登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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No1.2002年09月05日〜 No.184 2003年04月21日                   
                         

No.184
2003年04月21日 19:43
送信者:もどり < >
表題:不登校だからってえらそう!って、どういうこと?

 私はずっとナゾに思ってたことがあります。
講演会やなんかで意見を言うと、時々ですが

 『不登校だからって偉そうに!!』

と、言われることです。
 
 私も当時は生意気の盛りでしたし、昔から大人からはそう言われていたので
 いつもの事かぁ、なんて思っていましたが、なんだかそうでもない。

 そう思ったのは、先日のある人の話でした。
その人は、「リストカット」と、パソコンで検索したときに
「僕はリスカでーす!」
 とか、そんなニュアンスで(?)明るく書いてあるのを見て

『そんな得意げに話すことでもないだろう。
それにそんなに簡単な事じゃないだろう。なんだこの人?』

 と、なんだか不快感があったとのこと。

 ・・・共通点があるような気がする。(ないような気もする。)

学校の先生が言うところの
 『僕は不登校を治した経験があります!不登校児は僕にお任せ☆』
 なんて言われると、
『先生だからって偉そうに!テメェに何がわか(略)』
 って思います。
 
 なんにせよ否定的な意見を言われると果たし状と思いがちなんですがね。 
 
 私の中の「えらそう」とは、どう出切る限り観察しても、その人の背景を考えても
「馬鹿にされてる」と、感じた人?かな?

 そうか、「馬鹿にされている」もしくは「自分が馬鹿にしている(あなどっている)」
と「えらそう」だと感じるのかしら。 
 
 今のところの結論。
「えらそう」に発言した人の背景も考えられないくらいの不快感。
もしかして、無意識的なもの?
 「えらそうに」と子どもに向かって本気で腹立てられる人は
本物の「えらそう」な人かもしれない。
 
 いつから「えらそう」と感じるようになったのか、どの部分でそう思ったのか
 今後も注目。
リスカの人の話しは、「えらそう」ジャンル違うかもしれない。

はい。感想。

 ちっちゃい子の話しって今までのうっぷんがたまってて
話し出すと、毎日ものすごいたくさん嫌な事があって。
 聞いててビックリする。 誰にも言わないで一人で抱えてることにもビックリ。
 自分だってそうだったクセにね。
 
 大人が聞いてて辛いのかしら。だから怒ってしまう?
聞いてて辛いから、「いつまでも言ってるんじゃない!」って言ってしまうのも、
気持ちは理解するけど賛成はできない。  

 
 ながながとごめんなさい。書いてて楽しくなってしまいました。



No.183
2003年04月17日 01:56
送信者:ゆっぺ < >
表題:ほっと一息できたらいいなーと思って・・・

週間朝日という週刊誌に、内館牧子さんという脚本家の連載エッセーがあるのですが、
この言葉、いいなーというのがありましたので、ちょっとご紹介します。

二月の雪
三月の風
四月の雨が
美しき五月を作る

・・・というものです。
マザーグースの中にあるそうです。
二月には雪が降り、三月には風が吹き、四月には雨も降り、
どれも自然現象で、いやな現象に感じるけれど
それがあるからこそ、五月を輝くように美しく作り上げる・・・
という意味だそうです。

手っ取り早く言うと、みんないろいろあるけれど
それぞれのことが、肥やしになっている・・・あれ、イメージダウン??

No.182
2003年04月14日 15:09
送信者:もどり < >
表題:かつじさん、大丈夫だからね

 かつじさん、私の親戚の人は
収入がなく、お母さん本人があまり働けない体でしたが、
それでもお母さんに親権が渡りました。

 私も、調停離婚をお勧めします。
 家庭裁判所の方が、慣れていますのでちゃんと聞いてくれると思います。
 ちゃんと、どっちの意見も聞いてくれます。きっと。
 きっと、理解ある人に出会えると思います。

 箇条書きで経過を書いておくのはとってもいいですよ。

 

No.181
2003年04月13日 22:00
送信者:内沢朋子 < >
表題:かじつさん、希望を持って

我が子とお話が出来ない・・というかじつさんの悲しみがつたわってきます。
相談した市役所がかじつさんの悩みを真剣に聞いてくれませんでしたね。
離婚が双方合意できない場合は、調停にしたほうがずっといいです。
そのほうがきちんと裁判所が入るので感情的にならず、かじつさんの言い分も聞いてくれます。
それに、虐待や、DVは夫の不倫も含めて、絶対的に親権は母方になります。
収入より、虐待などが優先されるなんてそんなの聞いたことがありません。

現に、私は虐待で2件、裁判の調停で父親から母親に親権を移行させました。

かじつさんが離婚したいというお気持ちが強いのでしたら、
相手方の親に話をしても、かえってくる答えは実際かじつさんが経験したとおりのものしかありません。
親をまきこまず、裁判所に離婚の調停をだされたほうがいいです。

それに、夫の母には親権はありません。
親権はあくまで夫婦の問題なのです。

ですから、なおのこと裁判所での話し合いが必要です。

息子さんに会わせてもらえないことも裁判所の調停になります。
親は一方的に我が子と会えないなんてことはできません。

必要なら県の弁護士会に相談して、弁護士を紹介してもらうとよいでしょう。

親をまきこんだ感情的なやりとりは、事態をいっそう複雑にして
精神状態も悪くしていきます。

大事なことは、冷静になること、
市役所ではなく、裁判所に、子どもの接見の申請、離婚の調停、親権の申請を申し立てることです。
家庭裁判所でていねいに聞いて、手続きにしかたを教えてもらってください。

必要なら、弁護士への相談もしてください。
30分、5千円です。
その場合も、短時間で効率よくするために、
いままでの経過を文書にしてもっていくとよいでしょう。
これは家裁でも大事なことです。経過もまとまらなくなってしまい、ますます混乱しますから、どんなことがいつあったか、日付順に書くと、頭のなかも整理されていきます。

くれぐれも自暴自棄にならず、希望をもって、
ひとつひとつ、ていねいに対処していきましょうね。

No.180
2003年04月13日 19:36
送信者:かじつ < >
表題:息子を取られた

子供に理解がない夫に愛想がつき、たくさん考えた挙げ句に離婚しようと決意したんです。それで、市役所にいき、いろいろと話を聞きました。すると、夫が離婚に応じない場合や、親権問題でもめる場合は調停離婚となると言われ、その場合、どんなに夫が子供を虐待してこようが、DVがあろうが、収入がない私に調停委員は親権を渡さないというのです。まして、私は片親で、しかも介護認定を受けています。夫の両親は二人ともいたって元気で財産もあるので、絶対にこちらが不利になると言われました。そこで、まずお母さん自身が就職をして、収入をエルのが第一段階と言われ、さっそく職安に。しかし、現実は厳しいです。いくつか職場を当たってみましたが、だめでした。ましてフルタイムで働くとなると、不登校の子供を一日中一人にしておかなければなりません。それでも、離婚したいという思いは強く、向こうの親を呼んで、私の気持ちを親権に聞いてもらいました。しかし、向こうの親が言ったことは「あんたに子供は絶対に渡さない。私(祖母)が育てます」と断言されました。それに加え、「どんなことをしても絶対に親権を得てやる!」と最後は感情的になり、息子を連れていってしまったのです。息子は4日前から帰ってきません。電話をしても、息子と話をさせて貰えなくて、私は半狂乱になってしまいました。夫も、自分の親の見方をしており、私はどうしていいかわかりません。これって犯罪じゃないでしょうか?人の子供を連れていって、電話で話もさせてくれないのです。泣きながら訴えてもだめです。夫は警察には言うなというけれど、このまま、息子を戻して貰えなかったら私はどうしたらいいのでしょうか?ひどい話だと思いませんか?

No.179
2003年04月12日 10:39
送信者:えびいち < >
表題:人間ウォッチング

何を隠そう、えびいっちゃんは、スポーツクラブの会員さんです。札幌の雪も、このところの陽気で、すっかりと姿を消しました。陽気に誘われ、午前のまったりと午後のまったりの間に、スポーツクラブへよく行くようになりました。おっと、ここで注意!ジム施設も整った、ま〜ま〜のクラブですが、私は、今のところ、お風呂会員です。
さ〜て、お風呂でもいこうかしら・・・と全くの銭湯がわりに使用している私ですが、お風呂場で、よく耳にすることがあります。

「私、○曜日は、お教室3つもしてるのよ」
「あら、頑張るわね〜」

おお・・さぞかし、ナイスボディ・・・・????????あれれ??その腰周りの、段々って何?

「今年も、フルマラソンに出るためにトレーニング中よ」
「今年も出るの?えらいわね〜」

おお・・フルマラソンなんて、体脂肪も少なく、引き締まった身体・・・??????あれれ??その太もものプヨプヨと、腹部の段々って何?

ふふ〜ん、結局は、体を動かすってことは、新陳代謝もよくなり、健康ってだけなのよね。みなさん、楽しんでいるんだから、いいじゃない。ってなわけで、自分のお腹を、なでなでして、お楽しみの「CCレモン」を飲みながら、ゆったり。でも、しっかり、ペットボトルのカロリーをチェックする私って、かわいいかも・・・。



No.178
2003年04月08日 22:34
送信者:けんじい < >
表題:その後考えたこと

こんばんは。
「ブレア英首相はブッシュのプードルのようだ」と言われてることは、いまや世界中の人々が知ってることですよね。
たぶん日本の「洒落のわかる誰かさん」が、この「飼い主の思うがままの愛玩犬・プードル」の揶揄から拝借して、イラク参戦にあたってブッシュの意向にホイホイとつき従った小泉首相の外交姿勢を皮肉って、小泉首相は「ブッシュの忠犬ハチ公」とネーミングしたんでしょうね。

この「ハチ公」は、ほんとに主人に忠実な秋田犬だったようですね。「いとしや老犬物語・・・今は亡き主人の帰りを待ちかねる7年間・・・東横電車の渋谷駅、朝夕真っ黒な乗降客の間に混じって人待ち顔の老犬がある。・・・」かの渋谷の駅前のハチ公の銅像は有名ですよね・・。

まあ、それはともかくとして、
ここでぼくが言いたいことは、「ブレアの外交上の選択は、まるでブッシュの飼い犬のプードルみたいじゃないのかね!?」と皮肉ったからといって「差別だ!犬よばわりはけしからん!」となるのかな?という疑問です。「ハチ公みたいだ!」という表現も、同じ理由で、「差別だ!」となるんじゃろうか? とぼくは考えてしまいました。。
修辞法でいうと比喩(直喩)・・・。「彼はまるで狡猾な猿のようだった」とか「紅葉のような赤ちゃんの手」とか・・・「たとえていうならば・・・のようだ」というやつじゃないのかね・・とおもったわけです。

ところで、これを聞いたブレア首相本人は「俺はプードルなんかじゃない」と、たしかに怒ったらしいけど、「おれを犬呼ばわりして差別してる!!」と怒ったんじゃないと思うね。たぶん、政治家として「俺の政治的・外交的選択はブッシュの愛玩犬といわれるほどべったりじゃない!」というような内容で怒ったんじゃないのかねえ・・・。

毎日新聞に載った記事の一部だけど紹介しときます。
『・・・英国のプードル犬愛好家たちの機嫌が悪い。ブレア英首相がブッシュ米大統領の「プードル」と呼ばれることが気に入らないのだ。英国プードル協会名誉幹事のキャサリン・アンダーソンさんは「プードルは自立心が強く、卑屈に追従する犬ではない」と怒る。
 大多数の英国民がイラク攻撃に懐疑的だ。ブレア首相が米大統領に無批判に従っている印象がぬぐえない。アンダーソンさんは「首相を犬にたとえるならばプードルではなくてチワワにして」と言うが、チワワの愛好家たちが怒るだろう。・・・』

ついでにもうひとつ、これも毎日新聞の別な記事の一部。。。ここでもチワワが登場します。
『・・・・アメリカのメディアは「ベルギーはフランスのチワワ」と仏独とともに対イラク武力行使反対の立場のベルギー政府を攻撃している、「ブレアはブッシュのプードル」と労働党支持の大新聞「ザ・ガーディアン」紙を賑わしているのを受けてのことなのでしょう。・・」
 
悪乗りしてもうひとつ。。そしてこんどはイタチが登場します。
『イラク攻撃に懐疑的なフランスとドイツにブッシュ米政権の高官たちは不快感を示す。イラク、イラン、北朝鮮は「悪の枢軸」だが、仏独を「イタチの枢軸」と呼ぶ。英和辞典を引くと、イタチは「ずるがしこい」「責任を回避する」と評判が悪い動物だ。
 その「イタチの枢軸」に対し、欧州で反乱が起きた。先月末、英国、スペイン、イタリアなど欧州8カ国の首脳が国連に連名書簡を送った。「国連も欧州も米国と連帯すべきだ」という趣旨だ。イラク危機をめぐって欧州が割れてしまった。
 米国に追従するブレア英首相は米大統領の「プードル犬」とからかわれているが、大統領は他に7匹の「プードル犬」を欧州に飼ったことになる。2匹の「イタチ」は8匹の「プードル犬」に追い込まれている。 「プードル犬」の仲間に加わったポルトガルのドゥランバロゾ首相は「民主国家か独裁国家のどちらを選ぶかと決断を迫られた」と国民に釈明した。つまり、「米国の味方かイラクの味方か」と詰め寄られたのである。米国に従わざるをえない苦悩を首相は吐露したのだ。・・・』
犬とイタチがたくさんでてきて、たくさん揶揄してますね。。。

「民族差別」、「男女差別」、高齢者への「差別」・・・まだまだ たくさんの「差別」が現実にはある・・。僕自身も「人権」が無視されてると感じる場面にでくわして、がっかりしたり、腹が立ったり、自分の至らなさを反省したり・・です。それから、僕自身が娘のおかげで不登校」に向き合うようになってから、「子どもたちの人権」がいかに危機的な状況になっているかすこし見えてきたところです・・。
で。「戦争」こそは最大の人権への冒涜だ! と いう言葉を聞いたことがありませんか?
戦争政策を推進する連中こそがほんとは「人権」を無視し「差別」を助長してるんじゃないかな。ぼくはそう思うけど。。だからドウシテモ、揶揄シタクナルンダヨネ。。
それからイラク戦争について考えるときは、イラクの普通の人々の立場で、、子どもたちの問題を考えるときには、子どもたちの視線や立場に常にたっていたい、そういう生き方を貫く「覚悟」を今度のやりとりで自分はしないといけないなあ なんて思いました。
ありがとうワカメ。。。



No.177
2003年04月07日 23:25
送信者:reiko < >
表題:よもぎ亭に入れますか?!みなしゃん!!

こんばんわ 皆様^^
私、今夜はとうとうまたまた!我が家のPCが壊れたと思いました。
そう!よもぎ亭に入れないのです(ToT)
今どなたか一人入ってる様子ですが、それがどなたなのか、それすらわからない。。。。

ということで、新チャットルームに行って見ます。(^v^)

れいこ


No.176
2003年04月07日 17:01
送信者:かじつ < >
表題:新学期で…

不登校の長男にとってはいやな新学期が巡ってきました。朝、泣いているので、「どうしたの?」と聞くと、お父さんが私のいないところで、息子をちくちくとやったそうです。
「新学期になっても家でたらたらするのか」とか、「旅行に行かれて、どうして学校には行かれないんだ」と息子を責めたそうです。
長男の苦しみを全然わからない夫に失望し、これでは、息子は苦しみから救われないとはがゆい気持ちになります。
せめて、夫が私と同じように息子の苦しみを理解し、「苦しかったら学校に行かなくていいよ」と言って上げたら、息子はずいぶん楽になるでしょうに。この件では夫とはずいぶんとやりあっているので、口で言うのは諦めています。
お父さんはまず理解しないってよく言いますが、始めから不登校を理解でいるお父さんは少ないんでしょうか?多かれ少なかれ、どこもうちのようなんでしょうか?みんな戦っているのかな?


No.175
2003年04月07日 08:22
送信者:今井 < >
表題:無題

まず読んで思った事はあんたは政治家か!って。
目の前で人が殺されているのにいろいろな事を考えて容認する奴を私は人間だと思いたくありません。
小泉さんを犬だと罵るものたちへの言葉はその人たちと何ら代わりません。

私は今と未来は違うと思います。今起っている事は現実ですが起るであろう出来事は不確実なもので常に分からないものです。常の分からない未来の心配をして今という最も大事な時を蔑ろにしてよいのでしょうか。
回避された現実、確かにあると思います。
しかしだからといって今起こっていることをただ嫌だというのはいけないのでしょうか?理由や経過を話してだからいけないのだと言うより私はただ嫌なのだ、嫌だというほうを信じたい。私は理由などと言うものはまず嫌と言う気持ちがあってでてきたものだと思っていてます。理由なんてモノに惑わされないでほしい。

はっきり言ってしまうと戦争や政治なんてさっぱり分かりません。こういう難しい問題こそ多くのしがらみや世間の目の惑わされず一人の人間としてどうすべきか考えてほしい。政治家だってただの人間。あなただってただの人間。誰かを殺してもいいのですか?

あなたの言葉は何か色々と張り付いていて心に響くものがありません。
難しい話より一人の人間としてのあなたの意見を聞きたかったな。
あなたもただの人間です。みんなただの人間、理路整然と話す必要があるのでしょうか。
世の中には地位や名誉などしがらみだらけ、しかしこういった垢を落としてしまえばみんな同じ人間。ならば難しい言葉より、簡単な言葉で理解し合えるはずです。そのほうがずっと心に響くはず。

あなたは関係ない人の殺しは許して、身内の殺しは許さないのですか?

殺しに殺しを用いたらあなたは大事な人の命を奪った殺人者と変わらない。


No.174
2003年04月06日 23:26
送信者:J.B. < >
表題:また、蛇足

それと読んだら分かると思うんですが、
単に戦争のことを言ってるんじゃなくて
「何故殺すのか」ということ、転じて「何故生きるのか」
ということです。

戦争に限定して読むと、まぁアレなんで。


No.173
2003年04月06日 23:21
送信者:J.B. < >
表題:作成時間4時間20分

仰られているのはカントの純粋理性批判ですね。


結論から言えばその通りです。
私は「今ある現実を肯定する・容認する」者です。



テロが起きました。そしてそれは戦争へと発展していった――――


ただ目の前で人が殺されてるから戦争をやめなさい。
ということが嫌なんですよ。
いや、”戦争をやめろ”ということに関しては構わないです。
ええい、こういう言い方をすると面倒ですね。
戦争には私も反対です。断言しましょう。
ただ、「では、何故戦争に反対するのか?」っつーことです。
この世には二つの選択しかありません。
YES or NO 肯定か否定か。するのか、しないのか?
何もしない、何も考えないということも
それは二つの内どちらかに追随するものでしかありません。
待ち合わせ掲示板を覗きましたが、宇多田ヒカルが言っていた通りです。
また、正義や真実はそのどちらかに含まれるものではありません。
戦争をすることが正しい、とかしないことが正しい、とか
そういうことじゃないんですよ。

小泉を犬呼ばわりしてた方とかに、
「じゃあ、日本がアメリカと離れて北に攻められて、
 その時、自分の家族や恋人が、友人が殺される覚悟はあるか?」
と問い掛けたいです。目の前のことに気を取られ、
何故そうなったのか、そのことで何が起き、そして”何が起こらなかったのか”
ということを考えていない。それを考えて頂きたい。
現実を直視することは重要なことです。ただ、それと同等に
”回避された現実”を直視することも重要なのです。
確率など問題ではない。「そうならないかもしれない」などと洒落にもならない。
それほど彼を侮辱するあなた方が答えに詰まることなど許されない。
先ほどの問いに確固とした意思をもって答えて頂きたい。

「構わない」と。

自分達は死んでもいいからそれでもイラクを助けたい、と。
そう言えるのなら大したモンですよ。あなたは。
ええ、実にお偉いクズ野郎だ。最高に軽蔑する。
自分の命を懸けてるのか!?って言いたいんですよ。
自分だけではない、自分の愛するもの達すべてを奪われ、陵辱され、破壊されたとしてもいい。
それほどの覚悟を持って小泉を犬呼ばわりしているのか!?って!
子供達が殺されてる現実?ああ、確かにそうだ。現実だ。
では、未来は?回避した現実は?
悲劇を問うのは正しい。構わない。正当なことだ。
だが、えてして真実とはすべてに平等に突き刺さるものだ。
悲劇を糾弾するのはよい。しかし、それはすなわち
そこに生まれなかったいくつもの悲劇をまた肯定することでもある。
イラクの子供達が殺されるのなら、代わりに自分達の子どもが殺されてもいいって?
自分達は死んでもいいからそれでもイラクを助けたい!って!?
そう思ってるやつがどれほどいるのか!?って!
それがただただ苛立つんですよ。
自分が安全なところにいるからそう思ってる。助けたい?
お前らこそ戦場へ行け!自分だけでなく、
自分の愛するすべての人々を賭けてまで守りたいのか!?
その覚悟があるのか!あぁ?
守りたいものが場所や国や時代でみんなそれぞれ違うんだ!
だからみんな自分達の愛するもの、守りたいものを守るために
闘ってる!それが相手の大切なものを奪うことになっても!
それでも守りたいから!それでも愛してるから!
だからいつの時代になっても人間の戦いは終わらない!
人が人を愛さなくなったら戦争なんぞ起きないだろうよ!
これは人間だけの話ではない!
この星に生きるすべての命がそうだ!
すべては守るために行われる!すべての出来事が!
戦争反対?ああ、大いに結構だ!私も平和は大好きだよ!
ただ、お前達が行っているのは「反対」だけではないだろうが!
個人の侮辱!軽蔑!糾弾!差別!
人を犬だなんだと責め立てる!
恥ずかしいとは思わんのか!痴れ者が!
人の戦いはすべて同じ理由。
ただ、立つ瀬が違うのだ。
戦争に反対するのは構わない。
手足がもげた子供が泣き叫ぶのを見て、悲しみと
それを行ったものへの怒りが込み上げるのは人として当然の感情だ。
それを止めたいとも思う。
だが、それを行うのに必要なのは個人への侮辱ではないだろう?
やるべきことがあるはずだ。
自分の正義を示したいのなら闘え!道は違えるものではない。

ただ、みんな同じことを思ってる!
金だとか権力だとかこれはそんな低次元のレベルの話ではないのだ!
もっと深いところに根ざしている。
守りたいものがなんであろうが、それは人それぞれだ。
金を愛する者が愚かなのではない。
人を愛する者が幸せなのだ。
”大切なもの”そのものに差など無い。ただ、それぞれのすべてを懸けて!闘っているのだ!
それらを失うことに耐えられないのだ。
それは彼ら自身なのだ。彼ら自身の一部であり、すべてなのだ。
誰かの為などではない、自分が「したい」とそう心から思えること。
どうしようもなくこみ上げる”意思の奔流”。

戦いを止めるのもまた闘い!その方向性は無限に広がっている!
ただすべての者はみな同じなのだということを知れ!
方向が違うだけで目的はみな同じ!
それを悲しむ必要は無い。また、絶望することも無い。
軽蔑することも尊重する必要もない!
自分の信じる道を行けばよいのだ。

(※盛り上がってるトコあれですが、尊重をする必要は無い
  ってトコは「必要」は無いってことです。
  けんじいが言っていた相手を立てても自分を出せないのでは
  意味が無いっていうことです。自分が納得できるのなら尊重すればいい。
  でも、みなが必ず一様に”する必要”はないってことです。
  解釈が難しいので注釈をつけました)

私は最初にも言いましたが
「今ある現実を肯定する・容認する」者です。
そこにあるすべてを、またすべての可能性を容認します。肯定します。
ただ、一つ。
「今ある現実を否定する・否認する」者達が嫌いです。
彼らは「覚悟」をしていない。また、自ら見出すもののみを肯定します。
だが、「その者」らもそこにある可能性であり、そこにあるすべてです。
だから、肯定します。容認します。
ただ、その者らによって否定され、否認された可能性をより強く肯定し、容認します。
何故なら、すべての可能性は等しく存在しているのだから。
私が気に入っていようが嫌いだろうがすべての可能性は等しい。

あなたにはあなたの「守るべきもの」があるはずだ。
それを守るためにやれることを、あなたはあなたにできる精一杯をやるだけだ。
しかし闘いを続けていく中で、失意に沈むこともあるでしょう。
遠い国で奪われいく未来を憂い、救いを求めることもあるでしょう。
それはとても大切なこと。自分ではない何かを守りたい、とそう思えるその源流です。
だが、あなたは知らなければならない。
「知らなかった。分からなかった」では済まされない未来が起こりえることを。
何かを持っているということは他の誰かが何かを持っていないということ。
限られたモノと想いは共有することはかなわない。
何もかも上手くいき、誰も傷つかないこともあれば、
何もかも上手くいかず、多くのものが傷つくこともある。
それは『何もかも上手くいき、誰も傷つかないこと』があったからこそ、
起こることであり、また『何もかも上手くいかず、多くのものが傷つくこと』
があったからこそ、『何もかも上手くいき、誰も傷つかないこと』
が起こることもある。どれもが同じように努力した結果でさえだ。
そして、知る。
いくつもの「守るべきもの」を同時にすべて都合よく守ることはできない、と。
だからこそ、「何も守れない未来」を回避する為に、
自分が一番大切なものはなんなのかを考え、そしてそれだけはせめてどうしても
『守りたい』と。そのためには覚悟をしなければならない。『守りたい』と思ったものを
守るために、他にある大切なものを犠牲にしなければそれができないのなら、
そうするしかない、ということを。
それがただ一つのものを守るということ。多くは望まない。他の誰に任すでもない。
ただ、守らなければならない。自分が、”それ”をやるしかない。
それしか道がないのなら。どんなに罵られてもいいという覚悟。泥をかぶる覚悟。
世界を敵に回してもかまわない覚悟。それが守るということ。
人はみな、自分が持ってるその「何か」を守るだけで精一杯。
下手をすればそれすらも失ってしまう世界。

でも、きっとそれでも思うんでしょうね。「助けてあげたい」と。
それはまた、人の心に根ざす真実であり、『愛』です。
思う通りにやればいい。いけるところまでいけばいい。
ただ、助けられなかったとしても。
もし、それを「だめだ」といって諦める人がいたとしても。
それは見捨てたということではありません。
それは「見てみぬふり」ではありません。
それは「守っている」のです。自分の本来持っている「大切なもの」を守るためなのです。
それが守ると言うことなのです。
他のものを犠牲にしても守りたいものがある。どうしても守りたい。
ならば、守ればよい。他のものを犠牲にしても。
そうすることでしか守れないのだ。それがこの世界に生きるルールなのだ。
そしてだからこそ直視するべきなのだ。
自分が犠牲にした多くの「他のもの」たちを。
我々は多くの犠牲の上に立っている。
屍を越えて今を生きている。
それを「見てみぬふり」をしてはならない。
それこそが最もしてはならないこと。それだけが絶対にしてはいけないこと。
それぞれの思いを馳せればよい。思うままに思えばよい。
感じるままに感じればよい。ただ、忘れてはならぬ。
それが「生きる」ことなのだ。


思うことがあったらまた書いてください。
それと下らないあげあし取りの場合はやめてください。
相手の話を聞く時に重要なのは、
「相手が何を言いたいのか?何を訴えかけているのか?」ということ。
それを考えずに
「あれは、こーだ、それは、どーだ」
などと下らないあげあしをとって頭の悪い反論をしてくる方がいたりするので。
これにはどーも参ります。
この一連の文章にも実はいくつか見られますが、それを言われた日にゃあ
「ダメだ、こいつ。本当にどうしようもない馬鹿だ。」
ということになりかねませんので。
「何が言いたいのか」を考えてそれに反論してくれれば幸いです。
ではー


No.172
2003年04月06日 23:21
送信者:とまと < >
表題:つづき

意見かくの忘れた・・・わたしもブッシュはいや・・まちがったことしてると思う。エラソウにしてて嫌い・・。


No.171
2003年04月06日 23:01
送信者:とまと < >
表題:楽しい掲示板

自分はもしかしたら間違っているかもしれない・・そういうことをいつも頭に置いているのはとても大事だと思う。
そういう謙虚さはいつも持っていたいといつも思う。でもそれを心のどこかに持ちながら、私は今
こう思っている、こういう意見をもっている、って言ってもいいと思う。
それはもしかしたら間違っている考えかもしれないけど、私が今そう思っているのは間違いない。
掲示板はそんな意見がたくさんたくさん集まる楽しいところ・・・
別に間違った意見出しても 違うって思う人はそう言えばいいじゃん。 ・・・   違ってたらごめんね。


No.170
2003年04月06日 18:54
送信者:けんじい < >
表題:J.Bへ

「待ち合わせ掲示板」の方で、ぼく(けんじい)が、
「ブッシュがいまやってることを許せん!」と書いてる手前もあるんで、JBの意見を読んでの感想をすこし書いてみますね・・・。

「決めつけた話し方、考え方」は僕もいけないと思う。もっとも、娘から「アンタはすぐに決めつける!!」と時々しかられてることを思い起こし、ドキッとしましたけど(汗)・・・。
それから、「自分はもしかしたら間違ってるかもしれない」と振り返ることも大切だとぼくも思う。自己を絶対化して、高いところからえらそうにいわれると、誰でもいい気持ちはしないよね・・・・。

ところで、いまイラクでは爆弾がどんどんおとされて、たくさんの子どもたちが傷つき殺されてるのは「現実」だよね。。で。これは「ブッシュ」が指示してこういう悲劇的な事態になってると僕はおもってて・・・。もちろん、フセインの圧制や、これを利用してきた世界中の大きな国の権力をもってるエライサンにも責任はあるからブッシュだけを責めるてるんじゃないつもりだけどね・・。
たしかに、ぼくも、ブッシュがほんとうに狙ってることや、彼がいままでどんなことをしてきたのか等など、知らないことはたくさんあるけど、現にいまおきてること(人がたくさん死んでる・これは幻影なんかじゃないし・・)に対して「おかしいぞ!」と感じたんだよね。
で。ここで「間違ってるかもしれない」→「だから言えない・言うべきじゃない!」となっちゃっていいんだろうか。。。と思った・・。
「決めつけ」はいけない、という意見は、たしかにまちがいじゃない、でも、その場合の「中身」・「内容」も考えてみないとね。。。どうだろうか?

「相対主義」の罠(わな)ということを以前聞いたことがあるのを思い出したんだよね。。

あることに関して、太郎の意見も、次郎の意見も、三郎の意見も、それぞれあって、仮にそれぞれ違ってたとするでしょ。で。「みんなそれぞれ正しいとか、間違ってるとか言えない・・・。絶対に正しいものなんかない」という考え方を「相対主義」というらしいんだよね。
でも、これをつきつめると論理的に矛盾することがでてくる、と。
どういうことかと簡単にいうと、
「絶対に正しいものはない!」という主張そのものも、ほんとにそういいきれるかどうかわからないことになる。「すべてのものは相対的にとらええないといけない」という考え方そのものが絶対化できないことになる。つまり、すべてのなんにもわからない。。。いやいや、何にもわからない、ともほんとに言えるのかなあ・・と、またまた、なっちゃって・・・。収拾がつかなくなる。
それから、別な観点からいうと、この相対主義という考え方は、結局のところ、「いまある現実を肯定する・容認する」ことにしかならない。。ということらしい。。これを「相対主義」の罠というんだそうです。。(しったかぶりして書いたけどまあそんなことらしい・・)

最後に、
自分が感じたことを率直にいう、でも、いつも謙虚でないといけない。。むずかしいことだけど、大事なことだと思う。
だから。ぼくの書いたこともまちがってるとこもあるかもしれない。。。(ちょと恥ずかしい気持ちがわいてきた・・まあいいか//)
とりあえず、ざっと、こんなことを考えたんだけどね・・・。どうでしょう?


No.169
2003年04月06日 17:57
送信者: < >
表題:J.B

「待ち合わせ掲示板」にブッシュがいまやってることに許せんと書いてる手前、けんじいも少しだけ感想をいいますね。
「決めつけた話し方、考え方」


No.168
2003年04月06日 00:10
送信者:J.B. < >
表題:書き忘れ

要するに

「自分はもしかしたら間違っているかもしれない」

という余地を心のどこかに残しておかなければ、
それはいわゆるブッシュ(仮)なのだということですよ。


No.167
2003年04月06日 00:00
送信者:J.B. < >
表題:こんにちはー


はろはろ〜、以前少しだけ顔を出したことのあるJ.B.ですー。
覚えてませんかもね。あははー。
しゃべり場見てちょっと思い出したのできてみましたー。

>われわれは正義、いう事聞かないほうが悪い。
>よって侵略は正義、殺人も正義。

こういうのをよく見かけますねー。
多分、TVとかの演説を見てブッシュのことを言ってるんでしょうけど、
こういう見方は、言ってるブッシュと同じです。
私から言わせればあの程度のTV演説で
「ブッシュという人間はこうだ」などとさも言いきることは
「イラクは悪で自分は正義だ」と言わしめたあなたが想像している彼と
同じです。そこにはなんの違いも無い。
「話し合い」や「議論」をする上で重要なのは
相手は自分と対等である。ということが最大の前提になります。
自分の持つ権利を相手にも認める。これがなければどんな議題でも
話しは進みません。
自分の意見を提示するということは相手にも否定をする対等の権利を与えると言うことです。
相手の意見を否定するということは自分の意見を相手に否定されることを認めるということです。
それを認められないのなら、それはきっとあなたにとっての
ブッシュなのでしょう。

「自分の価値観を大上段にかまえて、
 あたかも相手に問題ありという態度ありありなんだよね。」

分かりやすくする為、少し置き換えましたが大意は引き継いでいる思います。



まぁ、個人的に戦争反対とかはいいんですが、
それがアメリカ、だとかブッシュ、だとかになるとどうも
アレなんですよね。納得がいかないというか。
アメリカ内部でも反戦は起こってるし、
ブッシュ個人に対してもなんだかんだというのを聞いてると・・・・

うん、あれだな。
さっき言ったように「決めつけた話し方、考え方」ってのに
腹が立つんでしょうね。
あなたがきっと「教師」に感じたものを、
その本質的なものを見るからだと思います。

戦争反対=誰かの為に何かをやりたい

ブッシュ、アメリカが悪い=「やってやるんだ・・」という押し付け。

というような変換になりますね。
上の分には構わないんですが、下になるといかんな、と。
「イラクが悪い」とブッシュが決め付けてるように(仮に)
「ブッシュが悪い」とみなが決め付けているのが同じだと思うからです。
こういうことを言ったら「だってブッシュは実際戦争してるし、人殺してんじゃん」
といわれそうですが、それは
「だって、武器持ってて危ないからはやめになんとかしないと」
という主張と同じだと思います。
それを、「それは違う」と思うのなら、相手に異論を言われて
間髪入れずに「それは違う」といえるのなら、
それがやはり「自分は正しい」という思い込みなのだと思います。


はー、あんまり関係無い話題でしたね。すみません。
なんとなくシャベリ場ってこうフラストレーションがたまるんですよねー。ではー。


No.166
2003年04月04日 23:38
送信者:内沢朋子 < >
表題:いいかげんはよい加減。

もどりさん、おもしろいカキコ玲子と一緒にいつもうける〜!
といいながら楽しませてもらっています。

この時期、進級や新学期、
学校の教員が一年中で一番「はりきる」時期なんですね。

別に頼んだわけでもないのに、
あなたのために「やってるんだ・・・」という
余計なお世話をおしつけてくる・・・
おしつけとはこんなもの。
自分はよいことをしてると信じきっている。

世間の価値観を大上段にかまえて、
あたかも不登校の親子に問題ありという態度ありありなんだよね。

これって、アメリカのブッシュの頭と同じじゃないだろうか。
われわれは正義、いう事聞かないほうが悪い。
よって侵略は正義、殺人も正義。

アメリカまで行かなくてもおんなじなんだよ。

だから、もどりちゃんみたいに、適当にあしらって
楽しんじゃえばいい。

ももさん、よく言えましたね。
ももさんのこといまいましいと舌打ちしている教師の態度がありありと見えてきます。

ももさんはきっとどきどきされたことでしょう。
でも、言えた。よかったですね。

これからはもっともっと勇気が出てくるでしょう。

ま正面から受けてたつほどの価値あるものではありません。

これからは、もどりちゃん方法で、いかがでしょうか。

いいかげんはよい加減。
こんな人を相手にして、こっちの神経をぼろぼろにするのは
自分の人生の損失。

学校の教員とのつきあいはほんのいっとき。
進級、卒業して関係がなくなると、なぜか、一切かかわらなくなるんですから。
我が子は一生。決定的な違いは
我が子への愛があることです。


No.165
2003年04月04日 22:37
送信者:もどり < >
表題:声が似ているということは。


 この時期は小学校の頃から、先生の電話は母のフリして煙にまいてました。
 先生「もどりちゃんと直接話して、学校のどこが嫌だったのか聞きたいんです。」

 わたし「もどりは、そういうところが嫌なんじゃないですか?」

 先生「・・・?!」

 わはは! まさかね!? 母がそんなこと言う筈ないじゃん!!
声変わりって、親のフリできて楽しかったなー!

 顔がどんなに似ていなくても声は似てる。らしい。(本人同士は自覚無し)


No.164
2003年04月04日 20:37
送信者:reiko < >
表題:しぐなれすさんえ

こんばんわ しぐれなすさん。
 お返事が遅くなってごめんなさあ〜〜〜い
 リンクどしどし貼ってくださるの、大、大、大歓迎でございます!(^0^)/
 こちらこそ、よろしくお願いいたします(^v^

 しぐれなすさんのHPはこちらですね?↓
 http://shigunaresu.hp.infoseek.co.jp 

 また、どしどし遊びにきてくださいねえ〜〜
 私もそろそろ更新しまひょ
 もちのろん、みなさんの貴重なお話を(−v−)

 れいこ


No.163
2003年04月04日 14:56
送信者:もも < >
表題:新学期!!

来週から新学期・・・今朝早く息子の担任から電話があった。「まだ寝てますか?月曜日始業式なんですが、登校できそうですか?」「さあ・・多分行かないと思うんです。」と私。「私が迎えに行かない方がいいですか?」「それはやめて下さい。」「では、学校で待ってますが、登校しないときは新担任と二人で家庭訪問します。」
「とにかく、勇気を出して登校するように言ってください。」
息子に先生から電話があったことだけは伝えてみたものの、無反応。午後から友だちとどこかへ遊びに行っちゃった。休み中は昼夜の逆転もなくて・・・やっぱり気が楽なのかな?今は時間割に追われる生活も勉強もいやなんだな・・・って少しわかってきた母です。
まだまだ・・・ってみんなに言われそう。
4月7日の朝、オタオタせずに普通にしていたいです。
naobuさん、治っていて良かったですね!また、チャットでお話できたらうれしいです。
朋子さま、レイコさんからNO教えてもらったけれど、電話する勇気がなくて、こちらに書き込みさせてもらいました。もっと不安になる日がくるかも・・・その時は電話してもいいですか?


No.162
2003年04月02日 20:09
送信者:naobu < >
表題:私も結果が知りたい!

はてな???・・・・・そういえば・・・・・

炎症があるだけで、どこも悪いとは言われなかったし、実際治ってしまったので原因は分からずじまいです。

採取した部分については、まず問題ないだろうということでしたが、結果はあとで連絡があるのだと思っていますが?


No.161
2003年04月02日 19:13
送信者:もどり < >
表題:結果は・・・・?

 いまいち結果がわからんのですが・・・・
そいえば、ずっとお腹の調子が悪いって言ってましたね。

1日ですんでよかった・・・のかな?

 


No.160
2003年04月02日 15:34
送信者:naobu < >
表題:ただいまいましい〜♪(やっげり美人妻のつづき)



※すみませんが、↓No.159のつづきとなっておりますので、そちらを先にお読みください。

※この日記の日付は4月2日ですが、中身は4月1日の出来事です。




というわけで、またまたやってくれちゃいました。


やっぶりぶりのなおぶ〜です。


実はもう、病院へ行ったその日の内に家に帰って来ちゃったんです。(ええっ!?!?)




病院を脱走したのではありません。




ちゃんと退院しました。




いやいや、入院していない?のですから、退院もあり得ません。
(すみません、いつもの癖が出ちゃいました。1のことを100ぐらいに誇張しちゃうんです。)


我が家では、あまりにも「ウソ&ホラ」を吹きすぎて、とっくの昔に誰も信用してくれなくなりましたが・・・・・ここでも友だちを失いそうです。




真実を白状します。


朝から1.8リットルもの下剤を飲み、腸の中を空っぽにして、入院の準備を整え、じぇりに送られていそいそと病院へ出かけました。


病院へ着いて、しばらくすると、内視鏡の検査が始まりました。


でも、なんだか様子が変です・・・・・・???・・・・・ありゃ?・・・・・ない?


バリウム検査でS字結腸の付近にあったはずのポリープちゃんが・・・・・・


いったいどこへ行っちゃったの???


装置の入れ替えのためか、たまたま居合わせた内視鏡のメーカー(オリ○パス)の方も操作に協力してくれました。


私も、空気でぱんぱんに張ったお腹の差し込むような痛みを必死でこらえながら、横目でモニターを凝視し、捜索に協力しました。
(私がず〜っとニコ○のカメラを愛用しているから意地悪しているのかなぁ〜?などと、次第に思考も混乱してきました。・・・・・※○の中に入るカタカナは同じ文字です・・・・・・きっと、ポリープちゃんは脳に引っ越したのかも?)


で、そうこうしているうちに・・・・・小腸と大腸の境目付近に炎症を起こしている部位を発見!


これが、大量出血の原因なのか?・・・・・・見たところ悪性のものではなさそうだが・・・・・ここまで来て、手ぶらで帰るのも格好がつかないし、・・・・・・・
一応、念のためということで組織を採取してっと・・・・・・・


金属をループ状にしたものが、行ったり来たり・・・・・・ごそごそっ・・・・・ごそごそっ・・・・・あっ、痛いっ?ような?・・・・・・・気のせいかな?・・・・・・と、思っている内に終わっちゃいました。


でも、時間にして既に1時間近く経過していたような・・・・・


医者からは、さっきモニターで見たまんまの、私の思っていた通りの説明を受け、いざ美人看護士さんのもとへ点滴へ・・・・・・・


お、お〜〜〜これが病院のベッドかぁ〜!!
今夜は眠れるかなぁ?などと思っているうちに、ついうとうとうと・・・・・・
気がついたら2時間が経過し、点滴が終わった模様。
再び美人看護士さんがやってきました。





「お疲れさま〜♪もう終わりですよ〜♪帰っていいですよぉ〜♪」


「え、え、えっ???」(聞いてないよ〜 −−;)


「軽く済んで良かったですねぇ〜♪さあ、受付の方へどうぞ〜♪」



ポリープちゃんが行方しれずになったばっかりに・・・・・


私は小雨の降る中を、傘もささずにとぼとぼと歩いて家まで帰る羽目になってしまったのでありました。(だって、退院するときにはじぇりが迎えに来ることになっていたもんね、しかも明日かあさって・・・)



それにしても、帰り辛いなぁ・・・・・


きっとまた、みんなに馬鹿にされるだろうなぁ・・・・・


じぇりなんて、
「え〜〜〜もう帰ってきたのぉ〜?やっぶりぶりだなぁ〜なおぶぅちゃんは・・・はっはっはっ」
って、馬鹿笑いして喜ぶだろうなぁ。(−−;)



ちっ!また、笑い話のネタを提供してしまったぃ!(>_<)



なおぶ〜のとほほなエイプリルフールでした。


よもぎ亭では、大腸ガンかもしれない!と我が身の不幸を宣伝し、ずいぶんとお騒がせを致しました。 (みんな優しいから、誰も信じてくれなかったし、お見舞いもいただかなかったけどね!)


もしかしたら密かに信じて心配をしてくださっていた方にだけ(一人もいないような気もしますが・・・)、申し訳ありませんでした。




だんだん。


No.159
2003年04月02日 13:21
送信者:naobu < >
表題:やっげり美人妻

大腸ポリープの切除をするのに、同意書や誓約書を書かなければなりません。


保証人は、連れ合いでもいいということなので書いてもらいました。




私「これ書いてくれる?」


じぇり「いいわよん♪・・・・・でも、同じ住所じゃつまんないわねぇ!なおぶ〜のとこは倉庫って書く?ふっふっふっ・・・・・入院者との関係かぁ?ここはなんて書こうかなぁ?・・・・・やっぱり美人妻?」


私「ぷっ、おいおい、なんだか殺人事件の被害者みたいだぞ、美人妻殺人事件とか・・・・・」


じぇり「なら、やめとく・・・・・職業?ここは正直に書かないとね!『看板娘。』って!」


私「うん、そこはそれでいいんじゃないかな?・・・・・『看板ぶすめ。』・・・・・・で。」


じぇり「はあぁ〜ん?」


私「ほら、長い間風雪に耐えてきた看板って、薄汚れてぼろっちくて・・・・・」


私がみなまで言い終わらぬ内に、じぇりの桜島大根足回し蹴りが炸裂したのは言うまでもない。


そして、追い打ちをかけるような捨てゼリフ


じぇり「なおぶ〜のはどうせ『け』のつく病気でしょうがぁ!」
「せめて、『毛』の生える病気だったらよかったのにねぇ!はっはっはっ」


すみません、以前掲示板に「家族に癒されています。」って書いたのは間違いでした。訂正します。


入院して、しっかり癒されてきま〜す。


と、勇んで出かけていったのはいいのですが、



この日はなんと、4月1日(エイプリルフール)・・・・・


期待とは裏腹な、とんでもない一日になろうとは・・・・・


このときのなおぶ〜は知るよしもなかったのである。


つづく・・・


No.158
2003年04月02日 03:11
送信者:しぐなれす <shigunaresu@infoseek.jp >
表題:リンクしてもいいですか?

以前、ぽむぽむというネームでチャットにお邪魔した、
しぐなれすです。Hpを作成中です。

不登校の息子を通して考えたことなど載せていきたいと
思っています。

まだまだな親ですが、こうして色々気付かせてくれた息
子にありがとうって思っています。
こんなことがなければ私ほんとうにのほほんと生きてい
たと思うし、何が本当に大事なのかもわかった。
心が揺れるときもあると思いますが、それも一皮むける
ことですよね。私もここに来るとほっとします。


No.157
2003年03月28日 22:04
送信者:もどり < >
表題:今日は・・・!!

 あんまり天気がいいので、昼間から酒を飲んで、クダまいて、
ガラスの一枚も割ってやろうと、意気込んでましたが。

 あんまり天気が良いので、新聞でガラスを拭いて、あんまり綺麗に
ならなかったのであきらめて、チョコをたくさん食べて、
酒のこともガラスのことも忘れてしまいました。


 そうそう、昨日は母に話しの流れで、
「お母さんは、今のお母さんじゃダメだって思ってるの?」
と、聞いたら
「うん!だって、他のお母さん達みたいに午前中までに
洗濯終わらせたり、ご飯作ったりできないし、お昼寝しちゃうし」

 これか。これだ。
「それって、子どもにもそう思ってるの?」

・・・・・・・・・。(静かな間)

これがお母さんの、この春休みの宿題です。(伝わったのだろうか)


No.156
2003年03月27日 12:20
送信者:ノン < >
表題:私の近くにも???

私の友人に、こんど小学校に入学する子がいるのですが、数ヶ月前に幼稚園から学校見学というのがあったそうで、その夜「ぼく、学校は絶対に行かない」と言いだしたそうです。

お母さんは、以前から教育に関心があり、子どものことを考えて、子どもが気に入った学校(認可されていないけれど、素敵な学校)に入れることにして、費用も払い込んだ後、地元の小学校に籍だけお願いに行ったそうです。

ところが校長は、「こんなことは初めてのケースで、受け入れるわけにはいかない、教育委員会から指示があれば考えるので、そちらに行ってください」「せめて一週間でも通わせて、不登校になったことにすれば可能です」と言われ、教育委員会のほうへ行ってみたら、これがまた、「お母さん、そんなことはとんでもないことですよ、できません。何をを考えているんですか」と怒られたそうです。

何を考えているのかわからないのは、校長や教育委員会の方で、めちゃくちゃ腹が立ったと言っていました。

色々話しているうちに、そのお母さんも、絶対大丈夫の確信を得て、揺れ動くことなく、子どもの気持ちを第一に考えて、断固行動あるのみ。
ということになったので、私も胸をなで下ろしました。

こんな話が息子にもチラッと聞えたらしく、「Aくんの気持ちわかるよ、重苦しい空気だからね」と・・・。同じ小学校なのです。

年度替わりのこの時期、いろいろありますね。


No.155
2003年03月27日 10:07
送信者:naobu <naobu9@yahoo.co.jp >
表題:宮崎県にもまだこんな校長がいます。

皆さんの話を聞いて、まさかと思いましたが、ウチの長女の中学校の校長もやってくれました。


卒業まで一日も学校に通うこと無く無事に卒業かと思いきや、卒業式になっても学校からの連絡はなく、一昨日になってやっと連絡が取れました。
卒業させて欲しいというこちらの意志は前もって伝えてあるので、卒業証書を受け取りに来て欲しいということだろうと思ったら、なんと、娘一人の卒業式をするから、学校へ本人を来させろということらしい。
しかも、来なかったら一日も出席をしていないことになるので卒業を認めるかどうか分からないと脅迫まがいのことまで言ったとか。


勿論なんの法的な根拠もない話です。馬鹿丸出しです。


確かに卒業を認めるかどうかは校長の裁量だが、言った言葉に対しては、きっちりと責任をとってもらおうと思っています。


人を脅かすなんて最低な人間のやることです。このこと一つで、普段生徒や保護者にどのように接しているのかがよく分かります。公務員として全体の奉仕者であるという自覚があるのでしょうか。人権意識も全くありません。このような校長のいる学校の状況も推して知るべしです。


毎年不登校のこどもさんは幾人かいるはずですのでこのような校長を野放しにして置くわけにはいきません。


こちらの意志は伝えてあるので、とりあえず馬鹿と関わるのは疲れるので、無視して放置して置こうと思っています。


私の推測ではご存じのように卒業証書は卒業台帳に記入し、割り印をして連番になっているので、卒業式の終わった今は既に作成済みだと思います。


もし仮に手の込んだ小細工をして、卒業を認定しなかったら、その後大変なのは校長の方なのです。


教育委員会、文部省に問い合わせてもいいし、人権救済の申し立てをしてもいいし、マスコミを動員してもいいけど、とりあえず相手の出方を見るかな?
(こういうタイプの人間に限って上司にへいへいするんだよねぇ。)


どうぞ、卒業証書を受け取ってくださいと頭を下げてきたら受け取らないでもないけどね。





もどりさん!!いいぞー^^って思いました、下のカキコ。

豚も木に登りたい衝動です。みろりんりんまた、よもぎ亭で遊ぼうぜい!<意味フ


No.154
2003年03月26日 21:57
送信者:もどり < >
表題:・・・・なんかなんか!!

 大声で「けったくそーー」とか言わめきながら
走り出したい衝動。
 
 洗濯物も車のことも気にせずシャボン玉を吹きまくりたい衝動。

 ・・・・・・・・・・・・疲れちゃった!!

友達といると楽しんだけどなあ。 




No.153
2003年03月23日 16:48
送信者:映画すき〜人間 <cowmiya@plum.plala.or.jp >
表題:アカデミー賞

はじめまして、急なことなんですけど今年のアカデミー賞がWOWOWで明日あるんですけどビデオに録れる方がいましたら、ダビングしたのを譲ってもらえれば幸いです。




No.152
2003年03月21日 11:06
送信者:とまと < >
表題:卒業式か〜

卒業式の季節ですね。家の小学校の子ももうすぐそうなんだけど、家の子はもう全然行く気はありません。
私はもう長いこと不登校の子の母なんですけど、まだどこかあきらめきれなくてまだぐずぐず言っています。 
あまり深刻にはならないようにしていますけど・・・。
実は学校の行事とか出るのがけっこう好きなので、卒業式で感動したいとか思ってしまうんです。子供に言うとあきれた顔をしています。
「ひとりで行ったら・・。」って感じなんですよね。それじゃ寂しいしね。
話は変わりますけどこの掲示板はあたたかくていいですね。理心さんとReikoさんのやりとりをみてなんとなくよかったよかったって思いました。
私もこの掲示板をのぞいてずいぶん助けられていますよ。
               



No.151
2003年03月20日 13:08
送信者:ゆっぺ < >
表題:今日は娘の卒業式でした。

今日は、娘の小学校の卒業式でした。
昨日まで、卒業式に出席するのかどうするのか、たかが1時間ほどの式なのに、今日を迎えるまでもんもんとしていました。
行っても行かなくても、どっちでもいいか・・・娘の気持ちでいいやと自分に言い聞かせていた毎日。
でも、よくよく考えると、そうやって自分に言い聞かせているということすら、まだ学校というものから私が離れていないのだと再認識しました。
娘は娘で、卒業式の練習にひとりでさっさと出掛け、
その後は、なんかいつもよりさっぱりしているような、
でもやっぱり、どうしようと考えているのがわかって・・・。
昨日の夜に、娘が「やっぱり行かない。行きたいと思うけど、行かない。」と聞かせてくれました。
ああ、自分で決めたんだと、もうそれで十分だと私は嬉しかったのです。
やりたいけれど、出来ない・・・以前はそういう気持ちでさえも
私は娘に対して認めてあげられなかったのです。
でも今は違う私もいて、それが嬉しいのです。
やっと、やっと娘にそれでいいよねと心から言えたのです。
今までかかったけれど。その間、辛い思いをさせたけれど。

新潟は今日は雪が降っています・・・春になったと思うけれど。
娘が今月誕生日だったけれど、生まれた時も、何故か雪が降っていました。
偶然でしょうが、娘が生まれてきてくれた時の喜びを
また思い出せと、空から言われたような気持ちです。


No.150
2003年03月20日 12:55
送信者:理心 < >
表題:Reikoさんに。

パソコンがおかしくなって、1週間くらいここに来られませんでした。13日が卒業式で無事卒業できました。前日だけは、友達と一緒に帰りました。何か、スゴイ開放された感じです。
卒業したときは、まだ学校に行きたい!って思ったりしたけど、やっぱり独りの寂しさを思い出すと、「あ、やっぱり嫌」って思いました。
学校の中では独りじゃなかったのですが、みんな友達としゃべりながら楽しそうに帰っている姿を見たり、自分が独りで帰る姿を好きな人に見られたりした、あのときの気持ちがたまらなく嫌でした。いまはもう学校なんて行かなくていいから、気持ちが大分楽です。他の人にはそういう思いにさせたくありません。絶対に。今まで助けられてきた分を高校で、返して生きたいです。
わたしもれいこさんの様に、自分を責めたことが何度もあります。今でもあるかもしれません。無理したこともあります。特に中3になってからは。中学のとても尊敬している先生に、
「無理しないといけないときもあるんだよ」って言われて、わたしはそれまで、マイペースに無理せず学校生活を送ってきたんですが、その言葉で、突き進みました。2学期は1度も休みませんでした。これはわたしにとってスゴイことでした。
行きたくないときもあったけど、「自分だけじゃない」って
言い聞かせて。
3学期は1日休んでしまいました。今振り返ると、
「皆と同じことが自分にも出来たじゃん」って思えます。わたしにとってはこんなに頑張ったのは(無理したのは)15年間で初めてだった気がします。ただ、もう昔のような小さな自分に戻りたくないって言う気持ちがそうさせたんだと思ってます。

今のわたしは多分高校生の頃のれいこさんみたいに、人に気に入られたくて、独りになることの不安の塊を持っていて、時々自分を押し殺してると思います。
でも、いつかはれいこさんが言うように、自分に優しくできるといいな。長々とすみません。。
れいこさんの返事かなり嬉しかったです^0^
また何かあったらよろしくお願いしますね。




No.149
2003年03月17日 17:56
送信者:Reiko < >
表題:理心ちゃんえ



理心ちゃんは今ひとりぽっちなんだね。
私も高校の時、ずっとひとりでした。みんなグループ作ってご飯食べたりするんだけれど、
一年の頃は一緒にご飯を食べる人が毎週のように変わっていきました。
どうしてそういう風になったのか自分でもわからないけど、とにかくその頃とっても誰かと一緒に行動して、みんなと仲良くするということが苦痛で、できなくて、またそういう風にできない自分を責めてました。(もちろん、その当時は自分を責めてるなんてことにはこれっぽっちも気付かなかったけど 笑)


昼食の時、毎週のように一緒に食べる人が変わるので、一緒に食べていい?と聞いて一緒に食べるんだけど、またここでも一緒になれなかったらどうしよう、どうしようってそればっかり考えて、ずっと自分を押し殺して、気に入ってもらおう、気に入ってもらわないと、でもできない、自分をうまく表現できないと毎日とても苦しくてたまりませんでした。


 なので休み時間の時はずっと顔を机にふせて寝たふりをしてましたが、そういう私のことを変だよねっていう人たちがいるのに、それでもまだ私は学校へ行きつづけました。


結局卒業した後、ああ、なんだ学校って別に行かなくてもよかったんだなってあっさりと思うんですけど、当時行ってる間は、私が高校辞めたら、みんななんて思うだろう、
中学校の時の友達はなんて噂するだろうとしか頭にないでした。
その当時、同じクラスに男の子が一人登校拒否をしていて、その事でまわりがいろいろ言ってたのでそれも気になって、自分だけはああいう風にはならないぞ。他の子は登校拒否になって、家でゆっくり休んでいいけれども、自分だけは違うんだ、自分だけは休まないんだと意地をはっていたと思います。


だけど、高校を卒業して、いろいろなことを体験していくんだけれども、その中でやっぱり高校のときに無理をして、三年間ずっと人に自分のことをどう思われているだろうかという事に神経を張り詰めてきた私にとってその卒業した後でいろいろ体験するのも、時々すごくしんどくなるんですね。
その当時はなんでかさっぱりわかりませんでした。ただ、私は人より、精神的に疲れやすいタイプなんだとしか思ってませんでした。だからちょっと休み、休み動いたらいいんだと。


そのしんどくなった時、不安でたまらない時、辛くてたまらない時はその都度、いろいろな理由を付けて、こうだからああなるんだ。こうでなければ、ああならないんだみたいに、自分を抑えて無理やり納得させてました。


そうこうしてるうちに、私は23になり、残っていたパワーもすべて使いきり、去年からどっぷりと引きこもって休み始め、今年で24になりました。


今、まだまだ不安はたくさんあって、どこかでいっつも人にどう思われているかとか、先走りして考えたり自分のこと無意識のうちに、気付かないうちに、いろいろ理由つけして責めてたりするけれども、だけど私は本当に、今こうやって家でゆっくりと、なにかしないといけないということはないんだ。でも生きてるだけで十分
なんだということに少しずつ気がついて、ほんとに少しずつだけど、まだまだ波があって落ち込んだりする時もたくさんあるけれども、それでも、ほんとに少しずつ、休み始めて、私は私自身がとっても楽になってきたような気がします。


理心ちゃんも自分が思っている以上に今無理してることにまだまだ気が付いてないと思うけれども、早く気が付いて自分にやさしくできるといいね。


No.148
2003年03月17日 17:18
送信者:内沢朋子 < >
表題:感動もらった親の会

Kg君、カキコありがとう!
そして、昨日、親の会に参加ありがとう!

わざわざ福岡から3人で参加していただきました。
そして、君に話してもらったんだね。

お父さん、お母さんがあなたのことを理解してくれて
そのことがなによりの支えになったということが、
とてもよくわかって、参加していた皆さんに伝わってきました。
きっと一緒に聞いていたお父さん、お母さんは、
万感の思いだったことでしょう。
本当に親が受け止めることが、どれだけ大切か、わかりました。

そして、このカキコをまた改めて読んで、
どんなに辛かったか、・・・
人が人を否定することは、どんなに残酷なことなのか、
辛かった体験から自分の命を守ることはまさに命がけのことなんだよね。

でもそのことから君は自分の命の尊厳を学んだんだね。

これからは、もっと自分を大切にしてください。
あせらないで、ゆっくりね。

これからも、来てくださいね。




No.147
2003年03月17日 01:58
送信者:kg < >
表題:初カキコです!

今日、親の会に出席させてもらいました、福岡の3人家族の息子です!
ここではkgと名乗ります。
自分は中学の頃精神的ストレスで吐き気、腹痛、頭痛で不登校になりました。自分自身も体がこんなになるまでわからくなくて、とにかく学校に行くのが嫌で嫌でたまらなかったのを覚えています。何が一番辛かったかと言うと親を心配させたことでした。最初は学校に行けって言ってた親を腹立たしく思えた時もあったのですが、行きたくても体が言うこときかなくて自分にはどうしようもなくて苦しくてたまんなかった・・・。なんで学校に行くのが辛いのだろうか自分で考えると、先生数名の自分へ対する罵声や態度や、その影響を受けてか周りの友達の自分へ対する態度が一変して、自分の居場所がなくなっていたので学校に行きたくないんだと気づいたんです。それまで自分は生徒会長や行事の実行委員長、部活動の部長も自分なりに一生懸命やってて勉強だって塾にほぼ毎日通いながらそれなりのいい成績を残してきていました。しかし、先生達が言うことは「生徒会の面汚しだの、形だけ生徒会長だの、おまえがいると部活が暗くなるだの、おまえは部員じゃない練習の邪魔だから部外者は帰れだの」他にも色々、言われない日はないぐらいみんなの前でけなされ続けました。気にしてないつもりだったんですが、自分でも気づいてないうちに無理してたんです。それが症状となって体に出た時はわけわかんなくて「なんで一生懸命に頑張ってるのにこんなになるんだ!」と歯痒くてたまりませんでした。色んな病院に行って薬を飲んでも全く治らない、吐きそうになりながら胃カメラ飲み、肛門から腸カメラまで体に入れて調べても治らない。そうこうしているうちにも欠席日数は増えつづけ悩む一方でした。そんな頃に自分の胸の内を全部母さんにぶちまけました「そんなに辛かったんやね、ごめんね気づいてやれんで学校なんか行かんでいいよ、母さんももう行けとは言わんけん」と涙ぐむ母さんの姿を見て、自分も今までとぎすまされていたものがプツッと切れて涙があふれ出ました。「父さん、母さんだって辛かったんだろうなぁって心配かけてごめんね」そんな気持ちが胸いっぱいになりました。でもそれから学校に行かなくていいとなるとみるみる体調は回復していき精神状態もだんだん落ち着いてきたんです。それでも毎日何もしない自分に「俺ってだめなやつやなぁ」とどこかで思っていて。それから、家の仕事の手伝いをしたりフリースクールに通ったりしました。フリースクールではとても理解のあるいい先生や同じ気持ちの友達に出会って今でも時々連絡をとったりしています。そうやって今の状態までこれたのは父さん母さんのおかげです。自分はほんとに父さん、母さんの子で良かったぁと思っています。父さんも母さんもマジで大好きだし、これからも遊んでばっかりいるから迷惑かけるだろうけど自分は自分なりにちゃんと道を見つけて行くから、心配しないで見守っていてほしい。
誰でも、一人では生きていけないんだと思います。自分の場合は親に助けてもらったんですがえびいちさんみたいに友達に助けられたり、色んな人と出会ったりすることで少しずつでも心のしこりは和らぐんだと思います。それに助けてもらうことは全然恥ずかしいことじゃないし、当たり前のことだと思います。また、当事者どうしだったら自分のこと相談したり、相手の体験を聞いたりして、そういう考え方もあるなぁとか自分だけじゃないんだぁとか思うことで気持ちの重さが全然変わるんですよね。いつかチャットにも顔出せたら出したいと思います。


No.145
2003年03月11日 11:05
送信者:えびいち < >
表題:ゆっくり快適

鬱、不眠、摂食障害にて、精神クリニック通院暦4年目。入院回数4回(平均3〜4ヶ月)最終入院日は、昨年の9月から12月でした。入院し退院したら、完治・・と思っている両親。しかし、実際はそうではないのです。山あり谷ありの私の心。訳も分からない不安がひたひたと押し寄せてくるのです。昨年の入院中は、食事もしたくない、誰とも話したくない、笑えない生活でした。点滴をうけ、安定剤の注射・・・。看護士さんが「苦しいときは、何でもいいからお話してね」とは言ってくれるけど、それも出来ない状態。そんな中、泣きながらひたすら、S君にTELをし、心配したS君からのメールとTEL。沢山、迷惑かけたけど、彼がいてくれたからこそ、立ち直れたのです。今は、両親の理解も得、半冬眠常態です。ひたすら、ゆったり、まったり・・たまには意と反した用事も出てはきますが、快適な生活を送っています。定位置は、居間のソファー!TVをみたり、寝ちゃったり・・ワイドショー女になっています。まだまだ寒いので外出は極力避け、暖かくなったら、美容院へ行こう、美顔エステ(これって、最高に気持ちいいのよ〜)に行こうと、ささやかな楽しみを考えています。


No.144
2003年03月10日 16:22
送信者:理心 < >
表題:

自分でどうにか出来る様なことなんだろうけど、カキコします。学校帰るとき、1人ってどう思いますか?わたしは1人なんですけど。。正直言ってすごい寂しいっちゅうか、空しいです。みんな誰一人として、1人で帰ってる人見ないし
「、わたしだけ?!」と思うと、周りの目が気になって仕方がありません。。学校で過ごすのは最近は何も苦痛じゃないけど、帰るときになると、、駄目になる。。ただの甘えかな??とか思うけどこの気持ちをどーしていいのか分かりません。
人って集団で居ることが好きなんだなあ。


No.143
2003年03月07日 21:17
送信者:Reiko < >
表題:こんにちわ


はじめまして 葵絢さん 苦しくて辛くて辛くてたまらないんだね。こんな掲示板でよければどんどん気持ちを吐きだしてね。

 私も自分を許せない時がありました。何年も許せなくて、自分という存在自体、自分のすること全て、自分というそのもの全てが許せませんでした。
 じゃあ、今は許せてるのかと聞かれたら、答えはいいえです。
 
 今私はゆっくりと引きこもって家で休んでいるけれども、そういう時でも自分を許せない時があります。ただ、前よりはだいぶ少なくなったけど。
 前と違うのは、そういう風に自分を責めてるときこそ、今、無理しようとしているんじゃないの?無理してるんじゃない?という心のサインと自分が受け止めるようになって、ちょっと気が楽ちんになりました。
 そういう風に感じた時こそ、もっともっとゆっくり自分を大切にして休もうということを私に気付かせてくれました。


 月夜ちゃん、リンクどうぞどうぞ!(^0^)/
 チャット、私も気が乗った時しか行かないけれど、また会ったらこちらこそよろぴく!^^

 Reiko


No.141
2003年03月07日 08:06
送信者:葵絢 < >
表題:本音を吐かせて・・・。

初めてここにカキコします。
ペンネーム「葵絢」にしておきます。

毎日に疲れきっているわたし。
毎日過食して自己嫌悪・・・。
どうしていいのか分からない。
抜け出したいのに。
もうやめたい!!って過食した後いつもそう思うの。
とりあえず寝る・・・でもまた起きると1日が始まるんだ、と思うと怖くなる。
自分という魔物に怯えながらいつも生活してる。
親や周りはすごく温かいのに、
こんなわたしでも普通に接してくれるのに、
自分という鎖だけは自分を離してくれない・・。
苦しい・・・。
こんな言葉使うのは「自分に甘えてるからだ!」って言われる??
もっと苦しい思いしてる人世の中にはいるのにね・・・。
わたしが苦しいなんて言ったら駄目かなぁ。。。
誰に言ってもどうにもならないし、
結局は自分しか自分を解ってあげられないのにね。
自分が自分を許してあげられたらどんなに楽に生きられるんだろう。

楽に生きることって難しいよね。



No.139
2003年03月05日 18:39
送信者:雪待 月夜 <pengin78@hotmail.com >
表題:リンクを貼らせてもらいました〜vv

あの〜こちらに書かせて貰っても良いのでしょうか迷いましたがおもいきってかかせてもらいましたv
私のところのHPにリンクを貼らせてもらいました〜。
本当こちらのサイトさんは癒されるし居心地がとってもいいので素敵です。そんな訳で是非貼らせてもらおうと言うわけで昨日リンクさせていただいたのですがもしダメ〜って場合はすぐ消させてもらいますので。あと、今日多分チャットに遊びに行かせてもらいますのでその時はまたよろしくですvv
http://kouyokuo.2.pro.tok2.com/です。


No.137
2003年03月03日 23:04
送信者:えみこ < >
表題:なんか不安でたまらない

はじめて掲示板にかかせてもらいます。
最近なぜか不安で不安でたまらないんです。毎日がしんどい苦しい
でも、親には,言えない。先生にも相談できない。どうしても自分ひとりで考えてしまう。毎朝学校の事を聞かれる。『今日も、いつもと同じ時間だな』お父さんに言われる。嫌だと言えない。迷ってるって言うと
迷うことがあるもんかといわれる。全然わかってくれない。家でも苦痛
学校でも楽しくない。相談員さんは、表情が良くなってきて、元気がでてきたよって言う、でも、本当は,辛い、よけい言えなくなる。
学校から家に帰るとすごく疲れてしまいます。


No.136
2003年02月28日 03:26
送信者:miduki < >
表題:怖い

今日カラオケに行って来ました〜。
特に、普段なかなか会わないけど、話が良く弾む先輩と話が出来て楽しかった。v
でも帰り、車でその人に送ってもらっている最中「あいつ知ってる?」って話になった。
そもそも住んでいる所は隣同士の市と村。年も一個違い。
共通の知り合いも多かったみたい。
「○中でしょ?じゃ、知ってるんじゃない?」と聞かれては「さぁ?」と、覚えてないフリをする俺。
でも、心の中は怖くて怖くて仕方がなかった。
小中の時のことは出切れば話したくない。
いじめに会ってとにかく辛かったから。。
先輩には悪気はないし、過去の事だって知らない。
だけど、その知り合いと先輩がかなり親しいことを知らされた時、
「あー、終わった。」ってぶっちゃけ思った。
きっと近く、先輩と知り合いとの間で俺の話題が出るんじゃないか?
イジメにあっていたなんて、先輩に知られたくない。
聞いたとたん、態度の変わった奴なんてたくさんいたし、その度に苦しんできた。
そんなのはもうごめんだ。いつまで苦しめばいい?不安を感じればいい?

バイトは楽しい。カラオケも楽しい。色々話すのも楽しい。
お願いだから、これ以上不安にさせないでよ。。
これ以上苦しませないで。
地元で行動すると必ず着いてくる不安。
それからもう逃れたいよ。




No.135
2003年02月27日 10:10
送信者:naobu(なおぶ〜) <naobu9@yahoo.co.jp >
表題:とまとさん、ありがとうございます!

わーっ、こんな我が家のどこが「あこがれ」なんでしょう?お恥ずかしい限りで、穴があったらまた冬眠したいぐらいです。
じぇりなんて、下の私のカキコを見て、
「どうせ浸水式になるんなら、そのまま葬式にすれば?あのカヌーは棺桶にもちょうど良さそうだし・・・」なーんて怖いことをさも嬉しそうに話していましたよ(>_<;))))
(もっとも、じぇりも私も普段から「葬式や墓はいらないよね!」が口癖だから、皮肉を込めたジョークなのだとすぐにピンときましたけどね??)みなさんは真似しないでねっ。

我が家の場合、不登校道だなんてそんな大それたことは意識していません。ただ心がけていることがあるとすれば、「無理をしない」ということぐらいです。人間って、油断するとすぐがんばっちゃいますからね。それだけは遺言にしてもいいかなと思っているぐらいです。

あっ、でもがんばりたい人はどんどんがんばったらいいと思います。周囲を巻き込んだり、疲れたときに休むことを忘れたりしなければね。その人のあるがままで・・・いいです。

思いがけず、声をかけていただいて感激しています。とまとさん、どうもありがとうございます。(これでもうお知り合いですね!)
もしよろしければ、よもぎ亭でもおしゃべりしましょう。


No.134
2003年02月26日 13:48
送信者:とまと < >
表題:なおぶ〜さんへ

なおぶ〜さんの元気な様子を読んで嬉しくなりました。(面識などはありませんが、このHPをいつもみているのでお知り合いのような気がします。
不登校の子供の母ですが、たびたび、このHPをみてこれでいいんだとがんばっています。
家族中で不登校道まっしぐらって感じで 毎日を一家で楽しんでらっしゃるなおぶ〜さんじぇりさんの家族はある意味あこがれでもあります。
たいへんなこともあると思うのですが、いつもご家族みんな幸せでいて欲しいなとお祈りしています。わたしもがんばります。


No.133
2003年02月26日 11:13
送信者:naobu(なおぶ〜) <naobu9@yahoo.co.jp >
表題:豚も冬眠するのだ!

みなさんご無沙汰しております。
しばらく穴蔵に籠もっていましたが、雪解けとともにまたぼちぼちネットにも出没しています。プロバイダーを変えましたので、メールアドレスも変わりました。

みけさんのHPも久しぶりに訪れてみました。みけにょこさんとおっしゃるんですね。ファミリーの写真もあって、日常の楽しそうな雰囲気が伝わってきましたよ。こちらこそよろしくです。

実は、水遊びのシーズンに向けて、念願のカヌーを作り始めました。
ちょっと不安なのは、ベニヤ板の小舟が果たして今の私の体重に耐えられるのか?ということです。
進水式までにダイエットしないと・・・浸水式になってしまうかも(^_^;)
(冬眠あけって普通痩せているもんだけどなぁ?)


No.132
2003年02月25日 14:34
送信者:みけ(大分) < >
表題:おじゃましまーっす。

こんちわ! 大分のみけです。  ひさしぶりに来てみました。
ちかごろ、なおぶーさんにお世話になっております。
私の個人で作っているホームページにきてくれて、なんとゾロ目を踏まれましたぁ!!
(σ_σ)_∠※PAN!:・'゚☆。.:*:・'゚★゚

私のHPも、不登校をテーマにしています。最初はひっそりとほのぼのファミリー路線でやってたのが、いつのまにかメインテーマになっちゃいました。 良かったらみなさんもぜひ来てくださいね。
なおぶーさん、いつもありがとう。これからもよろしくね★ (=´ー`)ノ http://choice.gaiax.com/home/mikenyoko (みけにょこです!)


No.131
2003年02月24日 16:56
送信者:れれれ < >
表題:楽天モードで

れれれ@東京です

内沢さんRESありがとう。Merryさんこんにちは。
私も、あんまり悩みを表に出したり、暗く過ごすのは苦手で、だいたい「ものごとの明るい面を見る」ようにしてきました。

だって、いくら親が暗〜く悩んだって、子どもがどうにかなるわけじゃないんだし、
悩んで悲観的に暮らしているより、まあなんとかなるべさ、というくらいで毎日のんきに過ごした方がお互い楽だし。

強がっているわけではなくて、そのほうが楽だからこういう態度でいるのに、なんだかわかんない人もいるのさ。
・・・って思ってきました。

最近ますます能天気に磨きがかかっています。


No.130
2003年02月21日 17:56
送信者:Reiko < >
表題:こちらこそ ありがとうございます Merryさん^^

はじめまして Merryさん 
こちらこそ、そちらのとってもかわいいHPでこちらのことを紹介してくれてありがとうございます(^0^)あと記録集もご注文してくださいまして、本当にありがとうございます。

やっぱり世間でいう、学校に行かない子はダメなんだ、いつも何かに積極的に行動してないとダメなんだという価値観にいつまでも縛られていてる時ってそうですよね、つまりず〜〜〜〜〜っとくらああく落ち込んじゃう。

 
 私もずっとそうだったんですけど、自分がゆっくりと引きこもって、ああこれでいいんだなって少しずつ思うようになった時に、なんだか今までの「こうでなければいけない」「学校に行くのがあたりまえ ある程度の年になったら働くのが当たり前」などなどの、〜して当たり前的価値観から自分がふっと解放されて、そしてそのおかげで、ほんとにいろいろな新しい価値観、考え方を発見することができました。(昨夜、月夜ちゃんも言ってたよねえ すんごい感動したよ!!)

だからMerryさんもそうやってミーは−な母でもなんでも、それがMerryさんにとって自然であって、心地よければなんでもいいんですよね。 
母親たるもの、こうでなければならない、子どもの前ではこういう風に振舞わなければならないなどと考えていたら、いつまでたっても親も子も堅苦しくなっちゃいますしね^^


ところでみなさん、ここにカキコする時とっても勇気がいるみたいな感じですが、みなさん、どしどしどうぞ遠慮なくカキコしてってくださいねえ(^0^)/

最近、感じたこと、自分で思っていること、ちょっとした事、などなどなんでもOK! 

今日は渡辺さん(世話人の)と歩いて、すがすがしい気分のれいこでした。(^v^)

P.sみなさん、MerryさんのHpはこちらです!↓
♪めりーごーらうんど♪

http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3687/


No.129
2003年02月21日 01:03
送信者:Merry <lovemeri@hotmail.com >
表題:はじめましてm(__)m

はじめまして、♪めりーごーらうんど♪の管理人Merryです。
久しぶりに覗かせてもらってびっくり!
「不登校は希望がいっぱい」のお願いメールごとURLまで載せてくださってありがとうございました\(^o^)/
感激でした!
いつも前向きで明るいこのHPを覗くと元気になりました。私は元気なんだけど私の周りの同じ様な立場の方々は元気じゃなくて、元気な私は変?って思って落ち込むこともありました。
でも、ここと出会ってからは勇気百倍でした。
私もいつも元気なわけじゃない、一人で泣いてる日もあるし、一人でいろいろ考えると涙が溢れてくるんです。でも、日々癒されるものを見つけて、気持ちの切り替えをして、息子の前では、家族の前では元気です。でも、決して無理しているわけじゃない。
そういうのを無理してる、とか、もっと悲しい時はそれを表面に出した方がいい、とおっしゃる方が多いです。
でも、私は、それが嫌だからそうしていないだけなんです。子どもの前では明るくミーハーな母でいたいし、そうしている自分が一番好きだし、自分も楽なんです。
こういう考え方や気持ちをなかなか分かってもらえないもどかしさがあります。でも、わかってもらえなくても同じ様に明るく頑張っているこちらのみなさんの笑顔を見ていて安心しました。ほっとしました。私だけじゃないって。
ありがとう!また何度でも寄らせていただきます。今までのようにロム専になると思いますが・・・
今日は思わぬカキコを見てあまりに嬉しくて勇気を振り絞ってカキコしました。
これからも日本全国のみんなが何か一つでも楽しみを見つけて幸せで楽しい日々を送れますように。。。
お父さん、お母さんもミーハーになってね〜(^_-)-☆


No.128
2003年02月18日 19:48
送信者:内沢朋子 < >
表題:親っておもしろいね

れれれさん、お久しぶりです。
昨年の夏合宿の親シンポにれれれさんが出てくださったことが懐かしくおもいだされ、おもわずふふふ・・・。
6ヶ月間、来る日も来る日も、記録集作りをして、
れれれさんのお話もすっかり頭の中に入ってしまいました。

そのとき、れれれさんはとっても感動的なこと言ってくれました。
家族を結びつけてくれていたのは実は不登校した娘だったんだと・・

もう20歳なのですね。
私の娘も23歳。

はらはらドキドキしながらわが子の「行動」にふりまわされるのは
親のサガか。
いつまでも子どもだとおもっていたのに、
するりと翼をくぐりぬけて旅たっていくのですね。

先日の親の会で、いつまでも親を困らせるわが子にしばし涙のお母さん。
困らせたり、気をもませるうちが「花」なんだよね。
いじめで自殺した勝己君のお父さんの村方さんが
「うちの子ももっと親を困らせてほしかった・・」と言われたことがありましたっけ。

さて、私は娘と毎日バトルをくりかえしながら、暮らしています。
同じく先日の親の会で、
「いつも私が一番。私がしあわせ。自分を大切にする。
そのことが家族の幸せになるの」と私。
それは確信もって言えるんだけど、
我が家では、その考え方が「浸透」してて、
娘も自分が一番と考えてしまっている・・
それで、自己主張するものどおしバトルとなるわけです。

でも親の会で娘が言いましたっけ。
「子ども(私)がどんなに不安でも、親はいつも幸せであること。
それは、あー、そうか私のイマの状態はこれでいいんだとおもえるから」
そーなんです。
私はいつも幸せです。
だから、あっというまに時間も日にちも過ぎていきます。


No.127
2003年02月18日 12:14
送信者:れれれ < >
表題:私の悩み(?)

鹿児島のみなさまお久しぶりです。れれれ@東京です。
私の悩みを聞いてください(笑)

9歳からず〜っと家で過ごしてもうすぐ20歳になる娘。
なんと大検予備校に興味を持って、資料を取り寄せ(これはネットで私が申し込んだ)たと思ったら、体験授業を受けるとか言っているのですよ。

ええ〜今までほとんどひとりで外出したこともないのに、いきなりそんなにがんばって大丈夫かいな。授業を選択することも、質問含めて内容を理解していくことも、通うこと自体も、いちいちエネルギーがいるのに、もつのかいな。

きっと親が思っている以上に力を蓄えているのかもしれないし、意外に何とかしちゃうのかもしれないですよね。でもあまりの急な展開に、やっぱり余計な心配をしてしまう。親が気をもんでもどうにもならないんだけどさ。

わかっちゃいるけど気がもめるやるせなさ。おまえが緊張してどうする>自分

ずっとのんびりペースに慣れ親しんで平和に暮らしていたので、なんだかあたふたした気分でいます。ふう。



No.125
2003年02月14日 12:49
送信者:masao <deki-6-6@lapis.plala.or.jp >
表題:何故うちの子だけが

お返事ありがとうございました。
色々考えてみました。うちの子中2の男の子A男・中1の女の子B子。
A男も中1の半分以上登校拒否、B子のケースとは違いますが、親としては何故うちの子だけが、と思ったり
人生80年そのうちの1・2年間たいしたことではないと頭ではわかっていても------
私の考え方は、中学3年間楽しいことばかりではないけどひとつでも楽しい思い出を作ってもらいたい。色々な出会いもして欲しい。いいことも悪いことも含めて。勉強はやりたい時がくれば歳をとってからでも間に合うと。本人次第だと
A男は今では普通に通っています時々休みますが、それはそれであの子のサインとして受け止めています。
このところ、自分自身が落ち込んでいました、うちは自営業で今の時期
確定申告があってそのことも悩みの一つ、色々考えると落ち込んでいく自分がいて、もがいているのかな。
落ち込んだ話はこれくらいにして
家にも雑種ですが部屋の中に犬がいます。
3年前引越しの3日前に14歳のマルチーズが亡くなりました。子供たちより前からいて、そのあと生き物は飼わないと決めたのですが、B子がどうしてもと言って
獣医さんに頼んでいたら、安楽死4日前(里親が見つからない場合安楽死)今家にいる子ハッピーと出会いました。とても臆病で、散歩のときなどすぐに尻尾下げてしまいます。でもとてもやさし子 撫でていると、癒されるような気がします。ハッピーのおかげでイライラした私の気持ちが、長く続かないようです。


 


No.124
2003年02月13日 23:16
送信者:じぇり < >
表題:ちいさなお客さんが教えてくれたこと

今日、パン屋に来ていた親子の事です。
1歳くらいの男の子が買い物のカートに乗っていました。
「ちょっと待っててね?」
男の子にそういうと、そのお母さんはトレーを持ってパンを選び初めました。
すると、その男の子が泣き出してしまったのです。多分視界からお母さんの姿が消えてしまったからなのでしょう。
その泣き声は、とても悲しそうでした。

何度か「ごめんね〜待っててね〜」と、繰り返しお母さんは言いながら選んだパンをレジのカウンターに持ってきました。
男の子はまだ泣いていました。
「あの子がいるとパンが買えないから、、、」泣いているその子の様子を気にしながら、お母さんはそう私に言いました。そこで、私はつい「あんなにお母さんの事を求めているんですね〜?」と言うと「あっ、そうなんですね〜?」と意外そうな顔をしていました。そして会計を済ませ男の子の所へと戻って行きました。

そんな親子の様子を見ながら、私はふと我が家のこども達の幼い頃を思い出しました。
「こんな、私なのに、、、それでもいいの?」
そう思ってしまうほどに、我が子は私の事を求めてくれていました。(時には「勘弁してよね〜」そう思ってしまう事もありましたけれど・・・?)

我が子が、”こんな私”をあんなに小さな頃から、(生まれた瞬間から?)無条件で受け入れてくれてたんだと言うことを、改めて思い出させてくれた出来事でした。
無条件に自分の事を受け入れてもらえる喜びを味わわせてくれた我が子には本当に感謝です。


No.123
2003年02月13日 11:59
送信者:atuko < >
表題:最近つくづく思うこと

 親の会の世話人をしている木藤です。
「自分を大切に生きる」、「自分の人生の主人公として生きる」。言葉で聞くと誰でもがそうだと納得する言葉だと思うんですが、だけどその言葉が自分にとってはどういうことなのか、本当に自分のものにするには相当に大変なことだと思うんです。でも最近の親の会では、ああ、こういうことなんだなという発言が多くて、本当に皆さんに感動しています。

 私もそうでしたが、若い頃は自分のことだけを考えていれば良かったけれど、結婚を機に一辺にいろんなことを考えなければならなくなって、いろんなしがらみがあり、自分を大事にするというより、まず自分はその中でどうあらねばならないかということを先に考えてしまっている。でもそこに無理があれば絶対に自分の気持を閉じ込めているわけだから、心のどこかで嫌だ嫌だという思いを抱きながら生活していると思うんです。 

 だけど子どもたちの不登校を通じて、今度は自分自身のことを考えるようになって、私はこれでいいの? 本当はどうしたいの? と自問自答していく。そして自分を主張していく。そういう闘いの積み重ねの末に「自分を大切に生きる」「自分の人生の主人公として生きる」ことが出来るんだと皆さんのお話を聞いて最近つくづく思います。そしてそれは自分がそれを選択するかどうかなんじゃないかと思っています。


No.122
2003年02月12日 20:03
送信者:もどり < >
表題:ごめんなさい!

 
 >かつじさんへ
 離婚は大きな問題じゃない、なんて言ってしまってごめんなさい。
 

 離婚しても、お父さんかお母さんかどっちかと一緒に住むことになっても
ちゃんと、両親に会えるってことを子どもに伝えて欲しい。
 子どもは、もう会えないと思うから、離婚しないでって言うしかないの。
 
 
 ゆっぺさんの言葉で気がつきました。
考え足らずで、不用意に言ってごめんなさい。


No.121
2003年02月12日 18:05
送信者:もどり < >
表題:MASAOさんへ

 はじめまして、私も同じ状態で教室へ入れなかったので
気になってみました。

 私は、小5でいかなくなって今21歳です。
 
 私の場合「ナントカちゃんが、もどりちゃんの悪口言ってたよ」
なんて、ほとんど毎日。挨拶のように続いてました。
 別の子の悪口も同じように聞こえてきていました。

 私も、周りと同じように一緒になって言っていましたが
「大人になってから笑い話になる日がくるさ」
 と、自分を励ましていました。
そう思ったのが、小1の時でした。
  
 果てしない気分のまま、5年生のとき教室に入ると足元がふわふわ
してきて、
自分の限界ってここだな、って漠然と思いました。
 
 そんで、勝手に空き教室に隠れてみたりして、ちょっとした大騒ぎになりました。(大騒ぎ)
 もう、自分の教室は怖くて入れませんでした。
 
 私は、学校に通いだした時からずっと考えていました。
 「いつか学校に行かないことを後悔するか?」

 後悔しないと思いました。
 私は生きていくのに学歴は関係ないと思っていました。(今も)  
 なによりも、毎日死にたくてたまりませんでした。

 保健室登校をおざなりにやってみましたが、疲れてやめました。

  お子さんが「誰かが自分の悪口をいってる。」と言うのは
 今までそういう環境に居たんだと思います。
 
 親が「それは嫌だねぇ辛いよねぇ」って言ってくれると
だいぶ気が楽になったなあと思いました。

 なんかまとまりの無いものになってしまってすいません。
でわでわ


No.120
2003年02月12日 16:08
送信者:内沢朋子 < >
表題:もう限界です。

masaoさん。こんにちは。
お子さんが悪い方向にいっているとお考えですか。
学校に行かないことが「悪い」と考えるとそうかもしれませんね。
でも、私達はそうはかんがえません。

それに子どもさんは何年間もかなり学校に行くことに無理を重ねてきました。
行かねばならないと、今ある自分の自然な気持ちや心を殺して
自分をだましつづけてかなり無理してきました。

それが、もうどうにもこうにもからだが動かなくなったのでしょう。
一日も早く自分で自分をだます生活から抜け出してほしいです。
ようやく学校に足がむかなくなって、本当によかったですね。
これから、自分の気持ちに正直に、自分を大切にして
ゆっくりと今までの疲れをいやすために家に大切な居場所を作ってあげてください。

学校に行かなくてどうするの?とか、勉強は? 進学は? 将来はと矢継ぎ早におしよせてくる親御さんの不安はオーラになって子どもの心に突き刺さります。
ただでさえ、子どもが一番不安なときです。

学校に行かないことはなにも問題ありません。
今は、小中あわせて14万人が行っていない時代です。
カウントされていない子どもたちはそれの何十倍ともいわれています。
みんな、問題がありますか?
子育てがおかしかったからですか?
いえ、いえ違います。
嫌なこと、がまんして自分が壊れることに本能的にノーと言える子ども達がたくさん増えてきたということです。
とってもたくましい、すばらしいことなんです。

学校に行くことや、学校の勉強をすることや
そんな現象面にホットするより、
学校に行かない自分はダメだという「自己否定」がどんなにその子を苦しめるか考えていただきたいのです。

げんに、お友達との関係で、ずっと神経を使ってもうすっかり疲れきっていますね。

どうすれば・・・
いまのお子さんの状態を心から無条件に素直に受け入れて
毎日を一緒に楽しく暮らすことです。

ここのサイトをお読みになってください。
体験談もきっとあなたを元気にさせることでしょう。

お母さんが家のなかで暗い顔してたら、
家中がくら〜くなります。

我が家には23歳の娘reiko(HPの管理人)がゆっくりしています。
最近、パン焼機を買ってせっせと作ってくれます。
おかげで、家族中でやきたてのパンを食べて幸せです。
家にはかわいいコナンというシーズ−犬がいます。
夫婦で旅行を楽しむとき、娘に世話をおしつけて旅行を心配しないで楽しみます。
3人と一匹、バトルもくりかえしながら、楽しく暮らしています。
こうでなきゃならないなんて人生はないんです。

毎日を大切にね。


No.119
2003年02月12日 11:20
送信者:masao <deki-6-6@lapis.plala.or.jp >
表題:教室に入れない子の親

はじめまして、どうすればいいのかずっと思い悩んでいました。
毎年体育祭の前になると教室に入れない、----
それから、1.2ヶ月早退・欠席が続きます。
それが今回半年続いています。
昨年末にはだいぶよくなって来ているように見えました。
自分から登校していたので
昨年末、仲のよい子A子ちゃんも教室に入れないとのことで、うちの子が、いるからどこどこに行くとか、始業前に先生に頭に来ること言われたから、家に帰リ、学校中大騒ぎしたり、うちの子も断ればいいのでしょうが
それが出来れば苦労しないと言い、A子ちゃんに誰かがあなたの悪口を言っていたよといわれそのまま鵜呑みにして相手のこと疑ったり、もともと人の悪口をとても気にする子で、遠くで誰かが自分の方を見て何かしゃべっているだけで、とても気になって登校できないときもありました。本人は今はどう転んでもダメだといってます。前は何とかなったことが今はどうしても無理、今は親も、子も我慢のときなのでしょうか?


No.118
2003年02月11日 07:30
送信者:ヒキコモリ < >
表題:医者はホンマにあきまへんね

お初にお目に掛かります。

私は、学校などとっくにアガってしまい(笑)、それでひきこもりになった者です。学校に行ってるときから苦しかった。残念ながら、私が
学校に行ってるあいだは、この会は無かったか、それとも、今ほどメジャー(笑)ではなかったですね。
この体験告白、読ませて頂きました。
http://futokokagoshima.tripod.co.jp/1gatsu.htm#bsan

そもそも、この会では、「自称専門家には頼らない」方針のようですね。その通りですよ。
県内の主な医者、私は大体回りましたよ(笑) ロクなこと、しやしまへん。数人の有名なセンセイもアカンです。
何がアカンかって、患者の病態も把握せずに、クスリを出すんでっせ。腹痛の患者に、胃ガンのクスリを出すようなムチャを、平気でしよりまっせ。
患者・世間に説教する人生論・精神医学論も、どっかの本に書いてあるようなことばっかしです。実際、書いてあるんやけどね(笑)

なぜか関西弁になりましたけど、実は、私は今、あるセンセイに掛かっています。I病院のK先生です。今まで、何人も会いましたけど、まともなのは、
K先生だけでしたね。上の方も、I病院に行かれたようですが、「何も心配いらないよ」と言われたようですね。K先生だったのでしょうか?
宣伝みたいになってしまいますが、鹿児島で、正確に診断できて、きちんと患者に対応できるのは、I病院のK先生だけでしょうね。
(いっけん、そんなに冴える風には見えませんが・・・)
鹿児島で医者に頼るなら、あの先生だけでしょうね。

余談。
不登校問題ですが、学校など、学卒資格を取りに行くだけ。と割り切ってつきあうのがいいでしょうね。学校が勧める部活だの勉強だの文武両道だの、
バカマジメにつきあっても疲れるだけですよ。
スポーツしたけりゃ、カネは掛かるが、学校の外の空手やスイミングにでも行って、マイペースでやった方がいいです。部活で体を壊した人も多いです。
日本の部活は、とにかくムリさせますからね。みんながみんな、体力があるわけではないわけで。
勉強も、エエ参考書は、大きな本屋に沢山あるわけで。皮肉でなく、そっちを見た方がエエですよ。学校の先生が、逆に回りくどく教えていること
もある。極端な話、これまたカネを出せば、エエ塾もあるわけで。探せば、学校なんかより、ずっと良心的な塾もあります。そういうところは、大抵、個人でやってるとこですね。
文武両道も、それで潰れた人も多いんですよ。一部の、乗り越えた連中ばかり、賞賛されますけどね。なかなかああはできませんよ。

学校の先生も教育行政の人も、言われているほど悪い人はおりませんよ。ただ、純粋にわからんのですよ。自分たちは、なんだかんだで、決められたルートの中で生きてきて、なんとか
なってるわけで。理解できないのは仕方ないです。私の友人も、何人も教師になったようやけど(年齢がバレますね)、良くも悪くも、普通の連中ですよ。多くを求めても、ムダですね。
私が親なら、期待しない。だって、本当に、普通の連中やもん。

実際、普通に学校に通っている子どもたちの多くも、無意識のうちに、割り切って息を抜いてますよ。そうでなければ、保ちませんからね。
人間関係と同じで、マジメとフマジメの案配が肝心ですね。私はヘタでした。フマジメでエエ場所でマジメにやって、マジメにせにゃ
ならん場所でフマジメにやってました。クスリやナントカ療法で、この息の抜き方、割り切り方が、身に着くわけ、無いやないですか(笑)
(映画「学校W」をご覧になりましたか? 最後、主人公の不登校少年が、学校に行くようになる。あれは、外の世界で、学校だけじゃない、いろん
な人生を見て、割り切ってつきあう、ことを知ったんだと思いますね。うわべの、学校に行けるようになった。感動した。という話では無いと思う)

この会の様子を、読ませて頂きましたが、ここのアドバイスの方が、そこらの医者・カウンセラー・先生より、ずっと実践的で役に立つと思いますね。
公の人は、どうしても、タテマエを言うてしまいますからね。

何事も、案配が肝心です。って、私が言うまでもないことでしょうけどね(笑)


No.117
2003年02月10日 00:49
送信者:ゆっぺ < >
表題:追加です・・・

ごめんなさい、
「不登校で自分を責めている子ども・・・」という表現は
間違いで、不適当した。

いろいろ考えている間は、じっとしていたい・・・
ということを言いたかったのです。
失礼いたしました。


No.116
2003年02月10日 00:40
送信者:ゆっぺ < >
表題:今となっては、懐かしい・・・

離婚の話が出ていたので・・・掲示板に参加は久しぶりです。
そうですね、離婚というものは子どもがするものじゃなく、
親がするものなので(当たり前か・・)親同士の問題のみですよね。

私は離婚して、もうすこしで10周年記念になりますが、
かじつさんのお話を読んで、懐かしくなってしまいました。
離婚しようか、どうしようか悩んでいた頃は、
毎日毎日子どものことを考えればあーだのこーだの、
子どもに可愛そうだとか、これからどうやって生活しようかとか
ぐるぐる考えてばかりいましたっけ。
そう・・離婚は大きな問題であってもいいんです。
当たり前なんです、だって自分の人生のステップアップにもなるし、
どう転ぶか、ぜんぜんわからない。
だから慎重になったって、悩んだっていいと思います。
時間をたっぷりかけて、自分の心の声をよーく聞く。
その間、苦しんだっていい。部屋にこもったっていい。
・・・なんか、不登校で自分を責めている子どもと似ていますね。
ただ、子どもに向かって、相談するというのは
どういうものかなぁと思いました。
相談されても、子どもは困りますよね。
親同士のこれからの人生のことなのに、
そんな重荷を子どもにしょってもらっても、
子どもは迷惑でしょうね。

私が離婚した時は、我が子は2歳でした。
離婚の原因を話しても、まだ理解できないのはやまやまでと
私が勝手に思っていました。
でもちゃんと我が娘はわかっていたのです。
別居してから数日後、娘は深夜にいきなり泣き出していました。
つまり、小さいながらも親の不安定さと環境の変化を感じていたのです。
その後娘に結果報告でしたが、話をしました。
そうしたら、夜泣きがなくなったのです。

もし、かじつさんが自分の気持ちを決めたのなら、
子どもさんには、きちんと誠実に話をすればいい。
お母さんは、こう思っているからと、きぜんと話をする。
ねーねー、どうしたらいい?なんてのは、やぼです。

そういえば、私が決めた時は、
自分のことが可愛いから、そうしようと決めたことを
ひさびさに思い出しました。



No.115
2003年02月09日 17:11
送信者:もどり < >
表題:かつじさんへ

  離婚ってそんなに大きな問題なんでしょうか?
 
 子どものためとか言っても、離婚するのは夫と妻。
決めるのは、かつじさん夫妻。 
 離れて暮らしても、家族と思ってたら家族だと思います。 
 
 そして、不登校のことは誰か一人でもわかってくれれば、
どの子もみーんな生きていられると思うんです。
 
 わかってくれない人を変えるのは、いつの日も子どもにしかできない気がします。

 離婚も、結婚も生き方を選ぶということは、誰のせいにも出来ないことだと思います。 

 自分で選んだという責任。
 
 なんか、かつじさん自身はどうしたいのか聞こえてこないです。
 うっかり下のだけ読むと、誰か離婚を子どものせいにしたそうにきこえます。
 
 でも、そうじゃない。きっと。

 本当はかつじさんも、疲れちゃったんじゃないですか?
 もっともっと、あなた自身の言葉ではなして。

 そしてこれは、私が漠然と感じたんですが、
子どものせいで、子どものためにって言ってるうちは、どこの家も離婚しないのはなんでだろう?




No.114
2003年02月06日 13:38
送信者:かじつ < >
表題:

内沢さん、ありがとうございます。
鹿児島親の会のみなさんの中には、想像以上にたいへんだった方もおられるのでしょう。たとえ、両親の片方が子供のことを理解しても、片方がどうしても理解できないということはあるんじゃないでしょうか?それで、離婚なんてことになった方もいるんでしょうか?両親ともに理解しても、祖父母、親戚が猛反対だとか…。
先日、不登校の未成年の子が家で喫煙しているのがばれて両親が逮捕されましたね。それもおかしな話です。日本は本当におかしいです。
そう思いませんか?


No.113
2003年02月01日 21:31
送信者:内沢朋子 < >
表題:ふりまわされないで

かじつさん、
いろんな「克服する」会やら本やら接すると混乱してしまいましたね。
そんなときは、わが子をみつめてごらん。
わが子の心の声に耳を傾けてごらん。
わが子が、心から安心して、にっこりすること、それが答えです。

嫌なことをずーっと押し付けられると、
人間誰しも、無意識に自分を守ろうと、いろんな反応します。
かじつさんだって、嫌なことを押し付けられるとイヤでしょう。

かいつさんが不安になるのはわからないでもありませんが、
不安なときこそ「動かない」
これが鉄則です。
あれこれ動いて、ますます不安ばかりが増していきます。

そんなときは、ゆっくりとわが子と一緒に暮らすこと。

まわりの価値観はほとんどが学校に行かないのは「悪」ときめつめています。
学校に行けない自分はだめだと子どもが思ってしまうのも当然でしょう。
そんなとき、「学校に行きたい」と言います。
「行きたい」ではなく、そんな価値観で充満してるんだから、
「行かねばならない」という思いが「行きたい」という言葉になってあらわれます。
その証拠に、行けません。体が無意識のうちに自分を守ろうと防衛反応をおこします。

「明日は行く」といって、でも朝になると行かれないとか、
すると、親は行ってもらいたいものだから、「明日行くって言ったでしょう!」なんていらいらする・・・
そんなくりかえしは悲しい結果をうみますね。

私の子は行くようになった・・そんな学校に行くか行かないかが
問題解決だとしたら、なんと短絡的でしょう。

人の心の傷はもっと深いものです。
心の傷が奥のほうにしまわれて、無理して無理していく子ども達の姿をたくさんみてきました。
そしてその付けを自分の人生をだいなしにすることで、大きな代償をはらっている大人と向き合ってきました。

ここの親の会は、学校にいかせない会ではありません。
エネルギーがすっかり切れて、疲れきった子ども達を、なおも学校に行かせる事で「解決」だと思うおろかな行為だけはしないでとお話しています。

学校に行くか、行かないかは子ども自身が決めることです。
どうか、わが子のまわりでおろおろしないで、
じっと動かないで、わが子を信じてください。

それから、そういう落ち込んだり、あせらせるような集まりには行かないことですね。

なにか自分だけが取り残されるような気がしてあせるんだろうけれど、大丈夫です。
ここのサイトの体験談、いろんなたくさんの文章やビデオやいろんな写真やゆっくり、じっくりのぞいてみてください。


No.112
2003年02月01日 19:56
送信者:かじつ <chako@mc.scn-net.ne.jp >
表題:いろいろとわからなくなるんです

内沢さん、お返事ありがとうございます。ところで、大阪にある『登校拒否を克服した母の会』というのを御存知ですか?私は、不登校関連の本を読んでいくうちにこの会が出している本に合いました。そこには、「子供は本当は学校に行きたがっている」「不登校は犯罪をうむ」などと書かれていて、学校に行かれない子供は悲惨だなどと言っています。そこは子供を学校に復帰させるための母親講座というものをやっていて、始め私もそれに申し込みました。すると今はいっぱいだとか、おたくはもう5年生なので無理だとか言われ、結局自分自身をひどく傷つけてしまったのです。他の本にも不登校は治すモノ、治るモノっていう感じで書いてあるモノが多いですが、「子供は必ず学校に復帰する」と信じて、子供に接していくことは間違っているのでしょうか?今、私の頭の中はたいへん混乱してしまっています。鹿児島の親の会の方々は、お子さんが学校に復帰することはもう考えてないのでしょうか?子供たちは本当は学校に行きたいって思っているのではないでしょうか?
失礼な質問だったらごめんなさい。


No.111
2003年01月31日 22:08
送信者:内沢朋子 < >
表題:10万件突破おめでとう!

「HP作ろうよ」とわが娘玲子から言われて、
なんのことだかさっぱりわからない私。
あれよあれよと出来上がって、それは楽しそうでした。
若者のアイデアがすばらしい!
内容も豊富で、ビデオやラジオの音まで出るんだから、
たいしたもんですね!
後からついていきながら、いや実際ついていけないアナログ人間としては、もうビックリです。
本当にいいものが出来て、全国のみなさんと心を通わせることができて、心から嬉しい気持ちでいっぱい!
みなさん、ありがとう!

かじつさん、HPのぞいてくれてありがとうございます。
かじつさんがこのHPで元気になってくださることはなによりうれしいです。
私達の親の会は、わが子の不登校やひきこもりを相談する会というより、実は親の生き方、人生を学ぶ会だということが、
参加するにつれ次第にきがつくんですね。
「そうなんだ、私の(親)生き様が問われているんだ・・・」
そうなると、シメタ!なんです。
わが子から、学校に行きたくない、もっと自分を大事にしたいよ、と問題提起されたんですね。

「お母さんももっと自分を大事にしてよ」ってね。
だって、わが子には学校行かなくていいよ。もっと自分をだいじにねって言ってるのに、
肝心の親が自分をだいじにしてなければ、決して子どもは心から納得しませんものね。

かじつさんは、もっと自分の生き方をだいじにされてはどうでしょうか。
せっかく、子どもさんが命がけで教えてくれたんだもの。
(命がけはおおげさじゃない。まわりが行ってるのに自分だけ行かないということは、とってもだいじ。
世間体や周りの評価なんて気にしてはダメと教えてるでしょ)

かじつさんは夫を愛しておいでですか。
子どもとは離れて、二人だけの問題で考えたときに、
心から私は夫を愛していると。

離婚は自分の問題であって、子どもとは切り離して考えたほうがいいんじゃないかな。
かじつさんのことは詳しくわからないけど、
親の会で、子どもが不登校になって、
今まで不思議に思わなかったんだけど、やっと、自分をもっと大切にしていいんだと、夫の支配的な態度で言いたいことも言えなかったんだと気がついたという方は何人もいます。
お母さんがこうやって学習するうちに、強くなってきたんですね。

自分が幸せになること、
自分がしあわせにならずして、他を幸せになんか出来ません。
そのことを教えてくれたわが子に感謝して、
日々に生活で、私は幸せだっただろうか?
言いたいことを言えて、のびのびと否定されないで
毎日を送っているだろうか・・・と、
考えてみられたらいいですね。
おのずと答えがみつかるでしょう。

いつもいつも自分の問題として考えること、
離婚していいか悪いかなんて、それは自分しか分からないことだものね。



No.110
2003年01月30日 20:45
送信者:かじつ <chako@mc.scn-net.ne.jp >
表題:不登校児の親です

こんにちは。
鹿児島にはこのような親の会があってとてもうらやましいです。
私もこのホームページを見て、ずいぶんとなぐさめられました。
今、うちの小学校5年生の男の子が家にいます。悩みは父親の理解がないということ。もともと頑固者で子供にがみがみと言う人だったのですが。離婚を考えていますが、子供はいやだと言います。やはり、離婚はしない方がいいのでしょうか?かと言って、主人を変えるなんて、地球をひっくりかえすより難しいんです。どなたかアドバイスをお願いします。あと、母親だけでも子供の気持ちをわかってあげられれば、救われるのでしょうか?


No.109
2003年01月30日 15:55
送信者:おかあ < >
表題:元気です

久しぶりに掲示板参加です。仕事などが重なりここ数ヶ月、会に参加できていませんが、すこぶる元気です。というのも会に参加していらっしゃる方で「このごろ、見ないけど元気なのかしら・・」という声が家に届いた次第で掲示板に書き込みしました。長男(10)も次男(7)も毎日好きなことをのびのびとやっています。すっかり落着いて超いい感じです。今年の正月に主人が「今年の目標は?」と、がらにもなく聞いてきたとき、長男はすかさず「家でゆっくり過ごす!」と宣言してました。家族みんなで「それ、いいねー!」と同感。こんな感じの我が家、ご心配なく。
ただ3学期が終わり、新学期がはじまると担任が替わったりして面倒なことがありそうな気がして・・。まだまだ登校拒否初心者(10ヶ月)ですので、そんなときはまた相談にのってくださいませ。それではまた*


No.107
2003年01月25日 11:36
送信者:内沢朋子 < >
表題:新年会楽しかったね。

19日鹿児島の親の会の新年会でした。
とっても楽しくて、そして感動的でした。(いつも親の会は感動的なんだけどね・・・)

翌日、私はすぐ旅行にでました。
私の兄の妻,義姉が12月8日自転車で横断歩道をわたっていたところを交通事故にあい、以来意識不明の状態になってしまいました。
いままで、元気に話をしていたのに、突然その人の人生が奪われ、
家族も大切な人を失ったのです。
とくに、夫婦仲がとってもよかったこともあって、兄の苦痛は想像以上でした。
そんなことで、ますます、毎日が大事、「今」を大切に生きることの大切さをかみしめた数日間でした。

19日の新年会からもう一週間になろうとしているんだけど、
reikoがとりこんでくれた写真を見ながら、また感激をあらたにしています。
参加されたかたから幸せなメールやFAXをいただいたり、今朝、内園ゆきちゃんから記録集とおってもよかったね!と
電話をいただいたことも、うれしさに拍車をかけたのです。

「業界では鬼の山口と言われている」りょうちゃんが涙ぐんだり、
「今では親の会を毎月の日程に入れないとおちつかなくなった」と
福岡から親子4人で参加。正確には、親子3人と一緒に仲良く住んでいる16歳の息子さんの彼女。かわいくて、ほのぼのとしてて、若者をちゃんとうけとめているご両親の信頼がすてきでした。
村方美智子さんは、「(いじめで自殺した)勝己のおかげで強く生きていけるようになりました。」と話してくれました。

みなさんのお話に共通しているのは、なにより自分を大切に、自分の人生の主人公として生きていこうと・・・。強くなられたなあと、
そして、我子にたいする限りない愛情が感じられました。
最後に、家でゆっくりしているわが娘玲子が「社会に出て不安のない人生と、不安をかかえた人生とどっちを選ぶかというと、
やっぱり私は後者をえらぶとおもう。
私は、そのおかげでいっぱい生きることを学べたから・・・」

ほんと、そうだよね。
親の会は自分の人生を学ぶ会なんだよね。
はじめはわが子をどうにかしようとくるんだけど、次第に、これは自分の生き方の問題だって気づかされるんだよね。

最後に、鹿児島のテーマソングになった「なあつがすぎ、らららららー」(題名忘れた)を歌って、みんな感動して涙ぐんだり・・・


記録集の反響とってもいいです!
HPをみて、注文されるかたがたくさんで本当に感謝しています。
作成に半年かけて、ていねいに作りました。
「いっきに読みました。全編に真心とやさしさがあふれていて、
どこから読んでも読み応えがあるね・・」内園さんのうれしい感想です。

いま、命の大切さと静かな感動にひたっています。


No.105
2003年01月20日 11:14
送信者:内園ママ < >
表題:

昨日の新年会は とても楽しくたくさんのエネルギーを頂きました。 「不登校は希望がいっぱい!」は表紙をはじめこの本全体から 夏合宿に全国から参加された方々の思いや願いや決意が ステキな写真とともに満載でした。そして編集に携わってくださった方々のやさしさが伝わってきました。  夏合宿で味わった感動をまた噛み締めています。ありがとう!・です。


なおぶーちゃん じぇりちゃんお元気してますか?                    お顔が見たかった内園ママでした             


No.104
2003年01月03日 19:34
送信者:じぇり < >
表題:今日は今日

12月に入ると、「クリスマスのケーキはどうする?」とか、「お正月の用意はどうする?」とかの話が、チャットルームでも聞かれ?ました。
そんな中、他の人と同じように質問されて、返事が違ってるのが私でした。
「ケーキは食べたい時に食べる」「お正月の用意は何もしない」

確かに我が家でも、クリスマスにはツリーを飾り、こどもたちにプレゼントを用意しケーキを食べ、お正月にはそれらしい?過ごし方を長い間してきてはいたのですが、何故こうなってしまったのか・・?

こどもたちが不登校になって3年半、ここに引っ越してきて3年近くが過ぎ、それまでの暮らしとは違い、学校や、地域等の「世間?」と無理に関わりを持つ必要がほとんど無くなりました。(便利な街の中に住んでいますが、隣近所ともただ挨拶を交わす程度のつき合いです)
つまり、私達家族の暮らしに知らないうちに?介入してくる存在がなくなったのです。(他人の人生の邪魔をしてると言う自覚のない、善意の押し売りをするような人はいないという事です)

そういう暮らしをしていると、何故か自然に「世間」がクリスマスだの正月だのと大騒ぎ?していても、「だからそれがどうしたの?」という感じで、「その事で、我が家の日々の暮らしが影響を受ける事は何もないな〜」という気持ちになってしまっていたのです。
今日が世間でいう所のどういう日なのか?それに従って生活する、そのことの必要性を感じることは今のところ有りません。

そんなことを考えていて、ふと思ったのが「それって学校に似てる!」っていう事です。
どういう事なのかと言うと、学校では1日の時間割が決まっていて、1時間目が「音楽」だとすると、歌を歌いたい気分でなくても一斉にみんなで歌を歌います。歌いたい気持ちがあって歌うのではなくて、「〜をする時間だから」という事が前提にあって、それに全員が従う。(従っているという意識すら無いのかもしれませんが)とても、辛い思いを抱えていて、歌を歌いたい気分じゃなくても、そんなことは関係ないし、歌いたい曲を選択する自由すらありません。ただ、決められた通りにその時間を過ごすのです。(指示してる教師もなぜ今それをさせるのか自分で考えた事ではないので他人が決めたカリキュラムをこなしているだけ、、、と言う、何ともお粗末なものなのですけれど)そして、時間が来れば、そこでおしまい。10分の休みのあと、次の授業へと移ります。もちろんみんな一斉に・・・・。

そのように、誰かが決めた事をみんなで一緒にする事が好きな人はそうすればいいと思います。でも、私はそういう事は「嫌」だと感じるようになってしまったのです。っていうか、ただ、普段通りの生活をしてるだけで、ケーキを食べないことを選択したわけでも、正月をしないことを選択したわけでもないのですが・・・。

特に何を意識するでもなく、家族5人が我が家でのんびり暮らしていただけ、、、そんな風に思っていましたが、気がついてみると自分の心の中にこんな変化があった事に驚いた私でした。(もちろんなおぶーも同じように感じていたようでしたけれど)

今日は年も明けて(そういう風に意識しすることも無いのですが)1月3日
「あけましておめでとうございます」の挨拶がチャットルームでも聞かれますが、どうしてもその挨拶が出来ない私でありました。(このおしゃべりな私が、その一言が言えないなんて・・・ )みなさんすみません。


No.103
2003年01月02日 22:59
送信者:理心 < >
表題:じぇりちゃんえ。

明日のことはまだ分からないので、明日書いとくね。

えびいちさん:伝言板の方でした、、書けなかったのは。。


No.102
2003年01月02日 22:23
送信者:えびいち < >
表題:テスト


No.101
2002年12月28日 04:05
送信者:aiko < >
表題:感謝・・・

ここのHpにきて、6ヶ月くらいなのですが、本当に色々ありました。そのなかで皆さんとお話できて、自分の中での心境の変化や、モノの見方の変化は自分でも驚くほどでした。そして、その中から見つけたのは
”自分で選択する”ということでした。今までの、受身的ないき方をふりかえってみると、やはり自分が自分自身にやっと戻ったんだなぁと、今では思っています。


No.100
2002年12月23日 23:54
送信者:内沢朋子 < >
表題:生きる

登校拒否を考える夏の全国合宿が7月28、29日に終わり、
やっと、報告集作成が終わり、
印刷にまわしました。
年が明けて、1月15日に完成予定。
1月19日に親の会の新年会と出版お祝い会を一緒にします。
イイ本です。一冊千円です。是非みなさん買ってくださいね。
この本を作るのに、スタッフ一同とっても大変でしたが、
新しい発見や、感動を再び味わえて、たのしかったです。

話は違いますが(でも関係あるの。だって、不登校や閉じこもりの話って
命の大切さの話でしょ。だから)
私の身内に悲しい出来事がありました。
12月10日のじぇりちゃんのかきこみ、「生きてるだけで立派な私たち」も
タイムリーでした。
その2日前、私の兄の妻が、突然の交通事故で(そうか・・・
だいたい、交通事故は思いがけないよね)
それ以来、意識不明です。
もう、15日たっているのに、・・・
医者はもう意識が回復しないと言っているそう。

兄夫婦はとっても仲が良くて、もちろんいろいろあったでしょうけど、
38年間の結婚生活は幸せそのものでした。
だから、兄の悲しみはとっても深いものです。

その兄とメール交換しています。
今日のメールです。
「・・・私のこれからの一生は、妻のために費やそうとおもいます。
38年間のお礼です。」
そして、「見舞うことに喜びを覚える努力をしていきたいです。・・・」とありました。

夫婦の愛情の深さにふれて、とても感動しているんです。
もちろん大変な状況です。
でも、長い間つちかってきた愛情はこんなにも深いものなんだと
そう思えるのです。
どんなときでも、喜びを覚えるとは、こんな悲しいときでも言える大事な
言葉なんだなあと、そのことを教えられています。

12月の親の会で、村方さんが妻にたいする深い愛情を披瀝しました。
そのときも「こんなふうに思えるようになったのは
(いじめで自殺した)勝己が私たちに教えてくれたこと」と言われました。

困ったときが絶好のチャンス。と親の会で言ってきました。
我子が不登校になったとき、暴力で訴えたとき、
このときこそ、家族が真剣にむきあうチャンスです。

なぜなら、家族の愛情に代わるものは、この世の中になにもないのですから。

兄は今の状況に耐えながら、なお、ふりそそぐ愛で困難を乗り切ろうとしています。

愛は無条件であること、
生きることは無条件ですばらしいこと、

そのことを大事にしたいとおもいます。


No.99
2002年12月15日 11:11
送信者:reiko < >
表題:今日の出来事

今日の出来事は、ほんとは今日は例会の日なので終わってから書こうと思ったけど、行く前に書いてもいいかなと思ったので書いてみまそう。


今日は、コジマ電機に行きました。
デジカメを買いに行きました。
私は、いつもインターネットで一番安い値段をあらかじめ探すようにしてるんですが、今回のデジカメの一番安い値段は、
http://www.kakaku.com で、\48,800 でした。


それで、コジマ電機に行ったときは、値段表示が58,800円と書いてたところを、48,000円にしてほしいと頼んでみました。
あっさり、OKだったので、ついでに47,000円にしてほしいとまた頼んでみました。
約2分の説得の後、おにいちゃんは47,000円にしてくれました。

とってもうれしい気分で買い物を終えた後、どうせだったら、45,000円にしてほしいと言えばよかったかしらんなどど思ってもみました。 

つまり、私の言いたかったことは、ネットで一番安い価格以下に、コジマ電機は安くする可能性が十分あった!ということです。
私はコジマ電機の広告塔ではないです〜
ただ、ちょっぷり感動したから書いたの(^^)。。。

今日は満足の日でした。(まだ終わってないか?!
さあさあ!例会がもちっとで始まるぞ!
行けない人も、ビデオを配信するから、楽しみに待っててね!


れいこ


No.97
2002年12月09日 06:46
送信者:tankyusha < >
表題:理解する心

今日よもぎでえみこさん、みいさん、なみさんとお話をしている時にふと理心さんの名前が浮かんだんです。理心さんの名前・・『理解する心』っていう意味なんじゃないのかなって思ったんです(違ってたらごめんね)。
不登校の子は自分が学校に行っていないつらい気持ちを背負いながら部屋の中でもお風呂に入っている時も食事をしている時にも布団に入っている時にも学校という言葉が頭を離れずに苦しんでいるんだと思うんです。不登校の子はよくカウンセラーのところに行って自分の気持ちを聞いてもらうらしいんですが、カウンセラーの目的というのはその子を学校に戻すことで、最終的にはその子を裏切ってしまうんじゃないのかなって・・それでその子が傷ついてしまったらますます心を閉じてしまう気がします。そう考えると、カウンセラーは『学校に戻すために話を聞いている』のであってその子の気持ちを本当に理解しようとしているわけではないんじゃないでしょうか。

その子が求めているのはそういった目的を持っている人ではなくて本当にその子の気持ちを理解しようとする人なんじゃないのかなって、その気持ちを100%理解するのは無理かもしれないけれど、たとえ少しでもその子の苦しむ気持ち、学校に行けない気持ちをわかろうと思う人・・・その子が安心して心の中を話せる・・そういう人なんじゃないかと思いました。

↑理心さんの名前はこういう意味を含んでいるのかな(違ってたら本当にごめんね)


No.96
2002年12月07日 09:26
送信者:内沢朋子 < >
表題:家族が一番!

じぇりちゃんのカキコよかったですよお!

私たちも一週間の旅行から帰ってきました。
旅行もエキサイテングの連続だったけれど、
深夜家に帰ると、玲子と愛犬コナンが待っていてくれました。
玲子はコナンの世話と、私たちの寝具をすべて洗っていました。
おかげで清潔なふとんにまるまって眠れたよ。

夜中に、みんなで写してきたビデオをみて、あーでもない、
こーでもないと興奮して、せまい部屋中、ちらかし放題にして
幸せを「たんのう」しました。

旅行に出発する朝、
玲子は朝からたっぷりの朝ご飯を作ってくれて、ありがたいね。
にんにくもたっぷり入っていて、朝から大変だったけどね。

いっしょに住む家族がいる、
あたたかくよりそって、それ以上何も望むものはありません。
心から愛し合える家族が一番! だよね。



No.90
2002年11月28日 20:13
送信者:悠稀 < >
表題:思うこと。

私は、現在高校二年生の勉強をしない頭の悪い高校生です。登校拒否で一番苦しいのは、親ではなく子供自身です。
私の母は、私の心配ではなく世間体への心配ばかりをしていました。
それも、私の登校拒否の理由になりました。一番、理解して欲しかったのに。今は、喧嘩の果てに理解しあっています。私の場合は、クラスの女の子や喧嘩友達の力、それに担任の先生のお力添えをうけ、学校には行くようになりました。これが、自分の意志なのか周りの期待に応えたいだけなのか今は、はっきりしません。登校拒否をする子供はすごく苦しんでいるんです。言葉では、説明できない不安や焦りが次から次から溢れてくるんです。だから、お父さん、お母さん、見守ってください。
「何も出来ない」「どうしようもない」ではなく、「無理に学校なんて行かなくていい」と一言、言って上げて下さい。それだけでも、子供は少し心が軽くなるのです。しかし、その反面自分で自分を追い込むでしょう。だから、変に気をうかがわず会話をしてあげてください。普段の何事もない事を話題にして。


No.89
2002年11月27日 20:50
送信者:内沢朋子 < >
表題:しあわせは今ここに

このHPの管理人のreikoは、いま、ゆっくりと家にいます。
我が家は、3人と愛犬コナンの家族。
もうひとり、いま26歳の息子は18歳で家を出て独立してしまいました。
ほんとは、4人で住みたいんだけど、そうはいきませんよね。

さて、息子はおいて、
我が家は、3人とコナンでとっても幸せな毎日を送っています。
夫のたっちゃんは働いていますが、あとはゆっくり、のんびり。
(私はあんまりゆっくりではないけど・・・)
毎日、しあわせだなあと感動しています。
だから、あっというまに、日は暮れて、あっというまに朝がきて、
あっというまに、私はもう、57歳にもなってしまいました。

ほんとに、毎日はあっというまです。
毎日、つらいな、不安だなと、我子のあるがままを受け入れないで
気持ちがつらいのも一日。
そうだよな、この子の生き方を受け入れよう、将来のことくよくよしたって始まらないと、
にっこりするのも一日。
同じ一日なら、にっこりコースのほうがいいに決まっています。

すると、不思議なんです。
幸せがやってくるんです。
なあんだ、お母さんは安心してんのか、
大丈夫なのかな、と自己否定して苦しんでいた子が
ゆっくりと自分を受け入れるようになります。
しあわせは、自分で作るもの、
しあわせは、今、ここにある、んです。

明日から、ともちゃんとたっちゃんは夫婦で、
オーストラリアに遊びに行きます。
7泊8日、若者にまじって、少しくたびれた私たちが
一日ラフテングに挑戦です。
これも、reikoが家にいるからできること、
コナンのお世話をしてくれるからね。

そういえば、3人不登校のUさんと3人の子どもたちに
きのう、会いました。
元気な子どもたちを引き連れて、
「今から、ハリ・ポッター見にいくの」とうれしそう。
いま、人気の映画もウィークデイに行けば、座ってみれるというもの。

鹿児島の親の会あてにこんなメールがありました。

「そちらのHPは明るくて、とてもうれしいです。
揺るぎない信念と、人に対する思いやり、優しさを感じています。
これからもお邪魔させていただきます。」

うれしい、うれしいメールです。
ゆるぎない信念もって13年。
あっというまでした。
これからも明るく、どっしりと、信念まげず、楽しく生きていく私です。


No.88
2002年11月25日 10:10
送信者:しあわせさがし < >
表題:明るい気持ちに

はじめまして
なかなか明るい気持ちになれないでいます。
本人が行きたくても行けない状態で苦しんでいる。
でも親は何も出来ない。
同じようにテレビを見ていても、違うんですね。
少し離れた方がいいことはわかってるんですが。


No.86
2002年11月24日 13:59
送信者:あすか < >
表題:下手な文章ですが。…

はじめまして!初めてここへきました(@.@)私は現在高校三年生でもうすぐ無事高校を卒業することができます!。。。こんな私も中学二年から三年の間ほとんど学校にいけず。。。というか教室にいけず、保健室登校というものをしてました。中一で転校をして、最初のうちこそうちとけようと努力をしたものの、学校になじめず「いきたくない!!」とばかりおもうようになりました。毎日友達もいない学校にいくのはとても苦痛で、ついには体の不調まで感じるようになっていき私は学校に行きたくないいっしんで自分の部屋に閉じこもるようになりました。。。って全部かいたら長くなりすぎるのでこのへんでやめておきます(+.+;)とにかく、私が学校にいかなかったため何度も親に見捨てられ、「あんたなんかうななければよかった」といって首をしめられ自分でも手首を切ったり体を痛みつけたりわざと階段からおちてみたりと今考えるととんでもないようなことを繰り返してきました。そのときは私の人生こんなものか、と思い失望し生きる希望もうしなっていたのですが、、、今、毎日がとても楽しいんです!!それは、あの時苦しんでいたからささいなことでも楽しいのかもしれないし、私にとっては(今になっていえることだけど)逆にいい方向に進めたきがするのです*なぜかというと私は運がよかったのかもしれませんが、保健室に通っていたため出席日数がギリギリたりて、無事高校に進学することができ、自分の夢中になれるものを見つけることができたんです!!私が普通に学校にいけていたらこの高校には絶対きていなかったと思うし、、、学校にいけなくなることって何かいい意味がある気がするんです。それを、学校に行くという形じゃなくても、乗り越えることができたとき学校に行っていたら得られなかった、というものを何か得るはずです!!絶対に!!


No.85
2002年11月22日 14:55
送信者:reiko < >
表題:お知らせ〜ビデオが見れない方へ〜


この度、もんちゃん先生のお力により、ビデオが見れないという方のために、下記の項目をチェックしたらどうかということでHPにUPしました。


1.WindowsMediaPlayerは持っていますか?
持っていない方はこちらでダウンロードしてください。
http://www.microsoft.com/japan/windows/windowsmedia/download/

2.インターネットエクスプローラのセキュリティ設定の中の
「ActiveXコントロールとプラグインの実行」の項目が「無効にする」になっていませんか?

(確認方法:ブラウザのツールを開き、インターネットオプション → セキュリティ → レベルのカスタマイズ → ActiveXコントロールとプラグインの実行が有効になっているにチェックが入っているか確認。入っていなかったら、チェックを入れ、OKボタンを押し閉じる。)


3.サーバーが混んでいるときは表示されない場合があります。
 サーバーが混んでいる時は表示されないことがあるので、時間帯を変えて試してみて下さい。

 


o.84
2002年11月19日 21:56
送信者:内沢朋子 < >
表題:一番わかって欲しいのはお母さん

椿さん、
苦しい、辛い気持ちを誰よりもわかって欲しいのは
椿さんのお母さんですね。
きっとお母さんにわかってもらって、そうすると、
椿さんが安心するんだよね。

お母さんは椿さんにそう言ったけれども、
きっと、どうしたらいいだろうかと悩んでいらっしゃると思うよ。

ここのHPを見てくださるといいね。
椿さんも余裕なくなって、お母さんにきつく言ったと思うし、
お母さんもそれならと椿さんにきつい言葉をなげたのかもしれないね。
本当は、やさしい言葉で伝え合いたいのに、
それができなくなってしまって、ふたりとも悲しいおもいをしたんだとおもう。

そのことで椿さんもお母さんもよけいに傷ついてしまったのかも。

自分の気持ちをわかってくれる人がひとりもいないと悲しくなってしまったんだね。
あなたは1つも悪くないんです。
むしろ、ちゃんと学校に行きたくないと表現できてりっぱだとおもう。

お母さんにお願いして、きっとお母さんもどうしてよいかとおもっておられるから、
読んでもらってください。
必ず、必ずお母さんはあなたの気持ちをわかってくれて、
なにより、一番の味方になってくださるとおもいます。

私たちの親の会では、はじめは戸惑ったお父さん、お母さんも
いつかは、子どもの気持ちがわかって、
我が子の一番の味方になっていますよ。

自分の気持ちを一番大事にね。
自分を一番大切にしてください。


No.83
2002年11月19日 19:51
送信者:reiko < >
表題:学校に行かないことは何1つ問題じゃない

 こんばんわ 椿さん 
 ここの管理人で23才のれいこと申します。よろしく^^
 
 椿さんが、いろいろなことでとっても今苦しんでいるというのが文面から伝わってきました。
 とっても疲れきって、何より心がすごく疲れているのに、学校に行けといわれてもいけないぐらい、力なんてどこにも残ってないよね。
 
 お父さんとお母さん、担任は、椿さんが今現在とても心も体も疲れきっていて学校どころじゃないっていうのに気がついてないんだよね。
 学校に行くのがあたりまえ、行かないのがおかしい、病気って考えてるから、自分の子どもが目の前で苦しんでいるのがわからなくなってるんだよね。

 担任、両親に学校に行きなさいといわれても、椿さん、一日も学校に行かなくていいんだよ。
 学校に行かなくても、卒業できるし、将来の事は将来になってから考えても全然遅くないんだよね。
 でも、今一番、考えてあげないといけないのは、心がぼろぼろに疲れきっている自分自身だよね。
 
 ここのHPにも書いてあるけど、将来の今を考えて、今、この時を犠牲にしてないだろうか、 今を犠牲にするということは、将来の今をも犠牲にしてることなんだよね。

 椿さんが今一番必要なのは、とっても疲れきっている椿さん自身をゆっくり、ゆっくり休ませてあげること。
 不登校自体には、何一つ問題はないのね。
 
 お父さんとお母さんにここのHPを読んでもらえるようにしたらどうかな?
 とにかく椿さん、もう無理しちゃだめよ。
 十分今まで無理してきたんだね。一人で、がんばってきたんだものね。もう十分。きちんと、休むこと。
 
 不登校、引きこもりもだけど、それ自体には何一つ問題はないし、病気でもなんでもないのね。
 だけど、心が疲れきって、訴えてるんだよね。いろいろな形で、もう無理させないでって訴えているんだよね。

 れいこ


No.82
2002年11月19日 18:35
送信者:椿 <camellia_princessjp@yahoo.co.jp >
表題:助けて欲しいです

こんばんは。私は登校拒否している本人です。
本当は相談掲示板にやるべきなんですが、
誰も投稿していらっしゃらないので・・・。
私は今いろんなことで登校拒否しています。
でも担任、父親、母親みんな、「学校へ行け」って言って、
私の気持ちは分かってはくれません。
私は、「落ち着いて、ゆっくり考えなさい」
っていって欲しいのに。
そんなことで母親と喧嘩をして、「もうあんたの心配なんか二度としない。勝手にして」って言われました。
私はもう、誰に頼っていいのか、わからなく、
頭の中が混乱してきてます。
誰かアドバイスをください。
すごく悩んでいて、もう死のうかとも思いました。
一応病院の方にも相談のメールを送ったのですが。。。
誰か、助けてください。


No.81
2002年11月17日 02:05
送信者:reiko < >
表題:=お知らせ=

こんばんわ
あなたの自己紹介コーナーがなぜか開けなくなったので、
(またまたなぜかToT)、、、閉じることにしました。
新しく設置することはまだ決めていませんが、
また設置するようなことがあれば、みなさん書いてね(−v−)

れいこ


No.80
2002年11月16日 16:06
送信者:内沢朋子 < >
表題:11月親の会

このHPに10月の親の会の会報から、体験談がアップされています。
お読みになりましたか?
とってもいいですね!

あしたは11月の例会。
ほんとにつきひの流れは早いですね。

親の会は、本当に感動をわかちあうところだなあと、
会報を作りながらしみじみまた、感動をあじわっています。

先月の親の会は
親のありかた、夫婦のありかたが話題の中心でした。
せっかく、我が子が不登校して
自分らしく生きていいんだよ、
まわりに気兼ねしないで、
自分の人生の主人公で生きていきなよ、と
教えてくれている、
そういう我が子に、そういう生き方を受け入れていくようになった
親が、実は、周りのしがらみのなかで生きていないだろうか、
親自身も、自己肯定の行き方を我が子に見せよう、
という話題でした。

ずっと、夫のわがままに結婚いらいがまんし続けて、
不登校した息子から、「これからは自分を大事に生きて」と言われたお母さんの話は感動でした。

不登校のおかげで、山あり谷ありの荒波をかいくぐって、
いっそう信頼関係をました夫婦の話もよかった!

つくづく、不登校は親の問題なんだなあと教えられました。

ついでに、わが夫婦もずいぶんといっそう(?)仲良しになりました。おかげさまです。

肩の力がすっかり抜けて、ふにゃふにゃです。
いつしか、お父さん、お母さんという呼び名は捨てて、

「たっちゃん、ともちゃん」と呼び合って、
管理人のreikoからは、まだ呼ばれていないけれど、
3人で一緒に楽しい毎日を送っています。
(おっと、かわいい愛犬コナンも一緒!)

相手をそう呼び合うと、不思議に心が解放されて、
ちょっとした相手の不愉快なことも、全部、たいしたことじゃない
と、思えるようになってくるから不思議です。

肩書きのない暮らし、毎日味わっています!


No.79
2002年11月16日 02:29
送信者:reiko < >
表題:〜お知らせ〜

こんばんわ
寒くて手足のさきっぽが冷え冷えになってる今日このごろですね。


不登校関連相談掲示板がなぜか入れないとあいみ様から教えてもら
い、入れないので(なぜかToT) なので、新しい不登校関連相談掲示板を設置してみました。


後、リンク集に個の会さんのHPを新しく追加させていただきました。(^0^)/
最近あんまし更新してなかった親の会HPですが、昨夜(ようやく?!)きらっと一言を更新しました。


さあさあ、今週の日曜日は親の会です。
一ヶ月なんてあっという間ですなあ〜〜〜〜
しみじみ・・・


れいこ


No.78
2002年11月01日 04:24
送信者:ちょびヒゲ < >
表題:つれづれなるままに…

今日は久しぶりにここへ来ました〜。いやぁ…懐かしい。
最近は自分のペースを保てるようになり、適当に外に出たり、
家でボーっとしたりしています。
そんな毎日の中でふと、幸せだなぁーって思うんです。
家で何にもしてないから楽で幸せ!とかではなくて、自分らしく
いられるから。
私は、「私が学校に合わなかった」というより「学校が私に合わ
なかった」のだろうと今では思います。(あんまり違わないかな?)
人生には私が想像もできないほどたくさんの道があって、どれが
正しくてどれが間違ってるかなんて人間には分からないし、きっと
無いんじゃないでしょうか。
だから、学校に辞めたことだって私にとっては必要だったこと。
自分のことを自分の道を愛してあげる為には、必要だったこと。
学校自体を全否定するつもりはありません。けれど、人それぞれ
色んな形があってもいいと思うんです。
私は辛い時、どうしようもない時こう自分に言い聞かせます。
暗いトンネルはずぅーっと続くものじゃない。だけど頑張れば
早く抜けれるというわけでもない。きっと神様が導いて下さるって。
運命論かな?まぁ、私はそう思う!っていうだけの話です。
長々と書いてすいません。それでは♪


No.77
2002年10月31日 02:22
送信者:じぇり < >
表題:親ばか三昧の楽しい日々・・・・・(今日の出来事?)

最近次男は古本屋に通うのが日課になっています。
「じぇり〜ブックオフに送って〜」
毎日のように私に言います。私は自分が無理をせず可能な範囲で送迎を?しています。(決して無理はしません)
今日は、私のパートが午後からだったので、息子は午前中に行くと言って、10時過ぎに送っていきました。

すると、途中で小学生の一団が歩いているのが見えるではありませんか・・?先頭を担任らしき人が歩いて・・その後ろからとぼとぼと?歩いていく子どもたち・・・。
「ほら、小学生が歩いているよ・・」私がそういうと「行きたくもないのに無理矢理行かされて・・・かわいそうだね〜」と、一言。
私は思わず息子の言葉に納得してしまいました。(なんと賢い、私が産んだ息子よ!)

もう通い始めて、2週間くらいになるでしょうか?ほとんど毎日欠かさず通い詰めです・・・。その間に、いろんな出来事がありました。

初日だったでしょうか?私が送っていったのですが、都合が悪かったので迎えを夫に頼みました。ところが、夫は気がついたら眠ってしまっていた?らしく、約束の時間を1時間以上オーバーしてしまったのです。(どうしても見たいテレビ番組があった息子は、時間もしっかり決めて約束してあったのにです。)
目が覚めて慌てて迎えに行った夫でしたが・・・息子はそういう夫を責めることもなく、黙って涙を流していたそうです。(なんと優しい、私が産んだ息子よ!)

その日以来、息子は夫の迎えをかたくなに拒否しました。どうしても「嫌」その言葉以外出てきません。
おかげで?私への信頼が一気に?高まりました。(何が幸いするか解りませんね〜?)

その他にも、古本屋へ通う息子とのいろいろなやりとりのなかで、私は新たな幸せを味わわせてもらっています。

今日という日をどうやって過ごすのか?それはやっぱり自分がしたいことをして過ごす・・・私はそういう生活がいいな〜とつくづく思いました。「今」このときはもう戻って来ないのだから・・・。

そう言えば・・・
今朝は、私も9時過ぎまで寝ていました。隣で寝ていて先に目を覚ました息子がそっと私のそばに寄ってきました。(なんという幸せ!)・・私が産んだ!可愛い息子です。


No.76
2002年10月25日 01:08
送信者:じぇり < >
表題:どうして・・・?どうしてって思うの・・・?どうして・・・?

出産後病院で過ごしていた1週間、我が子の状況に関係なく、3時間おきに授乳の時間が決まっていて、我が子のペースと合わなかった私はそのとき、「何でこの子は寝ていて起きてくれないんだ、他の赤ちゃんは起きてチャントおっぱいを飲んでいるのに・・」そう思っていました。

 我が家の3人の子供達、不登校の生活も4年目。と言っても、「不登校」そういうことさえ意識することもなく、うちでのんびり過ごしていると言った方がいいのかも知れませんが・・・。のんびり暮らしてていいの?という声がどこからか聞こえて来そうな気がしますけれど・・?

 よく「規則正しい生活」そういうことが言われます。「規則」とか「正しい」とかいう言葉・・・なんかうさんくささを感じます。(「愛」がないからわざわざつけてる「愛の鞭」と何か似てる?似てないか?)
子どもが小さい頃の事です。「どうしてこの子は寝ないんだろう?」それは眠くないからに決まっています。「どうしてこの子は食べないんだろう」それは食べたく無いからに決まっています。「どうしてこの子はしゃべらないんだろう」しゃべりたく無いからに決まっています・・・全て、「どうして?」と悩むほどの事ではなく、「〜したくないから」ただそれだけのこと。機械ではなく人間だから、いつも同じ状態ではないし、体調も気分もその日その時によっていろいろです。それなのに、いつもと違ったり、自分の思っているあるべき姿?と我が子が違っているとすぐ「どうして?」と思ってしまっていました。
その時の「我が子」をそのまんま受け入れれば何も問題はないものの、何か比較するものが自分の中にあると、どうしても我が子が問題のように感じてしまうのです。
授乳の時間に寝ていた我が子のどこが問題か?おかしな話です。でも、「規則正しく」とか時間通りに暮らす事がいいこと?のように思いこまされて暮らしていると、そのまんまの我が子より、時間通りに生活出来ることがいいことのように思ってしまっていたのです。

夏の頃早起きだった次男が、最近遅くまで寝ています。本当は早く起きたいんだけど・・・そう言いながら。でも、そんな息子の寝顔を見ながら、こうしてゆっくり寝れる生活っていいなあとしみじみ思います。
寝たいときに寝て・・・食べたくなったら食べて・・自分の心や身体
と向き合いながら過ごすことのどこに問題が?あるわけありません。

 以前「どうして?病」にかかっていた私もようやく、「自然なこと」として、いろんな出来事を受け止めることが出来るようになりました。
それは、家族5人で暮らす毎日のなかで自分が無理をせず自然に生活すること無しに気付き得なかったことのように思います。
(もちろん毎月、親の会に参加しいろんな方の生き方から、そういう確信を得ていたことも大きかったのですが)

そういえば・・・うちの夫、夜中であろうが早朝であろうが時間に関係なく目が覚めたら起きて・・・・そういう人でした。これまでず〜っと・・・。何時に起きたの?って聞くと、「わからん」と一言。
私は?といえば目が覚めても時計をまず見て・・・適当な時間になるまでひたすら眠る・・・。
これまで、夫が変?だと思っていましたけれど・・・やっぱり私が変?時間に縛られて生きていますね〜。私はまだまだ?


No.75
2002年10月24日 15:50
送信者:なべ < >
表題:ありがとうございました

内沢さん、キャットさん、不登校相談へのご返事ありがとうございました。  
毎朝なかなか目のさめない息子を起こして、今日はどうする?と聞いていて、それは子供にとってとてもつらいことなのかもしれません。行かなくてもいいよと言いながら、私の目は行って欲しいと訴えているのですから。ただ、娘が「家にいても楽しい事など無い、ただ時間を消費しているだけ。」と時々言い、友達とお祭りに行く弟をうらやましそうに見る姿を見ると、息子も学校に行かなくなって、友達と遊べなくなるのは辛いだろうなと思ってしまうのです。これは私の言い訳でしょうか
今日息子がしんどいというので、いいよ、疲れてたら休もう。と言ったのですが、その後にはそして明日は元気に登校しようね。と言う言葉をのみこんでいて・・・一生懸命教えてくださっているのに、物分りが悪くてすみません。子供の心をもっとよく考えてみます。


No.74
2002年10月23日 10:49
送信者:内沢朋子 < >
表題:ビデオを取り込んだ!

このHPに10月の親の会の模様が紹介されています。
それもビデオ。
会の様子が見れる。お話している親たちの表情がわかる。
終わってから、あっちこっちたまってまだ話し足りなくて
話に花が咲いている様子・・・、
親の会は涙あり、笑いあり、ひとりひとりのドラマに感動する。

そんな模様がビデオで取り込めるんなんて
(ほんの一部だけれど)すごいようねえ!
パソコンてすごいんだ!と感動する私は機械オンチなのです。

編集したのは管理人のreiko.
「参加してとっても感動したから、その感動を参加しなかった
方にもわけたいね」と気持ちを素直にあらわします。
「親の会はとっても勉強になるし、なにより楽しい」と回を重ねるたびに、参加が増えます。

初回は、我が子の不登校に、とじこもりに「絶望的」だった親たち。
そして、「あれ!なんでこんなに明るいんだろう!?」と戸惑い、
でも終わるころには元気をもらって、
しだいに、不登校、とじこもりは親の問題なんだと気づいていくんです。
不登校、とじこもりなど、暗くて、辛いとあたまっから思っていた
親の考え方、見方を変えてみればとっても明るい話なんですね。

えみこちゃんという14歳の少女。
中1からいじめにあって、それでも自分のきもちにふたをして
学校に行っていました。
学校に行かなきゃとまわりも追い詰めていきます。
このサイトに出会って、よもぎ亭にもくるようになりました。

でも今日は学校に行って苦しかった、明日は休めるだろうか・・・
と訴えます。
誰も信じられなかったけれど、
このサイトで、自分の気持ちを素直に表すことができるようになったといいます。

でも、行ったり行かなかったり、もう限界です。
少女は、はさみやペンで自分を傷つけるようになりました。
辛くて、苦しくて、傷の痛み以上に辛いのです。
泣いて動けなくなりました。
そして、誰かに見張られているようで一日中恐怖です。
学校を休んでも、不安でたまらなくなったのです。

どうか、学校を休ませるのではなく、辞めてくださいと、
チャットでお母さんにお願いしました。

学校は命をかけてまで行くほど価値あるものではありません。
この少女は、これ以上おいつめると命までなくします。

私は、13年余りかかわってきて、学校にこだわっために、どれほどの悲劇をみてきたでしょうか。

子どもの味方になれるのは親しかいません。
親なればこそ、世間の風から我が子を守ることができます。
親は自分の身を挺して我が子を守ります。

でも、「学校信仰」が邪魔をして、
親であるがゆえに、我が子の一番の加害者にもなるのです。
親の不安をどうしても我が子の苦しさよりも最優先してしまう・。

目の前の我が子を信じて、我が子の命だけを信じてください。
かけがえのない我が子の命より尊いものはありません。


No.73
2002年10月23日 01:13
送信者:じぇり < >
表題:私が出会った高校生の思い・・・・「人を信じる心を下サイ」より。

・・・・私は「正しい」とか「間違い」とか良く分からない。別に茶髪がよくないというわけでもないし・・・本人がやりたいんだったら別にさせてあげればいいと思う。世の中や周りは、「いけない」って注意しながらも「自分の気持ち大切にしろ」とか・・・よくわからん。
 本当に大切なのはやっぱり「心」だと思う。自分の素直な気持ちだと思う。たしかに守るべきことは、あるし、我慢しないといけないこともあるけど、自分の心だけは大切にしなければいけないと思う。だから、よくわからない。自分の心を考えていったら、みんなわからなくなってしまうのは、先生や周りの人がいろんなことを言うからだと思う。周りのことばっかり気にしていたら疲れてしまって、自分を見失ってしまう気がする。でも周りや先生も形にはめられてるだけで、先生も一人の人間だし、私達も一人の人間だし・・・なんか言いたいことまとまらないけど、私は自分の素直な気持ち大切にしたい。親とかとけんかすることだって必要と思う。だって自分の気持ちぶっつけることは必要だと思うから。なんか書きたいこともとあるけどまとまらない・・・・。


No.71
2002年10月20日 11:53
送信者:しゅうくん <s-nakagawa@sf.starcat.ne.jp >
表題:内沢さんありがとうね

内沢さんほんとにありがとう。

このまえ内沢さんにひきこもっていいよ、なにもおかしくな
いよといってもらってすごくらくになったよ。
いまはむりしてひとにあうよりひととあわないほうがらくだ
からそうしようかなってきもちがでてきたの。
ぼく愛知県にすんでるけど、おはなしできるようになったら
内沢さんやれいこさんにあって楽しくお話したいな。
鹿児島はいったことないからいきたいきもちがするの。
それまではおやすみしてれいこさんのように安心してひきこ
もれる自分になりたいとおもうこのごろです。


No.70
2002年10月20日 10:17
送信者:じぇり < >
表題:宝物お裾分け・・?(何か心に届いたら嬉しいです)

 人というものは、他人を減点法で評価してしまうものだと思う。また、そうすることで、自分の方が上だという気分に、ひたりたいと思っているのかもしれない。だからこそ、人種差別や、偏見がいまだに世界のいたるところに残っているのだと思う。
 「他人を認める心」を持つ前に、まず、「他人を客観的に見る」事の方が大事だと思う。そうすれば、、他人を認めることができ差別や偏見も消えると思う。
 人は、誰でも幸福を手に入れたいと思うものだ。誰でも不幸になりたいとは思わない。しかし、本当の幸福がどんなものか知っている人は、ほとんどいない、と思う。幸福というものは、人の価値観によって変わるものかもしれない。ただ、幸福は手に入れるのではなく、自分で見つけるものだと思う。あまり欲に走りすぎると、すぐ近くにいる青い鳥に気付かずにいつまでも、さまよい続けてしまうと思う。

これは、ある記事を読んで書いてくれた、高校生の文章です。
以前ここで紹介した高校生の文章も、実はそうだったのですが、1年3ヶ月の間に触れた高校生の思いに感動した私は、その度に夫にもそれを読んでもらっていました。「高校生って凄いでしょう?」といいながら・・・。そして、書いたものは本人の承諾を得て手元に残してありました。
退職を間近にひかえていたある日、夫は「このまんまにしておくのは勿体ない・・」そう言って冊子にまとめる事を提案しました。でも私はワープロなんて超苦手でしたし、「私にはできないよ・・」そう答えました。すると夫が「自分がするから・・・」そう言うのです。パソコン歴14年?の夫はご飯を食べるとき以外はひたすらパソコンに向かって原稿を打つ・・200人分くらいの原稿でしたが、そんなにかかりませんでした。「自分の生徒でもないのにどうしてそんなに熱心になるのか・・?」夫の背中を見ながら、私は不思議でなりませんでした。(その時夫は精神的にとてもきつい状況で、それから、しばらくして休職することになるのですが・・情けないことに、そのとき私は夫がどういう思いでいるのかさえ気がつきませんでした)
 そうやって出来た冊子は高校生へ感謝の印として?渡す事ができました。同時に私の宝物になりました・・・。
 今でも時々開いて見ては、感動しています。夫とふたり
「いろんな人が書いた本を読むけど、この冊子が一番素晴らしいね!」
そう話しています。
やはり、自分の言葉で語られているものは心に届きますし、感動させられます。その時の自分の状況でも受け止め方が違って来たりもしますし・・。
「私幸せ見つけました」今の私はこの高校生にそう言って話しが出来そうです。

この冊子のタイトルは「人を信じる心を下サイ」です。(前にここで紹介した高校生の文章からもらいました)


No.69
2002年10月20日 08:56
送信者:kokoro <hisa5@miyazaki-catv.ne.jp >
表題:akiさんへ

私も宮崎市に住んでいます。
相談できるところ、親の会・・・ありますよ。
よろしければメールをください。
住んでいらっしゃる地域やこれまでの状況がわかった上で
一緒に考えたいと思います。
1人ではありませんよ!


No.67
2002年10月18日 16:51
送信者:なべ <ありがとうございます >
表題:

内沢さん、お返事をありがとうございました。
笑顔で暮らせるように、ゆれながら強くなろうと思います。
不登校がなかったら、皆さんとこうやってメールでお話をする事も無かったんですよね。いろんな素敵な方達に会えたのは、こどものおかげですね。また、書かせてください。ここのおかげでとても心が救われます。ありがとうございます。


No.66
2002年10月17日 20:24
送信者:内沢朋子 < >
表題:困ったときが絶好のチャンス

なべさん、
いろいろ相談掲示板にもゆれるあなたのお気持ちを書いておられましたね。
でも、息子さんもやっと休ませることに、少しずつでも納得されてきてよかったと思いました。
でも、なべさんのお気持ちがゆれてしまうんですね。

ゆれて結構。
なぜって、なべさんが悩んだ分だけ、
一生懸命考えるし、それは子どもさんをどうしようと考えているようで、実は、自分の生き方を一生懸命考えていくことなんですね。

なべさんは、確かめたいだけなんだよね。
あなたがゆっくりと気持ちをもてたら、笑顔をもてたら、
子どもたちは安心して生きていくことができます。

学校に行かないことなんて、なにも問題ありません。
なべさんが、感じてきたように、
子どもたちの笑顔、あなたの笑顔、
そう、家族の笑顔ですよね。

子どもを信じて、そうすれば子どもたちもあなたを信じてくれます。
なによりもかけがえのない命なんだから。
いじめ自殺した勝己君のお母さんの村方美智子さんが、
「さわれば暖かい、声をかければ声が返ってくる。それだけで
ありがたい」と泣きながらいわれました。
どうぞ、ここのHPの村方美智子さんの講演を読んでみてくださいね。


No.58
2002年10月17日 15:29
送信者:aki <aki9182002@yahoo,co,jp >
表題:不登校,家出

宮崎市在住です。宮崎市内で相談できるところを探しています。どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?


No.54
2002年10月17日 13:56
送信者:なべ < >
表題:ぐちばかりでごめんなさい

先日不登校相談に乗っていただいたものです。
小6の息子のため息や疲れた顔から、無理に登校させるのは危険だと感じ、朝声をかけて、休みたいという日は、そうだね、疲れたら休むのが大事だよね。と本人に決めさせることにしました。うちは小学校の隣で、フェンス一枚で運動場です。チャイムも放送もすべて聞こえ、息子が寝ているすぐ裏で子供たちが遊んでいるので、学校を休んでも緊張するだろうなと思います。息子が元気に登校していた時は、忘れ物をすぐにとりにこれて便利だったのですが・・・転勤族で、娘の中学入学を機に永住をきめたのですが、休むとなると適さないところだったな・・・主人は4がつから東京に単身赴任です。狭い寮で私達の為に頑張ってくれているのを思うと、贅沢なグチなのですが・・・
中3の娘はテレビを見たり、本を読んだりしていますが時々「家にいて楽しいわけない。ただ時間を消費しているだけ、生きてるだけ」といいます。こんな風に思うのは私が一緒に楽しんでいないからでしょうか。私の心がまだ不安で曇ったり考えつかれてしまうのを感じ取るからでしょうか。


No.53
2002年10月16日 15:56
送信者:じぇり < >
表題:我が子と繋がりたくないですか?

信じている人にうらぎられたらどんな気持ちですか?

私は誰も信じたくないです。

一度裏切られたら、やっぱり誰も信じるコトできなくなるし、

信じたくないって思っても、やっぱ心のどこかでは絶対信じてしまう。

だから、また裏切られ、傷つく・・・・。

もう人を信じることすらつかれたよ。

彼氏、親友、先生、親、

人間関係はとても難しいなぁと思う。

もう誰も裏切らないで・・・

人を信じる心を下サイ

これは私が1年3ヶ月勤めた高校で出会った高校生の書いてくれた物です。(家庭科の教科担でした)
彼女は私の準備室にたまに出入りして、話をする機会も何度かありましたが、この手紙は友達と私のいないときに来て書いたようで、部屋においてあったプリントの裏に書かれていました。ちぎられた後がありました。(そこには何が書かれていたのか・・?それは今もわかりませんが・・・。)

先日チャットで出会った14才の少女が言っていました。
「人を信じられなくなったから、自分の気持ちを話すことができなくなっていた・・・」と。
そう言う彼女が、そこに居合わせた人に少しづつこれまでのいろんな思いを話してくれていました。それは私にとってとても考えさせられることの多い、有り難いものでした。

人と人をつなげるもの・・・それはやっぱり心?相手を無条件に信じる、それしかないのではないかと思います。
結婚したから?子どもを産んだから?その瞬間に相手と繋がるわけでは決してないし気持ちが分かり合えるわけではない・・・。一緒に生きていく中で、お互いいろんな思いをしながら、どこまでそのままの相手を信じることができるのか・・その心無しにその人と繋がることはできない、そんな風に思うのです。
以前は夫婦だとか親子だとかの関係に甘えて、そういう事さえ気づかなかった私でしたけれど。

学校に行き無くない・・・そんな思いを両親に理解してもらえず、辛い思いをしているさっきの少女。
両親が、我が子を信じる気持ちをしっかり持てたとき、彼女の心が両親の心に届くのではないかと思います。

ですから、こんな私もただ我が子を信じそういう思いを伝えていきたいと思っています。
「自分の人生なんだから、自分の好きなようにしたらいいんだよ」

出会った全ての高校生がその姿から、それ以外に何もいらないと言うことを、私に伝えてくれました。



No.51
2002年10月14日 07:46
送信者:じぇり < >
表題:音楽

毎日の生活の中で、音楽を聴くことは私の楽しみになっています。
車を運転するときはもちろん、最近では機織りの時も、ウオークマンを持っていって、一人聴いています。

ずいぶん前に壊れてしまっていた我が家のCDラジカセ。
「やっぱり、家のなかで音楽ききたいよね〜イヤホン無しで・・」
夫とふたりそんな話をして、つい先日ミニコンポを購入しました。

はじめて、曲をかけたとき、「テレビでもないのに、ふたりコンポに向かって音楽を聴いてるなんて、滑稽だね!」私がそう言うと、夫は「こんなに安いコンポで、こんなにいい音が聞けるなんて、昔からすると考えらないことだ・・・」としみじみ語っておりました。

「音楽ってご馳走だな〜」と私はその時思いました。
何故か、「ご馳走」そんな風に思ったのです。(単に食いしん坊のせい?そういえば、お風呂も「頂きます」っていいますね〜?)
上手く、表現できませんが、とっても幸せな気持ちになりました。

そして、ふとその時思ったのが、聴きたい音楽も、その時の気分によって違うし、聴きたくない時だってあるんだということでした。

学校の授業の音楽、その時のひとりひとりの気持ちは決して同じでは無いのに、同じ曲を用意して、歌ったり演奏させたり・・・、やっぱりどう考えても変です。

はじめて出会った6年生の音楽の授業をしたときに「どうしてこの子達は歌を歌ってくれないんだろう〜?」そんなこと考えていた遠い昔の自分、「本当にアホだった!」つくづくそう思うのでした。

(夕べからチャットルームにはいれなくて、今朝も・・・?時間があったのでついこうして書いてしまいました。これからパートです。)


No.50
2002年10月11日 16:24
送信者:もどり < >
表題:ありがとうございます(私信?)

 KANUKAさん、わざわざありがとうございます。

 私は、甘えられるうちに甘えておいて良いんだと思います。
そして、今を安心して楽しんで過ごすのが、いいと思います。
そしたら他の事は、ボチボチついてきました。
 っていうか、私はそれ以外はよく分らないんですが。

 いつか私達が、毎日を楽しんで過ごし、明日が怖くなくなる日がきた時に、
私と一緒に、私の傷を見てくれた人達の優しさを、
続々と増える後輩たちに受け継いでいけたら良いなー!
 と思っています。

 このままでいいのかしら?
 このままでどうなっちゃうのかしら?

って、不安に思う気持ちは、皆みんな抱えていると思います。

 将来の事は、将来!
いくつになっても将来があるんです。

 これは全然関係ない話しですが、
我が家で、カナダとアイダホ出身の女の人がきた時の事。
 彼女達は、私や兄弟たちに
「将来の夢は?」ってききました。
 そして同じように、50代後半の父と母にも聞いたのです。
「あなたは将来何がしたいですか?」
 って。

 失礼ながら、私はびっくりしました。(笑)

そのうち、私の父と母も 
 「大学でキャンパスライフを送りたい!!」
とか言うかもしれません。
 
 そして、合コンとかに目覚めてしまうかもしれません。

 そしたら毎日エキサイティングです。(??)

 なんだかよく分らくなってしまいましたが、
今が安心して過ごせれば、それが将来に繋がっていくんだと
思います。
 だから好きなように悩んで、遊んで、今を過ごすしかないわ!
だって、せっかくだし!!!

 そんな風に、今を思っています。

でわでわ。
 


No.46
2002年10月10日 11:14
送信者:ノン < >
表題:いつもありがとうございます。

こんにちは。
時々、よもぎ亭にお邪魔して遊ばせてもらっています。
reikoさんの書き込みを読んで、私も書きたくなりました。

家の息子は11才、「学校に合わせると、僕の頭は間違いなく壊れる」と頭痛を訴え、小3の三学期から不登校になりましたが、最初の頃はどうしていいかわからず、大変な家族関係になっていましたが、明るい不登校を選択することが出来るようになってからは、毎日がどんどん楽しくなってきました。

reikoさんのおっしゃるとおり、私も不登校関係のHPを読みあさりましたが、隅から隅まで目を通し、毎日来てみたくなるHPは今のところ、ここだけです。

私は、息子を信じているので、いろんな事を言う教師の所(愛情を持って育ててください等・・・)教育関係者、相談所、医療関係には足を運びませんでした。どこか心にひっかかって苦しくなるばかりで納得がいかないのです。フリースクールの案内なども息子に見せましたが、「まだいい、よけいなお世話だよ」と言われ、息子が自分で歩んでいく人生を先取りするのはやめようと思い、家で自由にさせています。私も私のままでいいということを教わっています。

一つだけ、私の参加している親の会「のぞみ」(HPはありません)の北澤康吉先生が書かれた「素敵だよ登校拒否」(10年前の出版)は、すばらしい内容でした。このままでいいんだと思えるようになったきっかけでした。そして、私たち会員の中でも、今笑いが広がってきています。
私が、ここの板倉先生の講演の話をしたら、ある方が同じコピーを持っいました。そして、チャットで知り合ったふうさんのお母さんも、「のぞみ」の方だったので驚いてしまいました。

あと、不登校とは全然関係のない方で、宇宙の波動エネルギーなどの研究をされている建築学者の足立育朗さんは、自然の宇宙の法則を感じる能力が失われていない子供が不登校になることが多いと書かれています。遺伝子研究者の村上和雄さんも、ある本の中で、「不登校に対する考えが180度変わった」と書かれていました。

不登校の子供達が教えてくれた生き方は、どの人にも通じる人間本来の、その人その人のあるがままの姿の生き方を認めることのように思います。

まだまだ一般には理解してもらえず、「何を親ばかな・・・」と言われそうですが、私も私の感覚で生きて行きたいと思います。

これからもよろしくお願いします。



No.45
2002年10月10日 02:01
送信者:reiko < >
表題:いつも思います。


 登校拒否、引きこもり関連のHPはネット上にとても数多くあります。
 管理人をしていると、そういういろいろなところを覗いてみたりもしました。
 だけど、数多くあるそういう関連のサイトの中でここのサイト、
 いってみればここの会は大きく他と違うと思いました。


 それは、ここでは、「登校拒否、引きこもりは明るい事柄」と考えていること。
 そして、それを問題ととらえること自体に実は大きな問題が含まれていること。
 そしてこういうことをはっきしとサイト上でも書いているということ。

 どうして私たちがこういうふうに考えているか、
 どうしてここまではっきしいっているか、その理由はここのサイトにきちんと書いています。
 そして、ここのサイトをよくよく読めば、ここがどういうサイトで、
 どういう趣旨かがわかるかと思います。

  ここのサイトは、 傷のなめあいのサイトでもなく、
 また登校拒否、引きこもりを問題として捕らえているサイトでもないんです。

 
 不登校、引きこもりをまだまだ否定的に捉えている方は大変多くいます。
 しかし、ここのサイトは、それとはまったく正反対の位置にあると、皆様にもう一度
 知ってほしく、投稿しました。
 

 もし自分がここのサイトと意見があわない、私はそうは思わないと感じたら、私はそういう人の
 意見を無理やりにでも変えようとは思いません。
 しかし、合わないと思ったら、ほかの自分が合うと思っているサイトへの投稿をしてもいいんじゃないかとも
 私は思います。

 
 一言に不登校、引きこもりは問題じゃないといっても、それを本当に心のそこから感じるのには
 とても長い年月がかかりますし、実際にやっぱり違うなと思って、路線を変える人々がいるのも
 確かだと思っています。
 でも、だからこそ、私はそういう人はそういう人、でも私は私として、一人の不登校、引きこもりは
 何一つ問題じゃない、でもそれは人間としてのとっても自然な事と捉えているものとして、
 これからもHPを作っていこうと思っています。


No.40
2002年10月09日 23:52
送信者:KANUKA <coolhandmakiko@lycos.jp >
表題:Na

朋子さんアドバイスありがとうございます。

あと、もどりさんの問いに対しての答えなのですけど、私は「閉じこもり=ぬるま湯につかる」とは考えていません。自分も不登校を経験しましたし、現在も学校を休学していて、なかなか外にも出れません。それをぬるま湯につかっているとは思っていません。ただ、自分の中に周りからの優しさに必要以上に甘えている自分がいる。そのことに対して私は「ぬるま湯につかる」という表現を使ったのです。誤解を招く表現でしたね。ごめんなさい。


No.39
2002年10月09日 23:36
送信者:もみじ < >
表題:疑問

大人の引きこもりも実はかなり多いですよね。
私の幼馴染のお兄さんは幼い頃はよく遊んでくれたのですが大学受験に失敗してから引きこもるようになりました。
現在46歳で25年くらいほとんど自宅から出ることがないようです。
その間彼のお父さんは亡くなり今はお母さんと二人で暮らしています。
おばさんはいつか自分が先に死んで彼が一人残される事を心配しています。

”ゆっくりしてる人は、それなりの経過があるんだよね。
ひきこもりは人生の敗北ではないよ。”

私にはそのままでいいとはなかなか思えないのですが・・





No.38
2002年10月09日 21:01
送信者:MS <0218287572@ksv.s13a-unet.ocn.ne.jp >
表題:不登校、拒食と過食の経験は、ものの見方、考え方を変えて精神性を向上させるのチャンス

 私自身、不登校、拒食と過食、学級崩壊を経験し、拒食と過食を治す中で、感動的な体験をしたと自己紹介には書きましたが、私の方は、学歴もお金もなくても生きて行くことができる方向を見い出しました(インターネットカフェからの投稿のため、時間がないので、今日はここで打ち切ります)。


No.37
2002年10月09日 17:23
送信者:内沢朋子 < >
表題:ぬるま湯ってなんだろう

KANUKAさん、
このサイト気に入ってるんだったら、
もっとHPすみから隅まで読んでごらん。

君は、がんばるという言葉は嫌いといいながら、
一方では、いつまでもぬるま湯につかっていられないと言ってるね。
飛び立つ時期がきてるのにいつまでも甘んじているとか。

もっと自分の矛盾に気づいてごらん。
君が「どうしたものかねえ」という題で書き込みしていたように、
そういう言葉が、今ゆっくりしている人を
一番苦しめるんだよ。
そして、君自身も自分の今を否定してないだろうか。

ゆっくりしてる人は、それなりの経過があるんだよね。
ひきこもりは人生の敗北ではないよ。
「飛び立つ」ことだけがが大事なんだろうか。

大事なことは、
自分を肯定できること、
これ以外に大事なことはないとおもう。

ひきこもって、そのことを肯定できないで、
自分を否定し、自分を破壊して、
そうして、苦しんでいる子どもたち、若者たち大人を数多くみてきました。
不登校でなくても、学校と距離を置けないで
その価値観に縛られて、自己を否定している人たちとつきあっている。
社会的価値観、学校的価値観が親も子も苦しめてきたんだね。

でも、そうやってすさまじい自己否定しながら、
当事者が私たちに教えていることは
「嫌なものは嫌」と、命がけで教えてくれているんだよね。
「自分の人生は誰のものでもない、自分のものなんだ」と教えてくれている。

だから、私は、とっても多くのことを学んできたんだよ。
その人、その子の立場に立って考えることができるのも、
そうした考えがあるからなんだ。

このサイトは、たんに不登校やひきこもりをどうしようかということではないんだね。
不登校や、ひきこもりや、拒食・過食や、強迫行動やそういうことから、もっと学ぶ会なんだ。

どんな状態であれ、その人にとって、いまそういうことが必要なんだ。
そのことを否定してはいけないと、こころして13年間積み重ねてきたのね。

不登校やひきこもりは、今までの生き方や人生観の価値観を
180度転換する大きな問題提起なんだ。
今までそういう生き方を肯定する価値観は過去になかったからね。
子どもたちは、世間体や学校的価値観や、そんなことにとらわれないで
自分を大事にしてごらんと教えてくれている。

だから、私たちの親の会は毎月とっても明るい、
体験談もよんでごらん、
我が子や、まわりの子からまなんでいる様子がでている。

君はもっと自分の生きてきた道、自分の生きていることを
肯定できるように、読んでほしい。
それからだ、君がいうように、
「しゃしゃりでて」書けるようになるのは。


No.36
2002年10月09日 16:41
送信者:もどり < >
表題:差し出がましいようですが・・・

 私も、偉そうに言えないのですが・・・・。
 
 閉じこもりと、ぬるま湯につかっているとの
カキコが、なんだか違和感を感じてちょっとだけ。
(私の言葉にも違和感があったら言ってください)

 飛び立つときが来たら、どんな人も、いてもたってもいられず
飛び立つんじゃないでしょうか?
 
 飛び立てばオールオッケィ!なのかもしれないけど、
同じように、一生閉じこもってても、別に良いんじゃないかと
思うのですが・・・。

 私には、なんだか
「閉じこもってることは、ぬるま湯につかってることだ」
 と、聞こえて、
私が登校拒否した当時は、そんなことを言う大人ばっかりだったなあ
と思い、少しだけ傷ついてしまいました。
 
 私の受け取りかたが偏っているのかもしれないので、
そうだったら、KANUKAさんがどんな思いで言ってくださったのか
おしえてください。
 ではでは。
 


No.35
2002年10月09日 14:37
送信者:KANUKA <coolhandmakiko@lycos.jp >
表題:Na

たまに思うのですが、誰かの相談に対して、しゃしゃり出て書くのはどうなのかなと自分に問う時がある。

私としてはここのサイトの考え方はいいなと思っているんですよ。前に似たようなサイトで「学校に行かなくてもいいんだよ」という内容で投稿したときに、自分と同じように、不登校だったり、いじめにあっていたりしている人たちから、今は「学歴社会だからそんなこといったって。才能がある人ならばやっていけるかもしれないけど...」と批判されたので。(その時はちょっとがっかりさせられましたね)

私もゆっくり休養をとることは大事だと思う。しかし、私個人としてはぬるま湯にいつまでもつかっていてはいけない。そう思う。ぬるま湯というのは、もう自分は飛び立てる時期がきているのに、それまでの生活に甘んじること。それは'がんばる'とか'無理をする'じゃないんじゃないかなと思う。これも個人の考えだけれども、今は休養をとるために閉じこもっていても良いけれど、でも時がきたら、みんなそれぞれの道へ飛び立っていかなきゃならないのではないかと思う。

Well,私が一番嫌いな言葉は'がんばれ'という言葉だ。'がんばれ'この言葉には、今以上の事を望んでいるというニュアンスを持っているような気がするからだ。だから、自分にも言わないし、人にも'がんばって'とは言わない。精一杯努力している人に、がんばっては酷でしかないような気がする。

余談なんだけれど、英語を母国語とする人達は、あまり相手に'Try your best or You can do it(がんばって)'という言葉は言わない。言うとするならば,'Take it easy(気楽に)''Don't work to hard(無理をしないで)''Go for it(やってみろよ)''Good luck(幸運を)'という言葉を使う。そして、上手くいった時は'Good job or You got it(やったね)'と誉めてあげるものである。ちなみに私は一歩前に進んだときYou got it! と自分を誉めてあげている。 

何となく締りがない文章になってしまったなぁ。Finish...


No.33
2002年10月04日 09:42
送信者:内沢朋子 < >
表題:散歩

我が家にも、コナンというかわいい愛犬がいます。
毎朝、夫とコナンと散歩に行くのが幸せな日課です。

ある日、うなぎさんと同じような光景に出会いました。
小さな男の子が、泣きながらお父さんに引っ張られて歩いていました。
私は追いかけていって、呼び止めました。
朝、起きがけのだらしない格好の中年夫婦が突然呼び止めたんだから、しかも、相手はせっぱつまったと自分でおもっている状態だったから、
きっとびっくりされたでしょう。

でも、こういうことをやってます。
そんなことは、子どもの心をだめにしていること、
命を少しずつ殺すことになると一生懸命訴えました。

もうひとり、今度は中学校の正門で行かせようとしたお母さんの声をかけて、わかってもらったという例もありました。

うなぎさんが、家にいて、本当によかったと思われて、
そして、ご近所のそんな光景に心を痛めているのなら、
おもいきって、声をかけてみてはいかがでしょうか。
相手を信頼して、だめでもともとで。
相手が反応してくれたらうれしい、
拒否されたら、でも、きっとそのお母さんの心にひびいているはず。どっちにころんでもしめた! です。


No.32
2002年10月03日 23:25
送信者:うなぎ < >
表題:今朝の出来事です。

はじめて書き込みます。前々から、ここに来てはいたんですが…

私の家の近所に、小学5年生くらいの女の子が住んでいるのですが、
かなり以前から、泣き叫ぶ声と母親の怒鳴り散らす声が聞こえてくることがあったんです。
近所といっても隣ではないのに、かなり大きな声で聞こえてくるんですね。
なんでなんだろう、といつも思っていたんですが、言葉を聞き取れなかったのでよくわからなかったんです。
ところが、今朝、朝早く飼い犬の散歩をしながら家の前で母や妹と話をしているといつもの声が・・・
そして、ランドセルを背負った女の子がはっきりと「行きたくなーい」と言っています。「なんで行きたくないの!!」と、怒鳴りながら女の子を引きずる母親。
そして、私たちの存在に気付いたのか、急に黙って力ずくで、引っ張っていきました。
姿が見えなくなると、「なんでちゃんとしないの!!」という怒鳴り声・・・。

・・・それ以降の話は、もういいですよね。
私は、どうすることもできません。
近所と言っても交流のない家なので・・・。
教えてあげたい気もするけど、恩着せがましくて。
その家には、まだ小さい妹さんがいます。
その子もたまに異常な泣き声をあげて玄関をドンドンたたいているときがあります。
他人の家のことだから…と、ほうっておくことができないのは私が未熟だからでしょうか?
何かすべはないものでしょうか?


No.31
2002年10月03日 16:13
送信者:みっちゃん < >
表題:さんが抜けてました

内沢さん、ごめんなさい。m(_ _)m


No.30
2002年10月03日 13:21
送信者:みっちゃん < >
表題:名前を間違えてました

大変、失礼しました。
内沢でした。^^;


No.29
2002年10月02日 15:00
送信者:みっちゃん < >
表題:内田さんと同感です

内田さんの話に反応しました。
お久しぶりです。^^;

>子どもの立場にたってものを言う人はいない、
>それは背筋が凍るような思いでした。
最近、読み終わった本にかいてありました。
哲学者の書かれた本です。

それは、さかきばらせいと=A君のことです。
「A君は、生まれたときからそういうものを持っていた」みたいな
内容でした。

人間には真心も愚心もちゃんとありますからA君がそういう世界に
入り込んだのは入り込むような状況が真心を信じることのできない
状況が必ずあると思いますが、そこのところは何も考えられてない。
子供の立場になって考えられていませんでした。

識者なんでしょうが自分の持っている知識にその答えが
なければ都合のいい答えを自分で見つけてきているだけです。
ちょっと憤りを感じていたところでした。

ネットサーフィンしてて、ちょっと覗かせて頂いたら内田さんの
お話が目に止まって書かせてもらいました。
どうも、失礼しました。^^;


No.28
2002年09月29日 00:00
送信者:KANUKA <coolhandmakiko@lycos.jp >
表題:non subject

ライコスで語学関係のクラブを最近作りました。毎日イディオムを紹介しているのですが、辞書を引いていたら「いいな」と思うことわざがありましたので紹介したいと思います。

No gains without pains / Every could has a silver lings.

意味は:苦は楽の種
何となく心が癒されたような気がしました。


No.27
2002年09月27日 12:06
送信者:内沢朋子 < >
表題:

今から、14年前、1988年に「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」を作りました。
その前年、87年の12月3日、県立牧の原学園という教護院で、一人の男の子が7人の教護の手によって、3時間の暴行の末に殺害されました。
たった、13歳でした。
その子の場合も、いじめで学校に行きたくなかったのに、
休むと、校長、担任が力ずくで連れ出す、
家にいることもできず、その子は逃げ出しました。
そして、おなかがすいてきて、パンを盗みます。
そして、児童相談所、教護院とたどりました。
教護院から船底にかくれて、母親のいる、奄美大島まで5回脱走しました。
最後に、親の見ている前で、手錠をかけられ、連れて行かれたその夜に亡くなったのでした。

事件のあと、関係者や識者といわれている人に話を聞いてみると、
一様に、「あの子はひどい子で、・・・」と亡くなった子どもが
いかに悪かったかと言い、
だれひとり、寒いさなか、3時間の暴行で、パンツひとつにされ、水をかけられ、
どんなに辛かっただろう、
どんなに学校でいじめられて悲しかっただろうと言いませんでし
た。

子どもの立場にたってものを言う人はいない、
それは背筋が凍るような思いでした。

以来、子どもの人権を守る連絡会を作り、
翌年には「登校拒否を考える親・市民の会」を立ち上げてきました。

子どもの気持ちがわかる、わかろうとすることは、
今までもっていた親の価値観、尺度ではむずかしいですね。
だから、我が子からもらった問題提起は
親の人生感、価値観を変えてごらんという問題提起なのですね。

私の原点は、このまだ見ぬ13歳の少年の無念の死です。

先日、小1のお子さんの不登校でずいぶん悩んでおられるお母さんから電話がありました。
なんとかという本を「お友達」がもってきました。
読んでみると、不登校になった子を持つ親は、その人が小さいときの成育歴に問題があると書いてあったというものです。

こんなふうにして、これでもかと悩んでいる親や、命がけで訴えている子どもたちの命を奪うようなことを平気で書いて、お金にしているえせ学者がまだまだまかりとおっているんですね。

私は、そいう本をもってくるおっせっかいな人は友達ではありません。付き合わないことです。
だいたい、友達はなくてもかまわない、いると思うから、気を使って、自分の気持ちを曲げてしまう。
落ち込むような本や、病院や、カウンセラーのところには行かないことです。と言いました。

87年の事件以来、脅して学校にひっぱっていくことはさすがになくなりましたが、
不登校はたいしたもんだという「専門家」はまだまだ少ないのね。
上から子どもをみているかぎり、子どもの気持ちはわからないのね。

9月の親の会は59人の大人と若者、5人の子どもたち、初めての方もたくさん参加して、にぎやかでした。
「明るい」といわれます。
私たちの会は、傷のなめあいはしないから、積極的に子どもの選択を肯定しているから、明るいのね。
でも、多くの方は、いままで、とっても辛かったんです。
気持ちの持ち方が否定的だったからです。

子どもの生き方を親は邪魔しない、
子どもの生き方から親は学ぶ、
それは今まで持っていた「学校的価値観」をかなぐりすてる勇気をもつことができる素敵な作業でもあるんです。

9月に長崎から参加された親子3人が、「会に参加して命をいただきました」と言われました。
私も親の会から命をもらっています。


No.24
2002年09月23日 14:34
送信者:木の葉 < >
表題:

8月で9歳になった息子、1学期は保健室登校をしていましたが、2学期はのんびり家にいます。

保健室は、大好きな新任のスクールカウンセラーの先生に会いにいっていたようなものでしたが、それでも彼のなかでは「学校休んじゃダメ」という気持が強かったのかなあ、と今は思います。
私自身は、学校という制度に戻ったとは思っていませんでした。
むしろ、学校のなかで信頼できる大人に出会えて、ボロボロにされた自尊心とか、人への信頼を回復しているように見えました。
ケーキやパンを焼いて、11時ころから学校にいって、先生たちと食べたりしていました。
そんなとき、「保健室登校させるなんて、あなたがまだ学校に囚われている」って、悩みごと掲示板でたったちゃんに批判され、長い長い返信を書いたんですけど、たっちゃん覚えていますか?
その頃、反論しつつも完全不登校の頃ともちがって、親自身の居場所が
ないようなこころ細い不安な気持でした。

そんな頃、奥地さんが親ゼミで
「きっと息子さんのなかで、学校にどこかで繋がっていることが安心という思いがあるのではないでしょうか」「だんだんに気持の整理がついて、落ち着くべきところに落ち着くのでは、、」
といわれ、とても気持が楽になりました。

たっちゃんは、学校に行くのも行かないのも一つの選択で、どちらも全然まちがっていない、無理してなくて、自分自身が決めたことなら、、、。
といっていたのに、なんで保健室登校を否定するのか、って。
なんか、学校に行くのが○というのの、正反対で学校に行くのは×と決め付けられてような気がその時はしたんです。

でも、ある意味子どもも学校に拘っていたんだなあ、と今は思います。
私自身も、子どもは学校に行かなくても大丈夫!って、アタマではなく気持が自然に感じられるようになってきてはいたけど、やっぱり段々にだったんですね。

同じように息子も、段々と学校と繋がらなくても大丈夫になってきたのかなあと思います。
息子自身にも、必要な時間だったんだと、私は思うの。
「何かが正しい」と知識で知っていても、親も子もそれぞれが自分の物にするのに、時間はかかるし、かかる時間も人それぞれだと思うんです。
あの時、無理に保健室登校止めさせないで良かったと思う。

息子が自分の自然な気持で、保健室登校もしなくなった、ということが大事だと思うんです。

正しい知識を知っていることは、とても大事なことだけど、それを自分のものにしていくことが、その過程も同じように大事だと、この頃ますます思います。
そして、親の思いと子どもの思いは別だってことも。
共感する時もあれば、まったく違うこともある。
だから、親の思いを子どもに押し付けてはいけないって。
伝え合っていくことは大切だけど。

6月の終わりに私は、学校との話し合いのなかでネグレクトを疑われて、3人の教師の前で断罪されたような思いをしました。
それは、人間として否定されたようなものですごく傷ついたのです。
学校は子どもも保護者も「人」としては対することなく、指導の「対象」でしかない、ということを痛切に感じました。
人を育てるところではないなあ、って。
私はもう、学校とは縁を切りたかったのです。
でも、その頃息子はのんびり保健室に通っていました。
辛かったけど、「学校には行くな!」とはいいませんでした。

今、息子はのんびり家にいますが、勿論「学校に行きなさい!」とは私はいいません。
去年の秋から五月雨登校1ヶ月ののち完全不当校をへて、同伴登校(本当にゴメンナサイと息子にあとでこころから謝ったけど)をし、保健室登校といろいろ寄り道をして、今があります。

その過程では、間違ったことをしたり、息子を傷つけ、自分も傷ついてきたけど、本当にみなそれぞれに必要な過程だったと思う。

たっちゃんは、私の返信に更に返信してくれて、
「今のままの木の葉さんでいい」っていってくれたのだけれど、実はずっと私の中で気になっていたのです。
たっちゃんのいっていることも、奥地さんのいっていることも、多分同じことなんだという気が今はします。
ただ、余裕のなかった私には否定されたように感じたのだろうと、今思います。

無駄なことは何もないって、みんないうでしょ。
本当に、自分が否定されたように感じて悩んだことも、ちっとも無駄じゃなかった、って思います。

今、時々チャットにきて、すごく自由になっていく感じがします。
とっても楽しいです。時々寝不足で翌日頭痛したりするけど、、、。
でも、また悩んで迷ったときも、ありのままの自分でいたいと思います。
正しい母なんて、ないんだと思う。私は私で、楽しい時は楽しみ、苦しい時は苦しみ、悩めばいい。それが、ありのままの自分なら。
私の悩みと息子の悩みは別ってことさえ忘れないでいれば、大丈夫だと思う。

鹿児島のみんな、よもぎ亭にきているみんな!
いつもありがとう!!


No.23
2002年09月23日 13:04
送信者:木の葉 < >
表題:くまちゃんへ

どんに泣いても、誰も嫌ったりしないよ。
なんで、退室のサインがないのに、いなくなっちゃうのかなって、
この前不思議だったの。
そうだったのね。
くまちゃんのPCが問題なの???
それともサーバーなの???
早く治るといいね。
くまちゃん、話すことで楽になるなら、うれしいよ。
またね。


No.22
2002年09月22日 22:03
送信者:クマちゃん < >
表題:よもぎ亭に入れないよー(T_T)(*_*)

昨日の深夜から、よもぎ亭に何十回入ろうとしても、「あなたのIPアドレスは、入室を制限されています。」って、出てきて入れないよ〜(*_*)(*_*)(>_<)
 確かに、ほとんど発言する度に追い出されて、同じ名前では、すぐに入り直せなくなってしまうから、入り直す度に名前を変えていたけど・・・・。(*_*)(T_T)(>_<)
 それとも、泣く事が多かったから、みんなに嫌われてしまっているのかも・・・・。(>_<)
 もし、みんなの事を不快にさせてしまっていたら、本当にごめんなさい。
 でも、また、よもぎ亭で、みんなとおしゃべりしたいよ〜(T_T)(T_T)
 
 


No.20
2002年09月21日 20:25
送信者:reiko < >
表題:よもぎ亭にはいれない場合 

http://chat1.net4u.jp/chat/mkframe.cgi?z=konan

よもぎ亭(仮)です。↑


No.19
2002年09月21日 10:51
送信者:内沢朋子 < >
表題:おしえられた!


reiko,aimiちゃん、ayakoちゃん、
3人の書き込み読んで、本当に感動しました。
なぜって?
自分のこと、素直に受け入れていて、
自分のこと大好きになっている、
そして、肩に力がぜんぜんはいってない。

いっぱい、たくさん辛いことあったのに、
それを私は知ってるから、
親の会で、親たちが、どんなときでも、我が子を信頼し、
あふれるほどの愛をもってきたから、
ゆっくりと、時間をかけて、自分を好きになっていったんだよね。
なあんて、素晴らしいメッセージなんだ!
こんなに生きているという事は、すばらしいことなんだよと、
自分の言葉で、うったえている。
自分でつかんだ人生なんだよね。

3人のかきこみに、感動する私はその言葉をうまく言えないくらい。
なににも変えがたい、たくさんの宝物をいただきました。
ありがとうございました。


No.17
2002年09月20日 08:00
送信者:ayako < >
表題:reikoちゃんへ


おはようございます。お元気ですか?
いつものように夜更かししてたら朝になってしまいました。。

掲示板に、とってもいい書きこみがしてあるとおしえてもらったので
遊びにきました。

reikoちゃんとおんなじように、私も完全にとじこもりができるように
なるまで、丸6年かかりました。今から思うと、本当にあの出掛けて
いたのは何だったんだろう。。。?と不思議に思うほど、今じゃ
とても考えられません。きっと、楽しいと思うことよりも、
緊張や恐怖の方が大きかったと思うのだけど、当時はそんなこと、
全然気付きもしませんでした。

今、1歩も外に出なくなって5ヶ月になるけれど、どんどん本来の
自分自身になっていくことで楽になったり、そのことを嬉しく思った
りする一方、物音や人の声にとても敏感になり、その度に不安
になります。それは今のマンションが、前のマンションに比べて狭い
だけでなく作りがボロっちぃせいか、物音や声が響きやすいのです。
(毎朝、どこからともなく、おじさんの「へックシ!」という
くしゃみが聞こえてくるの。)そのため、

みんな普通に暮らしてる人でも聞こえてくるのに、
私なんて、大声で怒鳴ったり物にあたったり
きっとまわりの人に迷惑をかけてる、そして今度越してきた人はヘン
な人だときっと私のことを怒っている・・・・と思ってしまうのです。

でもそう思ってしまうのは、自分をまわりの人達とは違う、自分は
いい意味でも悪い意味でも特別である、という思いが強くあったから
だと思います。でも、

私はとじこもりという私の生活を持っていて、皆もそれぞれに
生活を持っていること。生活していれば色々なことがあり、毎日
笑って過ごせたらいいけれどそういう訳にもいかず、それでも
人は毎日毎日、生きてゆくこと。
晴れの日も雨の日も同じように一日はすぎてゆき、前へ
歩きつづけることは、どのような生活をしていようと関係なく、皆が
共通することで、まわりの人は皆同じで私だけが違うのではなく、
皆それぞれの生活を日々歩んでいるという点で、私もまわりの人も
おんなじなんだ、と思えたとき、またひとつ楽になりました。

実はこれ今朝思ったの。だからつい1時間ほど前まで一人で
おびえてたのです。でも苦しんでもそれを突破でき報われたとき、
いつも、ああ、無駄じゃなかった、と嬉しくなります。


No.16
2002年09月20日 01:04
送信者:aimi < >
表題:自分

朝の7時ごろ寝て夜7時ごろタムレ(同居猫)に起こされ起床。
買い物に出かけて、夕ご飯の準備。
それから食べては、吐き。食べては、吐き。
チャットしながら食べては、吐き。
で朝になる。

ほとんど毎日こんな感じ。

普通の人?ならこの生活異常だって思うよね。
昼夜逆転に過食拒食。
でも今の私にはこれがとっても正常。

過食って辛い事だと思ってた。

毎日食べては吐いて何してるんだろう。
こんな事やっていていいのかな?
そんな自分が大嫌いだったよ。
今振り返っても辛い毎日。

初めは学校に行けない自分を、そのうち過食という行動を否定してた。
食べて吐くのは異常だって。
毎日自分の体重が気になって一キロでも痩せていたい。
やせていなければならないそう思ってた。
わからず屋の、おばあちゃんに自分の苦しさを訴えたかったから。

でも引っ越しておばあちゃんと離れても私の過食は続いてる。
食べては、吐きを繰り返し自分を否定しつづけた。

何でそうかって考えると
過食って言うのを病気だと思ってたんだよね。ずーっと。

良くないもの。おかしいもの。治すべきもの。異常なもの。
辞めようと思っても辞められない。
だからそういう自分を否定しつづけてた。
行きたくても学校に行けない自分を責めつづけていたように。

「登校拒否はいいけど過食は治したい。」
はじめは家のお父さんはこんな感じだった。
すごく多いよねこういう人。

なるべく苦しまない方がいい。楽なほうがいい。

自己否定、引きこもり、脅迫行動もみんなそう。
治すべきもの。
今じゃなくてもいずれは治そうみたいな。
かわいそうだから。良くなってほしいから。

登校拒否なら、行くのが当たり前だって思っているように、
過食拒食、脅迫行動なら、治すのが当たり前。
自己否定なら、しないほうがいい、自分を好きなほうがいいって。

過食や拒食、脅迫行動で病院に通っても治らない。
むしろ悪くなるのはなぜ?

体が求めた自然な行為だから、病気じゃないからだって思う。

それを否定されてるんだよね。だから自己否定もする。
良くないものだって決め付けられてる感じ。

過食拒食は良くない。自己否定は良くない。脅迫行動は良くない。
今の自分じゃいけない。
治すべきもの、そうじゃないほうが良いってことは 
こう言われてるのと同じ。

おばあちゃんと暮らしているころの私は、
食べ物を隠され、過食はダメだと言われつづけていたのと同じ。
そして何より私自身が自分を許さない。
今のままでは自分は ダメなのだと責めつづける。

何かに追い立てられるように
食べつづけ吐きつづけ体重落としまくっていたころに
「親の会」に行っていたお父さんは過食を辞めろとはいわなかったよ。

私がすることに何も言わず、
あの時自分を責めつづけた私に何もしなかった。
食べつづけ吐きつづける私に食料を買ってきて、
好きなようにさせてくれていた。

あのころ私はすごく苦しかったよ。
あんな苦しみ二度と味わいたくないよ。
でもその苦しみさえ良しとしてくれないのは、
取り除こうとするのはあるがままでいいというのとは違うよ。

あの頃の私をそのまま受け入れてくれた。だから私は今があると思う。
過食するのもいい。自己否定もいい。
そんな自分でいいのだ、それがいいんだ。
そう思うのは、私を過食や自己否定も含めて
良しとしてくれたからだって思うよ。

なんだっていい。どうだっていい。
自己否定していたっていい。引きこもればいい。
自信がなくたっていい。過食拒食もそれでいい。
脅迫行動もすればいい。
それでいい。そのままでいい。

だって必要なんだもん。
だからしている。どこかおかしいからじゃない。
とっても自然な事。自然な感情。

それを奪うんだよ。
辛く、苦しい今を周りがどうにかしてあげようとしても
私は余計に自己否定するだけだった。

周りは何もしなくていい。

全て本人が自分でしていく。
自分で納得して自分で許していく。

良かれと思ってやってもいい事は一つもない。そう思うよ。

誰であっても今の気持ちを本人が辛いからといって取り除いていいの?
今のありのままを良くないと否定してるんだよ。
苦しまない方が、楽なほうが良い、苦しむのは良くないって。
自己否定してはいけないって。

ただ見守り今を受け入れてそれでいいのだと言ってほしいよ。

初めに書いたように、今も私は過食しています。
治す事、辞める事なんてちっとも考えません。
私にとって息をするようなもの、
今必要な事として過食をして吐きまくってます。

私はこの生活をとても幸せだと思います。
大好きなお父さんと暮らし
過食をして自由に好きなことをしていられる。

自分自身に正直な状態 それが今の生活。
やっと自分自身を許しながら、ゆっくりさせはじめたところ。
これから先 過食しなくなるかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。

現状が変わり これからどうなるか分からないけど、
過食をし 痩せていたいと思う自分もとても好きだと、
私は今これでいいと心からそう思うよ。

長い間自己否定して、
自己否定してきたから今の自分があるんだってすごく感じる。

そういう過程が私にとってすごく大事だって、大切だったって思う。
それを他人が取り除いちゃったら私はもったいないって思うけどな。
自分を見つめて向き合っている時だって、
大事な時間を過ごしているんだって思う。
それを奪う権利は誰にもないよ。


No.14
2002年09月16日 11:49
送信者:reiko < >
表題:私のこと

 (お悩み相談掲示板にもカキコしましたが、ここにも載せました。)

 はじめまして こんにちわ Kanukaさん。
 ここの管理人のれいこと申します。^^

 Kanukaさんの投稿を読んで、私自身のことをとても思い出しました。 

 私自身、そういう風にずっと思っていたから。
 なにかしたい、〜しないといけない時期にもうなってるのに、
 なにもできない。
 外にでるのが、とってもおっくう。
 人に会うのが辛い。
 でも、何が原因なのかわからない。。。
 この先、どうしたらいいのかわからない。。。

 ずっとそう感じ、そして思っていました。
 どうして、自分だけ、こうなんだろう。。。
 どうして、ほかの人は、いろいろなことできるのに、
 どうして、どうして自分だけ、何も、できないんだろう。。。

 そうやって、私自身、自分で自分のことをずっとずっと、
 このことで、責めつづけていました。

 でも、はじめは、その自分自身を自分でこのことによって、
 責めているということにも気づきませんでした。
 そして、自分に無理をしている。
 自分の心の声を無視して、がんばって、外にでてる。。。
 ということにも、気づきませんでした。

 私の場合、親が、「がんばらなくてもいいんだよ。」
 「無理しなくてもいんだよ。学校に行きたくなければ行かなくていい。 働きたくなければ、働かなくてもいい。」というのにです。

 身近にそういう人がいても、自分自身が無理をして、がんばっているうちは、そういう言葉は耳に入ってくるけれども、
自分でそれをはねのけ、外にでてがんばっていました。

 でも、私のがんばりも、ついに切れてしまいました。
 去年、私はタイにずっといました。タイが好きで、好きで
 (正確には、タイ料理が好きで。。。ふふ。。)タイに行ったのに、気づいたら、
家の外から一歩もでれないぐらい、疲れ果てていました。
 前は、一歩、いや、何歩かはでて、どうにかバイトも、学校もいけたのに。。。。そう、思いました。

 
 でも、私はそれは、体からの警告じゃないかとも思いました。
 ずっとずっと、心の奥底で疲れてる〜〜〜、休ませてくれーー
 といっていた、心の声をずっと無視しつづけ、自分をだまし、
 いつかは、登校拒否の子どものように、自分も休まないといけないんだろうなあと 思いつつ、
決してそれを実行に移すことはしませんでした。できませんでした。 その勇気が私にはありませんでした。


 でも、タイから戻ってきて、ほんとうに心身ともに今までの疲れがピークに達したとき、家から本当に一歩もでれなくなったとき、
 私は、心のそこから、「ああ、本当に、休まないといけないんだなあ、自分をいままでたくさん、たくさんいじめてきたぶん、
これからは、自分のことをたくさん、たくさんいたわってあげよう」と思うことができました。

 それでも、はじめは、閉じこもっている自分をたくさん、たくさん責めました。
 まして、こういう世の中。
 閉じこもる自分自身を、世の中は否定している。
 そして、周りはどう思うだろうかと何度も、何度も眠れない夜を過ごしました。

 でも、その時は本当に、そういう風に思っても外にでれないくらい、自分自身疲れていました。

 今、家で本格的に閉じこもりはじめて、9ヶ月。
 今、やっとやっと、閉じこもる自分自身を認めてきています。
 今まで、自分に無理して、自分にうそをついて、そして、その結果、
疲れ果てた自分を休ませてあげることに専念してあげようと思えてきました。

 こういう風になるまで、私の場合、6年以上かかりました。
 だけど、今はその過程があったこそ、辛い思いをたくさんしてきて、疲れていたのに、
自分にムチをうって高校にずっといってきた事もすべて含めて、認めることができるようになりました。
 
 そういう過程があったからこそ、今私は、自分を大切にすることの重要さを知ることができた。
 自分を大切にすること、わがままに生きることで、自分の中で今までなかった、余裕がたくさん、たくさんでてきた。

 だから、私は今、とても感謝しています。
 そういう風に、無理をしてきたこと。
 自分にうそをずっと、ついてきたこと。
 でも、それによって、今の自分があること。

 今もたくさん、家でのんびりすごして、ゆっくり自分自身を休ませてあげることに専念しています。
 
 途中いろいろあったけど(将来の不安とか)、でも、それもすべて、よかったな、とてもよかったと思える今日この頃です。

 これから、あと何年休むかは、自分次第。
 自分の心が決めること。
 一生休むかもしれないし、働くこともないかもしれない。
 でも、それもそれで、そういう人生でもいいんじゃないかと思ってきました。

 「無理しなくてもいい」「がんばらなくていい」といくら、人に言われても、
私自身が、ほんとうにそのことに気づくまでは、まわりがいくらいっても、わからない。
 でも、それはそのとき、そのときの自分にとって、そう感じるのはとても自然なことだった。

長くなってしまったけど、私のことばかり書いてしまったけど、
 こういうふうなことを、感じられて、考えることができて、自分を大切にすることが、実はどれほど重要なことなのかという事を
 知ることができて、私はなんて幸せ者だろうと、毎日チャット、たまーにHPつくりをしながら感じています。

 


No.11
2002年09月13日 11:30
送信者:えびいち < >
表題:「よさこい」

チャットに、夜きてくださる方々はご存知かと思いますが、札幌で、ソーラン節を、アレンジして、鳴子を鳴らし、踊るイベントが毎年6月に行われます。地方からの出場チームもあります。札幌の大通り特設ステージをかわきりに、パレードや、各地区の特設会場で踊ります。我が家は、私、長男、次男が登録し、「じゃがいも」というチームで参加予定です。次男(小3、8歳)が、初めて演舞を行いました(8月25日)。ふにゃふにゃ踊りでしたが、彼なりに頑張って踊りました。次の演舞は、9月1日でした。小さいのと男の子一人だったせいもあり、25日に1番前の真ん中で踊りました。それが彼には恐怖だったのです。沢山の観客に見られることがです。1日の日、彼は一緒に行きたいけど一番前で踊るのを非常に嫌がりました。代表さんに、話しました。「無理しなくて、いいんだよ。後ろで踊ろうか?」その言葉で、彼は救われました。「僕、踊る」一生懸命、1番前で踊りました。その後はグッタリです。言葉も少なく、私にべったりでした。優しく、優しく、抱きしめてあげました。「よさこい、辞めようか」との私の言葉に、彼は首を横に振りました。そして「楽しい」って。次回は15日です。長男も、次男も私も出場します。それを以後、予定はありません。来年の演舞練習は、12月くらいからです。親のエゴで引っ張り出した「よさこい」、いつか「楽しかったね、よかったね」と言える日がくると思っています。野生親子は、一般人には弱いことを知りました。



No.10
2002年09月11日 16:03
送信者:naobu < >
表題:意志が弱いは意志が強い?

「○○作るけど食べるひと〜?」って、じぇりが時々料理のオーダーをとることがある。(話の都合上、今回の○○は仮にラーメンということにしておこう)

「今お腹いっぱいだから、いらな〜い。」と僕。(もうこれ以上”ぶー”にはなりたくないしぃ・・・確かにその時点ではそう固く心に誓っていたんだ・・・。)

ところが、いざラーメンが出来あがり、あの豚骨スープのかぐわしい香りや、みんなのおいしそうに麺をすする音が聞こえてくるともう我慢できなくなるんだよなぁ。

えいっ、じぇりのラーメンを横取りしちゃえ!
すると・・・
「さっきは食べないと言ったのに、やっぶり、なおぶーは意志が弱いねぇ!」と家族から大ブーイング。

でもそんなとき、よく僕は澄ましてこう答えることにしている。
「いや違うよ!意志が強いんだよ。
確かにさっきは”食べない”と強い意志で決めたけど、今はそれを覆すほどの更に強い強い意志で、”食べる”ことに決めたんだから、とってもとってもとって〜も意志が強いということだよ!」と。

反対に、一度決めたことに縛られて、食べたい気持ちがあるのにやせ我慢して食べないのは果たして意志が強いと言えるのか?
それはむしろ意志が弱いってことじゃないのか?
いずれにしろ、それはちっともいいことじゃないような気がする。
しかもなんだか不幸せで損をした気分だし・・・。

とんでもない屁理屈かもしれないけれど、こう考えてくると意志が強かろうが弱かろうがそんなことはどうだっていいような気がしてくる。
その時々の状況によって、柔軟に自己決定すればいいだけのことじゃないの?(僕は突き出たお腹に将来への不安を感じながらも、ブーイング覚悟で敢えて食べることを選んだんだからそれでいいよね?)

とは言うものの、考え様によっては僕の場合、ただ胃袋の欲求に支配されているだけなのかもしれないぞ・・・人間ってなかなか自由にはなれない生き物なんだなぁ!でも、世間の物差しや、自分以外の何かに縛られるよりは遙かにましだね。

だから、midukiさんの言う”意志が弱いっていけないこと”だとは全然思わないし、それに、何かをするのに遅すぎるということはないと思うよ。
もしそれが”その時”を逃したら手遅れになるような類のものなら、それは、元々するに値しない程度の代物だと僕は思うのだけど・・・。

ついでに言うと、僕の場合はこんな自分を否定されたら、腹が減るなぁ。


No.9
2002年09月11日 12:07
送信者:となりのtotomo < >
表題:とべバッタ 再び

 昨晩、よもぎ亭でじぇりさん、tomokoさんとお話できてよかったです。その後、ラジオ2も聞いて私の今の課題が見えてきました。
 12年前に、長男が登園拒否になった時の事、それから今までの歩みを振り返ってなんと歩みののろいことかとため息もでますが、私という魂が生まれ出てから12年だもの、これまでの歩みを認めようと思います。そして、子どもたちと共にというより、子どもたちに教えられながらこれからもやっていこうと思いました。
 子どもたちが小さかった頃は、寝る前の絵本の読み合いが習慣で楽しみの一つでした。いつしか子どものためではなく、自分の喜びと癒しとなりやがては、それが仕事(司書です)になっていくのですから、本当に不思議です。

 昨晩、久しぶりに「これ、お母さんのための絵本なの。」と子どもたちに言ってよく読んだ絵本を取り出してきて自分のために読み聞かせてやりました。紹介させて下さいね。

   『とべバッタ』
               田島征三

ちいさな しげみの なかに、バッタが いっぴき かくれすんでいた。
そこには、おそろしい ものたちが いて、バッタを たべてしまおうと ねらっていた。
だから、バッタは まいにち まいにち、びくびくしながら くらしていた。
しかし、バッタはこんなところで おびえながら いきていくのが、つくづく いやになった。
そして あるひ、バッタは けついした。
バッタは、おおきな いしの てっぺんで、ゆうゆうと ひなたぼっこを はじめた。
そんなことを すれば、すぐ てきに みつかって たべられて しまうことを、バッタは しっていた。なのに、バッタは そうした。
やっぱり、ヘビに みつかってしまった。
ちょうど そのとき、カマキリも おそいかかってきた。
バッタは、しにものぐるいで とんだ。
ヘビを へこまし、カマキリを ばらばらにして。
クモのすと クモを めちゃめちゃにして、バッタは とんでゆく。
そらの トリは、てっぽうの たまに あたったのかと おもった。
バッタは、たかくにある くもを ひきやぶり、
ついに なによりも たかく のぼりつめた。
しかし バッタは、もう それいじょう のぼることが できなかった。
バッタは、したへ したへと おちていった。
バッタは、じぶんの せなかに ついている よんまいの はねに きづいた。
それは、いままでに いちども つかったことの ない ものだった。
もう、だめかと おもったとき、バッタは むちゅうで はねを ばたつかせた。
すると、からだが きゅうに かるくなって、バッタは うきあがった。
「なんだい、あの みっともない とびかた!」トンボが すいーと きて、ばかにして わらった。
「まあ、おかしな とびかた!」チョウたちが、ひらひら まいながら はやしたてた。
しかし、バッタは、なんと いわれようと へいきだった。じぶんの ちからで とべることが、
うれしくて うれしくて しかたなかったから。
バッタは とんだ、たかく たかく。
じぶんの はねで、じぶんの ゆきたいほうへ、かぜに のって とんでいった。
バッタは あれちを こえて、
はるかに とんでいった。


 この絵本と出逢ったころは、バッタに憧れ、自分がバッタになって、はるか海をこえていく姿をうっとり空想しているにすぎなかったけれど、今、それは現実のことにする時だと告げられているような気がします。田島さんの絵の迫力にあらためて触れて、ドキドキしています。今の私は、自分の羽が何かということもうすうすわかってきていますから…とべバッタ!!



No.7
2002年09月11日 02:46
送信者:miduki < >
表題:意志が弱いってそんなにいけないことですか?

正直大学か専門学校をでておかないと不安です。
今のままだと学歴が中卒。将来が不安。
「今から将来のこと心配してどうすんの?」って言われた。
それもそうだな〜、っと思う反面、
今じゃなきゃ出来ない心配事もあるとも思った。
‘その時’が来た時はもう遅いんじゃないか?

僕は周りの目ばかり気にしているし、意志が弱いとも思う。
でも、そんな自分を否定された時、腹も立ちました。


No.6
2002年09月10日 00:48
送信者:となりのtotomo < >
表題:子どもはみーんな特命天子

昨年8月、不登校になりたての娘(当時中2)と夫と3人で臨床心理士の降旗先生のお宅に伺った時の事。
 先生は「子どもたちは、天からあるいはご先祖様から、お二人の元へ、大切なメッセージを伝えるようにと、特別な命を受けて、全てを知った上で、お二人のところに生まれてきてくれた特命天子(天使)ではないでしょうか。」と言われた。娘も私たちもそれに深くうなずいていました。
 特命天子…私の、夫の未熟さも臆病さも分かった上で、だからこそメッセージをしっかり手渡そうと、苦労を承知の上で生まれてきてくれた。そう思ったとき、本当に娘に生まれてきてくれてありがとう。メッセージに今まで気がつかずに、ごめんなさい。
私は子どもたちのメッセージを受け止められる人間になりたいです。と思いました。
 あの日から1年5ヶ月がたちました。先生の家から我が家へ帰る途中で立ち寄ったレストランの夕食のおいしかったこと!!夕方娘と久々にそのことが話題になり、また、食べにいきたいね〜と語り合いました。
 焦ったり、悩んだりもしたけれど、静かな時の流れにしっかりと抱きとめられながら、素敵な出逢いをたくさん与えられて暮らしてきました。じぇりさんがーーーそれまでの(不登校前)の幸せのなんと薄っぺらだったことかーーーと書いてあるけど、本当にそうだなぁと思います。本当の幸せに子どもたちにが導いてくれているような気がします。迷走ばかりの「未熟者の母で申し訳ない。」って感じですが、『ここから学びなさい』という声だけは聞こえるようになりました。何年もかかってやっと…。
 何年もというのは、我が人生で不登校(登園拒否)に遭遇するのは、実は3度目。最初は今から41年前に自分自身が。(私も特命天子だったのねん♪)2度目は12年前に長男が。そして、去年長女が。3つとも私の心の風景が違います。ゆっくりだけど、私は自分が好きになってきていることをとっても嬉しく思います。Kokoroさんの文章のあちこちに自分が重なり合いました。不登校云々ではなくて、世界中の子どもたちはみーんな特命天子。地雷を踏んで足を失くした子どもたちが、澄んだ目をして笑顔で遊んだり、懸命にリハビリをしてたりするのをテレビでみるとき、あー本当にここから学ぶことのできるものとなりたいと思うのです。


No.5
2002年09月09日 21:32
送信者:Kokoro < >
表題:

私が私でいられるようになったのは、40歳を過ぎてから。
親に愛されなかった父は、私を「幸せ」にするためにコントロールし、支配した。
「愛という名のコントロール」だった。
父のもとを離れても、見えない影が私の心をコントロールし続けた。
私は父の期待に副えないダメな娘だという思い。
それが息苦しさの原因だということに気付いて数年、苦しかった。
恨みと愛情との狭間で、父を責めたり自分を責めたり・・・。
けれど、救われた。子どもが救ってくれた。
苦しむ子どもを全力で守ろうとする中で、必死で自分を守ってきた幼い頃の私に出会ったから。
「ダメな子じゃない。本当によく生きてきた!」小さな私にそう語りかけることができたから。

そのとき、私はようやく「私」になり、初めて自分をいとおしいと感じることができた。
40を超えてから手に入れたわが人生を、今私は精一杯生きている。
いいことも悪いことも全て受け入れる喜びを味わいながら・・・。
生きている!


No.4
2002年09月08日 21:44
送信者:みけ <mikenyoko@yahoo.co.jp >
表題:私も・・・

私も、流産を2回経験しました。2回目の流産の後、意地でも3人目を産んでやる!・・・と思いました。そして、6年ぶりに3人目が来てくれました(今2歳)。
こんな風に書くと、子供を産むのはまったく親のエゴだなーと思っちゃいますね。私だけかも知れないけど。。。
初めて自分の赤ちゃんを育て始めた頃、「産んじゃってごめんなさい」と何度も思いました。人間は、生まれてくること自体が苦しみですよね。生まれてきた以上は、痛いとか痒いとか、悲しいとかいう、外部からの刺激を避けられないわけですから。
でも、その中で、それぞれに自分の生きてる意味を問い続けているんですよね。

子供が不登校になる少し前、私自身すごく生き辛くて、私は「生きてるだけで、何もしなくてもここにいるだけで、それだけで価値があるんだよ」と誰かに言ってほしかった。そのことを確かめたかったんだと思います。
それなのに、子供にはあれこれ指図したり、イライラしては八つ当たりしたりしてたのです。
子供が不登校になったのは、必然だったのです。
でも、それは決して不幸の始まりではなく、「どっきりカメラ」のようにハラハラ、ドキドキさせておいて、最後にすてきな、しかも一番ほしかったプレゼントをドーンと目の前に置かれたような、そんな気持ちにさせられました。

子供を産むことはエゴだけど、その子供とともに生きようとすることで、親は許してもらえる・・・いや、もう子供は最初から許しているんでしょう。それに気づいた時に、親は自分を許すことができるのではないでしょうか。
本当に、こちらが産んでやった、育ててやったなどと思っていては、さすがの子供も嫌気がさしますよね。オムツを替えた恩は、もうとっくに返ってきてます。何倍にも大きくなって。。。


No.3
2002年09月07日 09:50
送信者:えびいち < >
表題:私の病院友達

 私は、右手の怪我のため、札幌医大病院へリハビリ通院をしています。手術は、昨年11月と今年5月に行い、順調に復帰へと向かっています。入院中(整形外科)は6人部屋でそれぞれ症状は違い、そんな中でも泣き、笑い、時には真面目な話もし(これはあまりなかったけど)約3週間の闘病生活を送りました。膝に人工関節を入れたおばあちゃん、太ももに良性腫瘍ができたおねいさま、内臓疾患があるため外科手術を受けれないおばさん、骨肉腫のともちゃん、頚椎損傷のおばさん、そして私。骨肉腫のともちゃん・・・私と同じ歳・・子供が3人いて、上の子は中学生の男の子と、女の子。そして1番下が3歳の男の子。ともちゃんは気丈にも泣き言ひとつ言わず、皆に症状を教えてくれました。そして、理化学療法の出来ない医大病院!ホスピス系の病院へ転院しました。ともちゃんは、そこで初めて「抗がん剤が辛い」と涙をながしました。肺への転移と腫瘍を小さくするための治療を受けていました。8月に入り、ともちゃんの膝の腫瘍は小さくなりませんでした。右足切断です。ショック状態に陥り、医大のICUに緊急入院しました。仮義足を作り、また理化学療法にホスピスの病院へ移ります。転移を防ぐためです。ともちゃんは、「頑張らなくては」と言います。返す言葉もなく、しっかり抱きしめてきました。ともちゃん以外の同室の方たちは、元気になりそれぞれ退院して行きました。ともちゃん以外に、もう一人喫煙仲間のおじさん、小松さんがいます。小松さんは、耳鼻咽喉科に入院中で、左目に悪性腫瘍が見つかりました。眼球摘出手術を受けましが、取りきれず、眼球の奥深くまで頬骨を削り広範囲において摘出手術を受けました。顔面変形と味覚障害・・食事は取れず、直接胃まで管を通し流動食です。お話は筆談です。小松さんは「辛い、辛い」と言います。「病院なんだから、ゆっくりしていていいんだよ」と言うと、最初はあせっていた小松さんが日を追う事に「そうだよな」と言う様になってきました。私が行くと、とても喜んでくれます。「頑張る・・・頑張れ」の言葉って日常なにげなく使っているけど、難しい言葉だとつくづく思います。


No.1
2002年09月05日 18:18
送信者:Reiko < >
表題:やっとこさで!

 皆様に大変長い間、ご迷惑をおかけいたしておりましたが、この度やっとこさで!掲示板を復活することができました。
 世話人の渡辺さんのお宅のPCを借りて、復旧することができました!
 
 管理人の家のPCの復旧は、9月11日以降になりますが、内沢朋子宛てのメールも、渡辺家様のおかげで!
受け取ることができるようになりました。

 Reiko





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Last updated: 2003.11.4
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