登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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新聞各社の報道記事内容


朝日新聞


議あり!
800人参加の全国合宿を準備

不登校は子どもの権利



「登校拒否を考える親・市民の会」代表世話人 内沢朋子さん(57)


 「不登校や引きこもりは、子どもが自分らしくありたいという意思表示。明るい未来の前触れなのです」



 霧島町で7月末、「登校拒否を考える全国ネットワーク」が主催する全国合宿があった。九州で初めて開く準備を一年前から進めてきた。



 「200人も来れば」と見込んでいた参加者は800人を優に超え、関心の高さを改めて感じた。
 85年、小学校1年生の長女が帰宅して、泣きながら言った。「はしを持っていくのを忘れて、手で給食を食べさせられた」。学校現場の実態に疑問を感じるようになった。



 その二年後の暮れ、養護施設の県立牧の原学園(国分市)で、入所していた当時13歳の少年が職員7人に暴行され、亡くなる事件が起きた。



 少年はいじめで不登校になった。だが、学校側に「いじめは解決した」と言われて連れ戻されたという。パンを盗んで施設に入ったと聞いた。
 「学校は「主役は子どもだ」と言う。でも、実際は子どもの気持ちがいかに軽く扱われているかを思い知った」



 89年に「登校拒否を考える親・市民の会」を発足させた。代表世話人として、主導的な役割を果たしてきた。



 知覧中学校の「いじめ自殺」で息子を失った両親が起こした裁判も支えた。
「つらくても、子どもは親に’学校を休みたい’とは、なかなか言えない。子どもが持っているのは、学校に通う「義務」ではなく、「権利」だと、多くの人に分かってほしかった」と振り返る。



 県教委は教員OBが学習指導をする「適応指導教室」を設け、「心の教育相談員」を中学校に置いて、不登校を減らそうとしている。「でも、増え続けますよ。学校の外で不登校児の居場所が充実するほど、子どもたちは「学校に行かない自由」を行使できるようになるから」



 「学校は行くべきもの」という考えに縛られる。不登校の我が子を受け入れることができない。そんな親たちの姿を見てきた。



 「生きている私を、親に認めてほしい。生きてるだけで大好きって言われたい」。
 今夏の全国合宿で、拒食症で不登校の県内の少女が話した言葉が忘れられない。



 「古い価値観を捨て、ありのままの我が子を受け入れる。そして、子のいきざまに親が学ぶことで、家族に笑顔が戻るのです
 (永井真妙子)




略歴
 45年、北海道函館市生まれ。89年、3家族で「登校拒否を考える親・市民の会」を立ち上げる。現在は100弱の家族が会員で、月1回、4時間の例会を鹿児島市内で開いている。
市内で夫、長女との3人暮らし。
 「会をやめたいと思ったことはない。毎回、あっという間に時間が過ぎる」。




鹿児島新報


教育はいま 第三部 登校拒否を考える



子どもたちの主張
「SOS気付いて」 シンポジウムで思い語る



 「ぼくは、子どものころから学校で性的ないじめを受けていました。学校へ行きたくなかったけど、父親は学校へ行かないぼくを許さなかった。「どうして学校へ行かないんだ」と馬乗りになってぼくを殴った」。



 大人になり、自分の経験を人に伝えようと思い立ち、パソコンに書きとめていた。
それを父親が見つけ、勝手に消してしまった。「何で消すんだ」と叫び、外にあった棒で父親の車をボコボコに殴った。近所の人が警察に通報し、連れて行かれた。病院で薬を飲まされそうになった。



 暴れた。「薬なんか飲んだってぼくの心の傷はいやされない、治らない」と叫んだが、精神安定剤らしきものを注射された。気がつくと、ベットにしばりつけられていた」。



 「ぼくはただ、父親にひとこと「すまなかった」と謝ってほしかった。そうすれば、ぼくは救われた。子どもはこれだけ傷ついているということでSOSを発信している。大人はそれに気付いてほしい」。千葉県に住む24歳の男性の話だ。



 7月28、29の2日間、姶良郡霧島町のホテルで「登校拒否を考える全国ネットワーク」が主催し、「登校拒否を考える夏の全国合宿2002In 鹿児島」が開かれた。14年度の学校基本調査によると、全国で登校拒否をしている子どもの数は約14万人。



 県内では1648人とされている。合宿には全国から約800人の親子が参加した。「不登校の子どもにどう接すればよいか分からない」「引きこもる子どもをどうすればよいか分からない」と放す親たちが”出口”を求めて集まった。



 不登校をしている子どもたちが集まって開いたシンポジウムでは、自分の思いをそれぞれ語った。鹿児島市に住む19歳の女性は高校から不登校になり、過食や拒食を繰り返した。



 「過食や拒食を繰り返すことで、自分の苦しさをアピールしていた」と話す。
「親が不登校を心配して、心療内科に連れて行ったりした。いろいろされればされるほど自己否定をしてしまい、”私は生きていていいの?”と思い悩んだ」。



 女性は、親が「登校拒否を考える会 かごしま」に参加し、不登校に対する理解を深めてきたことで前向きな考え方をし始めている。「学校は行かなくてもいい。生きてるだけですばらしい。引きこもりだって何だって、人間がしていることは、その人にとってそのときに必要なもの」



 東京都の20歳の男性は、学校の規則や価値観を押し付けられることに嫌気がさし、不登校になった。「学校へ行かないのは、逃げているわけではない。学校へ行くことで自分をごまかしていた自分との戦い」と話す。



 しかし、学校へ行かない子どもの親の反応はさまざまだ。「学校へ行かないことを認めてくれた。この先どうなるのかと考えていたとき’何でも応援するから’と言ってくれた。うれしかった」という子どもがいる一方で、「’学校へ戻って’と懇願される上、学校へ行かない子どもをめぐって両親はけんかする。本当に落ち込んでしまう。そして’いつ学校へ行くの’と、迫られて困った」と話す子どももいる。



 「登校拒否」をテーマに繰り広げられた2日間を中心に、当事者たちの生の声を拾った。(有村広代)








教育はいま 第三部 登校拒否を考える




親の悩み
どう対応すれば・・・ 
「行かない権利認めて」


 登校拒否の子どもを持つ親の悩みは深刻だ。予想しえなかった事態に、親たちはどう対応すればよいのか分からない。全国から集まった親たちは、分科会で自分の悩みを打ち明けた。



 二人の子どもが登校拒否になった父親は「兄が週に3回くらい学校へ行かなくなった。そのうち、弟も行かなくなった。無理やり連れて行くと泣いた。みんなの注目を浴びて、ますます行きたくなくなったようだ。「なぜ学校へ行かないのか」と言うと、トイレや押入れに隠れてしまい、出てこない。わたしは子どもをほっといていいものか、しかるべきなのか分からない」。



 また、一人の母親は息子の暴力におびえ、いいなりになっている現状を話した。「夫が単身赴任になり、中学一年生の夏から家庭内暴力が始まった。自分の部屋に引きこもり、週に2−3回、雑誌を買うために出てくる。



 そのとき、一緒に本屋めぐりをする。一冊の雑誌を買うだけだが、息子は「ページが折れ曲がっている」「指紋が付いている」といって、次から次へ本屋を回るために何時間もかけて車を走らせる」



 その母親はさらに続けた。「わたしは子どもが幼稚園のときから、いじめに遭っていたのに泣き寝入りをしてしまった。子どもにつらい思いをさせていた」
 語り終えた母親に、司会を務めていた登校拒否を考える親、市民の会かごしまの内沢朋子さんは言った。



 「息子さん、苦しいわね」。
母親には意外な言葉だったらしく、「え?息子がですか?」と聞き返した。「息子さんの無理難題に付き合うことは、息子さん自身を苦しませることになる」と。



 ほかにも、強迫神経症になり、「あいつはキレると面白い」と学校でからかわれる子ども、いじめを受けていたが親には言えず、体調を崩した子ども。さまざまなケースが、参加者の口から明らかにされた。登校拒否を始めた原因はそれぞれ違うが、共通するのは「追い詰められている」という事実だ。



 登校拒否を考える親、市民の会かごしまは、「学校へ行かない権利」を提唱している。学校へ行ける子どもは行けばいい。憲法26条の「教育を受ける権利、教育の義務」は、大人に課せられたもの。



 子どもの「教育を受ける権利」を保障している。
しかし、「権利」は「しても、しなくても」いいものだ。学校で幸せに暮らすための権利を侵害されたとき、子どもが「学校へ行かない権利」を行使できるという考えだ。 



 学校へ無理に行かせようとするのは子どもに加害することと同じことだ、と内沢さんは言う。「子どもは体を張って拒否する。それが過食だったり、手洗いを繰り返すことだったりする。親のありようが大切だ」。「子どもを異常視するな、いいなりになるな、ガラス細工のように扱うな」。これが登校拒否の子どもと向き合うポイントだ。



 「学校へ行かなくてもいい」と言える親は数少ない。言えても、内心は「行ってほしい」と願ってしまうという。「子どもを変えるのではなく、親が変わらなければ。子どものつらさが理解できるようになれば、親も子も大丈夫」と内沢さんは語った。
(有村広代)







教育はいま 第三部 登校拒否を考える




 これから
 登校拒否を肯定的に


 フリースクール東京シューレの主催者、奥地圭子さんは、登校拒否をする子どもとその親にとって”カリスマ的存在”だ。教師だった経験と、登校拒否のわが子と接してきた。



 奥地さんに悩みを聞いてもらいたい--。そう願う親たちが「この人と話そう」の会場に集まった。
 女の子を持つ父親は、学習の悩みを打ち明けた。「登校拒否は受け入れる。でも学習面でどうなっていくのか、将来を心配している」。



 奥地さんは笑顔で答える。
 「小学校4−5年生程度の基礎学力はあったほうがいい。それよりも、子どもの興味や関心を大事にすること」



 奥地さんは、”九九”を覚えなかった我が子が、趣味の釣りを通して覚えたことをはじめ、興味を持つことで知識を身に付けていった例を話した。「子どもが学びたいと思ったときに協力してあげることが重要」と説くと、父親は安心した表情をみせた。
 


 奥地さんは、増え続ける登校拒否をこう分析する。 
 「学校へ行くことでいじめや体罰など、「自分にとってマイナス」がある経験でストレスを感じたり、規則の枠にはまるためのプレッシャーから自分を守るために距離を取っている。登校拒否は75年から増え続けており、学校離れは進んでいる。



 90年代に入り、いじめなどの理由のほか、「つまらない」「意味が分からない」というものも増えた。情報量も増え学校の魅力が少なくなっているのでしょう」



 さらに「学力の低下がいわれているが、学習意欲の低下といったほうがいい。違う教育のやり方を求められている時期」と続け、フリースクールの役割の大きさも指摘、行政が学校制度や価値観を転換し、子どもの選択の権利を広げる必要性を訴えた。



 登校拒否を考える親、市民の会の内沢朋子さんは「行政には何もしてほしくない」と言う。行政がいろいろな事業をして学校へ行かせようとすると、子どもはますます自己否定をしてしまう。



 「子どもは生きる力を持っている。でも、お節介されると、その力が損なわれてしまう。学校でなくても生きる力は発揮できる。わたしたちは、登校拒否を否定的にとらえるのではなく、むしろ肯定的にとらえて応援していきたい」



 いじめで息子が自殺した村方美智子さんは、合宿中に開かれた訴訟の報告会の中で訴えた。「わたしは、子どもの学校へ行きたくない気持ちに気付かなかった。学校へいくのは自然なことだと思っていた。「学校へ行かない権利」を勉強して初めて分かった。もし、あの子が生きているのなら「学校は行かなくてもいいんだよ」と抱きしめてやりたい」



 登校拒否を考える親、市民の会に参加しているある親は、同会が発行する投稿集にこう記す。「”子どもを変えるのではなく親が変わらないといけない”とか、最初は何を言っているのだろう。



 次に、言っていることはわかるのだけれど、なかなかね。
やっとこのごろは、そうだよね、とうなずけるようになりました。



 わたしが変わったのかどうか、自分でははっきりしませんが、でも、本当にそうだよねと納得するこのごろ。子どもたちとのことはまだまだこれから。
夫婦一緒に子どもたちを見守っていこうと思います」

(有村広代)




西日本新聞


不登校や引きこもり
「明るい未来の前触れ」

鹿児島・霧島町で全国合宿



 鹿児島県霧島町で7月27、28日に開かれた「登校拒否を考える夏の全国合宿2002In 鹿児島」(登校拒否を考える全国ネットワーク主催)。



 子どもや保護者ら約800人が参加した合宿は、不登校や引きこもりは「明るい未来の前触れ」という前向きな意識を子どもや親が共有した合宿だった。
テーマ別分科会やシンポジウムの発言から、不登校問題の現在を探った。



参加親子 新たな意識共有



後悔の涙流す
 「いまからでもいい。あのときは悪かったと親に謝ってほしい。たった一言、「学校に行かなくてもいいよ」と言ってもらえていれば・・・」



 不登校、引きこもりをテーマにした分科会。約40人の親や若者を前に埼玉県の20代男性は涙ながらに訴えた。中学のころ、同級生のいじめが原因で不登校になった男性は、苦しみを暴力という形で表現した。だが、父親は「お前みたいなやつは一生ここに入ってろ」と病院に入院させた。男性は「心の傷は薬では治せないのに、何も理解してもらえなかった」という。



 不登校に至る理由はさまざまだが、苦しむ子どもをさらに追いつめているのは、親の無理解や過干渉、世間体を気にする態度だ。明るく元気でいなさい、よい成績を取って進学しなさい、たくさん友達をつくりなさい、学校だけは行きなさい・・・。日常の何げない言葉が重圧となる。



 不登校経験者の若者によるシンポジウム。「勉強、明るさ・・・。なぜ大人はいろんなものを求めるのですか。ただ生きてるだけの私を受け止めてはもらえないのですか」。女性(19)の問いかけに、多くの親たちが後悔の涙を流していた。



出会いの場を
 かつて、不登校は「学校恐怖症」「登校拒否症」と病気扱いされてきたが、文部省(現・文部科学省)は1992年、「不登校は誰にでも起こりうるもの」と認識を転換。



 フリースクールや親の会、行政による適応指導など学校以外の”居場所”の広がりによって、社会的な理解も進んできた。
文科省によると、2001年度の小中学生の不登校は過去最多の約13万9千人。少子化にもかかわらず、この四半世紀、増加の一途をたどっている。



 そして、新たな社会問題となってきたのが、80万人ともいわれる「引きこもり」。不登校がきっかけとなったケースも多いとされるが、実態は不明だ。



 フリースクールの草分け、東京シューレ(東京)は、昨年から「引きこもりの出会いの会」を始めた。東京シューレ理事長の奥地圭子さんは「孤立した親が、教師と一緒になって子どもを追い詰め、そこにたくさんの悲劇が生まれてきた。仲間が出会うきっかけを提供したい」と話す。



 いま、引きこもりの子どもや家族を最も苦しめているのは”偏見”だ。その偏見を取り払うという新たな役割が、関係者に求められている。
 親のあるべき姿とは。



 登校拒否を考える親、市民の会(鹿児島)代表世話人の内沢朋子さん(57)はこう話す。
 「親はゆりかご。ゆりかごが手を出したり、あれしろ、これしろと言っては、子どもはゆっくり休めない。学校に行くのは当然、という価値観から、まず親が脱却し、常に子どもの気持ちに寄り添ってあげてほしい」


2002.8.18






不登校の悩み語り合う 鹿児島・霧島町 夏の全国合宿が閉会

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 鹿児島県霧島町で開かれていた「登校拒否を考える夏の全国合宿2002in鹿児島」(登校拒否を考える全国ネットワーク主催、現地実行委員長・内沢朋子さん)が二十八日、二日間の日程を終え、閉会した。不登校の子どもや支援団体、フリースクールの関係者らが、分科会やシンポジウムを通して、悩みや体験をともに語り合った。



 この日開かれた「親たちのシンポジウム」では、わが子の不登校や引きこもりに悩み、戸惑ってきた五人の父母が涙や笑いを交えて意見交換。



 兄妹が不登校になったという鹿児島県の父親は「一番苦しんでいるのは子どもだと、なかなか理解できなかった。不登校のおかげで、一番大切なのは仕事ではなく、家族と気付かされた」と告白した。




 閉会後、全国ネット代表で、フリースクール東京シューレの設立者、奥地圭子さんは「不登校や引きこもりに悩み、孤立している親たちは多いはず。あきらめてしまう前に、語り合える仲間を探してほしい」と話した。

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/today.html#019





朝日新聞


不登校に理解進む 夏の全国合宿閉会
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 2日間にわたって霧島町で開かれていた「登校拒否を考える夏の全国合宿2002」(登校拒否を考える全国ネットワーク主催)が28日、幕を閉じた。



 不登校を「一つの生き方」として肯定的にとらえた合宿で、九州で初めて開かれた。不登校に悩む子どもたちや親ら800人を超える参加者が集まり、悩みを語り合い、交流を深めた。

 ■シンポジウム

 不登校を経験している子どもたちのシンポジウムでは、「なんで学校にいけないんだろうと悩んだ」などと、率直な意見が飛び交った。



 県内の女性(19)は「なぜ生きているだけではだめなのか。
受け入れて抱きしめてくれるだけでいいのに」と訴えた。東京都の男性(20)は「不登校は「正しい」こと。学校に行かない選択という文化を作っていけばいい」と主張した。



 不登校の子供を抱える親のシンポジウムでは、5人のパネリストたちが、我が子の不登校体験をユーモア交じりに話した。会場からは時折、笑い声がおこった。



 県内の男性(50)は、過食と不登校をしている娘(19)に、「一生過食だったらどうするか」と聞かれ、答えに窮したエピソードを紹介。「娘を全面的に認めるには至っていないが、前向きに進んでいきたい」と話した。



 現地実行委員会の「登校拒否を考える親・市民の会」(鹿児島市)の内沢朋子代表世話人は「不登校は自分らしい生き方を選択している明るい現象だ。
逃げず、恐れず、向き合ってこそ家族は変わる」とまとめた。



 ■分科会と講演会

 不登校や引きこもりなど、両日合わせて14の分科会があった。
各分科会ではNPO法人全国不登校新聞社理事の多田元さんや、鹿児島大の内沢達教授らを講師に迎えて話し合った。登校はしたが苦しかった高校時代や親との確執などを吐露する若い女性らもいた。



 全体会では、知覧中いじめ自殺訴訟原告の村方美智子さんが「かけがえのないわが子を失って」と題して講演。「学校に行かなくてもよいのだとあの時言っていれば、今息子は生きていたはずだ」と述べると、会場は、タオルやハンカチで目を押さえる人の姿が目立った。



 2人の息子が現在不登校中という広島県の女性(45)は、「親や教師といった周りの大人たちが、子どもをしっかり受け止めなければ」と話した。


(7/29)

http://mytown.asahi.com/kagoshima/news02.asp?kiji=2050




南日本新聞

不登校体験語り、700人が交流−霧島・全国合宿
  −大平弁護士ら苦悩訴え
 「登校拒否を考える夏の全国合宿2002in鹿児島」(登校拒否を考える全国ネットワーク主催)が27日、霧島町で始まった。不登校の子どもや保護者ら約700人が、鹿児島をはじめ全国から参加。自分の体験を語り合って交流を深めた。28日まで。
 「だから、あなたも生きぬいて」の著書で知られる弁護士の大平光代さんが講演した。中学時代、いじめが原因で不登校になり、自殺未遂を経て非行に走った体験を紹介。「子どもの苦しみを親や周囲が理解できないと追いつめられる。親への暴力などいろいろしたが、今は後悔している。こんな苦しみを味わってほしくない」と訴えた。
 不登校の経験がある子どもらによるシンポジウムでは、「親が理解してくれたのがありがたかった」「生きているだけでも素晴らしいこと。ありのままの私を見て、受けとめてほしい」などの意見が出た。
 28日は、「不登校」「引きこもり」などのテーマについて子どもの年代別分科会
や、親によるシンポジウムなどがある。

http://www.minaminippon.co.jp/2000picup/2002/07/picup_20020728_7.htm



「子への理解が大事」
不登校を考える全国合宿終了 保護者ら心情語る



不登校の子どもや保護者が全国から霧島町に集まった「登校拒否を考える夏の全国合宿2002In鹿児島」(登校拒否を考える全国ネットワーク主催)は最終日の28日、いじめによる自殺で子どもを失った母親の体験談などの講演があった。



1996年、いじめを苦に自殺した当時知覧中の村方勝己君の母親美智子さんが講演
「学校から逃げたいという子どもの気持ちにきづかなかった」と当時の状況に触れた。



 さらに「自殺した後になって、子どもが行きたくないときは無理に学校へ行かなくてもいいんだと分かった。
(自殺まで追い込まれる)子どもを二度と出してはいけない」と話した。



 不登校児の保護者によるシンポジウムでは、子どもが不登校を始めたときの親の心情などが語られた。
「初めは苦しんだが、親の会などで多くの人と話して、子どもを理解できるようになった」「親が子どもを理解してあげることが大事」など生の声が出た。



2002年7月29日月曜日     




 霧島で不登校を考える合宿
 子どもから学び解決策探そう −−シンポ分科会で800人意見交換-----
 
 「登校拒否を考える夏の全国合宿2002in 鹿児島」(登校拒否を考える全国ネットワーク主催)が7月27日、28日の2日間、霧島町であり、全国の参加者がシンポジウムや分科会の報告に聞き入った。



不登校や引きこもり問題に13年前から取り組む、同ネットワーク代表の奥地圭子さんは、「常識にしばられず、子どもたちから学んでほしい」と訴えた。 (社会部・桑本伸二)


 積極的な見方が大切


 「不登校は、自分らしい生き方をする自立への始まり」。合同合宿のオープニングあいさつで、
奥地さんは積極的なものの見方の大切さを親たちへ語りかけた。



 鹿児島へ台風が接近する悪天候の中、全国から773人が駆けつけた。
建前や常識にとらわれがちな大人に対し、「私たち自身が、ずれているのでは」と問題提起した。



その上で「引きこもりを否定せず、子どもから多くを学んで」と前向きな考え方を説いた。
 初日の「子どもシンポジウム」では、不登校経験のある全国の高校生5人が、思いのたけをぶつけた。
 鹿児島市の山口愛美さん(19)は、高校二年で不登校になり、中退。現在は昼夜逆転の生活を送っている。



「生徒会に入り、校則のつまらなさに辟易していた。でも、学校に行けなくなった理由は、よく分からなかった」という。
 高校一年で拒食症となり、それが過食症に変わって現在も続く。



「食べては吐く生活で、自分の苦しみをわからせたかった。一番やせたときは体重が三十キロまで落ちた」



 ■せかされ反発
 不登校になったとき、親や教師から言われたこと、されたことは--という司会者の問いに、
東京の石井志昂さん(20)は「何をしてもいいから。私はあなたを応援する、と母親に言われうれしかった」と話した。



 山口さんは、過食症を心配した家族に診療内科へ連れて行かれたときの複雑な思いを、「いじくられるようでいやだった」と話す。
「薬のんだ?」との家族の問いに「のんだよ」とうそを繰り返した。



いじくられることで自己否定に走り、生きることに思い悩むのだという。
「生きてるだけの、ありのままの私を受け止めてほしい」。本音を切々と語った。



 熊本出身の小松雄太さん(16)は中学二年で不登校となり、家に一年間引きこもった。
「明日は学校へ行ってくれるよね」[来月は」「新学期から」「来年こそ」とせかされると、いやだ、いやだ、と否定的になってしまうと話す。



 「このままじゃだめだ」。自分でも思い悩む中、フリースクールの存在を知り、現在は東京シューレ高等部へ通う。
登校しようとすると、原因不明の腹痛が起きていたが、次第に解消したという。



 ■「家族第一に」
 合宿2日目の親たちのシンポジウムでは、東京や埼玉などから参加した五人が語り合った。
 鹿屋市の森田重則さん(50)の家庭では十九歳の息子と十七歳の娘が不登校を続けている。



徳之島へ単身赴任した五年間は、現実を直視せず家族を顧みない父親だったと振り返る。
 徳之島へは二回赴任。一回目は家族みんなで島の生活を送ったという。



家の近くで子どもと遊んだ帰り道、娘の手を引いて、三輪車に乗った息子は砂を積んだおもちゃの車を引いて・・・・。
当時の原風景を語る途中、森田さんは言葉を詰まらせた。一瞬の無言。会場ではハンカチを目にあてたり、すすり泣く姿があちこちでみられた。



 「不登校でも、子どもが家にいるのは幸せなこと。
子どもと対等な関係を築きたい」。仕事人間だった森田さんは「これからは、家族を第一にする」。そう決意を語った。



 ■今ならば
 1996年、知覧中三年の村方勝己さん=当時(14)=がいじめを苦に自殺した事件について、
母親の村方美智子さんの報告もあった。その中で、亡くなった当日の様子や「ぼく自殺する」と最後の言葉を残したことなどが語られた。



 「学校へ行きたくない、と話す勝己の気持ちを分かってやれなかった。
なぜ、勝己が自殺すると言ったとき本気で聞いてあげられなかったのか」。後悔の念は癒えない。



 「(ネットワークの存在を知った)今なら、学校へ行かなくてもいい、と言ってあげられたのに・・・・」
 鹿児島開催の現地実行委員長の内沢朋子さんは「今の子どもをそのまま受け入れることが一番大切」と話した。



 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)のホームページはhttp://futokokagoshima.tripod.co.jp

(2002年8月6日)



毎日新聞
2002年7月28日(日曜日


「不登校を考える」
 夏合宿に全国から700人 霧島町で

 不登校について考える「登校拒否を考える夏の全国合宿」が27日、霧島町のホテルで始まった。
登校拒否を考える全国ネットワーク(奥地圭子代表)の主催で、今年で13回目。全国から不登校の子どもや保護者など約700人が参加した。28日まで。



 この日は、「だから、あなたも生きぬいて」などの著者で知られる弁護士の大平光代さんが中学校の時にいじめから不登校になった経験を交えて講演。相談を受けた不登校の少女の事例を紹介しながら「子どもは何か目標を持つとパッと変わることもある。無理強いをせず、子どもが本当に何を求めているか十分に聞いてやってほしい」と訴えた。



 その後のシンポには、現在、不登校だったり、以前不登校を経験した10代の子ども5人が参加。
約一年間、自宅に引きこもっていたという小松雄太さん(15)は「いつまでに、何をするのか、と迫られると苦しい。親は子どもを肯定的に見て」。



 高2から不登校になったという山口愛美さん(19)は「昔は、なんて私はだめなんだろうと、自分を責めてばかりだった。最近、今のままの自分でいいと思えるようになってきた。(
周囲が)色々言うと子どもは自己否定に走ってしまう」と話していた。 [須藤孝]



西日本新聞
(2002年7月29日(月曜日))




ひと

「登校拒否も引きこもりも、子どもたち一人ひとりが大事にされていない学校への異議申し立てであり、「自分らしく行きたい」というメッセージ。明るい未来の前触れなんです」



 不登校、引きこもりの子ども、フリースクールなど支援団体の大人ら約700人が集い、鹿児島県霧島町で27,28日に開かれた全国合宿。約一年間にわたる開催準備から、当日の司会、分科会の取り仕切りまで、元気に飛び回った。


 26年前、北海道から鹿児島市に移り住んだ。
 ある日、小学校1年だった長女が、学校にはしを忘れ、教師に手づかみで食べさせられた。母親として、体罰がまかりとおるような、前近代的な鹿児島の教育風土に衝撃を受けた。



 「教育とは権利。主人公のはずの子どもたちが、力で抑えつけられ、義務教育がはき違えられている」。危機感を抱いた仲間とともに1988年、「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」を、翌年には「登校拒否を考える親・市民の会」を設立した。



 数々の異常な体罰を世に明らかにし、男子中学生の丸刈り強制廃止に取り組み、知覧中いじめ自殺訴訟を支援してきた。


 だが、その姿は’闘士’ではない。子どもが語るつらい体験には、優しく包み込むように耳を傾け、迷う大人にはきっぱりと「あなたが変わらないと駄目」と助言する。
 根底にあるのは、「子どもの生き方を心から認める伴奏者として歩みたい」という愛だ。



 「一番の理解者であり、けなし合う仲間」という夫の達さん(55)は鹿児島大学教育学部教授。57歳。夫、長女(23)と鹿児島市在住。
 親の会のホームページアドレスはhttp://futokokagoshima.tripod.co.jp →変更http://futokokagoshima.web.infoseek.co.jp/
 (社会部・塚崎謙太郎)




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