありようを変えるチャンスなんですね。


Tさんの三男さんを例にして言いますと、どうしてそんなにも頭をぶつけ自分を痛めつけるようなことをするのか。そうでもしないと「お母さんが自分の方を向いてくれない」からです。他の家の子どもさんの場合も同じです。子どもがみるからに元気でしっかりしているようだったら、親は見向きもしません。


そこで子どもは自傷行為だけではなく、拒食や過食で、また家庭内暴力・暴言や非行等々で、自分の辛さや苦しさをあらわし、「こっちを向いて!」と言っているわけです。これらはあらわしかたが違っても、せめて親にだけは「自分のことをわかってほしい、自分を認めてもらいたい」という訴えにほかならず、共通しています。


子どもは、無意識のうちに「こんなにひどい自分でも、お父さんやお母さんは僕(私)を認めてくれるか」と訴えているんです。にもかかわらず、その訴えを受けとめようとしないで、表にあらわれていることだけに親が囚われ心配していると、子どもは「これでもまだわかってくれないのか」と言わんばかりにその状態をさらにエスカレートさせます。これもまた本当に法則的です。


僕は「家庭内暴力などが続いてかまわない」とはまったく思いませんが、他面では簡単におさまってほしくないとも思っています。簡単におさまっては、親の反省がありません。「あっ、やっぱりこの子の問題だったのだ」という考え方をしてしまって、親に進歩がありません。子ども自身の無理な自己規制や頑張りから、いっときおさまったかのように見えるだけで、やがてもっと強い自己否定の行動をとらせるようになります。


ですから、子どもが親を心配させるような状態にあるときこそ、チャンスなんです。
親が「でーんと構える」ことができるかどうか試されます。これを相変わらず、子どもの問題と捉えて、「困った、困った。どうにかできないものか」と考えている限り、悪循環が続いて親も子も救われません。


我が子とはいえ、人が人を変えることはできません。
いや、そもそも変えたり変えられたりではいけないんです。
しかし、人を変えることはできなくても、自分自身は変わることはできます


そのことを予想を立てながらやってみませんか、というのが僕の提案です。親として、子どもの状態に振り回されることなく、どこまで「でーんと構える」ことができるか、予想を立ててやってみませんか。子どもには子どもの課題がありますが、親がでーんと構え泰然自若としていることができたら、子どもにも良い影響がおよぶのは間違いありません。


これは、鹿児島の親の会・17年の経験から確かめられる法則とも言ってよいことです。子どもは、もっとも身近な他者である親のありようから、「今の自分でもよいかもしれない」と自己肯定のきっかけをつかんでいくんです。


先ほどSさんが紹介してくれた「心配」と「信頼」の違いです。親は我が子を「心配」しないで「信頼」することができるか、ということです。「心配」と「信頼」はもちろん違うのですが、かなやローマ字で書くと、「ぱ」と「ら」、「p」と「r」というほんのちょっとの違いに過ぎなく、音はとくに似ています。でも、やっぱりこの二つは意味が全然違いますね。


子どもは確かに一面、心配もしてもらいたいんです。
子どもだけではありません。大人の、この僕にしてもそうです。
昨日、「たのしい授業」の研究会に参加して、久しぶりに会った友人から「すっかり元気になりましたね」などと言われると僕は不満なんです(笑)。元気になってきたことはもちろん喜ぶべきことなのに、そう言われて素直に喜べない。「まだまだ大変ですね。大事にしてください」などと同情してもらいたい自分がいる(笑)。


かと言って、僕の場合は退院後昨年11月にトモちゃんがすぐ切り替えてくれたから助かったけれど、心配されてばかりだとたまったもんじゃない。自分でも血圧がどうして上がるのかわからず不安なところに、トモちゃんから「たっちゃん! 大丈夫? 大丈夫?」なんて言われると困ってしまうでしょ。


子どもも同じだと思います。自分自身を支えるのに精一杯なところに、親が自分のことを心配してくれてのことであっても、周りでオロオロとされたのでは、ますます不安が大きくなりイライラもつのってきます


子どもは親に何を一番求めているかというと、自分のことを心配ではなく、信頼してほしいと思っています。うわべとは違って、「自分はどこもおかしくない」ことを親にこそ認めてもらいたいと思っています。次に、自分がおかしくなく、特別でもないのだから、言動にごまかされないで、親には自然かつ普通に接してもらいたいと思っています。


以上は、
鹿児島の親の会の三原則を子どもの側から捉えたものです。
三原則は、親や大人のほうの見方やかかわり方をまとめたもので、

第一は、子どもの状態を異常視しない
第二は、
子どもの言いなりにならない、奴隷にならな
第三は、ガラス細工を扱うような、腫れ物に触るような接し方をしない、ということです。



わが子を信頼して、この三原則で予想を立ててやってみませんか。


われわれは自分のことになるとなかなか気づかないものです。
でも、こうして経験を出しあうと他の人の例から、「自分(の置かれた状況)も決して特別ではなく同じかもしれない」とだんだんわかってきます。それがさらにわかり、法則をわがものとするためには、例会に参加して話を聞き発言しているだけでは不十分で、実際に予想を立ててやってみないといけません。


その結果を「子どもの状態がどう変わったか変わらなかったか」ではなく、親として「三原則をどこまでやれたか」という視点から評価します。親が
子どものことではなく、親自身の課題に取り組むというのはそういうことです。たとえ、少しの進歩であっても、予想を立てての結果であれば、大きな花マルをつけてあげましょう。その積み重ねで要領がどんどんわかっていきます。


子どもは子ども自身の力で、その必要があれば変わるべきときに変わっていきます。
親は親自身のことに一生懸命取り組むようになると、以前のように子どものことが気にならなくなり、心配もしなくなります。親が三原則の考え方やかかわり方を自然にすることができるようになると、つまりは子どもを信頼して「でーんと構える」ことができるようになると、子どもも本当に落ちついてきます。





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最終更新 : 2012.4.8
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