登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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2004年10月17日 親の会より



10月はお待たせしました親の会15周年記念誌が完成した月
嬉しさが自然にこみ上げます。

初参加のかたを含め44人が参加されました。



 親の会に参加するようになって、
親の私の気落ちが楽になってきました。
「ねばならない」と自分を縛っていたのは
「私」だったんですよね。


言うはやすし、・・・
失敗話に、そうだよねえとうなずいて・・・
親の会はなんでもは話せるんだよね。
わかってくれる仲間がいるから。


「夫が書いた15周年の記念誌の原稿を読んで
涙があふれました。
夫婦の気持ちがはなれていったときのこと、
それでも我が子を信じてふたりで心をひとつにしたあの日。
あの日々があったから、いまがあるんだよね」

15周年の記念誌は家族の愛を確かなものにする
かけがえのない財産です。


 「電話に出られなかったのもちゃんとわけがあったんだよね。
いまでは、ずっと家にいてもいいと
自然に我が子を受け入れられるようになって、
私の気持ちがどんどん楽になっていきました。
私も、リストラばかりする会社を辞めて、自分を大事にしていきます。」


お父さんよかったじゃないですか。
そうやって、我が子から、自分を大事にすること学ぶんだよね。



「幼稚園から行き渋る息子をむりやり行かせつづけて、
その時のことを思って・・・。
今は、親子の会話もできるようになって、息子の笑顔がなによりです。
記念誌の原稿は私の歩んできた道。」
こうして笑顔がでるなんて思ってもみなかったよね。

 

「 3人の子どもたちが行かなくなって5年が過ぎて、
今では行かないのがあたりまえです。
学校で学ぶ以上の知識を得ていて驚きの連続。
何か知りたいと夢中になっている子どもたちを見て、
知りたいというワクワクした気持ちを
学校はつみとっているんじゃないかな・・・って。」

日々発見のじぇりちゃん(左)の話に
「そうだよねえ・・・」とうなずくのでした。


 「私も3人の子どもたちが不登校になって・・・
当時は親の私がとっても自己否定してて、
いま、やっとエネルギーたまったなあって感じることが出来るようになったの」
記念誌に書いた原稿を読んで、
本当に幸せになったなあ・・・と
しみじみ涙があふれました。


 親の会で言われていることは
はじめはわからないことも、
あとで、じんわり「納得」していくんだね。
その時に、自分のものになっていく、
「説得よりも納得」
それが大事だよね。


 今月もたくさんの差し入れありがとう・・・
みかんはその一部だよ。
あまくておいしかったね。


 さて、ここらへんで内沢ファミリーのパソコン事件をバクロすっか。
何をかくそう、たっちゃんのPCがこわれて、
reikoに修理をお願いして、
親子だもの、さんざんバカにされたたっちゃんが
マジキレしたというお話。
一同大笑い。


家族はなんでもあり、
「はれもの扱いはしない。異常視しない。奴隷にならない」
この親の会の3原則は、すべてにあてはまる。
お互いが信頼しあうからこそ、はでなけんか(?)もできるというもの。


 親の会の15年の歴史は、簡単なものじゃない。
積み重ねのなかで多くの財産が生まれた。
「教育の専門書より、どんな本より、素晴らしい」と記念誌を
絶賛されました。
本当にみなさん、ありがとう。

いま、メールでたくさんご注文いただいています。





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Last updated: 2004.10.22
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