親の会 2月例会(16日)で話したことに加筆しました。
2月8日の講演メモ「みんな自分が自分の主人公」はこちら → です。
あわせてご覧ください。
いつも自分を一番大切にする
2014年3月10日 内沢 達
2月8日、講演で奄美市に行って来ました。鹿教組奄美地区支部の「母と女性教職員の会」です。
教員免許状更新講習で僕の話を聞いた人が「とてもよかった。講師にいい」と推してくれたそうです。昨年6月、鹿教組川薩地区支部の学習会(薩摩川内市)に呼ばれた時もそうでした。やはり講習の話がよかったというのです。この制度自体は不評なのですが、とてもありがたくうれしいことです。
別紙「みんな自分が自分の主人公」は講演資料です。
これは今回の講演のためにだけ作ったものではありません。
この機会に僕が考えている「これからの教育のありよう」について、骨格的なところだけでもその全容を明らかにしておきたい、と思ってまとめたものです。
ですから、親の会のみなさんにも読んでいただきたい、目を通していただきたいと思っています。
全18項目、「メモ」形式でも全文5000字以上あり内容は盛り沢山です。
講演では初めにその一部にしか触れられないことをことわり、大事なところを耳で聞くだけでなく目でも追ってほしいこと、講演を聞いて興味がわきもっと知りたいと思った人は、この「メモ」を参考にして僕の書いた冊子やホームページの詳しい記事を読んでほしい旨、お願いしました(会は約80人の参加で、持参した水色の冊子『たのしく学び
たのしく生きる』25冊は完売でした)。
主催者から送られてきた参加者の感想(全47人分)のいくつかを紹介します。
「今までにないスタイルでの講演。たのしく聞かせていただきました」
「目からウロコでした。まさに自分がたのしく生きたいです」
「あっという間の時間でした。まだまだ聞きたかったです」
「多面的な見方、自分でしっかり考え自分の意見を持つなど、じっくりと自分自身を育てていきたい」
「だよな。そうだな。納得できてあったかくなりました。自分の仕事を自分が楽しんで私が生き生きしたいです」
「話を聞くことができ本当によかった。“みんな自分が自分の主人公”ってステキな言葉ですネ!! 無理せず実践していきたい」
「まず自分が楽しむこと‥‥子どもにも話してあげたいし自分自身もそうありたいです」
「“自分自身が主人公”。なかなかそうできていない自分に気づいた。発想の転換で、世界がガラッと変わっていく気がした。とってもとってもためになる講演、ありがとうございました」
「自分の感覚を大事にしていいんだと自信がもてた」
「自分たちが固定観念に縛られていることを強く感じました」
「“違う見方をする”、本当にそうですよね」
「物事の見方を変えるととても気持ちが楽になるなあと思いました」
「お話を聞いて安心しました」
「内沢さんの話は自分が子育てをしている世界そのままを話してくださり、自信がもてました」
等々。
このような参加者の気づきや共感、自己肯定など、ほかにも気持ちいい感想をたくさんもらえて僕はもちろんうれしいです。
でも今回講演でもっとうれしいことがありました。
それは僕自身のありようについて予想を立てて講演したことが当たって「本当にそうだな〜」と確信を深められたことです。
この一文のタイトルは「いつも自分を一番大切にする」です。
これは、鹿児島の親の会が共有する大事な考え方の一つで、もちろん僕にもあてはまります。
僕はいつからか、大学でたのしく講義するのも一番は自分自身のためと意識するようになりました。学生に授業を楽しんでもらいたいとか、「勉強になった。ためになった」と言ってもらいたいとか、そうした気持ちは今も変わらずあります。けれど、それも何のためかというと一番は自分、僕自身のためです。大学の講義もそうですし、教員免許状更新講習はもっとそうです。
講義や講習は僕にとって、自分の立てた予想・仮説の当否を確かめ検証する実験の場でもあるんです。
僕の考える教育のありようははたして他の人に受け入れてもらえるか。初めは「えっ、そんな考えはおかしいんじゃない?」であっても、だんだん「なるほどそうも言える。実際そうかもしれない」、さらには「そうだ。そうに違いない!」となると、これはもう僕一人だけの考えでなく、みんなが共有できる考え方と言えます。
学生対象の講義は回数・時間が多く、たくさんの事例をあげいろんな角度から話ができます。それでおよそのところはわかってもらえてきたように思います。教員対象の講習は時間が少ない。でも、受講者は日々現実に直面しているので課題をクリアにしやすく、やはりだいたいのところはわかってもらえているように思います。
それにしても教員免許状更新講習の場合、ある程度深いところまでわかってもらうためにはそれ相当の時間が必要です。僕が担当する選択科目は2日連続で計12時間です(それを今、年に4回しています)。それだけの時間をかけてようやく、講習がとてもよかったと感想をもらえているのです。
ところで講演はそんなに時間はありません。短い時間です。昨年6月の薩摩川内市では2時間半話させてもらったのでまだよかったのですが、今度は1時間半しかありません。さて、どうするか?
僕の話は、ちょっと聞いただけだと「この人はトンデモナイことを言う!」と誤解されても仕方がないようなところがあります。今回時間がないので誤解や反発をできるだけ受けないように、話を控えめにする選択肢もあったかもしれません。
けれど、僕の予想は違いました。というか、講演依頼があったときから、僕は「好き勝手に話しますよ」とわがままで、控えめになんかできないんです。
僕の主人は僕自身です。僕自身の気持ちや僕がいま大事だと思い考えていることを一番大切にしたい。「自分が自分の主人公」なら当たり前です。
僕の考えを他の人に押しつけてはいけませんが(聞き手は聞き手で主人公として僕の話を受けとめます)、短時間であっても僕は言いたいことは遠慮なく言わせてもらう、そのほうが聞き手のみなさんにとってもよいのではないか。そうした事前の予想が当たってうれしいということです。
別紙「メモ」を準備し話はできなくても全体像を示していたことやWi-Fiを使い会場で僕や親の会のホームページ(とくに笑顔の写真)を見てもらえたこともよかったと思います。
でも最大の教訓は、僕が自分の気持ちや考えを一番大切にしてのぞんだことだと思っています。
「人の話はわが話、わが話はみんなの話」。これも鹿児島の親の会の大事な考え方のひとつです。いま紹介した僕の話=今回の講演もみんなの話ではないかと思っています。だいたい「それはその人の話でしょ!」と思われることも、じつは自分とそう違いません。反対に「自分だけ!の話」と思われることでも、じつはみんなと共通しています。
他人のことであれ自分のことであれ、それを特別に考えると大概うまくいきません。人間は各自個性的で一人ひとり違いますが、他面でじつはみんな同じです。誰だって辛く苦しいときは辛く苦しいし、うれしいときはうれしい。そうした気持ちの表し方に違いはあっても、気持ちそのものは同じで変わりがありません。
僕らはどうして元気をなくし、また反対にどうして元気になっていくのか。鹿児島の親の会ではその法則のようなものが確かめられています。
「自分を二の次、三の次に」して元気をなくし、「自分を一番大切に」するようになってみんな元気になってきました。その体験の共有や学びあいを表した言葉が「人の話はわが話、わが話はみんなの話」です。
僕はこの貴重な鹿児島の親の会の経験をいままで講義や講習で学生や教員に話してきました。親であれ学生であれ教員であれ同じ人間です。人間関係がうまくいく原理は同じで共通しています。相手を尊重して決して押しつけをしないことです。それができずに親がわが子の状態を勝手に否定的に見て、どうにかしなければと思っている限りうまくいきません。
どうにかできないだけでなく、そもそもしようとしてはいけないんです。
子どもの主人は親でなくその子自身です。
生徒の主人もその生徒自身で教師ではありません。
ところが教師も学校で生徒をどうにかしようと一生懸命です。
勉強しない子が勉強「する」ように、生活がちゃんとしていない子がちゃんと「する」ように、ほとんど無意識ですが生徒を「変える」ことが教育だと思い込んでいます。これはとってもおかしな「常識」で、トンデモナイ考え違いです。
「人が人を変える」なんてできない相談であるだけでなく、してはならない恐ろしいことではないでしょうか。僕らは、どこぞの半島、地図帳ではその上のほうの「指導者」ではありません。
僕は教員免許状更新講習で、毎回必ず「担当講師(内沢)に自分を変えてほしいと思っている人はいますか? 一人としていないはず」と話します。
「(評判などを聞いて)講習を楽しみにしてきた」人はいても、「自分を導いてほしい」とまで思っている人はやはり皆無なはず、と話します。
「教える」立場でしか考えていないと「人を変えようとすることの危うさやおかしさ」に気づきません。ちょっとでも「教わる」立場で考えると、「自分が他人に変えられちゃう」、そんな嫌なことはないというのは明らかです。誰だってそれはNO!です。
「みんな自分が自分の主人公」です。みんな自分のことは自分で判断し、自分からやりたいんです。誰でも他からさせられたくないんです。変わるときは自分から変わっていきたいんです。子どもも同じです。
それで、子どものことは子どもにまかせないといけません。親は子どものことではなく、自分のことに一生懸命になったらいい。実際、鹿児島の親の会では、親が自分を一番大切にするようになって元気になり、それが子どもへの一番の応援にもなっています。
ところで、この「子どものことは子どもにまかせ、親は自分のことに一生懸命になる」とは、「子どものことはもう考えなくていい」とか「子どもとはかかわらない、顔を合わせない」とか、ましてや「子どもはどうなってもかまわない」ということではまったくありません。子どものことについての考え方や子どもへのかかわり方、その中味が問われているのです。
まず、子どものことを「子どものために」と考えるのではなく、親である「自分自身のために」と考えたらいいんです。「子どものこと」とはいうものの、たとえば「子どものことが心配で、気なってしようがない」状態は、それはもう親自身のことです。子どもは変えられませんが、自分については自分次第です。親は「自分のために」、自分の心配や不安が小さくなるように一生懸命になったらいいんです。
子どもへのかかわり方を具体例で言うと、たとえば、子どもが不安そうにしているとき、どうしますか? なにか声をかけてあげますか。それはおすすめできません。
親は何もしないで「でーん」と構えているというのが一番いい。「それだと子どもは苦しむんじゃないでしょうか?」。苦しむのであれば苦しめばいい。悩むのであれば悩めばいい。親はその邪魔をしない。
辛く苦しいことも子どもが自然に受け入れられるようになると力に変わっていきます。子どもが成長していくチャンスを奪ってはいけません。「“心配”しないで“信頼”する」です。
「声かけ」は疑問ですが、もちろん何か話してもいいんです。「子どものこと」ではなく、「自分のこと」を「自分のために」話したらいいんです。
自分がいままでどんな不安をかかえ、その不安とどのように付きあってきたかということ。
親の会に参加してたのしかったこと、おかしかったこと、勉強になったことも話したらいいと思います。そうした「自分の話」に子どもにも付きあってもらったらいいんです。
親が何もしないで「でーん」と構えているのも、何か話すのも、「子どものため」ではなく「自分のため」です。「子どものこと」を子どもにまかせないで、親が「子どものために」一生懸命になるからおかしくなるんです。「子どものこと」のようで、じつは「親のこと」というのが問題というか課題のほとんどです。だから、親は「自分のために」「自分のこと」に一生懸命になったらいい。
「親が自分を一番大切にする」とはそういうことです。多かれ少なかれ迷いがあるのは誰しもです。親は子どもの前では立派でなければいけない、ということもありません。「自分のこと」で「自分のため」ですから、迷いを子どもにそのまま話したっていいんです。
すでにどなたかの経験にあります。「お母さん、そっちのほうは考えなくていいんじゃない」とちゃんとアドバイスもしてくれます。そのあたりも含め、自分のことに予想を立てて取り組んでみませんか。
先に述べたように、僕はいつからか講義をするのも「一番は自分自身のため」と意識するようになっています。
でも、それは逆に言うと、かつてはそうでなかったということです。無意識でしょうが、やっぱり「学生のために」と相当考えていたんです。
この考え方では部分的であれ、どこかおかしくなります。感想がよければいいのですが、すべてよいということは多人数授業ではまずありません。悪いのに出会うと「こっちはいろいろ工夫してやっているのに、この感想はなんだ!」と学生を認められなくなってしまいます。おかしいですね。いろんな感想があるのは当たり前なのに。
でも、「自分のため」と考えるとどんな学生の反応も意味あるものとして自然に受けとめることができます。
親が子どものことではなく、自分のことに一生懸命になれれば、見方が変わり、どんなことも肯定的に受け止められるようになることと同じです。
僕自身も非常勤とはいえ大学教員です。幼稚園、小・中・高等学校の教員も同じだと思います。いまの教職は多忙で、以前にはなかった「教員評価」制度も導入され大変と言われますが、依然とても恵まれた職業だと思います。不登校やエスケープで生徒が少しその場にいないことが間々あるだけで、黙っていてもほとんどの「お客さん」が来てくれる! そんな業界は他にありません。
僕は講習で「自分の教職人生を主人公として生きる」ことをテーマにして話しています。いろいろ言われていますが、教師だから「○○しなきゃいけない」とか「○○でなくちゃいけない」といったことはじつはほとんどありません。十人十色、百人百様、教師のありようも様々で各自が主人公として選びとっていけます。じつは相当に自由があるんです。
これまでの教育の大きな問題点の一つは、親や教師が子どもや生徒のことに一生懸命でなかったことではなく、反対に一生懸命過ぎたことにあります。子どものことばかりに一生懸命で、自分自身のことに一生懸命でなかった。子どものことばかり考え、自分のことを考えていなかったことにあります。
でも、間違いなく「自分の主人公は自分」です。自分のことは自分次第です。
親や教師がいつも自分を一番大切にして、元気にたのしく生きてゆく。
子どもや生徒・学生ために僕らがなすことのできる最善のことではないでしょうか。
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