登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2011年3月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.175より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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かけがえのない家族の命


2011年2月例会報告
(抄)


3月11日の東日本大震災、被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。この世の出来事とはとても思えないような巨大地震・津波災害。どれほど多くの尊い命が失われたのかしれません。家族の安否が一番心配です。かけがえのない家族の命。一人でも多くの人が助かってほしいと思います。

2月例会の報告です。HGさん、「親の会を知る前だったら、不安いっぱいになる言葉(息子さんの「自分だけ幸せになりやがって・・」という言葉)だったけど、子どもからそう言われるのはすごいことなんだよ」と夫に話しました。息子さんに気をつかわなくなり、夫婦の信頼感も深まったと笑顔でした。

3ヶ月ぶりで参加したしずりんさん、夫の病気も快復してきて、とても嬉しそうでした。明子さんの闘病生活のときの透さんの献身的な支えも胸が熱くなります。一回目の抗がん剤治療を終えたじぇりさん、「夫や3人の子どもたちが傍にいてくれるのが嬉しい」と笑顔でした。やっぱり、かけがえのない家族です。

最近、叔母さんを施設にあずけたなぎささん、「介護は公共で、愛情は家族で、そして自分を大切にという3つが確信になってぶれなかったら、叔母も安心していった」と。結婚記念日に娘さんから「私の笑顔がサイコーのプレゼント」と祝福されたそう。みきこさんも、幸せの一歩を踏み出そうとしています。心から応援したいと思いました。

永田さんは、はじめて親の会に参加したときのことを。「息子さんをそのまま受けとめて、あなた自身が幸せになること」と言われ、「今その通りになりました」と話して、初参加のKさんにエールを送りました。

良治さんとそらさん、そして久しぶりに内園浩二さん、「新婚さん」が参加しました。中国留学生のリュウさんが帰国してお母様手作りのおみやげや、じゅんこさんのキンカンシホンケーキもいただき、会場がほっと、あったかくなりました。



―――今日は雨の中、桜島の降灰の中ご苦労様でした。
今日は駐車場も満杯でご迷惑をおかけしました。

今日は初めて参加されている方がいらっしゃいますので、黒板に書きました。
「人の話はわが話、わが話はみんなの話」というのは、親の会の考え方です。人の話の中に自分へのヒントがたくさんあります。「う〜ん、それは私には関係ないわ」と聞かずに、自分のことと思ってください。つっかえ、ひっかかりながら話してくださって結構です。会報になると、ちゃんとまとまっていますから(笑)。

板書したのは、
「ぼくは幸せ」という詩です。1月に放送されたNHKの番組「プロフェッショナル」で、東京都内の病院の院内学級の教師に焦点をあて、子どもさん達の闘病生活の様子が紹介されていました。その子ども達が不登校や引きこもりをしている子ども達と同じように「お父さんやお母さんに迷惑をかけている」と自分を責めていると紹介されていました。12歳の諒君の詩に私はとても感動しました。


ぼくは幸せ

おうちにいられるから幸せ
ごはんが食べられれば幸せ
空がきれいだと幸せ
みんなが幸せと思わないことも幸せに思えるから
ぼくのまわりにはいっぱい幸せがあるんだよ



生まれた時から辛い手術を繰り返し受けてきた難病の子どもさんで、13歳で亡くなりました。「私は幸せ」という気持ちを持つことができれば、幸せはいっぱいわが手の中にあるんだということを、諒君は私達に教えてくれているんじゃないかと思います。





目次


1 「親の私が幸せになることです」と    永田俊子さん
2 「自分だけ幸せになりやがって…」(その2)   HGさん
3 「介護は公共で」「愛情は家族で」「自分を大切に」   なぎささん
4 第二の新婚生活   重則さん・淳子さん
5 自分を大切に生きてゆきたい   みきこさん





「親の私が幸せになることです」と    永田俊子さん



今20歳の息子は高1の途中からパタンと行かなくなりました。
当時私は親の会があることを知らず、学校へ行かない選択肢があることも考えつかないくらい学校へ行くのは当然と思っていました。親の会と出会ったのは高校を退学した後からでした。

高校へ行かなくなった後半6ヶ月、私はなんとか高校へ戻すことが唯一の道と思っていましたので、息子といろいろバトルがありました。

息子ははっきりと高校へは行かないと宣言して、高1の終わりに退学しました。私は最後まで反対したのですが、息子の意志でした。やめた直後は、息子はそれはそれは暗い顔をしていました。


退学した直後の5月から親の会へ参加するようになりました。

「ありのままを受け止めなさい」と言われて、「わからないです」と訴えたら、朋子さんが「この私が幸せになることです。この私が元気になることが息子さんの生き方を認めるということです」と言われました。その時は何を言われているのかわかりませんでした(笑)。

平成19年5月からでしたから、もうすぐ丸4年経ちますが、今頃やっと「ああ、こういうことだったんだな、なるほどな」と思えるようになりました。
不思議と私が元気になっていくと、息をするのも苦しそうだった息子が元気に家で引きこもっています。


―――あなたのお母さんから、「親の会っていいところだね。あなたをこんなに元気にしてくれて」と言われたのね。


はい。母は「80数年生きてきて、学校は行くべきところ、社会へも出ていかないといけないと思っていたけど、むずかしいことはわからないけれど、あんたをみていたらすごく元気になっている。いいところと出会えてよかったねぇ」と言ってくれました。


―――つらい時は近所のスーパーに行くのも嫌だったし、人と会うのも嫌だったのね。


パートの仕事も6ヶ月休みました。行けばまわりの人はなぐさめてくれて、今思えば「とんちんかんなアドバイス」をくれるんです(笑)。

こんな予備校があるとか言われると、私はますます落ち込むばかりでした。病院をすすめられ心療内科も受診しましたが、まるで息子には合いませんでした。

今でも買い物は、近所ではなく遠いところへ行きます(笑)。近所だと必ず誰かしらと会うものですから・・・。

電話やメールで「あなたを元気づけるためにランチに行こう」と誘われて、最初は行っていたんですが、全然楽しくなくて、心がざわつくだけだったんです。

親の会で「自分の気持ちに無理をすることはない」と教えてもらったので、「わかってもらえないと思うけど、私達は楽しく家族で暮らしていますから、今はほっといてくれる方がありがたいです」とメールしました。

「遠くで見守っているからね」と言ってくれる人もいましたが、「残念です」という返信がきたり、いろいろでした(笑)。

今でも距離を置いています。そうなって私も少し落ち着いて安心しました。
それから自分の気持ちがざわつくところにはいかないと決めました。
6ヶ月後に元の職場に復帰しました。パート先は子どもには関係なく過ごせる場ですので。


―――息子さんは、今、とってもかっこいいのね。


はい、ひきこもりですけどね(笑)。
夫が畑をやりだしたら、それはイヤじゃないみたいでずっと息子は手伝っています。あの時、もうこの子は息もできないのじゃないかと思ってた子が、今は穏やかに家に引きこもっています。


―――今、あなたは自分を大切できるようになって幸せなのね。


はい、幸せです。あの時朋子さんが「息子さんをそのまま受け止めるのは、あなた自身が幸せになることです」と言われた意味がやっとわかってきました。






「自分だけ幸せになりやがって…」(その2)   HGさん



―――息子さんが高校1年のときに学校を辞めて、今ふたりで暮らしているんですね。あなたの先月のお話はよかったですね。「自分だけ幸せになりやがって、俺の将来はどうしてくれるんだ」と息子さんが言ってくれたんでしょう。(そうです)

「自分だけ幸せになりやがって」、いい言葉ですね。


親の会に来ていなければ、その言葉をきいたら、自分だけそういう楽しいことなどしてはいけないと思っていただろうなと思います。

今単身赴任している夫にも息子が言ったことを話したんです。
夫は「それは大変なことだ」と言ったので、「そうじゃないのよ、親の会では子どもからそういうふうに見られているということは、すごいことなんだよ」と言ったら、「ああ、そうなの」と安心したようでした。


―――あなたの夫はそんなふうに素直に聞いてくれるの。よかったですね。
以前は、夫、妻、子どもは縦の関係で、妻は夫の言うことにしたがってというお考えだったのね。
(笑)


今は私が親の会で聞いたことを繰り返し話して、子どもの様子を伝えたり、自分の気持ちを伝えるようにしているので、夫の感じ方や考えもだいぶ変わってきて、私のワクワクも応援してくれるし、息子の暴言も問題だというふうに思わなくなりました。


―――あなたのお気持ちも楽になったでしょう。(そうですね)
前は「この薬はあわないから病院に電話しろ」と、息子さんに強制されて、夫を病院の医者にしたてて電話されたこともありました。(笑)


アレルギー性鼻炎があって夜も眠れないので、中学のときは通院していたんですが、高校で不登校になって病院にも行かないので、私がかわりに薬だけもらっていたんです。

息子は「この薬は効かない、今すぐ俺の目の前で藪医者に電話しろ」と怒って、電話しないと私に向かってきそうだったので、夫に半分泣きながらですけど、「お宅の薬は全然効きません、その程度のお医者さんなんですか」と電話したんです。(大笑)

そんなことがあって夫は「相当追い詰められているんだね、ひとりに任せてしまって悪かったね」と言ってだいぶ私に対する目もやさしくなりました。

私も夫が単身赴任するときは、粗大ゴミを出すかのごとく追い出すような気持ちだったんですけど(笑)、だんだん「大変だろうな、ご飯も自分で作らないといけないし」という気持ちも湧いてきて、前は1泊しかできなかったんですけど、2泊を2回しました。(笑)


―――まあ、よかったですね。その時息子さんの食事はどうするのですか。


以前はいろいろ3種類ぐらい作っていましたけど、親の会で言われてから今は一食です(笑)。


―――あなたの息子さんへの信頼がちゃんと伝わっていますね。よかったですね。
だけどあなたの夫は単身赴任先から息子さんの反発がひどくて、お家に帰れないのよね
(そうですね)。

でも夫と気持ちが通じなかったという時期もあったけれども、今そうやって話し合ったり仲良くしたりできるわけでしょう。一緒にいたら、気持ちがとても安心するうようになってきたのね。(はい、ほとんどそうですね)

息子さんのおかげですね。いろんなことがあってもおふたり力を合わせて、問題を乗り越えていける力がついていかれると、必ず一緒に住める日が来ますよ。
息子さんはリビングが自分の部屋になっているのね。
先月の例会では、あまり寝なかったり食べなかったりということでした。



今日も私が遅くなって8時ごろ起きたんですけど、息子はどうかなと思って見たら寝ていて、この会に出かける時も寝ていました。私が出かけるときはとりあえず食事を作って置いてくるのですが、それを夕方に食べるときもあります。


―――それは何も問題ないですね。


そうです。前は自分が寝ているのを許せない、起きて何かをしていないといけないと、寝てしまったら「何で起こさなかったんだ!」と怒っていたんですけど、今はもう自分を許せるようになったんですかね、それはなくなりました。


―――お母さんに対して荒れることもなく(去年9月にあったきり、もうないですね)。それはよかったですね。

あなたは、息子さんにも、それから無理して通信制に行こうとしていた娘さんにも「親の会のおかげで、お母さんは自分を大切に出来るようになったよ」とおっしゃったのね。(はい)

そしたら、娘さんが「お母さんよかったね、私も、自分に無理して行こうとしていた高校もやめようかな」と言ってくれたんでしょう。(はい)

あなたが自分の気持ちを子どもさんに素直に伝えたことが何よりでしたね。そして今あなたはアロマの勉強をしているのね。


はい、ちょうど今「オレンジスイート」を勉強しているんです。先生が「オレンジは柑橘系で太陽などのイメージがあって、冬は日照時間が少ないのでセロトニンというのが少なくなって気持ちが沈みますよ」「そういうときにはオレンジやレモンを嗅いだら気持ちが楽しくなりますよ」と言われた時に、「あっ、息子はもう1年以上も陽にもあたっていないな」と落ち込んでしまいました。

だから、すぐそのオレンジスイートを買って、アロマをたいて日中はずっとシューシュー出しています(大笑)。

息子は寝ているとき、シャッターは下ろしているんです。だから私は起きたと同時に全部開けて明るくするんです。息子もまぶしいとか何も文句は言いません。


―――じゃあ、息子さんに遠慮しなくなったんですね。(はい、だいたい)それが去年の今頃は、退学のことをどういうふうに息子に言っていいだろうかどうかとね。


言葉をかけるのがドキドキしてひと言ひと言が緊張に包まれていました。今は全くないとは言えませんが、ちょっと顔を見てどんな顔をしているかなと見たりしますけど、前ほどじゃないですね。


―――あなたが息子さんに対して安心がとても大きくなっていることが伝わってきて、とても嬉しいです。

息子さんはとてもわかりやすいですね。リビングに寝ているのもあなたを信頼していればこそ、そしてあなたもシャッターをあげたり、アロマを使ったり、どんどん気にしなくなった。
腫れもの扱いしない、言いなりにならない。そして「自分を大切に」を日々の暮らしの柱にしている、あなたと息子さんの信頼が響きあってきていますね。それがまたご夫婦の関係もよくしています。大事な教訓ですね。







「介護は公共で」「愛情は家族で」「自分を大切に」 

なぎささん




―――なぎささんはお姑さん、実母、その母の妹と3人の介護を抱えていて、年末その叔母さんが病気になって入院して、その叔母さんに一大変化があったんでしょう。今日もニコニコしていますね。(笑)


そうです。私は今ほんとにゆっくりしているんです。
考えてみたら、父が生きているときからだったので、父も入退院を繰り返す時期があって、それから考えると20年近く親達の介護にかかわっているなと思います。

父が亡くなり、母のいる実家に毎日朝10時から午後2時までいました。私は朝は苦手で、寝ていたいなあと思うけど家族より早く起きていました。

その時は家族も協力してくれるので「ありがたいな」と思って出かけていました。私が実家に行くときは、子ども達も何かしてもらいたいと思っても、そっちの方が優先なので、夫も親を看にいくわけなので何も言わなかったですね。

平成10年、家を建てて夫の母親と同居して、父が亡くなり母が残り、ひとり暮らしの叔母も年をとり3人を私が看ていたんです。自分の気持ちとは反対に「この親達は最後まで私が看るんだ」と心に誓っていました。この3人のことは3日あってもしゃべりきれないので置いときます。(笑)

手元にいた3人が今年の1月4日に叔母が施設に入ったことを最後に、私の手から離れていったんです。

叔母もずっと一人で生きてきた人なので、絶対に施設に入らないと言っていたんです。その叔母も年末に入院してパニックにもなりましたが、ちょっと認知になり、その病院の施設を先生がすすめて下さって、叔母も気にいって施設で生活するようになりました。

でも、10日ぐらいして「この生き方は私の生き方じゃない」と言い出して(笑)、どんなに認知があっても、どれだけ寝たきりであっても、その人の生き方があるんだなあと思いました。

でも以前の私と違って、今回は親の会のたっちゃんの話と朋子さんの話が自分の支えになって全然動揺しなかったんです。

達さんが5年前の会報にとてもいいことを書いていたんです。

「登校拒否を考える会なのに、ここで何で介護の話をしなければならないの?」と思われるかもしれませんが、とても大事なことです。

小さい子どもも若者も高齢者も「本当に気遣うとはどういうことなのか」が問われています。お年寄りも一人の人間として独立して尊重することが大切なんです。

共通するテーマはみな同じなんです。

本当に相手を尊重する、子どもを尊重する、お年寄りを尊重するとはどういうことか。変な気遣いは自分が無理をしているのです。無理な気遣いは続かないし、気遣いされるほうもよくないということです。」

(2006年7月)



―――あなたはその会報を読んで、9年4ヶ月同居していたお姑さんを手放すきっかけになったのね。


姑も「毎日が楽しいのはあなたのおかげ」と言ってくれるし、母も穏やかに日々を送っています。

親の会で言われた「介護は公共で」「愛情は家族で」「自分を大切に」というこの三つが自分の確信になっていたので、叔母がいくら言ってもぶれないで不安にならなかったですね。そしたら叔母もだんだん落ち着いてきて、私もこうして安心して出かけられるようになりました。


―――不登校の子が不安になっても親は動揺しないでいると、子どもの不安はなくなっていくということと同じことですね。

なぎささんは介護でも、とてもやさしい言い方をするのね。
叔母さんがそのグループホームで「美容院に行ってパーマをかけて染めたい」と言って、ケアをしている方たちも困ったんだけど、あなたはその時とってもいいことを言ったんですよね。

女性はいくつになっても女性だよね。
そして私はおしゃれって大事だなと思いましたね。
 


美容院に行くと言う叔母に「今風邪がはやっていて、美容師も体調が悪いみたいだから、もっと暖かくなってから来てくださいということだったよ」と言ったら分かってくれました。

「今言ったことを書くからなんて書けばいい」と聞いて、「風邪が流行しているから、後で来て下さい」と叔母に書いてあげました。「どこに貼るの」と聞くと、「道路に貼って」「みんなにそのことを知らせないと」と言うんです(大笑)。

私は「これはね、みんなは知っているから、叔母ちゃんが忘れないように部屋に貼っておこうね」と貼りました。

部屋は今まで住んでいた自分の家の居間を再現して、今まで使っていたものを全部持ってきて飾り付けしました。(―――上手ね
それも、余裕ができたからですよね。

お姑さんのところも、行くのが全然苦ではないですよね。ふたりの親達のところも苦じゃないですよ、毎日行くのも、どんな顔をしているかなと思って楽しいです。家に一緒にいるのと施設に入れているのでは、こんなにも違うのかなと思います。


―――あなたが、3つを確信にして動揺しなくなったことが一番ですね。
17日は結婚記念日だったのね。娘さんがとてもいいことを言ってくれたのね。



娘はお金がないから、「プレゼントは私の笑顔よ」と言って。
夫が60歳で、私はまだまだですよ(大笑)。

「お父さん、60歳になってね、娘から笑顔をもらえるなんて幸せなんだよ」と言いました。(笑)


―――「娘の笑顔が結婚記念日のプレゼント」いいお話ですね。






第二の新婚生活    重則さん・淳子さん



―――息子さんが中1で娘さんが中2で不登校になり、長男さんはずっと家で過ごし24歳のとき動きだして今働いているのね。以前はいっぱい不安が押し寄せてきていましたね。


淳子さん:はい、今は何もないというわけではないけど、バイクに乗るからその不安とかありましたけど、今はそんなにないです。今は夫の赴任先の鹿屋でふたりで生活していますが、最初は子ども達と離れられるかな、心配でたまらなくなるかなと思ったんですけど、鹿屋ではあんまり考えないですね。

娘が「お互いに親離れ、子離れできてよかったね」と言って(笑)、でも親離れしてるのかなと思うくらいしょっちゅう娘から食材の調理方法など電話が来て、娘がかけてくると途中で息子に代わったりして長々話をします。


―――お幸せね。重則さんが仕事中は何をされているの。


まあ、こんなに映画が好きだったかなと思うくらい映画を観て、月1回は明子さんに紹介された中国語会話に行って帰りは送ってもらったり、この前はお食事会に行きました。けっこう皆さん旅行されたり、中国に住んでいたことがある方がいらして、いろんな楽しい話ができます。


―――もう、そういう場所に出て行かれても不安はなくなったのね。


以前は、待ち合わせにデパートに行って店員に話しかけられても不安になって、そこに立っていることもできませんでした。

この前の連休で夫婦で山に行く予定をしていたら、夫が足を痛めてしまい、夫が「中国語会話でもどこでもひとりで行けるから大丈夫だよ」と言うんですよ。

登山は中級コースだったのでとても不安でしたが、ひとりで参加して、他のひとりで参加した方と仲良くお昼も食べて帰ってきました。ひとりは初めてで、知らない人ばかりの中で楽しく過ごせることができ、すごく自信ができました。

山の中は雪で、生まれて初めてつららを見ました。係りの方が景色や木の説明などしてくれてとてもよくしてもらいました。私が自然の椎茸を1個発見してもらって帰り、夫と半分こしておいしかったです。


―――淳子さんが不安になって、食べられなくなったり、お話できなくなったり買い物もいけなかったりと長いことあったのね。


はい、買い物もすぐ近くに生協があるのに話しかけられるのがイヤで、いつも夫がいるときには一緒に行ってもらって、夫婦一緒だと知人は「あらっ」と言うくらいですから。夜が怖くて夫の出張があると、とても不安でした。


―――親の会でシクシクではなく、号泣でしたよね(笑)。(はい)
重則さんは不安になって他人と会いたくないということはなかったの。


重則さん:そこまではなかったですが。
私は徳之島に5年間単身赴任をしていたときに親の会を知りました。その後鹿屋に2年間単身赴任をしました。あの時は自分自身が不安で、どうしていいか分からず、金曜日の帰りにはフェリーの近くの内沢さん宅に寄って、そこで元気をつけて帰る、ずっとそれをやっていましたね。


―――重則さんは淳子さんがすごく不安になったとき、いろんな努力をされたのね。


自分で「港」になりたかったのですが、「港」までなれなかったですね。


―――私は何よりの「港」だと思いますよ。おふたりが支えあい、力をあわせて困難なときも乗り越えてこられました。おふたりの互いへの愛情に深く感動しました。


今はふたりで安心して停泊しています。
この前は妻だけが山に登って、私は皆さんの集合場所まで妻を送っていって、稲尾岳の管理事務所で昼食だったんです。私も後でそこまで登って一緒にお昼を食べて、次の山の登り口までついていきました。帰ってから妻がその先の山の話をすると、私も登りたくて登りたくて、HPを見たらさらに思いがね。(笑)

淳子さん:鹿屋に行ってから、新しいところだし、元々歩くのが好きなので、道がひとつで車が少なくて、いろんな場所が珍しくて、だから歩けるときは毎日1時間くらい歩きます。

重則さん:歩くには困らないところですね。職場から5時半過ぎにはもう帰り、家まで歩いて1分ですから、それから1時間くらい充分歩けます。


―――今まで考えられないくらいいい職場ですね。環境も抜群だし、なによりですね。(笑)


正直言って退職後ふたりで24時間どうやってずっと一緒にいるのかと思ったけど、どうってことないですね。(笑)第二の新婚生活という感じですね。
(―――そう、そう、楽しみでしょう)いいでしょう。(大笑)






自分を大切に生きてゆきたい   みきこさん



―――みきこさんは先月、夫と半年口をきいていないというお話でしたね。


先月の親の会のあとで、20歳の娘にも同席してもらって、3人で話し合いをしました。
今の家の状況は楽しくないです。そこに父親がいたら子どもたちはそれぞれの部屋に戻って行くし、いっしょにテレビを観ていても観てるだけで私は笑えない。今の状況を変えられるかどうか、今は自信がないです。

私は今家にいても落ちつかなくて、安定剤を飲んでいるんです。また夫から何か言われるんじゃないかと緊張しているんだと思います。

もう何年か前からごたごたは何回もあって、でも子どもたちも小さかったのでそれなりに過ごしてきたんです。

私は夫と一緒に生活することに限界を感じて別居して距離をおきたいと自分の気持ちを伝えました。夫はその意味がわからないようで、俺はいったいこれ以上何をしたらいいんだと思っているようです。

娘も息子も長い間の私の気持ちを理解してくれて、「お母さん、もういいんじゃない」と言ってくれました。


―――あなたが3年半前に親の会にいらした最初のころ、私は「息子さんのことよりも夫との関係がご心配なんじゃないですか」と申し上げました。

会報のあなたのお話を読み返してみると、お誕生日にプレゼントをもらったり、幸せそうに話していても、でも夫との関係に苦しんでおられることが端々に伝わってきましたね。

別居や離婚などなかなか決心がつきませんが、そういう思いを夫に伝えられて、これからの人生を自分を大切に生きていこうと決められるまで長いこと苦しんできたんだろうなと思います。

あなたの思いを親の会で受け止めて、これからもこの会があなたの人生に役に立てていけばと願います。経済的なことや不安もいろいろ押し寄せてくるでしょうが、あなたの最優先課題は「自分を大切に生きていきたい」ということです。その柱をぶれないで立てていってくださいね。

もうお相手と「話し合い」はしないことです。わかってもらおうとか、夫を変えようと思わない。自分の気持ちを大切にすることにいささかの躊躇をしてはいけません。心から応援しています。

私は先月、家族に議論や話し合いはいらないという話をしたんです。それをすると、お互いに自分のことを主張しあってうまくいかないんです。お互いの気持ちが発見できたらいいんですけど、俺だってこうだった、私だってこうだった、となるとますます気持ちがすさむんですね。

家族っていうのは、ホッとするな、安心するな、そして愛し合ってるなってことでしょう。
その気持ちがなくなってしまったとき、やっぱりできないとなってしまったとき、自分を責めないでね。自分に無理をしないで、自分を大切にしようという気持ちを大事にしていったらいいんです。これからの自分の人生を大切に生きていくということですね。





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最終更新: 2011.5.22
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