登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2014年4月例会より


目次


1 そのとき以来の鹿児島     ゆみこさん・まりこさん母娘

2 私が私になっていくために家族がいる     maaちゃん

3 いつでもなんとかなる、大丈夫!      内沢玲子

4 親は「なにもしない、なにも聞かない」      内沢 達

5 不安の塊だった私、元気になってきました     しずりんさん

6 そのままの自分で    内沢 達






そのとき以来の鹿児島     ゆみこさん・まりこさん母娘



―――今日はお久しぶりの方が3組参加されています。

ゆみこさん、お久しぶりですね。2005年9月にこの親の会に一度だけ参加されましたね。
とても大変で、お話してもらえる状態じゃなかったのね。

まもなくその年の11月鹿児島を脱出し、その後DVの夫と離婚して、当時小6で不登校だったまりこちゃん(現在20歳)とふたりで宮崎で暮らすことになりました。以前は鹿児島へ来ることはとても考えられないほどの恐怖だったのに、よく来られるほどになりましたね。

千葉から、maaちゃんが2009年以来です。2005年に初めて参加されてからの長いお付き合いですね。

そして、私の娘・玲子です。4年間続けてきた仕事をこのたび辞めて、少し傷心の帰省です。


ゆみこさん:

木藤さんと初めてお会いしたのは、スイミングクラブのプールで、他の人と違ってキリリとされていて、光っていました(笑)。他の人と違う人だなあとオーラを感じて、初めて会ったのに、名前も知らないまま、泣きながらあふれるほどの思いのたけを聞いてもらいました。

外に出るのが怖くて、何回も木藤さんがいるから大丈夫かなと思って、でも自分の気持ちを直視できなくて自分をごまかして、だまして、でもまた励まされて少しずつ勇気をもらって、家を脱出して宮崎の実家に帰りました。

脱出や離婚の決心をするまで何年もかかりました。そのとき34歳の11月11日でした。実家に帰るのも怖くてファミリーレストランで時間をつぶしたりしていました。


まりこさん:

私はずーっと父親とは絶対無理、自分が死んでしまうと思っていました。私が不登校になる前、学校に行っている間にお母さんが死んだらどうしようと毎日緊張して、そればかり思っていました。中学校も不登校で卒業した後1年間家にいて、通信制の高校に行き、今は宮崎にある大学の2年生になりました。


ゆみこさん:

実家の両親とはその後すぐ離れて二人で暮らしました。外に出るのが怖くて、買い物にも夜中に行って、昼夜逆転してだらだらして、でも休んでいるのに体が重くて動けない日々が6年くらいありました。

でもあるとき、いいやどうにでもなれ、と開き直ったたら初めて休めるようになりました。休むのもこつがあるんだなと思いました。


―――家を出ると決めたときのあの時のあなたの迫力はすごかったですね。自分で決心して殻をやぶるということは並大抵のことではないけれど、ひとたび決心すると、こんなにも自分を大切にできるんだなと感動しました。こんなに元気になって、鹿児島にも足を踏み入れることができて何よりでしたね。


その時以来です。今回、鹿児島に行こうと思い立ってすぐに決まりました。

動き出したとき、資格は持っていたんですが、最初看護師は無理かなと思って訪問看護の仕事をしたんですが給料が少なくて食べるのがやっとでした。看護師として働いたのは4ヶ月しかなくて、それが不安だったんですが、「はずかしがることないよ」と言った内沢さんの言葉を思い出して、「専業主婦を一生懸命やってきました。やる気だけはあります」と一生懸命言ったら採用してくれました。

結婚して夫に辛くされたり姑にもいろいろ言われたりもあって、最初から人間としての尊厳がなかったです。辛かったです。お産で帰って娘を連れて鹿児島に戻ろうとしたとき、実の両親からも理解してもらえず、あまりの辛さにつぶされそうで、おっぱいも出なくなって、鹿児島に帰っても地獄でした。

ほんとにこんなふうになれるなんて予想もできなかったです。こんなふうにいられるのも親の会のおかげです。生きててよかったです。

一人で死のうか、この子を連れて死のうかと何度も思いつめていました。8階から飛び降りようとしたら赤ん坊だった娘の泣き声が聞こえて思いとどまったこともありました。こんなに幸せになれるなんて夢想もできませんでした。


―――昔いじめで自殺した子どもさんの家にお伺いしたとき、そこに娘さんが自殺したというお母さんが訪れていました。離婚したいと訴えた娘さんに我慢をさせたととても悔いておられました。

人間嫌なことは我慢しちゃいけないんだよね。自分を大切にして生きて行こうとしたときに、勇気も元気も生きる力も湧いてくるんだよね。辛いことがあっても、その人にはちゃんと幸せな歴史が刻まれる。辛いとか自分のことが嫌いだなと思えば辛い歴史になってしまう。「幸せは自分で作る」ですね。







私が私になっていくために家族がいる   maaちゃん



4人家族で長男は26に、次男は22歳になったかもしれないです(笑)。夫は53歳です。

長男が中3で中高一貫の学校に行けなくなった時期と夫が会社を辞めたいと言った時期と夫の父が末期のがんになったときと重なって、3月に夫が辞めて義父も1月に亡くなって、息子も高校を1学期行ったか行かないかで退学しました。そのときも息子は私の不安をいっぱい聞いてくれる優しい子でした。

3年前東日本大震災があったころ、派遣だった私と、12月で仕事が終わった夫と、職安に通うことになりました。私は仕事が見つかりましたが、夫は仕事がなくてしばらく仕事を休んでいて、そのときは夫がいちばん幸せそうにしていました。子どもふたりの健康保険も私のところに入って、私が家族の支えになって働いています。

帰る途中に電話して、「今日のごはんなあに? 美味しくないとテンション下がるから美味しく作って」と言います。少しアルバイトした長男は今また家でゆっくりしています。

夫が仕事を始めると、家族の中でひとり辛そうになってしまうので、どうしたらいいかなあと考えて、声をかけるときにやさしくしてあげるとか、おつまみもひと手間かけて作ってあげるとか、たばこを吸う場所に決めてある手作りの「ベランダのマイルーム」(笑)に朝コーヒーを入れたよと優しく持って行ってあげたり、そんな優しさでちょっとずつ元気に変わってきて。

私もその時の仕事も大変だったので、ラフターヨガをやっていくと、楽しくなってきて、夫が怒るとそれもおかしくなってきました。ある日、夫が朝から人を否定するような、けなすような言葉を言ったことがあって、「私は褒め言葉しか受け付けません。今言った言葉は傷つきました。それ以外の言葉は全部お返しします」と言って(笑)。

今年になってまた今の仕事を決めるとき夫が「自分のやりたいことをやったらいいよ」と言ってくれて、気に入った仕事に恵まれることができました。夫は私の悩みも全部受けとめてくれるので安心です。こちらに来る時も夫はやさしくハグしてくれました。

家計が厳しくなって、私は自分が楽しめないと困るので、子どもたちにも夫にもいくら入れてくださいとお願いしています(笑)。そして私は自分が楽しいこととか好きなこと、マンドリンをしたり、ヨガに行ったり、おしゃれをしたりと楽しめるようにしています。

私が私になっていくお手伝いをするために夫と息子たち3人を神様がセッティングしてくれたんだと思えるようになってきて、だから先のことはわからないけれど、私が困らなければ息子が働かなくてもいいと思えるようになってとても気持ちが楽になってきました。だから今は経済的にも将来にも不安はないです。

周りの3人のために私一人が苦労すると思っていたけれど、それは違う、私が何をしたいか最初にしたいことを決めて、困ったらみんなに伝えて、助けを求めればいいんだと思うようになると全然違います。

昨日鹿児島空港から霧島に行ったんです。霧島神宮駅から中央駅への電車は2両しかなくて、それもよく止まって、長い時間とまるんです。それなのにみんな静か〜にしていてイライラする人はいないんですよ(大笑)。あっちでは考えられないです。だからいい人ばっかり住んでいるんだなあと思いました。(笑)


―――すばらしい考え方ね。自分を否定せず、自分を大切にしていけば必ず素敵に生きていける。考え方ひとつで世界一幸せになれる、とても素敵ですね。久しぶりに参加しての感想は? 


いつもはひとりでHPを読んでいます。ここに来てまだまだ勉強できることがたくさんあるなあと思いました。皆さんのお話を聞いて、いろんなことを教えていただいて、やっぱり来てよかったなあと思いました。






いつでもなんとかなる、大丈夫!    内沢玲子



15周年記念誌のなかの内沢玲子の手記を最初に紹介。

「生き方、考え方を変えた私の人生に感謝」はこちら →


7年余り前から動き出しました。最初は銀座の酒屋さん、そこは1年で辞めました。次に池袋デパ地下の漬物屋さんは半年で首になりました。職業訓練校に通い給付金をもらいました。その後千葉の農事組合法人が作ったスーパーと小さいお弁当屋さん(大田区)で働いてきました。

スーパーとお弁当屋さんの仕事に出会って、初めて「仕事ってなんて楽しいんだろう」と思いました。初めはアルバイターで、3年経って社員になりました。お弁当屋さんのほうは、上司から「自分の店のつもりでやってイイよ」と言われたこともあり、いろいろ工夫してやりました。調子に乗って、アルバイトの人に命令口調になったりして、上から目線だと嫌われて泣きながら謝ったこともありました(笑)。

4年も働いてくるとお客さんも職場の人もみんなが助けてくれて、「人気店だね」と言われるほどになりました。でも休みはほとんど取れないような職場で、タイでお世話になったお姉さんたちが初めて日本に観光に来る3月末で、辞めると上司に言ったんです。

そうは言ったものの、本当に辞める決心はなかったんです。でも、自分から言ったことなので、結果を受けとめるほかありませんでした。職場の仲間がお別れのプレゼントを用意し、ありがたい言葉もかけてくれて、うれしかったけど辛かったです。

辞めた後、タイのお姉さんたちが来て少し元気がでたけど、帰った後はとてもひとりでアパートに居れない状況でした。店の鍵を返す時もボロボロ泣いて、私のせいでこの店はめちゃくちゃになるかもしれないとも思いました。とりあえず鹿児島へ帰ろうと思い、帰ってきたのですが、しばらく自分を責めていました。

両親に「親の会のHPや以前自分が書いた文章を読んでご覧」と言われても、すぐには読めなくて3日前にやっと読んだんです。するとずいぶん気持ちが軽くなってきました。

以前も思い通りにならないことに何度もぶつかっています。35歳でまたアルバイト生活になってしまうけれど、なんとかなる、大丈夫と思えるようになってきました。

私には親の会といういつでもベースに戻れる、考え方をリセットできるところがあって恵まれているんだなと気がついて、そう発見できてとてもよかったです。

いつでも大丈夫なんだ、本当はその状況が問題なんじゃなくて、自分の考え方ひとつで大丈夫になったり不安になったりするんだなとあらためて気づきました。まだ不安はすっかりなくなっているわけじゃないけれど、親の会のHPを見ながら、いろいろとやっていけばいいのかなあと思っています。


―――どんな困難なことがあっても、それは自分を大切にできるチャンス、立ち止まってまた人生をリセットしていこうと考える大事なチャンスだということだよね。






親は「なにもしない、なにも聞かない」  内沢 達



小4の息子さんが不登校で、現在、精神科クリニックのセラピーに週1回通い、それ以外に「適応指導」の支援学級にも通っていて、送り迎えもすることがあるという参加2回目のお母さんのお話について・・・


―――そこがどこであれ全部自分で行って、自分で帰って来るのはいいんです。
けれども、親が部分的であっても送り迎えするのはよいこととは思えません。
それは子どもを本当のところ支援・応援することにはならず、反対に子どもの辛さに手を貸しています。

「忙しいお母さんがこんなにもやってくれている。なのに、ぼくはダメだ」となります。子どもが全部自分でやるのは、たとえうまく行かなくても、それが財産になっていきます。

まわりへの気づかいではなく、いつも自分の気持ちを一番大切にすること、自分の気持ちに素直になっていいんだな〜といったことを学べます。

子どもの気持ちを尊重することが大事です。でもほとんどの場合、それは「あなたはどうしたいの?」と聞くことではありません。聞く(聞かれる)と子どもは聞いた人の思いや意図を察し、「自分が自分の主人公」として答えられなくなります。

「子どものことは子どもに任せて、親は何も言わない、聞かない」というのがじつは、一番子どもを尊重している親のありようです。

先月(3月)の例会で紹介した「いつも自分自身を一番大切にする」をホームページにもアップしました。その終わりのほうで「これまでの教育の大きな問題点の一つは、親や教師が子どもや生徒のことに一生懸命でなかったことではなく、反対に一生懸命過ぎたことにあります。子どものことばかりに一生懸命で、自分自身のことに一生懸命でなかった。子どものことばかり考え、自分のことを考えていなかったことにあります」と書きました。

これまでの常識は「親は多少の無理はしてでも子どものために何かする」というものです。しかし、それは勝手な「善意」で、それが悪事を招いてきました。

子どもも大人も「みんな自分が自分の主人公」です。親が自分自身のことに一生懸命になって、毎日を生き生きと過ごす。親の明るく元気な姿が子どもへの一番の応援だと思います。

参考にしてください。






不安の塊だった私、元気になってきました

しずりん
さん



―――しずりんさんは、どうしてうちの息子はいつまでも動かないんだろうと思ったら、昨年末くらいから元気がなくなってしまったのね。


舅が亡くなって、行きたくなかったんですが葬儀には行って、それからいろいろ先のことばかりを考えてしまって落ち込んで、ため息ばかりついていました。もしも夫が亡くなったら夫の兄弟たちも来るだろうし、と先の先まで考えてしまいました(笑)。

息子は家にいて、テレビゲームばっかりしていて、いったい何をしているんだろうと思って。ある時食事を食べに降りてきた時に「これ食べたら寝るの? いつまでそんなことをしているんだい?」といらいらをぶつけると、ふ〜んという感じで答えませんでした。

落ち込んだら、息子のことが気になって、気になってしょうがありませんでした。でも言っても響かないですね。


―――2月の親の会が終わった時に迎えに来てくれた夫に、「私は初盆や1年忌には行きたくない」と言ったのね。そしたら「そんなに行きたくないなら行かなくていい。俺が言われればいいだけだから」と言ってくれたんでしょう。


はい。夫のその気持ちは嬉しかったんですが、夫の兄妹の顔が浮かんで複雑な気持ちになりました。その後も元気になれないし夢でもうなされて、ここで薬では治らないと聞いていたし、自分でもわかってはいたんですが、薬の力を借りてでも早く元気になりたいと思って心療内科を受診し、安定剤で心がゆったりなる薬をもらいました。

でも薬を飲んでも気持ちは楽にならないし、やっぱり心の問題だからと思って、安定剤を2回飲んだだけでした。薬は1年間大丈夫と言われて、冷蔵庫にしまってあります(笑)。心療内科には3回受診しました。食事も何も作りたくなくて冷凍食品で済ませていました。お腹はすくけど食べたくなくて、そんな時はバナナを1本食べれば満足で、だからすごく痩せました。


―――それが、どうして元気になってきたの。


気持ちが不安だと、寝ていても頭が冴えて眠れない、テレビを観ても観ていない、ご飯を食べても食べた気がしない、何かしないといけないと思って、断捨離をしました。夫の仕事でたまっていた帳簿や領収書を整理してシュレッタ―にかけたり、ゆったりしている時間を作らないようにしているうちになんかちょっと元気になってきました。

なんでそんなに先のことを考えているんだろうと、納得するまで時間がかかりました。もし夫が先に死んだら、うちの息子は引きこもっていて、喪服も持ってないじゃないですか(笑)。

自分でも考えていておかしいんですが、そういうことは突然来るもので、どうしようと思ってしまって。


―――(内沢達):千葉から見えたmaaさんが先ほどいいことを言ってくれました。困った時や自分が好きなことをしたいときは、家族に率直に「助けて!」とか「お金を出して!」と頼むと言いました。

しずりんさんも困って、「私はお盆や1年忌には行きたくないの」と夫には自分の気持ちを言えたわけです。おつれあいさんは「俺が何とかするから」と言ってくれました。

だったら息子さんにも自分のことを「お母さんは不安なの」と言ったらいいんです。息子さんを変えようとしない。息子さんのことではなく自分のことに一生懸命になる。

maaさんが言っているように子どもにも甘えていいわけです。自分が大変だったら息子さんにも甘えたらいんです。「母さんは大変なの。オカシイ話だけれど、お父さんが死んだらどうしようと思ったら、どんどん不安になった」とか、かっこつけずに話したらどうでしょう。

きっと息子さんは「母さん、心配しなくて大丈夫だよ」とか、いいことを言ったりしてくれると思います。

自分自身のことを、こうしたら自分がもっと気持ちよくなれるんじゃないかな〜といったことを予想を立ててやってみませんか。頭の中で「あーでもない、こーでもない」と考えをめぐらせているだけでは、いい変化が起こってきません。

今日の「断捨離」の話だって、実際にやってみて気持ちよくなったわけです。「自分を大切にする」いろんなことを予想を立てながらやってみる。すると新しい世界が広がってくると思います。



―――「お母さんはだんだん不安になってきたのよね」と言うのは一人称ですね。でも「あなたいつまでそうしている気?」と言うのは相手を責めることですね。

でもそう言いながらあなたは親の会にずっと参加しているわけですから、Sさんの話も思い出し、森田さんの話も思い出し、いろんな人の話がちゃんと頭の中に入っている。元気になってきたというのは、薬のせいではなくて、自分がそんな事を考えてもしょうがないなあと、ちゃんと自分で気がついてきたということですね。


夫がクモ膜下出血で倒れた後に「僕のことを捨てないでね」と言ったことがあったんですが、今度は私が「捨てないでね」と言いました(笑)。

そしたら夫は「苦労を共にしてきたんだから、そういうことは絶対にできない」と言ってくれ、すごくうれしかったです。

―――素晴らしいですね。あなたは世界一幸せじゃないですか。

でも夫はもう若くないし、もうすぐ63になるし、と思って。

私は息子のことが気になって仕方がないんですが、夫は「俺が働けるうちは俺が面倒を見る」と言っています。夫は親の会にも来ていないのに大丈夫で、親の会に来ている私の方が気になって仕方がありません(笑)。うちの息子はこの親の会に当てはまらないんじゃないかと思って。車の免許も自分から取りたいとは言いませんし・・。


重則さん:大丈夫ですよ。息子さんはちゃんとやっていきますよ。






そのままの自分で     内沢 達



終わりに小話におつきあいを。
板書した「76544」、この数字はなんでしょうか?
言われると知らない人はいないと思います。

(いくつかのヒントで、重則さんが正解)

女子モーグルの上村愛子選手、彼女の過去5回の冬季オリンピックの成績・順位の推移です。前回のバンクーバーの時、彼女は「どうして私は一段ずつなんだろう」と嘆き気味に言ったんですね。その彼女、今回のソチはまたも「4位」でメダルに手が届かったのですが、以前とは違いました。

彼女は「今回ほどそのままの自分でいられたことはない」と答えて、すばらしい笑顔でした。夫の皆川賢太郎さん(アルペンスキー)は、今度のソチで「彼女はメダル主義を突き抜けた」と言ってました。メダルを取るか取らないかよりももっと大切なことがある。女子フィギアの浅田選手のフリー演技もそうだったと思います。

他に害をおよぼさない限り、どんな「そのまま」もOK!で、それぞれに価値があるというのが僕たちの基本的な考え方です。どこかつながっていると思いますので紹介したいと思いました。

3月、例会が終わった後に永田俊子さんがHP掲示板に投稿しました。NHK朝ドラ「ごちそうさん」の主題歌「雨のち晴レルヤ」の歌詞にかかわってです。

永田さんによると「♪どんな君でも愛している〜」の「君」のところを「私」に変えて声に出してみたら、「へこんでいる時けっこう効き目がありますよ」とのことです。「どんな私も大好き」。「ずるい私も意地悪な私も、いじいじ、くよくよ、イライラのわたしも大好き」。「そのまま」の自分を認め、どんな自分も大事にしてあげようということだと思います。

折しも大ヒット中のディズニー映画『アナと雪の女王』の主題歌は「Let it Go 〜 ありのままで 」です。歌詞にある「ありのままの姿見せる」「ありのままの自分になる」「これでいいの自分を好きになって」「これでいいの自分を信じて」など、やっぱり共通していると思います。

ますます、僕たちひとりひとりの、僕たちみんなの「そのまま」を大事にしていきたいものです。

2012年1月の例会(2012年2月発行ニュース)のなかで、僕は
「ダメを認められるようになるともうダメじゃない」という話をしています。

やはり「そのまま」がテーマでした。
あらためてご覧いただけますとうれしいです。




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最終更新: 2014.6.2
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